【書評】『哲学と宗教全史』(出口治明)

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 お薦めの本の紹介です。
 出口治明さんの『哲学と宗教全史』です。

 出口治明(でぐち・はるあき)さんは、会社経営者です。
 自ら立ち上げたライフネット生命の会長兼CEOを務められるかたわら、世界各地を巡られています。
 訪れられた世界の都市は1000以上、読まれた歴史書は500以上にのぼるとのこと。

なぜ今、「宗教」と「哲学」なのか?

 出口さんは、さまざまなビジネスとの世界で、仕事のヒントを与えてくれたり、仕事が行き詰まったときに新鮮な発想をもたらしてくれるのは、専門分野の知識やデータよりも、異質な世界の歴史や出来事であることが多いと指摘します。

 そして、この観点に立てば、人類の知の葛藤から生み出された哲学や宗教を学ぶことは、日常のビジネスの世界にとっても、有益となると強調します。

(前略)哲学や宗教は、まだまだ人間の知の泉の一つであると思うのです。
 皆さんは、「哲学と宗教はかなり異なるのではないか」あるいは「哲学だけでいいのではないか」などと思われるかもしれません。
 この問いに対する答えは簡単です。イブン・スィーナー、トマス・アクィナス、カントなどの偉大な哲学者はすべて哲学と宗教の関係を紐解くことに多大な精力を注いできました。歴史的事実として、哲学と宗教は不即不離の関係にあるのです。

 僕はいくつかの偶然が重なって、還暦でライフネット生命というベンチャー企業を開業しました。個人がゼロから立ち上げた独立系の生命保険会社は戦後初めてのことでした。
 そのときに一番深く考えたのは、そもそも人の生死に関わる生命保険とは何かという根源的な問題でした。たどり着いた結論は「生命保険料を半分にして、安心して赤ちゃんを生み育てることができる社会を創りたい」というものでした。そして、生命保険料を半分にするためには、インターネットを使うしかないということになり、世界初のインターネット生保が誕生したのです。生命保険に関わる知見や技術的なノウハウなどではなく、人間の生死や種としての存続に関わる哲学的、宗教的な考察がむしろ役に立ったのです。
 古希を迎えた僕は、また不思議なことにいくつかの偶然が重なって、日本では初の学長国際公募により推挙されてAPU(立命館アジア太平洋大学)の学長に就任しました。APUは学生6000名のうち、半数が92の国や地域からきている留学生で、いわば「若者の国連」であり「小さな地球」のような場所です。
 もちろん、宗教もさまざまです。APUで仕事をしていると、世界の多様性(ダイバーシティ)を身に沁みて感じます。生まれ育った社会環境が人の意識を形づくるという意味で、クロード・レヴィ=ストロースの考えたことが本当によくわかります。振り返ってみれば僕は人生の節目節目において哲学や宗教に関わる知見にずいぶん助けられてきた感じがします。
 そうであれば、哲学や宗教の大きな流れを理解することは、間違いなくビジネスに役立つと思うのです。
 神という概念が生まれたのは、約1万2000年前のドメスティケーションの時代(狩猟・採集社会から定住農耕・牧畜社会への転換)だと考えられています。それ以来、人間の脳の進化はないようです。そしてBC1000年前後にはペルシャの地に最古の宗教家ゾロアスターが生まれ、BC624年にはギリシャの地に最古の哲学者タレスが生まれました。それから2500年を超える長い年月の間に数多の宗教家や哲学者が登場しました。本書では、可能な限りそれらの宗教家や哲学者の肖像を載せるように努めました。それは彼らの肖像を通して、それぞれの時代環境の中で彼らがどのように思い悩み、どのように生きぬいたかを読者の皆さんに感じ取ってほしいと考えたからに他なりません。ソクラテスもプラトンもデカルトも、ブッダや孔子も皆さんの隣人なのです。同じように血の通った人間なのです。ぜひ、彼らの生き様を皆さんのビジネスに活かしてほしいと思います。
『哲学と宗教全史』 はじめに より 出口治明:著 ダイヤモンド社:刊

