本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『0ベース思考』(スティーヴン・レヴィット)

 お薦めの本の紹介です。
 スティーヴン・レヴィットさんとスティーヴン・ダブナーさんの『0ベース思考—どんな難問もシンプルに解決できる』です。

 スティーヴン・レヴィット(Steven David Levitt)さんは、世界的に有名な経済学者です。
 06年には、タイム誌「世界で最も影響力のある100人」にも選出されています。

 スティーヴン・ダブナー(Stephen Dubner)さんは、NYタイムスなどで執筆されているジャーナリストです。

「フリーク」のように考えること

 世の中には、「フリーク」と呼ばれる人がいます。
 フリークとは、常識の枠に収まらない人、既存の慣習にとらわれない人という意味です。
 世の中の大きな矛盾や問題を解決する方法を見つける人は、そのような人たちです。

 フリークと、その他の多くの人たちの考え方の違いはどこにあるのでしょうか。

 最近の風潮として、問題を解決する方法には「正しい」方法と「まちがった」方法があるという思い込みをもつ人が増えている。こういう考え方でいると、言い争いがどうしても増えるし、残念なことに、解決できるはずの問題も解決できなくなってしまう。
 これを何とかできないだろうか? きっとできるはずだ。
 正しい方法とまちがった方法、かしこい方法とおろかな方法、青信号の方法と赤信号の方法があるなんて思い込みを、ぼくたちはこの本を書くことで葬(ほうむ)りたい。
 現代社会ではもう少し建設的に、創造的に、合理的に考えることが必要だ。ちがう角度から、ちがう筋肉を使って、ちがう前提で考える。やみくもな楽観も、ひねくれた不信ももたずにすなおな心で考える。つまり、コホン、フリークみたいに考えるってことだ。

 『0ベース思考』 第1章 より  スティーヴン・レヴィット、スティーヴン・ダブナー:著 櫻井祐子:訳 ダイヤモンド社:刊

 問題解決を妨げるのは、問題そのものよりもむしろ、自分の偏った考え方や思想、道徳観です。
 問題の本質にたどり着くためには、それらをすべて取っ払って考える必要があります。

 本書は、偏見や思い込み、常識にとらわれずに、問題を解決するための方法をまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「知らない」ことを恥ずかしがるな!

「0ベース」で考える習慣を身につける最初の一步。
 それは、何かを「知らない」ってことを恥ずかしく思わないことです。

 次の短い話を聞いて、質問に答えてほしい。それじゃどうぞ。

 メアリーという女の子が、お母さんとお兄さんと一緒に海に行きました。赤い車に乗って行きました。海に着いたら、みんなで泳いでアイスクリームを食べて、砂遊びをして、お昼にはサンドイッチを食べました。

 では、質問。

  1. 車は何色でしたか?
  2. 昼食にフィッシュ・アンド・チップスを食べましたか?
  3. 車のなかで音楽を聴きましたか?
  4. 食事と一緒にレモネードを飲みましたか?

 お疲れさま、どうだった? ある研究者のグループが、イギリスの5歳から9歳までの小学生におなじ質問をした。小学生の答えとあなたの答えを比べてみよう。最初の2つの質問は、子どもたちのほぼ全員が正解した(「赤」と「いいえ」が正解)。でも3問めと4問めはずっと成績が悪かった。なぜか? この2つの問いは答えられない質問なのだ――話を聞くだけでは十分な情報が得られない。
 それなのに、なんと76%の子どもたちが、「はい」か「いいえ」で答えたのだ。
 こういう簡単な質問をハッタリで切り抜けようとする子どもは、実業界や政界で成功する素質十分だ。何しろああいった世界では、何かを「知らない」と正直に認める人なんてほとんどいないのだ。昔から英語で一番言いづらい3つの言葉は「アイ・ラブ・ユー」だと言われてきた。でもそうじゃないと、心から叫びたい!
「アイ・ドント・ノー」と言うほうが、ほとんどの人にとってはずっと難しいのだ。これは残念なことだ。自分が何を知らないかを認めないかぎり、必要なことを学べるはずがないのだから。

 『0ベース思考』 第2章 より  スティーヴン・レヴィット、スティーヴン・ダブナー:著 櫻井祐子:訳 ダイヤモンド社:刊

 知らないのに「知っている」と言う人。いわゆる、“知ったかぶり”のことですね。
 人はどうしても見栄を張りたがるので、「知らない」と言うことに抵抗を感じます。

「アイ・ドント・ノー(私は知らない)」

 素直にそう言える謙虚さを、つねに持っていたいですね。

「自分の意見」は、「他人の意見」?

