本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『腎臓が寿命を決める』(黒尾誠)

お薦めの本の紹介です。
黒尾誠さんの『腎臓が寿命を決める 老化加速物質リンを最速で排出する』です。

腎臓が寿命を決める 老化加速物質リンを最速で排出する (幻冬舎新書)

黒尾誠(くろお・まこと)さんは、抗加齢医学がご専門の医師です。
余分なリンを仁祖をから排出させる老化抑制遺伝子「クロトー」を発見されたことでも有名です。

「腎臓」と「リン」が寿命を決める!

人間は、なぜ老化するのか。
人の寿命の長さは、何によって決まっているのか。

これらはまだ解明されていない問題です。

黒尾さんは、その問題を解き明かす重要な手がかりが「腎臓にあった」と指摘しています。

 腎臓というと、まっ先に頭に浮かぶのは「おしっこをつくっている臓器」というイメージだと思います。
しかし、腎臓が行なっているのはそれだけではありません。腎臓は「生体内の状態を一定に保つ」ことによってわたしたちの命を守ってくれています。わたしたちの体内には飲食したものからさまざまなミネラル成分が入ってきているわけですが、いつも通りに命をキープしていくには、体内の塩分、カリウム、カルシウム、リンなどの成分の量を常に一定範囲内に保っていなくはなりません。
ところが、私たちが食べるものの内容や量は日に日に変わり、特定のミネラル成分がどっと入ってきたりすることもあります。だから腎臓は、こうした成分が必要量を超えてしまうことのないように目を光らせて管理しているのです。そのうえで、不必要な余分なものは尿とともに体外に排泄し、必要なものは体に戻して、常に過不足のない状態を保てるようコントロールをしているわけです。
つまり、私たちがいつも通りに生命活動を行なうことができるのは、こうした腎臓の管理・調整機能が働いているおかげのようなもの。腎臓が日夜しっかりとこの仕事をしていれば、食事や環境の変化で日々の状況に差が生じても、生体内だけはいつもと変わらない状況を維持していくことができます。
そして、じつはこういった「腎臓の体内恒常性を保つための管理・調整機能」をちゃんとキープできているかどうかが、わたしたちの老化や寿命に深く関係していることが分かってきたのです。

ここでひとつ、寿命に関する興味深い話をご紹介しましょう。
そもそも動物には、だいたい決まった寿命があります。ネズミはおよそ3年、ウサギはおよそ10年、ヒツジはおよそ20年、ゾウはおよそ70年・・・・・。いったいこうした寿命は何によって決まっているのでしょうか。この疑問に対してよく取り上げられるのが「体の小さな動物の寿命は短く、体の大きな動物の寿命は長い」という説です。動物の寿命の長さは体の大きさに逆比例するというわけですね。
ところが、この説に当てはまらない例外の動物がいるのです。
たとえば、ハダカデバネズミ。この地中で暮らすネズミは、体が小さいのにもかかわらず平均寿命が28年です。また、コウモリも体の大きさの割に寿命が長いことが知られていて、なかには30年も生きるものもいます。
それと、体のサイズの割にとんでもなく長生きをする動物の代表がわたしたち人間です。2019年の日本人の平均寿命は女性が87.45歳、男性が81.41歳。すでにゾウの寿命の70年を軽々と超えてしまっています。
いったい、これら動物が「小さくても長生きできる理由」は何なのか。まあ、ひとつには天敵が少なく外的に襲われにくいという点があると思います。ハダカデバネズミは地中にもぐりっぱなし、コウモリは空を飛び回っているために敵から狙われにくい。ヒトはもちろん知能という武器を備えている。だから、おのずと長生きになったんだということも言えるでしょう。
ただ、理由はそれだけではありません。じつは、生体内の「ある成分」がこれらの動物の寿命の長さに関係しているのではないかと取り沙汰されているのです。
その「ある成分」が「リン」です。
先ほど挙げた動物を「血液中のリン濃度の順」で並べ替えたとしましょう。すると、ハダカデバネズミやコウモリ、ヒトも、寿命の長さの順番通りきれいに並ぶのです。いま一度整理すると、血中リン濃度が高い動物から低い動物へと並べていった場合、「ネズミ3年→ウサギ10年→ヒツジ20年→ハダカデバネズミ28年→コウモリ30年→ゾウ70年→そしてヒト・・・・・」という順になります(下の図1を参照)。
つまり、血液中のリンが少ない動物ほど寿命が長いということ。リンがどういう物質なのかについては後ほど改めて説明しますが、「何かリンが多いことで起こりやすい不都合があって、体内にリンをためがちな動物ほど寿命が短く、リン排出の調整能力が高い動物ほど寿命が長くなっているのではないか」という推論を立てることが可能でしょう。
また、リンを体内から排泄して調整しているのは腎臓です。だから、リン排出の調整能力の高い、高性能の腎臓を備えている動物ほど長く生きられるのではないかという推論も成り立ちます。もしかしたら、ハダカデバネズミ、コウモリ、ヒトなどの天敵の少ない動物は、生存を脅かすリスクが少なく、自分の体の管理・調整機能を進化させるだけのメンテナンスの余裕があったために、高性能の腎臓を備えることができたのかもしれません。

