【書評】『LISTEN』(ケイト・マーフィ)

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お薦めの本の紹介です。
ケイト・マーフィさんの『LISTEN–知性豊かで創造力がある人になれる』です。

ケイト・マーフィ(Kate Murphy)さんは、ヒューストンを拠点に活動しているジャーナリストです。
健康、テクノロジー、科学、デザイン、アートなど、多岐に渡るトピックスを執筆されています。

話すことよりずっと大切な「聞くこと」

コミュニケーションは、伝える側と受けとる側の両方がなければ、成立しないものです。
しかし、私たちは、伝える方や話し方に意識を向けがちで、「聞く」ことを忘れてしまいがちです。

マーフィさんは、耳を傾けることは話すことよりずっと大切だと強調します。

 第30代アメリカ大統領カルビン・クーリッジの有名な言葉があります。
「耳を傾けたがために職を失った人はいない」
私たちは聴くことでしか、人として関わり、理解し、つながりあい、共感し、成長できません。聴くことは、プライベートであれ、仕事であれ、政治的なものであれ、どのような状況においても、人間関係がうまくいくための土台をなすものです。
古代ギリシャの哲学者エピクテトスは、実際、こう言いました。「自然は人間に、舌ひとつと耳ふたつを与えた。自分が話すその倍は、人の話を聞くようにと」。
それなのに、高校や大学に、傾聴を教える授業や活動がまったくと言っていいほどないのはどういうことでしょうか。言葉巧みな話術と説得力を教える授業やディベートのクラブはあるのに。スピーチ・コミュニケーションで博士号を取得したり、人前で話すスキルを高めるためのクラブに参加したりできるのに、聴くことが中心になる学位や研修は存在しません。
昨今、成功や権力をイメージさせるのは、マイクを着けてステージを歩きながらプレゼンしたり、演台で演説したりしている姿です。夢の実現とは、TEDトークに出演することや、大学の卒業式に呼ばれてスピーチをすることになっています。
ソーシャルメディアは、「あらゆる考えを世の中に向けて発信する、仮想のメガホン」と、「自分に反する考えを取り除く手段」をすべての人に与えました。
人々は、電話をわずらわしいと感じ、留守番電話のメッセージを無視し、テキストや絵文字でのやり取りを好むようになりました。何か聞くとしたら、自分だけ安全な音の世界に入り込めるヘッドホンやイヤホン。遮断された世界の中での、自分の人生という映画のサウンドトラックです。
その結果、孤立や空虚が忍び寄ります。そして人はより一層、デジタル・デバイスをスワイプ、タップ、クリックするようになっていきます。デバイスは気を紛らわせてくれますが、心の栄養になることはほとんどありません。
ましてや、感情に深みを与えるなどさらにないでしょう。感情の深みを育むには、相手の声が自分の体と心の中で共鳴する必要があります。
本気で耳を傾けるとは、相手の話によって、身体的にも、体内物質のレベルでも、感情的にも、知的にも、動かされるということなのです。

本書は、聴くことを賛美する本であり、また文化として「聴く」力が失われつつあるような現状を憂う本でもあります。
ジャーナリストとして、私はノーベル賞の受賞者からホームレスの小さな子どもまで、これまで数えきれないほどの人にインタビューをしてきました。私はプロの聞き手だと自認していますが、そんな私にも至らないときがあります。ですので本書は、聴くスキルを伸ばすための指南書としても書きました。
本書を執筆するにあたり、ほぼ2年を費やして、聴くことに関する学術的な研究を詳しく調べました。生体力学的(バイオメカニクス)・神経生物学的なプロセスと、心理的・情緒的な面への影響に関する研究です。また、アイダホ州のボイシから中国の北京まで、さまざまな場所にいる人たちに、数百時間に上るインタビューも行いました。私の机上でランプを点滅させている外づけハードディスクに、そのすべてが詰まっています。
インタビュー相手は、聴くことに関する研究をしている人に加え、私のように集中して聴くことを仕事にしているさまざまな人々でした。スパイや牧師、心理療法士、バーテンダー、人質の解法交渉人、美容師、航空管制官、ラジオ・プロデューサー、フォーカス・グループのモデレーターなど。
また、これまでの年月で私がインタビューしてきた人や、人物像を記事で描いてきた人のもとを、再び訪れました。芸能人、CEO、政治家、科学者、経済学者、ファッション・デザイナー、プロのスポーツ選手、起業家、シェフ、芸術家、作家、宗教指導者などもっとも成功し、もっとも洞察力のある人たちです。
そして、次のような質問をしました。
「聴くこと」とは、その人たちにとってどんな意味を持つのか。聴こうという気にいちばんなるのはいつか。人が自分の話を聴いてくれるときにどう感じるか。聴いてくれないときにどう感じるか。
それから他にも、飛行機やバス、電車などでたまたま私の隣の席になった人や、レストランや食事会、野球の試合、スーパーで出会った人、犬の散歩中に会った人たちの話も聴きました。私にとってもっとも価値があると感じた気づきは、こうした人たちに耳を傾けていたときにひらめいたものでした。
私がそうであったように、あなたも本書を読めば、「聴く」とは、人が言っている言葉を耳に入れる以上のことだとわかるでしょう。
相手がどう言うか、言っている間に何をしているか、どの文脈で言っているか、その言葉があなたの中でどう響くか。「聴く」とは、こうしたことに注意を払うことでもあります。誰かが長々と意見を述べているときに、単に黙っているということではありません。まったくその反対です。
「聴くこと」の多くは、あなたがどう反応するかにかかっています。
その度合いによって、相手の考えをはっきりと表現として引き出すことができるし、そのプロセスの中で、あなた自身の考えも明確になります。ていねいに適切に聴けば、まわりにいる人や世界に対するあなたの理解は、がらりと変わります。
あなたの経験や存在を豊かにしてくれ、高めてくれることは、間違いありません。こうして知恵は深まり、意義深い人間関係が構築されていくのです。

『LISTEN』 introduction より ケイト・マーフィ:著 篠田真貴子:監訳 松丸さとみ:訳 日経BP:刊

本書は、「聞く」ことについて、人の認知や心、職場や家族の人間関係、そしてスマートフォンが生活に深く入り込んでいる現代の社会といった観点から描いた一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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まずは「耳を傾ける」ことから!

