本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『信用2.0』(堀江貴文)

お薦めの本の紹介です。
堀江貴文さんの『信用2.0』です。

信用2.0 自分と世界を変える「最重要資産」

新品価格
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(2023/4/30 10:26時点)

堀江貴文(ほりえ・たかふみ)さんは、実業家です。

なぜ「堀江貴文」は、こんなに信用されるのか?

生きていくうえで、いちばん大切にすべきものは何か。
堀江さんは、それは「信用」だと答えています。

 あえて自分で言うことではないが、ぼくはかなり多くの人から信用されている。

ぼくは今50歳だ。
世の中の50歳の平均値と比べても、圧倒的に信用されているのは間違いない。

たとえば、手元にある大事な100万円を「得体の知れない50歳のおじさん」か「ホリエモン」のどちらかに預けなければならないとすれば、みなさんはどうするだろうか? おそらくほくにお金を預けるという人のほうが多いのではないだろうか。

とはいえ、たとえばTwitterでこんなことを呟けば、「俺は堀江のことなんて信じていないぞ!」「どの口が言っているんだ?」「いや、お前が信用を語るなよ(笑)」などと書き込む連中がどっさり釣れるだろうということは容易に想像がつく。

なかには「タレント」やせ「芸人」や「〇〇学者」と名乗る人もいるかもしれない。また、こういうどういった実績があるのかよくわからない人を信用している人もいるので、これに便乗していろいろ書き立てるツイートもわいてくるだろう。

ぼくにとって、こんなのは日常茶飯事だ。なんということもない。

何を言われても超然としていられるのは、彼らのほとんどがぼくよりも圧倒的に信用のない人たちだからだ。だから、彼らのセリフをそっくりそのままお返しするだけでこと足りる。
「いや、お前が信用を語るなよ」

ーー以上(笑)。

とはいえ、「堀江のことなんて信用できない」と感じている人がいるのは、事実としてよくわかっているつもりだ。
それにしても、なぜぼくを信用できる人と、まったく信用できない人とがいるのだろうか?

それは「こういう人は信じられる」「こういう行動は受け入れられる」という基準が、人によってまちまちだからだ。だからぼくという人間は、ある人たちからは「信用できる」とされ、ある人たちからは「信用できない」とされる。
これをもう少しはっきりさせるため、ちょっとした思考実験をしてみよう。
あなたが思う「信用できる人」のイメージや条件を、どんなものでもいい、いくつでもいいから思い浮かべてほしい。

・名の通った大手企業に勤めている
・勤続年数も長く、勤務態度もまじめ
・高偏差値の大学を卒業していて、成績優秀
・結婚して、きちんと子育てをしている
・持ち家もあり、堅実に貯金もしている

こんな人物像が思い浮かんだかもしれない。
あるいは、

・人に頼らず、自分で最後までやり遂げられる
・思いつきで行動せず、じっくり慎重に考えて計画的に行動する
・メールだけで用事を済ませず、直接会うことを大切にする

といった行動スタイルを思い浮かべた人もいるだろう。

どうだろう?
ここに挙げたような人物像から、それほど違和感なく「たしかに信用できそうだな・・・・・・」という感想を抱いた人もいるのではないだろうか?

もしそうだとすると、おそらくあなたは、ぼくのことを心からは信用できていないはずだ。
無理もない。なぜなら、ぼくはこれらの基準にはまったく当てはまらないからだ。

ぼくは会社勤めの経験はないし、いまだに本業が何か自分でもよくわからない。
大学中退で住所不定のホテル暮らし。
離婚しているし、子育てもしていない。
面倒なことは人に任せっきりだし、性格はかなり飽きっぽい。
対面の打ち合わせどころか、電話すらも大嫌い。全部LINEで済ませたい人間だ。
発言は定期的に炎上して世間を騒がせているし、おまけに逮捕歴もある。

つまり、さっきの条件に当てはめれば、「信用できる要素」がゼロだ。
前述の「信用」観を持っている人には、なぜ堀江貴文がこんなに信用されているのかがさっぱり理解できないだろう。

「なぜあんな人間がもてはやされているのか?」
「なぜあんな人間がつくった会社に800億円もの時価総額がついたのか?」
「なせツイッターに350万人以上のフォロワーがいるのか?」
「なぜYouTubeか合計5億回も再生されているのか?」
「・・・・・・いったいなぜだーー?」
この謎が解けたとき、あなたは「新時代の信用」を集められる人間になれる。
ぼくが信用されているという事実から目を背けて、考えることを放棄し、いつまでも「あんな奴を信じる人間の気が知れない!」などと言っている人からは、すべてがこぼれ落ちていくことになる。

