【書評】「ユーミンの歌声はなぜ心を揺さぶるのか」(武部聡志)
お薦めの本の紹介です。
武部聡志さんの『ユーミンの歌声はなぜ心を揺さぶるのか 語り継ぎたい最高の歌い手たち』です。
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武部聡志(たけべ・さとし)さんは、作・編曲家、音楽プロデューサーです。
「うまい歌い手」と「優れた歌い手」は違う!
武部さんは、これまで『ミュージックフェア』や『FNS歌謡祭』の音楽監督を務めるなど、二、三千人ほどの歌い手たちと仕事をしてきました。
「日本でいちばん多くの歌い手と共演した音楽家」
そんな呼称もある武部さんが、仕事を通じてもっとも大事にしてきたこと。
それは、「歌い手を生かすこと」です。
歌が主役。
ずっとそう考えてきました。
だから作・編曲家の仕事では、まず歌い手の魅力を見つけるところから始めます。
そしてその人の声質や音域、どの音域の声が伸びるのかなどを見きわめ、完成図を描いてから、逆算してアレンジや作曲を行います。
つまり最終的に歌がどう届くのかをイメージしてから、コードを選び、楽器の編成を考え、イントロは何小節かとか、間奏は何小節かとか、そういった楽曲の構成を決めていくんです。
どうすれば歌い手の声が魅力的に聴こえるのか?
どうすれば歌い手の言葉がはっきりと聴こえるのか?
どうすれば歌い手の伝えたいメッセージを届けられるのか?
あくまでもボーカルにフォーカスを合わせて、すべての選択をしているつもりです。
とはいっても、アレンジはただ単にボーカルを浮き立たせればいいわけではありません。歌の伴奏、いわゆるオケを整理して、音を少なくするだけではなく、ボーカルを前へ押しだすためのオケを考えることもある。オケによってボーカルに力を加え、その背中を押すんです。
イントロの作り方にしても、それがいかにキャッチーなものであろうと、ボーカルの登場感がなければ駄目でしょう。歌いだしたときに、ボーカルがどれだけ印象的に聴こえるか、それもイントロにおいては大事です。
ボーカルを食ってしまうようなアレンジは、アレンジ過多だと言えます。もしかしたら古い考え方なのかもしれません。でもそれが先輩たちから受け継いできた僕のやり方です。
なかでも大きいのは数多くのヒット曲を生みだした作曲家、筒美京平さんから受けた影響だと思います。
筒美さんとは、斉藤由貴さんの「卒業」や薬師丸ひろ子さんの「あなたを・もっと・知りたくて」をはじめ、アレンジャーとして何度もお仕事をさせていただきました。
筒美さんは、どんなメロディーなら歌い手の魅力がいちばん伝わるかを、つねに考えて作曲される方でした。あんなに多作だったにもかかわらず、歌い手ごとにメロディーや譜割りを変え、その人の歌にもっとも合う楽曲を作られていた。その流儀みたいなものを僕は継承しているつもりです。
プロデューサーとしての僕は、歌い手の声に加えて、その人の生きざままでーーそう言うとちょっと大げさかもしれませんがーー楽曲に投影できればと考えています。
いくら繕ったとしても、どんな生い立ち、どんな青春時代を過ごしたか、どんな音楽に影響を受けてきたかなどは隠せません。それこそがその人の本当の魅力ですよね。生きてきた道のりは、歌にも絶対ににじみでるはずです。
だから歌い手の歌だけではなく、人となりをすべて理解することが、僕が思う理想のプロデュースワークです。
その人とはまったく違う、虚像を作りあげるようなプロデュースワークも否定はしません。純情可憐(かれん)なアイドルが、裏では煙草(たばこ)を吸い、毎晩お酒を飲んで・・・・・・昔はそんなことがあったかもしれませんね。
一過性の人気者を作りだすことが目的なら、それが虚像であっても問題ないかもしれない。でも長く音楽を続けていくためには、嘘(うそ)をついてはいけない。僕はそう考えます。歌い手のみならず、プロデューサーも同様です。嘘はいつか見透かされてしまいますから。
歌い手の魅力を考えて楽曲を作り、それが狙いどおりうまくはまれば、その分だけ伝わる力は強くなります。
いままで自分が手掛けてきた曲のなかで、多くの人に伝わったという実感を持てた曲のひとつが、一青窈さんの「ハナミズキ」です。「ハナミズキ」は一青さんの歌を生かし、曲のメッセージが伝わる方法を考え、アレンジとプロデュースを行った曲でした。おそらくそのさじ加減がよかったから、たくさんの人に届いたのでしょう。
伝えたいことをちゃんと伝えるのは、やはり大事なことです。僕が大切にしてきたのも、派手だったり、キャッチーだったりするアレンジより、曲のメッセージや心情、歌う景色がちゃんと伝わるようなアレンジです。
そもそも一青さん自身が、伝える力に秀でた方でした。僕が40年以上にわたり仕事をしてきた松任谷由美さんも、人並みはずれた伝える力を持つ方です。
優れた歌い手とは、いったいどんな人を指すのでしょうか。
これは一言では語りづらいことです。でも音程が正しく取れると、声量があるとか、またビブラートが正確だとか、そういったことではないでしょう。そのようなテクニックの部分は、もしかしてあとからいくらでも修正できるのかもしれません。
絶対に変えられないのは、持って生まれた声質です。
その声質を自分で理解して、生かす歌い方ができているかどうか。そして言葉を乗せて歌うときに、その曲の伝えたいメッセージを伝えられるかどうか。
その伝える力が、歌い手のいちばん大事なポイントだと思います。
いくら曲や詞がよかったとしても、楽曲の世界観を伝えられなかったら意味がない。ボーカルのうまさばかりが目立ってしまい、楽曲のよさに気づけないと言う場合もあるでしょう。
もちろんその逆のケースで、ボーカルがそこまでの力を持たないために、世界観を描けないこともありますよね。とくにアマチュアの人の場合は。
でも僕が出会ってきた人たち、長く一緒に仕事をしてきた人たちは、生まれながらに独特の声質を持ち、その声質を生かす歌い方を習得していました。なおかつ自分の作った楽曲でも、他の人が書いた楽曲でも、その曲の持つメッセージやテーマ、ストーリーを聴く人にちゃんと伝えることかできました。
それこそが優れた歌い手なんです。
“うまい”歌い手と、優れた歌い手は違います。どれだけ高い技術を持っていても、メッセージを伝えることができなければ、その歌には魅力が感じられないはずです。
最近はカラオケの採点機能を使い、音程や表現力、安定性などの項目に点数を付け、歌い手を評価する番組を多く見かけます。
テクニックを見るためなら、それも無意味なことではないでしょう。でも僕が出会ってきた優れた歌い手たちは、そういった項目では決して測れない、独自の魅力を持っていました。
その筆頭格が松任谷由美さんです。そして吉田拓郎さん、松田聖子さん、中森明菜(あきな)さん、玉置(たまき)浩二さん、MISIAさん、一青窈さん、YOASOBIのikura(幾多(いくた)りら)さん、藤井風(かぜ)さん、Mrs.GREEN APPLEの大森元貴(もとき)さん・・・・・・・。
その歌声で聴く人の心を揺さぶる、さまざまな歌い手たちの魅力について、これから楽しく論じていきたいと思います。『ユーミンの歌声はなぜ心を揺さぶるのか』はじめに より 武部聡志:著 集英社:刊
本書は、数多くの「優れた歌い手」と仕事をしてきた武部さんだからこそ語れる「ボーカル論」を具体例を挙げながらまとめた一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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「ユーミン」の歌い手としての魅力とは?
