【書評】『超訳 日本国憲法』(池上彰)

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 お薦めの本の紹介です。
 池上彰さんの『超訳 日本国憲法』です。

 池上彰(いけがみ・あきら)さんは、元NHKで記者やキャスターを歴任され、現在はフリージャーナリストとして多方面でご活躍中です。

「憲法」は権力者が守るべき最高法規


 日本では、戦後70年という節目の年を迎え、憲法改正の是非を問う声が大きくなりました。
 しかし、「憲法」とはどのようなもので、何のために書かれているのか、理解している人は少ないのではないでしょうか。

 池上さんは、憲法について、以下のように説明しています。

 憲法は、国家の最高法規。いろんな法律の親分のようなものです。
 ただし、一般の法律の多くが、国民が守るべき内容を定めているのに対して、憲法は、「その国の権力者が守るべきもの」なのです。世界の長い民主主義の歴史の中で、憲法は、国家権力を制限し、国民の自由と権利を保障するものとして成長、発展してきました。どんな権力も、憲法の規定に従って統治しなければなりません。この原理を「立憲主義」といっています。日本国憲法も、立憲主義にもとづいています。
 よく「いまの憲法は国民の権利ばかりを述べていて、国民の義務について語ることが少ない」と批判する人がいますが、これは立憲主義の考え方を知らないのですね。国民の権利を保障することを明言するのが憲法の役割だからです。
 憲法に定められた国民の義務は、教育、勤労、納税だけ。これも、具体的な義務に関しては、法律の定めによります。
 憲法を守る義務があるのは権力者。つまり公務員です。
 これは次のように憲法第九十九条に定められています。

 第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

 国会議員も憲法を守る義務があるのです。ただし、言論の自由もありますから、憲法を批判したり、改正を求めたりすることは、当然のことながら認められています。

『超訳 日本国憲法』 前文 より 池上彰:著 新潮社:刊

 憲法は、国家権力を制限し、国民の自由と権利を保障するもの。
 すべての国民が、公立の小中学校において無料で授業が受けられたり、失業したときに一定期間失業手当(雇用保険)が支払われるのも、憲法が「国民の権利」が保障しているからです。
 
 憲法改正を議論するためには、憲法に関する正確な理解が必要です。

 本書は、日本国憲法の全文を、わかりにくい箇所を池上さんが「超訳」しながら、わかりやすく解説した一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「国民主義」と「平和主義」


 日本国憲法は、「前文」と「本文」から成り立っています。

 前文は、当時、日本を占領していたGHQ(連合国軍総司令部)が国連憲章などを参考に作った草案を、日本側が修正を加えてできたもの。

「憲法はアメリカに押し付けられたもの」という批判があるのは、こうした経緯があるためです。

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との成果と、わが国土全土にわたつて自由のもたらす恵沢(けいたく)を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍(さんか)が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 以上が原文です。では、「超訳」をどうぞ。

《日本の国民は、正当な手続きによる選挙で国会議員を選ぶ。この国会議員が、国民の代表として仕事をする。憲法を制定し、法律や予算を作る。
 我々は、我々自身と子孫のために、外国と協力し、自由をしっかり守ることによって、国内の繁栄を図る。政府によって再び悲惨な戦争が起こることのないように我々は決意する。国家の主人は国民であることを宣言して、この憲法を作った。
 国の政治は、国民によって任されたものであり、国家権力は国民の代表が行使し、その結果の福利厚生は国民が受け取る。これは人類みんなにとっての当然の原理である。この憲法は、この考え方によって生まれた。これに反する憲法や法律、天皇の命令は無効である。
 日本国民は平和を念願している。人類にとっての理想を信じる。平和を愛する世界の人々を信頼して、我々の安全と生存を確保することにした。国際社会は平和を愛し、独裁政治や奴隷状態、差別をなくそうと努力している。日本は、その一員として、名誉ある地位を占めたい。全世界の国民は、恐怖や貧困から脱出して、平和に生きる権利を持っている。
 どこの国も、自分のことばかり考えて、他国を無視してはいけない。自国の主権を維持し、他国と対等の関係に立ちたければ、世界のどこでも通用するルールを守らなければならない。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力を挙げて理想の実現に向けて努力をすることを誓う》