『腎臓が寿命を決める』 はじめに より 黒尾誠:著 幻冬舎:刊

図1 動物の寿命 と 血中のリン濃度 との相関 腎臓が寿命を決める はじめに
図1.「動物の寿命」と「血中のリン濃度」との相関
(『腎臓が寿命を決める』 はじめに より抜粋)

本書は、私たちの老化や寿命のカギを握っている「腎臓」と「リン」の働きについて、わかりやすく解説した一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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腎臓の「濾過機能」は消耗品!

腎臓には、集まってきた血液を濾過(ろか)しながら、「必要なもの」は再吸収し、「不要なもの」はそのまま尿中に排出して、体内環境を一定に保っている働きがあります。

ごく簡単にいうと、腎臓は「血液をきれいにしている濾過装置」であり、その濾過機能の主役となっているが「ネフロン」です。

黒尾さんは、この「ネフロン」の特徴や役割について、以下のように説明しています。

 腎臓には、心臓が送り出す血液量のじつに4分の1が流れ込んでいるのですが、ネフロンはそうした流入する血液を次から次へと濾過しています。
1本のネフロンは「糸球体」と「尿細管」とで構成されていて、わたしたち人間にはこのネフロンがひとつの腎臓で約100万個、ふたつで約200万個あるとされています。ただ、この数はあくまで平均値であり、人の持つネフロン数にはかなりの個人差があります。少ない人だと腎臓ふたつで50万個、多い人だと腎臓ふたつで300万個。もっとも数が多い人ともっとも数が少ない人とでは10倍近い差があるとも言われています。こうした数の開きが生じる理由は、遺伝要因もさることながら、出生時の体重が関係すると言われています。つまり、生まれたときの体重が重いほどネフロン数も多く、逆に低出生体重児はネフロン数が少ないという傾向があるようです。
それともうひとつ、意外に知られていないのが「ネフロンが消耗品である」という点です。ネフロンは加齢とともにじわじわと減少します。60代、70代になると、ネフロン数が20代の頃の半分程度に減ってしまうのです。だから、20代の平均的な数の200万個のネフロンを持っていたとしたら、60代、70代になると半分の100万個前後に減ってしまうことになります。さらに、一度減ってしまったネフロンは、回復したり再生したりすることはありません。消しゴムや口紅などの消耗品が使えば使うほど小さくなっていくのと同じように、ネフロンも長年使うにつれて減っていき、それとともに濾過をすることのできるキャパが縮小していくものなのです。
もっとも、ネフロンはかなり数が減っても大丈夫なように、相当な予備力を蓄えています。これは、歳をとってから困らないように、かなりの数のネフロンを「将来のための分」としてとってあるということ。実際、20代、30代といった若い頃は、持っているネフロンのすべてが常に使われているわけではなく、一部だけが稼働をして、残りのネフロンは交代要員として休んでいたり、あるいは必要なときにだけ稼働したりしているようです。
そのため、腎移植のドナーはふたつある腎臓のうちひとつを取っても、すぐに腎機能が落ちるということはありません。また、慢性腎臓病の患者さんも多少ネフロン数が減ってきたとしてもすぐに腎不全になるということはありません。慢性腎臓病の場合、100%あったネフロンの数が5%くらいにまで減るとさすがに腎不全の危険が高まってきますが、それまでは備蓄用に残されていた分のネフロンで何とか持ちこたえられるようになっています。きっと、数に限りがあるうえに生死に関わる重要器官であるため、“あともう残りほんのわずか”というギリギリの状態になるまで何とか普通に生きられるよう、余裕を持って数量設定されているのかもしれません。