 出口さんは、はるか昔から人間が抱いてきた問いかけは、次の2つに要約されると述べています。

  • 世界はどうしてできたのか、また世界は何でできているのか?
  • 人間はどこからきてどこへ行くのか、何のために生きているのか?
 自然科学分野の研究が大きく進歩し、世の中の物理現象の多くが解明されてきました。
 しかし、この2つの問いに対する答えは持ち合わせていません。

 そこで哲学と宗教の出番だということですね。

 本書は、過去から現在まで、人間はどのような哲学や宗教で世界を理解し、人間が生きる意味を考えてきたのか、時代順にわかりやすくまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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ソクラテスの「不知の自覚」と「産婆術」

 有名な哲学者ソクラテスは、古代ギリシャのポリス国家の一つ、アテナイにBC469年頃に生まれています。

 ソクラテスの哲学の特徴は、一言でいうと「不知の自覚」です。

 具体的には、質問を人々に投げかけ、対話することで考えを深め、人々に不知を自覚させようと努めるやり方です。

 出口さんは、外面の世界から内面の世界へと思索を深めていく哲学が、ソクラテスから始まったと述べています。

 ソクラテスは石工である父と助産師である母との間に生まれました。若い頃から雄弁であったようです。長(ちょう)ずるに及んで、自然哲学者に学び、弁論術を修め、思索を深めていきました。彼の歯に衣(きぬ)を着せない大胆な発言は、アテナイでは人気があり、傾倒する若者も少なくありませんでした。
 この当時、アテナイでは弁論術や修辞法が盛んでした。
 ペリクレスの時代、アテナイの市政には30歳以上の男性市民の全員が参加しました。男性市民にとって、自分の主張を効果的に表現し、相手との論争に勝利する弁論術を習っておけば、それが自分の出世にもつながる時代だったのです。身体的能力の高さを競う古代オリンピックが、4年に一度オリュンピアで開催されたように、市民が雄弁を競い合う弁論大会も開催されていました。
(中略)
 さて、ソクラテスの弁論術は対話を重んじました。相手にさまざまな質問をして、その答えを論破しながら物事の核心に迫り、真実に近づく対話術です。現在ではソクラテスの弁証法として定義づけされていますが、当時は「産婆術」とも呼ばれていました。若者たちに問いかけ、粘り強く彼等の誤ちを正していき、若者を真理に到達させるソクラテスの話術は、産婆さんが赤ちゃんを母親の胎内からていねいに取り出し、誕生させるプロセスのようだと評されたからです。もしかすると、ソクラテスの母親が助産師であったことと関連して、こう呼ばれたのかもしれませんが。
 彼が産婆術を駆使して教えようとした命題は、「不知の自覚」でした。古代のギリシャでは神だけが知者であると考えられていました。人間は知者でないがゆえに知を愛求したのです。すなわちフィロソフィーとは、もともと人間の知性が神と比較すれば無に等しいことを自覚することからスタートするのです。

 ところで、不知の自覚とは、どういうことでしょうか。わかりやすく述べると、それはちょうど、暗闇の中で何人かの人が集まって象を撫(な)でている状態と似ています。鼻を撫でた人は、細長い生き物だと思い、足を撫でた人は太い柱みたいだと思い、耳を撫でた人は大きな団扇(うちわ)みたいだと思う。誰もが本当の象の姿を知らないまま、自分は象の姿形を知っていると思っている。ソクラテスのいう「不知の自覚」とは、まさにこのような状態を指していたのではないでしょうか。
 世界は広くて複雑である、それなのに人間はついつい「何でも知っている」と過信しがちです。そのことがいかに愚かなことであるかは、繰り返される争乱や支配者の誤ちを見れば、明らかです。不知を自覚できず、驕(おご)りたかぶる政治家や賢人がたくさんいます。その一方でペロポネソス戦争とその後の混乱が続く時代に、いつ戦いに駆り出されるかわからない若者が、不安な日々を生きている現実があります。
 ソクラテスは、若者に世の中の真実について考えたり、自分の人生について見つめ直す機会を与えるべきだと考えました。ソクラテスは自分の人生を、そのような人々との対話に投じるようになっていきます。

