本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『不変』(上原浩治)

 お薦めの本の紹介です。
 上原浩治さんの『不変』です。

 上原浩治(うえはら・こうじ)さん(@TeamUehara)は、プロ野球のピッチャーです。
 日本のプロ野球で巨人のエースとして実績を積み重ね、2009年のシーズンからはメジャーリーグに活躍の場を移されています。
 2013年シーズン途中からクローザーに抜擢され、日本人初のリーグ優勝決定シリーズMVPを獲得、その年のチームの世界一に大きく貢献されています。

変わったのは、「野球の結果」だけ

 2013年の10月30日。
 ワールドシリーズの第六戦がボストン・レッドソックスの本拠地、フェンウェイ・パークで行われました。

 五戦を終えて三勝二敗。
 レッドソックスはワールドシリーズ制覇まで、あと一勝の王手をかけています。
 5点リードで最後の九回表、締めくくりのマウンドを託されたのが、上原さんでした。

 二人のバッターを外野フライに打ち取って二アウト。
 三人目のバッターも追い込み、最後は決め球のスプリットで空振りを奪って、ゲームセット。
 上原さんは、日本人で初めて、ワールドシリーズでの胴上げ投手となります。

 そのシーズンの上原さんは、チームとしても、個人としても、最高に喜びに満ちたものでした。
 ただ一方で、それは「あくまでも結果」。そう冷静に振り返る自分もいると述べています。

 厳しいシーズンをフルに戦い抜き、これ以上ない結果を残した直後です。
 舞い上がって有頂天になってもおかしくはありません。

 上原さんは、そのような状況でも周りに惑わされることなく、僕の野球は、なんら変わっていない。変えなかったからこそ、大きな光を手にすることができたと思っている。変わったのは、野球の結果だけ。そんな思いを強く抱くと述べています。

 本書は、不器用だからこそ真っ直ぐな道しか歩けないと語る「野球人」上原さんが、自らの「逆境に挫けず、変わらずに自分を貫き通す生き方」をつづった一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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予想外のクローザー

 上原さんは、環境の変化が思考を変え、その変化によって大きな力を得る。それが、人の成長を促すと述べています。

 上原さんは、シーズン当初から、クローザー(抑え投手)を任されたわけではありません。
 セットアッパー(中継ぎ投手)をマウンドに立ち続けているうちに、クローザーを担っていた投手が次々と故障で戦列を離れる中で、上原さんに白羽の矢が立ちました。

 想像はしていなかった。それでも、投げるということに投げるということに変わりはなかった。たとえ、クローザーになっても僕のやるべきことは、一試合、一人の打者、そして一球たりとも手を抜かずに、悔いの残らないように打者を全力で抑えにいくこと。それだけだった。
 結果だけ見れば、7月19日から9月17日にかけて二十七試合連続無失点(日本人歴代最長)。また、三十七人連続アウト(球団新)という記録も手にした。だが、それらの数字や記録に僕はまったく興味がなかった。結果として周りの人が騒ぐ数字を残したことで、その時は取材するメディアの数が増えたが、僕自身は何も変わらなかった。記録を意識することは、まったくなかった。ここぞとばかりに取材に来たメディアの人間は、記録に関する質問を繰り返した。でも、僕の中では「だから、何?」という思いが強かった。
 なんとも思わない。何も変わらない。僕のやるべきことは、全力で打者を打ち取ることに尽きた。
 だから、結果的に無失点を続け、連続アウトを続けているマウンドでも
「もし点を取られたらどうしよう・・・・」
「ヒットを打たれたらどうしよう・・・・」という不安は、まったくなかった。一試合、一人の打者に対して、一球一球を、全力で投げ続ける。その中で、常に僕は失点「0」を目指して投げる。僕が務めるクローザーは、たとえ一失点といえども許されない場面が多い。点を失った時には、周りからボロクソに言われるポジションだ。だからこそ、目指すところは失点「0」。それだけを考えながら、僕は2013年シーズンを突っ走った。

 『不変』 第一章 より 上原浩治:著 小学館:刊

 上原さんが、メジャーで成功することができた最大の理由。
 それは、確固たる「自分」を持ち、それをいかなる状況でも見失わなかったことです。

 自分のやるべきことに専心して、それを貫き通すこと。
 一流を目指す上では、避けては通れない道ですね。

正確なコントロールを身につけるためには?