余裕を見て備えられているとはいえ、もし備蓄が尽きてネフロンがゼロになり、濾過機能が完全にストップしてしまったとしたら、人間はもう生きてはいけません。血液を濾過できないということは、血液をきれいに掃除できないということ。濾過機能が停止して毒素を含んだ汚れた血液が体内を回り出したら、人間はたちまち尿毒症を起こして死んでしまうことになります。そうならないためには、腎移植をするか人工透析をするかのどちらかの手段を講じていくしかありません。
だから、仮に透析などの措置をとらないなら、ネフロン数がどれだけ残り、腎臓の濾過機能がどれだけ残っているかは、人間がどれだけ生きられるかに直接関わってくる問題なのです。
そして、じつはこうしたネフロン数の減少に、リンの摂りすぎが非常に大きく影響していることが分かってきたのです。ただ、この件に関しては、また後の章で詳しく述べることにしましょう。

では、ネフロンの特徴や役割が分かったところで、腎臓が血液を濾過する流れをざっと辿(たど)ってみることにしましょう。
先ほど述べたように、ネフロンの基本構造は「糸球体」と「尿細管」とに分かれています。糸球体は毛糸玉のようなかたちをした毛細血管の塊(かたまり)で、腎臓に流れ込んだ血液はまずここで濾過されます。
糸球体は、大きなものは残して小さなものだけを通す「ざる」あるいは「濾紙」です。つまり、赤血球や大きめのたんぱく質などは濾過されずに血液中に残り、水や小さな物質だけが糸球体を通過して血管外に出ます。糸球体を通過した「濾液」は尿細管に流れ込みます。この濾液は「原尿」と呼ばれており、“尿の素(もと)”になります。この“尿の素”には、クレアチニンなどの老廃物とともに、糖、ナトリウム、カリウム、カルシウム、リンなどの体に必要な成分もまだたくさん含まれています。しかも、糸球体でつくられる原尿はものすごく大量で、1日で家庭のお風呂1杯分に相当する180Lもの原尿がつくられるとされています。
それにしても、いったいなぜ、多くの有用成分を含んだまま、こんなに大量の“尿の素”をつくっているのでしょうか。その理由は、次のプロセスで「再吸収」というシステムが控えているからです。
糸球体を出た原尿は尿細管に入るのですが、この尿細管では原尿中の有用成分を体に必要なだけ再吸収して血液中に戻す仕組みになっています(下の図2を参照)。また、このときに水分も99%再吸収されることになります。そして、180Lの原尿のうちの必要な成分や水分を再吸収したあとに残るのがおよそ1.8Lほど。この1.8Lが膀胱を経由したのちに「尿」として排泄されることになるわけです。つまり、腎臓の中の尿細管を流れている「原尿」と、膀胱にたまる「尿」とでは組成が大きく異なることになります。
先にも述べたように、腎臓は血液中のさまざまな成分の微調整をしていて、成分ごとに必要なだけの量を再吸収し、不必要な分を尿から排出して、常に一定範囲内に収まるようにコントロールしています。すなわち、その血液成分量のコントロールが尿細管において行なわれているわけです。
水、糖、ナトリウム、カリウム、カルシウム、そして、リン・・・・・、これらの成分も、尿細管においてそれぞれ「血液に戻す分」と「尿として出す分」に仕分けられます。これも先述したように、他の臓器と密に連絡を取り合って「回収するべき分量」と「捨てるべき分量」がかなり綿密に決められているのです。
それだけ細かく厳密な仕分けが行なわれるのは、一歩間違えれば命に関わることが少なくないからです。たとえば、カリウムは血液中に増えすぎると筋肉の収縮が正常にできなくなって、不整脈や心停止につながることが知られています。バナナはカリウムが多い食品ですが、バナナのカリウムが全部血液中に入っていったとしたら、それこそ命に関わる事態になってしまうでしょう。でも、バナナの食べすぎで亡くなる人はまずいません。その理由は、入ってきた大量のカリウムを全身の細胞が一時的に取り入れてピンチをしのぎ、しのいでいる間に腎臓が摂りすぎた分のカリウムを尿とともに排出しているからです。すなわち、わたしたちがバナナの食べすぎで死なずにいられるのは、腎臓がカリウムの量を調整してくれているおかげなのです。

