【書評】『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』(佐藤勝彦)

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お薦めの本の紹介です。
佐藤勝彦さんの『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』です。

佐藤勝彦(さとう・かつひこ)さんは、宇宙論・宇宙物理学がご専門の理学博士です。

「量子論」とは何か?

私たちが手に持っている携帯電話やパソコンなどの電子製品。
その心臓部に使われている半導体チップの中を支配しているのが「量子論」と呼ばれる物理法則です。

実際、半導体は「量子論の結晶」だとしばしばいわれているそうです。

 地球が太陽の周囲を回る公転運動や、飛行機や自動車などのマクロの物体の運動は、ニュートンが作った古典力学で計算し、結果の予言ができます。しかし分子や原子、素粒子のような小さな世界では、ニュートンの古典力学が使えません。こうしたミクロの世界に適用される物理学の理論が量子論です。したがって半導体の中だけでなく、遺伝子やDNAの構造を決めているのも量子論ですし、原子炉の中でエネルギーを作り出す核分裂反応や、太陽エネルギーを生み出す核融合反応も量子論に従って起きているのです。
二十世紀の初めに、現代物理学の日本の柱である量子論と相対性理論が作られました。この二つの法則によって、物質の究極の微小構成要素である素粒子のしくみから、人を含む生物の構造や進化、そしてマクロの極限である宇宙の創生までもが解明されようとしています。量子論と相対性理論は私たちの住む世界の認識を深めるだけでなく、私たちの日常生活や人間社会のあり方まで大きく変えてしまったのです。
でも一般の方にとって、量子論は相対性理論に比べるとなじみがないようです。しかしその重要性だけでなく、魅力(不思議さ、面白さ)という点でも、量子論は相対性理論に勝るとも劣らない理論です。本書では量子論建設の歴史を追いつつ、偉大な先人たちがいかに苦労しながら量子論を作り上げたのかを、豊富な図解を用いて丁寧に紹介しています。皆さんも、その場にいた研究所の一人となって考えてもらうことで、先人たちと同じように悩みながら、量子論の不思議な世界を探り、その面白さを味わってほしいと思います。

『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 はじめに より 佐藤勝彦:著 PHP研究所:刊

私たちの生活に深く関わりながらも、とっつきにくく、馴染みの薄い量子論。

本書は、そんな量子論がいかにして生まれ、発展していったのかを、図解を多用しながら、わかりやすく解説した一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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私もあなたも「波」である

量子論は、「ミクロの世界の憲法(自然法則)」であり、大きさでいうと、およそ1ミリメートルの1000万分の1より小さな世界で活躍する理論です。

このミクロの物質が従っている、奇妙で常識外れのルール
その代表的なものの一つが「誰にも見られていない時は住所不定になる」というものです。

 それにしても、一体なぜミクロの物質は、誰にも見られていない時には「住所不定」になってしまうのでしょうか。それは、ミクロの物質が「波」としての性質をもっているためです。
ミクロの物質、たとえば電子は、小さな「粒子」上の物質であると、皆さんは思っているはずです。量子論が登場する以前の物理学においても、電子の正体は小さな粒子だと考えられていました。
しかし量子論では、電子を波であると考えます。正確には、電子などミクロの物質は粒でもあるが波でもあるという、矛盾する二面性を持っていることを量子論は明らかにしたのです。

ミクロの物質は波としての性質を持っているといいましたが、この波は、海面などにできる波とは本質的に違っています。
水の波は、無数の水分子の集まりが、全体として波のような運動をしている現象です。これに対して電子は、一個だけで波の性質を示します。ただしこれは、一個の電子が波打ってうねうねと動いているという意味ではありません。一個の電子そのものが波であり、波としての性質を示すのです。
そもそも、私たちがよく知っている波は、「物質」ではなく「現象」です。たとえば音は音波という波ですが、音は空気中の窒素(ちっそ)分子や酸素分子などの密度の濃淡が伝わっていく現象です。つまり音は現象であって「音」という物質が実際に存在しているわけではありません。
これに対して「電子を波と考える」という時、その波は現象ではなく、電子という物質そのものなのです。別のいい方をするなら、電子の正体は、私たちが見たこともない、波のような性質を示す不思議な「モノ」なのです。

さて、波というものはどこか「一か所」だけにあるもの手はなく、ある広がりを持って存在しています。そして量子論によると、誰にも見られていない時、ミクロの物質は波になっています。その時、ミクロの物質は、どこか一か所にいるといえず、「ここにいるともいえるが、あそこにいるともいえる」という住所不定の状態になるのです。ただし、これ「ミクロの物質が雲のように薄く広がっている」という意味ではないので、注意して下さい。
そしてじつは、ミクロの物質だけではなくて、マクロの物質も波としての性質を持っています。夜空に輝く月も、私たち人間も、あらゆる物質は、誰にも見られていない時には波になっているのですーー信じられないでしょうが。
ただし、マクロの物質が波になっても、その波の広がり方はごく小さなものになります。そのため、波はほぼ一点にある、つまりマクロの物質はほぼ一か所にいると考えてもよいのです。別の表現をするなら「マクロの物質は波としての性質が弱い」といってよいでしょう。
これに対して、ミクロの物質は波としての性質が強く、波になっている時には大きく広がります。そのために、その居住所をどこか一か所に特定できず、「住所不定」になってしまうのです。