歌い手には、さまざまなタイプの人がいます。
武部さんが好きなのは、ひと声出しただけで世界が変わるような歌い手
です。
その代表格として、真っ先に挙げられるのがユーミン(松任谷由美さん)です。
ユーミンの歌い方は、歌い手が感情を煽(あお)るのではなく、あくまで聴く人のなかに感情を広げていく
歌い方です。
さて、あらためてユーミンの歌の特徴を時期ごとに掘り下げていきたいと思います。
まず荒井由美時代のいちばんの特徴として挙げられるのは、そのまっすぐな歌い方です。
1972年、ユーミンはアルファレコードからシングル「返事はいらない」でデビューし、翌73年にアルバム『ひこうき雲』を発表しました。
もともとユーミンは“ちりめんビブラート”と言われる、細かく震えるようなビブラートの持ち主でした。ところが当時のディレクターからビブラートをなるべくかけずに、まっすぐに歌うように指導されたそうです。
それによって、どこか一本調子にも聴こえるほど、ストレートな荒井由美の歌い方が完成しました。
またこの時期のユーミンの歌声には、独特な気怠(けだる)さが感じられます。
前にユーミンからこんなことを聞きました。このころは地声を張って歌うことがあまりなかった、と。言われてみれば、たしかに地声と裏声のあいだで歌っている曲が多いですね。強く歌う、いわゆるパワーボーカルではなく、ちょっと抜いた歌い方です。
それがこの時期のユーミンならではの、アンニュイな感じや暗さみたいなものを醸しだしているような気がします。
地声と裏声の中間に位置する声をミックスボイスと言いますが、彼女のミックスボイスの響きは独特です。
とくに荒井由美時代は、どこまでが地声でどこからが裏声か、自分でもわからないまま歌っているような、不思議な魅力があります。
テクニックを身につけた歌い手は、この音域は地声、この音域は裏声というように、普通はコントロールして歌うものです。でもこの時期のユーミンは地声と裏声のコントロールをしていない。それは歌声の強弱に関しても同様です。だからこそ歌がまっすぐ飛んできます。
「ひこうき雲」を思い浮かべてみてください。白い坂道が空まで続いていた
ゆらゆらかげろうが あの子を包む
誰も気づかず ただひとり
あの子は昇っていく
何もおそれない、そして舞い上がる
空に憧れて
空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲 (作詞・作曲:荒井由美)〈空に憧れて/空をかけてゆく〉というさびのフレーズを、ユーミンは声のニュアンスをコントロールして、情感豊かに歌ったりするようなことはしません。それゆえ悲しい内容の曲に、悲しさだけではない感情が表現されています。
そして何度かサビをくりかえしたあと、最後の〈空をかけてゆく〉で、一度だけハイトーンになって声を張る。
そこには地声とも裏声ともとれるような力強さがあります。
もしテクニックを駆使する歌い手が歌っていたら、歌詞より先にテクニックの部分に耳が行ってしまったかもしれません。でもあえて言うと棒歌いに近い、その無防備な歌い方をすることにより、〈あの子の命はひこうき雲〉と綴る死生観が鮮明に浮かびあがってきます。
まっすぐ歌うことで、曲の世界をまっすぐ伝える。
それが荒井由美時代の楽曲における、ユーミンの歌唱の大きな特徴です。その後、1976年に松任谷正隆さんと結婚して、松任谷由実を名乗るようになってからは、表現の中身が変わっていきました。
荒井由美時代は、十代の少女の感性で書かれた、実体験にもとづく私小説的な楽曲が多かったと思います。でも結婚して以降は、そういった内省的な内容の曲だけでなく、よりポジティブに聴こえる曲が増えていきました。
時代の変化も影響していたような気がします。80年代以降、日本の経済が急速に発展していくのに伴い、華やかで明るい消費文化が拡大していきました。松任谷由美というアーティストは、そういった華やかで明るい時代の象徴のように捉えられるときもありますよね。
とくに「恋人がサンタクロース」(80年)はそんな時代を象徴する曲のひとつです。恋人がサンタクロース
本当はサンタクロース つむじ風追い越して
恋人がサンタクロース
背の高いサンタクロース 雪の街から来た (作詞・作曲:松任谷由美)クリスマスの定番曲として、長く愛されつづけているこの曲が表現しているのは、荒井由美時代の歌詞にはあまり見られないポジティブな恋愛観でした。
そういった歌詞の世界の変化に伴い、歌声も明るくポジティブな雰囲気をまとうようになっていきます。上り調子の世の中を、彼女の声が牽引(けんいん)していくようなムードも当時はあったでしょう。
ユーミンが80年代という時代を写し絵のように表すことができたのは、その歌い方がウェットでなく、無機質なものだったからだと思います。
僕がユーミンと出会った80年ごろは、無防備でコントロールしていない、叩(たた)きつけるような歌い方がまだ残っている感じがしました。
その歌い方が、徐々に無機的でクールなものへと移行していったのは、荒井由美時代のアルバム『14番目の月』(76年)あたりからです。あのアルバムからは、松任谷正隆さんがプロデュースを担当するようになり、サウンドも大きく変化しました。現在のミックスバランスは、ボーカルを大きくして、その後ろにオケがいるというようなものが主流ですが、当時のユーミンの曲ではボーカルのレベルが比較的小さい。でもそれがなんとも言いがたい空気感を生みだしています。
そのようなミックスバランスが成立しているのは、ユーミンの声質が歌詞の聴きとりやすいものだからです。歌詞の聴きとりにくい歌い方をする人だと、必然にボーカルのレベルを上げざるをえません。でもユーミンのボーカルは、レベルをそれほど上げなくても、歌詞がきちんと聴きとれる。
それは彼女が、言葉をひとつひとつ大切にして歌うこととも関係しているでしょう。
