本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』(ハンス・ロスリング他)

 お薦めの本の紹介です。  ハンス・ロスリングさん、オーラ・ロスリングさんの『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』です。

 ハンス・ロスリング(Hans Rosling)さんは、スウェーデンの統計学者、医者です。  2005年にギャップマインダー財団を設立、知識不足と闘い、誰でも理解できるような「事実に基づく世界の見方」を広めるべく、ご活動をされました。

 オーラ・ロスリング(Ola Rosling)さんは、ハンス・ロスリングさんの息子で、ギャップマインダー財団の共同設立者です。

「ファクトフルネス」と、事実に基づく世界の見方

 ロスリングさんは、何十年も講義やクイズを行い、人々が目の前にある事実を間違って解釈するさまを見聞きしてきました。

 その経験から、「ドラマチックすぎる世界の見方」を変えるのはとても難しく、その原因は脳の機能にあると述べています。

 人間の脳は、何百万年にもわたる進化の産物だ。わたしたちの先祖が、少人数で狩猟や採取をするために必要だった本能が、脳には組み込まれている。差し迫った危険から逃れるために、一瞬で判断を下す本能。唯一の有効な情報源だった、うわさ話やドラマチックな物語に耳を傾ける本能。食料不足のときに命綱となる砂糖や脂質を欲する本能。  これらの本能は数千年も前には役立ったかもしれないが、いまは違う。砂糖や脂質が病みつきになり、肥満が世界で最も大きな健康問題になっている。大人も子供も甘いものやポテトチップスを避けるようにしたほうがいい。同じように、瞬時に何かを判断する本能と、ドラマチックな物語を求める本能が、「ドラマチックすぎる世界の見方」と、世界についての誤解を生んでいる。  念のために言っておこう。ドラマチックな本能は、人生に意味を見出し、毎日を生きるために必要不可欠だ。すべての情報をふるいにかけ、すべてを理屈で判断しようとすれば、普通の暮らしは送れない。砂糖や脂質を完全に断つべきではないし、手術で感情を司(つかさど)る脳の部位を切除すべきでもない。  けれども、ドラマチックな本能は抑えるべきだ。さもなくば、ドラマチックなものを求めすぎるあまり、ありのままの世界を見ることはできない。何が正しいのかもわからないままだ。

 わたしは人生をかけて、世界についての人々の圧倒的な知識不足と闘ってきた。この本は、わたしにとって本当に最後の闘いだ。何かひとつ世界に残せるとしたら、人々の考え方を変え、根拠のない恐怖を退治し、誰もがより生産的なことに情熱を傾けられるようにしたい。  これまでの闘いでは、たくさんのデータと、あっと驚くようなソフトウェアと、躍動感のあるプレゼンと、スウェーデンの銃剣がわたしの武器だった。これらだけでは、まだまだ力不足だった。でも、この本があれば勘違いとの闘いに勝てると信じている。  ほかの本と違い、この本にあるデータはあなたを癒やしてくれる。この本から学べることは、あなたの心を穏やかにしてくれる。世界はあなたが思うほどドラマチックではないからだ。健康な食生活や定期的な運動を生活に取り入れるように、この本で紹介する「ファクトフルネス」という習慣を毎日の生活に取り入れてほしい。訓練を積めば、ドラマチックすぎる世界の見方をしなくなり、事実に基づく世界の見方ができるようになるはずだ。たくさん勉強しなくても、世界を正しく見られるようになる。判断力が上がり、何を恐れ、何に希望を持てばいいのかを見極められるようになる。取り越し苦労もしなくてすむ。  この本では、ドラマチックすぎる話を認識する術と、あなたのドラマチックな本能を抑える術を学べる。間違った思い込みをやめ、事実に基づく世界の見方ができれば、チンパンジーに勝てるようになるだろう。

『FACTFULNESS』 イントロダクション より ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド:著 上杉周作、関美和:訳 日経BP社:刊

 本書は、「ありのままに世界を見る」方法、感情的な考え方をやめ、論理的な考え方を身につける方法をわかりやすくまとめた一冊です。  その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「世界は分断されている」という、とんでもない勘違い

 脳の持つドラマチックな本能のひとつが、「分断本能」です。

 人は誰しも、さまざまな物事や人々を2つのグループに分けないと気がすまないものです。  分断本能は、その2つのグループのあいだには、決して埋まることのない溝があるはずだと思い込むことです。