 メジャーリーグのクローザーともなれば、多彩な変化球に加え、93マイル(150キロ)を超えるスピードボールを当たり前のように投げます。
 しかし上原さんは、最速89マイル(143キロ)のフォーシームと呼ばれる速球と、縦の変化球であるスプリット(フォークボールのこと)の二つの球種のみで、並みいる強打者を抑えこみます。

 上原さんの生命線は、針の穴を通すように正確な「制球力」です。

 ピッチングでは、たとえイメージ通りに投げたとしても、そのボールにバッターがどういう反応をするか、または打球がどこに飛ぶかによって結果は変わってくる。だから、自分の思いだけで投げていてはいけない。野球もまた、相手があるスポーツだ。だからなおのこと、好き勝手に投げていては得るものは少ないと思う。
 そこで大切になってくるのがコントロール。制球力だ。
 僕は子供の頃、住んでいた団地の階段を使って、よくボール投げをした。五段ぐらいの階段。その一つ一つを狙ってボールを投げ続けた。東海大仰星高校時代は主に外野を守っていたが、一年生の時からバッティングピッチャーはよくやった。コントロールには自信があったし、そのクセのない僕の球筋を先輩たちは喜んでくれたものだ。今思えば、その経験が僕の制球力をさらに高めた要因だったと思う。毎日のようにバッティングピッチャーを繰り返す中で、僕はいつしか配球を考え、ピッチングのイメージを膨らませるようになった。バッティングピッチャーは、バッターに「打ってもらう」ことが本来の仕事であることに変わりはないが、打たれたら、その打たれた球の精度と制球力を高める。その作業は、もともと僕が持っていたピッチャーとしての本能だったのか、自然と身についていったものだった。二年半の高校野球で、僕がピッチャーとしての基本を学び、その後の野球人生の下地を作った。
 僕は今、小、中学生の野球少年から「コントロールをよくするためにはどうしたらいいですか?」という質問をよく受ける。
 答えは、明快だ。ボールを投げること。それに尽きると思う。
 結局は、キャッチボールが大切なのだ。

 『不変』 第二章 より 上原浩治:著 小学館:刊

 上原さんの抜群の制球力は、キャッチボールやバッティングピッチャーを通じて磨かれたもの。
 いかに基本が大切か、ということですね。
 子供の頃からコツコツと積み重ねてきたものは、いくつになっても体が覚えています。

 ただ漠然と練習するのではなく、しっかりと目的を持って努力すること。
「もっとよくなろう!」と向上心を持ち続けること。

 どちらも大事なことです。

自分自身の「生きる道」を探すこと

 上原さんが「中継ぎ転向」を言い渡されたのは、メジャー二年目のスプリングキャンプです。
 それが、上原さんの大きな分岐点となりました。

「今年は八回〜九回の大事な場面で使うから」
 故障のリスク軽減や日本での抑えとしての実績、そして制球力などを考慮した上での言葉だったと思うが、僕は監督の指示に従うだけだった。自分の生きる道を探さなければいけないと思っていたので、すんなりと言葉を受け入れられた。
 メジャーのドラフト会議では、毎年1500人前後の選手が指名を受ける。例年、一球団で50人ぐらいを獲得する。つまり、若い選手がどんどん加わってくる。その状況下でメジャーの40人枠を競い合うわけだが、それはまさに過酷の一言に尽きる。だからこそ、僕は自分自身の「生きる道」を探す必要があった。いつまでも先発にこだわってもしょうがないと思った。結果的に、あの時の僕に対して示してくれた方向性やアドバイスは、プラスに働いた。思えば、巨人時代に抑えを任された2007年シーズンもそうだった。
 シーズン当初は期間限定での抑えだったが、結局はシーズンの終わりまで、そのポジションを務めた。原辰徳監督からはシーズン途中、何度も声をかけられた。その都度、チームの意思を伝えられ、僕の考えも考慮してくれた。僕は納得して投げ続けることができた。結果的にシーズンを通して抑えをやったその一年間があってよかったと、今では思っている。ピッチャーとして新しい発見もあった。そんな経験も考えれば、これまでの指導者が導いてくれた道でぼくにとってプラスになることはたくさんあった。2010年に「中継ぎ」と言われたことも、間違いなくプラスだった。今の自分があるのは、あの時の「通告」があったからだと心底思う。もし、あのまま先発をやっていたら・・・・。ひょっとしたら、今ごろ引退していた可能性も少なくなかっただろう。少なくとも、2013年のあの歓喜はなかったはずだ。

