【書評】『スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 ミクロ編』(ティモシー・テイラー)

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 お薦めの本の紹介です。
 ティモシー・テイラーさんの『スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 ミクロ編』です。

 ティモシー・テイラー(Timothy Talor)さんは、経済学者、編集者です。
 アメリカ経済学会発行の雑誌の編集に携わられるかたわら、全米各地の大学で経済学の講義も担当されています。
 スタンフォード大学の経済学入門の講義で“学生が選ぶ最優秀講義賞”を獲得されるなど、「話のできるエコノミスト」としてご活躍中です。

「経済学」の考え方


 経済学には、大きく2つのアプローチがあります。
「ミクロ経済学」「マクロ経済学」です。

 ミクロ経済学は、個々のプレイヤー(経済活動をする個人や会社、政府)に注目します。
 一方、マクロ経済学は、経済全体の動きを視野に入れます。

 つまり、ミクロ経済学が木を見るのに対し、マクロ経済学は森を見るということ。

 テイラーさんは、経済を語るためには、ミクロとマクロの両方を知ることが大切だと強調します。

 世の中には、経済に関する本が(その質はさておき)山のようにあふれていますが、経済の基本概念をひととおり身につけられるような、一般向けの書籍を見つけることは至難のわざです。

 そうしたニーズに応えるために、この本(日本語版の『スタンフォード大学で一番人気の経済学入門』はミクロ編とマクロ編の2分冊)は生まれました。この本は数式が並んだ教科書でもなければ、細かいトピックについて意見を述べた本でもありません。
 この本を読めば、ミクロ経済およびマクロ経済学に関する実用的な知識がひととおり身につきます。景気予測のプロにはなれないかもしれませんが、経済を考えるための確実な足場を手に入れ、自信を持って経済を語れるようになります。

 一方で、経済について語るというと、政治的な偏りを気にする人がいるかもしれません。
「あなたは保守派なのか、リベラル派なのか」と訊かれることもよくあります。
 しかしこの本は、どこにも偏ったものではありません。経済政策に対する意見はさまざまですが、それらすべての基礎にあるのがこの本の内容です。
 経済学は特定の答えを提示するものではなく、答えを導きだすための思考の枠組みを与えてくれるものなのです。

『スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 ミクロ編』 イントロダクション より ティモシー・テイラー:著 池上彰:監 高橋璃子:訳 かんき出版:刊

 本書は、ミクロ経済学の視点から、経済を読み解き、わかりやすくまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「経済学」を考えるときの3つの問い


 経済学における、もっとも基本的な問いは、以下の3つです。

  • 何を社会は生みだすべきか?
  • どうやってそれを生みだすのか?
  • 生みだされたものを誰が消費するのか?
 テイラーさんは、この3つの問いは、あらゆる経済システムの基礎をなすものであり、あらゆる社会に共通する基本的な問題だと指摘します。

(前略)資本主義か社会主義かを問わず、低所得者層から高所得者層まであらゆる人の生活が、この3つの問いによって動かされているのです。
 そしてこれら3つの問いには、さまざまな答えが考えられます。
 たとえば、横に伸びる一本の線を想像してください。
 一方の端には、国によって完全に統制された経済があります。何をどのように生産し、誰が消費するかを政府がすべて決定します。もう一方の端には、完全に自由な経済があります。何をどのように生産し、誰が消費するかは、各個人の判断にゆだねられています。
 もちろん現実には、完全にどちらかの端に位置する社会はほとんどありません。ですが、さまざまな国の経済は、その両極端のあいだのどこかに位置づけることができます。

 この線上の位置が変わると、社会はどのような色あいを帯びてくるのでしょうか。
 まったくの無政府状態というのは抜きにして、まずは政府が市場経済のごく基礎的な部分にしか手を出さない状態を考えてみましょう。
 政府は盗みを取り締まり、契約の効力を保証し、国防など最低限のインフラを提供します。しかしそれ以上は関与しません。「夜警国家」と呼ばれる状態です。
 そこから徐々に位置をずらしていくと、すこし政府の仕事の幅が広くなります。夜警の仕事だけでなく、道路の整備や教育といった公共サービスがそこに加わってきます。
 もう少し移動すると、いわゆるセーフティネットが登場します。年金や健康保険などの社会保障を国が用意する状態です。
 さらに先までいくと、鉱業や農業といった一部の産業を国が保護したり、場合によっては所有したりする状態が出てきます。家や食料など生きるうえで必要なものについて、政府が分配をコントロールすることも考えられます。
 これをさらにつきつめると、仕事や住居や食料の分配をすべて国が管理する状態にたどり着きます。生産量や価格が国によって決定されるのです。