「NIGHT WALKER」のような切ないバラードでも、ユーミンは雰囲気に流されず、歌詞をはっきりと歌います。「リフレインが叫んでる」(88年)の〈どうして どうして僕たちは/出逢ってしまったのだろう〉というフレーズなどは、歯切れのいい彼女の歌い方を多くの人たちが真似する、彼女の曲のなかでもとくに有名なフレーズになりました。
歌詞が聴きとりやすいことも、聴く人が曲の世界に入りこみやすくなる要因のひとつです。
さらに言えばユーミンの場合、ミックスバランス以前に、歌詞とサウンドの相性が本当にいいですよね。
おそらくそれは、彼女が制作の終盤になってから歌詞を書くからでしょう。彼女は曲を書いたあと、ある程度までサウンドが仕上がってから歌詞を書く。その過程で、自分の声がいちばんよく聴こえる歌詞を選んでいるのだと思います。ユーミンの曲で歌詞と歌唱、メロディーとサウンドがすべて絶妙にマッチしている理由は、こんなところにあるんです。松任谷由実以降の歌詞では、ユーミンは私小説だけでなく、架空のストーリーを構築していくようになりました。それは主人公のキャラクターを設定し、ロケーションを考え、そこで登場人物を動かしていくという、映画のスクリプトを書くのに似た曲作りの仕方だったような気がします。
そうなるとより大事になってくるのが、そのストーリーを聴く人に擬似体験をしてもらうことです。その点でも、自分の感情を色濃く投影せず、歌詞の世界を無機的伝える、この時期のユーミンの歌い方は効果的でした。
僕の大好きな「夕涼み」や「NIGHT WALKER」、それに「A HAPPY NEW YEAR」(81年)、「私を忘れる頃」(83年)、「ダイヤモンドダストが消えぬまに」(87年)なども、聴く人がストーリーを擬似体験し、その景色のなかに自分の身を置ける前ですよね。
このころのユーミンの楽曲には、“青春”というキーワードが潜んでいます。
たとえば「夕涼み」の歌詞は、青春時代の恋を振りかえるような視点で書かれていました。窓を開けて 風を入れて
むせるくらい吸い込んだね
二人きりの夕涼みは
二度と来ない季節 (作詞・作曲:松任谷由実)アルバム『SURF&SNOW』(80年)で描いたサーフィンやスキーを楽しむ若者たちの姿も青春そのものです。
当時のユーミンは家に学生たちを招き、彼らに聞くことでファッションなどの新しい情報をキャッチしていました。苗場や逗子といったリゾート地でコンサートを始めたことも含めて、学生たちにインスパイアされた部分は大きかったはずです。おそらく曲作りにおいてそうだったのでしょう。これらのことをあわせて考えると、80年代でもっとも重要な曲は「守ってあげたい」(81年)なのかもしれません。
この曲の歌詞が表現するのは、若かったころを振りかえるストーリーと、大切なだれかを守ってあげたいというメッセージです。初めて 言葉を交わした日の
その瞳を 忘れないで
いいかげんだった 私のこと
包むように 輝いてた遠い夏 息をころし トンボを採った
もう一度あんな気持で
夢をつかまえてねSo, You don’t have worry, worry,
守ってあげたい
あなたを苦しめる全てのことから
’Cause I love you, ‘Cause I love you. (作詞・作曲:松任谷由実)ユーミンはそんな曲の世界を、無機的で、ハーモニーを主体にして聴かせます。
サビの〈So, you don’t have to worry, worry〉というフレーズには、「やさしさに包まれたなら」の〈目にうつる全てのことは メッセージ〉と同様の普遍性がありますよね。
その普遍的なメッセージは、もし一声で歌うだけだったら、聴く人に強く伝わらなかったかもしれません。でも三声のハーモニーにしたことで、普遍性を伴う美しさが生まれました。
当時のシンガーソングライターのなかに、そこまでのハーモニーを駆使して曲を作る人はあまりいなかった気がします。
歌詞(字)の部分にハーモニーを付ける、いわゆる“字ハモ”や、全音符(白玉)で「ウー」「アー」とハーモニーを付ける“白玉コーラス”は、もちろん当時から用いる人がいました。でもサビのメロディーをすべて三声のハーモニーにしたシンガーソングライターは、かなり珍しかったはずです。
ユーミンは常日頃、自分の名前は後世に残らなくてもいい、というような話をしています。自分の曲が百年後まで残ってくれればいいんだ、と。それが自分の夢だと言うんですね。
その点で「守ってあげたい」は、80年代のユーミンらしい無機的な歌声と、魅力的なストーリー、そしてそれによって普遍的に届くメッセージが見事に融合した、いつまでも歌い継がれる名曲になったと思います。90年代になるとユーミンは、それまでとは異なるものを曲のなかに込めるようになりました。それは大げさに言うと、人生や魂みたいなものかもしれません。
このころユーミンのキャリアはデビューから20年を経過しました。
でもその勢いは衰えを知らず、88年の『Delight Slight Light KISS』から95年の『KATHMANDU』まで、オリジナル・アルバムは八作連続でミリオンセラーを記録。90年のアルバム『天国のドア』は二百万枚を超える驚異的なセールスを記録しました。
もともと好奇心の旺盛な人ですが、長いキャリアを通じて、さまざまな場所を旅したり、さまざまなアーティストの音楽を聴いたりして、多くの刺激を受けてきたと思います。そういった経験がすべて曲作りに反映されるような時期が90年代でした。
そして80年代までの、時代を映すポップスを生みだしたいという気持ちから、本当に自分の作りたい曲を作ろうという気持ちへと、そのモードは変化していきました。
そのなかで生まれた、90年代のユーミンを代表する曲が「春よ、来い』(94年)です。