 ソクラテスは朝食を終えると、粗末な衣服を身につけ、裸足でアテナイの街へ出かけたといわれています。そして広場や神殿などの人が集まる場所や人の行き交う道筋で、誰彼となくつかまえると問答を仕掛けるのでした。
 ソクラテスは問答を仕掛けて、相手に自分の不知を自覚させようとしました。しかし、自分の不知に気づかない相手を無明の闇から引っ張り出すには、彼か不知なるがゆえに主張している議論を妥協なく否定する必要があります。そのためには、相手の考えを強く論破したり、一笑に付す必要も生じます。相手によってはソクラテスに対して感情的になり、殴りかかったり、足蹴(あしげ)にしたりすることもありました。そんなとき、決して抵抗しないソクラテスを見て、市民たちがあきれていると、彼はつぶやくのです。
「もしロバが僕を蹴ったのだとしたら、僕はロバを相手に訴訟を起こすだろうか」

 彼は自分の言動に対する嫌がらせや妨害に少しも動じることなく、禅問答を繰り返すような日々を続けていました。そして夜になると帰宅する。朝になると出かけて行く。家にいるときのソクラテスは食事を摂るだけ、だったかもしれません。ソクラテスのパートナーはクサンティッペという女性でしたが、悪妻として名前を残しています。でも彼女の立場に立てば、ソクラテスの日常生活にうんざりしながらも心配が絶えず、口喧(やかま)しくならざるをえなかったのかもしれませんね。
 ソクラテスに論破された逆恨みから、彼に深い憎悪を抱いた人々は、ついにソクラテスを告訴しました。以下のような罪状です。
「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」

 これに対してソクラテスは、公開裁判で堂々たる反論を行いますが、死刑が確定します。ソクラテスには刑の執行を逃れる機会もあったと伝えられていますが、法の裁きを遵守し、毒ニンジンの杯(さかずき)をあおり刑死しました。
 以上が、ソクラテスの人生について語り継がれてきた素描です。
『哲学と宗教全史』 第4章 より 出口治明:著 ダイヤモンド社:刊

 後の西洋哲学に大きな影響を与えたソクラテスですが、自らは著書を残していません。
 それでも現代までその功績が語られているのは、彼の弟子であるプラトンが残した数多くの文献にソクラテスが登場するからです。

 訴えられたソクラテスが法廷で弁明する場面を描いた『ソクラテスの弁明』は、特に有名です。

 プラトンは、自らも『イデア論』など後世に大きな影響を与える思想を生み出しています。
 プラトンの弟子は、これまた偉大な哲学者の一人であるアリストテレスです。

 西洋哲学は、「ソクラテス以前」と「ソクラテス以後」に区分されることが多いです。
 ソクラテスが後世に遺した思想や人物のインパクトを考えると、当然かもしれませね。

墨子の「兼愛」「非攻」という思想

 ソクラテスと同じ頃、中国で生まれた思想家の一人が墨子(BC470頃〜BC390頃)です。

 春秋時代の小国、魯に生まれた墨子は、最初に孔子の教えを学びます。
 しかし、多くの疑問を感じ、独自の思想を構築することになります。

 孔子は仁を重んじました。しかし、仁の根幹となる仁愛の思想は、当然のように身分社会の存在を前提にしています。また祖先と親を尊敬し、家族を大切にすることを第一に挙げるのが仁愛の精神ですから、他者への無条件な愛はどうしても二の次にならざるをえません。墨子はそのことを指摘しました。不平等であって真実の愛ではないと。
 墨子は人はみな、男も女も貧者も弱者も、墨子の思想は現代のヒューマニズム(人道主義)に匹敵する新しさがありました。このような墨子の思想を「兼愛」と呼びます。墨子の著書の一部として残存する『墨子』の中に、「兼愛編」という章が存在することから、名づけられました。
「兼愛編」の中で、墨子は戦国時代の諸侯に、次のようなことを訴えています。
「敵国への愛を重んじて憎しみを捨てよ。そこに平和ヘの道があるはずだ」
 現代の民族紛争について、語っているかのような錯覚を覚えます。当然、墨子は戦争反対でした。しかし反戦とはいわず、「非攻(ひこう)」を主張しました。

