本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『Dark Horse』(トッド・ローズ、オギ・オーガス)

お薦めの本の紹介です。
トッド・ローズさんとオギ・オーガスさんの『Dark Horse「好きなことだけで生きる人」が成功する時代』です。

トッド・ローズ(Todd Rose)さんは、ハーバード教育大学院において、「心・脳・教育プログラム」を指揮し、個性学研究所所長を務められています。

オギ・オーガス(Ogi Ogas)さんは、神経科学の専門家で、「ダークホース・プロジェクト」のディレクターです。

特別ではない「普通の人々」が、ある日“ダークホース”になった理由とは?

大方の予想を覆して勝利する人。
今見向きもされなかったのに、突然勝者となる人。

そんな人たちを表す言葉が「ダークホース」です。

スポーツでよく使われている言葉ですが、ビジネスの世界でも、そのような存在はたくさんいます。

これまで成功の王道とされた「標準化システム」から落ちこぼれ、独自のルートを切り開き、才能を開花させた人たち。
彼らに共通した特質は何なのか。

著者は、それを探るべく「ダークホース・プロジェクト」を立ち上げ、ありとあらゆる分野のダークホースたちにインタビューをします。

 きっと皆さんも私たちと同じように、どのダークホースたちにも特定の資質が備わっているに違いないと考えるのではないか。たとえば、社会に対する反骨精神が真っ先に思い浮かぶかもしれない。おそらく、ほとんどのダークホースが、結局は並外れた性格の一匹オオカミであり、要するに、天下に名を成して世間を唸らせたい一心で突っ走る反逆者なのではないか、と。
私たちが見つけたものは、それとは全然違っていた。

ダークホースたちの性格は実に多様で、まったく系統だっていない。結果的に、色々な人間をランダムに抽出してサンプリングしたのと変わらない多様さだった。大胆で挑戦的な人もいれば、恥ずかしがり屋で謙虚な人もいる。好んでは快適な態度をとる人もいれば、融和的な態度が心地いいと感じる人もいる。ダークホースたちは、性格では一括りに定義できない。
さらに言えば、特別な意欲によっても、社会経済的な背景によっても、それぞれの研究や技能を極めるアプローチの仕方によっても、定義できない。ところが、ひとつだけ、どのダークホースにも共通する点がある。しかも、それは見逃しようのないことだった。
彼らは「充足感(fulfillment)」を何よりも大切にしているのだ。

「ダークホース・プロジェクト」を開始したとき、「充足感」がキーワードになるとは思ってもみなかった。特別な、おそらくは特異な学習方法なり習熟テクニックなり演習方法が見つかるだろうと期待していたし、ダークホースたちが活用した手法を知りたいと思っていた。研究者として、数値で表しにくい曖昧で気分的なことは避けるように、私たちは叩き込まれてきた。なかでも、「個人的な充足感」はつかみどころのない事柄だ。しかし同時に、どれほど予想に反する証拠であれ、見つかった証拠を無視するな、とも教えられてきた。
多くのダークホースたちが、はっきりと「充足感」という言葉を口にした。加えて、強い「目的意識」について語る面々もいたし、仕事への「情熱」

あるいは、自分が成し遂げたことに対する「誇らしい気持ち」を語る人もいた。少数ではあるが、「本物の人生」を送っていると言った人もいる。自ら「これは天職だ」と言い切る人もかなりいたし、ひとりなどは(声をひそめて、厳粛な口調で)「夢のような人生だ」と打ち明けてくれた。

普通の人と同じように、彼らも我が子を寝かしつけるのに苦労しているし、車のローンに追われている。そのうえ例外なく、さらなるキャリアの向上を目指している。しかし、朝は目覚めると仕事に向かうのがワクワクするほど楽しみだし、夜は自分に満足して眠りにつくのだ。この発見がきっかけで、私たちは最も大切なことに気づかされた。
さらに深く掘り下げるにつれ、ダークホースたちの充足感が偶然ではないことが明らかになった。それは彼らの選択だったのだ。この「充足感の追求(the pursuit of fulfillment)」という、何よりも大切な決断こそが、ダークホースを究極的に定義づけるものなのだ。