「春よ、来い」のメロディーは、そもそもスペイン音楽の哀切なメロディーをイメージして書かれました。それはおそらく、ユーミンが実際にラテンの国々を旅し、経験したなかから発想したイメージだったのでしょう。
つまり初めはまるで異なるイメージの曲だったんです。ところがプロデューサーである松任谷正隆さんが、この曲の歌詞は〈淡き〉から始めようと提案して、そこから古きよき日本をイメージさせる曲へと変わっていきました。淡き光立つ 俄雨(にわかあめ)
いとし面影の沈丁花
溢(あふ)るる涙の蕾(つぼみ)から
ひとつ ひとつ香り始めるそれは それは 空を越えて
やがて やがて 迎えに来る春よ 遠き春よ 瞼(まぶた)閉じればそこに
愛をくれし君の なつかしき声がする (作詞・作曲:松任谷由実)この曲のサビの部分、〈春よ 遠き春よ〉から始まるフレーズは、「守ってあげたい」同様に三声のハーモニーで作られています。コーラスを重ねることによって生まれる倍音の響きが、どちらの曲にも特徴的ですよね。
一方で彼女の歌い方は、「守ってあげたい」と比べると、大きく違うことがわかります。80年代に特徴的だった無機的な歌い方ではなく、魂の底から直接的に聴く人の心を揺らすような歌い方に変化しています。
シンガーソングライターが作る曲には、自分がその曲を作りたい動機や、歌いたい動機があるはずです。そして強い動機にもとづいて作られた曲こそ、強い力がこもるはずです。
その動機が社会や時代に根差していた時期が、ユーミンにもあったと思います。でも「春よ、来い」を聴くと、このころのユーミンが時代性とは無関係に、自分の表現したい世界を表現しようとしていた、その純粋な力強さを感じます。「春よ、来い」はストレートなコード進行も特徴的です。
ユーミンのコード進行には、大きな特徴がいくつかあります。
ひとつは、クラシック音楽や、クラシック音楽をベースにしたイギリスのロックに影響を受けたコード進行です。それはユーミンが中学、高校とミッションスクールに通い、教会音楽に親しんだこととも関係しているでしょう。実際、彼女は学校のパイプオルガンや、パイプオルガンを使用したイギリスのロック・バンド、プロコル・ハルムに強く影響を受けたという話をしています。
パイプオルガンやチェンバロが似合いそうなコード進行は、荒井由美時代の曲に多く見られます。代表的な曲は「ひこうき雲」や「翳りゆく部屋」(76年)ですね。ひとつのコードに対して、ベースが半音ずつ下がっていく下降フレーズが印象的です。
他に特徴的なのは、メジャーセブンスのコードと、転調を効果的に用いたコード進行だと思います。代表曲を挙げるなら、「COBALT HOUR」(75年)や「中央フリーウェイ」でしょうか。たとえば「中央フリーウェイ」は、メジャーセブンスのコードを多く用い、Aメロのなかだけでも何度も転調を行います。
ユーミンは以前、パズルを解くみたいにして曲を書く、と話していました。サビに向けて盛りあげていくところを、あえて違う展開にしたり、普通なら流れるようなメロディーを何度も跳躍させたり、いくつもの要素を組み立てるようにして曲を作るというんです。
私は自分の歌唱力以上の曲を書くんだ、とそのときは笑っていました。自身の声を器楽的に捉え、楽器を鳴らすようにして歌っていたこともあるでしょう。
一方で「春よ、来い」には、そういった洒落(しゃれ)っ気が見られません。コード進行は比較的シンプルで、〈春よ 遠き春よ〉と歌うサビの8小節は、F6→G→Amというコード進行を四回くりかえすだけです。
転調させようと思えば、いくらでも転調させることができたはずです。もっと泣けるコードを作ることだってできたでしょう。でもあえて同じコード進行をくりかえしている。
なぜかというと、そのほうが普遍的だからです。転調に凝った曲にしたら、ファッショナブルな曲になってしまう。そうではなく、ストレートに歌うことで、時代性を問わない曲にしたかった。それが「春よ、来い」を大ヒットに導いた大きな理由のひとつだと思います。
90年代には「春よ、来い」や「真夏の夜の夢」(93年)、「Hello, my friend」という、ユーミンのキャリアを代表するヒット曲が生まれました。それは70年代、80年代の経験を経て、自分の血となり肉となっていったさまざまな要素をすべて曲に盛りこんでいった、その成果と言えるはずです。『ユーミンの歌声はなぜ心を揺さぶるのか』 第一章 より 武部聡志:著 集英社:刊
デビューから50年以上にわたり、日本の音楽シーンの第一線で活躍を続けるユーミン。
その裏には、曲や歌詞だけでなく、歌い方まで、流行に合わせて変化させてきた努力があるのですね。
自分らしさは失わず、しかし、時代に合わせて少しずつアップデートを重ねていく。
ユーミンに限らず、どの分野でも、長く愛される人や商品は、そのようなものなのでしょう。
「松田聖子」の“陽”、「中森明菜」の“陰”
80年代のアイドルの中ででも、飛び抜けて高い歌唱力を持っていたのが松田聖子さんと中森明菜さんです。
1980年にデビューした聖子さんと、1982年にデビューした明菜さん。
このふたりは、ライバルのように捉えられ、よく比較されてきましたが、まったく異なるタイプのボーカリスト
です。
武部さんは、聖子さんが“陽”だとすれば、明菜さんは“陰”
であり、聖子さんの声質には持って生まれた明るさがあり、あの明るさが彼女の歌の最大の持ち味
で明菜さんの歌はどこか悲しげに聴こえ、それは彼女の声そのものに憂いや陰りがあるから
だと指摘します。
ふたりは飛びぬけた歌唱力を誇っただけでなく、個性的な歌唱スタイルの持ち主でもあります。
具体的な曲に即して、それをみていきましょう。
聖子さんは、自分の明るい声がいちばん明るく聴こえる歌い方を、みずから意識的にしていたと思います。彼女の歌唱法のなかでも、とくに特徴的なのは語尾の音をひっくりかえす技法、いわゆる“しゃくり”です。