 例えば、世界の国々や人々が「金持ちグループ」と「貧乏グループ」に分断されているという思い込み。  それも、分断本能によるものです。

図1 女性ひとりあたりの子供の数と乳幼児生存率のチャート① FACTFULNES 第1章
図1.女性ひとりあたりの子供の数と乳幼児生存率のチャート(1965年版)
(『FACTFULNESS』 第1章 より抜粋)

 では、人々の頭の中にあるイメージはどんなもので、それは実情に合ったものなのだろうか?  データで確かめてみよう。上のチャートは、それぞれの国ごとの、女性ひとりあたりの子供の数と乳幼児生存率を示したものだ(上の図1を参照)。  チャート上の丸は国を表しており、丸の大きさは人口を表している。2つの大きな丸はインドと中国だ。チャートの左側にある国では女性ひとりあたりの子供の数が多く、右側の国では女性ひとりあたりの子供の数が少ない。チャートの上側にある国ほど、乳幼児の生存率が高い。  3列目に座っていた学生が定義した「あの人たち」と「わたしたち」、または「西洋諸国」と「その他の国々」が、このチャートに見事に当てはまる。わかりやすいように、「途上国」と「先進国」と名付けた枠でそれぞれの国を囲んでみた。  ほとんどの国々が、「途上国」と「先進国」どちらかの枠に収まっているのがおわかりだろうか。2つの枠のあいだには明らかな分断があり、そのすき間にはキューバ、アイルランド、シンガポールを含む小国15カ国のみ、つまり世界人口の2%しかない。 「途上国」の枠内には、インドと中国を含む125カ国がある。これらの国の女性は子供を平均5人以上産み、命を落とす子供も多い。乳幼児の生存率は最も高い国でも95%に満たない。このグループで最も進んだ国でも、5%以上の子供が5歳の誕生日を迎えるまでに亡くなってしまう。  一方「先進国」の枠内にあるのは、アメリカとヨーロッパのほとんどの国を含む44カ国。こちらの国の女性ひとりあたりの子供の数は3.5人以下で、乳幼児の生存率は最も低い国でも90%を超える。  世界は2つの枠で分けることができ、その合間には分断がある。まさに、クラスで3列目に座っていた学生が指摘した通り。このチャートが動かぬ証拠だ。  ではいったい、このシンプルな世界の見方の何が問題なのだろう? どうして「途上国」と「先進国」という分け方は間違っているのか? どうして「あの人たち」や「わたしたち」という言葉を使った学生に、わたしは突っかかったのか?  なぜなら、先ほどのチャートは1965年の世界を表しているからだ。わたしがまだ若かりし頃だ。これでは話にならない。1965年の地図を載せたカーナビを使いたいと思うだろうか?1965年時点で最新だった医療研究をもとに、治療をしようとする医者に診てもらいたいだろうか?

『FACTFULNESS』 第1章 より ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド:著 上杉周作、関美和:訳 日経BP社:刊

 人間の脳は、一度インプットされた情報を基準に、すべて判断してしまいがちです。  それが、どんなに古い情報であっても、ですね。

 では、50年以上経った現在の世界は、どのような姿をしているのでしょうか。

図2 女性ひとりあたりの子供の数と乳幼児生存率のチャート② FACTFULNES 第1章
図2.女性ひとりあたりの子供の数と乳幼児生存率のチャート(2017年版)
(『FACTFULNESS』 第1章 より抜粋)