『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 第1章 より 佐藤勝彦:著 PHP研究所:刊

図A ミクロの物質は不思議な波 量子論がみるみるわかる本 第1章

図A.ミクロの物質は不思議な波
(『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 第1章 より抜粋)

すべての物質は「波」です。

波ですから、広がりをもって存在している。
だから「住所不定」なのですね。

革新的だったプランクの「エネルギー量子仮説」

量子論の始まりは、1900年にドイツの物理学者・プランクが「エネルギー量子仮説」を発表したことに遡ります。

エネルギー量子仮説は、物質を熱した時の物質の温度と、その物質が放つ光の色との関係を探る過程で生まれました。

図B 光の成分分析の奇妙な結果 量子論がみるみるわかる本 第2章

図B.光の成分分析の奇妙な結果
(『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 第2章 より抜粋)

 一般に、自然界で観測されている光は単一の色の光だけでできているのではなく、複数の色の光を含むことが知られています。その典型例が太陽光です。太陽光をプリズムに通すと、さまざまな色の光が含まれていることがわかります(上の図B上を参照)。
そしてその中でもっとも明るい光(強い光)の色を、私たちは「その物体の色」として認識するのです。太陽光の場合には黄色い光が最も強いために、太陽を見ると黄色っぽく見えることになります。
ところで、光の色の違いとは、光の波長の違いです。波長とは波の一つの山から次の山までの長さのことです。光(可視光)の場合、赤い光がもっとも長い波長を持ち、橙、黄、緑、青、藍(あい)、紫の順に波長が短くなっていきます。
そして、ある光の中にどんな波の波長の光が含まれていて、波長ごとの光の強さがどのくらいかを調べること、簡単にいえば光の成分を分析することを「光のスペクトルを調べる」といいます。スペクトルとはもともと「混ざりあったものを分けて並べたもの」という意味の言葉です。

67ページ図2(上の図B下を参照)は、高温の物体が放つ光のスペクトルのグラフを表したものです。
一番下の曲線は1000℃の物体が放つ光のスペクトルです。グラフの縦軸は光の明るさ(強さ)を、横軸は光の振動数を表しています。光の振動数とは「一秒間に波である光が何回振動したか」を示すもので、光の波長が短いほど光の振動数は大きくなります。
1000℃の曲線を見ると、振動数が大きくなる(つまり波長が短くなる)につれて光は強くなります。しかしある振動数のところでピークを迎えて、それ以上の振動数では光が急激に弱まっています。
1250℃、1500℃と温度が上がっても、曲線全体の形はほぼ同じですが、山のピークが温度の上昇とともにグラフの右上のほうに移っています。このピークの振動数が絶対温度に比例していることもわかりました(絶対温度0度はおよそマイナス273℃に相当します)
このように高温の物体が放つ光のスペクトルの特徴が明らかになったので、物理学者たちはこのグラフの曲線を数式で表して、スペクトルと温度の関係に法則を見出そうとしました。ところがここで、大きな壁にぶつかってしまったのです。

じつは、当時の物理学に基づいた「理論的」なスペクトル線は、図2の点線のようなものになります。これを見ると振動数が大きな光ほど、その明るさ(強さ)がどんどん増しています。しかも振動数が大きな光をいくらでも考えることが可能なために、その線は右肩上がりの「天井知らず」になってしまうのです。

『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 第2章 より 佐藤勝彦:著 PHP研究所:刊

その問題を解決したのが、プランクです。

プランクは、高温の物体が放つ光のスペクトルの実験曲線を正確に示す方程式を導き出すことに成功しました。

 続いてプランクは「高温の物体が放つ光のスペクトルには、なぜ振動数のピークがあるのだろうか」と考えた末に、革命的な発想にたどり着いてしまいました。それは光のエネルギーは一個、二個と数えられる小さな固まり、いわば「粒」のようなものではないか、というものです。
その考えをさらに進めて、プランクは光のエネルギーについて一つの仮説を提案しました。それは、
「ある振動数の光が持つエネルギーの値は、振動数にある定数(プランク定数といいます)をかけたものを最小単位として、必ずその整数倍になっている」
というものです。これをエネルギー量子仮説と呼びます。言葉で書くと少しややこしい内容に思えますが、数式で表すと、71ページ図1で示すような非常にすっきりしたものになります(下の図C上を参照)。
つまり振動数がν(ニュー、ローマ字のnに相当するギリシャ文字)である光のエネルギーを測ると、その値は必ずhν(プランク定数h×ν)、2hν、3hν・・・・・・・という「とびとび」の値のどれかになっているのです。ということは、光がエネルギーを受け取ったり放出したりする際にはhνを単位として、いわばhνという大きさのエネルギーをひと固まりの「粒」のようにして受け渡しをすると考えられるのです。