よく「聴く」とは、相手の頭と心の中で何が起きているのかをわかろうとすること。そして「あなたを気にかけているよ」と行動で示すことです。

マーフィさんは、「聴く」ことの意義を自分の考え、感情、意図を持ったひとりの人として理解され、価値あるものとして大切にされる――それこそが、私たち誰もが切望することだからだと説明しています。

「聴く」とは、何かを教えたり、影響を与えたり、批評したり、評価したり、正しいやり方を示したりするものではありません(「ほら、教えてあげる」「恥ずかしがらない」「うまいね!」「パパにニコニコして」)。「聴いてもらう」とは、「相手が自分を体験すること」を体験することです。あなたが何であり何をしているかに、誰かが関心を持つということです。
このように誰かに知ってもらい、受け入れてもらわないと、自分には価値がないとか、むなしいといった感情になってしまいます。
人生において孤独をいちばん抱かせる原因は、必ずしも、心に傷が残るようなつらい出来事ではありません。孤独を感じるのは、何かよいことが起こったかもしれないのに何も起きなかった――という状況が積もり積もったことが原因になることが多いのです。
誰かの話を聞かなかった、誰かが話を聞いてくれなかった、人とつながる機会を逃した。そういう状況が度重なることです。

「私たちが追求しているのは、親子のやりとりでのちょっとした魔法。たとえ短くも、親子の心に残るような、関心、調和、理解の瞬間です。いつか他の状況のもとでも、気づいて耳を傾けられるようになるかもしれないから」と話すのは、ニューヨークのニュースクール大学にある愛着研究センターの共同ディレクターであり、心理学教授でもあるミリアン・スティールです。彼女はこれまで、集団愛着にもとづいた介入プログラムの研究をいくつも発表してきました。
彼女のいう「ちょっとした魔法」こそ、人生を意義深くするものです。ふたりの脳波が同調したfMRIスキャンではっきりと見られた、測定可能な「聴くこと」を通じて人とつながることができた瞬間です。
スティールは、愛着の介入プログラムに参加した、別の母親の事例を見せてくれました。
母親は、自分の赤ちゃんの泣き声に耐えられないと言っていました。
やさしい人であれば、「人間は赤ちゃんの世話をせざるを得ないように、泣き声を不快に感じるようにできているのだ」と母親に説明したかもしれません。もしくは、「そうね、赤ちゃんの泣き声は私も気に障る」と言って共感した可能性もあります。
しかしこうした対応では、ニュースクール大学の大学院生たちからは、傾聴で低い点しかもらえなかったでしょう。実際のところ最高点を獲得したのは、母親に何も言わなかったファシリテーターの女性でした。彼女は少し待ってから、こう聞きました。
「この泣き声の何が気に障るの?」
なぜこの発言が良かったのでしょうか?
それは、母親が一瞬考え、そして「自分が小さかったころに、誰も何もしてくれなかったことを思い出す」と言ったからでした。
子どもの泣き声が、母親である彼女に、心的外傷ストレスを引き起こしていたのです。泣き声を聞くたびに、落ち込み、恐れ、そして怒りを感じていたのでした。

ファシリテーターと母親は、このときfMRIに入っていたわけではありませんがもしふたりの脳波を計測していたら、きっと同調していたと思います。脳神経の活動している個所が重なり合い、「理解」と「関係性の著しい変化」を示していたはずです。
ファシリテーターは、すぐに言葉をはさんだり、ピントがずれた言葉で説得したりせずに、まず耳を傾けて、母親の波長に合わせ、より深いところでつながり合うことができました。
そして母親の方も、「相手が自分を体験すること」を体験したのです。きっと、「まず耳を傾ける」という贈り物を、自分の子どもにもプレゼントできるようになるでしょう。
このやりとりをお手本にすれば、誰でももっと「聴く」ことができるようになるのではないでしょうか。

私たちの人間関係一つひとつの出発点には、各自がそれぞれの人生でつくりあげてきた愛着があり、それが世間での自分のあり方や、互いへのあり方を形づくっています。
そして、愛着は、他の人に耳を傾けることから生まれます。
私たちが初めて耳にした声は、赤ちゃんのときに聞いた、不安を和らげてくれる養育者のやさしいあやし声でしょう。

大人になっても、仕事、結婚、日常生活、いつでも人に耳を傾けることから人間関係が始まることに変わりはありません。
聴かずして語るとは、触れられずして触れるようなものです。触れるよりもさらに深く、他者の考えや気持ちを伝える「音」に、私たちは包み込まれ、存在全体が振動するのです。
人の声は、私たちの身体にも感情にも入り込み、私たちをつかみます。誰かに共鳴することなしに、その人を理解し、愛することはできません。

私たち人間は、進化の過程で、目を閉じられるようにまぶたが発達しました。しかし耳には、まぶたに相当する構造はありません。耳は閉じません。
それは、聴くという行為が、人間が生き抜くのに欠かせないからではないでしょうか。

『LISTEN』 chapter 2 より ケイト・マーフィ:著 篠田真貴子:監訳 松丸さとみ:訳 日経BP:刊

赤ちゃんは、言葉がほとんどしゃべれません。
だから母親は、赤ちゃんが伝えようとしているメッセージに必死で耳を傾けます。

声だけでなく、顔の表情やしぐさなど、五感のすべてを使って感じ取ろうとします。
それが「波長を合わせる」ということであり、本当の意味での「聴く」ということだということです。

何よりも「好奇心」が必要!

