【書評】『走る哲学』(為末大)
お薦めの本の紹介です。
為末大さんの『走る哲学』です。
為末大(ためすえ・だい)さん(@daijapan)は、400mハードルを専門とするアスリートです。
トラック競技の日本人選手として初のプロ陸上選手となり、話題となりました。
走る哲学
本書は、為末さんの2010年の秋から2012年春にかけてのツイッター投稿をまとめたもの。
編集者の言葉を借りれば、為末さんのつぶやきは、どれを読んでも心を打たれる深いつぶやきで、たったひとつの技芸を一心に磨き上げる求道者、まさにサムライそのものの内心の吐露
です。
為末さんのツイッター投稿は、読み手に多くの考えるきっかけを与えました。
そして、フォロワーからの多くの反応を呼びます。
為末さんは、読者の反応を通して気づいたことを、以下のように述べています。
アスリートは、自分を強く持って向き合っていたり、はっきりとした目標に向かっているようなイメージをもたれているけれど、実際には日々悩みの連続だし、自分という存在をとても不安に思っていると思う。少なくとも僕はそうだった。
勝ちたい。勝って世の中に認められたいと思ったり、勝てば勝ったで、世の中の期待に応えられそうもなく自信を喪失したり、手にした栄光や名誉が失われることに怯えたり、わかっていても世の中の評価を気にしてしまう。僕は人間の悩みのほとんどは人に関係している思っている。今、社会を包む漠然とした不安感というのは、実はちゃんとしているはずのものがちゃんとしていなかったり、確かなはずのものが確かではなかったりと、自分が根拠にしていたはずのものが根拠にならなくなっているからだと思う。原発の話もしかり、政治への不安もしかり、そういう事にしておきましょう、ということでやり過ごせていたものが、もう突き詰めて考えないとやり過ごせなくなっているのが現代だと思う。
「走る哲学」 はじめに より 為末大:著 扶桑社:刊
弱肉強食のトラック競技という世界で、どのように生き残っていくか。
必死に悩んだ末に生まれた「哲学」に基づき、日々書き綴られていたつぶやきの数々。
それらが多くの人々の共感を得たのは、アスリートほどではないにしろ、私たちもまた、同じ悩みを持って日々過ごしているということ。
本書は、私たちが共通して抱えている問題や悩みについて、どのように考え向かい合うべきかをまとめた一冊です。
いくつかピックアップしてご紹介します。
やめる事のすすめ
成長するには、継続することが必要です。
その一方で、「やめる事」ができるのも、大事なことです。
僕は陸上を続けるという事以外は結構やめまくっている。いつもそう言うのだけれど、どうしてもメディアに出るときは“苦しい時を耐え抜いたからこそ出た結果”になってしまう。ハードルへの転校もハードルに適性を見出したからだと今なら言えるけど、当時は100mに限界を感じての撤退だった。
成功者が語れば、続けるのが大事、やればできる、になるけれど実際には成功するよりたくさんの人が絶えようとして崩れていたりする。そしてメディアでも多く取り上げられるのは成功者の言葉。ほらあの人も言っていると言われて、また限界まで耐える人が出てくる。
日本社会の苦しみは、やめる事がそもそも前提に置かれていない社会の仕組みにあると思う。みんな同じだから、一人やめるのは怖い。逃げるな耐えろと教育されて、いざ社会に出てからさあ自己責任でどうぞと言われても無理だと思う。耐え方はならってもやめ方を習わない。
長距離なんて走らねえよというジャマイカ人を見て、はじめて長い距離を走らないとだめだという思い込みから放たれた。やめていもいいと言われても、怖いものは怖い。だから少しずつ自分がいる世界の常識とちょっと違う常識を覗いていく事で思い込みから放たれるんだと思う。
“継続は力なり”は、常に撤退を頭に入れている時に効力を発揮する。只ひたすらに継続を信じすぎると、大体積み重ね以外の発想も出てこないし、周囲にも継続を辛抱するように迫ってしまう。大きなイノベーションは常に何かの思い込みをやめることが側面にある。