 私たちは、誰かの言い分に耳を傾け、「いいな」と思ったら、それを自分の意見にしてしまう傾向があります。
 そして、その中の「心に引っかかる部分」だけに目を向けてしまいます。

 著者は、アメリカの公立学校制度の崩壊を例に挙げて、以下のように説明しています。

 たとえばあなたが州の学力基準を満たさない落ちこぼれ学校に腹が立つのは、教師だったあなたのおばあさんがいまどきの教師なんかよりずっと教育に尽くしていたと信じているからかもしれない。学校が成果をあげられないの、出来の悪い教師が多いからに決まってる、とあなたは考える。
 もうちょっと踏み込んで考えてみよう。アメリカの教育改革運動では、何がいちばんの決め手になるかについて、いろんな説が飛び交っている。学校の規模、1クラスの人数、教育行政の安定、IT化のための資金、それにそう、教師の力量など。よい教師が悪い教師より望ましいのは火を見るより明らかだし、教師の質が全体としておばあさんの時代からガタ落ちしているのもたしかだ。
 それは昔と比べると、優秀な女性の職業選択の幅がずっと広がっているからでもある。そのうえフィンランドやシンガポールや韓国などでは、教師は優秀な学生のなかから選抜されるのに対し、アメリカで教師になるのは平均以下の学生が多い。だから学校教育に関する議論で教師の力量に焦点をしぼるのは、たしかに筋が通っているのかもしれない。
 だが教師の力量よりも、生徒の成績にずっと大きな影響をおよぼす別の要因があることが、最近の多くの研究で明らかになっている。それは、子どもが親からどれだけのことを学んでいるか、家でどれくらい勉強しているのか、学びたいという意欲を親が植えつけているかといった要因だ。
 家庭でのこういうインプットが足りないと、いくら学校が頑張ったところで限界がある。子供が学校で過ごすのは1日7時間×年間180日、つまり起きている時間の2割ほどでしかないのた。それにそのあいだずっと学習しているわけでもない。友達づきあいやら食事やら教室間の往復やらにかかる時間を差し引けば、学習の時間はそれよりずっと少なくなる。そのうえ多くの子どもは、生まれてから3、4年のあいだは学校に行かずに親とだけ過ごしているのだ。
 それなのに、いざまじめな人たちが教育改革について話し合うと、成功できる子どもを育てる上で家庭がどんな役割を果たすべきか、という議論がすっぽり抜け落ちてしまう。それは「教育改革」というまさにその言葉が、「学校のどこがいけないのか?」という問いをほのめかしているのだ。
 でも現状を考えると、「なぜアメリカの子どもたちは、エストニアやポーランドの子どもたちより学力が劣るのか」と問い直したほうがいい。見当ちがいな角度から問題にとりくもうとすると、見当ちがいな場所で答えを探すはめになる。
 そんなわけで、アメリカの子どもたちの学力低下の原因を話し合うには、学校よりむしろ親について考えたほうがいいのかもしれない。

 『0ベース思考』 第3章 より  スティーヴン・レヴィット、スティーヴン・ダブナー:著 櫻井祐子:訳 ダイヤモンド社:刊

 現象を一つの側面からだけから判断すると、見当違いの結論を導き出すという典型的な例です。
 テレビなどのマスメディアの内容を鵜呑みにすることは、大きなリスクだということですね。

 考えるべき問題についての、自分が持っているイメージや観念をすべて取っ払うことが重要。
 その上で、さまざまな角度からアプローチすれば、その問題の本質に近づくことができます。

徹底的にさかのぼって「要因」を見つける

 人は、問題を解決しようとするとき、目の前のわかりやすい原因に目が向いてしまいます。
 ただ、複雑な問題ほど原因の解明には、その大元の大元までさかのぼる必要があることが多いです。
 ときには、数十年、数百年前のできごとが、いまも脈々と影響を及ぼしていることもあります。