 誰かが他人の果樹園から果実を盗めば、その人は非難される。誰かが誰かを殺害すれば犯罪である。当然、非難される。それは不正義であると。しかし、一国の君主が他国を侵略し、数百人の人を殺しても、誰もそれを不正義であるとはいわない。むしろ祖国の利益になる正義だと賞賛したりする。しかし、その行為は、愛を失った行為である。弾劾されるべき行為ではないか。
 墨子はそのように考えました。他者の財産を盗み取ることの延長線上に、殺人も戦争もある。それは自己の利益のために、他者を攻めることに起因するのであるから、攻める行為を封印せよと主張しました。非攻です。
 しかし攻められたら、どうするか。徹底的に守り抜け、と説きました。理不尽な攻撃者とは戦えと。そてし実際に墨子を中心とする集団の人々は、築城術や防衛戦術を研究し、そのような技術者集団にもなっていきました。

 衣服は季節の寒暖から身体を守るために着る。その目的を果たすことが大切で、華美な装飾は不要である。舟や車をつくるのも、河川を確実に運行し、坂道や低地でも容易に移動したいからである。機能に徹して製作されなければならない。ぜいたくな設備は廃すべきである。これらの道理と同様に、国を治めるためには、財貨は合理的に無駄なく使用すべきである。財貨や軍兵をいたずらに浪費して、民衆の苦しみを増やしてはならない。
 墨子は、政治においても生活上の慣習についても、実利と実用が伴うことが大切であると説きました。節約の思想です。かれはこれを「節用」と表現しました。さらに墨子は節用の理念を踏まえて、「節葬(薄葬(はくそう))」を強調しました。
『哲学と宗教全史』 第5章 より 出口治明:著 ダイヤモンド社:刊

 秩序や礼節を重んじ、為政者の仁をもって世を治める。
 そんな孔子の思想は、支配者階級からは受け入れやすいものでした。

 一方、墨子の思想は、過激な反体制的な思想とみなされ、弾圧の対象とされました。

 宗教をめぐるテロや民族間の紛争が絶えず、環境破壊が急激に進む現代社会。
 墨子の「兼愛」や「非攻」の思想は、今こそ大きな価値を持つのではないでしょうか

トマス・アクィナスは「神の存在」を宇宙論的に証明した

 トマス・アクィナス(1225頃〜1274)は、アリストテレス哲学とキリスト教神学の調和をはかり、キリスト教の教義の深化に大きな貢献をしたことで評価された人物です。

 トマス・アクィナスは、ギリシャ哲学やイブン・スィーナーやイブン・ルシュドの著作を丹念に読み込んでいました。その成果を踏まえて神の存在を理論的に証明しようと努めます。
 そこには次のような過程がありました。
 当時も神の存在証明について、さまざまな議論がありました。それに対してトマス・アクィナスは、神とは何であるか、その本質がわからないので、神の存在証明を神の概念規定から始めることはできないと考えました。そんなときに、彼はアリストテレスの「4原因説」に出会いました。この学説を極めて乱暴に言い切ってしまえば、何であれ、一つの状態や存在が生まれるときは、必ずその原因がある。そしてその原因を大別すれば4つあるという学説です。何かが動くのは、何者かが押したからであるという理屈です。至極当然の理屈ですが、コロンブスの卵でもありました。

 この学説に接してトマス・アクィナスはひらめきました。
 地球は丸くて、そのまわりを太陽が回っている。だから朝がきて夜が来る。天動説です。同時代人と同じように、トマス・アクィナスもそのように考えていました。ところでアリストテレスは、「誰かが押すから机は動くのだ」と言っている。では、地球のまわりを回っている月や星や太陽は、誰がそもそも押したのか・・・・・。
 そしてトマス・アクィナスは、すべての存在や状態をつくり出す根本の原因となる存在があると考えました。それを第一原因と名づけました。すなわち神に他なりません。トマス・アクィナスが考えた神の存在証明理論は、神の宇宙論的証明と呼ばれています。このようにして彼は、神の存在を明確化しました。
 この理論展開のプロセスは、イブン・スィーナーの「無から有は生じない」から、アッラーフを想起する理論ととてもよく似ていると思います。