マーフィさんは、聞くという行為には、何より好奇心が必要だと述べています。

 研究によると、安定した愛着を持っている子どもも大人も、そうでない人と比べ、新しい情報に対して好奇心旺盛かつオープンな傾向にあると示されいます。
これもまた愛着理論の考え方なのですが、自分の話に耳を傾け、自分が親近感を抱く誰かが人生にいると、外の世界へ行って他の人と交流するときに安心していられるのです。
もしも何かショックを受けるようなことを聞いたり知ったりしても、自分が信頼して秘密を打ち明けられ、苦悩を軽くしてくれる人がどこかにいてくれるとわかってるため、大丈夫だと確信できるからです。これは「安全基地(セキュア・ベース)」と呼ばれ、孤独に対する防衛手段になります。
ピュリッツァー賞を受賞した作家であり、歴史家でもあるスタッズ・ターケルは、その好奇心でキャリアを築き上げました。
ターケルの代表作『仕事(ワーキング)!』(晶文社)は、ごみ収集係から墓掘り人、外科医、工業デザイナーまで、社会のあらゆる仕事について語ってもらったインタビュー集です。
ターケルは彼らの言葉を使い、人は誰からでも学べることを示しました。2008年に96歳で亡くなりましたが、生前はこんなことを言っていました。
「目に見える私の商売道具はテープレコーダーだが、本当の意味での商売道具は好奇心だと思う」
この好奇心は、子どものころに育まれたものでした。ターケルの両親はシカゴ下宿を営んでおり、彼はそこから漏れ聞こえてくる悪巧みや言い争い、密会の約束などに、好奇心をかきたてられながら育ちました。
下宿人たちの滞在は短期的なものでしたが、ターケルの空想の世界には永遠に住み続け、後の仕事を彩りました。大酒飲みの工具・金型職人のハリー・マイケルソン、緑の中折れ帽を被った地元の選挙区幹事プリンス・アーサー・クイン、ごみあさりをしていたウェールズ人のマルド・スリンジン(Myrd Llyngyn)――ターケルは彼について、金もなければ「名前に母音もない」と記していました。

ジャーナリストとしての私にはもっとも役に立っている学びは、適切な質問さえすれば、誰もがおもしろくなるということです。もし退屈でおもしろくない人がいるなら、それはあなたに原因があります。
ユタ大学の研究者らか行った調査では、「しっかり聞いてくれない人が相手だと、話そうとしている内容を思い出しにくくなり、伝える情報も不明瞭になる」ことが明らかになりました。反対に熱心な聞き手は、何も質問をしなくても、話し手からより多くの情報や関連した話、詳細を引き出すことができました。つまり、もし誰かのことをつまらないとか、聴く時間がもったいないなどと思って話を聞いてしまうと、本当に話をつまらなくしてしまうのです。
ため息をついたり、視線を泳がせたりして、明らかに興味がなさそうな様子の人に、何かを伝えようとしたときのことを思い出してみてください。そのとき、あなたはどうなりましたか?
口ごもったり、細かいところをはしょったり、もしかしたらむしろ相手の関心を再びこちらに向けようと思うあまり、関係ない情報までペラペラしゃべってしまったのではないでしょうか。当たりさわりのない笑顔を見せたり、うわの空でうなずいたりする相手を前に、話の続きを言いよどんでしまったかもしれません。そしておそらく、その人にははっきりと嫌悪感を抱きながら、その場を後にしたでしょう。
『人を動かす』の中でデール・カーネギーは、こう書いています。
「自分に関心を持ってもらおうと過ごす2年間よりも、他の人に関心を持って過ごす2か月間のほうが、多くの友人をつくることができる」
「聴く」とは関心を持つことであり、その結果、興味深い会話が生まれます。
あなたは、自分についてはもう知っています。でも話し相手のことや、その人の経験から自分が何を学べるのか、会話が始まる時点ではまだわかりません。その会話から何かしら学ぶことが目標です。

『LISTEN』 chapter 3 より ケイト・マーフィ:著 篠田真貴子:監訳 松丸さとみ:訳 日経BP:刊

相手のことをもっと知りたい。
そして、そこからもっと学びたい。

そんな好奇心が、相手との間にある心の壁を壊す“ツルハシ”になり、思いもしないような“宝物”を掘り起こすことになります。

「出会った日とずっと同じ人間」なんていない!

人間関係の話題になると、もっともよく名前が出てくる研究者のひとりに、イギリスの人類学者であり、進化心理学者でもあるロビン・ダンバーがいます。
ダンバーは、人が友情を維持する第一の方法は、「日常的な会話」だと述べています。

つまり、「元気?」と尋ね、返ってきた答えをきちんと聞くことが大切だということです。

 ダンバーは、「ダンバー数」という概念で有名です。これは、私たちが関係性も含めて把握できる人数の認知的な上限のことで、ダンバーは150程度としています。
「バーでばったり出くわしたときに、身構えずに一杯飲める程度には相手を知っている」、と言える人数の上限だと考えればいいでしょう。これ以上だと、精神的にも感情的にも、意味あるつながりの維持は難しくなります。
しかしこの150人の中には、「友情の層」がいくつか存在する、とダンバーは強調します。まるでウェディングケーキのように、その人と一緒に過ごす時間の長さによって階層があります。
いちばん上の段は、わずかひとりかふたりしかいません。
ここに入るのは、たとえば配偶者と親友ひとり、でしょうか。もっとも親密で毎日やりとりする人です。
次の段は、あなたが深い親近感や愛情を持ち、気にかけている人で、最大4人います。このレベルの友情を維持するには、その人たちに毎週、意識を向けている必要があります。
そこから下にある段は、そんなに頻繁には会わない、特別親しいわけではない友達、つまり、きずながもっと希薄な人たちです。定期的に連絡をとらないと、この人たちはあっという間に知人の域に落ちてしまいます。
この人たちはまた、親しく接する相手ではあるものの、本当の友達というわけではありません。
というのも、人は常に進化を続けるので、会わないでいると相手が何者かわからなくなるからです。
彼らと気軽にビールを飲むことはできますが、もし相手がどこかへ引っ越してしまっても、ものすごく会いたいとは思わないでしょうし、引っ越したことさえすぐには気づかないかもしれません。相手も寂しいとは思わないでしょう。