『腎臓が寿命を決める』 第1章 より 黒尾誠:著 幻冬舎:刊

図2 腎臓の濾過のメカニズム 腎臓が寿命を決める 第1章
図2.腎臓の濾過のメカニズム
(『腎臓が寿命を決める』 第1章 より抜粋)

人の寿命を決めるのが、腎臓。
その腎臓の濾過機能を担っているのが、ネフロンです。

ネフロンは“消耗品”であり、増えたり機能が回復したりすることはありません。
腎臓の働きを保つことが、どれだけ重要かということですね。

「CPP」が動脈硬化を引き起こす!

人間の骨はリンとカルシウムが結合した「リン酸カルシウム」によってできています。

リンは、主に、この「リン酸カルシウム」の構成要素として使われています。

リン酸カルシウムは、骨という「貯蔵庫」にストックされている分にはまったく何の問題も起こしませんが、血液中や細胞外液など、骨以外のところでリン酸カルシウムが析出すると、非常に厄介な事態を招くことになります。

リン酸カルシウムは、普段はたんぱく質と結合してコロイド粒子のかたちで血中を移動しています。
この「リン酸カルシウムのコロイド粒子」はCPP(Calcoprotein particle)と呼ばれています。

黒尾さんは、このCPPこそがわたしたちの体に数々の健康被害を引き起こしている“実行犯”だと指摘します。

 ちょっとここで、CPPがわたしたちの体に対してどんな悪さを働いているのかを具体的に示しておきましょう。
まず、血管に対する影響です。
みなさんは動脈硬化にふたつのタイプがあることをご存じでしょうか。
ひとつは「粥状(じゅくじょう)硬化」による動脈硬化で、こちらは比較的よく知られています。すなわち、コレステロールなどの脂が血管壁にたまり、血液の通り道を狭めていってしまうタイプ。お粥(かゆ)のようにドロッとした脂がたまっていくため「粥状」という名がつけられていて、盛り上がった脂が血管を塞いでしまうと血流が堰(せ)き止められ、脳卒中、狭心症、心筋梗塞などの疾患へとつながっていきます。
また、もうひとつが「血管石灰化」によって起こる動脈硬化です。こちらは、リン酸カルシウム結晶のコロイド粒子、すなわちCPPが引き起こす動脈硬化で、文字通り血管が硬くなるタイプです。一般の方々にはあまり知られていません。
先にも述べたように、血液中を浮遊するCPPは、血管壁に沈着して血管を石灰化させるように働きます。石灰化の場合は、粥状硬化のように血管内腔を狭めることはありません。ただ、石灰化を起こすと、血管がまるでセメントで塗り固められたかのようにガチガチに硬くなってしまうのです。
たとえば、ゴムホースなどは何年も庭に置きっぱなしにしていると柔軟性がなくなって硬くなってきますよね。古くなると少し力を入れただけでポキっと折れてしまうくらいにボロボロになることもあります。石灰化が起こると、まさに血管があれと同じような状態になると考えるとイメージしやすいかもしれません。血管が柔軟性を失うと、血液の流れ方や血圧の変動に悪影響が出て、さまざまな臓器障害や心肥大などの原因になることも分かっています。
そして、血管石灰化も脳卒中や狭心症、心筋梗塞を起こす大きな原因となります。とくに高齢者が起こす動脈硬化には血管石灰化が原因になっているケースが多く、より生命に関わる疾患イベントにつながりやすいのです。実際、血液中のCPPは加齢とともに増えていきます。ですから、脳血管障害や心臓病で命を落とさないためにも、血中のCPPを減らし、血管石灰化を防いでいくことが非常に重要になってくるわけです。