彼女以前の女性ボーカルのなかにも、同様のしゃくりを用いていた人はいるかもしれません。キャンディーズの「年下の男の子」(75年)にも、それはところどころで使われています。女性ボーカルがギリギリの高音を歌うときの、音がひっくりかえりそうになる魅力というのは、もちろん70年代以前の曲にありました。
でも聖子さんは、そのしゃくりを“聖子節”として積極的に活用しました。彼女の歌真似をする人は、みんな必ずしゃくりを用いますよね。
彼女のしゃくりがもっとも顕著なのは「瞳はダイアモンド」です。
ユーミンが呉田軽穂(くれたかるほ)の名義で作曲した曲ですが、聖子さんに提供した数々の曲のなかで、ユーミン自身がいちばん気に入っているのがこの曲だと聞きました。聖子さん側のオーダーとは関係なく、自分の書きたいように書いた曲で、分数コードを多用したシティ・ポップ調のバラード曲に仕上がっています。
アレンジを手がけているのは松任谷正隆さん。Aメロの後半に当たるフレーズを頭で使っているのが斬新です。普通はそんな使い方はしませんから。
聖子さんの歌は音程が少しシャープ気味です。ところどころ実際の音符より高めの音程で歌っています。だから余計に明るく聴こえるのかもしれません。
サビの部分に注目してください。Ah 泣かないで MEMORIES
幾千粒の雨の矢たち
見上げながら うるんだ 瞳はダイアモンド (作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂)〈瞳はダイアモンド〉と歌う、〈瞳は〉の語尾の音がひっくりかえりますよね。サビのメロディーは三度くりかえされますが、最後の三回目では〈Ah 泣かないで MEMORIES/私はもっと 強いはずよ〉の〈Ah〉〈私〉〈強い〉もひっくりかえります。
同じくユーミンがこの前年に作曲したバラード曲「赤いスイートピー」と比べると、その違いは明らかです。「赤いスイートピー」の聖子さんは、しゃくりを用いることなく、かなりまっすぐに歌っています。
一方、「瞳はダイアモンド」ではサビの部分にしゃくりを用いることで、タイトルでもある〈瞳はダイアモンド〉のワードが強調され、より印象深く聴こえます。
80年代のアイドルは多忙なスケジュールを縫うようにしてレコーディングをしていました。1時間の空きができると、スタジオに来て、パッと歌入れをして、次の仕事に移動するんです。当然、何テイクも収録することはできません。
そのような厳しい条件のもとで、これだけクオリティーの高いパフォーマンスを残せるのだから、聖子さんの歌唱力がいかに高かったかがわかります。聖子さんの歌唱力は、音程のよさに支えられたものではありません。むしろ音程に限っていえば、「瞳はダイアモンド」に残されたテイクも、それほど正確なものではありません。
でもそれを補って余りあるほど、聖子さんの歌唱には豊かな表情があります。歌詞に書かれた情景や心情を聞く人に喚起するような、高い表現力と説得力が彼女の歌には兼ねそなわっています。
その歌唱力が存分に発揮された曲のひとつが「瑠璃色の地球」でしょう。
「瑠璃色の地球」は彼女が結婚と出産を経て、一時活動を休止していたリリースされたアルバム『SUPREME』(86年)の収録曲です。このアルバムで僕は「瑠璃色の地球」をはじめ、5曲のアレンジを手がけました。
「瑠璃色の地球」を作曲した平井夏美さんというのは、CBS・ソニー(当時)のディレクターでもあった川原伸司(しんじ)さんの変名です。彼は同じ平井夏美の名義で、井上陽水さんの「少年時代」(90年)も作曲しています(井上との共作)。
作詞はもちろん松本隆さんです。松本さんはこの曲の歌詞に、母親になった聖子さんへの特別な思いを託したのだと思います。等身大のラブソングだけではない、より大きな愛を歌えるボーカリストになってほしい、と。
聖子さんも、きっとその意をくんだのでしょう。それまでととは明らかに異なる、聴く人を包み込むような歌い方をしています。『SUPREME』の曲すべてがそうですが、なかでも「瑠璃色の地球」は、その表現力や説得力において他のバラードとは一線を画す曲です。夜明けの来ない夜は無いさ
あなたがポツリ言う
燈台の立つ岬で
暗い海を見ていた
悩んだ日もある 哀(かな)しみに
くじけそうな時も
あなたがそこにいたから
生きて来られた朝陽(あさひ)が水平線から
光の矢を放ち
二人を包んでゆく
瑠璃色の地球 (作詞:松本隆、作曲:平井夏美)歌詞の情景や心情を歌うというより、ほとんど祈りのような歌ですよね。キー設定は一連のヒット・シングルより低く、それもあって、彼女の声のふくよかさがしっかりと感じられます。
声を張らずに歌えるキーなので、落ち着きや力強さが顕著です。そして大サビの歌詞〈ひとつしかない/私たちの星を守りたい〉のメッセージが、強い説得力とともに届きます。
僕はアレンジャーとしてまだ駆けだしのころでしたから、彼女の歌を生かすこと以上に、歌詞の世界をサウンド化することに強い意識を向けていたかもしれません。
〈朝陽が水平線から/光の矢を放ち〉というサビの、夜明けの光が差しこむイメージを、どうすれば音像としてかたちにできるのかに集中していました。転調するところからマーチングのようなスネアドラムが加わるのは、朝陽が差すイメージからです。
現在のレコーディングのスタイルと違い、当時はオケができあがったあとに歌入れをしていたので、聖子さんの歌を聴いてアレンジしたわけではありません。でも歌入れが終わったあと、彼女の歌を聴いたときに、曲と歌詞の世界が見事に表現されていて感嘆しました。
その曲が伝えたいことを、ちゃんと表現できるかどうか。それが歌い手にとっては、もっとも大事なことです。情景や心情、メッセージといったものを、歌声によってきちんと表現できる人、それこそが優れた歌い手ですし、聖子さんは間違いなくそのなかのひとりだと思います。