例外として、何年も話していないのに、久しぶりにあったら以前のようにすぐ親しく戻れる友達がいます。
ダンバーによると、これはたいてい、人生のどこかの時点において、深いレベルで集中的に相手に耳を傾けたことで気づいた関係です。大学時代や青年期のように情緒面が成長する時期、もしくは病気や離婚など人生の危機に直面したときに育まれた場合が多いようです。
ちょうど、「聴く」という行為をたくさん貯金しておき、だいぶ長い時間離ればなれに過ごした後でも、その人物を理解し共感するために貯金から引き出せるような感じです。
別の言い方をすれば、過去に誰かの話を頻繁に、かつじっくり聞いた経験があれば、その人と物理的に距離ができたり口論などで気持ちが離れたりし「同調」しなくなってしまった後でも、再び同じ波長に戻りやすくなるということです。

『LISTEN』 chapter 4 より ケイト・マーフィ:著 篠田真貴子:監訳 松丸さとみ:訳 日経BP:刊

私たちは、150人程度の閉じられた人間関係の輪の中で生活しています。
その中で、過ごす時間の長さによって階層が分けられているということですね。

親密な関係を作るのに、毎日のやりとり、とくに「じっくり聞く」という行為がどれだけ大切か。
それがよくわかりますね。

人質交渉のポイントは「犯人に共感する」こと

マーフィさんは、「聴くこと」は、人の考え方や動機を理解するのに役立つと述べています。

 ゲイリー・ネスナーは、国際的なリスク・コンサルタントで、海外での誘拐に関する支援をクライアントに提供しています。ネスナーは2003年までの30年間、FBI(アメリカ連邦捜査局)に勤めていました。そのうち10年は人質交渉主任でした。
彼が私に教えてくれたのは、人質交渉主任の本当に意味するところは、「傾聴主任」である、ということです。

ネスナーは、人の話を同心円にたとえます。
起きたことという事実が内側の円で、それを取り囲んでいるのが、感覚や感情です。それは、事実よりも重要だそうです。

「大切なのは、人生で自分の身に起こることよりも、それをどう感じるかです」とネスナーは言います。
「テレビの影響で、人質交渉は心に働きかける不思議な力だというイメージがあります。魔法のように犯人に銃を置かせるとか、犯人が降参するような心をうつ説得するとか。しかし本当のところは、交渉人は相手の視点を理解しようと耳を傾けているのです」

ネスナーは、ある男性が以前つきあっていた女性を人質にとって、銃を突きつけている状況を例に説明しました。「私はそこで、“何が起きたのか話してくれないか”と言います。そして耳を傾け、それから彼の言葉にこう返します。“彼女の言葉で本当に傷ついたんたね。聴いていて、そう受けとめたよ”」
ネスナーは続けます。
「私は相手に共感するんです。相手が言いたいことを聞くのに時間をかけます。おそらく彼は、友人や家族にそんなことをしてもらえなかったでしょう。もし聞いてもらっていたら、彼はこんな事件を起こしてないでしょうから。人の話を聞くのは簡単なことですが、たいていは日常生活の中で十分になされていないのです」

銃乱射事件やテロ攻撃があると、犯人を知っていた人が犯人について「殻に閉じこもっていた」と口にするのは珍しくありません。家族はたいてい、連絡が途絶えていたとか、その人物が今どうしているか知らないなどといいます。
コロンバイン高校での銃乱射事件を扱ったドキュメンタリー映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』で、ヘビーメタル・ミュージシャンのマリリン・マンソン(この事件は、彼の音楽からの影響だという説もありました)は、銃乱射が発生した学校の生徒たちや、その地域の人たちにどんな言葉をかけるかと問われ、こう答えました。
「一言たりも言葉をかけない。彼らが話したいことに耳を傾ける。それは誰もしていなかったことだから」

犯罪学者らの研究によると、一般的に銃乱射の犯人は、精神病を患っているわけではなく、憂鬱で孤独で、復讐したいという思いが事件の動機だというケースが多いことがわかっています。
銃による暴力の追跡を専門にした非営利のニュース媒体「ザ・トレース」によると、大量殺人犯に共通しているのは、社会から著しく疎外されているという点です。
犯人は、不満を募らせた従業員、家族と縁を切られた夫や妻、問題を抱えた10代の若者、事業に失敗したビジネス・オーナー、イスラム聖戦主義者、心理的外傷を負った退役軍人と多岐にわたりますが、どのケースもこれに当てはまっていました。
この犯人たちは、誰も自分の話を聞いてくれない、理解してくれない、という感覚を共通して持っていたのです。そのため、今度は犯人の方が誰の話にも耳を傾けなくなり、たいていはねじ曲がった言葉を自分に言い聞かせ、それだけに突き動かされるようになってしまったのです。

ネスナーにとって「聴くこと」は、単なる危機対応のための交渉術ではありません。彼の人となりそのものです。
ネスナーと話すと、彼が自分だけに集中してくれ、ここにいたくているのだと感じます。そのおかげでどんな人もネスナーを好きにならざるをえないほどの好人物です。
彼に投降した数多くの犯人は、ネスナーが何と言ったかはわからなかったものの、言い方が良かったと言っています。彼は実は、ほとんど何も話していません。しかし、何かを言ったときには、ネスナーは、犯人の感情に照準をぴたりと合わせていたのです。

ネスナーは、出張のときはホテルのバーで夕食を取るのを習慣にしています。
「私はバーにいる人たちを見て、“この人に話しかけて、身の上話を聞き出そう”と決めるんです。誰かに意識を完全に集中させると、その人についてどれだけ知ることができるか、びっくりするほどですよ」
たとえば、綱渡りが趣味だという営業マンに出会ったときのこと。
その営業マンの自宅の裏庭には木が2本あり、その間にワイヤーを張ってワイヤーの上を歩く練習をしていると言うのです。
初めのうちは怖いので、保護用のパッドとハーネスをしっかり用意したそうです。
「このときの話はめちゃくちゃおもしろかった」
とネスナーは思い出しながら言いました。
前述のシカゴ大学の実験で、通勤者が知らない人に話しかけても拒絶されなかったように、ネスナーは、バーで自分と話したがらなかった人はいなかったと思うと言います。
しかも、話し相手だった人は、まさか自分が元FBIの人質交渉主任と話していたなんて、最後まで知りません。自分の話に夢中で、質問してこなかったのです。