 正しく現在の世界を表しているのは、次のページのチャートだ(上の図2を参照)。  世界の姿は一変している。少人数の家族が当たり前になり、インドや中国を含むほとんどの国で、命を落とす子供の数は激減した。左下の枠に属する国はほとんどいない。ほとんどの国は、「出生率は低く、生存率は高い」ことを示す右上の小さな枠に向かう途中か、すでに到達済みだ。世界の全人口の85%は、以前「先進国」と名付けられた枠の中に入っており、残りの15%のほとんどは2つの枠のあいだにいる。いまだに「途上国」と名付けられた枠内にいるのは、全人口の6%、たった13カ国だけだ。  これだけ世界が変わってきたのに、少なくとも「西洋諸国」においては、世界の見方は変わっていない。わたしたちの頭の中にある「その他の国々」のイメージは、とっくの昔に時代遅れになっている。  変わったのは家族の人数や乳幼児生存率だけではない。生活に関わるほかの指標においても、同じ変化が見られる。所得、観光客の数、民主化の度合い、教育・医療・電気へのアクセスなどでも、世界が分断されていたのは過去の話で、いまはもうそんなことはない。  いまや、世界のほとんどの人は中間にいる。「西洋諸国」と「その他の国々」、「先進国」と「途上国」、「豊かな国」と「貧しい国」のあいだにあった分断はもはや存在しない。だから、ありもしない分断を強調するのはやめるべきだ。  私の教え子たちはみな真面目で、広い視野を持ち、世界を良くしたいと思っている。だから、学生たちが世界の基本的な事実も知らないことがわかったときはショックだった。世界が「あの人たち」と「わたしたち」という2つのグループに分断されていると考える学生や、「あの人たちは、わたしたちみたいに暮らせない」と考える学生がいたことが信じられなかった。いったいどうしたら30年遅れの世界の見方のままでいられるのか、不思議でならなかった。

『FACTFULNESS』 第1章 より ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド:著 上杉周作、関美和:訳 日経BP社:刊

 世界は、刻々と移り変わっています。  どんな有益な情報も、時間が経てば、古くて使い物にならなくなります。

「分断本能」の罠から逃れる。  そのためには、グラフや表から状況を判断するとき、それらの元データがいつのものなのかを確認する必要がありますね。

 つねに最新情報にアップデートした状態で、正しい姿を見極めたいものです。

消えた「4000万機の飛行機」

「ヘビ」「クモ」「高所」「閉所」、それに「人前で話すこと」「針」「飛行機」・・・・・。

 これらに対する恐怖心「恐怖本能」は、人が進化の過程で培ったものです。

 メディアは、毎日のように、この「恐怖本能」を刺激するニュースを流しています。  私たちは、それらから事実とは異なった印象を受け取ってしまっている場合があります。

 例として挙げられるのが、「飛行機による死亡事故」です。

 2016年には、4000万機の旅客機が、死者をひとりも出さずに目的地に到着した。死亡事故が起きたのはたったの10機。もちろんのことながら、メディアが取り上げたのは、全体の0.000025%でしかない、この10機のほうだった。安全なフライトがニュースの見出しを飾ることはない。その証拠にこんなニュースを聞いたことがあるだろうか?
「シドニーからのBA0016便は、無事シンガポールのチャンギ空港に着陸しました。今日のニュースは以上です」  ちなみに、2016年は航空史上2番目に安全な年だった。この事実もまた、ニュースにはならない。  下のグラフは、旅客機の飛行距離100億マイルあたりの死亡者数を、過去70年にわたって示している。見ての通り、空の旅は70年前に比べて2100倍も安全になった(下の図3を参照)。  1930年代までは、飛行機に乗るのは命がけだった。事故はひっきりなしに起き、その度に旅行者は恐れおののいていた。当時はどの国の航空局も、飛行機旅行には伸びしろがあると考えていた。しかし、飛行機がもっと安全にならない限り、ほとんどの人は乗りたがらないということも、みな理解していた。そこで1944年、各国の航空局の責任者たちがシカゴに集まり、シカゴ条約が締結された。これにより、事故の報告書の形式が統一された。また、報告書は各国に共有されるようになり、お互いの失敗から教訓を得られるようになった。  それ以来、すべての旅客機の事故に対して調査が行われ、結果が各国に報告されるようになった。事故のリスク要因が解明され、新しい安全対策がつくられ、それが世界中で使われるようになった。すばらしいと思わないか? シカゴ条約は、人類史上最高のチームワークの産物と言っても過言ではない。共通の恐怖があれば、人はいとも簡単に手を取り合える。  恐怖本能は諸刃の剣だ。恐怖本能があるおかげで、世界中の人々が助け合うことができる。そしてそれが、人類の進歩につながる。一方、恐怖本能のせいで、「年間4000万機もある、無事に着陸した飛行機の数々」に、わたしたちはなかなか気づかない。「年間33万人もいる、下痢で亡くなる子供たち」が、テレビに映ることもない。それが、恐怖本能の恐ろしさだ。

『FACTFULNESS』 第4章 より ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド:著 上杉周作、関美和:訳 日経BP社:刊