ダークホースたちが何よりも「充足感」を優先させて人生の選択をするという事実は、われわれが普通、「どうすれば充足感が得られるか」ということについて考えるときの考え方と明らかに異なっている。
われわれの場合は、これと決めた仕事で成功して初めて幸福感は得られると思い込んでいる。つまり、充足感は目標を達成した見返りなのだ、と。しかし、あなたの知り合いのなかに、仕事で成功しながらも、不幸な人生を送っている人がどれだけいるか数えてみたらどうだろう。
私たちの友人のひとりは高収入の顧問弁護士だが、口を開けば絶えず不満をもらしている。「毎日の単調な仕事がつまらなくて、やる気が起きない。違う道に進めば良かった」と。また別の友人は内科医で、経営する医院も繁盛しているのに、自分の仕事が退屈で仕方ないから、旅行や趣味で気持ちを紛らわしていると言う。

従来の「成功法則」を高らかに掲げる制度や学者たちの謳い文句は「自分の目的地を知り、懸命に取り組み、コースから踏み外さなければ、いずれ目的地に到達し、そのときに充足感は得られるだろう。学位を取得し、立派な職業に就けば、その後に幸福がついてくる・・・・・なんらかの幸福が」である。
標準化時代は、この「成功を目指して努力を重ねれば、いずれ充足感を得る」という基本理念に具体的な強制力をもたせてきた。何世代にもわたって、われわれはこの理念を受け入れてきたが、ついに今、それを一斉に放棄しようとしている。その理念が約束するものがいかに虚しく響くか、「個別化の時代」の到来によって気づき始めたからだ。
そして、この画期的な時代の移り変わりを推進しているのが、ダークホースたち――シナリオをひっくり返して、真逆の真実を実際の生き方で証明したダークホースたちだ。「ダークホース・プロジェクト」で明らかになった、ジェニーやアランや他の思いも寄らない名士たちのストーリーにつける大見出しとして、最もふさわしいのは、「成功の追求が、彼らに充足感をもたらした」ではない。
「充足感の追求が、彼らを成功に導いた」である。

『Dark Horse』 Introduction より トッド・ローズ、オギ・オーガス:著 大浦千鶴子:訳 三笠書房:刊

著者は、充足感の追求こそ、最高の人生を歩むチャンスを最大限にふやすことになると述べています。

今の生き方に不満や違和感を感じ、それまで積み重ねてきたキャリアをすべて捨ててしまう。
そして自らの「充足感の追求」のため、まったく新しい目的に向かって、誰も進んだことがないルートを切り開く。

本書は、そんな「ダークホース」たちの考え方をまとめ、私たち一人ひとりが充足感と成功を獲得するためのノウハウをわかりやすく解説した一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「小さなモチベーションを見つける」こと

ダークホースたちは、「競争心」や「創造性の希求」のような(よく褒めそやされる)普遍的で漠然とした動機とは対照的に、きめ細かく特定された、自分自身の(いわば偏った)好みや興味に突き動かされています。

著者は、あなたが充足感を得たいなら、まず、厳密に何が“あなたの帆”に風を吹き込むかを知らなければらないと指摘します。

そのため「小さなモチベーションを見つける」が、ダークホース的な発想の最重要かつ第一の要素となります。

ここでは、ソール・シャピロという一人の男性を例に挙げます。
ソールには、物体を真っすぐに並べることが好きという、偽りのない、強力な、そして極めて個人的な欲求がありました。

 1980年代に、彼は技師としてある会社に就職する。その会社は、技術的に困難な問題に挑もうとしていた。従来の銅線上の電気的な信号をレーザー信号に変えて光ファイバー・ケーブルに送るためにインターフェイスを開発するという問題だ。砂粒ほどのサイズの半導体チップを人間の髪の毛ほどの細い繊維に寸分たがわず配列しなければならない。ミクロン単位の精密さが要求される作業だ。ソールが入社したとき、社内はおろか他のどこにも、この決定的に重要な配列に成功した者はいなかった。ところがソールにとっては、自分の最も強力な欲求に訴えてくる、魅力的な問題だった。彼は、この問題を片手で(いや、両手で)解決させた。
ソールがつくったインターフェイスは、電気通信産業のいたる所で幅広く採用された。