 政府がどこまで経済をコントロールすべきかという問題については、古くから論争がつづいてきました。昔は人びとを単なる無能力者、あるいは手に負えない怪物として扱う見方が主流でしたが、最近の経済学はもっとバランスのとれた見方をするようになっています。
「市場には確かな強みがあるけれども、状況によっては市場にまかせてもうまくいかず、政府の介入が役に立つ場合もある」という考え方です。
 逆に、政府の介入が役に立たず、市場にまかせたほうがうまくいく場合もあります。
 経済を考えるときに大切なのは、「市場か政府か」といったイデオロギー的な見方に縛られず、もっと実際的な見地から考えることです。
 そのためには市場の動きについての理解を深め、うまくいかないときに何をすべきかについて、あくまでも現実的に検討する必要があります。

『スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 ミクロ編』 第1章 より ティモシー・テイラー:著 池上彰:監 高橋璃子:訳 かんき出版:刊

 どんな経済のシステムも、人間が創り出したものですから、完璧ではありません。

 何を重要視するか。
 何を切り捨てるか。

 そのさじ加減が、経済のキモであり、難しいところです。

「分業」がもたらす3つのメリット


 一見、とても単純な商品が、世界にまたがる複雑な工程で作られている。

 現代の社会では、そんなことも、めずらしくありません。

 テイラーさんは、その典型的な例として、「鉛筆」を挙げています。

 鉛筆をつくるための木は、北カリフォルニアからやってきます。森で伐採され、工場に輸送されて、小さく切り刻まれます。鉛筆の芯はセイロン島の黒鉛と、ミシシッピ州の粘土を混ぜてつくられます。外側に塗る黄色い塗料は、トウゴマという植物からつくられています。ここにはトウゴマを栽培し、輸送し、塗料に加工するプロセスが含まれます。
 鉛筆の先についている消しゴムとの接続部分には、真鍮(しんちゅう)が使われています。真鍮をつくるためには、銅と亜鉛をそれぞれ採掘し、輸送し、精錬しなくてはなりません。消しゴムは、西インド諸島の植物油や、イタリアからやってくる軽石、その他多くのつなぎ物質を混ぜあわせてつくられます。
 このように消しゴム部分だけでも、かなり長い工程が必要になるわけです。
(中略)
 鉛筆は安価な消耗品ですから、最後まで大事に使い切るような人はむしろめずらしいと思います。ですが、1本の鉛筆ができるまでには、世界中の人たちの実に多様な労働がかかわっているのです。
 さらに驚くべきなのは、身の回りの商品のほとんどすべてが、そうした大規模な連携プレーによってつくられているという事実です。
 このように複数の人が役割分担して何かをつくりあげるシステムのことを、分業と呼びます。分業は、大きな経済的利益を生みます。会社のなかで役割分担をする場合もそうですし、国レベルの経済についても同じです。
 それはなぜでしょうか、ここで見ていきましょう。

①分業すると労働者は得意な仕事に、企業も地の利を活かした事業に集中できる
 アイスクリームのメーカーを例にするなら、乳牛を育てる人とラベルのデザインを考える人はそれぞれ別の技術を持っています。同様に、ウィスコンシン州の寒冷な気候は乳牛を育てるのに向いていますが、砂糖をつくるにはもっとあたたかい気候が必要です。
 このようにそれぞれの人や土地に向いた仕事を割り当てると、生産効率がアップします。

②分業で1つの仕事に集中すると、その仕事に習熟しやすい
 自動車の生産工場では、現場労働者がプロセス改善のアイデアを生みだすことがよくあります。また、私たちが何らかのサービスを受けるときは、医師にしても美容師にしても、経験豊富な人を期待します。その道で実績を積んだ人に、仕事を任せたいと思うからです。
 これは企業も例外ではありません。いわゆる「コア・コンピタンス」に特化した企業は、多方面に手を広げるよりも、いい仕事をすることが多いのです。