とはいえ、本書を手にとってここまで読んでくれているあなたは、そうした残念な人たちとは一線を画していると言っていいだろう。
「新しい信用」の本質まではつかめていないにしても、そこに何かしらの問題意識や関心を持てている時点で、時代の流れを正しく洞察・予感できているのは間違いないからだ。

そう、たしかに時代においては「信用」を支える原理そのものが変わってしまった。

かつては、先ほど挙げたような人物像や行動様式に沿って生きていれば、わりと簡単に信用が得られた。
その枠組みに収まっていさえすれば、だれでも確実に「信用される人」になれた。

でも今はちがう。時代が変わったのだ。
こんな人物像や基準は、まったく「信用」に値しない。
むしろぼくは、これに多くの該当する人とつき合うのなんかは、まっぴらごめんである。いまだにこんな基準を満たして安心している人を、ぼくはまったく信用しない。

本書では、先に列記したような、かつては通用していた信用のための行動基準や人物像を「信用1.0」と呼ぶことにする。これに対して、ぼくが大切にしたい価値観のほうを「信用2.0」と名づけることにしよう。

『信用2.0』 はじめに より 堀江貴文:著 朝日新聞出版:刊

本書は、新時代の価値観である「信用2.0」を具体例を交えながら、わかりやすく解説した一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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信用は「資産」として捉えよう!

堀江さんは、信用は「他者からの評価」であり、それは「資産」としての性格を持っていると述べています。

「資産」なので、運用次第で増やすこと、減らすことあります。

この仕組みは「決算書」で理解することができます。

「貸借対照表」や「損益計算書」という言葉を聞いたことがあるだろうか? ビジネスパーソンであればまず知っていると思うが、一定のフォーマットに会社の数字を落とし込むことで、会社の財務状況や経営状態を把握するのが、決算書の役割である(下の図1を参照)。

いちばんわかりやすいのは「損益計算書」だろう。
これは、一定の期間にどれだけのお金が入ってきて(売上)、それを稼いだりするときにどれだけのお金が出ていき(費用)、最終的にどれだけのお金が手元に残ったのか/残らなかったのか(利益)をリストアップしたものだ。
ごく単純に言えば「家計簿」などと同じような考え方である。利益(Profit)や損失を可視化するので、その頭文字をとって「P/L」と記載されたりする。

これに対して、「貸借対照表」は、企業の資産状況を一眼で把握できるようにしたものである。これは「バランスシート」とも呼ばれ、本書でも通例に従って「B/S」と表すことにしよう。
B/Sは、直感的には理解しづらいかもしれないので、少し丁寧に説明しよう。

まずB/Sの書式は大きく左右に分かれている。
左側にあるのが「資産の部」であり、ここには企業が持っている「資産」がリストアップされる。企業が持っている資産は「お金(現金)」だけではない。銀行預金はもちろん、これから入ってくる予定のお金(いわゆる売掛金)も資産だし、土地や建物、生産のための機械設備などもここに入ってくる。とにかく企業の「持ち物」は、すべて資産だと考えればいいだろう。

他方で、右側には「負債の部」があり、こちらには司祭をどのように集めたかが列挙される。たとえば、預金1億円の資産があったときに、その出どころが銀行からの借金だとすれば、負債の部には「借入金1億円」と記載される。

だから、負債の部(どのようにして集めたか)と資産の部(どのようなかたちで所有しているか)の総額は、つねに同じになる。つまり、左右の均衡がとれているから、バランスシートと呼ばれるわけだ。

さて、「・・・・・・いったい何の話を聞かされているんだ?」と心配になった読者もいるかもしれないが、安心してほしい。本書は会計学の本ではないので、おおまかにイメージだけつかんでもらえれば十分だ。
ここで伝えたいのは、次の2点である。

①決算書の考え方は「企業」だけでなく「人」にも当てはめられる。
②「信用」を正しく捉えるうえでは「B/S」的な発想が大事になる

このうち、①については説明するまでもないだろう。あなたというB/Sの左側には、さまざまな「資産」がある。「あなたが持っているものすべて」がこのB/Sには記載されているわけだ。