ソールのデバイスで、会社はひと財産を成した。しかし彼自身は、ほんのわずかなボーナスを受け取っただけだった。このときまで、ソールは何の不満もなく技師の仕事をしていたが、初めて、自分の役割に疑問を抱き始めた。
「MBA(経営学修士号)を取得した連中がプレゼンテーションをするのを僕もよく目にしたけど、彼らは僕よりはるかに大金を稼いでいたんだよ。それに、会社の経営までするようになっていた。僕も、ああいう連中の仲間入りしたほうが良さそうだって、内心、思い始めたんだ」
そのため、ソールは充足感が得られる技師の仕事を捨てて、中間管理職の座に就いた。率直に言って、ソールのもっているいくつかの「小さなモチベーション」は、管理職の担う役割とは今ひとつ相性が良くなかった。部下を監督することも、あるいは、部下を信頼して物事を処理していくことも、彼には面白くない。人当たりがとても良く、親しみを感じさせる性格なのに、ソールは人脈づくりや職場での駆け引きに興味がなく、また、自分の考えを他者に伝えることや、自分の意見を他者に納得させることにも、あまり気が向かないところがある。
その一方で、彼のもっている最も強力な動機のいくつか、たとえば、手を使って作業すること・面白い装置や機械をいじること・数学的な計算をすること・ひとりで仕事すること、そしてもちろん、物体を真っすぐに並べることは、部長の地位に就いた途端、ほとんど完全に無視されることになる。
ソールは、この豊富で個人的な動機のすべてを、二つの欲求と引き換えに手放した。ひとつは、収入増。もうひとつは、会社の経営戦略についての発言権だ。MITスローン校(経営学科)でMBAに相当する資格を取得すると、その後の16年をソールは中間管理職として、いくつかのメディアと科学技術系の会社を渡り歩いて過ごした。案の定、苦労が多い割には充足感のない毎日だった。50歳になったとき、初めて、ソールは見切りをつけることに決める。
しかし残念ながら、以前の職種には戻れなかった。技師として働いていた頃から、既に20年以上が経過し、その間にインターネットが急速に発展、科学技術の分野は大きく様変わりしていた。彼の技術はひどく時代遅れになっていたのだ。

そして、ソールに転機が訪れた。
新しいビジネスをゼロから始めるのではなく、何かのフランチャイズ権を買うことはできないものか、と考えるようになる。
仲介業者と会って、ニューヨーク周辺にある手頃なフランチャイズ事業をいくつか紹介してもらった。まずは、高齢者福祉サービスの会社。まったく興味なし。次は人材派遣業。求人や従業員の対応の仕事はまっぴら御免。ところが、ひとつ、ソールの目を引く掘り出し物があった。
家具および室内装飾の修理業だ。
まったくと言っていいほど未知の業種だが、見た瞬間、ソールはピンときた。この仕事の成否は、素材・質感・色合いがすべて元の製品と正確に一致するように修理できるかどうかにかかっている。そして、この工程こそが自分が楽しめることだ、と。
従業員を監視する必要もなく、何もかも単独で進めることができる。手作業で仕事ができるし、自分の仕事の成果をすぐに見ることもできる。これはソールにとって重要なポイントだ。さらに、実店舗をもたずに自宅でビジネスを展開できる。顧客の住まいやオフィスに出向いて修理をすることになるからだ。市内を移動するだけの仕事だから、頻繁に自転車に乗れることにもなる。これも、おまけの楽しみだった。

2013年、57歳にして、ソールは「ファイバーニュー・アップホルスタリー・リペア」フランチャイズ店をマンハッタンにオープンする。
あなたがもし、代々受け継いだ肘掛け椅子の擦り切れを直したり、革張りのソファについて染みを取ったり、車のシートの破れ目を継ぎ合わせたりしたことがあったなら、その補修個所を隠すのがどれほど難しいか察しがつくだろう。しかし、ソールはあっという間に素晴らしい技量をもって補修することができた。自分の最も強いモチベーションの数々を総動員することができるからだ。
ソールは優れた職人技で仕事をこなし、多くの顧客から高評価のレビューが寄せられるようになる。2015年には、雑誌『ニューヨーク』から「市内で最高の本皮製ソファ修理人」に選定された。
「これまでやってきたどの仕事よりも、今の仕事で僕は幸福を感じている」とソールは語る。
「ほぼ毎日、仕事を楽しんでいるよ。それに、経済的にも安定している。僕はようやく、自分の性格に合わせて暮らし向きを”配列させる”ことができるようになったんだ」

『Dark Horse』 Chapter 2 より トッド・ローズ、オギ・オーガス:著 大浦千鶴子:訳 三笠書房:刊

社会的にいえば、技師から中間管理職への転身は、キャリアアップです。

ソールは、それをなげうってまで、自分の欲求を満たす新しい道を探します。
そして「家具などの修理業」という“天職”にたどり着くことができました。

まさに今の時代にふさわしい「ダークホース」の典型といえますね。

「判定ゲーム」で、自分の隠れた願望を掘り起こせ!