「超訳」すれば、こういう内容なのですが、「平和を愛する世界の人々を信頼して、我々の安全と生存を確保する」ということが可能かどうか。日本の周辺を見渡すと、とてもむずかしいと思ってしまいます。
 これが、日本国憲法第九条の改正議論につながっていくのです。

『超訳 日本国憲法』 前文 より 池上彰:著 新潮社:刊

 日本国憲法の三大原則、すなわち、

  • 基本的人権の尊重
  • 国民主権
  • 平和主義
 これらのすべてが、「前文」に謳(うた)われています。
 ただ、内容が現実とかけ離れている部分が多いのは事実です。

 このまま理想を追い求めて今の憲法を堅持するのか、現実を見据えて改正を加えるのか。
 国民のなかでも議論を深める必要がありますね。

日本が「自衛隊」を持つことができる理由


 憲法改正が議論されるとき、必ず議題に上がるのが、「憲法第九条」です。
 第九条は、「戦争の放棄」を謳っており、原文は以下の通りです。

〈第九条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇(いかく)又は武力の行使は、他国との紛争の解決の手段としては、永久にこれを放棄する。
 陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない〉


 この第九条に関しては、「自衛権行使の是非」などを巡り、さまざまな解釈がなされてきました。

 第九条を「超訳」する場合は、二通りの訳がありえます。すべての戦争を放棄したという解釈と、自衛権は保持したという解釈です。その二つにもとづく「超訳」を紹介しましょう。まずは、すべての戦争放棄バージョンです。

《第九条 日本国民は、正義が守られ、混乱しない国際社会を実現することを誠実に強く求め、あらゆる戦争を放棄する。国際紛争を解決する手段として、武力を使って脅すことや武力を使うこともしない。
② 武力は使わないと宣言したのだから、陸軍も海軍も空軍も、その他の戦力も持たない。国が他国と戦争する権利は認めない》
(中略)

 一方、政府の解釈を訳せば、次のようになります。

《日本国民は、正義が守られ、混乱しない国際社会を実現することを誠実に強く求め、侵略戦争を放棄する。武力を使って脅すことや武力を使うことは、国際紛争を解決する手段としては放棄する。しかし、自衛権まで放棄したわけではない。
② 侵略戦争や国際紛争を解決するための武力による脅し、武力行使はしないので、そのための陸軍や海軍や空軍や、その他の戦力は持たない。国が他国と戦争する権利は認めない。だが、自衛のための力を持つことまでは否定しない》

 後者の解釈によって、自衛隊が生まれました。1950年に朝鮮戦争が始まると、日本に駐留していた米軍は朝鮮半島に派遣されます。日本が空白になることを恐れたGHQ(連合国軍総司令部)のマッカーサー司令官は、日本が警察予備隊を創設することを認める、と通告します。
 別に日本が要求したわけではないのですが、これにより誕生した警察予備隊が、やがて自衛隊に成長しました。

『超訳 日本国憲法』 第二章 より 池上彰:著 新潮社:刊

 必ずしも「武力の行使=戦争」とはみなさない。
 自衛権は、国を守るため必要であり、放棄しない。

 それが、第九条に対する日本政府の一貫した主張です。
 憲法で軍隊を持たないはずの日本が、自衛隊を保持している理由は、この解釈によるものです。

国会議員の「給料」と「特権」


 憲法本文の第四章は、「国会」についてです。
 日本は三権分立国家で、「立法(国会)」「行政(内閣)」「司法(裁判所)」の三つの権力は独立していて、相互にチェックし合う構造になっています。

 その中でも国会は、「国の最高機関」であると規定されています。
 唯一、国民から直接選ばれた議員によって成り立っているという理由からです。

 国民の代表者であり、国権の最高機関にして唯一の立法機関の構成者である国会議員は、憲法により、さまざまな特権や厚い待遇によって身分を保証されます。

第四十九条 両議院の議員は、法律の定めるところにより、国庫から相当額の歳費を受ける。

「歳費(さいひ)」とは、国会議員の給料のこと。「国庫から」つまり国民の税金から支払います。「相当額」とあるので、「相当たくさんもらえるのか」と誤解する人がいるかも知れませんが、これは「国会議員にふさわしい金額」という意味です。
「国会法」で、「相当額の歳費」とは、一般職の国家公務員の最高の給料の額以上と決まっています。
 大臣や議長以外の一般の国会議員の歳費は、毎月129万4000円。これに年二回の期末手当(ボーナス)が加わり、年に約2100万円を受け取っています。やっぱり「相当たくさんもらっている」と思うでしょうか。