③分業すると規模の経済を活用できる。
「規模の経済」とは、大量生産によってコストが下がる傾向のことを指す言葉です。
 年間1万台の車を生産する大きな工場と、年間100台しか生産しない小さな工場をくらべると、1台あたりの生産コストは大きな工場のほうが低くなります。車の生産に特化し、組立ラインによる製造過程を洗練させているからです。
 規模の経済という考え方を知ると、世の中の動きをうまく理解することができます。
 もしも規模の経済がなかったら、あちこちの町に小さな工場が乱立し、それぞれに自動車や冷蔵庫や洋服などをすこしずつ生産していたことでしょう。
 しかし規模の経済があるおかげで、ある地域で大量生産された製品を別の町の住民も買うというスタイルができあがったのです。
 また分業は、工場の中だけでおこなわれるわけではありません。地域や国をまたいだ大規模な分業も成立します。たとえばアメリカの自動車産業は、ミシガン州からアラバマ州にかけての南北に細長い地域に集中しています。

『スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 ミクロ編』 第2章 より ティモシー・テイラー:著 池上彰:監 高橋璃子:訳 かんき出版:刊

 たった一本の鉛筆をつくる。
 それだけでも、多くの材料と人の手がかかっているということです。

 ひとりの人間が一からつくろうとしても、つくれるものではありません。
 鉛筆以外の、より複雑な製品については言うに及ばず、ですね。

 世界は、「経済」という、目に見えない鎖でつながっている。
 分業制が発達してきた理由と、経済的な意義。

 それらを端的に説明してくれるエピソードですね。

「価格」は、どのように決まるのか?


 市場経済において、家計(一般的な消費者)と企業のあいだで、商品やサービス、お金がどのように流れるかを示したのが、下の図です。

図 フロー循環図 第3章P44
図.フロー循環図
(『スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 ミクロ編』 第3章 より抜粋)

 ここには「財市場」「労働市場」「資本市場」という、異なる3つの市場が存在します。

 財市場は、商品やサービスが取引される場です。
 食料や衣服、家具、散髪や電話、コンピュータや通信など、人びとが購入するあらゆるものがふくまれます。

 では、財市場において、価格は、どのように決まってくるのでしょうか。

 経済学の父と呼ばれるアダム・スミスは、「水とダイヤモンドのパラドックス」という、有名なたとえを考えだしました。

 これは、「交換価値」と「使用価値」の区別について説明したものです。

 ダイヤモンドには、非常に高い交換価値があります。そのためダイヤモンドを手に入れるには、とても大きな対価を支払わなくてはなりません。
 ところが、実際の使い道について考えてみると、ダイヤモンドが役に立つ場面はほとんどありません。食べられないし、芝刈りにも使えないし、文鎮としてもあまり優秀ではありません。基本的に役立たずのぜいたく品なのです。
 一方、水は生きるうえで欠かせないものです。飲むだけでなく、水上交通や蒸気タービンなど多くの使い道があります。実用的という意味では、非常に高く評価されるわけです。
 ところが、水はきわめて安価です。乾燥した地域を除けば、そもそも水は空からただで降ってきます。それだけありふれたものなので、水の交換価値はかなり低くなるのです。

 このように、交換価値と使用価値はかならずしも一致しません。
 ですからものの価格を論じるときには、どちらの価値について話しているのかを明らかにしておく必要があります。
 経済学で価格の話をするとき、ふつうは交換価値を指しています。ものの交換価値は、希少性によって決まります。つまり、それをほしがっている人の数にくらべて、どれだけ不足しているかということです。
 ダイヤモンドが高価なのは、ほしがる人の数にくらべて、ほんのすこしの量しか存在しないからです。水が安価なのは、あり余るほど豊富に存在しているからです。砂漠で喉が渇いて死にそうな人は、水を手に入れるためなら喜んでダイヤモンドを差しだすでしょう。しかしふつうに生活していれば、そんな状況におちいることはまずありません。

『スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 ミクロ編』 第3章 より ティモシー・テイラー:著 池上彰:監 高橋璃子:訳 かんき出版:刊

 価格は、どれだけ役に立つか、生きるために必要か、で決まるのではありません。
 そのものが、どれだけの希少性を持っているか、で決まるということです。

 価格は、需要に対する供給の量で決まる。
 つまり、絶対的なものではなく、そのときの状況次第で変わる。

「水とダイヤモンドのパラドックス」からよくわかりますね。

どうして「利子」を払うのか?