「自分の中の小さなモチベーションを掘り出すこと」

言うのは簡単ですが、それ突き止めるのは至難の業です。

だが幸いにも、毎日あなたが直感的にやっていることを利用して、あなたの隠れた小さなモチベーションを発見し、光にかざしてみることができる。
私たちはこれを「判定ゲーム(the game of judgment)」と呼んでいる。
過去1週間に何回あなたは他人をジャッジ(評価)しただろうか? 同僚、テレビのニュースキャスター、レジの列に並んだ見知らぬ人など、相手は誰でもいい。
こういう咄嗟のジャッジは、他者についてあれこれと断じるだけでなく、実は、フィルターのかかっていない自分の反応であり、それによって自分自身について知ることができるのだ。
あなたの小さなモチベーションに含まれるのは、微妙な好み、素朴な欲求、そして個人的に抱く願望だ。この「判定ゲーム」の目標は、他者に対する自分の直感的な反応を使って、あなたの心の奥の琴線に迫り、その源まで辿っていくことだ。

判定ゲームには三つのステップがある。第一のステップは、自分が他者をジャッジ(評価)している瞬間を意識すること。いつ評価しているか、だ。人は誰でも、常に他者をジャッジしている。郵便配達、警察官、マッサージ師、近所の人、店員、政治についてツイートする人など。他者に反応するのは、人間として当たり前のことだ。ただし、これからは、どんなときに評価しているのか自覚する必要がある。
第二のステップは、他者を反射的に評価しながら、どういう気持ちが湧いてきたかを見極めること。肯定的だろうと否定的だろうと、拍手を送りたい気分だろうと非難を浴びせたい気分だろうと、とにかく強い感情が現れるかどうかを自覚する。
第三のステップは、他者に対してなぜそのような気持ちを抱いたのか自問すること。自分に正直になることが大切だ。これを物理学者リチャード・ファインマンは、次の言葉で警告している。
「自分自身を欺いてはならない。――そして、自分以上に欺きやすい人間はいない」
もし自分がその人のように生きていたら、どういうことが好きで、どういうことが嫌いか。この問いに焦点を置くのだ。たとえば、有名人のインタビューを見ているうちに、気がついたらこう考えていたとしよう。
「富や名声を追いかけて、人は本当に幸せになれるだろうか?」
こうなると、おそらく金と称賛は、あなたにとって強い動機づけとなる要因ではないだろうということがわかる。
一方、ソール・シャピロの物語に対して、こう思ったとしたらどうだろうか。「ちょっと待ってよ。・・・・・この人ってしょせんは、家具なんかの修理屋でしょ。彼のことまで成功者だなんて思う振りはよそうよ!」――あなたは、たった今、自分自身について貴重なことを知ったと言える。あなたには、地位と称賛が大きな意味をもっている、ということになるのだ。
そんなふうで問題ない。そこが大事なところだ。充足感を得るためには、自分の心に火をつけるものに――それが何であれ――正直に向き合わなければならない。

忘れてならないのは、「判定ゲーム」の目的は他者の長所と欠点を冷淡に値踏みすることではないということ。あなたは客観的な振りを一切してはならないし、そうでなければ、誤った結果が出てしまう。あくまでも、目標は自分の強い感情的な反応を知り、それを使ってあなた自身の隠れた欲求の全容を探り出すことにある。
標準化されたシステムが広く行き渡り、深く浸透しているために、「判定ゲーム」には難しいところがある。なかでも最も難しいのが、「なんらかの普遍的な動機によって意欲をかき立てられるべきだ」という意識に抗しきれないところだ。この意識があるために、自分の本当の欲求を見過ごしたり軽視したりしてしまう。しかし、判定ゲームはその呪縛を解くことができる。ただし、それはあなたが注意深く具体的に取り組んだ場合だ。

