【書評】『諦める力 』(為末大)

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 お薦めの本の紹介です。
 為末大さんの『諦める力 〈勝てないのは努力が足りないからじゃない〉』です。

 為末大(ためすえ・だい)さん(@daijapan)は、400mハードルを専門とする元陸上選手です。
 オリンピックには3大会連続で出場し、世界選手権では日本人としてトラック競技初のメダルを獲得されるなど、日本のトラック競技の開拓者として長年ご活躍されました。

「諦める」ことは「明らめる」こと


「諦める」という言葉には、後ろ向きでネガティブなイメージがありますね。
 日本人には、「結果が出なくても最後までやり通すのが美徳である」という風潮もあります。

 たしかに、目標に向かって最後まで全力を尽くすということは素晴らしいことです。
 しかし、それはすべての人、すべての場合に当てはまることなのでしょうか。

 為末さんは、あるお寺の住職との対談で「諦める」という言葉の語源は「明らめる」と知ります。
 仏教で「諦める」とは、真理や道理を明らかにしてよく見極めるという意味。
 むしろポジティブなイメージを持つ言葉なのですね。

「諦」という漢字には、「思い切る」「断念する」という意味より先に、「あきらかにする」「つまびらかにする」という意味が記されています。

 為末さんは、「諦める」という言葉を見つめ直すと自分の才能や能力、置かれた状況などを明らかにしてよく理解し、今、この瞬間にある自分の姿を悟るイメージが浮かび上がると指摘しています。

「諦める」ことで前に進む。
「諦める」ことから新たに始まる。

 本書は、そんな為末さん独自の発想から得られる処世術をまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「手段を諦めること」と「目的を諦めること」の違い

 

 為末さんは、何かを「やめる」ことは「選ぶ」こと、「決める」ことに近いと述べています。

 為末さんは、もともと陸上の花型種目である100メートルの選手でした。
 しかし、18歳のときに限界に気づき、400メートルハードルへの転向を決意します。

 当初は100メートルを諦めることに強い葛藤を感じていました。
 ただ、時間が経つにつれて、400メートルハードルを選んだことが腑(ふ)に落ちていきます。
「勝つことを諦めたくない」という腹の奥底にある本心に気づいたからです。

 多くの人は、手段を諦めることが諦めだと思っている。
 だが、目的さえ諦めなければ、手段は変えてもいいのではないだろうか。
 僕は400メートルハードルに移ってからほぼ3年間、いろいろなことを試行し、また、思考し続けた。最初は自分を納得させたい一心だったが、自分の置かれた状況と自分の持っている身体や能力を客観的に分析していった結果、「400メートルハードルに移ってよかった」という結論にたどり着いた。
 陸上界で最も「勝ちにくい」100メートルを諦めて、僕にとって「勝ちやすい」400メートルハードルにフィールドを変えたのは、僕が最も執着する勝利という目的を達成するために「必要だった」と納得できたからだ。
 400メートルハードルは、100メートルに比べて競技人口が圧倒的に少なく、当時はまだそれほど多くの国が参入していなかったこともあって、戦略的にも洗練されていなかった。だから「華やかさに欠け、注目されない」種目だったとも言える。しかし、見方を変えれば「だからこそ勝ちやすい」のである。
 100メートルで決勝にも出られない人間と、400メートルハードルでメダルを取れる人間。どちらに価値があると自分は思うのだろうか。
 問いを変えることで、答えも変わってくるのである。

 『諦める力』 第1章 より 為末大:著 プレジデント社:刊

 目的が具体的で、達成しようとする気持ちが強い。
 そんなときほど、視野が狭くなり、ひとつの手段にこだわりがちです。
 いつの間に、手段と目的が入れ違ってしまうことも往々にしてあります。

