本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『センスメイキング』(クリスチャン・マスビアウ)

 お薦めの本の紹介です。
 クリスチャン・マスビアウさんの『センスメイキング』です。

 クリスチャン・マスビアウ(Christian Madsbjerg)さんは、ReDアソシエーツ創業者で、現在、同社ニューヨーク支社ディレクターを務められています。
ReDは、人間科学を基盤とした戦略コンサルティング会社として、文化人類学、社会学、歴史学、哲学の専門家を揃えています。

「センスメイキング」の重要性

 世の中のほとんどのシステムがプログラム化され、自動化・高速化が進む現代社会。
 いわゆるSTEM(科学・技術・工学・数学)といわれる自然科学系の知識が、ますます偏重されるようになっています。

 しかし、マスビアウさんは、仕事で成功するには、人文科学や社会科学のトレーニングも負けず劣らず大切だと強調します。

 人文科学を追求する努力を軽視すれば、我々自身が身を置く世界とは異なる世界を探求する絶好の機会を失うことになる。トーマス・マンの『魔の山』のような素晴らしい小説を読むと、第一次大戦中から戦後にかけての欧州大陸の荒廃ぶりがひしひしと伝わってくる。『一角獣狩り』のような中世のタペストリーに出合えば、ルネサンス時代の最先端にあったフランスの国民にとって何が大切だったのかが理解できる。
 また、京都の龍安寺を訪れると、庭石の配置や質感から、日本人の世界観や美意識の根源的なものを感じ取ることができる。研究対象が中国建築だろうがメキシコの歴史だろうが、イスラム神秘主義の原理だろうが、こうした思考に慣れることで、あらゆるタイプのデータをまとめ上げ、限定的な仮説を立証あるいは反証せずに探求し、与えられた世界の特殊性に感情移入をする頭脳が鍛えられる。
 このように文化に深く関わる活動は、いかなる集団を理解する際にも不可欠な訓練の機会になるはずだ。例えば製薬会社で働いているにもかかわらず、糖尿病患者の世界がわかっていなければ、医薬品開発でどれほどがんばっていても成功はおぼつかない。自動車メーカーも同じだ。中国西部に暮らす人々のクルマの利用実態が掴めていなければ、世界最大の自動車市場で的外れな機能満載の車をつくってしまうことになる。公共分野でも、官僚体質について批判的思考の視点を持って働くには、社会科学の手法が欠かせない。

 人文科学のたしなみがあれば、自分とは違う世界のありようを想像できるようになる。恩恵はそれだけではない。人間の経験に関する文化的な知識や説明を背景に、自分とは違う世界にしっかりと思いを巡らせることができれば、回りまわって自分自身が身を置く世界についても、もっと鋭い視点が持てるようになる。各種モデルや金融イノベーションが現実から乖離(かいり)したときにも、気づくことができるようになる。
 科学的事実と現実的な姿の双方、目の前の状況と将来の可能性の双方を突き詰めていくと、何らかのパターンが浮かび上がってくる。そのパターンが我々に先見性をもたらし、ひいては本物の視点を手に入れる助けとなる。そしてひとたびしっかりした視点を持つと、長い目で見れば、データにがんじがらめになっているよりも、経済的な利益だけでなく、人生の充実という意味でも必ずやはるかに大きなメリットをもたらす。
 文化にとことん関わっていくことは、筆者の言う「センスメイキング」という行為の土台となる。学術界では、センスメイキングという言葉が時代の変化とともに意味も変容しているが、本書では文化的探求という昔からある行為を指している。つまり、今や忘れ去られかねない状況にある価値観に根ざしたプロセスを指すものとして使っている。センスメイキングは人間の知を生かし、「意味のある違い」に対する感受性を高めるのである。この意味のある違いとは、他者にとっても自分自身にとっても重要である。 『センスメイキング』 序章 より クリスチャン・マスビアウ:著 斎藤栄一郎:訳 プレジデント社:刊
 本書は、人文科学や社会科学の知識を身につけ「センスメイキング」することの重要性を具体例を交えて、わかりやすく解説した一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「スターバックスコーヒー」の存在価値とは?