名曲として語り継がれる曲には、優れた歌詞やメロディー、アレンジだけでなく、説得力のある歌唱が必要なんですよね。「瑠璃色の地球」を聴くたびに、いつもそう感じます。「瑠璃色の地球」が発表された86年、明菜さんは「DESIRE -情熱-」をリリースしました。
聖子さんの明るさとは対照的に、明菜さんの声には強い憂いを感じます。切なさや苦しさを、その細かいニュアンスまで表現するのが彼女は上手です。それを可能にしているのが、音域が広く深い彼女のビブラートでしょう。
その代表的な曲をひとつ挙げるとしたら、やはり「DESIRE -情熱-」になるでしょうか。
Aメロの平歌の部分は、低音で、抑えを利かせて歌っています。やり切れない程
退屈な時があるわ
あなたと居ても喋(しゃべ)るぐらいなら
踊っていたいの 今は
硝子(ガラス)のディスコティック (作詞:阿木燿子、作曲:鈴木キサブロー)どこか山口百恵さんの歌声を彷彿させますよね。抑え気味に歌っているのに凄みがある。百恵さんの多くのヒット曲を手がけた阿木燿子(あきようこ)さんが歌詞を書いているのも、この曲に百恵さんの残り香みたいなものを感じる理由かもしれません。
そしてサビに向かって、歌声は力強さを増していきます。そう みんな堕天使ね
汗が羽のかわりに飛んでいる
何にこだわればいいの
愛の見えない時代の
恋人達ねまっさかさまに堕ちて desire
炎のように燃えて desire
恋も dance, dance,
dance, dance ほど
夢中になれないなんてね
淋(さび)しいGet up, Get up,
Get up, Get up
Burning heart (作詞:阿木燿子、作曲:鈴木キサブロー)ビブラートが印象的なのは、有名な〈Get up, Get up, /Get up, Get up/Burning heart〉のフレーズの最後、〈heart〉と声を伸ばすところです。これぞ明菜節と言いたくなるような、彼女らしいビブラートを聴くことができます。
おそらく明菜さんは、ビブラートの振れ幅や深さを自在にコントロールできたに違いありません。曲のなかのもっとも効果的なポイントを考えたうえで、ビブラートをかけていると思います。
そういった意味では、聖子さんよりもテクニカルなことを意識した歌い手なのかもしれません。聖子さんは曲の世界を表現することをなによりも大事にしていましたが、明菜さんにはうまく歌いたいという気持ちも強くあったような気がします。
どちらかというと、明菜さんのほうが70年代以前の歌謡曲に近い歌唱スタイルですよね。深いビブラートによって、恨みつらみすら表現してしまう。情念に似たものを感じさせるのが、ビブラートを多用した明菜さんの歌唱です。
「AL-MAUJ(アルマージ)」(88年)は僕がアレンジを手がけた曲ですが、この曲でもフレーズの語尾ごとにビブラートがかかり、最後のフレーズ〈こ・こ・ろ ヒ・ラ・ヒ・ラ〉語尾の部分ではひときわ深いビブラートがかかります。
「AL-MAUJ」はアラビア語で“波”を意味していて、アラビアを強くイメージした曲です。明菜さんの曲には、これ以外にも「ミ・アモーレ」や「SAND BEIGE -砂漠へ-」(85年)など、エスニックな曲が多くあります。明菜さんのビブラートや、翳りのある声質が、そういった曲と好相性なのかもしれません。
聖子さんには、この手の曲はありませんでした。聖子さんの曲は、たとえアップテンポでもリズムの柔らかいものが多く、明菜さんのほうがリズムの立つ曲が多かった。リズムにエッジが効いているんです。
80年代アイドルを代表するふたりが、ここまで対照的なのも面白いと思いませんか。『ユーミンの歌声はなぜ心を揺さぶるのか』 第四章 より 武部聡志:著 集英社:刊
当時、アイドル人気を二分していた、松田聖子さんと中森明菜さん。
ルックスや性格だけでなく、歌についても抜きん出た存在でした。
二人が、これまで現れた数あるアイドルの中でも、特別で伝説的な存在となったこともうなずけますね。
今、最も優れた歌い手は「玉置浩二」である!
今、日本で最も優れた歌い手は誰か。
そんな問いに、武部さんは、それは間違いなく玉置浩二さんだ
と答えています。
玉置さんが安全地帯でデビューしたのは1982年、翌83年の「ワインレッドの心」のヒットをきっかけに人気を獲得し、自身はバンド活動と並行して87年にソロ活動を開始しました。96年には代表曲「メロディー」、「田園」を発表しています。
玉置さんの優れた点は、強く歌っても、弱く歌っても、歌をちゃんとコントロールできるところです。そして言葉の持つ意味や、その言葉の響きをきちんと伝えられるところです。
くわえて、ピッチコントロールの正確さも飛びぬけています。なおかつ感情を揺さぶる声質で、ビブラートの振れ幅が広い。非の打ちどころがない歌い手です。
なかでも最大の魅力は声質だと思います。少し紗(しゃ)がかかったような、スモーキーで甘い声は、彼が安全地帯でデビューしたころから変わりません。
一方で、歌い方はキャリアとともに変化してきました。デビューした当初はいまよりもソリッドで、力任せに歌うところもありましたが、最近は余裕のある穏やかな歌い方にシフトしてきました。年相応に速球派から技巧派のピッチャーへと転身した、という感じでしょうか。
ピッチが正確で、リズム感もいい。もちろんそういったテクニカルな部分も玉置さんは優れていますが、それ以上に他の歌い手たちが一目置くのは感情表現の部分です。
あるときは柔らかく、小さな声で。でもここぞというときは、とてもパワフルに。ピアニッシモからフォルテッシモまで幅が広く、緩急の自在な玉置さんの歌唱は、だれよりも豊かな感情を曲に乗せることができます。その感情が聴く人にきちんと伝わるのは、歌詞を伝える力に長けているからでもあります。それは玉置さんが優れた歌い手であると同時に、優れたメロディー・メイカーでもあることと大きく関係しているかもしれません。