それに、血管は脳や心臓だけでなく全身のすべての臓器に通じているわけですから、そうした血管が体のあちこちで石灰化を起こせば、全身のさまざまな臓器は到底普段通りの働きができなくなっていくだろうと考えられます。みなさん、全身の血管が野ざらしのホースのようにボロボロになって、次から次に臓器にトラブルを発生させるのをイメージしてください。血中のCPPを放っていると、まさにそういう恐ろしい事態が進行してしまいかねないのです。
なお、先にも触れましたがリン酸カルシウムは水に溶けません。水に溶けないからこそたんぱく質とくっついてコロイド粒子になることで血中を流れているわけです。また、これと同じように、コレステロールなどの脂も水に溶けません。水に溶けないからこそたんぱく質にくっついて、HDLやLDLなどのコロイド粒子になって血中を流れているわけです。
両者はたいへん多くの共通項があり、「本来の貯蔵先」でないところに蓄積し始めるとさまざまな健康被害をもたらすという点でも似ています(下の図3を参照)。
脂の場合は、本来の貯蔵先は全身の脂肪細胞です。しかし、血管にたまったり肝臓にたまったり、本来たまるべきではないところに蓄積し始めると粥状硬化や脂肪肝などの問題を引き起こします。一方、リン酸カルシウムの場合は、本来の貯蔵先は骨です。しかし、骨の外に出て、血管や細胞などの本来たまるべきではないところへ行くと、血管石灰化や炎症を引き起こします。
このように、「生体内で水に溶けない物質」は、本来の貯蔵先ではないところへ彷徨(さまよ)い出ると体に悪さを働くように仕組まれているのかもしれません。
逆に言えば、わたしたちが健康をしっかりキープしていくには、脂とリン酸カルシウムという「水に溶けない2大物質」を生体内でちゃんと管理していく姿勢が必要不可欠なのでしょう。
リン酸カルシウムも、骨というコンパートメントに収納されてさえいれば、まったく何の問題も起こしません。だからこそ、骨という「家」から家出をしてふらふらと彷徨い歩かないように、しっかり管理をしていかなくてはならないのです。

『腎臓が寿命を決める』 第2章 より 黒尾誠:著 幻冬舎:刊

図3 リン酸カルシウムと脂の比較 腎臓が寿命を決める 第2章
図3.リン酸カルシウムと脂の比較
(『腎臓が寿命を決める』 第2章 より抜粋)

リン酸カルシウムもコレステロール(脂)も、私たちが生きていくには欠かせない物質です。
ただ、必要量を大幅に超えて摂取すると、逆に人体に悪影響を与えます。

普段の食生活から気をつけたいですね。

「血中リン」と「尿中リン」

血中のリン濃度が上がる「血中リン」は、健康に大きな被害をもたらします。

黒尾さんは、じつは「血中リン」だけでなく、「尿中リン」も厄介な事態を引き起こすと指摘します。

尿中リンとは、腎臓の尿細管で仕分けをされて尿中に入っていくリンのことです。

 なお、「血中リン」と「尿中リン」の違いをまとめると次のようになります。

血中リンーー腎臓がスムーズにリンを尿に出せないと、血液中のリン濃度が高くなり、血液中にCPPが増えてくる。その結果、血管をはじめ全身の臓器にCPPによる障害が起こる(ただし尿細管は無事)。

