本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『自分のアタマで考えよう』(ちきりん)

 お薦めの本の紹介です。
 ちきりんさんの『自分のアタマで考えよう』です。

 ちきりんさん(@InsideCHIKIRIN)は、関西出身「おちゃらけ社会派」の有名ブロガーです。
 2010年に証券会社を退職後、“楽しいことだけをして暮らす”人生を実践されています。
 2005年から書き始めているブログ「Chikirinの日記」は、月間100万回以上のページビューを獲得しています。

「自分のアタマで考える」ためには?

 政治や経済、国際関係やビジネスから、個人のキャリアのあり方、お金の使い方など。
 ちきりんさんがブログで取り上げるトピックスは、幅広く社会と人のありようがテーマです。

 自分の専門分野については書いておらず、どれをとっても“素人意見”です。
 使っている情報も公に手に入るものばかりで特別なものではありません。
 そんなブログが多くの人に読まれているのは、「ちきりん」の視点のもち方や感覚がユニークで、他の人とちょっと違うことが理由です。

 誰でも目にする一般的なニュースや情報。

「ちきりん」というキャラクターは、それをどのように自分のアンテナから取り入れるのか?
 そして、それらをどういう道筋で加工・分析しているのか?

 彼女のブログの読者でなくても、大いに気になるところですね。

 本書は、そんな「ちきりん独自の視点」を生み出す源となる思考の方法論をまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「知識」は過去!「思考」は未来!

「知っていること」と「考えること」は、まったく別物です。

「知っていること」は、通常「知識」と呼ばれ、「情報に基づく思考の結果」とは異なります。
 逆に、「知識」が「思考」をだましたり、邪魔することもしばしばです。

 ちきりんさんは、誰にとっても、自分が詳しい分野において斬新なアイデアを受け入れることは、よく知らない分野においてそうするよりはるかにむずかいしいと指摘しています。

 よく知らない分野であれば、革新的なアイデアを寛容に受け入れる人も、自分の専門分野については驚くほど保守的であったりします。保有する知識が多すぎて、どんなに斬新なアイデアを聞いても頭の中からひっぱり出してきた知識によって「そんなことは不可能だ。できるわけがない」と否定してしまうからです。
「詳しくなればなるほど、その分野での新しいアイデアに否定的になる」傾向が見られたら、「知識が思考を邪魔している」ことを疑ってみた方がよいでしょう。

 反対に思考力のある人は、自分の専門分野においてさえ革新的で柔軟です。それは彼らが常にゼロから考えているからです。時代が変わり、世の中が変わり、新しい現象が出てきて新しい情報に触れたとき、過去の知識ではなく、目の前の情報から考えることができるかどうか。それが「考えることができる人」とできない人の分岐点です。もしくは、「時代の変化に気がつく人」と気がつかない人の違いともいえます。
 また、知識の中で特に影響力が大きいのは、成功体験と結びついた知識です。過去に大成功したという記憶(それ自体がひと固まりの知識です)が、新しい情報に触れたときにシャシャリ出てきてゼロから考えることを妨げます。そうなると、せっかく時代の変革期に新しい情報に触れているのに、過去の知識に囚われてしまい、先入観をもたずに考えることができなくなります。

 『自分のアタマで考えよう』 第1章 より ちきりん:著 ダイヤモンド社:刊

 なまじ知識が豊富な人は、自分の頭の中にないデータをないがしろにする傾向があります。

 自分の理解できないことを頭から否定せず、いったん受け入れて、自分なりに検証すること。
 それができる柔軟性をもつ人が、「考えることができる人」です。

 知識を深めることは、重要なことです。
 ただ、集めた知識によって思考が縛られないよう、注意する必要がありますね。

数字を見たら考えるふたつの問い

 ちきりんさんは、情報を見たときにまず考えるべきことは、「なぜ?」と「だからなんなの?」のふたつだと述べています。

 とくに、数字の情報を見たときには、必ずこのふたつを考えることが重要です。

「なぜ?」とは、数字の背景を探る問いです。数字はなにかの現象や活動の結果なので、すべての数字には理由があります。売上が伸びているなら「なぜ売上が伸びているのか?」、特定地域の人口が減ったなら「なぜこの地域の人口が減ったのか?」と考えるのが、「なぜ?」です。