 他の世界に対する知識は、文化への深い洞察力なしには得られません。
 マスビアウさんは、文化に粘り強く徹底的に向き合わないかぎり、意味のある洞察力を手にすることはできないと指摘します。

「徹底的に向き合う」といっても、市場調査の数字やデータの分析をやれという意味ではない。人文科学を含む文化研究である。文化の影響力が大きな文章を読み解き、その言語を理解し、そこに描かれる人々の暮らしぶりを肌で感じるということである。「21歳から35歳のブラジル都市部に暮らす人々の76%がプレミアムコーヒーを購入する」というようなことではない。この手のデータからは、文化のかけらも伝わってこない。

 例えば、スターバックス。同社の成功の背景には、技術と定量分析がある。最新鋭のコーヒーマシンと焙煎機が必要だし、効率的なサプライチェーンやら、きっちりつくり込まれた携帯アプリやら、会社の成長促進のための最先端の財務技術も欠かせない。だが、同社の核心、言い換えれば存在価値は、シンプルだが実に深みのある文化的な洞察力にある。
 同社中興の祖であるハワード・シュルツは、南欧のコーヒー文化を米国人の生活のありように合わせて手を加えることに長けていた。今でこそ至極当然の感があるが、35年前の北米のコーヒーといえば、昔からどの米国家庭にもあるおなじみのブランドの「フォルジャーズ」の豆を使った生ぬるいカップコーヒーくらいしかなかった。シュルツは直感的にイタリアの言葉や文化に親しもうとひらめき、イタリアに飛んで有名なバール(イタリア流の伝統的なカフェ)で学んでからスターバックスを立ち上げている。と同時に、誰もが気軽に集えるコミュニティ・スペースが欠けていた米国の満たされぬ欲求にも応えようとしたのである。「人」を理解するのは簡単ではない。文字どおり現実の世界に暮らす生身の人間を理解しようと思ったら、こうした文化的な知が必要だ。
 オーブンで1時間じっくり調理した南フランスのカスレという伝統料理は、いったいどんな香りがするのか知っておくべきだし、朝、砂漠に吹き荒れる砂嵐で目を痛める人々がいることも知らないといけない。一人称の視点で語らない詩があることを知っておく必要があるし、攻撃を受けたら山に逃げることを常識としている人々が存在することも知らないといけない。
 このように文化を調べ、全方位的に理解するには、我々の人間性をフルに活用しなければならない。自分自身の知性、精神、感覚を駆使して作業に当たらなければならない。特に重要なのは、他の文化について何か意味のあることを語る場合、自身の文化の土台となっている先入観や前提をほんの少し捨て去る必要がある。自分自身の一部を本気で捨て去れば、その分、まったくもって新しい何かが取り込まれる。洞察力も得られる。このような洞察力を育む行為を筆者は「センスメイキング」と呼んでいる。

