本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『ZEROの法則』(宇場稔)

お薦めの本の紹介です。
宇場稔さんの『ZEROの法則』です。

宇場稔(うば・みのる)さんは、放射線と生体エネルギーの相対現象を通じて、生命波動に関するさまざまな超科学現象を検証しながら霊的世界の実存を確認すれました。
その後、自らがさまざまな超科学現象を体験し、自由と愛の本質を宇宙論的に探究する中で、宇宙と地球のメカニズムとシステムが、全て真逆の枠組みと価値観に理論「パラレボ(Paradaigm Revolution)理論」を創り出されました。

全宇宙のメカニズムとシステム「ゼロの法則」

宇場さんが40年かけて構築した「パラダイム・レボリューション(理論の枠組みと価値観の革命)」略して「パラレボ理論」。
その中で、最も重要かつ象徴的なものが、全宇宙を運行するメカニズムとシステムである「ゼロの法則」です。

 最初に触れる方には、従来の地球の理論とは間逆な理論が多く含まれているために、かなり難解かと思います。それは既存のいかなる地球上の理論にもなかった、革命的であり真逆の要素を多く含んでいるためです。
「ゼロの法則」は、地球の法則や原則、または社会の一般的な常識や良識が、すべて真逆に解かれていますので、理解するのに難しいと思ったら立ち止まらず、飛ばし読みをしてください。
最近、テレビなどで人間の理解力というタイトルで、人間は同じことを何度聞かないと理解に至らないか、という興味深い統計レポートがありました。
なんと、平均すると同じことを532回聞かないと、人間は正確に理解できないようになっているそうです。
ですから、同じような内容を何度も何度も、繰り返し言及しますが、しつこいとは思わずに読み進めてください。
しかし、その難解さは新たなパラダイムから生まれたものですから、その新たなパラダイムに慣れるにつれ、従来のどんな理論よりも、論理的で整合性を持った明快なものであることに、むしろ快感を伴うほどの納得を得られるものになっています。
ですから、読者の皆さんは、最初の難解さにとまどうことなく、理解できないところがあっても、そこで立ち止まらずに、どんどん先を読んでいってください。ある瞬間から、目の前の雲が晴れるように、すべてが深い納得のうちに疑問が氷解していきます。

とはいえ、その「ゼロの法則」の詳細を知る前に、およそのところどんな理論なのか、そのアウトラインくらいは知っておきたい、と思われる方も多いでしょう。
一言で言い表しがたいこの理論を、あえて簡単に表現すれば、このようになります。
この「ゼロの法則」は、プラスとマイナス、陰と陽、女性と男性、善と悪、N極とS極、ネガとポジ、破壊と創造・・・・・など、地球を含めた宇宙に存在する、すべてのメカニズムとシステムの相反するものが、より良いバランスを形成するために、葛藤や摩擦を繰り返しながら克服して、お互いが近づいていき、究極の「ゼロ」になろうとして、打ち消し合う瞬間に、正真正銘の無にはなりきれず、「わずかな揺らぎ」が生じます。
そのことによって、破壊と創造の原則に従って、新たにバランスの取れた創造とか違うまれ進化に方向付けられているという法則です。
そして、これを正しく認識することから、人生の存在目的と意味と意義と存在価値を見出すことができます。
例えば、理解しやすい、相反するものとして、化学的な酸性とアルカリ性があります。酸性のものとアルカリ性のものを混ぜ合わせると、中和という現象が起こりますが、この中和も実は、完全なゼロ状態の中和ではありません。
つまり、50の力価の酸性と50の力価のアルカリ性がゼロで向き合うと、力が同じなために、双方は拮抗したまま膠着(こうちゃく)状態となり、動きそのものが止まってしまい、酸性とアルカリ性の存在そのものの目的と意味と意義を失うことになります。
ですから、完全な中性という状態はあり得ず、中世になりたくても中性になれないまま、限りなく中性に近いバランス状態になろうとして、「揺らぎ」が起こって、新たな酸性とアルカリ性を創造しながら存在しています。
その揺らぎの中から、新たな進化と創造が生まれてくると考えていただければ良いでしょう。
これを哲学的な弁証法に置き換えると「正反合」の考え方にも似ています。
つまり一つの思想を「正(テーゼ)、対立する思想を「反(アンチテーゼ)」とすると、この正反双方の究極の妥協と和解の中から、その双方を「止揚(アウフヘーベン)」した新たな思想が、「合」(ジンテーゼ)として生まれるという考え方と似ています。

