【書評】『〈インターネット〉の次に来るもの』(ケヴィン・ケリー)

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 お薦めの本の紹介です。
 ケヴィン・ケリーさんの『〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則』です。

 ケヴィン・ケリー(Kevin kelly)さんは、米国の著述家、編集者です。
 93年に雑誌「WIRED」を創刊、その編集長を務められるなど、サイバーカルチャーの論客としてご活躍されています。

これからの30年を形作る「12の不可避なテクノロジー」


 現在までの約30年間は、インターネットとウェブ、モバイルの融合したシステムが、現代社会の中心へと躍り出た時代でした。
 ケリーさんは、この大きな歴史的な流れがいまだに健在で進化し、このトレンドが今後数十年ずっと増大し続けるだろうと指摘します。

 ケリーさんは、テクノロジーの性質そのものに、ある方向に向かうけれど他の方向には行かないという傾向(バイアス)があると述べています。
 サービスや製品の一つひとつを取れば、もちろん、新しく生まれるものもあれば、淘汰されるものもあります。
 しかし、根底を流れるテクノロジーの大きな流れは、「不可避」だということです。

 ここで私が話しているデジタル世界の不可避とは、ある慣性の結果生じたものだった。つまり、テクノロジーの移り変わりには慣性が働いている。過去30年間にデジタルテクノロジーを形成してきた強い流れは、これから30年間さらにしっかりと広がっていくだろう。それは北米に限らず、全世界にわたってだ。本書が紹介する事例はアメリカ合衆国のものだが、それはよく知られているというだけで、それと同じような事例はインド、マリ、ペルー、エストニアでも容易に見つけることができるだろう。デジタルマネーの本当の主導者は、電子マネーがときとして唯一の通貨となるアフリカやアフガニスタンだ。モバイルの共有アプリの開発に関しては、中国が他の地域のはるか先を行っている。文化によってそれらが進歩したり遅れて現れたりすることもあるが、その底流としてある力は普遍的なものなのだ。 ここ30年、私はオンラインの世界で生きてきて、最初はパイオニアとして、その後はこの新しい大陸を築く役割の一部を担ってきた経験を基に、不可避であると私が自信を持って言えるのは、それがテクノロジーの深い部分での変化から来るものだからだ。ハイテクの新製品たちは、そうした底流の上でキラキラと輝いている。デジタル世界のルーツは、ビットと情報、ネットワークの持つ物理的欲求と自然の性質に根差している。どの場所にあろうとも、どの集団や政治形態でも、ビットとネットワークのこうした基本的構成要素が繰り返し同じような結果を生み出すだろう。そうした不可解さは、内在する基礎的な物理法則から来る。本書では、そうしたデジタル・テクノロジーのルーツに光を当てようと思う。次の30年のトレンドが、そこから持続的に生み出されていくからだ。

『〈インターネット〉の次に来るもの』 はじめに より  ケヴィン・ケリー:著 服部桂:訳 NHK出版 :刊

 本書は、今後30年を形作ることになる、『12の不可避なテクノロジーの力』を挙げ、それぞれについて解説した一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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テクノロジーの本質は、〈なっていく〉こと


 テクノロジーの進化は、日進月歩です。
 放っておくと、すぐに時代から取り残されてしまうので、定期的なアップグレードが欠かせません。

 ケリーさんは、アップグレードはある種の衛生手段だと考え、テクノロジーの健康を保つための健康法だと考えています。

(前略)テクノロジーのシステムにとってアップグレードを続けることは不可欠なので、主要なコンピューターのOSやいくつかのアプリでは、自動アップデートが行なわれる。マシンは陰に隠れて自らをアップグレードし、時間と共に静かに自らを変えていくのだ。これは徐々に行なわれるので、われわれはそれらが何かに〈なっていく(ビカミング)〉ことに気づかない。
 われわれはこの進化を当たり前に受け取るようになるだろう。
 未来のテクノロジー生活は、終わることないアップグレードの連続となる。そしてその頻度はどんどん高まっていく。性能は変化し、デフォルトというものはなくなり、メニューが姿を変えていく。いつもは使わないソフトを開いてある機能を使おうとしたら、メニューそのものがすべて消えていたということも起こるだろう。
 あるツールをどんなに長く使っていたとしても、際限ないアップグレードのせいであなたは初心者、つまりどう使っていいか分からない新米ユーザーになってしまうだろう。この〈なっていく〉世界では、誰もが初心者になってしまう。もっと悪いことに、永遠に初心者のままなのだ。だからいつも謙虚でいなくてはならなくなる。
 それは繰り返し起こる。未来にわたってずっと、誰もが新しいものに追いつこうとする永遠の初心者になる。第一にそれは、これから30年後の未来を支配する重要なテクノロジーのほとんどがまだ発明されていないので、自ずと誰もが初心者になるからだ。二つ目に、新しいテクノロジーは際限なくアップグレードを要求するので、あなたはずっと初心者のままだ。そして三つ目に、陳腐化のサイクルがどんどん早くなり(電話アプリの平均寿命はたったの30日だ!)、別のものに取って代わられるまでにそれを習得するだけの時間はなくなり、あなたは永遠に初心者のままとなる。年齢や経験と無関係に、永遠の初心者こそが、誰にとっても新たなデフォルトになる。