もうひとつの「だからなんなの?」は、「過去の結果がこの数字に表われているのだとしたら、次はなにが起こるのか? それにたいして自分はどうすべきなのか?」と、データの先を考える問いです。
 
 これまで売上が上昇してきたというデータがあれば、「来月はさらに上がるのか? それとも売上の上昇は今月で止まるだろうか?」と考えます。続けて、「来月の売上も増えるなら、今、自分はなにをするべきなのか? 仕入れを増やすべきだろうか?」などと考える必要もあります。
 次に起こることを予想し、それに対応するためになにをすべきかを考える、これが「だからなんなの?」によって問われる思考です。
 データを見たときには、その背景(=データの前段階)を考える「なぜ?」と、そのデータをどう解釈・判断し、対応すべきか、と一歩先(=データの後段階)を考える「だからなんなの?」のふたつの問いを常に頭に浮かべましょう。

 『自分のアタマで考えよう』 第2章 より ちきりん:著 ダイヤモンド社:刊

 数字のデータは客観的で、誰でも具体的にイメージできる情報です。
 具体的だからこそ、そのまま鵜呑みにせず正しい解釈をする必要があります。
 さもないと、とんでもない過ちを犯してしまう可能性があります。

 数字の情報を見たら、「なぜ?」「だからなんなの?」。

 自分なりに考えてインプットする習慣を身につけたいですね。

「判断基準」を絞り込むこと

「選択肢が多いから、迷ってしまって決められない」と悩んでしまう人は多いです。

 決められないのは、選択肢が多すぎるからではなく、「判断基準が多すぎるから」です。

 たとえばレストランを選ぶとき、小さな街でさえ選択肢は何十もあるし、東京ともなれば星の数ほどのレストランがあります。その中からひとつの店を選ぶのがむずかしい理由は、レストランが多すぎるからではなく、レストランを選ぶための判断基準が多すぎるからです。
 味がいいのはもちろん、イタリアンもいいし、中華もいい、いや、エスニックもおいしそう。雰囲気もよいところがいいけれど、でも価格はこれくらいまで、会社から近くて、家に帰るにもラクな沿線で、予約の取りやすさもなどと言っていると、考えること自体に時間がかかるうえ、「おいしいけど高い」「手頃で旨くて雰囲気もいいけれど、いつも混んでいて予約がとれない」など、どこも一長一短になってしまいます。
 一方、どんなにレストランの多い街で働いていても「昼食にかけられる予算は300円以内」という制約があるサラリーマンは、食事をする店の選択にほとんど迷わないでしょう。忙しくて昼休みが20分しかないという人も、店選びには迷いません。いくら選択肢が多くても、ひとつでも明確な判断基準があれば人はすぐに決断できるのです。
 でも実際にはそれほど強制力の高い判断基準(制約条件)は存在しない場合も多く、そうなると「あれもこれも」とすべての条件を満たしたくなるのが人の常です。そしていつのまにかなにも決められなくなってしまうのです。

 これはビジネスの世界でも同じです。利益率という判断基準だけで取り組むビジネスを決めるなら話は簡単です。儲かるなら進出し、儲からなくなれば撤退すればいいだけです。そこに「うちの看板事業だから」「今は儲からないが将来性があるから」「技術の維持には必要な事業だから」などと、異なる多くの判断基準をもち出すからなにも決められなくなってしまうのです。
 こういったときに役に立つのが、「判断基準に優先順位をつける」という考え方です。流行した言葉を使って「判断基準を仕分けする」と言ってもいいでしょう。
 いくつも存在する判断基準は、すべてが同じ重要性をもっているわけではありません。その時々で「今、もっとも重要な基準はどれなのか」ということを見極め、思い切って判断基準を仕分けてしまいましょう。そうすると、決断することが一気にラクになります。