 イブン・ルシュドは二重真理として、信仰の真理と理性の真理があると述べました。
 トマス・アクィナスは、アリストテレスやプラトンの哲学と、キリスト教神学を統一しようとしたとき、この二重真理説を巧みに活かしました。次のような理論展開です。

 人間には理性があって、プラトンやアリストテレスに代表されるような哲学を生み出した。哲学を勉強すれば、世の中のことはすべて理性によって判断できる。人間のこと、社会のこと、動物とか植物などの自然界のこと。すなわち、僕たちが生きている世界のことは理性によって理解できる。しかし死後の世界のことは、死人に口なしでわからない。同様に宇宙のことも、誰も行ったことがないからわからない。これらを説明するのが、信仰の真理によって構築される神学である。
 トマス・アクィナスは、哲学によって理解するこの世の真理と、神学によって理解するあの世と宇宙の真理があると考えました。当然のこととして、神学が哲学の上位となります。神は全能であり全人類を救う存在なのですから、このように整然と哲学の真理を神学の真理の下位に位置づけて、トマス・アクィナスは喝破しました。
「哲学は神学の端女(はしため)である」と。
 端女とは、召使いの女という意味です。この言葉は次のことを必然的に導き出します。
 この世では、信仰の僕(しもべ)であるローマ教会が神学の世界に最も近いので、一番権威ある存在なのだ、という理論です。結局、トマス・アクィナスはイスラーム神学の知見を拝借して、ローマ教会を天上の高みに位置づけました。いわば、イスラーム神学がキリスト教神学の教師になったというわけです。
『哲学と宗教全史』 第8章 より 出口治明:著 ダイヤモンド社:刊

 イスラーム世界からギリシャ・ローマの古典がヨーロッパに里帰りした時代を、12世紀ルネサンスと呼ぶことがあります。

 ギリシャ哲学をキリスト教神学に取り込むことに成功したトマス・アクィナスの功績は、14世紀ルネサンスの大きな原動力となったことは間違いありません。

「コペルニクス的転回」だったカントの哲学

 その14世紀ルネサンス以降、西洋哲学は、大きな2つの潮流に分かれます。

「大陸合理論」「イングランド経験論」です。

 大陸合理論は、真の知識の源泉(すなわち真理の源泉)が人間の理性に基づいているという考え方です。

 代表的な思想家は、ルネ・デカルト(1596〜1650)やバールーフ・スピノザ(1632〜1677)、ゴットフリート・ライプニッツ(1646〜1716)などです。

 イングランド経験論は、人間は生まれたときは白紙。経験と勉強によって賢くなるという考え方です。

 代表的な思想家は、フランシス・ベーコン(1561〜1626)やジョン・ロック(1632〜1704)、デイヴィッド・ヒューム(1711〜1776)などです。

 この2つに分かれた大きな流れを再び思想を統一しようとした哲学者が、イマヌエル・カント(1724〜1804)です。

 カントは、人間には2つの認識の方法があると考えたのです。感性と悟性(ごせい)です。
 感性とは外界の刺激に応じて、なんらかの印象を感じ取る認識能力です。感覚と考えても誤りではないでしょう。「sensibility」です。悟性とは、感性と共同して認識を行う能力です。その認識には感性と違って、理性や判断力が伴います。「understanding」、すなわち理解力です。幼児がライオンに対して反応するのは、この悟性の働きによるわけです。
 カントはこのように人間は感性と悟性の2つが1つになって、世界を認識するのだと考えました。イングランドの経験論のように、人間は確かに白紙のままで生まれてくるのだけれど、動物との違いは悟性という能力をも持って生まれてくるのだと考えたのです。この悟性はデカルトの「生得観念」と似ているようですが、少し違うのです。感性と悟性についてもう少し話を進めます。