『〈インターネット〉の次に来るもの』 BECOMING より  ケヴィン・ケリー:著 服部桂:訳 NHK出版 :刊

 始まりがなく終わりもない、限りない進化の過程。
 つまり、〈なっていく(ビカミング)〉が、テクノロジーの本質です。

 もはや、アップグレードは、個人的な意思で決めるものではなく、強制されるものとなりました。
 私たちは、否が応でも、テクノロジーの進化の大波に乗りながら、生きていく必要があります。

「人工知能」がもたらす破壊的変革


 人工知能(AI)が普及することで、まず起こる変化。
 それは、ほんのちょっと有用な知能を組み込んでやるだけで、まるで違うレベルの動きをするようになることです。
 ケリーさんは、動きのないモノを認知化(コグニファイ)することで得られる利点は、産業革命の何百倍もの規模で、われわれの生活に破壊的変革をもたらすと指摘します。

(前略)現在は、これまで電化されたものをコグニファイする段階だ。IQをいくらか加えることで、ほとんどあらゆるものが新しく、いままでと違った、より興味深いものになるだろう。実際に、これから起業する1万社の事業計画を予想するのは簡単だ。それはただ、XにAI機能を付けるというものた。オンラインの知能を加えることで良くなるものを、ただ探せばいいのだ。
XにAI機能をつけるというマジックが成功した優れた実例は写真撮影だ。私は1970年代には旅行カメラマンをしていて、いつも重いバッグや機材を運んでいた。バックパックにはフィルム500本と、ニコンの真鍮製ボディ2台、フラッシュと、それぞれが重さ1ポンド以上あるレンズを5本も入れていた。写真を撮るためには、暗い中でも光を捉えるために「大型レンズ」が必要で、遮光したカメラに、ピント合わせや測光、数千分の1秒だけ光をさっと通すための複雑で驚嘆すべき機械工学が必要とされた。あれから何が起こっただろうか? 現在私が持っている普段使いのニコンのカメラは、重さはないに等しく、ほとんど光がないところでも撮影でき、鼻先から無限大まで自在にズームできる。もちろん、スマートフォンに付いているカメラはもっと小さくていつでも手元にあり、重量級のおんぼろカメラと同じくらいきれいに撮れる。新しいカメラはより小さく、より速く静かで、より安価になっているが、それは小型化が進んだからというだけでなく、伝統的なカメラの持っていた性能がスマートさに置き換えられたからだ。つまり、写真撮影のXがコグニファイされたのだ。最近のスマートフォンのカメラは何層もの厚いガラスの代わりにアルゴリズムと計算の知性によって、物理的なレンズが今まで行なっていた仕事を代替する。物理的なシャッターは、手に触れることのできない機能に取って代わられた。暗室やフィルム自体も、コンピューターの機能と光学的な知能によって置き換えられた。まったく平らで、レンズが一つも付いていないカメラまでデザインされている。レンズを使う代わりに完全に平らな光センサーが付いており、ピントも合っていないさまざまな光の波に対して信じられないほどの膨大な計算を行なって、画像を認知するのだ。写真撮影をコグニファイすることで、カメラはあらゆるもの(サングラスのフレームや、服の襟やペンなど)に組み込むことができるようになり、その上、以前は10万ドル以上もかかりバン1台分ほどの装置が必要だった3DやHDなどの他の機能も使えるようになるという革命的な変化が起きた。コグニファイされた写真撮影は、いまではほぼどんなデバイスでも片手間で行なえる機能になった。
(中略)
 Xの候補は数限りなくある。ありそうもない分野にこそAIを当てはめた方が、より強力な働きをしてくれる。コグニファイした投資はどうだろう? すでにこうしたことを行なう、ベターメント[Betterment]やウェルスフロント[Wealthfront]という会社がある。彼らは株式の運用にAIを加え、税金対策の最適化やポートフォリオ間の持ち合いの調整に使っている。プロの資金管理者なら年に1度行なう程度の作業だが、AIはそれを毎日、毎時こなすことができるのだ。