第五十条 両議院の議員は、法律の定める場合を除いては、国会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議員の要求があれば、会期中これを釈放しなければならない。
 国会議員にはさまざまな特権があります。「不逮捕特権」もそのひとつです。国会が開かれている間は、逮捕されないのです。どうして議員は逮捕されないのか。たとえば、こんな事態を考えてみましょう。
 政府としてどうしても成立させたい法案があるが、反対派議員の方が一人多くて成立しそうもない。反対派の議員が一人でも欠席すれば、賛否同数となり、議長の賛成で法案は成立する。政府が、警察や検察を使って、反対派の国会議員を逮捕すると、どうなるのか。それをさせないために、この規定があります。
 でも、いくら国会議員でも、悪いことをしているに逮捕されないのでは、国民が怒ります。そこで「逮捕許諾請求」という仕組みがあります。これが「法律の定める場合」です。
 警察や検察が「逮捕する必要がある」と考える場合、逮捕の理由とその根拠を国会に示し、国会(逮捕する議員が衆議院議員だったら衆議院)の議員たちに判断してもらい、OKが出たら逮捕できるのです。
 また、現行犯なら逮捕されます。かつて夜の六本木の路上で女性にけしからん振る舞いに出た国会議員が逮捕されたことがあります。現行犯だったからです。

『超訳 日本国憲法』 第四章 より 池上彰:著 新潮社:刊

 国会議員は、国家・国民の代表として多くの特権を持ちます。
 それは同時に、それと同じだけ、国家・国民に利益を供する義務を負うということ。

「国民の鏡」ともいわれる国会議員。
 彼らを選ぶ選挙は、まさに国家の行く末を左右する一大イベントです。

「憲法改正」の手続きについて


 憲法本文の第九章は、「憲法改正の手続き」についてです。
 この章は、「第九十六条」というひとつの条文だけで構成されています。

第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
② 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを交付する。
(中略)
 通常の法律は、衆議院と参議院のそれぞれで過半数の賛成があれば成立します。しかし憲法は、法律より上に位置するもの。簡単に変えるべきではないとの考え方から、改正には、衆議院と参議院のそれぞれで三分の二の賛成があった上で、国民投票をして、過半数の賛成が必要とされています。
 このように法律のようには変えられない仕組みの憲法を「硬性憲法」といいます。憲法には安定が求められる。しかし、時代に合わせて変える必要が出てくるかもしれない。そこで、変えることはできるが、容易には変えられないものにしておこう。こういう考え方です。
 これに対して、容易に改正できるものは「軟性憲法」と呼ばれます。世界の多くの国が硬性憲法なのですが、その厳しさには濃淡があり、国民投票を経ないで改正ができる国もあります。
 この第九十六条について、安倍首相は「各議院の総議員の三分の二の賛成で」という部分を、「過半数の賛成で」と改正すべきだと主張しました。国民の五割を超える人が憲法を変えるべきだと考えていても、国会議員の三分の一を少し上回るだけの人が反対したら憲法は改正されない。これでは国民の意志を尊重していないのではないか。これが安倍首相の主張です。

『超訳 日本国憲法』 第九章 より 池上彰:著 新潮社:刊

 憲法は、国の根幹にかかわる重要なものです。
 やたらに変更されては困るので、改正には、厳しいハードルが課せられているのですね。

 ただ、どんなに素晴らしい憲法でも、長い年月が過ぎ、時代が変われば、実態にそぐわない部分もでてきます。
 制定されてから、まだ一度も改正されていない日本国憲法は、それだけ硬性度が高いともいえるかもしれません。

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 あたかも風雨を避ける大きな庇(ひさし)のように、私たちの暮らしを守ってくれているもの。
 それが、「憲法」です。
 私たちは、それがあまりにも身近で当たり前であるがゆえに、そのありがたさを実感することができません。

 70年間、変わらずに日本を陰で支えてきた憲法。
 変わらないものには、変わらないなりの理由があります。

 憲法改正の是非を問う前に、「平和と民主主義を守る」という憲法の存在意義に触れてみてみる。
 それだけでも、一読の価値があります。


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