これで思い出すのは、テキサスの石油王の息子、ディック・バスの有名な話です。
彼は大掛かりな登山遠征に出ることで知られていました。そして自分の声が聞こえる範囲にいる人なら誰彼かまわず、自分の遠征について長々と話すことでも有名でした。
ある日彼は、飛行機でたまたま隣の席になった男性にも話し始めました。アメリカ横断のフライト中ずっと、マッキンリーやエベレストの危険な山頂の話、ヒマラヤで死にかけた話、エベレストに再び登る計画を立てている話を延々としました。間もなく着陸というとき、バスはきちんと自己紹介していなかったことに気づきました。
「大丈夫ですよ」
と隣の男性は、握手するために手を差し伸べて言いました。
「ニール・アームストロングです、はじめまして」

話し続けず、一呼吸おいて人の話しに耳を傾けないと、チャンスを逃してしまいます(し、まぬけに映ってしまう可能性もあります)。
自分のことを話すばかりでは、自分の知識に新しいものは何も加わりません。
繰り返しになりますが、あなたは自分自身についてなら、すでによく知っています。

会話を終えるとき、「この人について私は今、何を学んだだろうか? この人にとって今日いちばん気になるのは何だったんだろうか? 今日の話題について、この人はどう感じただろうか?」と自問してみましょう。
これらの質問に答えられないのであれば、「聴くこと」にもっと意識を向ける必要があるかもしれません。

ネスナーは、「日々直面するさまざまな状況に対して、もうすでに全部わかっていると考えながら対応してしまうと、成長し、学び、人とつながり、進化する能力が発揮されません」と言います。「私が考える優れた聞き手とは、他の人の経験や考えに喜んで耳を傾け、相手の視点を認められる人です」
他の人に対してオープンでいることや好奇心を持つことは心の状態であるのに対し、細やかな反応をして相手の視点を認めることは、訓練で伸ばせるスキルです。
このスキルを発揮すれば、相手は信頼感を高め、話してくれるようになります。
ネスナーが優れた聞き手である理由は、彼が実践を重ねてきたからです。相手が伝えることが本当は何であるかを掘り起こして理解するには、注意力、集中、経験が必要です。優れた「聴く力」は、生まれつきではありません。鍛錬によるものです。

『LISTEN』 chapter 5 より ケイト・マーフィ:著 篠田真貴子:監訳 松丸さとみ:訳 日経BP:刊

相手の話す言葉を傾聴して、共感を示す。
それだけで相手は親近感を感じ、心を開いてくれます。

それは、人質事件の犯人のような、殻に閉じこもった相手にも通用する方法だということ。

大事なのは、相手に100%集中し、関心を持ち続けること。
最初は難しいですが、誰でもできることですし、鍛えられる能力ですね。

優れた聞き手は「相容れない考え」に耐えられる

「アクティブ・リスニング」という言葉をつくった心理学者カール・ロジャーズ。

ロジャースは、人として成長する唯一の方法は、反対意見に耳に傾けることだと述べています。

 ロジャーズの著書を見てみましょう。
「自分の考えを修正したり、古いものの見方や考え方を投げ捨てたりするのはいまだにいやなことです。しかし、このような苦痛を伴う再構築こそ、学習と呼ばれているものてあること、またたとえ苦痛を伴うとしてもそれは、人生をより正確に見ることができるというさらなる満足を常にもたらすものであること、このことに私は、より深いレベルでかなりの程度気づくことができるようになりました」(『ロジャーズが語る自己実現の道』岩崎学術出版社)

自分と違う意見を聞いたり考慮したりするのは、決して楽ではありません。
意見をしっかり貫くと約束して選出された政治家にとっても、自分の信念を肯定してもらいたがる視聴者を持つメディアの人にとっても。また、同じ政治観やイデオロギーを持つ人だけに人づきあいを限定する傾向がますます加速している、ごく普通の私たちにとっても同じです。
今の世の中では、反対意見を持つ人とつきあうと、裏切り行為かのように思われてしまいます。
左寄りの政治的見解を持つ公共空間設計士の女性は、幼馴染の男性がトランプ大統領(当時)の集会に出席したことをフェイスブックで知り、この友達とは二度と話さないと私に打ち明けました。「彼は自分の行動を取り消せません。これが許される言い訳なんてありません」
同様に、ある民間航空のパイロットは、バーニー・サンダースやアレクサンドリア・オカシオ=コルテスのような極左政治家を支持する副操縦士とは、一緒にフライトしないと言いました。「判断力の乏しさと基本的な分析スキルの欠如がうかがえるから」だそうです。

イギリスのロマン派の詩人ジョン・キーツは1817年、弟たちに宛てて「物事を達成させるには、“ネガティブ・ケイパビリティ”(消極的能力)というものがなくてはならない」と書きました。
キーツは、これを「短期に事実や理由を求めることなく、不確かさ、謎、疑念を抱き続けられる能力」だと説明しています。
聞き上手は、「消極的能力」を備えています。相容れない考えや白黒ハッキリしないグレーゾーンに耐えられるのです。
優れた聞き手は、人の話しにはたいてい、一見しただけではわからない何かがあると理解しており、理路整然とした根拠や即座の答えにそこまでこだわりません。
これは、「狭量」の対極にあるものといえるでしょう。
消極的能力はまた、創造性の根源となるものでもあります。この能力のおかげで、物事を新たに捉えられるようになるからです。

心理学の分野では、消極的能力は「認知的複雑性」として知られています。
研究によると認知的複雑性は、セルフ・コンパッション(自分を慈しむ気持ち)と正の相関があり、独断性と負の相関があります。
認知的複雑性を持っている人は、不安を感じることなく人の話を聞き、あらゆる意見に耳を傾けることができます。認知的複雑性が高い人ほど、情報を蓄え、思い出し、整理し、生み出すのが得意で、そのために何かを結びつけたり、新しいアイデアを思いついたりする器用さがあります。また認知的複雑性のおかげで、より的確な判断や妥当な決断を下せます。

