本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『正しい努力の法則』(増田英次)

 お薦めの本の紹介です。
 増田英次さんの『人生を変える 正しい努力の法則』です。

 増田英次(ますだ・えいじ)さんは、米国ニューヨーク州の弁護士です。
 弁護士としての活動のかたわら、写真家としてもご活躍中です。

「努力すること」の本当の意義とは?

 私たちは、小さい頃から「努力すること」の大切さをくり返し教わってきました。
 スボーツの世界でも、ビジネスの世界でも、「努力を継続することが成功するための秘訣である」と多くの人が口にしています。

 一方、結果は努力の量に必ずしも比例しないことも厳然たる事実として存在します。
 どのような分野でも、実際に栄光をつかめる人はほんの一握りにしかすぎません。

 望みを叶えるためには努力は必要不可欠。
 でも、努力を続けたとしても絶対に望みが叶うわけではありません。
 考えれば考えるほど、努力することは本当に価値があるのか、確信が持てなくなりますね。

 結果がでなければ、それまでの努力はすべて水の泡になってしまうのか。
 はたして「努力すること」自体に意義があるのか。

 増田さんは、努力の真の目的とは、「人生の真価」に目覚め、それを発揮することによって「成長・進化をすること」ではないかと考えています。

 自らの体験も踏まえて、結果が出なくても報われなくても、正しい努力をすれば運命を、そして人生を大きく変えることができると強調しています。

 本書は、結果に関係なく“人生を大きく変える”ための「正しい努力」についてまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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真に欲しているか?

 増田さんは、努力には必ず目的や目標が「セット」になっていると述べています。
 目的や目標が強いものであればあるほど、努力は実る可能性が高くなります。

 私は仕事、とくに、コンプライアンスを正しく進めるために、脳科学や行動心理学をベースにしたコーチングをずいぶんと勉強しました。
 私が学んだ中で、とくに印象的だったことは、「真に欲する強烈なゴール設定ができれば、『脳内の無意識』領域で大きな変化が生じ、とてつもない力を発揮する」ということです。
「強烈」という言葉の意味は、考えただけで動機が激しくなる、涙がでる、叫びたくなる、鳥肌が立つ・・・・・というような身体的な変化を伴う場合を指します。
 また、このような状態で行う努力は、実は苦痛を感じません。肉体的には苦痛であっても、精神的には「燃える状態」で挑んでいることから、無意識のレベルではきつく感じないのです。
(中略)

 努力が肉体的につらい、厳しいということはある意味、当然です。
 それにもかかわらず、やり遂げられるのは精神的、つまり無意識のレベルで欲しているからこそ、目的や目標を達成することが「喜び」となるのです。
 逆に言えば、肉体的だけではなく、精神的にも本当にきつい場合は、目標を「真に」または「強烈に」欲していない場合がほとんどなのです。
 もちろん、方法、戦略・戦術が間違っている場合もありますが、多くの場合は修正可能ですし、一時的につらくても、最終的にはつらくなくなっていくものです。

 一般的に、人は「不快なことはしない」と言われていますが、努力においてもまったく同じです。だから、

「真に欲しない限り、魂に火がつかない限り、努力は決して実を結ばない」
「魂を揺さぶるような強烈な思いによる目標設定なくして、努力は意味をなさない」

 心が真に欲する目標に向けた努力は、「究極の美しい努力」につながります。
 まずは最低限、このことを理解しておきましょう。

 『人生を変える 正しい努力の法則』 第1章 より 増田英次:著 かんき出版:刊

 努力さえすれば何でも達成できるという訳ではありません。
 魂が震えるくらいの喜びを感じる目的や目標でないと、努力はなかなか実を結ばないということ。

 肉体的にはきつくても、心の中は喜びで満ちあふれている状態が「究極の美しい努力」です。
 努力する対象は自分の心に正直に、慎重にかつ真剣に選ぶ必要がありますね。

「運命」は努力で変えられる

 人は、努力してもどうにもならない事態に直面したとき、「これは逃れられない運命だった」と安易に結論づけてしまいがちです。
 増田さんは、「自由意志や努力」と「運命や宿命」との関係を以下のように説明しています。