尿中リンーー日々多くリンを摂取していても、腎臓がスムーズにリンを尿に出せていれば、血液中のリン濃度は上昇しない。その代わり原尿中のリン濃度が上昇し、原尿中にCPPが出現する。その結果、尿細管にCPPによる障害が起こる(血中リン濃度は上がらないので、尿細管以外の臓器や血管はとりあえず無事)。

つまり、FGF23やクロトー遺伝子が正常に働いて日々リンを体外に排出できていたとしても、リンを大量に摂取し続けてていたらいずれ尿細管が悲鳴を上げることになってしまうわけです。そして、年齢とともにネフロン数が少なくなると、ネフロン1本あたりが排出しなくてはならないリンの量が増えるため、原尿中のリン濃度がますます高くなり、原尿中にCPPが形成される危険がますます高まります。その結果、尿細管はよりいっそうダメージを受けやすくなっていくのです。

ここで、第1章で述べたネフロンの話を思い出してください。
腎臓の濾過装置・ネフロンは、加齢とともにじわじわと数が減ってしまい、一度減ってしまったネフロンは、回復したり再生したりすることはありません。仮に20代で200万個のネフロンを持っていた場合、60代、70代になると半分の100万個前後に減ってしまうようになります。かなりの予備は備えているものの、歳をとるにしたがってネフロン数に余裕がなくなってくるのです。
また、そのネフロンにおいて、尿細管は原尿中の「必要な物質」と「不要な物質」を仕分けする仕事をしています。すなわち、必要な物質は再吸収して血液に戻し、不要な物質は尿中へと捨てているわけで、ゴミ出しをする前の分別作業をしているようなものと考えればいいでしょう。ただ、この分別作業はけっこうリスキーな労働であり、ゴミの中には取り扱いに注意を要する危険物質が混ざっていることもしばしば。そして、こうした日々の重労働において尿細管の負担やダメージが大きくなると、ネフロンが消耗して死んでしまうと考えられているのです。
ゴミの中に混ざっている危険物質は「リン」です。
そこで考えてみてください。
ネフロン数が少ない人とネフロン数が多い人が同じ量のリンを食べたとしたら、ネフロン1本当たりが出さなくてはいけないリンは、少ない人のほうが圧倒的に多くなるはずですよね。
ネフロン数が少ないということは、危険な分別作業をより少ない“人数”で行なわなくてはならないということ。そうすると、ひとりひとりの作業負担が多くなり、作業中にリンに触れる機会も増えることになってしまいます。すなわち、ネフロンという作業員の数が減ってくると、ネフロン1本当たりのリン排泄負担が増え、より高い濃度のリンを扱わなくてはいけなくなってくるのです。
リンは1日にだいたい1グラムくらい排泄されます。若い人の場合、ネフロン数は平均200万個。これは計算をすると、ネフロン1本当たり、0.5マイクログラムのリンを処理すればいいことになります。
しかし、これが高齢になってネフロン数が半分の100万個に減ってしまったらどうなるでしょうか。ネフロンが半分に減ったら、ネフロン1本当たりの倍にあたる1マイクログラムのリンを1日に扱わなければいけないことになりますよね。まあ、ネフロンはかなりの予備力を残しているため、半分の100万個に減ったとしても排泄機能にはたいして問題は生じないのですが、減少がさらに進めば、ネフロン1本当たりにかかる排泄負荷がどんどん大きくなってくるようになります。
それに、どっさりとリンを摂ってしまったときなどに、そのネフロンがより高濃度のリンを扱わなくてはならなくなってきますよね。するとどうなるかというとと、そのネフロンの尿細管に障害が起こるようになるのです。つまり、原尿中のリン濃度が高まるとともにリン酸カルシウム結晶のCPPが発生するようになり、CPPの細胞毒が尿細管を蝕(むしば)むようになっていくというわけです。
CPPによって障害を起こしたネフロンは死んでしまいます。そして、尿細管障害を起こすネフロンが増えてくるとともに、ネフロン数の減少が加速するようになっていくのです。私は、慢性腎臓病で濾過機能がじわじわと低下してくるのには、こうした尿中リンによるネフロン数の減少が大きく影響していると考えています。言うなれば、リンという危険物質を排泄するための作業負担がネフロン数を減少させ、腎臓の老化をいっそう加速することへとつながっているわけです。