 カントは、まず、人間はア・プリオリに、すなわち経験に先立って、空間と時間を理解していると述べました。もっとも人間は空間と時間の中に生まれてくるので、理解しているのは当然のことなのですが。なお、ア・プリオリとは、後天的な経験(ア・ポステリオリ)に依(よ)らず先天的に与えられたものを指します。
 すべての事物は時間と空間の中にあるのですが、目に映るものは「感性」によって経験することができます。目に映るものは多様であり、これを感性の多様(感覚所与)と呼びます。机の上の花びんに生(い)けられたバラの花を上から見たのと横から見たのとでは形が異なります。また、時間が経てば、花びらが散るかもしれません。
 しかし、人間はそれを「1つの同じバラ」だと認識します。この認識は、どの感覚所与(上から、横から、たとえば1日後)からも得られないとカントは考えて、それは「悟性」に由来すると指摘したのです。そして悟性はカテゴリーを媒体しており、カントは12のカテゴリー(認識の枠)を挙げました。
 たとえば、ものごとには原因があって結果があるという因果律を理解する認識の仕方などです。朝がきたら夜がくる、というような。悟性はア・プリオリに人間に備わっているとカントは考えました。
 人がものごとを認識するという行為は、感性と悟性の共同作業である。感性と悟性によって構成された認識の枠によって人はものごとを認識するという、二重構造をカントは考えたのです。人間は、ものごとを感性で認識すると同時に、悟性の枠に対象物を当てはめて、そのものごとを認識すると。

 たとえば、あなたは花びんに生けられたバラを見ています。花は机の上という空間にあります。そしてあなたは因果律によって次のことを知っています。植物が小さな芽から成長して大きくなり、やがてつぼみをつけ、そこに花が咲き、最後に散ることを。
 ところで1匹の蜂が、同じバラを見ていると仮定します、人間の見える色は3原色を基本としています。しかし蜂は違います。そのバラは、蜂から見れば異なった印象となるでしょう。おそらく赤い花も赤には見えない。もちろんカントには、このような知識はありませんでした。
 しかし彼は、次のような疑問を呈しました。

 人は自分の感性と悟性で構成される認識の枠によって、対象を見ているにすぎない。しかし、人が果たしてその対象の本当の姿を見ているという保証は、どこにあるのか。それゆえに人は、そのもの自体を見ているのではなく、認識の枠が把(とら)えた現象を見ているのである。カントは、そのように考えました。
 人は、世界の存在物、その物自体を永遠に把えられない。したがって人が見ているのは、真の対象objectそのものではなく、それは認識の枠が把えた現象“phenomenon”である。すなわちカントは対象と現象は違うという、二元論に立ったのです。
 これは画期的な発想でした。人間は世界に存在している事物の真実の姿を、永遠に知ることはできない。人はその対象の現象を認識しているだけである、という理論だからです。
『哲学と宗教全史』 第10章 より 出口治明:著 ダイヤモンド社:刊

 それまで哲学の認識論では、対象をそのまま対象として認識し、それが真実の存在であると考えていました。

 ところがカントは、人間は認識の枠組みで対象の現象を認識しているだけで、その事物の真実の姿を見ることは不可能であると断言したのです。

 このような認識論の逆転を、カント自身が「コペルニクス的転回」と呼んでいます。
 コペルニクスの地動説と同様に、世の中を根本的に変える思想だと自負していたのでしょう。

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 出口さんは、僕たちは今、次代の哲学や宗教の地平線の前に立っているのではないかとおっしゃっています。

 社会全体の閉塞感が強まったとき、それを打ち破る画期的な思想が世に現れてきました。
 哲学と宗教は、そんな新しい思想の急先鋒として、暗闇を切り裂く稲妻の役割を担ってきました。

「人は何のために生きるのか」
「幸せとは何か」

 そんな人間が抱える本質的な問題に対する答えが明らかになるまで、それは変わらないのでしょう。

 今の世の中は、まさに時代の転換点。
 誰もが先の見えない不安を抱えたまま過ごしています。

 歴史は繰り返す、といいます。

 未来を知るためには、過去を知る必要がある。
 歴史を理解するためには、それを先導した思想、つまり哲学と宗教を学ぶことは不可欠です。

 本書は、世界の今を形作っている世界の思想を系統立ててコンパクトにまとめてくれています。
 哲学と宗教の導入書として最適な一冊です。

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