『ZEROの法則』 プロローグ より 宇場稔:著 幻冬舎:刊

ゼロの法則は、すべての相反するモノが、ゼロ・バランス(ゼロを基点としたわずかな揺らぎ)に方向付けられて永遠に存在している、宇宙のメカニズムとシステムに従って、一人ひとりの「何故という素朴な疑問」に対して、すべてお答えすることができる、世界で唯一無二の「魔法の手引書」です。

本書は、その理論をわかりやすく解説した一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「子宮生活」は「地球生活」のための準備期間

胎児にとっての子宮生活は、心と体の屋台骨と骨組みを形成する、重要な準備期間です。

宇場さんは、肉体の設計図であるDNAの基盤は、女性のミトコンドリアDNAにだけ書き込まれ、すべて母親の「子の宮」である子宮という胎中環境で、遺伝子の構造転換がなされ、書き換えられていくと述べています。

 肉体進化は誰がするのかといいますと、母親と胎児の個性と意思に基づいて、進化が方向付けられ、「胎児の意思」と「母親の個性」に従って、胎児の遺伝情報に書き換えられ、「上書き保存の法則」によって肉体を進化させ、現世の人類にまで到達することができました。
故に、同じ両親のDNAから生まれた兄弟であっても、顔かたちや性格がすべて異なっているのは、この理由と根拠からです。
肉体進化は自然環境や社会環境などの地球環境に於ける、単なる環境適合だけで機械的かつ物理的にDNAの組み換えがなされているわけではありません。
もし、同じ地球の環境下で、すべての生物が等しく肉体進化を遂げていくとしたら、地球内にはこんなにも多種多様な生物が存在するはずがありません。
遺伝子DNAは地球内生物の共通分母であり、鳥と人間の違いは何処にあるかといいますと、共通分母の上に乗っている分子である、「個性に基づく意思」に進化の違いが現れます。
鳥は空を飛びたいという強烈な意志と個性に従って、鳥へと進化を遂げてきたのです。
そういう意味に於いて、自力で空を飛ぶ昆虫から鳥までの地球内生物は、空を飛ぶという強烈な「意思力」に於いては、人間より遥かに強く、「信念」も遥かに上回っていることになります。

肉体進化はどのようにするのかといいますと、母子ともに相互互助による、共存、共栄、共生、共育という生命体の、子宮内コラボレーションによって、遺伝情報の書き換えを完結して肉体進化を遂げていきます。
胎児の人格形成と肉体形成は、夫婦の愛の心情と生活心情に基づいた、母親の心霊状態に於ける子宮環境によって、胎児の性質が霊質改善され、それと同時に遺伝子の組み換えによって、胎児の体質改善がなされていきます。
妊娠と子宮生活という摩訶不思議な生命の営みの中で、慈悲と慈愛による父母の愛によって子宮生活を過ごした胎児は、人格に最も必要とされる愛の要素と、肉体に最も必要とされるDNAの組み換えがなされていきます。
ですから、精神的にも肉体的にも安定した人生を送ることが、可能になる準備が整っていきます。
しかし、この反対の場合、父母の愛を受けていない、人格的にも成熟していない、まして、自立もできていない若い男女が、社会の何たるかもわからず妊娠していきます。
その結果、毎日、愛を要求し合って、不快な感情で罵倒し合い、避難しあって、夫婦喧嘩が絶えず、未分化な性衝動の淫乱(いんらん)の下で、母親の劣悪(れつあく)かつ醜悪(しゅうあく)な胎内環境によって、悲惨な子宮生活を過ごさざるを得なくなっていきます。
そのような胎児は、絶えず父親の暴力に怯(おび)え、母親の劣悪な感情の一部始終を感じ取りながら、精神的には、悲惨かつ苦痛な胎中環境の中で、人格破壊がなされていきます。
その結果が、非行や登校拒否やイジメ庭内暴力、引きこもり、ニートなどになっていく元凶(げんきょう)にもなっていきます。
母親がマタニティーブルーや妊娠うつに陥り、自己嫌悪と自己否定による、自傷行為や自虐行為や自壊行為が、胎児の人格を著しく傷つけていきます。
そのような胎児は地球生活に於いて、絶えず被害者意識の不快な感情に苛まれて、対人拒否や引きこもり、精神障害などによって、劣悪かつ醜悪な人生の環境を、自分自身で作り出すようになっていきます。
子供の悪い心癖の規範と元凶は、母親の心情基盤である、子宮生活に於ける、胎中環境によって築かれていきます。