仮に、パークレンジャーを評価しているとしよう。あなたは最初にこう思うかもしれない。
「一日中、外にいて自然に触れられるなんて、きっと気分最高だろうな!」
あるいは、借金の取り立て人を判定しているとしたら、あなたの最初の反応は「いやあ、なんとも気分爽快だろうな。借金を踏み倒すやつらを見つけ出して、きっちり耳をそろえて返金させるなんてさ!」かもしれない。そこで止まらず、あなたの気持ちをふるいにかけ続けよう。
パークレンジャーなら、あなたはこう思い至るかもしれない。「いつも外にいるのは良いけど、どう見ても孤独な仕事だ。あんな孤立状態が毎日続くとなると、ちょっと僕には耐えられないな」
この段階で、あなたは小さなモチベーションになり得る二つの欲求を探り出せたことになる。ひとつは、自然に触れること。もうひとつは、社会と安定した結びつきだ。
借金の取り立て人なら、どちらがあなたをより興奮させるか見極めてみよう。負債者の居所を突き止めるまでの過程か、借金を全額支払わせる行為か。あなたを活気づかせるのは、追っ手をまいて逃げようとする人を捕まえることだろうか? それとも、フェアプレーの使者として正義を行使することだろうか?
「自分の小さなモチベーションを探り出すこと」に関しては、詳細な吟味が重要だ。

あなたが目新しい環境に身を置いていようと、ほぼ毎日変わらない状況の中にいようと、その状況について正確に何が好きか、または何が嫌いか注目するように心がけよう。
あなたが学生で、数学の授業中に退屈したりイラついたりしたときも、自分の感情の源が厳密に何なのか見極めることだ大事だ。単に「数学が嫌いだ」ではなく、その奥にあるものを見つけ出そう。
そのために、こう自問してみるといい。「先生のダラダラとした話し言葉を聴いていると、苦痛を感じる?――本に書かれた言葉を読むほうがいい?」「他の学生が近くに居すぎて、気持ちが落ち着かない?――もっと物理的な空間が必要?」「長いこと黙っているのが苦しい?――他の人たちと意見を交わしたくてたまらなくなる?」「事実とか方程式より、物語を聞きたい?」
こうした問への反応が、それぞれに極めて異なる小さなモチベーションの反映なのだ。他者に対する咄嗟の反応を(自分の動機を知るために)活用するコツがつかめたら、「判定ゲーム」をあなたの体験するすべてのことに応用できるようになる。
自分の感情的な反応に気づき、その意味を深く知るようになると、人生のあらゆる場面が、自己究明のラボになる。

『Dark Horse』 Chapter 2 より トッド・ローズ、オギ・オーガス:著 大浦千鶴子:訳 三笠書房:刊

これからは「個人の時代」だといわれています。
これまで切り捨てられてきた個人的な欲求や価値観を武器にすることが成功への近道。

自分の隠されたモチベーションを知る。
そのために「判定ゲーム」を活用したいですね。

「選択のパラドックス」を一瞬で解決する方法

私たちの社会には、職業や生き方を自由に選ぶ選択肢があるとされていますが、本当でしょうか。

著者は、実際のところは、「選択」を「二択か三択」にすり替えているだけだと主張します。

人は、幅広く多様な選択肢からひとつだけ選ぶとなると、その選択肢の数に圧倒され思考が麻痺してしまい、手当り次第にただ目立つものを選んだり、あるいは、選ぶこと自体を拒否したりするという調査結果があるといいます。

