本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『魔法のコンパス』(西野亮廣)

 お薦めの本の紹介です。
 西野亮廣さんの『魔法のコンパス 道なき道の歩き方』です。

 西野亮廣(にしの・あきひろ)さんは、お笑い芸人、絵本作家です。
 1999年、梶原雄太さんと漫才コンビ「キングコング」を結成され、テレビなどでご活躍中です。

「芸人」の定義とは?

 独特のスタイルや発言で、世間を賑わせる。
 いわゆる、「炎上芸人」として、注目を集めている西野さん。

「芸人」という言葉に対しても、独自の哲学を持っています。

 西野さんの定義する「芸人」とは、職業名ではなく、その瞬間にとっている“姿勢”および、“そういった姿勢をとる人”のこと。

 例えば、進学校を卒業し、皆が大企業に就職していく中、「俺、芸人になる」と言っちゃう奴や、あと2年も働けば退職金を貰えるのに、その日を待てずに「沖縄で喫茶店を始める!」とか言っちゃうオヤジのことです。

 使い方としては、音楽の「ロック」という言葉に近いかな。
 エレキギターを弾いていれば「ロック」かといえば、そうではなくて、逆に、ピアノを弾いていても、フォークギターを弾いていても、「ロックだねぇ〜」と言う。
 つまり、生き様や姿勢、まあ、そんな感じ。
 僕は漫才もするし、コントもするし、絵本も描くし、学校も作るけど、ひな壇には出ないし、グルメ番組にも出ない。
 それら全ては自分の中にある「芸人」のルールで、それに忠実に従って生きている。なんなら、「自分は誰よりも芸人」とすら思っちゃっている。
(中略)
 本筋から外れた人を形容する時に「イタイ奴」という言葉を使うのも、「芸人」を職業名としている人達にありがちな表現で、その言葉を借りるなら、芸人とは本筋から外れた生き方の名前で、「そもそも、芸人はイタイ生き物」だと思っているので、僕は芸人を指して「あの芸人、イタイなぁ」とは言わない。言葉として矛盾しているから。
 ひな壇に出る芸人がいていいし、ひな壇に出ない芸人がいてもいいんじゃないかな。

「それもいいけど、こういう“オモシロイ”があってもよくない?」と提案したり、時に、「アイツのやっていることは、はたして正解なのかなぁ」という議論のネタになったり、そういった、存在そのものが「質問」になっている人を僕は芸人と定義している。
 まずは、そのことを踏まえて、この本を読んでいただけると、「なんで、芸人のクセに、そんなことをするの?」という寄り道をすることなく、話に入っていただけるのかと思う。
 僕は芸人で、とにかく面白いことをしたい。それだけ。

『魔法のコンパス』 はじめに より 西野亮廣:著 主婦と生活社:刊

 形式や肩書にこだわらない。
 ただ、「面白いこと」を追求していく。

 その結果が、今の西野さんを、形づくっています。
 
 本書は、「道なき道の歩く」逆転の発想法をまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「問い」を持つこと

 生きるうえで大切なのは、『「問い」を持つこと』です。

 西野さんは、自分の人生を賭けるような「壮大な問い」は、自分にとって“居心地が良い場所”にはあまり落ちていないと指摘します。

 なぜ、自分がいる場所の居心地が良いかというと、以前、この場所にあった「壮大な問い」を、すでに誰かが解決してくれたからだ。
 1876年にアメリカのグラハム・ベルが電話を発明しちゃったから、「遠くにいる人と会話することはできないの?」という「問い」は、もう生まれない。
 つまり、人生を賭けるほどの「問い」を見つけるには、居心地の悪い場所に立つ必要がある、というか居心地の悪い場所に立ったほうが「問い」が見つかりやすい。

 僕は、「やりたいことが見つからない」という相談を受けた時には必ず、「僕なら、3キロのダイエットをして、その体重を維持してみるよ」と返すようにしている。
 3キロ痩せるには食生活を改めなきゃいけないし、そして痩せたまま体重を維持するには帰り道は一駅手前で降りて歩かなきゃいけないかもしれない。面倒だし、あまり居心地が良いとはいえないよね。
 ただ、それによって何が変わるかというと、入ってくる情報が違ってくる。ここが大事。
 スーパーで食品を手に取る時に、これまで気にしなかったカロリー表示を見る。カロリーが低いものを選んでいくうちに、買い物カゴには、やけに味気ないものばかりが積まれていって、「あぁ、肉、食いてぇなぁ」野菜よりカロリーの低い肉はないのかなぁ?」と、そこで「問い」が生まれる。
 帰り道、ダイエットのために一駅手前で降りて、家まで歩いてみる。その道すがら、まるで流行っていない英会話教室を見つけることもあるだろう。
 その時に、「あの英会話教室は、なんで流行ってないのかな?」という「問い」が生まれる。「教え方かな? 立地かな? 看板のデザインかな?」といった感じで、「問い」がドンドンと。
 それもこれも、一駅分歩いていなければ出会わなかった「問い」だ。
 ダイエットという、居心地の悪い場所に身を投じなければ、出会わなかった「問い」。
 人生を賭けるほどの「問い」は、そんなところに潜んでいる。