『ZEROの法則』 第1章 より 宇場稔:著 幻冬舎:刊

胎児は、子宮という小さな閉じられた世界の中で、生物の進化の過程をたどりつつ、地球生活をするための準備を整えていきます。

母親と胎児は、「生命共同体」。
ですから、母親の精神や感情の状態は胎児にダイレクトで伝わるわけですね。

さらに宇場さんは、地球生活の次の段階として「宇宙生活」があり、地球生活の目的は唯一、宇宙生活をするための準備期間であると述べています。

人は、宇宙生活、すなわち死んで霊体となり、霊界へ戻るために、地球上に生きているということです(下の図1を参照)。

図1 人生の存在目的と存在価値 ZEROの法則 第1章

図1.人生の存在目的と存在価値
(『ZEROの法則』 第1章 より抜粋)

より波動の高い霊界へ行くために、肉体を持った今の地球生活がある。
まさに価値観の革命と言うにふさわしい考え方ですね。

「贖罪降臨」と「相対変換」の法則

宇場さんは、私たちの霊性意識体が霊界から罪を償い贖うために、地上界の両親の受精卵を選択して、受胎降臨してきたと述べています。

この前世の罪を償い贖うために、霊性意識体が受胎降臨してくるメカニズム「贖罪降臨」といいます。

 贖罪降臨の法則に基づいて、前世では加害者だった男性と女性が、現世では被害者の女の子と男の子となり、前世では被害者だった女の子と男の子が、現世では加害者の父親と母親になるといった、加害者と被害者、親と子、男性と女性が前世と現世では、すべて真逆に入れ替わる現象を、「相対変換の法則」といいます。
この相対変換の法則に基づいて、左足と右足が相互に入れ替わることで、前足と後ろ足が入れ替わって、前に進んでいけるように、前世の加害者と被害者の関係が、現世では被害者と加害者の関係によって、霊性進化が方向付けられています。
例えば夫婦の関係において、前世では加害者の男性が、現世では被害者の女性となります。前世では被害者の女性が、現世では加害者の男性になります。親子関係においては、前世では被害者の女の子が、現世では加害者の父親となります。前世では被害者の男の子が、現世では加害者の母親となります。
このように相対変換の法則に基づいて、前世と現世が完全にパラドックス(paradox 真逆)に入れ替わることによって、輪廻の法則に従って、「進化」そのものが可能になります。
このことにつきましては、後ほど(123ページ〜)、誰でも理解し納得のいくように解説いたします。
歴史を通して今も尚、世界中どこを見渡しても、親たちの犠牲になっているのは子供たちで、男性の犠牲になっているのは女性たちです。
特に、前世加害者であった男性が、現世被害者の女の子となって、性奴隷や児童虐待などの暴力の対象者になって、多大な犠牲が世界的に蔓延しています。
今現在でも戦禍にある地域では、性奴隷になるのは、女性の子供たちが圧倒的に多いことでも顕著に証明しています。