エネルギー量子仮説を用いると、高温の物体が放つ光のスペクトルに「振動数のピーク」がある理由をうまく説明できます。
エネルギー量子仮説によると、振動数がνである光のエネルギーは、必ずhν単位のとびとびの値を示します。したがって、振動数νの値が大きくなれば、そのエネルギーの単位であるhνの値も大きくなります。
一方、ある高温の物体が放つことができるエネルギーは、当然有限の値になっています。したがって高温の物体は、たとえば自分が持つ全エネルギーよりもhνの値のほうが大きくなってしまうような場合、その振動数νの光を放つことはできません。そのために高温の物体は、どんなに大きな振動数の光でも放つことができるわけではなく、結果としてある振動数をピークとするようなスペクトルを持つ光を放つことになるのです。

このようにプランクは、光のエネルギーはhνを単位とするとびとびの値を示すこと、つまり光はエネルギーをhνずつ、一つの「固まり」として受け渡しをするという仮説を示しました。このひと固まりの単位量こそが、量子というものになります。
日本語では小さいもの、小さい粒子という意味で、名前に「子」をつけることがよくあります。原子、電子、素粒子などはすべてミクロの粒子です。
しかし前にもお話したように、量子の場合は「量子」という名前の特定の微粒子が存在するわけではありません。ひと固まりとして考えられる小さな単位量が「量子」なのです。たとえば光のエネルギーの場合は「hν」が量子ということになります。

『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 第2章 より 佐藤勝彦:著 PHP研究所:刊

図C 光はエネルギーを固まりで受け流し 量子論がみるみるわかる本 第2章

図C.光はエネルギーを固まりで受け流し
(『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 第2章 より抜粋)

それまでの物理学では、「すべての量(物理量)は連続的に変化するものである」とされていました。

エネルギーが「nhν」という、とびとびの値をとるという「エネルギー量子仮説」は、まさに常識を覆す革命的な理論だったわけです。

量子論を発展させたボーアの功績

プランクの「エネルギー量子仮説」を発展させ、独自の理論を作り出したのがボーアです。
ボーアは「量子条件」と「振動数条件」という仮定をもとにした原子の構造モデル、通称「ボーアの原子モデル」を発表します。

【仮定①】原子の中で電子はどこにいてもよいのではなく、決められた円軌道上だけを動く。その円軌道の半径は、ある条件に合う「とびとび」の値のものだけに限られる。
【仮定②】この軌道上を回転運動している時には、電子は光を出さないものとする。
【仮定③】電子が一つの軌道から別の軌道に移る時、電子は光を放出したり吸収したりする。その光のエネルギーは、二つの軌道をそれぞれ回っている時の電子のエネルギーの差に相当する。
(中略)
99ページのボーアの仮説の仮定①(上記)では、原子内の電子の軌道半径が「ある条件」に合うとびとびの値のものになるとしています。このある条件」とは、次のようになります。
「軌道一周の長さ(軌道半径×2×円周率)に、電子の運動量(電子の質量×速度)をかけたものは、プランク定数hの整数倍のものに限られる」
これをボーアの量子条件といい、数式で表すと、105ページ図1に示すものになります(下の図D上を参照)。
つまり電子の軌道半径rは、プランク定数hを含む最小単位(量子)の整数倍(n倍)に比例した値、すなわちとびとびの値に限られるのです。このようにして、プランクが光のエネルギーを考える際に導入した量子の概念とプランク定数hが、原子の構造を考える際にも用いられることになったわけです。

さて、決められた軌道上を回っている、つまり定常状態の電子のエネルギーは、外側の軌道にいる時は高くて、内側の軌道にいる時は低くなります。そして、電子がある軌道から別の起動に飛び移る時(このジャンプを遷移(せんい)といいます)、電子はエネルギーの差を光の形で放出したり吸収したりする、というのが99ページのボーアの仮説③(上記)です。
一番内側の電子の軌道を「n=1の軌道」と呼び、ボーアの量子条件の式でnの値が1の場合の軌道になります。この時、電子が持つエネルギーはもっとも小さくなり、nの値が2、3、4、・・・と大きくなるにつれて軌道半径とエネルギーも大きくなります。
そして、電子はn=1の軌道を回っている時に最低のエネルギー状態になります。これより小さなエネルギー状態になることはできず、n=1より小さな半径の軌道を回ることもできないのです。つまりボーアは量子条件という仮定を設けることで、電子のエネルギーには最低ラインがあり、それ以下にはけっしてなれないことを説明しました。電子が原子核に吸い込まれないのは、この量子条件のおかげなのです。