 だから、ときどき「生きづらい世の中だ」と嘆いている人を見ると、羨ましくて仕方がない。「何故、生きづらいのか?」「それを改善するためにはどうすればいいのか?」といった「問い」に囲まれているわけだ。天然でボーナスステージに立ってんじゃん。
「問い」には必ず「答え」が埋まっている。
「どうすれば、交通事故が無くなるんだろう?」や「雨の日が待ち遠しくなるようなアイデアは何だろう?」といった、長年、答えが出ていない「問い」にも必ず。

『魔法のコンパス』 1章 より 西野亮廣:著 主婦と生活社:刊

 人生、思うようにならないことだらけです。
 といって、それを嘆いていても、何も解決しません。

「どうしたら、思い通りにならない今の状況を変えられるか」

 その問いを持つことから、すべては始まります。

「イジメ」の終わらせ方

 大きな社会問題となっている「イジメ」。

 イジメをなくそうと、多くの人が、必死で努力をしてきた。
 それにもかかわらず、なくなることはありません。

 なぜでしょうか。

 西野さんは、問題解決に向かう上でで大切なのは、まずは「イジメの正体」を知ることだと述べています。

 イジメを無くそうとする人達は、これまでずっと弱い側・・・・・つまりイジメられっ子側の気持ちに立って、イジメを見てきた。だけど、それでは解決策が出なかったわけだ。
 ならば思いきって、イジメっ子側に立ってイジメを見てみるとどうだろう? すると見えてくる「イジメの正体」。
 結論を言うと、イジメは、イジメっ子からしてみれば「娯楽」なんだよね。お金も要らない、技術も要らない、工夫も要らない、とっても手軽にできる娯楽。そりゃ「イジメやめようぜ」ではイジメが無くならないわけだ。娯楽なんだもん。
「TVゲームばかりするな!」と親から怒鳴られて、その瞬間は電源を切っても、親が寝静まった頃にコッソリと再開した経験は皆にあると思う。まさに、あれだよね。
 娯楽は取り上げることができない。
 それがイジメのようなクソ面白くない娯楽であろうと、娯楽であるかぎり取り上げることはできない。

 ただ、娯楽を“間接的に”取り上げる方法が一つだけある。
 それは「今、ハマっている娯楽よりも、もっと面白い娯楽を与えてあげる」という方法。
 極端にバカな例だけど、『プレステ3』をやめさせたかったら、「プレステ3をやめなさい」と怒鳴るのではなく、『プレステ4』を買い与えればいい。
 イジメをやめさせたかったら、イジメよりも面白い娯楽を与えてあげればいい。
 先生はイジメっ子に歩み寄って、「おい、ブルーハーツって知ってる?」と教えてあげればいい。ギターにハマったら、イジメなんてしている暇はない。
「なんで、イジメっ子にそこまで歩み寄ってやらないといけないんだ!」という声もあると思うけど、目的は、「イジメを無くすこと」だからね。イジメっ子のエネルギーを押さえつけるのではなく、別方向に流してやればいい。

 ただ、“正しいことをしている人”にとって「自分の反対意見は悪」になるので、「イジメやめようぜ」と叫んでいる人達に「そうじゃなくてね・・・・・」という意見をぶつけると、「俺たちは間違っていない! イジメを無くそうと思ってるんだ!」とヒステリックに騒ぎ立てるから、まぁ面倒くさいんだ、これが。
 いつだって、正論バカが一番ブレーキを踏みやがる。

『魔法のコンパス』 2章 より 西野亮廣:著 主婦と生活社:刊

「イジメの正体は娯楽」

 多くの人からバッシングを受けそうな意見ですね。
 ただ、その根拠はしっかりしていて、説得力のあるものです。

 自分の立場ではなく、相手の立場で考える。
 ひとつの視点ではなく、複数の視点で判断する。

 それが問題解決の糸口になります。

「正論バカ」にならないよう、気をつけたいですね。

「空気を読む」の価値

 西野さんは、なにより大切なのは人類を前に進めることで、時代に合わなくなってきたら、ルールを変えればいいと指摘します。

 それらを踏まえた上で、今一度、「空気を読む」という言葉の意味を定義しておいたほうがいい。今いる場所から前に進むためにだ。
 今、「空気を読む」は、「多数派につく」という意味で使われている。
 小舟と大船があったら、大船に乗ることを「空気を読む」としている。
 とにかく人が多いほうをチョイスすることを「空気を読む」としている。
 とすると、「空気を読む」という能力には何の価値もないんだよね。
「俺は空気が読める」とか言っちゃう奴には知性の欠片もない。空気なんて読めて当たり前。パッと見て、人が多いほうを選べばいいだけだから。皆が黙っていれば、黙ればいい。それだけ。