 自分にとっての最終目標は何なのかをしっかり把握すること。
 そして、そこに至るまでの手段をさまざまな角度から模索すること。

 それが大事だということですね。

「せっかくここまでやってきたんだから」という呪縛


 経済学に「サンクコスト」という考え方があります。
 サンクコストとは、「埋没費用」で、過去に出した資金のうち回収できない資金のことです。

 日本人は「せっかくここまでやったのだから」という考えに縛られ、サンクコストを切り捨てることが苦手な傾向があります。

 諦めて踏ん切りをつけるべきタイミングは、“この瞬間”という明確なものはありません。
 為末さんは、あえて言うならば「体感値」なのではないか、と述べています。
 成功の確率が、何パーセントになったら踏ん切りをつけるべきかというのを、感覚的に決めておくといいとのこと。

 僕は小学校などでかけっこの授業をするときに、子どもたちにハードルを跳んでもらうようにしている。目的は二つあって、一つはハードルという目標物があると走りにリズムが生まれてかけっこにいいということ、もう一つは自分の飛べる高さはどのくらいかということを体感で知ってもらうことだ。
 ハードルを全力で飛ぶと、自分で思っているよりももっと高く飛べるんだということもわかるし、今の自分では飛べない高さがあることもわかる。人間は本気で挑んだときに、自分の範囲を知る。手加減して飛べば本当はどのくらい飛べたのかがわからない。だからいつも全力でやってほしいと子どもたちに言っている。
 飛べるかどうかわからない高さだから引っ掛けて転ぶこともある。そこで初めて自分の範囲を知る。これは飛べる高さ。これは飛べる幅。そこがわかってくることが大切なのだ。この目標は達成できる。この仕事はこの期間でやりきれる。人間はいつも自分の範囲と外的環境を見比べて、「できるかどうか」をほとんど無意識に決めている。

 全力で試してみた経験が少ない人は、「自分ができる範囲」について体感値がない。ありえない目標を掲げて自信を失ったり、低すぎる目標ばかりを立てて成長できなかったりしがちである。
 転ぶことや失敗を怖れて全力で挑むことを避けてきた人は、この自分の範囲に対してのセンスを欠きがちで、僕はそれこそが一番のリスクだと思っている。

 『諦める力』 第2章 より 為末大:著 プレジデント社:刊

 諦めるタイミングの「体感値」。
 投資における「損切り」の感覚に近いです。

 実際に損を確定して手仕舞うこと。
 頭ではわかっていても、慣れていない人にはかなりの抵抗感があります。

 転んだり、躓(つまず)いたりするくらい全力で走ってみる。
 そうすることで、はじめて自分の実力を知り、自分の範囲を知ることができます。

 普段から何ごとも失敗を恐れず、全力で挑む。
 その習慣をつけておくと、いざというときの進退の決断にも、役に立ちます。

金メダルは、何の種目で取っても金メダル


 誰も手をつけていない勝ちやすい分野で勝負することを「ニッチ(すき間)を狙う」といいます。
 ビジネスの場合、そのような戦略が成功すれば賞賛されます。
 ただ、スポーツなど他の分野では、そうではありません。

 選手がより金メダルの可能性が高い種目に移り、そこで勝負する。
 その場合は、逆に避難される場合もあります。

 自分が強みを持っている分野で、より競争の激しくないところで戦う。これが勝負の鉄則だ。しかし、その考えに抵抗感を持っている人は多い。
「なんでおまえは競争を勝ち抜いていこうという覚悟がないんだ」
 人はそう言われることを怖れる。この怖れの原因は、自分のことを正確に分析しきれていないことである。
 僕も自分の限界を認めることに対しては、激しい抵抗を感じた時期があった。しかしやがて気づいたのは、どこかのタイミングで「自分はこんなものでしかない」ということを一度受け入れなければならないということだ。「このぐらいが自分なんだ」ということを知る、といってもいい。
 自分という存在のままこのフィールドで勝てるのか。それとも、もっと楽に勝てるフィールドが別にあるのか。僕はこう考えて、勝負する競技を思い切って変えた。そのとき僕が徹底的に考えたのは、今の自分の力で「やりたいこと」をやるのか、それとも「できること」をやるのか、どちらを取るかということだった。熟考した結果、最も諦めたくなかったのが「勝負すること」だった。
 自分のことを正確に認識し、その自分が通用する世界をきちんと探す。僕はこれが勝負の世界への入り口だと思っている。