『〈インターネット〉の次に来るもの』 COGNIFYING より  ケヴィン・ケリー:著 服部桂:訳 NHK出版 :刊

 これまで、高度な技術が必要とされてきた、いわゆる“職人の技”。
 それらの大部分がAIに置き換わるのは、時間の問題だということ。

 これまで機械化できなかった、複雑で繊細な技術こそ、AIの独壇場となります。
 あらゆるものが〈コグニファイ〉され、人間の手を離れる。
 そう考えると、ケリーさんが『生活に破壊的変革をもたらす』というのも、決して大げさではないですね。

本当に価値があるのは「コピーできないもの」


 ケリーさんは、インターネットは世界最大のコピーマシンであり、デジタル経済はこうした自由に流れるコピーの川の上を動いていると述べています。

 音楽、書籍、映画、ニュース・・・・。
 膨大な無料のデジタル複製物であふれかえる、この過飽和状態の世の中。
 コピーはあまりにありふれて、しかも安いので、本当に価値があるのは「コピーできないもの」だけになります。

(前略)簡単にいえばこうだ――コピーが超潤沢にあるとき、それは無価値になる。その代わり、コピーできないモノは、希少化して価値を持つ。
 コピーが無料になると、コピーできないモノを売らなくてはならない。では、コピーできないモノとは何なのか?
 例えば信用がそうだ。信用は大量に再生産できない。信用を卸しで買うこともできない。信用をダウンロードしてデータベースに蓄えたり、倉庫に備蓄したりということもできない。何より単純に、誰か他人の信用を複製することなどできない。信用は時間をかけて得るものなのだ。それを偽ることはできない。もしくは模造することもできない(少なくとも長期間にわたっては)。われわれは信用できる相手と付き合おうとするので、その恩恵を得るためなら追加の金額を払う。それを「ブランディング」と呼ぶ。ブランド力のある会社は、そうでない会社と同じような製品やサービスにより高い値段を付けることができるが、それは彼らが約束するものが信用されているからだ。信用が手に触れられないものである限り、コピーで飽和したこの世界では価値を増すのだ。
 他にもコピーできない信用のような資質はたくさんあり、それらが現在のクラウド型経済では価値を持っている。それらを観察する一番良い方法はまず、人びとは無料でも手に入るものになぜお金を払うのか、という簡単な疑問から始めてみることだ。そして彼らが無料のものにお金を払うときに、本当は何を買っているのかと問いかけてみることだ。
 実際的な意味合いにおいて、それらコピーできない価値は、無料より良いということだ。無料は良いことだが、それにお金を払うということは、さらに良いということだ。私はそうした性質を「生成的なもの」と呼ぶことにする。生成的な価値は、取り引きをした時点で生成される資質や特性を指す。生成されたものはコピーもクローン化もできず、倉庫にしまっておくこともできない。生成的なものは偽ったり複製したりできない。それはリアルタイムで交換されるときにだけ起きる。生成的な資質は無料のコピーに価値を与え、値段をつけて売れるものにする。

『〈インターネット〉の次に来るもの』 FLOWING より  ケヴィン・ケリー:著 服部桂:訳 NHK出版 :刊

 ケリーさんは、「信用」の他に、以下の「無料より良い」八つの生成的なものを挙げています。

  • 即時性
  • パーソナライズ
  • 解釈
  • 信頼性
  • アクセス可能性
  • 実体化
  • 支援者
  • 発見可能性
 私たちの社会は、利便性を追求し、デジタル化、機械化を推し進めてきました。
 その結果、自動化できないアナログ的なものが価値を持つようになったのは、皮肉なことです。

「所有する」から「アクセスする」へ


 ケリーさんは、所有することは昔ほど重要ではなくなっている。その一方でアクセスすることは、かつてないほど重要になってきていると指摘します。

「インターネット」と「ウェブ」と「スマートフォン」。
 それらが結び付いた世界は、「世界最大のレンタル店」の中に住んでいるのと一緒です。
 そこでは、私たちはまるで自分が所有しているかのように、即座に商品やサービスを利用できます。