また、アインシュタインの光量子仮説によると、光のエネルギーは、その光の振動数νにプランク定数hをかけたhνになります。ボーアはこの光量子仮説と、自分が唱えた仮説③とを組み合わせて、原子が放つ光の振動数について、次のような関係が成り立つと主張しました。
「電子が外側の軌道から内側の軌道に移った時、電子が放つ光の振動数νは、電子がそれぞれの軌道にいたときのエネルギーの差を、プランク定数hで割ったものになる」
これをボーアの振動数条件と呼び、105ページ図2で示す式になります(下の図D下を参照)。

『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 第3章 より 佐藤勝彦:著 PHP研究所:刊

図D 原子の構造にも登場する量子 量子論がみるみるわかる本 第3章

図D.原子の構造にも登場する量子
(『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 第3章 より抜粋)

これまでの常識にとらわれない大胆な仮定を用いた、若き天才ボーアの活躍によって「量子論」は飛躍的な発展を遂げていきます。

もちろん、アインシュタインやボーアなどの偉大な先人たちの功績の上に成り立っていることも、忘れてはいけませんね。

電子を「波」として考える

「ボーアの原子モデル」は、この時点では、あくまで「仮説」でしかありません。

ボーアの革新的なアイデアに、根拠を与える理論の構築。
そのきっかけを与えたのは、フランスの物理学者ド・ブロイでした。

ド・ブロイは、「電子を波として考える」という画期的なアイデアを発表しました。

 アインシュタインは光量子仮説の中で、それまで波として考えてきた光に、粒としての性質が見いだせることを唱えました。ド・ブロイはこの光量子仮説に注目して、ならば今まで粒とみなしてきた電子に、波としての性質を見いだせるのではないかという逆転の発想を行なったのです。
さらにド・ブロイは、電子に限らずすべての物質の正体は波であると考えて、この波を物質波と名づけました。ここに量子論の本質といえる「物質を波と考える」という思想が登場することになったのです。

ド・ブロイは111ページ図1のように、原子の中では「電子の波」が原子核の周囲をぐるぐる回っていると考えました(下の図Eを参照)。この時、一周してきた波の山の部分が最初の山とぴったり重ならないと、波の山と谷とが互いに打ち消し合う(波の干渉、62ページ)ために波の振幅が小さくなり、何周かするうちに波は消えてしまいます。つまり、電子の波がいつまでも消えずに存在するためには、一周して戻ってきた波の山が最初の山と完全に一致する必要があります。そしてこの時、電子の波の「一周の長さ」は、波の波長を整数倍したものに必ずなっています。
さて、ボーアの量子条件によると、電子の軌道一周の長さには整数倍(n倍)という条件がつきます。そして電子を波だと考えた時、電子の波が原子核の周囲で存在する条件にも、整数倍という条件がつくのです。
ド・ブロイはこの共通点に注目して、電子の軌道にボーアの量子条件という奇妙な条件がつくのは、電子が波であるためだと主張しました。従来の物理学では電子を波ではなく粒として考えていたのですから、ボーアの量子条件を説明できないのは当然だったのです。

『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 第4章 より 佐藤勝彦:著 PHP研究所:刊

図E ボーアの仮定の根拠を発見 量子論がみるみるわかる本 第4章

図E.ボーアの仮定の根拠を発見
(『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 第4章 より抜粋)

「電子を波として考える」というド・ブロイの発想は、非常に大胆なものでした。
しかし、自らの光量子仮説を認められた形のアインシュタインは、ド・ブロイの理論を高く評価して自分の論文に引用します。

そのアインシュタインの論文を通して物質波の概念を知り、強い興味を覚えたのが、オーストリアの物理学者シュレディンガーです。

シュレディンガーは、物質波の伝わりかたを計算する方程式を発表しました。
これをシュレディンガー方程式と呼びます。

 この方程式を解けば、物質がどんな形の波になっていて、その波が時間の経過とともにどのように伝わっていくのかが計算できます。シュレディンガーはこの方程式を用いて、水素原子中の電子のエネルギーがボーアの量子条件の通りに「とびとび」になっていることを示しました。
シュレディンガーの論文は、「量子の父」プランクやアインシュタインからただちに絶賛されました。このシュレディンガーの理論は波動力学(はどうりきがく)と呼ばれ、ミクロの世界の運動法則を表す量子力学(りょうしりきがく)(量子論に基づいて物理現象を記述するための数学的手段)の基本的な理論になったのです。

シュレディンガー方程式は量子力学の基本となる方程式であり、115ページ図2に示すような形をしています(下の図F下を参照)。
古典物理学には、音波や光などの波が周囲に伝わっていく様子を表す「波動方程式」というものがあります。シュレディンガー方程式はそれに似ていますが、さらに複雑なものになっています。
シュレディンガー方程式や波動力学を理解するためには数学や物理の高度な知識が必要になるので、本書では深く立ち入りません。ただし、方程式の中にある二つの重要な記号については、ぜひその意味するところを理解しておいて下さい。
一つはψ(ローマ字のyに相当するギリシャ文字)というものです。これは、ある時刻にある場所において、物質波の高さ(振幅)がどれだけあるかを表す関数です。つまり物質波の状態を表す記号であり、ψを波動関数と呼びます。