一般的な概念では、親子関係は愛の関係だと思っていますが、それは大きな勘違いであり、根本的に無知が故の大きな間違いです。
親子関係は、愛の関係ではあるが、恩讐の関係で繋がっている、という根本的な理解がなされていないが故に、ありとあらゆる虐待の問題が、次から次へと提起され複雑化して、何故という素朴な疑問すら解けずに今日に至っています。
宇宙の自由な次元で検証すると、地球星は間違いなく牢獄の星です。この大前提から考えても愛の関係よりも恩讐の関係の方が、優先順位は必然的に高くなります。
親子が愛の関係だけで繋がっているとしたら、このような不条理で無秩序な世界が顕現しているはずがありません。
なぜ、「児童虐待はなくならないのか」、という素朴な疑問が、すべてを物語っています。
先ほども言及しましたように、地球霊界での霊層次元と存在する場所は、子宮生活と地球生活によって準備され決定されます。
ですから、現世に於いて、最も近しい親子関係によって、善くも悪くも人格形成に於いて、密接な愛と恩讐の関係を創り出すように仕組まれています。
「恩讐は近くに有って、遠くに在らず」という愛と恩讐は、常に身近に対峙(たいじ)しています。
加害者である子供の霊的意識体が贖罪降臨して、被害者であった両親に罪を償い贖うために、親孝行をしなければなりません。
戦争体験者も語っていたように、死を直前に迎えた時に、まず、最初に思ったことが、「親孝行をしてきただろうか」と思わされたのは、この理由からです。
ここで、加害者意識に内在している深層心理と、被害者意識に内在している深層心理を、よく理解しておく必要があります。
加害者の意識に内在する深層心理は、どのような心理かと言いますと、罪の自覚があるから加害者意識といいます。罪の自覚がないのに加害者意識とは言いません。
当然、罪の自覚がありますから、「私が悪かったです。私が間違っていました。申し訳ありません」という自己反省と悔い改めの意識を基本的に持っていて、何事も自己責任で謙虚に受け入れていこうという意識に方向付けられています。
テレビに事件の犯罪者が映し出されますが、彼らのほとんどが頭を下げて、罪を自覚して「自己不当性」を認識したから、うつむいたまま登場してきます。
では、被害者の意識に内在する深層心理は、どのような心理かと言いますと、「あなたは私の足を踏んだ人、私はあなたに足を踏まれた人」という心理があって、当然、「私は悪くない。私は間違っていない。私が正しい。あなたが間違っている。あなたがすべて悪い。私は絶対に悪くない」という「自己正当性」の意識が内在する恐れがあり、それが強くなると、被害を受けた苦しみや怒りや恨み辛みの意識を、深層心理のどこかに持つことになりがちです。
つまり、被害者の立場になった人たちの感情は、その苦しみや悲しみの一方で、怒りと恨みに満ちた表情と意識に陥りやすくなる恐れがあるのです。
もし、このような心霊状態で死を迎えたとしたならば、自己責任原則に従って、低次元の霊界を自分自身で選択肢なくてはならなくなります。
よく検察官や刑事が、犯罪者などの取り調べや、尋問などをしている間は、修羅や鬼畜の顔をしているが、罪を認めて自白を始めた瞬間に、仏の顔に変わるといいます。
ここで理解しなければいけない、最も重要なことは、被害者意識の方が加害者意識よりも、はるかに劣悪かつ醜悪な怒りと怨みの意識を内在していることです。
その感情によって、自分が、自分自身の心や魂や精神を著しく破壊していく、自傷行為や自虐行為に陥っているということです。
被害者と加害者の感情統治に対する、「自己責任の比率」加害者よりも被害者の方がはるかに大きく重いといえます。
すなわち、被害者の方が加害者よりも、贖罪に対する問題性と課題性が重たく大きいということです。
世間一般の人たちの概念は、被害者が正しくて加害者が悪いと外面的に捉えています。それも確かに一理ではありますが、本人の内面的な心情世界は、真逆に方向付けられています。

『ZEROの法則』 第3章 より 宇場稔:著 幻冬舎:刊

図2 親子関係に於ける相対変換の法則と贖罪降臨 ZEROの法則 第3章

図2.親子関係に於ける相対変換の法則と贖罪降臨
(『ZEROの法則』 第3章 より抜粋)

私たちは、仏教の言葉でいう「輪廻転生」によって、何度も繰り返して、この世に生まれついています。
その理由は、前世で犯した罪を、現世では被害者として経験し、それを赦すことで解放されるためだということです。

現世の関係だけを見て、被害者の受けた苦しみや怒りを赦すのは、とても難しいです。
しかし、「贖罪降臨の法則」と「相対変換の法則」を踏まえて、前世からの関係として理解すれば、ハードルは下がりますね。

宇宙の調和と秩序は「エントロピー相対性の法則」により創られる

宇場さんは、神韻縹渺(しんいんひょうびょう)たるこの広大無辺なる宇宙は、極めて「調和と秩序」を形成しながら、運行されているという紛れもない事実があると述べています。