肝心なのは②のほうである。人はつい、そのときの「損得」だけで物事を考えてしまう。言い換えれば、P/L的な発想に陥りがちだということだ。

たとえは、ある人物とのコラボレーションを進めていて、プロジェクトが具体的に進捗しているとする。
ところが、ある時点でその人物に大きな問題が見つかる。なんと、その人は過去に重大な過失をおかし、ひどい目に遭っているにもかかわらず、その問題の解決を試みてすらいなかったのだ。
このとき、あなたならどうするだろうか?
ここでプロジェクトを打ち切ることにすれば、さまざまな損失が予測される。それまでに投じてきたお金や時間が無駄になるし、協力してくれた人たちにも迷惑がかかる。相手方は「一方的にコラボを解消された!」と言って騒ぎ出すかもしれないし、あなたに悪評が立つ可能性だってある。

そういうマイナス面に尻込みして、その人のリスクに対処していないという部分に目をつむったまま、むりやりプロジェクトを進めてしまう人もいるだろう。そういう人は、いわばP/L的な発想にとらわれている。短期的な損得しか見ておらず、長期的に見て自分が何を失うかを考えていないのである。

自分の信用を第一に考えるのであれば、そんなコラボはいち早く解消するべきだ。
痛い目に遭っておきながら、それでも正しいアクションを起こせないというのは、その人がよっぽど「ヤバい人物」である何よりもの証拠だ。ミスへの対策以外のところでも、いろいろ問題が出てくる可能性が高い。そんな人と一緒に仕事をしてトラブルに巻き込まれたりすれば、それこそこちらの信用に関わる。

だからこういうときには、もし短期的に損をすることになったとしても、自分が持っている信用を大切にしたほうがいい。
これは、人でも企業でも同じだ。したたかな企業は、自社のブランドを守ったり向上させたりするためなら、平気で損を切る。経営者がバカだったりすると、目先の利益を優先して、顧客や取引先や投資家の信用を失うような意思決定をしてしまう。

まじめで優秀なのにいっこうに信用されない人は、ひょっとしたらP/L的発想にこだわっていないだろうか?
つい「この仕事をするといくら儲かるか」とか「これをやめたらいくら損をするか」ばかりを気にしてしまっていないだろうか?

信用を高めていくうえで重要なのはB/S的な思考法である。
判断に迷うことがあったら「お金が手元にいくら残るか」ではなく、「広い意味での『資産』がどれだけ増えるか」を考えてみよう。みんなから信用される人は、いつもこの発想を忘れていない。

信用は「他者からの評価」という試算なので、P/LではなくB/Sの考え方が大事になる。つまり、「(短期的に見て)損か得か」ばかりにとらわれて、「(長期的に見て)自分の資産が増えるか」を考えない人は、いつまで経ってもみんなに信用されない。
これは信用の本質的原理である。1.0だろうと2.0だろうと関係ない。

このとき大事になるのが「では、いったいどんな資産を増やせばいいのか?」ということだ。
これを掘り下げていくときには、いよいよ「信用1.0」と「信用2.0」のちがいに触れざるを得ない。

そこで再び、貸借対照表(B/S)のミニ講義ーー。

まず、企業のB/Sを書くときには一定の決まりがある(下の図2を参照)。
「流動性の高い順」に記載していくという決まりである。
「流動性」という言葉は聞き慣れないという読者もいるかもしれないが、要するに「お金のかたちにしやすい度合い」だと理解すればいい。
だから流動性が最も高い資産は、現金や銀行預金などだ。来月入ってくる売掛金なども、もうすぐ現実のお金になるという意味で、流動性はかなり高い。これらは「流動資産」と呼ばれる。

他方で、企業が保有している備品や設備、不動産などになると、流動性はぐっと下がる。それを一定の価格で買ってくれる人を探して、売却しないといけないからだ。現金化するにはちょっとした手間が必要になる。これらの資産には「固定資産」という名前がついている。
さらに固定資産は2種類に分かれてる。
すでに挙げたような建物や土地、機械などの目に見える形があるものは「有形固定資産」と呼ばれる一方、会社には特許や商標、ブランドや独自技術、顧客基盤などなど、「これ」と指差すことができない目に見えない資産がある。こちらは「無形固定資産」という。

これを人に置き換えてみよう。
まず、あなたの財布に入っている現金や銀行預金、さらにはすぐに売却できる株式・投資信託・暗号資産などが流動資産である。これについてはきわめてシンプルなのでわかりやすい。