「走る哲学」 第1章 より 為末大:著 扶桑社:刊
「苦しいことでも、黙って耐えることが美徳」
日本では、そのような考え方が、いまだに幅を利かせています。
「もう、これ以上続けられません」
「もう、限界です」
そう言えずに、多くの人が苦しんでいます。
日本国内だけで毎年毎年3万人以上の自殺者が出ている問題も、そんな社会の風土と大きく関係しています。
「続けないといけない」
そんな思い込みをやめることから、次への大きな飛躍(イノベーション)が起こります。
続けるべきこと、やめるべきこと。
それらをしっかり、自分で判断することが必要です。
人は変われるか
「自分を変えたい」
そう思っている人は、多いです。
為末さんも、日々自分を変えようと努力してきました。
その努力から得られた結論を、以下のように述べています。
本質的な人の性質は変わらないし、変える必要はない。ただその性質がネガティブに向かっているのものをポジティブに変えることはできる。これが人は変われるという意味。性質を変えることではなく姿勢を変える事。
他人になろうとするのをやめる時、周りはこう言うだろう。諦めだ、妥協だ、逃げだ。そういう言葉を聞いてはいけない。多くの人は社会が作った理想のモデルに自分を強制していく事を成長だと思っている。だから変わらない性質とそのモデルのギャップにずっと悩み続ける。大事なのは本来の自分を認める事。そしてその自分の扱い方を覚える事。努力とは自分の延長線上に向けられる時に効果がある。人は変われる。それは人生の姿勢において。そして自分でいる事をやめる必要はない。
「走る哲学」 第5章 より 為末大:著 扶桑社:刊
キュウリの種からは、キュウリしか育ちません。
トマトの種からは、トマトしか採れません。
キュウリがトマトになろうというのは、やはり“無駄な努力”です。
キュウリにできることは、立派なキュウリになることだけ。
トマトについても同様です。
「自分はキュウリなんだ」
そう素直に認めることができたとき、人は本当に変わることができます。
自分と向き合う
「自分と向き合う」ことについて。
世の中の問題を語るときは楽しい。苦しいのは自分に視点が向いた時。人はどこかでこんな自分に誰がしたと思いたい。しかし向かい合うと気づいてしまう。自分の人生は誰のせいでもない自分のせいだと。
私は足りなかった。もっと褒めてほしい、もっと認識してほしい。自分自身が世の中に認識される事に喜びを感じた。他人の評価はすぐ消え虚しさが残る。だから必死で走りそして演じた。私がなりたい姿よりも世に欲される姿を。
上手に振る舞えていた。しかしすっきりしない何かずっと心の中にひっかかっていた。「いったい私は何になりたかったのか?」大阪世界陸上で予選敗退が決まった時、私の中で何かが壊れた。それは他人の評価、社会的価値、そして望まれる自分自身の姿だったのだと思う。
(中略)
期待もされる。評価もされる。それが社会の仕組みならその中で生きていくしかない。でも大事なものをわすれないように。自分はいったい何になりたかったのか。誰がなんと言おうとあなたはなりたいものになっていい。「走る哲学」 第5章 より 為末大:著 扶桑社:刊
周りからの期待や評価は、生きていくうえで必要かもしれません。
でも、それ以上に大切なものはあります。
『誰がなんと言おうとあなたはなりたいものになっていい』
ハードルという競技を通じ、さまざまな悩みを乗り越えて自己を実現した、為末さんの言葉。
だからこそ、重い意味を持ちます。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
今年の日本選手権を最後に、陸上競技からの引退を表明した為末さん。
どのような新たな挑戦をされるのか、気になるところです。
これからも、自らの「哲学」に従って走り続けることでしょう。
今から楽しみです。
為末さんの、これからのご活躍を願っています。
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