 何故、広大無辺なる宇宙が調和と秩序によって運行されているのでしょうか。
それは、「エントロピー相対性の法則」という法則があるからです。
一般的な科学の世界では、「エントロピーは無秩序」という概念と意味で使われています。
今後、「エントロピー」という言葉が出てきたら、「無秩序」と解釈し理解してください。
宇宙の「哲学的な姿勢」は、無秩序は必ず真逆に相対化して、調和と秩序へと方向付けようと働き掛けていく、という基本的な法則です。
この法則によって、宇宙の絶妙なバランスと調和と秩序が保たれています。
エントロピー相対性の法則とは、「相反するもの」paradoxが必然的に、共時的に同時に存在し、共時的に同時に消滅していく現象を言います。
例えば、プラスに対してマイナス、陰に対して陽、N極に対してS極、善に対して悪、破壊に対して創造、ネガティブに対してポジティブ、内向性に対して外向性、引力に対して斥力(せきりょく)、被害者に対して加害者、メシベに対してオシベ、メスに対してオス、女性に対して男性といったように、すべてに於いてパラドックス(真逆)のロジック(論理性)が、お互いに内在し向き合って存在しています。
宇宙の哲学的な姿勢は、相反するものが相対的に向き合って、「相対性原力の法則」により、「バランスのメカニズムを創り出す原因的な力」によって存在しています。
「相対性原力の法則」に基づいて、それぞれが調和と秩序を上位の次元に方向付けて、より良いバランスを形成するように働き掛けています。
プラスがなくなれば相対性原力を失って、マイナスも同時に消滅します。陰が消失すれば陽という存在も消えます。善という概念がなければ悪というロジックは存在しません。
すなわち、相反するものが、「わずかな揺らぎの相対原力」によって、より次元の高いバランスのシステムをメカニズム化し、調和と秩序に方向付けて存在しています。
相反するものとの揺らぎが小さければ、バランスの良い相対性原力が創り出され、揺らぎが大きければ、バランスの悪い相対性原力が創り出されます。
相反するものとのバランスが、調和と秩序のバロメーターになっています。
ですから、プラスとプラス、マイナスとマイナス、N極とN極、S極とS極などの同質または同次元のものは、反発し合う「斥力」という原力を生じますが、相反するプラスとマイナス、N極とS極、陰と陽は、お互いが引き合う「引力」という原力を生じます。
この相反する引力によって、中心の「ゼロ」に向かって、共に近づいていくことが可能になります。
同質の斥力は、お互いが中心の「ゼロ」から遠のいて、バランスを欠いていき、エントロピーは増大化していきます。
すなわち、相対性原力には、ゼロを中心に大きく分けて2種類の原力が発生します。
一つは、ゼロを中心に相反するものとの相対性で発生する「引力」という原力です。もう一つは、ゼロを中心に同じ波動または同じ次元のものとの相対性で発生する「斥力」という原力です。
この相対性原力の法則に基づいて、前世に於いても、現世に於いても、前世と現世の関係性に於いても、相反する被害者意識と加害者意識が、ゼロ・バランスに向かって情動的に引き合って、お互いの問題性や課題性を解決しながら、霊性進化できるように方向付けられています。
人間同士の心霊の繋がりは、それぞれの霊性次元に於ける、何らかの被害者と加害者という、相反する「情動の引力」によって、多かれ少なかれ引き合って、其々がそれぞれの霊性次元に於いて、相対的に繋がって存在しています。
例えば、ホームレスの人はホームレスの人の霊性次元に於いて、富裕層は富裕層の霊性次元に於いて、何らかの被害者と加害者という、相反する「情動の引力」によって引き合って、善くも悪くも「群れの法則」に従って存在しています。

エントロピー相対性の法則は、ゼロを起点としたゼロ・バランスに向かって、大きな揺らぎから小さな揺らぎの絶妙的なバランスへと方向付けて存在しています。
例えば、陰と陽の相対的な関係は、陰の中にも陰と陽が存在し、陽の中にも陰と陽が存在し、その上位の次元に於ける、陰と陽の陰の中にも陰と陽が存在し、陽の中にも陰と陽が存在し、その上位の次元にも陰と陽は存在し、それぞれがゼロ・バランスに向かって、わずかな揺らぎの相対変換を繰り返しながら、永遠にゼロ・バランスに向かって進化できるように方向付けられています。
陰の存在は、揺らぎの偏差によって、陽よりも陰がわずかに上回っているので、全体的には陰が代表して現象化しています。
陽の存在は、揺らぎの偏差によって、陰よりも陽がわずかに上回っているので、全体的には陽が代表して現象化しています。
男性の中にも女性の性稟(せいひん)が内在し、女性の中にも男性の性稟が内在しています。
エントロピー相対性の法則は、プラスとマイナスが中和的な揺らぎへと、陰と陽が中性的な揺らぎへと、善と悪が中庸的な揺らぎへと、大きな揺らぎ(大きな無秩序)から小さな揺らぎ(小さな無秩序)へと
エントロピーが無限に減少化していき、絶妙のバランスを形成していくことによって、エントロピーは真逆に相対化して、調和と秩序を無限に増大化していきます。
このように、宇宙に存在するものは、すべて相対するものが、無限の低次元の相対するモノから、無限の高次元の相反するモノまで、それぞれの次元に基づいて存在しています。
すなわち、内面的な心理的かつ精神的な葛藤や摩擦が、減少されることによって、外面的な肉体的かつ身体的なものが、調和と秩序に方向付けられて、心身ともに充実していく現象です。
例えば、哲学的な観点に於いて、人種差別や経済格差や宗教差別、民族差別、男女差別などのありとあらゆる差別と格差という大きな揺らぎ(葛藤と摩擦)が減少していくと、家庭も社会も世界も調和と秩序によって安定化していき、必然的に平和と繁栄が個人的な次元から、世界的な次元へともたらされていくようになります。