 『諦める力』 第4章 より 為末大:著 プレジデント社:刊

「この分野では、努力しても自分は勝てない」

 そう思ったら、さっさと撤退すること。
 そして、ライバルが少なく自分の長所を活かせる分野を開拓することです。
 ビジネスに限ったことではなく、すべてのことに言えることですね。

「ニッチを狙う」ために必要なこと。
 それは、『これだけは諦めたくないという「こだわり」を持つこと』『自分自身の長所や短所を正確に把握すること』です。

「その分野で勝つための努力をする」から「努力して勝てる分野を見つける」。
 発想を転換することで、新たな道を切り拓くきっかけになります。

「オンリーワン」の落とし穴


 人間を含めて生物の世界は、“適者生存”の法則に従って進化してきました。
 環境に適応した遺伝子が残り、そこには明らかな競争があります。

 為末さんは、「個人の能力に優劣はなく、あるのは違いだけ」ということを徹底して競争を否定する集団は勢いを失い、他の集団との競争で敗れるだろうと述べています。

 競争に背を向けるのも個人の自由である。でも社会はある基準で測った「優秀な人」をもてはやす。人は他者にある程度評価されなければ、自分の価値を感じられない生き物である。世の中に認められたくても現時点では認められていない人に、「きみは今だってオンリーワンだよ」と言ったところで何の慰めにもならないだろう。
 競争から解き放たれた人と、競争から逃げた人は違う。自分なりの幸せに気づいた人と、負けるのがいやで競争を否定している人も違う。優劣はないと心底信じるためには、自分自身を徹底的に肯定できないと難しい。僕の感覚では、その自己肯定に至る作業はどんな競争よりも厳しいものだ。

「あなたはオンリーワンだからそのままでいい」という考え方の落とし穴は、社会に存在する物差しで自分を測ることを諦めなさい、というところである。どんなに恵まれている人でも、自他ともにオンリーワンと言いきれるほど特徴がある人間なんてほとんどいないから、「あなたはあなたのままでいい」という言葉を疑いなく受け入れられるほどの自己肯定感は、「社会側から自分は一切認められなくてもいい」という諦めと一体なのだ。
 僕は人間なんてみんな一緒で個性なんてないのだから、何者かになる必要なんてないと言われたほうがほっとする。
 あなたがオンリーワンかどうかは他人が決めている。「誰もが特別なオンリーワンなのだから自信を持とう」というロジックは、「悲しみも脳の勘違いにすぎないのだから気にするな」というのに似ている。そう言われても悲しみがなくならないように、いくらオンリーワンと太鼓判を押されても、自信が持てるわけではない。

 『諦める力』 第5章 より 為末大:著 プレジデント社:刊

 勉強ができる、スポーツができる、というのは、その人の能力の個性です。
 ただ、ある基準で相対的に比較されると、必ず能力の優劣の差が発生します。
 それが社会的な評価につながっていることも紛れもない事実です。

「オンリーワン」であることを素直に受け入れること。
 それは、社会に存在する物差しで自分を測ることをあきらめることです。
 つまり、物ごとをすべて自分の中の物差しで判断すること。

 社会の物差しで測ることをあきらめると、他人との競争からは解き放たれます。
 自分の中の物差しは、自分自身との厳しい競争を経て手に入れるべきものです。

「諦める」とは、自分で進むべき道を「明らめる」ことに通じるということです。

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 為末さんは、今という執着から離れることで、人生が軽やかになるとおっしゃっています。

 今持っているものを失っても「ゼロ」に戻るだけ。
 たかが人生。たかが仕事。何度でもやり直せばいい。

 そう考えるだけで、結果を気にして萎縮せずに全力を出すことができます。

「ベストの選択」を追い求めず、「ベターな選択」を選び続けていく。
 そして、それ以外のものを「諦める」。

 遠回りのようで、実は最終目的地に着くための最善の方法なのかもしれません。


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