 私は「宿命は努力で変えられないかもしれないが、運命は自由意志や努力で変えられる」と考えています。いや、信じています。
 宿命と運命をほぼ同一の意味で使う人も少なくありませんが、ここで言う宿命とは、「生死、生まれてくる場所、時、性別、肉親、その人のこの世での役割等予(あらかじ)め定められたこと」を指します。それに対し、運命とは、「生まれてから死ぬまでにその人(命)が歩む道程」だと私は解釈しています。
 そして、変えることができる運命に大きな作用を及ぼすのが自由意志であり努力にほかなりません。
 つまり、運命を変える自由意志を実現する行動こそが努力なのです。

 努力では変えることができない宿命に対しても、実は、努力が不要というわけではありません。
「何が宿命か」「何が変えられるのか」ということは、無駄に思えるような努力をしてみないとわからないことが多いからです。
 変えられない宿命を前提にしなければ、自由意志で何をすべきか、どこまでできるか、そして自分自身の限界はどこにあるのかを悟ることはできません。
 だから、努力で宿命は変えられないかもしれませんが、限界を知り己の力だけではできないことがあることを頭ではなく「体で理解する」ためにも、宿命に挑む努力は絶対に必要なことなのです。
 努力しても結果が出るとは、限りません。
 しかし、努力なしに輝かしい未来が訪れることも絶対にないのです。
 問題は努力が必要か否かではなく、それは当然の前提として、その努力が実らないとき、もしくは努力をする途中で大きな壁や逆境にぶつかったときでも、努力を続けるためには、どうしたらいいか? を考えることが大切なのです。

 『人生を変える 正しい努力の法則』 第2章 より 増田英次:著 かんき出版:刊

 どう考えても自分以外の力による出来事、不可抗力にみえることでも、よくよく考えてみると自分の力で変えられるケースであることはよくあります。

 もっとも大切なことは、やる前から諦めないこと。
 「運命」なのか「宿命」なのかの見極めが大事です。

 たいていの問題は、必死で突破口を探すことで道は開けるもの。
 実際にやってみないとできるかできないかなんてわからないものですね。
 
『人事を尽くして天命を待つ』
 その意識を忘れずに、精一杯の努力をしたいですね。

努力すれば輝かしい未来が訪れる

 努力すれば必ず報われるほど、世の中、甘くはありません。
 オリンピックでも、表彰台の上に立ってメダルをもらえる選手はほんの一握り。
 参加選手はすべて一流のアスリートで、四年間すべてを賭けてトレーニングを積み重ねているにもかかわらず、です。

 この現実を見て、「どうせやっても無駄だから」と最初から挑戦をしない人は多いです。

 結果に結びつかなければ、それまでの努力はすべて無駄になってしまうのでしょうか。
 増田さんは、結果にかかわらず努力や挑戦をしたか、しないかでその後の人生に大きな影響を及ぼすと指摘しています。

 私が司法試験を受験していたとき(27年ほど前)の合格率は2%もありませんでした。100人受けたら、98人が落ちるのです。その意味では当時はとてつもなく難関な試験だったと思います。
 だから、私の周りでも、「がむしゃらに、髪を振り乱してまで試験を受けたくない」「受からない可能性が高いのに「時間を無駄に費やしたくない」といって、挑戦すらしない人が少なくありませんでした。
 恋愛も「傷つくのが嫌だから」といって、異性と深くつきあおうとしない傾向があると、近頃言われています。
 しかし、本当に大切なのは、司法試験を受けることや受かることではありません。恋愛が成就することでもありません。
 人生や困難から逃げないことが大切なのです。
 もっと言えば、逃げずに挑むことなくして私たちは成長、進化できないということです。自分を楽な位置において、言い訳、弁解ばかりで生きていると、年をとればとるほどつまらない大人になってしまいます。
 また、残念なことに失敗ばかり繰り返す人生となっていくのです。

 努力して結果が出なくても、上村愛子選手ではありませんが、そのプロセスが「達成感マックス」であれば、必ず次の人生、未来に活きてきます。
 一歩を踏み出すこと、逃げないこと、もうこれ以上できないところまで努力したら、結果を潔く受け止めることもできます。そして、新しい人生が必ず開けます。
 他人のためではなく、自分の成長、己の限界を超えるために努力をしましょう。

 『人生を変える 正しい努力の法則』 第3章 より 増田英次:著 かんき出版:刊

 誰でも、失敗や挫折は味わいたくはありません。

 だからといって、目標に向かって挑戦することをやめれば、それ以上の成長はありません。
 目標を達成することも、欲しいものを手に入れることもできません。

 努力は、目的を達成する手段であると同時に、自分が成長し進化するためのスキルです。
 努力する力を磨いて、つねに「達成感マックス」を目指す人生を送りたいですね。

「静」の努力とは?