  『不変』 第四章 より  上原浩治:著  小学館:刊

 もし、上原さんが先発ピッチャーにこだわり、監督からの中継ぎ転向の打診に難色を示していたら、おそらく、チーム内での居場所を失っていたことでしょう。

「自分の仕事は、バッターを打ち取ることだけ」

 目の前の仕事に全力で取り組む姿勢が、今なお成長を続ける上原さんの原動力です。

背番号「19」を背負い続けるわけ

 逆境や向かい風にひるまず、逆に自分の力に変えて、真っ直ぐに進み続ける上原さん。
 その「反骨心」の原点ともいえる出来事が、大学受験の失敗です。

 上原さんは、一年間の浪人生活の間、勉強漬けの毎日を送ったとのことが、振り返ると、大きなプラスだったと述べています。

 今、メジャーで戦う中で「毎日コツコツと準備する」ことを常に考えている。目の前の目標に向かって、その目標をクリアするために、心を乱さず強い意志で、そして我慢強くコツコツと努力する。その一つ一つの積み重ねが、いずれは大きな成果につながる。今思えば、それは浪人時代の経験から自然と身についていったのかもしれない。
 浪人時代は、草野球チームの試合に助っ人として行ったことはあったが、野球らしい野球はほとんどしなかった。硬球を握ることはなかった。でも、大学に合格してからの野球を考えて、体作りだけはしていた。地元のスポーツジムには週三回通った。それは慣れない勉強の疲れを癒やす気分転換の要素もあったが、その後の「野球」という目標があったからこそのトレーニングだった。
 大阪体育大学に合格後も、大学野球で使うグラブなどの道具を買うために自分で稼いでお金を貯めた。少しでも家計の助けになればいい。そんな思いもあって、夜の工事現場で車を誘導する旗振りや引越し業者の運搬作業のアルバイトをした。高校卒業から大学進学までの一年間、その浪人時代というのが僕の原点の一つになった。高校からストレートで大学に進んでいたら、僕の人生は変わっていたと思う。机に向かい続けた時間、その合間でトレーニングを続けた時間、目標達成に向けて突き進んだ時間。我慢強さと継続する力。そして目標に立ち向かう勇気と行動力の大切さを、僕はその一年で学んだ。
 また、僕が浪人生活を送る中、すでに大学球界などで活躍する同学年に対する気持ち。言わば「反骨心」が、その時に初めて芽生えたのかもしれない。どちらかと言えば、高校までは、楽な道を選びたい性分だった。でも、明らかに僕の性格は変わった。僕は19歳の時の一年間を忘れない。その一つの表れがユニフォームの背中に刻まれた番号だ。巨人時代にも背負った背番号「19」は、レッドソックスでプレーする今はもちろん、ボルチモアでもテキサスでも、僕の背中にある。
 僕はプロ野球選手になってから「19」以外の番号を背負ったことがない。

 『不変』 第六章 より 上原浩治:著 小学館:刊

 浪人時代や大学時代の苦労なしに、メジャー屈指のクローザー「Uehara」の誕生はありません。

 人生には、ムダなことはひとつも起こらないということ。
 上原さんの、すべての経験を自らの力に変えるしたたかな強さ「雑草魂」を見習いたいですね。

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 2013年シーズンの数々の栄光も「すでに過ぎ去った過去の時間」だと言い切る上原さん。
 世界一に胡座(あぐら)をかかず、前を向いて、さらにもっと上を目指すと宣言されています。

 上原さんにとっての本当の「ゴール」とは、野球人としてのすべてをやり終えた時です。

 引退を決めるその日まで、目の前の一人のバッターを打ち取るために一球一球に全力を尽くす。
 これまでと変わらないピッチングを見せてくれることでしょう。

 上原さんのこれからのご活躍に期待したいですね。

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