『腎臓が寿命を決める』 第3章 より 黒尾誠:著 幻冬舎:刊

尿中リンが増えると腎臓の濾過装置である「ネフロン」の消耗が増えます。

ネフロンの減少は、すぐには腎臓の濾過機能に影響はありません。
が、長期にわたると、ボディブローのように効いてきて、腎臓の老化につながります。

血中リンだけでなく、尿中リンも減らさなければならない理由は、ここにあります。

「有機リン」と「無機リン」の違いは?

リンには、「有機リン」「無機リン」の2種類に分類されます。

有機リンは、肉類、魚介類、卵、乳製品、野菜、穀物などに広く含まれているリンです。

リン含有量の多い食品の一例を、下の図4に示します。

図4 リン含有量の多い食品の一例 腎臓が寿命を決める 第4章
図4.リン含有量の多い食品の一例
(『腎臓が寿命を決める』 第4章 より抜粋)

一方、無機リンは、食品添加物として使用されているリンです。

黒尾さんは、無機リンは、日々意識して減らしているかどうかで摂取量にかなり大きな差がついてしまうことになり、リン制限を成功させられるかどうかは、この食品添加物中のリンをどれだけ減らせるかにかかっていると述べています。

 先ほど述べたように、食品添加物中のリンが体内に入ってきたときの吸収率は90%以上です。
しかも、わたしたちは毎日さまざまな食物から食品添加物を摂り、結果、途方もない量のリンを口にしてしまっていると思ったほうがいいでしょう。こうした大量のリンがいったいどれだけわたしたちの腎臓に負担をかけているのか、いったいどれだけわたしたちの老化を加速させることにつながっているのか。この点は、これからしっかりと研究すべき課題です。
はっきり言って、日本をはじめ、いわゆる先進国の食は「添加物まみれ」です。「リンまみれ」と言い換えてもいいでしょう。
それでは、いったいどのようなものに入っているのか。
まず、加工食品にはほとんど添加物が含まれています。ソーセージ、ハム、ベーコン、ミートボールなどの加工肉、干物、練り物、かまぼこなどの水産加工食品、さまざまなタイプの冷凍食品、カップラーメンやインスタント麺、袋詰めのパン、シリアル、スナック菓子、ケーキやプリン、ゼリーなどのスイーツ、おつまみ類、漬物、調味料、コーラやジュースなどの清涼飲料水・・・・・。もう、ありとあらゆる加工食品に添加物が含まれていると言っていいでしょう。
また、スーパーやコンビニで売られているお惣菜やお弁当にも早く腐らせないための添加物が使われていることが少なくありません。それに、外食系でもファストフードのハンパーがーやポテトなどには添加物が多いことがよく知られています。疑いだしたら本当にキリがないのですが、外食でも添加物ゼロの食べ物を探すほうが難しいのではないでしょうか。