図3 飛行機事故の死亡者数の変化 FACTFULNESS 第4章
図3.飛行機事故の死亡者数の変化
(『FACTFULNESS』 第4章 より抜粋)
 飛行機事故は、めったに起こるものではありません。  しかし、起こったときに社会に与えるインパクトは、かなり強烈です。

 メディアなどを通じて、事故に関するニュースを繰り返し刷り込まれる。  結果、恐怖本能を刺激され、「飛行機事故は多発している」と勘違いしてしまうのですね。

420万人の「赤ちゃんの死」

 ロスリングさんは、人はみな、物事の大きさを判断するのが下手くそだと述べています。  その理由は、人間の持つ「過大視本能」にあります。

 過大視本能は、2種類の勘違いを生みます。

 1つは、数字をひとつだけ見て、「この数字はなんて大きいんだ」とか「なんて小さいんだ」と勘違いしてしまうこと。

 もう1つは、ひとつの実例を重要視ししすぎてしまうこと。

 過大視本能にだまされず、事実を正確に把握する。  そのために最も大切なのは、ひとつの数字だけに注目しないことです。

 昨年だけで、420万人の赤ちゃんが亡くなった。  これは、ユニセフによる最も新しい調査でわかった、世界中の0歳児の死亡数だ。このような、「情に訴えかける、比較対象が無い数字」は、ニュースや慈善団体のチラシでよく見かける。こういう数字を見ると、どうしても感情的になってしまう。  420万人の赤ちゃんの亡骸なんて、想像できるだろうか? なんて恐ろしい話だ。しかも、ほとんどの子は、簡単に予防できる病気のせいでなくなったという。そして、420万という数字が、とてつもなく大きい数字であることは、否定のしようがなさそうだ。おそらく、これを小さい数字だと言い張る人なんて、ひとりもいないだろう。ところがどっこい。わたしに言わせれば、420万人というのはとても小さな数字で、大いに歓迎されるべきなのだ。  赤ちゃんの笑う姿、歩く姿、遊ぶ姿を見るのを心待ちにしていた両親が、その赤ちゃんを埋葬する。それがどれほど辛いことか想像しだしたら、420万人という数字は、涙なしには受け入れられない。しかし、わたしたちが涙を流しても、世の中はちっとも良くならない。だから涙を拭いて、冷静に考えよう。  420万人という数字は、2016年のものだ。では、その前の年は? 答えは440万人。さらにその前の年は? 450万人。1950年は? 1440万人。なんと当時は、いまより1000万人も多くの赤ちゃんが、毎年亡くなっていた。420万人という数字が、急に小さく見えるようになった。しかも、計測が始まって以来、赤ちゃんの死亡数は2016年に最も低くなった。  もちろん、わたしは誰よりも、赤ちゃんの死亡数が減ってほしいと願っている。この数字が速いペースで減ってほしいと願っている。しかし、行動しなければ何も変わらない。そして、何を優先すべきかを決めるためには、それぞれの選択肢の効率を、落ち着いて計算しないといけない。  人類は、以前よりも多くの命を救えるようになっている。これは紛れもない事実だ。しかし、数字を比べようとしなければ、それに気づくことすらできない。

『FACTFULNESS』 第5章 より ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド:著 上杉周作、関美和:訳 日経BP社:刊

 ロスリングさんは、数字が大きく見えると、その数字がさも重大なことを表しているように思えてくると注意を促します。

「大きい」「小さい」は、相対的なもの。  あくまで、比較する対象があって初めて成り立ちます。

 数字の桁の大きさだけで「大きい」「小さい」を判断しない。  数字は、必ず適正な比較対象を探し、それと比較して判断する。

 つねに意識したいですね。

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 ロスリングさんは、事実に基づいて世界を見れば、世の中もそれほど悪くないと思えてくるとおっしゃっています。

 人間の脳は、入ってくる情報をネガティブにとらえてしまいがちです。  事実に基づいた見方(ファクトフルネス)を身につければ、数字の魔力に踊らされることなく、ニュートラルな状態でいることができます。

 膨大な情報があふれ返り、誰もが手軽にそれらを手にすることができる時代。  だからこそ、データを読み解き、「ありのままの世界」を見るスキルは、ますます重要になります。

 本書は、情報化社会を生き抜く現代人にとって、一度は目を通しておきたい価値ある一冊といえます。

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