これは推測ですが、玉置さんが書くメロディーには、あらかじめ言葉が内在しているのではないでしょうか。
たとえば安全地帯の初期のころから、玉置さんが作曲する曲の多くでタッグを組んできた作詞家の松井五郎さんは、「玉置のメロディーが言葉を呼んでくる」というふうに話していました。歌詞を書くというよりも、玉置さんのメロディーのなかから彼が歌いたい言葉を探している、というんですね。
V6の「愛なんだ」(97年)は、玉置さんが曲を、松井さんが詞を書いた曲です。この曲を作る際などは、あのメロディーに〈愛なんだ〉以外の言葉は思い浮かばなかった、と松井さんは話しています。
玉置さんのメロディーにはそういった言葉が、もともと含まれているのかもしれません。しかもそれは、多くの場合がシンプルなメッセージです。
実際、玉置さんがみずから作詞も手がけた「メロディー」や「田園」(須藤晃(あきら)と共作)で歌ったのは、シンプルで大切なメッセージでした。たとえば「田園」なら、〈生きていくんだ それでいいんだ〉というフレーズにすべてが凝縮されていますね。生きていくんだ それでいいんだ
ビルに飲み込まれて 街にはじかれて
それでも その手を 離さないで
僕がいるんだ みんないるんだ
愛はここにある 君はどこへもいけない (作詞:玉置浩二・須藤晃、作曲:玉置浩二)そのシンプルな言葉を、あの魅力的な声質と緩急巧みな歌唱で伝えるのですから、聴く人の心に響くのは当然です。
では実際に曲と照らし合わせて、具体的に玉置さんの歌唱の特色を見ていきましょう。
僕が初めてその歌唱に驚かされたのは、安全地帯の「ワインレッドの心」です。
この曲では、〈今以上 それ以上 愛されるのに〉と歌うサビのフレーズのところで、メロディーが低音から高音へと跳躍します。その飛びあがるメロディーを、まったく不安定にならずに、絶妙なピッチコントロールで歌う玉置さんの歌唱を聴いて、なんて音程の正確な人なのだろうと思ったのが最初です。玉置さんは高耳でも低耳でもなく、音符のジャストのところを歌います。
「悲しみにさよなら」(85年)も安全地帯の曲ですが、これは玉置さんが歌う曲のなかでも、楽曲そのものがとにかく優れていますよね。
玉置さんのビブラートはエモーショナルです。琴線に触れるビブラートとでもいうんでしょうか。ビブラートの震えと感情の揺らぎがあいまって、聴く人の心に突き刺さります。一言でいうと、泣かせるビブラートです。
一方で玉置さんは、ささやくように歌うのも得意です。たとえば「メロディー」では、小さな部屋のなかで、目の前の人に歌ってきかせるみたいな歌い方をしています。あんなにも 好きだった きみがいた この町に
いまもまだ 大好きな あの歌は 聞こえてるよ
いつも やさしくて 少し さみしくてあの頃は なにもなくて
それだって 楽しくやったよ
ぼくたちは 幸せを 見つめてたよ (作詞・作曲:玉置浩二)〈あんなにも 好きだった〉から始まるAメロは、おそらく全力の30パーセント程度のピアニッシモです。
普通、ピアニッシモで歌うと、ピッチコントロールは甘くなります。強く、声を張って歌うほうが、ピッチを正確に保てるんです。でも玉置さんの場合、どれだけピアニッシモで歌っても、ピッチがまったくぶれません。
このAメロは、他の人ならもっと強く歌っていたと思います。でもあえて抑えて歌っている。そして抑えに抑えてから、サビの〈メロディー 泣きながら〉のフレーズに力を込めます。かなり弱い音から強い音へ飛ぶ、このピアノとフォルテの使い分けが見事です。
彼の曲には、抑えて、抑えて、一気に強く張るという、このような構成の曲が他にもあります。それにより彼の歌唱の魅力が最大限に引き出されることを、おそらく自覚しているのでしょう。
「メロディー」はこれまで多くの人たちにカバーされてきました。でも残念ながら、玉置さんを上回る歌唱はだれにもできません。難しいのは、やはり強弱の付け方です。とくにサビで声を張る部分は、玉置さんと比べて、どうしても強く歌いがちです。
玉置さんは声を張りながら、同時に力を抜いて歌います。実は歌唱において、本当に難しいのは力を抜くことなんです。これは歌唱だけでなく、楽器演奏も同様ですね。
力を抜いて歌える。そして人を感動させる歌が歌える。その最右翼と言える歌い手が玉置さんなのです。
その点、キャリアを積んで、さらに力を抜いて歌うようになった最近の歌唱は、味わい深さが増しました。「悲しみにさよなら」にしても「メロディー」にしても、現在の玉置さんの歌唱がいちばん魅力的だと思います。
ちなみに玉置さんが作曲、ぼくが編曲を手がけた曲に、小林麻美(あさみ)さんの「悲しみのスパイ」(84年)があります。そのレコーディングのとき、スタジオまで来てくれた玉置さんに、その場で急遽(きゅうきょ)コーラスを付けてもらいました。
驚いたのは、「次は三度上のハーモニー」「今度は三度下のハーモニー」という指示に対して、玉置さんが即座に応じていったことです。ハーモニーのラインをきちんと確認しなくても、彼はコードとぶつかるのを避けて、的確なハーモニーを付けることができた。コーラス・ダビングあっという間に、わずか三十分ほどで終わりました。
クオリティーもさることながら、その瞬発力のすさまじさ。ほとんと動物的と言っていい勘の持ち主なのでしょう。『ユーミンの歌声はなぜ心を揺さぶるのか』 第五章 より 武部聡志:著 集英社:刊
声量、声質、テクニック、ディナーミックのつけ方、感情表現、さらには耳の良さ。
それらがすべてが最高レベルで備わっているのが、玉置浩二さんです。
さすがは、40年以上にわたって、第一線で活躍し続けている日本を代表する歌い手ですね。
最も優れた女性ボーカルは「MISIA」!