もう一つは記号iです。これは虚数(きょすう)を表す記号です。
虚数iは二乗するとマイナス1になる数、つまりルートマイナス1のことです。虚数の反対は実数で、実数を二乗(自乗)すると、元の実数がプラスの数であってもマイナスの数であっても、必ずプラスの数になります。これに対して虚数は二乗するとマイナスの数になるもので、数学上作られた架空の数、想像上の数だといえます。ちなみに虚数の記号iは「想像上の=imaginary(イマジナリー)」という語に由来します。
そして実数と虚数を組み合わせたものを複素数(ふくそすう)といい、3+2iなどと表現します。先ほどの波動関数ψも、この複素数で表されることになります。虚数を「想像上の数」と考えるならば、虚数を含む複素数も同様に「想像上の数」といえることになります。

『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 第4章 より 佐藤勝彦:著 PHP研究所:刊

図F 物質波の伝わり方を表す式 量子論がみるみるわかる本 第4章

図F.物質波の伝わり方を表す式
(『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 第4章 より抜粋)

ボーアの革命的な理論は、ド・ブロイの物質波の発想とシュレディンガーが導き出した波動方程式により完成したといえます。

すなわち、すべての物質は波であり、その状態は計算で導き出せることが理論的に証明されたということです。

「物質波」とは何か?

シュレディンガーの方程式によって計算で求められる「物質波」とは、具体的にどのようなものなのでしょう。

佐藤さんは、物質波は「複素数の高さ」を持つと述べています。

 しかし、私たちは「複素数の高さ」を持つ波を見たことなどありませんし、そもそも「複素数の高さ」とは一体何なのかを明確に表現することもできません。
かなり強引にたとえるならば、実数の高さとは「1メートル、2メートル」と表現されるものですが、複素数の高さとは「1平方メートル、2平方メートル」と面積のように表現されるものだ、といえるかもしれません。
(中略)
さて、119ページ図1は、物質波の状態を表す波動関数ψのうち、その実数部分だけを取り出して、それが示す波を図示したものです(下の図Gを参照)。これは、物質波の「ある一面」を表したものであり、立体的な物質をある一方向から写真に撮ったものと同じようなものです。物体の全体像を知るには、さまざまな方向から写真を撮って、それらを組み合わせなければなりませんが、一方向からの写真でもある程度はその物体のイメージを掴めるでしょう。
これを電子の物質波と考えると、この波の全体が、ある時刻における一個の電子の状態を表すことになります。横軸(左右の広がり)は電子の波の広がり具合を表しますが、これは電子が存在する場所の広がりを示します。波はある一点に集まっているのではなく、広がって存在していますので、電子の波もこのように広がっているわけです。ただしこれは、粒であるはずの電子が雲のように薄く広がっているという意味ではありません。
そして波の振幅(高さや深さ)に相当するものが、波動関数ψの値になります。ここが先ほど話した「複素数の高さ」になっているのです。「複素数の高さ」が何を意味するのかはわかりませんが、とにかくここでは、電子の波はさまざまな場所に広がって存在していて、それぞれの場所における波動関数の値もさまざまである、ということを理解して下さい。
そう説明されても何が何だかよくわからないと思いますが、とにかくこれが「電子の正体は波である」と考えたときの一個の電子の姿になるのです。

『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 第4章 より 佐藤勝彦:著 PHP研究所:刊

図G 今ひとつわからない物質波の正体 量子論がみるみるわかる本 第4章

図G.今ひとつわからない物質波の正体
(『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 第4章 より抜粋)

電子は、あらゆる場所に「波」のように広がっている。
とはいっても、実際に電子が波のような形をしているわけではありません。

ドイツの物理学者ボロンは、物質波は「神様が振るサイコロ」だとし、波動関数ψの値を二乗したものは、電子がその場所で発見される確率に比例するという「波動関数の確率解釈」を唱えています。

電子はすべての場所に存在する可能性があり、その確率はシュレディンガーの方程式によって規定される。
そして、実際にどこに存在するかは、実際に観測するまで確定されない。

量子論の難しさであり、面白さがここに凝縮されていますね。

量子の持つ「本質的な不確かさ」

佐藤さんは、ミクロの世界においては『観測』という行為が、観測の対象物に少なからず影響を与えてしまうと指摘します。

ミクロの物質が持つ「本質的な不確かさ」を発見したのは、ドイツの物理学者ハイゼンベルクです。
ハイゼンベルクは、これを「不確定性原理」として発表しました。その内容は、