 著者は、以下のような事例を挙げて説明しています。

 ハーバード大学の経済学者ローランド・フライヤーは、教育や所得、健康の分野で黒人と白人の格差を縮めることに心血を注ぐ研究者だ。少し前、彼はなぜ白人が黒人より7年も長生きするのか、その理由を解明しようと乗り出した。一つ明らかなことがあった。昔から白人と黒人の死因のトップを占めている心臓病は、黒人のほうがずっと罹患(りかん)率が高いのだ。でもなぜだろう?
 フライヤーはありとあらゆる数字を解析した。だが食事や喫煙や貧困といったよくあるストレス要因では、この差をすべて説明できないことがわかった。
 そんなとき、彼は説明になりそうな要因を見つけた。たまたま「イギリス人がアフリカ人の汗を味見する」と題した昔の絵に目がとまったのだ。この絵では西アフリカの奴隷商人が、奴隷の顔をなめているように見える。
 なぜこんなことをするのだろう?
 一つの可能性として、商人は奴隷が病気にかかっていないのをたしかめていたのかもしれない。積み荷のほかの奴隷に病気を感染させては大変だからだ。
 奴隷商人は奴隷の「しょっぱさ」を調べていたんだろうかと、フライヤーは考えた。だって汗といえばしょっぱいものだろう。もしそうなら、なぜ? またこれに答えることで、人種間の格差問題の是正につながる情報が得られないだろうか?
 奴隷にとって、アフリカからアメリカまでの航海は長く陰惨(いんさん)、旅半ばで命を落とすことも多かった。主な死因は脱水だった。脱水になりにくいのはどんな人だろう、とフライヤーは考えた。塩分感受性が高い人だ。塩分を体内に多く留められる人は、その分、水分もたくさん保持できるから、アフリカとアメリカを結ぶ、いわゆる中間航路の途中で死ぬことも少ないはずだ。だからこの絵の奴隷商人は投資が無駄金にならないように、「しょっぱくない」奴隷を選ぼうとしたんだろう。
 自身も黒人のフライヤーは、ハーバードの同僚で白人の著名な医療経済学者デイビッド・カトラーにこの説を披露してみた。カトラーは最初「バカバカしいにもほどがある」と思ったが、よくよく考えてみると筋が通っていた。実際、昔の医学研究にも高血圧と奴隷貿易を結びつけるものがあり、大きな議論を巻き起こしていた。
 フライヤーはこうして得られた断片をつなぎ合わせてみた。「こんな過酷な旅を生き延びられる人は、とても体力があって長生きすると思うかもしれない」と彼は言う。「でもこのしくみで選別された人は、中間航路のような試練には耐えられても、高血圧や関連疾患に恐ろしいほどなりやすい。そして塩分感受性は遺伝しやすい形質だ。だから彼らの子孫であるアフリカ系アメリカ人は、高血圧や心血管の病気になる可能性がかなり高い」

 『0ベース思考』 第4章 より  スティーヴン・レヴィット、スティーヴン・ダブナー:著 櫻井祐子:訳 ダイヤモンド社:刊

 白人と黒人の心臓病の罹患率の差が、数百年前の奴隷制度に起因する。
 それまでの常識にとらわれていては、両者の因果関係に気づくのは困難ですね。

 私たちは、人種の差、貧富の差、住む場所の差など、すぐにわかる部分に目が向きます。
 しかし、問題の根はそのさらに奥にありました。

 世の中の通説に惑わされず、さらに深い部分まで掘り下げること。
 問題の中に隠れている真実を探りだすために、必要なことです。

「適切なインセンティブ」を設ける重要性

 問題解決のための糸口のひとつは、「インセンティブ(人の意欲を引き出すために、外部から与える刺激のこと)を理解する」ことです。
 つまり、当事者のなか、どのような利益関係があるのかを見極めるということです。
 その上で、正しいインセンティブを新たに設けることで、問題が解決の方向へ動き出します。