他方で、すくに現金化できない持ちものが有形固定資産になる。
たとえばPCやスマホがそうだし、自家用車や持ち家などもここに入ってくるだろう。
さらに、これには一定の解釈の余地があるかもしれないが、資格や免許、過去の学歴や職歴、現在の肩書なども、有形固定資産の一種だと見なすことができるだろう。

たとえば「公認会計士」「東大卒」という証明書だったり、「元ゴールドマン・サックス勤務」「弁護士」といったキャリアだったり、「〇〇社 代表取締役社長」「日本の内閣総理大臣」といった立場そのものも、かなり輪郭がはっきりした「持ち物」である。

では、人が持っている「無形固定資産」とは、どんなものだろうか?
まだ列挙されていない「あなたの持っているものすべて」が、ここに含まれていることになる。

学歴そのものは有形かもしれないが、学生生活のなかで得た知識は、無形の資産だと言えるだろう。
また、仕事をするなかで得た技能や経験も、ここに入れられる。さらには、仕事や生活のなかで築いてきた人脈や人間関係もそうだし、あなたが持って生まれた才能や人間性そのものだって、無形固定資産だと言えるだろう(ここからはもう少し短く「無形資産」と呼ぶことにしよう
)。
さて、この節でぼくらが考えているのは「信用を高めるうえでは、どんな資産を増やせばいいか?」ということだった。
結論から言えば、この問いに対する答えは、信用1.0と2.0に大きく分かれる。

・信用1.0ーー目に見える資産(流動資産や有形固定資産)を重視する
・信用2.0ーー目に見えない資産(無形資産)」を重視する

旧来の信用1.0に留まっている人は、目に見えるもの・手触りのある資産だけを頼りにしている。
だから、結婚相手を選ぶときにも、給料や貯金額が多いかを気にしてしまうし、有名企業に勤めていたり立派なマイホームを持っていたりすれば、ちゃんとした人なのだと感じてしまう。
高価な腕時計をコレクションしていたり、高級車を乗り回していたり、豪邸に住んでいたりすれば、それだけでその人に一目置きたくなってしまう。
「ハーバード大卒」とか「元マッキンゼー勤務」とか「弁護士」、みたいな経歴を見せられると、それだけでコロリとダマされてしまう。

また、この補助線を引くことで、「堀江貴文はなぜこんなに信用されるのか?」という問いとは、かなり答えやすくなる。

ぼくは、流動資産や有形固定資産の点では、それほどの資産かとは言えない。
ライブドア時代にはもちろんかなりの金融資産を手に入れたが、そもそも大した執着がなかったこともあり、今ではもうたいして手元には残っていない。
豪邸に住んでいるわけでもないし、ホテル暮らしなのでそもそもほとんどモノを持っていない。
東大に入学したものの卒業していないし、経歴ということで言えば、実刑判決を受けて長野刑務所に収監されたというマイナス資産もある。

それでも、いまだに多くの人から信用されているのは、ぼくが積み上げていた無形資産のおかげだ。
ぼくがこれまでやってきたことや語ってきたこと、そのなかでなかで得た体験や知見・・・・・そうした目に見えないものに、人々が高い価値を感じてくれているからこそ、ぼくには信用が集まっているのである。

そしてぼくは、こうした信用のあり方、すなわち信用2.0のほうを大切にしたいと考えている。
ぼくが「人生でいちばん大切なものは信用だ」と語るとき、それはあくまでも無形資産から生まれる信用2.0のことを言っている。
ぼくの持っているお金や過去の実績なんかでだれかに信用してもらいたいなどとは、1ミリも思わない。そんな信用はクソくらえだ。

こうして考えてみると、「どうして堀江貴文のような人間が信用されているのか、さっぱりわからない!」などと叫んでいる人たちは、どうやら嫌味や当てつけを言っているわけではなさそうだ。
彼らは「お金」や「モノ」や「肩書き」といった具体的な証拠を見せられないと、人を信用することができない。だから、彼らにとっては、ぼくという存在が本当に文字どおり「謎」として映っているのだろう。

さて、みなさんは「目に見えるもの」がなくても、だれかを信用できるだろうか?
あるいはだれかの無形資産に魅力や可能性を感じて、思わずその人を信用したくなった経験があるだろうか?