 センスメイキングは、人文科学に根ざした実践的な知の技法である。アルゴリズム思考の正反対の概念と捉えてもいいだろう。センスメイキングが完全に具体性を伴っているのに対して、アルゴリズム思考は、固有性を削ぎ落とされた情報が集まった無機質な空間に存在する。アルゴリズム思考は「量」をこなす考え方で、1秒間に何兆テラバイトもの膨大なデータを処理できるが、深堀りして「奥行き」を追求できるのはセンスメイキングの力なのだ。
 センスメイキングのルーツをたどっていくと、アリストテレスに行き着く。実践知(実践的な知恵)を「フロネシス」として提唱したギリシャの哲学者である。スキルの高い人がこのフロネシスを発揮すると、どうなるか。単に抽象的な原理・原則に関する知識を持っていだけにとどまらない。フロネシスとは、知識と経験の両方を絶妙に融合したものだからだ。
 ビジネスの世界でいえば、スキル高いトレーダーが市況の波を乗りこなしながら取引を処理しているときや、ベテランの管理職が何万人もの従業員を擁する組織内の微妙な変化を察知している状態は、まさしくフロネシスが発揮されている。法制改革が実施される際、フロネシスを発揮する政治家なら自身の選挙区内のあらゆる領域で起こりそうな出来事について一気に思い巡らすことができる。豊富な知識と経験を誇る名リーダーの多くは、制度や社会、組織が自身の身体の延長線上にあると考えている。身体が制度、社会、組織の一部であり、制度や社会、組織が身体の一部なのである。 『センスメイキング』 第一章 より クリスチャン・マスビアウ:著 斎藤栄一郎:訳 プレジデント社:刊
 コンピューターの進歩により、情報処理能力が桁違いに大きくなりました。
 これまで何の役にも立たなかった小さな情報も、大量に集めて解析すると有益な結果が得られるようになりました。

 データ解析万能時代ともいえる今。
 だからこそ、これまで軽視されてきた「数字に表れないデータ」が、逆にクローズアップされるわけですね。

「薄いデータ」ではなく「厚いデータ」を!

 センスメイキングするうえで、重視すべき知識は何か。
 マスビアウさんは、その一つに「厚いデータ」を挙げています。

 厚いデータとは、単なる事実の羅列ではなく事実の「文脈」を捉えているもののことを指します。

(前略)例えば米国の家庭の86%は週に約5.7リットル以上の牛乳を消費しているそうだが、牛乳を飲む「理由」は何か。そして牛乳とはどういうものなのか。
「40グラムのリンゴと1グラムの蜂蜜」というのは薄いデータだ。だが、「ユダヤ教の新年祭(ローシュ・ハシャナ)にリンゴを蜂蜜につけて食する習慣がある」となったとたん、これは厚いデータに変わる。

 こう考えてみてはいかがだろう。今、椅子に座ったまま、後ろに椅子をずらせば、どんな音がするのか、かなり詳しくわかっているはずだ。1枚の紙を120センチの高さから落としたら、どんなふうに床に落ちていくだろう。紙から手を離した瞬間、どうなるか想像がつくだろう。我々は、紙がゆっくりと前後に揺れながら落ちていくことも、静かに着地することも知っている。 「自分が知っているもの」なら、ほんの一瞬考えるだけだ。カップのコーヒーがわずかに冷めただけでもすぐにわかるし、嵐がもうすぐやってくることも即座に体で感じることができる。妻や夫、恋人の目を見ただけで、様子がおかしいとわかる。これを哲学者は、我々が身の回りの世界についてよく知っているからだと説明する。我々はこういうものを背景に、暮らしを立て、日々を過ごしているわけだ。  この手の知識は、どこにでも転がっている事実というわけではない。まさしく我々が世の中でどう付き合うかがそのまま反映されるからだ。スーパーマーケットでの品物選び、料理方法、人との心の通わせ方、木の伐採方法など、あらゆるものが当てはまる。世の中を理解し、その知識を生かして世渡りをしているのだ。これこそ、AI研究者が複製しようとして、当然のことながら失敗してしまうポイントだ。そしてこの知識こそ、厚いデータを構成する材料となる。  厚いデータは、薄いデータのように何でも応用がきくわけではないために、不十分とか、厳格さの欠如といった理由で軽くあしらわれてしまいがちだ。だが、我々の生活はむしろ厚いデータに支配されているのが実態である。この厚いデータを判断の材料から外したり、無視しようとしたりすれば、人間性のモデルとしては欠陥があることになる。ビジネスの文脈で言えば、厚いデータを無視して相手を間違って理解すれば、重大な結果を招きかねない。  それもそのはずで、ビジネスとは、どの商品が一番売れそうだとか、どの社員が一番成果を挙げそうだとか、どのくらいの価格なら客が喜んでお金を出してくれるだろうというふうに、ほぼ例外なく人間の行動に賭けをするようなものだからだ。こうした賭けに長けている企業は、市場で成功しやすい。ここぞという場面での賭けに強くなるには、人に対する理解を深めるほかない。  厚いデータは、薄いデータと対照的な位置にある。薄いデータとは、言い換えれば我々の行為や行動様式の痕跡から得られるデータだ。毎日の通勤・通学の距離とか、インターネットで検索する語句とか、睡眠時間の長さとか、交友関係の広さとか、好きな音楽のジャンルといったものである。  要は、ブラウザに送り込まれた“クッキー”(ウェブサイトにアクセスしたユーザーのPCに一時的にデータを保存する仕組み)や手首につけた活動量計や携帯電話のGPSなどが収集するデータである。このような人間の行動特性が重要であることは間違いないが、これですべてを語れるわけではない。  薄いデータは、我々が何をするかという行動の面から我々を理解しようとするのに対して、厚いデータは我々が身を置くさまざまな世界と我々がどういう関係を築いているかという面から我々を理解しようとする。だからこそ雰囲気というようなものは、厚いデータの最も顕著な形態の一つになっているのだ。職場の雰囲気がどんよりとしているとか、パーティが始まったばかりといったことは、その場にいる全員が同意できる。 『センスメイキング』 第一章 より クリスチャン・マスビアウ:著 斎藤栄一郎:訳 プレジデント社:刊
 インターネットが普及した今、「薄いデータ」は誰でも簡単に手に入れられるようになりました。
 だからこそ「文脈」として捉えないと意味を持たない「厚いデータ」の価値が相対的に上がったということですね。