『ZEROの法則』 第6章 より 宇場稔:著 幻冬舎:刊

図3 エントロピー相対性の法則 ZEROの法則 第6章

図3.エントロピー相対性の法則
(『ZEROの法則』 第6章 より抜粋)

一般的に、「エントロピー(無秩序)」は、拡散し大きくなる方向にしか進まないとされています。
しかし、宇場さんの「エントロピー相対性の法則」では、逆に中和され消し合って小さくなる方向に進むこともあるとのこと。

プラスがあればマイナスがある。
引力があれば斥力がある。

陰と陽の相対的な法則は、一方通行だと考えられているエントロピーにおいても成立しているということですね。

「ゼロの揺らぎ」理論と相対変換の法則

宇場さんは、宇宙には時間という概念も事実も存在せず、「今というゼロ時限のデジタルの瞬間」のみが、「今の連続性」の中に「永遠」に存在し続けていると述べています。

「今」という瞬間は、原因なき結果なき「有って在るもの」の存在であり、軸のない、点であり続けています。

そして、相反する「今の初め」と「今の終わり」を、限りなく今の今に近づけていくと、「ゼロ」に近づいていきます。

 この事実を「エントロピー相対性の法則」で検証し証明してみましょう。
限りなく「遠い未来」と、限りなく「遠い過去」という、相反する大きな揺らぎを、小さくし、より小さくしていき、今の今というゼロ時限に、お互いが近づいていきます。
そのことによって、今の中の未来を代表した「今の初め」と、今の中の過去を代表した「今の終わり」が、今の今になろうとして、お互いが打ち消し合いながら、ゼロに限りなく近づこうとしていきます。
では、今の今というゼロの状態とは、どのような状況を創り出しているのでしょうか。
「今の初め」が、今の今になろうとした瞬間に、共時的に、相反する「今の終わり」が、今の今になろうとして、同時にゼロで打ち消しあって消滅していきます。
今の初めと今の終わりが、共時的に同時に消滅すると、今の初めでもなく、今の終わりでもなく、どちらにも属さない「自由な状況」が創り出されます。
その瞬間にエントロピー相対性の法則に基づいて、わずかな揺らぎによって、相反する「不自由な状況」が、必然的に創り出されます。
その瞬間にゼロそのものが揺らぎ、「ゼロの中心」に、自由な状況にも不自由な状況にも、自由かつ平等に属することができる存在が出現します。
ゼロの中心に存在して、どちらにも「自由かつ平等」に属することができる存在こそが、まさに「意識」そのものです。
すなわち、ゼロの中心存在は、「意識」という「自由な方向性」を持ったベクトルといえます。
「意識」は、プラスだけではなくマイナスにも、今の初めにも今の終わりにも「自由」に属することができます。善だけでなく悪にも、当然、陰にも陽にも「平等」に属することができます。
宇宙意識場に於ける、宇宙物質界と宇宙霊界の中心に存在する、ゼロの揺らぎである「宇宙の意識」は、意識と言っても人間レベルの意識とは、まったくレベルの違う「意識」の時限です。
ゼロの揺らぎの中心存在である意識によって、自由な状況が自由な意識を創り出して、不自由な状況が不自由な意識を創り出します。
この自由な意識が、新たに今の初めを創り出し、不自由な意識が、新たに相反する今の終わりを創り出します。
すなわち、ゼロの中心存在そのものこそが、「揺らぎ」である「意識」であり、意識が絶対的に「自由かつ平等」な存在であることの証明になっています。
もうすでにお気づきだと思いますが、「ゼロ」とは、相反するものが打ち消し合って、相対変換の法則により、真逆paradoxに入れ替わりながら、進化または発展していく瞬間、瞬間のことをいいます。
これを可能にするゼロの中心に存在する「原力」こそが、どちらにも「自由かつ平等」に属することができる「意識」そのものなのです。
意識については重要なことですから、後ほど、何度も詳しく解説いたします。
エントロピー相対性の法則に基づいて、相反するものが打ち消し合って破壊した瞬間に、破壊と創造の原則に従って、新たな存在を創造しようとします。
そのことによって、完全に消滅するわけではなく、ゼロの中心にわずかな揺らぎが派生して、「意識が出現する」ことによって、新たに今の初めと今の終わりを、永遠に創り出すメカニズムとシステムが普遍的に備えられています。
すなわち、「ゼロそのものが、すでに揺らいでいる」ことになります。
ゼロはゼロになりたくても、ゼロにはなれないまま、永遠に揺らぎ続けていることになります。
このわずかな揺らぎの瞬間を、「ゼロの揺らぎ」Fluctuations of Zeroといい、これを創り出すメカニズムとシステムを基礎づける理論が、「ゼロの揺らぎ理論」Theory of Zero’s Fluctuationsと言います。
この「ゼロの揺らぎ」そのものを「ゼロ波動」とも言います。
このゼロの揺らぎ理論によって、どちらにも「自由かつ平等」に属することができる、ゼロ波動の中心存在である意識が、新たに今の初めを創り出し、その瞬間にわずかな揺らぎによって、新たに今の終わりを創り出しています。
すなわち、「今の初め」を破壊する「今の終わり」の存在がなければ、新たに「今の初め」を創造することができません。
今の初めが今の終わりを創り出し、今の終わりが新たに今の初めを創り出し、今の初めと今の終わりが、今の今になろうとしてもなれないまま、今の初めという前足と、今の終わりという後ろ足が、左足と右足が相互に入れ替わる、「相対変換の法則」によって、永遠に今の初めと今の終わりは、有って在るものとして、「今の今」に存在し続けます。
今の初めと今の終わりが、ゼロ次元の今の今になろうとしても、ゼロの揺らぎ理論によって、ゼロになれないまま「今を永遠に持続可能」な、メカニズムとシステムへと方向付けています。