少しでも思い当たることがあるなら、その人はラッキーである。信用2.0を積み上げる素地がある。
あとちょっと踏み出しさえればいい。

『信用2.0』 第1章 より 堀江貴文:著 朝日新聞出版:刊

図1 損益計算書と貸借対照表 信用2 0 第1章
図1.損益計算書と貸借対照表
(『信用2.0』 第1章 より抜粋)

図2 貸借対照表の中身 信用2 0 第1章
図2.貸借対照表の中身
(『信用2.0』 第1章 より抜粋)

信用は、目には見えないので、なかなか捉えどころがありません。
でも、「貸借対照表」や「損益計算書」のような形にしてまとめてみると、イメージしやすいですね。

信用も、他の資産同様、コツコツと積み上げていくのが王道です。

約束は、必ず守る。
悪口や嘘は口にしない。

日々の生活から、それらを意識しながら「信用の資産家」を目指しましょう。

これからは「自習する人」の時代!

堀江さんは、これからの時代、世の中で大きな成果を出していくのは、どこかの学校や企業の出身者ではなく、「自習した人」になるだろうと述べています。

それは、自分で情報を探し、理解し、より早く行動に移した人が、より多くの成功と信用を手に入れるからです。

 以前、「ガールズちゃんねる」という女性向け匿名掲示板に、こんな書き込みがあった。

「アラフォーの会社員です。
主は手取り14万円です・・・
都内のメーカー勤続12年で役職も付いていますが、
この給料です・・・
何も贅沢できない生活
日本終わってますよね?」

あるニュースサイトが「日本の格差事情」をテーマとする記事を配信した際、このスレッドを立てた人の発言は大きく取り上げられ、それに対して多くの共感の声が寄せられた。
だが、ぼくはこのニュースに対してツイッター上でこう書いた。

「日本がおわってんじゃなくて『お前』がおわってんだよwww」

これがものの見事に炎上した。
さて、あなたはこの一連のやりとりを、どう考えるだろうか?

おそらくこの投稿をした人は、先生や親の言うことを疑いもせず鵜呑みにし、「いい子」として生きてきたのだろう。そうすれば人生は安泰で、社会的にも信用される、と信じてきたはずだ。
スマホやネットが発達していない時代なら、それでもよかったと思う。情報を得る手段がなかったのだから、与えられた枠内でしか生きる術が見つけられないのも無理はない。

しかし、今はスマホやPCがあれば、なんでも学べる時代だ。
なぜ、この愚痴を書き込んだそのツールを使って、もっと自分の生き方を最適化するための情報を探さないのだろうか。
たとえば、YouTubeを開けば、動画編集のやり方を解説した動画が山のように表示される。
これで技術を身につけて、クラウドワークスなどで動画編集の外注を探せばいい。今や動画をつくりたい企業は溢れるほどあるのだから、仕事を見つけてくるのは簡単だ。
仮に1本5万円の仕事を月に5回でもこなせば、それだけでも25万円だ。手取りベースでも14万円はかるく超えられる。動画編集のようなスキルがいらない、データの打ち込みのような仕事だって、ネット上にはたくさん転がっている。

知識ゼロでもっと稼げる仕事がたくさんあるのに、いつまでも月14万円の仕事で搾取され続けているなんて、どう考えてもおかしい。これは会社や国のせいという以前に、自ら情報をとって、自ら動こうとしていない本人の問題だ。

ぼくは、お金を稼ぐことを推奨したいわけではない。
たとえば、地方に暮らしているのであれば、生活するために1本5万円の仕事を必死で月10本こなして50万円稼ぐ必要があるかというと、必ずしもそんなことはないだろう。一人暮らしなら、手取りで20万円くらいあれば、日本の地方ではかなり優雅な暮らしができるし、金額としてはそんなに悪くないはずだ。

スマホがあってネットがつながっていれば、YouTubeを見たりゲームをしたりして、それなりに楽しく暮らせる。しかも、その気があれば、都会の5分の1くらいの生活コストで暮らせるエリアもある。たまにLCC(格安航空会社)で好きなところに遊びに行けばいい。

自分で情報をとり、それを活かす姿勢さえあれば、なんでもできるということだ。

ぼくと一緒にロケット開発しているメンバーも、ネットで公開されている論文を漁って、そこからモノをつくるところからはじめている。

逆に、それができなければ、どんなに立派な学歴や職歴、資格を持っていても、その人は自分で人生を切り開けない人だということになる。こんな状態が続けば、いつでも信用されないどころか、時代の流れとともにどんどん信用を失っていくことになるだろう。