 とはいっても、入学試験や学校のテストは、今でも「薄いデータ」を問うものが中心です。
 個人個人のセンスメイキングの能力を高めていくには、社会全体の意識が変わっていく必要がありますね。

「存在を理解するための基盤」に立って考える

 センスメイキングの最も基本的な原則。
 それは「世界を理解する」ということです。

「薄いデータ」ではなく「厚いデータ」を使った「世界の理解」。
 つまり、「存在を理解するための基盤」に立って考えること。

 マスビアウさんは、フォード・モーターが高級車ブランド「リンカーン」を復活させた事例を取り上げています。

 同社の調査では、属性情報(顧客が持っている「考え」や運転者の身体に関する有益な各種統計情報(体重やら人間工学的な情報)といった薄いデータを正確に確保していた。
 だが、こうした消費者の「世界」に対するフォードの理解は乏しかった。つまり、消費者が自らの現実をどのように構築しているのか、フォードはうまく理解できていなかったのである。人間の体内には組織間をつなぐ結合組織というものがあるが、これにたとえるなら、センスメイキングは、失われた結合組織を見出すきっかけになるのだ。
 そこで筆者らは、フォードと手を組み、大規模な民俗学的調査プロジェクトを実施し、この特定集団にとってクルマに乗るとはどういう意味を持つのかを見極めることにした。米国や中国の都市部に住む集団から、調査を開始した。高級車市場未来がインドやロシアに軸足を移しつつあることは調査から明らかだったが、当初、フォード経営陣はこうした国で調査を実施することに難色を示していた。
 このような優先事項の対立は、大企業にありがちな話だ。30年先のように長期にわたる戦略的なゴールから見れば、新興市場を対象にすることは筋が通っている。どの高級車メーカーもインドに拠点を築きたいのだが、短期的には時間と経営資源が逼迫していてなかなか手が回らないというのが、正直なところなのだ。
 調査の準備がすべて整い、ようやく調査グループが米国、中国、インド、ロシアの都市部に暮らす被験者60人を対象に調査に乗り出した。調査を開始してすぐに、調査グループは、一人ひとりのドライバーを取り巻く社会構造の複雑なネットワークを表現するため、「自動車生態系」という概念を持ち出した。被験者には、妻や夫、兄弟姉妹、隣近所の人々、友人らと過ごす時間があるからだ。
 それから半年ほどかけて60人の各被験者に関する知識を積み上げ、知の複雑なネットワークをつくり上げた。フィールドノートや写真、インタビュー、日誌、その他の定性的なデータから得られる情報を追跡・分析した後、ある特定のパターンがはっきりと浮かび上がった。自動車の未来は、実際の運転の体験とほとんど関係がなかったのだ。
 調査グループによれば、全時間の95%は自動車が車庫か路上に駐車されて使われていないことが判明した。残る5%は実際に運転している時間だが、その大部分は渋滞でなかなか進まない退屈な時間だった。消費者にとってクルマとの付き合いの中で実は運転が占める割合はそれほどまでに小さく、皮肉にもフォードの技術陣はクルマの走りにばかり注目し、肝心の消費者が置き去りにされていたのである。つまりフォードが振り向かせようとしているドライバーは、基本的に渋滞で身動きの取れない人々だったのである。
 クルマと人間の関係がもはや運転だけで語れぬ状況にあり、高級感とか贅沢というのはブランド名でも、バンパー上にある金ピカのプレートでもないとしたら、本当の意味はいったいどこにあるのか。車内あるいは車外での体験から、いったい何を見出すことができるのか。センスメイキングには、そんな消費者の世界の枠組みをあぶり出す力がある。こういう新しい「クルマ体験」とはどういうものなのかが見えてきた。