この問題は、「選択のパラドックス」と呼ばれています。
一般的には、「シャンプーの問題」として知られていますね。

 あなたがもし鳥だったら、どこを生息地に選ぶだろう。アマゾン川流域の熱帯雨林? チベット高原の高地? ミネソタ州の涼しい湖? あらゆる場所に住めそうで、一ヶ所に絞るなど途方もないことに思える。
しかし、あなたがもし本当に鳥だったら、どこに棲(す)むかを選ぶのは難しくない。単純に、あなたがどういう種類の鳥かで選べばいいからだ。
ペンギンだったら、あなたは美味しい小魚が豊富な寒い海岸を選ぶだろう。ハチドリだったら、蜜がたっぷりの花が育つ温暖な気候の一帯を選ぶだろう。ハヤブサだったら、山岳地帯の岩場を選んで巣をつくり、そこから急降下しては無数の小さな鳥を難なく捕まえるだろう。どこに棲むかとなると、それぞれのタイプの鳥が、ーー他のあらゆる生き物と同じように――独自の必要性とコノを満たす場所を選ぶのだ。
これは、私たちが研究する「個性学」で言う「フィット」という概念の一例ある。つまり、あなたの個性とあなたを取り巻く状況が適合すること。また、「フィット」は、「シャンプー問題」に対する解決法でもある。
確かに、百個の異なるシャンプーからひとつを選ぶのは至難の業だろう。だがもし、あなたが自分はどういう人間か、そして、どういう物が欲しいか知っていれば話は別だ。自分の髪質の問題と自分の好みを知っていれば知っているほど、簡単にシャンプーを選ぶことができる。
もし髪質が脂っぽく、染めていて、頭皮が痒く、天然由来成分だけの製品が欲しくて、動物でテストした製品はイヤだというなら、そういったシャンプーを選ぶだろう。もしパサついた髪質で、パーマで傷んでいて、ビタミン豊富な保湿成分が必要なら、そういった効能のシャンプーを試すだろう。ふけ症に悩んでいて、とにかく安くて効果のあるシャンプーが欲しく、花や果実の香りなどいらないなら、あまり迷わずに手に取るかもしれない。シャンプー選びのような単純な問題においてさえ、あなたの個性は重要なのだ。

対照的に、「シャンプー問題」に対して教育制度が提示する解決する方法は、学校管理者にどのシャンプーが平均的に最も効果があるか――あるいは、おそらく、どのシャンプーが最も簡単に安く提供できるか――決めさせ、その後、あなたに制度的に承認されたブランドを使うように要求する方式だ。もしいくつかの選択肢が提示されたとしても、事態が特に良くなるわけではない。結局のところ、この上から下へのトップダウン式のシステムは、あなたにはなく、制度に都合よくつくられているのだ。

本当の選択権とは、あなた自身の中にある「好きなこと」「小さなモチベーション」が、より多く生かされる機会を見つけて選ぶ権利である。選択権は、あなたが目的をつくり出す権利、ひいては、充足感を得る権利なのだ。もし自分の個性にフィットする選択肢を自由に探せるなら、あなたは今まで誰も気づかなかったチャンスを発見するかもしれない。

ハヤブサにフィットする生息地は多種多様に存在する。たとえば、カリフォルニアにある海辺の崖、中央アジアのヒンドゥークシュ山脈、オーストラリアのサザン・テーブルランド。しかしハヤブサは、意外な場所でも繁殖している。マンハッタン島だ。高層ビルが建ち並ぶニューヨークには、ハヤブサが安全に巣づくりでき、公園や街路を上から見渡せる場所がある。無数の太ったハト、ムクドリ、クロウタドリ、アオカケスが街中を飛び回り、ハヤブサからすると獲物を奪い合う敵もいない。ハヤブサが棲みついたときは専門家も驚いていたが、この撮りがガラスと鋼鉄の市街地に生息することを選んだのは、ハヤブサの好みとマンハッタンの都市環境がフィットしたからに他ならない。
あなたがどう学び、働き、生きるか、自分自身で選択する能力を得たら、あなたもハヤブサのように、自分に適した居場所を探し求めるだろう。あなたに最適なのはヒマラヤ山脈かもしれないし、ウォール街かもしれない。あるいは、その両方かもしれない。
しかし、確実に探し出す唯一の方法は、自分自身の「能動的な選択」だ。他人を当てにして、自分に何が最適化を教えてもらったり、真っすぐな道に盲目的に従ったりすると、最後にはとんでもない目的地に着いてしまうかもしれない。
だから、ダークホース的な発想の第二要素は、「自分に合った選択を探し出すこと」なのだ。
確かに、各分野の権威は、あなた以上に天文学や造園や音楽について詳しいだろう。しかし、あなたのことについて誰より詳しいのは、あなた自身である。そして、この「自分を理解すること」こそが、何よりも力を発揮するということを、ダークホースたちは明らかにしてくれる。

『Dark Horse』 Chapter 3 より トッド・ローズ、オギ・オーガス:著 大浦千鶴子:訳 三笠書房:刊

私たちは、すべての選択肢の中からベストのものを選んでいる、と思い込みがちです。
しかし、実際には、有力な2〜3個の選択肢から選んでいる(選ばされている)にすぎないことが多いです。

「シャンプーの問題」を解決し、自分自身の「能動的な選択」をする。
そのためには、私たち自身の中にある「好きなこと」「小さなモチベーション」を知り「自分自身の理解すること」が最も大切だということです。

あなたはどれくらい上手にカバに乗れるか?