『LISTEN』 chapter 7 より ケイト・マーフィ:著 篠田真貴子:監訳 松丸さとみ:訳 日経BP:刊

自分と違う意見や考え方を排除する反応は、人間の脳に備わった防衛本能から来ています。

自分と相容れない考え方を抱く人の言うことを聴くことは、忍耐のいることです。
その忍耐力は、そのまま「聴く力」になるということですね。

聴き上手になるために必須なのが「消極的能力」。
ぜひ、身につけたいですね。

優れた聞き手は「自分の弱さ」を理解している

コミュニケーションにおいて、相手の理解の邪魔になる最大の原因は、自分の感情と感受性です。

マーフィさんは、優れた聞き手になるためには、自分自身、そして自分の弱さを理解すること大切なポイントになると述べています。

それは、自分はこういう受け取り方をしがちだという弱みがあることを知っていれば、相手がどういう意味で言ったかをもっと広く受けとめ、詳しく聞いて確認することもできるからです。

 自己認識力と、それに関連した概念である「自己監視力」が高い人は、優れた聞き手であることが研究でわかっています。
ひとつの理由として、どんなときに自分が間違った判断に飛びつきがちか自覚しているので、実際はそういった行動をとる可能性が低いため、という点があります。
自己認識力を養う上で大切なことは、会話中の自分の感情に注意を払うことです。自分の恐怖心や感受性(または欲求や夢)のせいで人の話をきちんと聞けなくなったときに、自分で認識するのです。
配偶者や親しい友達なら、あなたがどんなときに壁をつくってしまうか、怒り出すか、よくわかっているかもしれません。あるいは、信頼できる心理療法士に聞いてみるのもいいでしょう。
このような自己評価は簡単ではありません。でも、他者をもっと深く理解し、つながることができるようになります。自分自身との距離以上に、他者と親しくなれることはありません。

精神分析医は、患者の問題や感情を理解するときに、自分の個人的な問題が邪魔しないよう、まずは自分自身を分析する必要があります。
ジークムント・フロイトの最初の教え子のひとりだったオーストリア人精神分析学者のテオドール・ライクは、1948年の書籍『Listening with the Third Ear(第三の耳で聞く)』の中で、よく聞くとは、自分の無意識からわきあがってくる感情に気づくことである、と書いています。「数千という小さな兆候を観察して記憶に記録することであり、また、その兆候が与える微細な影響を意識し続けることである」
ライクにとって、自分の反射的な反応や直感に対する自己認識を持つことは、まるで、聞くための第三の耳を持っているようなものでした。
これと似た話ですが、CIAでは、自己認識が足りずに、緊迫した状況で自分の弱さをコントロールできなくなってしまう人物を除外するため、採用したばかりの新人を心理テストなどで集中的にふるいにかけます。
ワシントンD.C.のフォーシーズンズで会った元CIA局員のバリー・マクマナスは、こんなふうに言っていました。
「自分自身を理解していなければ、この仕事はできません。だれにだって弱点、欠点、もろさはあります。私にもあるしあなたにもある。しかしこの商売では、あなたに私の弱さをつかまれる前に、私があなたの弱さをつかむ必要があるんです」

それで思い出すのは、聞き手には物事を操る力があるという話です。
リンドン・ジョンソン元大統領の伝記を書いたロバート・キャロは、彼がいかにして上院への影響力を発揮していたかを、次のように説明しています。
「ジョンソンは常にしゃべっているとみんな思っていますが、こうした録音テープを聞くと、最初の数分間はまったく話さないことが多いのに気づきます。彼の声は聞こえますが、言っているのは“うん。うん”だけです。それで、もしや、と気づいたんですよ。ジョンソンは、相手が本当は何を求めているのか、本当は何を恐れているのかを『聴いて』いるのです」
詐欺師もほぼ同様に、かなり能力の高い聞き手であることが多いものです。
彼らは非言語のひそかなヒントや、何気ない言葉にひそむ意味を読みとり、相手がいちばん恐れているもの、もしくは求めているものを見つけ出します。
そこを理解できれば、相手をどう扱えばいいかがわかりますから。

『LISTEN』 chapter 10 より ケイト・マーフィ:著 篠田真貴子:監訳 松丸さとみ:訳 日経BP:刊

相手の言いたいことを、100%そのまま汲み取れる人はいません。
誰でも考え方の癖や偏りを持っていますから、その“色眼鏡”を通して見ていることを認識する必要があります。

自分の受け取り方の「弱み」を知ったうえで相手の話を聴けば、より相手の意図を把握できます。
相手の意図を誤解したり、だまされたりすることも防ぐことができるわけですね。

「オープンで正直な質問」が相手の問題を解決する

マーフィさんは、オープンで正直な質問は、相手に関する基本的な理解には欠かせないものだと述べています。

オープンで正直な質問とは、相手を治してあげようとか、救ってあげよう、助言してあげよう、正してあげようなどという隠された意図がない質問のことです。
つまり、相手への関心や好奇心からのみ出た質問のことです。

 たとえば、あなたが息子か娘とサッカーの練習にお迎えに行ったとき、お子さんが車に飛び乗ってこんなふうに言ったとします。
「サッカー大嫌い。もう絶対やらない。辞めるから」
こう言われたら、どんな親でもドキッとして、こんな言葉をかけるでしょう。
「辞めたらだめよ。チーム・スピリットはどこへ行っちゃったの?」
「えっ、何があったの? 監督に電話して文句言ってやるから!」
「お腹空いた? 何か食べに行きましょう。食べたら気分よくなるよ」
このどれも、傾聴ではありません。
何が起きたのかと子どもを質問攻めにする行為は、尋問です。子どもが抱いている感情について、そんなふうに感じることはない、ということは彼らの問題を矮小化しています。
そして話題を変える行為は、単に腹立たしいものです。子どもたちは私たち同様、自分の声を聞いてもらいたいのです。
代わりに、「いつもそう思っていたの?」もしくは「辞めるって、どういう意味?」などと聞いてみてください。これを、解決すべきものや腹の立つ話と受けとる代わりに、会話への誘(いざな)いだと捉えてみてください。