 お金に対しては、古くから根強い偏見があります。

 例えば、中世ヨーロッパでは、利子をとることは罪であるとされ、ローマカトリック教会によって利子つきの金貸しが禁止されていました。

 現在でも、イスラム圏の一部では、利子を禁止している国があるとのこと。

 利子は、資本市場における価格です。
 なのにどうしてそれが、ネガティブなイメージを呼びおこすのでしょうか。

 理由の1つは、おそらく資本市場において取引されるものが、とても見えにくい性質のものだからでしょう。商品やサービスは、具体的に見えるものです。また労働は、日々の暮らしのなかで直接体験しているものです。
 したがって、どちらも実感として理解できます。
 しかし利息の支払いや、投資の収益となると、抽象的でつかみどころがありません。
 要するに資本市場の動きは、目に見えにくいのです。

「投資」という言葉も混乱の元になっています。いくつかの異なる意味に使われるからです。株や債券などの金融商品を買うこと「投資」ということもあれば、企業が機械や工場を買うことを「投資」ということもあります。
 前者の意味で使うとき、投資する人は金融資本の供給者です。最小のリスクで最大のリターンを得ることを目的としています。後者の意味で使うとき、投資する人は企業であり、金融資本の需要者です。金融資本を使って機械などの実物資産を購入します。
 つまり「投資」という言葉は、供給側と需要側の両方に使われているのです。混乱するのも無理はありません。
 そうした混乱を避けるために、ここでは金融資本の供給を「金融投資」と呼び、金融資本の需要側、つまり企業が実物資産を手に入れることについては「物的投資」と呼ぶことにします。

「投資」という言葉も混乱の元になっています。いくつかの異なる意味に使われるからです。株や債券などの金融商品を買うことを「投資」ということもあれば、企業が機械や工場を買うことを「投資」ということもあります。
 前者の意味で使うとき、投資する人は金融資本の供給者です。最小のリスクで最大のリターンを得ることを目的としています。後者の意味で使うとき、投資する人は企業であり、金融資本の需要者です。金融資本を使って機械などの実物資産を購入します。
 つまり「投資」という言葉は、供給側と需要側の両方に使われているのです。混乱するのも無理はありません。
(中略)
 財市場や労働市場と同じく、資本市場も需要と供給の枠組みで理解することができます。
 資本市場における供給者はお金を貯蓄する人で、ふつうは家計を指します。
 企業も貯蓄をおこないますが、そもそも企業は株主(つまり家計)が所有しているものなので、家計になりかわって貯蓄していると考えることができます。
 そして資本市場における供給とは、家計が供給する金融資本の量(つまり人々の貯蓄額)と、その対価である収益率との関係性を指します。

『スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 ミクロ編』 第7章 より ティモシー・テイラー:著 池上彰:監 高橋璃子:訳 かんき出版:刊

 利子は、投資のリスクに対して、支払われるものです。
 一般的に、リスクが高い、つまり投資した資産が減少する可能性が大きければ、それだけ、大きな利子が必要となります。

 投資とは、リスクの大きさとリターンの大きさを秤にかけ、最適な条件、タイミングを見つけることだとも言えます。

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「経済」は、私たちの生活と切っても切り離せない、重要なテーマです。
 しかし、その仕組みがどのようになっているのか、理解している人は、ごく少数でしょう。

 日々、グローバルに、大きく変化し続ける現代社会。
 経済は、その原動力として重要な位置を占めています。

「経済の動きを知ることは、世界の動きを知ること」

 そう言っても過言ではないほど、必須の知識となっています。

 テイラーさんは、難しい数式や難解な論理を用いず、平易な言葉で経済のエッセンスをまとめられています。

 本書と『スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 マクロ編』は、経済の入門書として最適です。

「経済は難しすぎて・・・・・」

 そう思っている方にこそ、ぜひ、お読み頂きたいです。

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