武部さんは、日本でもっとも優れた女性ボーカルを挙げるなら、それはMISIAさんで間違い
ないと述べています。
MISIAさんは1998年に「つつみ込むように・・・」でデビューし、「Everything」(00年)を250万枚超のミリオンセラーに導くなどして、90年代末以降に次々と登場した女性R&Bシンガーのブームを牽引しました。
彼女は5オクターブの音域を生かしたボーカル・テクニックや、そのテクニックに裏打ちされた非凡な表現力を持ち合わせています。
しかしなによりも秀でているのは、ひと声出しただけで瞬時にまわりを巻きこむ、圧倒的な力です。
彼女とはともに作品作りをした経験はありませんが、彼女がユーミンと一緒にステージに立った際、バックで演奏したことがあり、その歌唱に衝撃を受けました。
もちろんそれまでにも彼女の楽曲は聴いていましたし、パフォーマンスする映像も観ていたので、すごい歌い手だということは知っていました。ところがその認識を凌駕(りょうが)するほどのオーラに愕然(がくぜん)としました。
覚えているのは、彼女の歌唱に引っ張られて、バンドの演奏がリハーサルとは別物のように変わったことです。歌に対する彼女の情熱が周囲を包みこみ、ミュージシャンたちに火をつけたんですね。
もしかしたら海外のミュージシャンのなかには、そういった歌い手も多いかもしれません。卓越したボーカル・スキルを持ちつつ、ミュージシャンシップにも長けていて、オーディエンスに力強くアピールできる歌い手が。でも日本には、そのすべてを備えた人はなかなかいません。
歌唱も含めて、彼女のパフォーマンスに触れると、その場にいる人たちがみんなハッピーな気持ちになります。それはなによりもまず、彼女自身が歌うこと、パフォーマンスすることを心底から楽しんでいるからです。
彼女は社会的な問題に対しても積極的にメッセージを発信していますが、歌の力で世の中を変えていきたいと考える、その思いの強さも歌唱には反映されているでしょう。彼女の歌唱は、そのうまさだけではなく、歌への前向きな姿勢で聴く人の心を打つのです。もちろん彼女には突出したボーカル・テクニックが備わっています。その音域の広さや、いわゆるホイッスルボイスがそうです。ホイッスルボイスというのは、裏声のさらに上の音域を出す声のことで、人間が発声できるもっとも高音の声と言われています。
ホイッスルボイスの持ち主であるMISIAさんの音域は、たしかに他のだれよりも広く、一音を長く伸ばすロングトーンは驚異的です。でも彼女は、たとえ高音やロングトーンを強調した楽曲でも、そのスキルをひけらかしません。彼女が大事にしているのは、もっと別のものです。
彼女の歌唱では、いま私は歌を歌いたい、みんなと一緒に音楽を奏でたい、という魂の部分がなによりも際立ちます。
周囲のミュージシャンやオーディエンスとのあいだに一体感を生むのは、テクニックやスキルではなく、そのソウルなのです。だから彼女の歌を聴いていると、同じ夢や希望を彼女と共有しているような気にさせられます。
ボーカルのレンジが広い人、ロングトーンが得意な人は、探せばきっと他にも見つかるはずです。でもMISIAさんのようにソウルフルに歌える人は、なかなか見当たりません。
抜きん出た技術の持ち主でありながら、だれよりも魂を込めて歌えるとなると、ほとんど鬼に金棒ですよね。
代表曲「Everything」は、松本俊明さんによるメロディーも、冨田恵一さんによるアレンジも絶品です。あれほどテンションの効いた、難しいコードワークの曲が250万枚を超えるセールスを記録したなんて、本当に驚きです。
MISIAさんは自身の多くの曲で詞を書いていますが、この曲もみずからの手によるものです。すれ違う時の中で
あなたとめぐり逢えた
不思議ね 願った奇跡が
こんなにも側(そば)にあるなんて (作詞:MISIA、作曲:松本俊明)低音部で歌うこのAメロだけで、すでに十分な説得力があります。この曲はMISIAさんのハイトーンを強調しません。彼女はメロディーを大事にして、ひとつひとつの音符を丁寧に歌っています。
ビブラートがとてもきれいですよね。いきなりビブラートをかけるのではなく、まず音を伸ばして、あとからビブラートをかけていく。ゾクっとするようなビブラートです。
90年代末以降、レコーディングの技術は進化し、ボーカルのピッチ補正は容易になりました。ところがこの曲をあらためて聴きなおすと、彼女はピッチをほとんど直していません。プロでなければ気づかない違いかもしれませんが、それが有機的なあたたかみを生んでいます。
バラード曲というのは、多くの人が自分に酔い、歌いあげるようにして歌います。これだけ壮大なバラードなら、なおさらそうなってしまいそうです。でも彼女は聴く人に語りかけようにして歌っています。なかなかこうは歌えません。やはりけた違いのボーカルです。
ただ個人的には、こういったバラード曲以上に、ゴスペル調の楽曲を歌う彼女の歌唱に圧倒されます。たとえば2011年のアルバム『SOUL QUEST』に収録されている「明日へ」。明日へ 明日へ 明日へと 歌おう (作詞:MISIA、作曲:松本俊明)
ピアノの伴奏と彼女の声のみのシンプルな楽曲ですが、このリフレインからは彼女がこの曲に込めた魂を感じることができます。
『ユーミンの歌声はなぜ心を揺さぶるのか』 第六章 より 武部聡志:著 集英社:刊
紅白歌合戦でも何度も大トリを務め、オリンピックなどの大イベントでも国を代表してパフォーマンスを披露しているMISIAさん。
人気実力ともに、日本を代表するシンガーの一人であるのは間違いありませんが、プロの目から見ても別格なのですね。
MISIAさんは、ホイッスルボイスや圧倒的な声量などのスキルの素晴らしさが強調されがちです。
しかし、彼女の最大の特長は、やはり彼女のソウル。
魂から溢れ出る圧倒的なエネルギーが、聞き手を惹きつけるのでしょう。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
武部さんの歌い手に関する考え方のベース。
それは、うまい歌い手がすなわち優れた歌い手ではない、という価値観
だとおっしゃっています。
歌い手にとって、最も大切なのは「伝える力」であり、それを引き出すのが自分の仕事。
そう信じて、キャリアを積み重ねられてきた武部さんだからこそ、説得力がありますね。
プロの目線から論じた、プロのボーカル論。
なんで、あの人の歌は、私たち聴き手の心に響くのか。
なんで、あの人の歌は、うまいのに心に残らないのか。
私たちが、なかなか言葉にできない「なぜ?」を、ものの見事に表現してくれている一冊です。
ぜひ、皆さんもお手に取ってみてください。
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