前にも書きましたが、問題の解決策はしばしば、すでにその人の中にあります。
耳を傾けるだけで、相手が今、そして将来にわたって、物事に対処するときに最善を尽くせるよう手助けすることができます。
テネシー州ナッシュビルにあるヴァンダービルト大学の研究者によると、子どもがパターン認識の問題の解き方を説明している間、母親が手を貸したり批判したりせず、ただ耳を傾けると、子どもの問題解決能力はその後著しく向上することがわかりました。解き方を子どもがひとりごととして説明したり、頭の中だけで何度も繰り返したりするよりもです。
その前に行われた大人を対象とした研究では、話をしっかりと聞いてくれる人が相手だった場合、隔離された中でひとりで解き方を思いついた場合と比べ、代替案やしっかりした根拠を伴う、より詳細な解法を説明することがわかりました。

自分の子どもであれ、恋人、友人、同僚、もしくはプライベートな相談事にやってきた部下であれ、あなたがオープンで正直な質問を投げかけ、その答えに注意深く耳を傾ければ、「あなたの話をもっと聞きたい」とか「あなたが抱いている感情はもっともだ」との思いを相手に伝えられます。
一方で、自分が解決しようとか、助言しよう、修正しよう、気を紛らわせようと飛びついてしまうと、相手が状況にうまく対処する能力がない――「私なしにあなただけで解決するのはムリ」と言っていることになってしまいます。
また、「私たちの関係には、正直な感情を表現する余地なんてない」と言っていることにもなります。
注意深く質問し、答えに耳を傾けると、相手もあなたの経験から学ぼうと、質問を投げかけてくるかもしれません。それはそれでいいのです。
それはあなたが、問題にどう向きあったかを振り返り、助言や慰めの言葉をかける権利を獲得したということです。またこうすることで、あなたが共有する経験や意見は、確実に相手の悩みに関連した、相手のためになるようなものになります。

『LISTEN』 chapter 12 より ケイト・マーフィ:著 篠田真貴子:監訳 松丸さとみ:訳 日経BP:刊

オープンで正直な質問、つまり、相手が自由に自分の感情と向き合えるような質問。
それが、本当に相手にとって有意義でためになる質問だということです。

私たちは、つい、自分の意見やアドバイスを言いたくなってしまいがちです。
しかし、それは相手が本当に望んでいることではないことが多いです。

普段の会話から注意したいですね。

右耳は「言葉」を聞きとり、左耳は「感情」を聞きとる

人間は、音を識別し、分類する能力に特に長けています。
言葉によるコミュニケーションが、他の動物よりも格段に優れている大きな理由の一つですね。

脳の聴覚情報の処理法について興味深いことの一つが「右耳優位性」です。

 右利きの人は、左耳で聞くより右耳で聞いた方が、言葉の意味を深く、速く理解できます。
これは脳の「左右機能分化」と関係があります。右耳で聞いたことはまず、ウェルニッケ中枢が位置する脳の左側に送られます。
また、話の情緒面を認識したり、音楽や自然の音を知覚したり味わったりするときには、左耳優位性がみられます。左利きの人にとっては、脳の神経経路が逆になっている可能性があるため、逆が当てはまるかもしれません。

そのため、話の内容を理解することと、話にひそむ感情を察知することは、どちらの耳を使うかでうまく聞けるかが変わるかもしれません。
これは、ヘッドホンの右側もしくは左側が損傷した患者を対象に行った研究により発見されました。たとえば、感情を感じとるのにもっとも苦労したのは、脳の右側が損傷した患者でした。
またさらに、イタリアの研究者らによる独創性あふれる調査もありました。
その研究によると、騒音の激しいナイトクラブで、誰かが歩み寄って話しかけてきた場合、右耳を差し出す人が多いことがわかりました。
また、右耳に向かってたばこを1本くれないかと頼んだ方が、左耳にしたときよりもくれる人が多いこともわかりました。怪しまれずに片耳だけにお願いごとを言える環境はそんなにありませんから、自然な状況で右耳の優位性を証明する、非常に賢い方法でした。

この結果は、話し手にどちらの耳を向けるか、もしくは電話でどちらの耳を使うかにも影響するかもしれません。
上司と話すときは、右耳が上に向くよう左に頭を傾けましょう。
もし恋人と電話で話しているときに、相手が怒っているのかどうか今ひとつよくわからないというときは、左耳で聞くように電話を持ちかえてみてください。左利きの人はこの逆でやりましょう。
でも皆さんはおそらく、すでに無意識のうち都合の良い方の耳を選んでいるかもしれません。
たとえば、テキサス州ヒューストンにある男性中心かつ厳しい社風の石油会社で幹部をしている左利きの女性が、話してくれました。彼女は常に、電話を左耳で聞くというのです。左利きの彼女にとっては、より論理的であまり感情的ではない耳です。
「右耳で電話をすると、聞こえないわけじゃありません。でも、そんなふうに感じるのです」

フォーカス・グループのモデレーターであるナオミ・ヘンダーソンが、教えてくれたことがありました。
左耳が上になるよう右側に人が首を傾げるとき、通常これは、自分の中のより感情的な面に触れようとしている合図です。
そしてこれは、ナオミのクライアントにとってもっとも価値ある情報になります。
そのため、誰かが頭を右側に傾げて左耳を上げるしぐさをしたら、ナオミは今話しあっている商品もしくは問題が、どんな記憶やイメージを思い起こさせたのか、という点に焦点を絞って質問していきます。
ナオミはこれを、科学的な実験ではなく自分の経験で気づいたのですが、左耳がより感情的な耳であると考えると、道理にかなっています。
電話で話をするとき、あなたはどちらの耳を使いますか?
何か聞こうと集中するときは、どちらの耳を差し出しますか?
状況や相手によって、耳を使い分けていますか?
意識して実験してみると、興味深いものです。あなたがどう情報を処理しているか――もしくは、そのとき情報のどの部分を優先させているか――を示しているかもしれません。
また、他の人があなたに対してどちらの耳を傾げるか、そして話題によってその耳が変わるかを見るのも、興味深い発見がありそうです。