「おわっている人」にならないために、情報を自分でとり続けよう。

『信用2.0』 第2章 より 堀江貴文:著 朝日新聞出版:刊

いい学校を出て、いい会社に入って、それで安泰という時代では、もうありません。

言われたことを言われた通りに、そつなくこなす。
それだけでは、価値がある人間だと思われない、つまり信用されません。

信用を得るには、一歩一歩、実績を積み重ねていくしかありません。

その最初の一歩を踏み出すために必要な情報なノウハウ。
それらはネットなり本なりで、いくらでも手に入れることができます。

とりあえず、やってみる。
試しにやってみる。

そんな行動力が、より求められる時代になりました。

「好き嫌いをはっきりさせる人」は信用される

堀江さんは、信用を得るためには、嫌なものは嫌だと明言することが大事だと指摘します。

 ぼくは電話には出ないし、疑問に思えばすぐに相手に尋ねるし、おかしいと思ったら「おかしい」と正直に言う。炎上も、まったく怖くない。

「堀江さんみたいにふるまったら、友だちに嫌われそう」

こんなことを言ってくる人が一定数いるが、ぼくはそんな心配をしたことが一度もない。
ぼくが友人だと思っている人たちは、そもそもぼくがそういう人間だとわかってくれているからかもしれないが、自分を率直に伝えるスタンスのせいで交友関係にひびが入るなんてことで、これまで一度もなかった。
そもそも「そんな行動したら嫌われるかも」「信用されなくなるかも」なんて、相手の感情をあれこれ想像するのは、時間の無駄以外の何ものでもない。
ところが、多くの人は他人に嫌われることを極端に避けようとする。他人の期待を満たし、見放されないように必死に自分を取り繕う。

そうすれば、周りから信用されると思っているのだろうか?
それは信用されているのではなく、無害だと思われているだけなのでは?
周りに合わせてコロコロと自分の意見を変える人を、あなたは信用するだろうか?

かつて昭和初期のような貧しい時代には、周りに合わせて生きる謙虚さも必要だった。
言いたいことがあっても、言ってはいけない。嫌なことがあっても、我慢するのが当たり前。そうしないと、自分だけではなく、周りのみんなも生きていけないという事情があったかもしれない。
だが、そんな時代はとっくに終わっている。
幸いなことに、今の日本は、みんなが歩調を合わせないと飢餓で苦しむような状況にはない。ぼくたちは、自分の人生を好きに生きていい時代に生きているのだ。

それに、本当の自分をさらけだしたとき離れていってしまう人は、そこまでの関係だったというだけだ。
別の見方をすれば、そうすることで本当に大切にすべき友人をふるいにかけられたとも考えられる。
そのままのあなたを受け入れてくれる人こそが、「本当の友人」であり、「本当にあなたのことを信用してくれている人」なのではないだろうか?
だとしたら、嫌われないようにあれこれ考えて行動することなんて、バカらしく感じてこないだろうか。

ぼくが知る限り、好き嫌いをはっきりさせる人はみんな信用されている。
「嫌われたくない」「悪口を言われたくない」という気持ちから、みんなに気に入られようとすると、結果的に誰からも好かれず、信用もされない。ともすれば「あの人は八方美人だ」なんて言われかねない。

嫌なことは嫌だと言う。好きなものは好きだと言う。
会いたくない人には会わない。会いたい人にだけ会う。
しがらみにとらわれず、そうやって「自分」をしっかり持つことが、信用される人間になる第一歩になる。

『信用2.0』 第3章 より 堀江貴文:著 朝日新聞出版:刊

自分が思ってもいないことをペラペラしゃべる人は、誰からも信用されないでしょう。

誰にも忖度(そんたく)せず、自分の思ったことを口にする。
そんな人は、嫌われることも多いでしょうが、信頼を損なうことはありません。

堀江さんが、好き嫌いをはっきりさせる人はみんな信用されている、というのも、当然だといえますね。

会社での信用はゲームセンターの”メダル”のようなもの

日本では、フリーランスよりも会社員の方が信用力が高いと考えられがちです。
しかし、そんな「正社員至上主義」的な考え方も、かなり揺らいできています。

堀江さんは、新しい時代の信用を集めようとする場合、フリーランスや非正規社員よりも正社員でいる人のほうが、どちらかというと不利になりやすいと指摘します。

 知識や体験、スキルや人脈など、信用2.0の核となる無形資産は、ボーっとしていても増えない。自分の時間をうまく投資していくある種の戦略が必要だ。
このような「時間の投資」の観点からすると、正社員には一定のリスクがある。
正社員になると、人生の貴重な時間を自分で決める自由が少なくなるからだ。
「ちょっと海外に行こうかな」と思っても、あらかじめ調子に報告したり、有休を申請したり、同僚と仕事を調整したりと、周りに気を遣わなければならない。