「ある物質に関する『位置』と『運動量』を測定する時、両者を同時にただ一つの値に確定することはできず、避けられない不確かさが残る」

というものです。

 ハイゼンベルクはこの内容を157ページ図1の式で表しました(下の図Hを参照)。式の中のΔ(デルタ)(ローマ字のDに相当するギリシア文字)は不確かさの幅(程度)を表す記号です。Δxは「位置の不確かさの幅」を、Δpは「運動量(=質量×速度)の不確かさの幅」を表します。この両者の積が「プランク定数と同じかそれ以上」になるというのですから、hより小さくしたり、ましてやゼロにしたりすることは絶対に不可能であることをこの式は示しています。
ということは、どちらか一方の不確かさの幅をゼロに近づけようとすると、もう一方の不確かさの幅がどんどん広がることになります。位置を特定しようとすれば運動量が決まらなくなり、運動量を特定しようとすれば位置が決まらなくなるのです。
この式は、シュレディンガー方程式から導かれるのですが、その詳細の説明は割愛します。ですがシュレディンガー方程式から導かれるということは、物質が「波」としての性質を持つがゆえに、逃れられない不確かさが生じることを意味します。
マクロの物質について位置や運動量(速度)を測定する場合、プランク定数h程度の不確かさは無視できます。しかしミクロの物質に関しては、この不確かさを無視できません。たとえば、原子の中の電子がある時刻に「どこにいて、どんな速度で動いている」のかを性格に記述できなくなるのです。

不確定性原理は、電子などミクロの物質の位置と速度(運動量)が同時に一つの値に確定できないことを示しました。
間違わないでほしいのは、位置と運動量を同時に「誤差なく」測定することは不可能だといっているのではない、という点です。測定の「精度」の問題ではなくて、ミクロの物質の性質として、ある時刻における物質の位置と運動量はただ一つに決まっていない、つまり
「ミクロの物質は常に曖昧な位置にいて、曖昧な速さで運動している」
というのです。これは私たちがそれまでもっていた物質観や自然観を根底から覆(くつがえ)してしまうものです。
ニュートン以来、物理学者の物質世界に対する認識は
「ある時点での物質の状態が決まれば、以後の状態はすべて確定されるのだ」
というものでした。たとえば物質がある時刻においてどの位置にいて、どの方向へどんな速度で動いているのかがすべて決まれば、その後の物質の状態はすべて自然法則に従って機械的に確定されると考えたのです。
(中略)
しかし、不確定性原理が示すように物質が曖昧な位置や運動量を持つとしたら「ある時点での状態」がもはや一つに決まりません。
「A点からB点の間のどこかにいて、秒速3メートルから5メートルの間の何らかの速度で動いている」といったことしかいえないのです。
しかもその未来にも複数の可能性があり、どれが実現されるのかは確率的に、偶然の要素で決まると量子論は主張します。そして実際に実現した未来にも曖昧さは残っているわけです。
何だかいい加減なこと、曖昧なことだらけで、私たちが信じてきた「整然とした自然」とは正反対ですが、それが自然の本当の姿なのだと量子論を築いた学者たちは考えました。量子論は、物質や自然がただ一つの状態に決まらずに非常に曖昧であることを、そして曖昧さ、いい加減さこそが自然の本質であることを私たち示したのです。

『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 第5章 より 佐藤勝彦:著 PHP研究所:刊

図H 位置と運動量を同時に決められない 量子論がみるみるわかる本 第5章

図H.位置と運動量を同時に決められない
(『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 第5章 より抜粋)

量子レベルの小ささになると、「観測」そのものが外乱要因となってしまうのですね。

位置や速度でさえも、正確に求められない。
そうなると、絶対的に確かなものは、何一つないといえます。

まさに、これまでの物質観や自然観が根本から覆される理論ですね。

「シュレディンガーの猫」が指摘する、量子論の矛盾

観測していないとき、物質は「波」としてあらゆる場所に遍在し、その正確な位置や速度は知ることができない。

そんな雲をつかむような話に、「ノー」を突きつけたのは、他ならぬシュレディンガーでした。

シュレディンガーは、猫を使った思考実験によって、量子論が抱える問題点を指摘します。
これが有名な「シュレディンガーの猫」と呼ばれるパラドックスです。

図I 第2の刺客が量子論を狙う 量子論がみるみるわかる本 第6章

図I.第2の刺客が量子論を狙う!
(『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 第6章 より抜粋)

 改めて説明しますと(179ページ図2)(上の図I下を参照)、鉛製の箱の中に放射性物質と放射線の検出器、そして検出器に連動した毒ガス発生装置を置きます。放射性物質が原子核崩壊を起こすと放射線を出します。放射線を検出した検出器は信号を毒ガス発生装置に送り、毒ガスを発生させるしくみになっています。
この箱の中に、生きた猫を入れます。もし放射性物質が崩壊して放射線を出せば毒ガスが発生して、猫はかわいそうに死んでしまいます。放射性物質が崩壊しなければ毒ガスは出ず、猫は生きたままです。
さて、箱の中に猫を入れてふたを閉じます。外からは鉛の箱の内部の様子をうかがい知ることはできません(猫は生きていても音などを立てないものとします)。こうして一時間経ちました。はたしてこの時、哀れな猫の運命はどうなっているのでしょうか。