 人生は、順風満帆なときばかりではありません。
 本当に理不尽で、誰にも怒りや悲しみをぶつけることもできないような、つらく悲しい出来事に遭遇する場合もあります。

 そんな過酷な状況に陥ったとき、人はその試練をどう乗り切ればいいのか。

 増田さんは、『動』の努力だけでは乗り切れない。でも、逃げているだけでも絶対に乗り切れない。だから、その試練に真正面から臨むこと。そのうえで、流れに逆らわない『静』の努力をすることだと述べています。

『静』の努力とは、具体的にどのようなものなのでしょうか。

 逆境や過酷な試練が訪れたとき、闇雲(やみくも)に向かっていくのは、急流に逆らって川を登るようなもの。やればやるほど、うまくいかなくなります。そのままでは確実に、溺れ死ぬことになってしまうでしょう。
 そんなときは、激流に流されないよう、岩にしがみつき、「ひたすら耐え抜く」努力を行うのです。真正面から受け止め、逃げない。そのうえで、ひたすらそこに留まるのです。
 ただし、単に意味もなく我慢するということとは違います。
 とんでもない逆境や試練に遭遇したときには、即座に解決のため結論を出したり、あれやこれやと動かないで、むしろ、その逆境や試練を「悲しかったらとことん悲しみ、苦しかったらとことん苦しむ」ことが大切なのです。
 その場に立ち止まって、あるいはうずくまって苦しむということです。

 究極の逆境や試練が訪れたとき、人はすぐには立ち上がれません。
「現実を見たくない」という心理状態が働き、何が起こったのかすら理解できない、いや理解したくないこともあります。
 茫然(ぼうぜん)自失、完全にノックアウトです。
 時間が経つと、今度は「なぜ、こんなことになってしまったのだろうか? 何がいけなかったのだろうか? なぜ、私だけ? どうして、なぜ?・・・・・・」と答えの出ない中でぐるぐると思考が回り、あてもなく彷徨(さまよ)い続ける状態になります。
 私はそれでいいのだと思います。
 どうしたらいいか?・・・・・・と来る日も来る日も考え、悲しみ、苦しむのです。泣きたければ、泣き続けるのです。悲しいとき、苦しいときは、泣き、苦しみ、もがけばいいのです。あなたの思う存分に。
 私は、これこそが「流れに逆らわない」ことだと思います。

 『人生を変える 正しい努力の法則』 第4章 より 増田英次:著 かんき出版:刊

 親しい人の死、地震などの天災など、過酷な試練はいつ、自分の身に降りかかるかわかりません。
 そんな状況では、ただ流れに身を任せることも立派な努力です。

 嵐が来たら、嵐がおさまるまでじっとして待つ。
 何もせず、ただ待つのは勇気がいることですが、状況次第で最善の手となります。
 頭に入れておきたいですね。

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 人が努力することを躊躇する大きな理由のひとつは、「努力しても結果がでないのではないか」と考えてしまうことです。

 結果を出すことは重要ですが、それだけでは割り切れないのが人間の感情です。
 2014年ソチ・オリンピックでの浅田真央選手や上村愛子選手の活躍がいい例ですね。

 彼女たちは、目標にしていたメダルをとれませんでしたが、多くの人に勇気と感動を与えました。
 これからも人々の記憶に刻まれ続けるでしょう。

 ひたむきな努力には、それだけの大きな力が秘められているということです。
 
「努力は決して裏切らない」

 この言葉は、「目的の達成」という意味では、間違っているかもしれません。
 しかし、「人生の成功」という観点から考えると真理といえます。

 努力そのものの価値を認識し、「正しい努力」を続ける習慣。
 ぜひ身につけたいですね。

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