『ZEROの法則』 第6章 より 宇場稔:著 幻冬舎:刊

図4 ゼロの揺らぎ理論 ZEROの法則 第6章

図4.ゼロの揺らぎ理論
(『ZEROの法則』 第6章 より抜粋)

「今の始まり」と「今の終わり」が互いに打ち消し合って「今の今」というゼロの状態を創り出します。
その中心にあるのが、私たちの「意識」です。

ゼロの中心存在である「意識」が創る「揺らぎ」が「今の初め」と「今の終わり」を生み出し、永遠の「今の今」が存在する。
これが「ゼロの法則」の本質であり、この宇宙を成り立たせている基本法則だということですね。

「ゼロの法則」に基づくゼロの揺らぎ理論

宇場さんは、宇宙は、エントロピー相対性の法則に基づいて、わずかな揺らぎの「ゼロ・バランス」(ゼロを基点としたわずかな揺らぎ)に方向付けて、調和と秩序を増大しながら、無限に膨張し続けていると述べています。

 ゼロ・バランスとは相反するものが、打ち消し合う瞬間に生じる「ゼロの揺らぎ」そのものです。
ゼロ・バランスには、ゼロを起点としたわずかな揺らぎと大きな揺らぎが存在します。
わかりやすい言葉に置き換えますと、ゼロを起点として相反する山と谷が、「ワン・サイクルの揺らぎ」または「ワン・サイクルの波動」を創り出して、ミクロ体からマクロ体に至るまで、さまざまな次元に応じて、バランスを形成して存在している現象といえます。
このような波動と意識が、今という間断なきゼロの揺らぎによって、極小のゼロ・バランスに向かってゼロになれないまま、永遠に揺らぎ続けていく現象といえます。
この法則を、「ゼロの法則」Laws of Zeroと言います。ゼロは無にして無にあらずと言えます。「デジタル」とは、「完結したワン・サイクルの波動のみが、新たに次から次へと独立して、秩序的に創り出されていく現象」をいいます。
「アナログ」とは、「ワン・サイクルの波動が、完結しないまま複雑に波動化していき、未完結の連続した波動となって、無秩序に多次元化していく現象」をいいます。
デジタルは「完結性と独立性」を有して、アナログは「未完結性と依存性」を有しています。
完結したゼロ波動に向かってデジタル化していく現象を、「エントロピー減少の法則」といいます。
完結しないまま波動が、無秩序にアナログ化していく現象を「エントロピー増大の法則」といいます。
この「デジタルによって創り出されているもの」と、「アナログによって創り出されているもの」との峻別がなされると、「ゼロの法則」を理解していくためには、極めて有効な方法であり手段になります。
(中略)
「エントロピー減少の法則」とは、ゼロを中心に相反するものが、相対性原力の「引力」によって、お互いがゼロに向かって近づいていって、絶妙のバランスを形成しながら、秩序を創造していく現象をいいます。
「エントロピー増大の法則」とは、ゼロを中心に同じ波動または同質のものが、相対性原力の「斥力」によって、お互いがゼロから遠離(おんり)していって、揺らぎを増大しながら著しくバランスを欠いていき、秩序を破壊していく現象をいいます。
すなわち、ゼロ・バランスに向かって相反するものが、共に近づいてバランスと秩序を形成していく現象が、「エントロピー減少の法則」といい、ゼロ・バランスから同質または同次元のものが、共に遠離してアンバランスと無秩序を形成していく現象が、「エントロピー増大の法則」といいます。