さて、かわいそうな猫の生死は(ちなみにこれは思考実験ですので、実際に猫を危険にさらすわけではありません。ご安心下さい)、箱のふたを開ければもちろんすぐにわかります。シュレディンガーが問題にしたのは、ふたを開ける前の猫の状態をどう考えるか、という点です。
放射性物質が原子核崩壊を起こすかどうかは、ミクロの世界の現象です。今回の実験で、一時間以内に原子核崩壊が起こる確率は50%であるとしましょう。この時、量子論では観測前の放射性物質の状態について「原子核崩壊を起こした状態」と「原子核崩壊を起こしていない状態」が半分ずつ重ね合わさっていると考えます。もちろん観測をすれば、原子核崩壊の有無はたちどころに判明します。しかし観測する前の状態については「重ね合わせになっている」とるのが、量子論に基づく考え方です。

では、猫はどうなっているのでしょうか。猫の生死は原子核崩壊の有無と完全に連動しています。したがって、放射性物質の状態が重ね合わせになっていれば、猫の状態も重ね合わせになっているはずです。つまり猫は箱の中で「原子核崩壊が起きて死んだ状態」と「原子核崩壊が起きずに生きている状態」が重ね合わせになった状態でいると考えられるのです。
しかし、そんな状態の猫とは何なのでしょうか。「半死半生の猫」とでもいえばいいのかもしれませんが、一匹の猫の中で生と死が同居するような状態は実際にはありえないといってよいでしょう。当然ながらこの半死半生は、生死の境をさまよっている「瀕死(ひんし)の状態」でもありません。ですが量子論に基づくと「生きていながら死んでもいる猫」というおかしな状態を考えなければならないのです。
このように、量子論では観測前の状態を「重ね合わせ」と考えるために、猫の状態について「半死半生」などという妙なことが起きてしまうわけです。

さらにシュレディンガーは、量子論が示す「観測という行為が持つ意味」に対してもこの思考実験で疑問を投げかけました。
観測前に「重ね合わせ」の状態にある対象物は、観測された途端に波が収縮して一つの状態に決まります。これを今回の思考実験に当てはめると、私たちが箱を開けた途端に放射性物質の状態つまり原子核崩壊の有無が決まり、同時に猫の生死も決まるのです。
しかし、ミクロの世界の現象である原子核崩壊の有無はともかく、少なくとも猫に関しては、私たちが箱を開けるまでもなく、生きているか死んでいるかどちらか一方の状態になっていると考えるのが自然です。それなのに、猫の生死は決まっていなくて、私たちが見た途端に決まるなんておかしいですよね。だって猫の立場からすると、私たちに見られるまでは生死の境をさまよっていて、私たちに見られた途端に死んだり生き延びたりすることになるのですから。

『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 第6章 より 佐藤勝彦:著 PHP研究所:刊

図J 猫の生死はどうなっている 量子論がみるみるわかる本 第6章

図J.猫の生死はどうなっている?
(『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 第6章 より抜粋)

量子論は、ナノレベル(ナノは「100万分の1を表す)以下の極小世界で成り立つ理論です。
なので、私たちが生活する世界に直接関わることはないといえます。

シュレディンガーは、ミクロの現象(放射性物質の原子核崩壊の有無)がマクロの現象の状態(猫の生死)に直接影響を与えるような例を持ち出しました。

佐藤さんは、ミクロの現象とマクロの状態が完全に連動している以上、ミクロとマクロを切り離して考えるという言い分は通らなくなると指摘します。

確率的に、半分生きていて、半分死んでいる猫。
思考実験上ではありますが、現実には存在してはいけないものが存在してしまうのは、大きな矛盾ですね。

世界は可能性の数だけ「枝分かれ」している

「シュレディンガーの猫」に対して、多くの物理学者が説明を試みてきましたが、誰をも納得させる解答は見つかっていません。

今、物理学者の中で主流となっている解釈は、「コペンハーゲン解釈」と呼ばれるものです。

コペンハーゲン解釈は、私たちが電子を見た途端に電子の波はあっという間に収縮してしまい電子の波がどの位置に収縮するのか、つまり電子がどこで発見されるのかは確率的に決まってくるというというものです。

「月は、誰も見ていなければ、月として存在しない」

量子論を表す例えとして、よく用いられる表現も、コペンハーゲン解釈を元にしているわけですね。

佐藤さんは、最近注目を集めているもう一つの解釈、「多世界解釈」についても説明しています。

多世界解釈は、世界は可能性の分だけ枝分かれして存在しているというものです。

つまり、コペンハーゲン解釈では一個の電子の中で「それぞれの場所にいる状態」が重なっていると考えますが、これに対して多世界解釈では「電子がそれぞれの場所にいる世界」が重なっている、同時並行的に存在していると考えるわけです。