 アクセスへと向かい、所有から離れていく長期的な動きを加速させる。
 その大きなトレンドのひとつに「非物質化」があります。

 デジタルテクノロジーは、製品からサービスへの移行を促すことで非物質化を加速する。サービスはそもそも流動的なので、物質に縛られる必要がないのだ。しかし非物質化はただのデジタル商品を指しているのではない。たとえばソーダ缶のような固い物理的な製品が、より少ない材料を使うほど便利になるのは、その重いアトムが重さのないビットで置き換えられているからだ。手に触れられるものが、手に触れられないものへ置き換わっていく――より良いデザイン、革新的なプロセス、スマートなチップ、オンライン接続といった手に触れられないものが、以前はアルミが行なっていたこと以上のことを代行していく。知能といったソフトがアルミ缶のような固い物(ハード)の中に組み込まれ、固い物(ハード)がソフトのように動くようになる。ビットが吹き込まれた物質的な商品が、まるで手に触れられないサービスのように振る舞いだす。名刺は動詞へと変容する。シリコンバレーではこれを、「ソフトウェアがすべてを食べつくす」という言い方をする。
(中略)
 アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスが2007年に初めてキンドルの端末を紹介したとき、それはプロダクトではないと主張した。そうではなく、読むものへのアクセスを売るサービスだと言うのだ。その話はその7年後にアマゾンが、約100万冊の電子本を読み放題にするサービスを開始したときに、よりはっきりしたものになった。読書好きの人はもう個々の本を買う必要はなく、キンドル1台を購入することで、現在刊行されているほとんどの本へのアクセスを買うことになるのだ(キンドルのエントリーモデルの値段は徐々に下がっており、いずれはほとんど無料になるだろう)。プロダクトは所有を促すものだが、サービスは所有する気をくじく――というのも所有という特権に伴う排他性、コントロール、責任といった足かせがサービスにはないからだ。
「所有権の購入」から「アクセス権の定額利用(サブスクリプション)」への転換は、これまでのやり方をひっくり返す。所有することは手軽で気紛れだ。もし何かもっと良いものが出てきたら買い換えればいい。一方でサブスクリプションでは、アップデートや問題解決やバージョン管理といった終わりのない流れに沿って、作り手と消費者の間で常にインタラクションし続けなければならなくなる。それは1回限りの出来事ではなく、継続的な関係になる。あるサービスにアクセスすることは、その顧客にとって物を買ったとき以上に継続的な関係になる。あるサービスにアクセスすることは、その顧客にとって物を買ったとき以上に深く関わりを持つことになる。乗り換えをするのが難しく(携帯電話のキャリアやケーブルサービスを考えてみよう)、往々にしてそのサービスからそのまま離れられなくなる。長く加入すればするほど、そのサービスがあなたのことをよく知るようになり、そうなるとまた最初からやり直すのがさらに億劫となり、ますます離れ難くなるなるのだ。それはまるで結婚するようなものだ。もちろん作り手はこうした忠誠心を大切にするが、顧客も継続することによる利点をますます享受することになる(そうでなくてはならない)――品質の安定、常に改善されるサービス、気配りの行き届いたパーソナライズによって、良いサービスだと思えるのだ。

『〈インターネット〉の次に来るもの』 ACCESSING より ケヴィン・ケリー:著 服部桂:訳 NHK出版 :刊

「モノが売れなくなった」
 そういう声は、いろいろなところから聞こえます。
 もちろん、長引く不況の影響もありますが、社会の意識の変化も大きいです。

「所有する」から「アクセスする」へ。
 その流れは、ますます加速し、私たちの生活を大きく変えることでしょう。

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 インターネットが発明されてから30年。
 この30年で、人々の生活は大きく様変わりしました。
 もはや、パソコンやスマートフォンのない生活は、考えられません。
 とくに若い人たちは、インターネットにつながらない世界は、想像すらできないでしょう。

 しかし、テクノロジーの進歩は、これからが本番です。
 過去30年で生み出したものは、真に優れたものを作り出す強固なプラットフォームにすぎません。

 これからテクノロジーは、どのような発展を見せるのか。
 どんな画期的なサービス、製品を生み出すのか。
 ますます加速するであろう、これからの30年が楽しみですね。


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