人間の最大のテーマである、生と死に対する「死生観」を、「ゼロの法則」で検証してみましょう。
地球生活では生まれてから死を迎えるまでに、一般的には時間軸が80年から90年ほど掛かります。「ゼロの法則」に従って、生が一方的に死に近づいているわけではなく、生と死はゼロに向かって、共に近づいていきます。
毎日、生を続けていくと、毎日、老化することにより死が近づいてきて、確実に生と死は共にゼロに近づいていきます。このように過去と未来が、ゼロという今に近づいていくように、生と死が必然的にゼロに近づいていって、生と死が打ち消し合う「今」という、ゼロの瞬間まで近づくことによって、まさしく現世の生と死が出会う、今の瞬間を迎えることになります。
生と死は「相対変換の法則」に基づいて、肉体の死が訪れると共に、共時的に霊体の生が出現します。
肉体の生の消滅を証明するために、新たな霊体の生が受け皿として存在しないと、肉体の死そのものを否定することになります。
すなわち、エントロピーが相対化されないことになりますから、プラスを肯定してマイナスを否定する理論となり、バランスを欠く偏向した理論になってしまいます。
このことにつきましては、後ほど、誰でも理解できるように解説させていただきます。楽しみしていてください。
世の中には、死後の世界はないと、言い切る人たちがいますが、「無知は死の影であり、何の情緒も生み起こさず、生きているとは名ばかりで、実は死んでいるのと同じである」と言われる所以です。
次元支配の原則に基づいて、低次元の意識のものが、高次元の存在を理解することも、認識することも、まして、把握することもできない、悲しい、悲しい現実があります。
もし、人間に死がなかったら、それ以上に不幸なことはありません。
永遠に肉体と地球の桎梏(しっこく)の中で、魂が地球意識場だけを過ごさざるを得ない、不自由さと退屈さを想ったら、向上心による「進化」に限界を感じて、余りにも苦痛で悲しすぎて、宇宙の存在そのものも虚しくなります。
また、輪廻の法則に従って、来世も不自由な肉体を背負わなければならないと想うと、切なくもやるせない気持ちでいっぱいになります。
僕は宇宙意識場という自由な世界が存在することに、本当に感謝であり、嬉しくも同時に楽しみでもあります。

『ZEROの法則』 第6章 より 宇場稔:著 幻冬舎:刊

図5 ゼロの法則に基づく生命原理 ZEROの法則 第6章

図5.ゼロの法則に基づく生命原理
(『ZEROの法則』 第6章 より抜粋)

エントロピーは、増え続けるだけで、減ることはない。
それは、あくまで「アナログ」世界の現象だということ。
宇宙が膨張し続けているのも、その一つですね。

ゼロの法則は、人間の生死にも、当然当てはまっています。
肉体だけで考えると、わかりませんが、霊体も含めてセットで考えると、理解できますね。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

宇場さんは、人類はAIとロボットによって労働支配から解放されていき、「人間が人間を必要としない時代」が訪れるとおっしゃっています。

進化を続けるAIとロボットに管理・支配されることなく、共存共栄してより人間らしく生きる。
そのためには、私たち人間自身が「意識のデジタル革命」を進めて、霊性をバージョンアップしていくしかありません。

今は、地球自体が次元上昇(アセンション)し、より高い宇宙レベルの波動状態を獲得しようとしている、まさに節目の時代です。
そこで暮らす私たちも、意識のレベルを上げなければ、生きることがより大変になっていくのは間違いありません。

これまでの科学の常識を超えた、まさに人類に革命を巻き起こす話題の一冊。
ぜひ、皆さんも、お手にとってみてください。

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