 それにしても、SF小説などでおなじみのパラレルワールドが実在するなどと考えるのは、あまりに空想的・荒唐無稽(こうとうむけい)に思えます。
「本当に『もう一つの宇宙』があるのなら、証拠を見せてよ」といいたくなりますが、残念ながら証拠をお見せすることはできません。なぜなら、一度枝分かれした世界同士は互いの交渉が絶たれて物理的に孤立してしまうと考えられているからです。実際の移動はおろか、相手の様子を伺うこともできません。いささかずるい理屈に聞こえますが、こう考えると論理的には破綻(はたん)がなくなります。
結局、私たちにとっては、今この宇宙が唯一全部の世界なのです。過去に枝分かれした宇宙のことはわかりません。そして将来宇宙が枝分かれする時、現在の私たちもまた枝分かれしていくことになるのです。たとえば「次の曲がり角を右折した自分がいる世界」と「左折した自分がいる世界」というように。そして枝分かれした「私の分身」はそれぞれが「この私は唯一の自分であり、この世界は唯一の世界である」と思うのです。

多世界解釈の特徴であり、その最大の長所は、シュレディンガー方程式からは説明できない「波の収縮」という仮定を使わない点にあります。
コペンハーゲン解釈が持ち込んだ「波の収縮」という仮定は、「波として運動する電子」と「粒として発見される電子」を結びつけるための「苦肉の策」といえます。またそれが人間の観測によって瞬時に生じるというのですから、そんなのは都合のよい「こじつけ」にすぎないと非難されても仕方がないかもしれません。
そこでそうしたものを排して、波動関数ψの本質的な意味を考えようとした時に登場するのが、この多世界解釈なのです。

それでは、この多世界解釈に基づいて「シュレディンガーの猫」の問題を考えてみましょう。
放射性物質と一連の装置、そして猫を入れた鉛の箱を閉じて、一時間が経過しました。この時、箱の外の観測者が気づかぬうちに世界はすでに二つに別れています(201ページ図1、下の図K上を参照)。一つは「箱の中で放射性物質が原子核崩壊を起こして、そのために毒ガスが発生し、猫が死んで、その箱の外に観測者がいる世界」であり、もう一つは「箱の中で放射性物質が原子核崩壊を起こしておらず、したがって毒ガスは発生せず、猫は生きていて、その箱の外に観測者がいる世界」です。
そして前者の観測者が箱を開ければ猫の死亡を、後者の観測者が箱を開ければ猫の生存を確認します。それだけのことです。半死半生の猫とは何だとか、波の収縮はいつ起きたのかとか、ミクロとマクロの境界がどうだなどという問題は一切発生せず、パラドックスはどこにも見当たらないのです。
いかがでしょうか。多世界解釈によると、このように論理上は一切の矛盾なく説明ができるのです。これこそ真実だとは思いませんか。
もちろん「猫が生きている世界と死んでいる世界とが本当に並行して存在しているのか?」という疑問は残ります。ですが、多世界解釈では「枝分かれした別の世界の存在を知ることはできない」といっているので、これは確かめようのない問題です。

『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 第7章 より 佐藤勝彦:著 PHP研究所:刊

図K 快刀乱麻 多世界解釈 量子論がみるみるわかる本 第7章


図K.快刀乱麻! 多世界解釈

図L 複数に枝分かれする世界 量子論がみるみるわかる本 第7章
図L.複数に枝分かれする世界
(『[図解]量子論がみるみるわかる本(愛蔵版)』 第7章 より抜粋)


「猫が生きている世界」と「猫が死んでいる世界」が並行して存在している。
可能性の数だけ世界があり、私たちはその中から一つを選び出しているに過ぎない。

私たちの常識では、にわかに信じられないような解釈ですね。

逆に言えば、私たちの選択次第でどんな「世界」も選べるということ。
多世界解釈は、まさに多くのスピリチュアル思想家がいう「パラレルワールド(並行世界)」を指しているといえます。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆


目には見えないミクロの世界を支配する「量子力学」の法則。
感覚として捉えられないうえに、あまりに突飛な考え方であるため、私たち一般人には理解されていません。

とはいえ、ミクロの世界とマクロの世界(私たちが認識できる世界)はつながっています。
量子力学が、私たちの生活に、従来の物理学と同様の大きな影響力を与えているのは、間違いありません。

また、量子力学には、「多世界解釈」に代表されるように、スピリチュアル的な思想とも共鳴する部分があります。
スピリチュアルでは、感覚的にしか語られていなかったことも、量子力学が理論的に証明してくれるかもしれませんね。

量子力学は、まだまだこれから発展する学問です。
科学技術の発展に貢献するだけでなく、宇宙の起源や存在理由までも解き明かしてくれる可能性すら秘めています。

すべての物質は「波」として存在する。
誰も見ていないとき「可能性の雲」として広がっており、観測されたとき初めて場所が特定される。

これからの時代の科学である「量子力学」は、私たちの生活だけでなく、価値観までも変えてしまうことでしょう。
皆さんも、本書を片手に、その深遠なる世界を覗いてみてはいかがでしょうか。
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