『LISTEN』 chapter 13 より ケイト・マーフィ:著 篠田真貴子:監訳 松丸さとみ:訳 日経BP:刊

右利きの人は、右耳で「言葉」を聞きとり、左耳で「感情」を聞きとる。
私たちは、気づかないうちに、自然とそうしているのでしょう。

逆に、話の内容や話し相手によって耳を使い分けると、より良いコミュニケーションを取れるということです。
試してみる価値はありますね。

優れた聞き手は、間や沈黙を受け入れる

マーフィさんは、優れた聞き手であるとは、間や沈黙を受け入れるということだと述べています。

その理由は、間や沈黙をあまりにも早く埋めてしまう、ましてやかぶせ気味に言葉を発してしまうと、もしかしたら、話してはうまく言葉にならない何かを伝えようとしているのかもしれないのに、それを妨げてしまうからです。

 そうすると、せっかく言葉にしようとしているものを押しつぶしてしまい、本当の課題が表面に浮かびあがってくるのを邪魔してしまいます。とにかく待ちましょう。話し手が、とまったところか話を再開できるようにしましょう。
ジャーナリストとして私は、自分が話さなくも会話は続くと気づくまでずいぶん時間がかかりました。これまでの取材で、質問したからではなくむしろ黙っていたからこそ、興味深く価値ある情報を得られた経験もあります。考えをまとめるための時間と余白を相手のために確保すれば、やりとりからもっと多くを得られるようになります。

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教といった世界宗教だけでなく、バハーイー教から禅宗まで、世界のほとんどの宗教では、何らかの形の瞑想、または黙想を取り入れています。
沈黙の中で、信者は高次の存在の声や、少なくとも自分の中のいちばん尊い部分の声を聞こうとします。ローマ・カトリックのトラピスト会修道士は、沈黙することで聖霊からインスピレーションに心を開けると信じています。ユダヤ教の聖典タルムードには、「言葉には硬貨1枚、沈黙には2枚の価値がある」という教えがあります。
クエーカー教徒は、「待つ」礼拝を行います。そこでは会徒が集まり、紙からの洞察を受けとめて応じられるように沈黙の中で座ります。
とはいえクエーカー教徒でさえも沈黙は居心地が悪いものです。
インディアナ州リッチモンドにあるクエーカーの集会に参加しているある教徒は、月1回、日曜日に行われる「待つ」礼拝ではいつも空いている、と教えてくれました。というのも、「沈黙があまりにもつらすぎて、行かない人が多いのです」

ビジネスの場面では、欧米人が相対的に無口なアジア人と交渉する際、沈黙の居心地の悪さにつまずいてしまうことはよく知られています。
米国商工会議所アジア担当シニアバイスプレジデントのチャールズ・フリーマンは、アジア人は沈黙を積極的に活用する傾向があるのに対し、欧米人(とくにアメリカ人)は、沈黙に耐えられないと言います。アメリカ人が貿易交渉の場でしゃべりまくり、自ら苦しい状況に陥っていく様子をフリーマンは幾度となく目にしてきたと言います。
「アメリカ人は一般的に、まるで沈黙が悪いものであるかのように、沈黙を埋めるために話します。しかしアジア人は非常に異なります」
とフリーマンは話してくれました。
「交渉という文脈において、アジア人はただそこに座っているだけで、実は交渉を有利に進めています。丁寧な態度でそこにいつつ、すべてをじっと観察しているのです。間違いなく有利です」
相手の気持ち、譲歩の意思の有無、交渉決裂のポイントなど、相手がどうとらえて言葉にするかを静かに観察すると、多くを知ることができる、とフリーマンは加えました。
「交渉という文脈において、よく聞いていないと間違いなく失敗します」

カナダの作曲家であり音楽教育家でもあるR・マリー・シェーファーにとって、沈黙とは「可能性が詰まったもの」です。
それを生徒に示すために、シェーファーは生徒たちに丸1日沈黙を続けるように指示することもありました。
生徒たちは最初、嫌がりました。自分の内なる声が音として聞こえるようになり、煩わしいと感じたからです。中には、自分の内なる声を聞いて虚しくなると言った子もいました。
しかし24時間が終わるころには、話をしていたら気づけなかったような、芝生用のスプリンクラーのシューッという音や、スープのグツグツという音といった環境音のみならず、会話の中での微妙な変化にもこれまでよりもずっとよく気づき、感謝とともに認識できるようになった生徒たちは報告してきました。

『LISTEN』 chapter 15 より ケイト・マーフィ:著 篠田真貴子:監 松丸さとみ:訳 日経BP:刊

会話は、キャッチボールですから、どちらかが話しているときは、もう一方は聴いています。
沈黙を恐れて、一方的にしゃべり続けると、相手は聴き続けなければならないという状況になります。

逆に、こちらが何も話さずに黙っていれば、相手は話さなければならない状況になります。
相手から情報を得る手段としても、とても有効と言えますね。

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「聴くこと」は、受け身であり、従属的な立場というイメージがあります。
しかし、それは真実ではありません。

マーフィさんは、本当は「聴くこと」は、コミュニケーションにおいて「話をする」よりもパワフルな立場にあるとおっしゃっています。

聴き手は、野球でいうキャッチャーです。
強いチームには、良いキャッチャーは欠かせません。

配球を組み立て、ピッチャーである話し手の良さを最大限に引き出す。
会話というゲームが、どのような展開を見せるかは、聴き手次第だということです。

また、聞き手は、キャッチャーというポジション同様、常に周囲に気を配り、頭をフル回転させなければなりません。
相手バッターの変化を鋭く嗅ぎ取る観察力、それにピッチャーを辛抱強くリードする忍耐力も必要です。

誰かに理解されたい、受け入れてもらいたい。
そんなすべての人が持っている欲求を満たしてあげられるのが「聴くこと」です。

誰もが不安や悩みを抱えて生きている今の世の中。
人の心に寄り添い、勇気づけてくれる「聴くこと」は、ますます重要なスキルとなります。

コミュニケーションを高め、人間関係を豊かにしたいすべての人に手に取って頂きたい一冊です。
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