では、具体的にどんな添加物にリンが多いのか。
たとえば、上のベーコンの食品表示ラベルには「リン酸塩(Na)」という記載がありますが、これなどはリン添加物の代表格です(下の図5を参照)。ただ、「リン酸塩(Na)」以外にも、「メタリン酸(Na)」「ポリリン酸(Na)」「ピロリン酸(Na)」といった表記がされている場合もあります。
ただ、「リン酸塩」とか「リン酸化合物」とかいったように「リン」と言う言葉が記載されていればまだいいほう。じつは、かなりのリンが使用されているのにもかかわらず、「リン」とは記されていない添加物も多いのです。そうした「リンが含まれているのに『リン』と名乗っていない添加物」には、「かんすい」「酸味料」「香料」「乳化剤」「pH調整剤」「強化剤」「結着剤」などがあります。
けれど、これでは食品表示ラベルを見ても、リンが含まれているのかどうか、素人にはさっぱり見分けがつきませんよね。
つまり、こういった状況こそ、リンが「見えない敵」と呼ばれるゆえん。こういう隠れて見えないところに潜んでいる物質を相手にしていかなくてはならないから、リンを制限していくのは厄介なのです。
(中略)
では、わたしたちは、こうした状況の中、どうやって食品添加物中のリンを減らしていけばいいのでしょう。
私は、いちばん手っ取り早いのは、「食品添加物が多そうなものはなるべく食べない」「食品添加物が多そうなものはなるべく買わない」という戦法を貫くことだと思います。つまり、「リンが入っているかどうか」なんて細かく見てもどうせ分からないから、食品添加物が多そうな食品は“どれも怪しい”“どれもリンが入っているかもしれない”と思って、できるだけ避けるようにしていきましょうというわけです。
なにしろ相手は「見えない敵」ですから、広めに網を張っておいて“これは危なそうだな”と思ったものはできるだけ摂取を控えるようにしていく。そうすれば、かなりの量の「見えない相手」を網にかけることができ、その分のリンを口に入れずに済ませられるようになるでしょう。そうやって、食卓から意識的に食品添加物を遠ざけていくのが、もっとも効率的・合理的ではないかというわけです。
食品添加物は、避けようと思えば避けられます。“これは添加物をたくさん使っていそうだな”という食品は買わなければいいし、“この店はかなり添加物を使っていそうだな”という店には入らなければいいのです。
もちろん、すべての食品添加物をカットしようなんて無理なことは言いません。日本では隅から隅まで本当に多くの食品に添加物が使われていますから、「全部カットしよう」なんて言ったらほとんど食べられるものがなくなってしまいます。それに、食品添加物には腐敗を防いで食中毒を減らすという大切な役割もありますし、現代の食生活が食品添加物のおかげで豊かになったというもの確かな事実です。
ですから、自分の普段の食生活のスタイルを顧みて、カットできそうなところからカットしていけばよいのではないでしょうか。たとえば、「せめてジャンクフードを買うのはやめよう」とか「せめてファストフード店で食べる回数は控えよう」とか「加工肉を買うのはせめて週1回にしよう」とか「スーパーのお惣菜に頼るのはせめて週に1回程度にしよう」とか、そういうカットの仕方でもリンの摂取量はかなり減らすことができると思います。
とにかく、自分が食べたいものを食べずに我慢するのではなく、“これなら自分にもできそうだ”という簡単な部分からカットしていくのが長続きのコツです。
この「食品添加物カットによるリン制限」、ぜひみなさんも、自分なりの基準を決めて、無理のないところからスタートするようにしてみてください。そして、一歩一歩着実に口から入るリンを減らしていくようにしましょう。

『腎臓が寿命を決める』 第4章 より 黒尾誠:著 幻冬舎:刊

図5 ベーコンの表示ラベルの例 腎臓が寿命を決める 第4章
図5.ベーコンの表示ラベルの例
(『腎臓が寿命を決める』 第4章 より抜粋)

私たちが普段口にしているものには、ほぼ例外なく、食品添加物が含まれています。
ということは、無機リンも、当然のように含まれていると思って間違いないです。

完全に無機リンの摂取をなくすのは不可能です。
なので、できる限りなくしていく努力はしたいですね。

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腎臓は生命を守る臓器であり、リンは老化と寿命を左右する物質です。

黒尾さんは、このふたつの重要性を知ったうえで、リンをコントロールし、腎臓の機能をキープしていくことがわたしたちの生命を長く輝かせることにつながっていくとおしっゃています。

身の回りには、リン含有食材があふれています。
それでも、意識することで、体内に入るリンの量を減らすことは可能です。
私たちも、本書にある知識を武器にして、“見えない敵”リンに対処していきましょう。

リンと腎臓を窓口とした老化研究は、始まったばかりです。
これからどんな驚くべき新発見が飛び出すのか、今から楽しみですね。

腎臓が寿命を決める 老化加速物質リンを最速で排出する (幻冬舎新書)


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