 『自分のアタマで考えよう』 第5章 より ちきりん:著 ダイヤモンド社:刊

 判断基準を「これだけは譲れない」という項目だけに絞る。
 そして、重要ではない部分は妥協する。

 それが素早く決断するコツです。

「あれも、これも」と欲張って、必要以上にスペックを上げることは時間と労力のムダです。
 思い切って判断基準を仕分けて、すっきり決断できるようになりたいですね。

「思考の棚」に合わせて事前に考えておく

 ちきりんさんは、自分が手に入れた知識を、それをもとに考えたこと(=思考)の中に整理して格納しておくことが重要だと指摘しています。

 同じものを見ても、いろいろ気づく人と、ぼーっとしていてなにも気がつかない人がいます。
 この両者の差は、知識を整理するための思考の棚をもっていて、次に知りたい情報を意識的に持っているかどうかです。

 知識は、ただ無造作に頭の中に入れておくだけでは役に立ちません。

 どの棚にどんな情報が入っているのか。
 空いている棚にどんな情報を欲しているのか。

 それらを意識していないと、実際にそれらの情報に触れても、気づかず見すごしてしまいます。

「今回の調査に関して購入したい3万円の資料集があるので、経費で買ってもいいか」

 会社で部下から、そう問われたとき、下表(下図を参照)を埋めるように指示をすればいいわけです。

図76思考の棚
図.思考の棚 (『自分のアタマで考えよう』 終章 より抜粋)

 ちきりんさんは、このような簡単な表のことを「思考の棚」と呼んでいます。
 瞬時になにかを考えつく人の頭の中には、「次に自分がほしいのは、こういう情報だ」ということが明確にされた「思考の棚」が存在しています。

 重要なことは、それらの知識をそのままの形で頭の中に保存するのではなく、必ず「思考の棚」をつくり、その中に格納するということです。単純に「知識を保存する」=「記憶する」のではなく、知識を洞察につなげることのできるしくみとして「思考の棚」をつくるこれこそが「考える」ということなのです。

 たとえ苦労や努力をして知識を得ても、私たちは使わない知識をすぐに忘れてしまいます。中学・高校時代に習った数学や物理の法則、古文の読み方や歴史の年号をすっかり忘れてしまった人も多いはずです。
 しかもこのネット時代、知識はわざわざ自分の頭の中に保存しなくても、ほしいときにいつでも手に入ります。もはや単純な知識の記憶は、たいして意味のある行為ではありません。
 一方、人は、「一度じっくり考えたこと」は知識よりも圧倒的に長く記憶に残せます。思考は知識より忘れにくいのです。だから「思考の枠組み」の中に知識を格納しておけば、長く忘れずにすむのです。
 新たな情報が手に入ったときには、「この情報を納めるのに適した思考の棚はどんな棚だろうか?」と考えましょう。複雑な棚である必要はありません。シンプルな二次元(縦軸横軸)の表でいいのです。

 『自分のアタマで考えよう』 終章 より ちきりん:著 ダイヤモンド社:刊

 手に入れた知識を、自分でつくった簡単な表の中に格納し、その表を埋める。
 そのためには、あとどんな知識が足りないかを把握しておくことが重要です。

 抜けているパズルのピースを探して埋めるように、情報収集するイメージでしょうか。
 知識は、いざというときにすぐに取り出して使えるようにつねに整理しておきたいですね。

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 日本では、いまだに知識をたくさん持っている人を「頭が良い人」「思考力のある人」とみなす傾向があります。
 学校のテストや入試の問題を見ても、それは明らかですね。

 情報技術の発達により、知識は誰でも簡単にインターネット上で調べることができます。
 自分の中に蓄えた知識そのものの量よりもどのような情報を集めて、それをどのように加工して、自分なりの意見としてまとめることの方が断然役に立ちます。

 ちきりんさんのおしゃるように、「考える」ことと「知る」ことは違います。
 せっかく「知識」を蓄えても、上手な使い方を身につけないと“宝の持ち腐れ”です。

「自分のアタマで考える」を習慣にして、周りに流されない独自の視点を身につけたいですね。

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