(中略)
 最終的にセンスメイキングによって集まった具体的な体験談を通して、消費者が求めているものが明らかになった。絆を深めるための洒落たひととき、自己表現のための空間、集中力や生産性を高めるための環境まで多様なニーズがあったのだ。
 このように、自分たちとは違う世界を詳しく知ることで、リンカーンは新たな目標を掲げることになった。革張りシートの手触りだとかヘッドライトの仕様にはまったく関心のないドライバーでも、全体的に感じられる魅力を生み出していくことになったのである。
 設計・製造プロセスに取りかかる前に、まず上質な「体験」とは何かを見極める必要があることをフォードは学んだのである。フォードのような企業によるクルマづくりのあり方が、がらりと変わるわけだ。 『センスメイキング』 第三章 より クリスチャン・マスビアウ:著 斎藤栄一郎:訳 プレジデント社:刊
 対象とする相手が違えば、その「存在を理解するための基盤」は変わってきます。
 つまり、文化も違えば経済状況も違います。
 目的や概念すらも異なる場合があるかもしれません。

 同じ「高級車に乗る」という体験も、国や地域が変わればまったく違う意味を持つ。
 そこに気づいたからこそ「リンカーン」の復活が成功したということです。

「動物園」からの脱却

 センスメイキングを実践する際に重要なこと。
 それは「現実世界に回帰せよ」、つまり、そのものそれ自体に戻るということです。

 檻(おり)の中に置かれたボウルから餌を食べるライオンを眺めるのではなく、サバンナで狩りをするライオンを観察するのだ。動物園から脱するのだ。
 ほとんどの人々は、一種の“動物園”に囚(とら)われの身になっている。慌ただしい都会を高いところから見下ろすガラスに囲まれた風通しの悪いオフィスは、ある意味で動物園だ。あるいは、人間の生活を数字の羅列に置き換えた紙で埋め尽くす会議室のテーブルもそうだ。空虚なスローガンと無意味な略語を並べた経営戦略会議も、そうかもしれない。
 我々が身を置く、“動物園”が何であれ、現実の生活を複雑な部分まで微に入り細をうがって捉えることは不可能なのだ。
 自動車でもレストランでも何でもいいのだ。現象学でそういった物事の本質を明らかにされるわけではない。だが、こうした物事に対する「我々の関係」の本質が見えてくるのだ。
 我々にとって、四六時中、すべてがすべて重要なわけではない。我々は生活の中で物事との関係性を持っているが、現象学はどれがどういうときに最も重要なのかを教えてくれるのだ。
 例えば製薬会社の場合、2016年度に四半期目標を達成した営業担当者が何人いるかはスプレッドシートを見ればわかるが、現象学は優秀な営業担当者になるための条件に正確に光を当ててくれるのだ。
 また、フォーチュン500社に名を連ねる某大手コーヒー会社なら、1杯2ドル以上の「プレミアム」コーヒーを一般的な米国人が1日にどのくらい飲んでいるのかということは、経営学の知識でいくらでも計算できる。
 だが、現象学は、本当においしいコーヒーを味わう体験に不可欠な条件を理解する手助けになる。
 衣料メーカーでは、市場セグメント化モデルを駆使して、高級志向の顧客の消費傾向をはっきりと見極めることができるが、現象学ならこうした顧客が実際にどのような体験を求めているのかを明らかにできる。