 ただ、「空気を読む」という行為が、正解か? となると、それは、また別次元の話。
 どれだけ船が大きくても、タイタニック号に乗れば、数時間後には沈むわけだから。
 大切なのは、航路や船底や積荷量を点検し、キチンと目的地に着く船を選べる能力を養うことだ。
「大局観を持つ」と表現されることもあるその能力こそが「空気を読む」の本分なんだけど、今、「空気を読む」という言葉は、それとは違った意味で使われている。
 ただ、先に書いたとおり、「皆、『空気を読む』の意味を、はき違えている!」と叫んだところで、もうこの流れは止めることはできないので、そんなことを言うつもりはない。
「空気を読む」という意味は今のままでいい。空気を読みたい奴読めばいいと思う。大きな船が安全に目的地に着く場合もある。むしろ、そのほうが多い。
 なので、決して、「少数派を選べ」という話をしているわけではない。踏まえておいたほうがいいのは、「選考理由を『人数』にしてしまう、今の時代の『 空気を読む』という能力には、何の価値もないよ」という話。

『魔法のコンパス』 3章 より 西野亮廣:著 主婦と生活社:刊

「空気を読む」ことは、多数派を選ぶこと。
 つまり、常識的な意見を選ぶことです。

 そうすれば、周りから非難されることも、疎まれることはありません。
 しかし、それが自分にとって、本当に正しい選択かは、別問題です。

 周りの意見ではなく、自分の意志が大事。
 やりたいことをやるには、「空気を読まない」勇気も必要です。

仕事になるまで遊びなさい!

 人工知能の急激な進化。
 それにより、これまで人間がやっていた仕事が、次々と機械やロボットに取って代わられています。

 この傾向は、ますます強まっていくことでしょう。

 西野さんは、環境の変化に常に気を配り、しなやかに順応していかなければならないと述べています。

 ロボット(機械)の進化と仕事の話に戻すと、まもなくロボットに奪われる仕事なんて山ほどある。
 商店のレジ打ち係や、箱詰めや積荷降ろしなどの作業員や小売店販売員。会計士なんかも時間の問題じゃないかな。
 こんな未来がまもなく確実にやってくる。
 その時、ステレオタイプの親父が口にする「好きなことで食っていけるほど人生は甘くない!」という人生訓は、まったく的が外れていて、好きでもない仕事は、これから更にロボットが奪っていくんだから、人間に残されたのは“とても仕事とは呼べない好きなこと”しかないんだよね。
 たとえば「旅」だったり、「グルメ」だったり。いうなれば、趣味だよね。さすがのロボットも、趣味には手を出さないから。
「好きなことで食っていけるほど人生は甘くない!」という時代から、「好きなことで生きていく」を追い求める時代になり、これからは「好きなことでしか生きていけない」という時代が間違いなくやっていくる。

 なもんで、土日の休日に好きなことをするために、月〜金は会社で苦行に耐えるみたいな生き方をしている人は、ちょっとヤバイんじゃないかな?
 年がら年中趣味に時間を費やして、その趣味をマネタイズできる仕組みを発明しないことには、どうにもこうにも。

 そもそも「好きなことで食っていけるほど人生は甘くない!」なんて傲(おご)りだよね。
 たとえば、ロックンロールが好きだけど、それでは生活ができないから、しぶしぶ引っ越し屋さんで働くことにしたとする。
 ただ、その世界には“引っ越し業が好きで好きでたまらない奴”がいるわけで、じゃあ、しぶしぶ引っ越し業を選んだ人間が、そんな奴に勝てるの? という話。
 こっちがロックンロールのことを考えているぐらい、相手は四六時中、引っ越しのことを考えているわけだ。あまりにも分が悪い。
 そこにダメ押しで、2045年問題だ。

 もう好きなことでしか食っていけなくなる。
 今後、親が言うのは「遊んでばかりいちゃいけません。仕事をしなさい」じゃなくて、
「仕事になるまで遊びなさい!」だね。
 どうやら面白い未来が待ってるよ。

『魔法のコンパス』 4章 より 西野亮廣:著 主婦と生活社:刊

 誰でもできる単純な作業、手順の決まった、ルーチンワーク。
 それらはロボットの得意分野です。

 私たちは、それ以外の分野、創造性・個性・感性などを武器にするしかありません。

 本気で打ち込めること、得意なことで勝負する。
 好きなことでしか生きていけない。

 まさに、そんな時代に突入したということですね。

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 変化が激しく、先の見えない今の時代。
 私たちは、まっ暗闇の荒海に投げ込まれた「小舟」のような存在です。

 どこを目指せばいいか。
 このまま進むべきか。
 引き返すべきか。

 決断を迫られ、迷う場面に、数多く遭遇するでしょう。

 西野さんの言葉は、立ちすくむ私たちに、一歩前に踏み出す勇気をくれます。

 自分の生き方に不安を感じたとき。
 出口の見えない迷路に入ってしまったとき。

 そんなときこそ、一読頂きたい一冊です。
 まさに、『魔法のコンパス』となって、進むべき方向を示してくれます。

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