ましてそれが入社数年の平社員だったとすれば、「未熟者のくせに休みだけは一丁前にとる」などと思われることもあるだろう。せっかくの海外旅行なのに、行く前から疲弊しきってしまうなんて、バカバカしいことこのうえない。

しかも、日本の企業は今も当然のように残業がある。会社に与えられたノルマを達成しないと家に帰れないなんて、不自由にもほどがある。
いや、それならまだしも、自分は仕事が終わっているのに、残っている上司や同僚に気を遣ってしまい、なかなか先に帰れないなどという話も耳にする。

会社から見れば、社員というのは一種の「サブスク」である。
月ごとの定額料金を支払って「いつでも動画見放題」になるネットフリックスと同様、月給を払うことで「いつでも人材使い放題」の権利を得る雇用形態なのだ。
雇われる側は、自分の人生の大部分の時間を、会社に自由に使われることに同意していると言ってもいい。

こんなふうに自らの裁量で自分の時間の使い方を決められないとなると、自分に対する投資の自由度はかなり限られてくる。これではなかなか信用資産は増えていかない。この点、フリーランスの人のほうが有利である。自分の時間投資の配分をかなり自由に決められるからだ。

会社員だって自分の時間をどんどん会社に明け渡せば、上司からは「自分の言うことを素直に聞いてくれる便利な部下」として高い評価を獲得できるかもしれない。
だが、そんなふうにして得られる信用に、どこまでの価値があるだろうか?

その信用は、特定のゲームセンターでしか使えない「メダル」のようなものだ。いくらそんなローカル通貨を集めても、会社の外に出てしまえばなんの役にも立たない。ただのゴミ同然だ。

そのゲームセンターが未来永劫続くなら、そして、死ぬまでそのゲームセンターに閉じこもっているつもりなら、ひたすらメダル集めに精を出して、ローカルな信用を積み上げていけばいいかもしれない。
しかし残念ながら、今は人の寿命より会社の寿命が先に尽きてしまう時代なのだ。

ゲームセンターのなかで膨大なメダルを積み上げて王様気分になっていても、ある日突然、ゲームセンターがなくなってしまうかもしれない。店の外に放り出されてしまうかもしれない。
そのとき、ようやくあなたは実は自分が無一文であり、これまでなんの資産も築き上げていなかったことに気づくのである。

会社員を今すぐにやめろやめろということではない。
ただ、会社員になるということは、このようなリスクと表裏一体であるということは忘れないでほしい。
そして、会社に所属する人生を選んだのなら、メダル獲得ゲームだけに興じてローカル資産を積み上げるのではなく、世の中で通用する本当の信用資産を増やすことに、よりいっそうの知恵を絞ってほしい。

『信用2.0』 第4章 より 堀江貴文:著 朝日新聞出版:刊

自分が得た信頼が、世間で一般で通用するのか、その場所限定なのか。
会社という組織に守られている正社員ほど、両者の違いに無頓着なものです。

会社にとって社員は「サブスク」でしかない。
つまり、代わりはいくらでもいる存在だということ。

会社から放り出されたら、自分には何が残るのか。
そんな観点から、信用の中身を再点検したほうがいいですね。

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堀江さんが、最後に強調されていること。
それは、「信用は集めるだけでは意味がない」ということです。

信用も、お金同様「資産」であり「手段」ですから、使わないと意味がありません。

これまで人を動かす力として重要視されてきたのは「お金」でした。
これからは「信用」が、それにとって代わる時代がやってきたということです。

「信用」の力をテコに、一人ではできない大きなことに挑戦する。
それが「信用2.0」時代を生きる私たちの新しい「成功法則」です。

ぜひ皆さんも、本書を手にとって、そのエッセンスに触れてみてください。

信用2.0 自分と世界を変える「最重要資産」

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