 動物園とサバンナの違いを、別の方法でも考えてみよう。「正しい」と「真実」という言葉を使う方法だ。自然科学の説明では、「正しい」かどうかが基準となる。主張内容は、観察可能な事実と合致するかどうかが問われる。
 この「正しさ」は、主観的な信念とは別物である。だが、これまでにも見てきたように、共有される世界に関しては、正しさという概念はあまり前面に出てこない。
 我々は、生物学的な性別を正しく使うことができる。男性か女性である。だが、この意味で正しくても、男らしさや女らしさを体験することがいかなるものなのかほとんどわからない。男であること、あるいは女であることとは、「どういうこと」なのか。
 人間の現象として考えると、真の説明能力を駆使して特性を明らかにしようとする。この手の解釈法であれば、人々はなるほどとうなずいて「『あんなに』真に迫っているのだから」と納得する。そのような真実は普遍的法則ではない。何にでも通用するわけではないのだ。だが、特定の時と場所に関して非常に深い何かを物語ってくれる。
 遊び、どんちゃん騒ぎ、旅行、スポーツ、投資、学習、娯楽、食事、美、信頼など、いかなる現象や行動であっても、「正しい」かどうかの尺度で、「真実」の尺度でも分析できる。
 だが、文化的な意味をはっきり浮かび上がらせるには、後者のような分析でなければならない。三色を縫い合わせた布切れが米国の国旗になり、金を構成する分子を集めたものが結婚指輪になる。長さの異なる合板で作った構造物は、住宅になる。 『センスメイキング』 第五章 より クリスチャン・マスビアウ:著 斎藤栄一郎:訳 プレジデント社:刊
 いくら数字や文字の客観的なデータを眺めても、「そのものそれ自体」は見えてきません。
 実際に、そのものを見て、触れて、感じてみないことには「本質」は明らかになりません。
「百聞は一見にしかず」とは、よくいったものです。

「薄いデータ」が誰でも簡単に手に入るようになった今の時代。
 だからこそ、体験することから手に入る「厚いデータ」がより貴重になり、価値が高まっています。

 本やネット仕入れた情報だけで満足せずに、「そのものそれ自体」を感じ、体験する。
 これからは、そんなフットワークの良さがますます求められるということですね。

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「人は何のために存在するのか」

 この問いに対するマスビアウさんの答えは、明快です。
 それは、人は、意味をつくり出し、意味を解釈するために存在するということです。

 文学や哲学、宗教などの人文科学の分野は、こうした活動のための理想的なトレーニングの場になります。

 自分がいるコミュニティ(共同体)と違うコミュニティを理解する。
 そのためには、そのコミュニティを基盤となっている文化や習慣、歴史を学ぶ必要があります。

 グローバル化や情報化社会が進めば進むほど、相対的な価値が上がるのが、人文科学の知識でありノウハウです。

 いかにして生産性を上げ、効率化することができるか。
 本書は、そんな現代社会を支配する命題(テーゼ)に一石を投じる、強烈な反命題(アンチテーゼ)として一読の価値があります。

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