 3歳児のアマンダは、一度はトイレトレーニングに成功したのに、またおもらしをするようになった。シールをあげたりおだてたりといったおなじみの方法を試しても、どうしてもトイレでしようとしなかった。
 アマンダのママはあまりにもいらだったのでパパ、つまりぽくたちの片側に、この仕事を押しつけた。彼は経済学者のご多分に漏れず、正しいインセンティブを設けされすれば、どんな問題も解決できると自信満々だった。相手は子ども、なおさら楽勝だ。
 パパはひざまずくと、アマンダの目をのぞきこんで言った。「トイレに行ったらm&m’sの小袋を一つあげるよ」
「いますぐ?」とアマンダはたずねた。
「いますぐさ」。お菓子をご褒美にするのはどんな育児書も眉をひそめることだと、さすがの彼も知っていたが、育児書を書いているのは経済学者じゃない。
 アマンダはトイレに駆けていっておまるで用を足し、大急ぎで戻ってきてm&m’sを要求した。勝利だ! 娘とパパのどっちが鼻高々か、わからないほどだった。
 この作戦は3日間はバッチリ成功した――おもらしは一度もなかった。でも4日目の朝になると、雲行きが怪しくなってきた。
 午前7時2分、アマンダは宣言した。「トイレに行かなくっちゃ!」そうしてm&m’sをゲットした。
 と、7時8分に「また行かなきゃ」。ほんのちょろっとして、お菓子をもらうために戻ってきた。
 7時11分、「もいっかい行くね」。またしてもアマンダは最小限の量を放出して、次のm&m’sをもらった。これが誰も覚えていられないほど長いあいだ繰り返されたのだ。
 どんぴしゃなインセンティブがどんなに強力かって?女の子はたった4日間で、おまるが苦手な子から、人類史上最も自在な膀胱(ぼうこう)をもつまでに成長を遂げたのだ。アマンダは自分に与えられたインセンティブに照らして、どうするのが理に適(かな)っているかを考えただけだ。それにこのインセンティブには細かい但し書きも、お一人様2袋かぎりの制限も、時間間隔についても注意事項もなかった。女の子とお菓子の小袋とトイレだけからなる、シンプルなインセンティブだ。
 フリークが信条とする教えを一つあげるなら、「人はインセンティブに反応する」だ。これは単純明快、至極当然に思えるが、このことをしょっちゅう忘れて自滅している人が多いのにはびっくりする。ある特定の状況に関わる全当事者のインセンティブを理解することが、問題解決の基本だ。
 インセンティブはいつもわかりやすいわけじゃない。それにインセンティブの種類――金銭的、社会的、道徳的、法的など――がちがえば、インセンティブのはたらく方向や強さも変わってくる。ある状況では効果があるのに、ちがう状況では逆効果を生むこともある。でもフリークみたいに考えたいなら、インセンティブを、その清濁(せいだく)や醜さもひっくるめて知り尽くすことがカギとなる。

 『0ベース思考』 第6章 より  スティーヴン・レヴィット、スティーヴン・ダブナー:著 櫻井祐子:訳 ダイヤモンド社:刊

 インセンティブがどれだけ強い力を持つか、それをよく表しているエピソードですね。
 インセンティブは、適切に設定すれば、問題解決の大きな武器になります。
 しかし、使い方を誤ると逆に問題をこじらせかねない、まさに、“諸刃の剣”です。

「人はインセンティブに反応する」

どんな問題を考える場合も、頭に入れておきたい言葉ですね。

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 著者は、フリークのように考える方法の核心は、「捨て去る」ことにあるとおっしゃっています。
 つまり、自分を押しとどめている一般通念を捨て去る。自分を引き止めている人為的なバリアを捨て去る。自分が知らないということを恐れる気持ちを捨て去るということです。

 考えて行動しているようで、じつは昔からの習慣や他人の意見に従って行動しているだけ。
 さまざまなメディアから情報を集めているようで、じつは自分の都合のいい事実を見つけているだけ。

 そのようなことは、意外と多いです。
 まるで、ベルトコンベアに乗って運ばれているだけのに、自分の足で歩いていると勘違いしているかのようですね。

 すべてまっさらな状態にして、さまざまな角度から物事を考える。
 私たちも、そんな「0ベース思考」を身につけたいですね。

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