ダークホース的な発想の大事な要素の一つが「自分に合った戦略を見つける」ことです。

著者は、「自分に合った戦略を見つける」ことは、誰か上の人から教えてもらった上達法ではなく、自分自身の強み(Strength)を案内役にして、独学法やトレーニング方法や習得法を探し出すことだと述べています。

 あなた独自の戦略を探し出すとは、今までの仕組みをまるごと変えるような、独創的な戦術を考え出すことではない。また、自分に完璧に合う戦略を超人的な能力で見抜く必要もない。
必要なのは、「自分の強み」についての新しい考え方である。

「人の強み」と「やりたいこと」は、基本的にまったく別のものです。
あなたの小さなモチベーションは、あなたのアイデンティティの中心的な部分を成すものであり、そのため、行動の原動力になるし、また、容易に変わることがない。われわれの脳は、自分の「やりたいこと」を直接的に知る、あるいは体感するようにできている
実際、「◯◯をしたい」という欲求は、われわれの意識に(完全に自然発生的に)強引に入り込んでくる場合が多い。たとえ、自分の内にある憧れや願望の一つひとつに名前をつけられなくても、内省によって小さなモチベーションの微妙な意味合いを知ることは常に可能だ。つまり、われわれが何かを欲するとき、われわれはそれを感じるのだ。
われわれは、自分がスカイダイビングに行きたいか、あるいは、アナゴ寿司を食べたいか、映画『マーベル』シリーズの最新作を観たいか、自信をもってはっきり言える。このように鮮明な信号を発する「やりたいこと」とは違って、個人のもつ強みは捉えどころがなく、状況によって左右され、そして動的である。
別の言い方をすると、強みはファジーだということだ。
われわれの脳は、「自分の強み」を直感的に知るようにできていない。これには当然の理由がある。われわれが個人的な強みと見なすものは、ほとんどすべて、外的な要因によって形成されるものであり、内的な要因によって自然に生まれるものではないからだ。
リメリック詩(訳注:五行から成る戯れの詩)をつくることも、ウェブアプリをプログラミングすることも、バレエのパドシャをすることも、文化的に定義づけられる能力であって、個人にもともと存在する能力ではない。すなわち、強みとは学びを通じて構築されるもの、たゆまぬ努力によって得られる能力である

ちょっと考えてみよう。
「あなたは、どれくらい上手にカバに乗れるだろうか?」
たぶん、カバの体によじ登ってみたいという気持ちさえ湧いてこないだろうが、あなたがこの愛想の悪い生き物の背中にまたがって、その巨体の重みを下に感じながら前に進ませようと試みるまでは、カバを乗りこなす潜在能力があなたにどれほどあるかなど知りようがない。
あなたは、自分が林の中でトリュフを見つけるのが得意かどうか知っているだろうか? 口を閉じたまま歌うのは? 毒蛇を操るのは? バッタを飼育するのは? 目からシャボン玉を飛ばすのは? 鼻の上にバランスよくクリップを載せておくのは? きっかり1分が経過したことを知るのは? 二種類の液体に両手をそれぞれ突っ込んで、その温度差をぴたりと言い当てるのは?
少なくとも似たようなことを前に試していない限り、こういう適性があなたにあるかどうか判断するのは極めて難しい。確実に知るには、経験してみるほかないということだ。
あなたは自分の強みを、内省を通してではなく、行動を通して見定めるのだ。

強みは、また、状況によって変わるものである。どのような個人的資質も、状況次第で適性にもハンディキャップにもなり得る。仮に、あなたは印刷された文章を読むのが苦手だとしよう。もしあなたが文芸評論家になりたいなら、これは明らかに弱点である。その仕事は、読解力に大きく依存しているのだから当然のことだ。しかし、もし天文学者になりたいなら、この弱点は、思いがけない強みになり得る。文字を読むのに苦労する人の脳は、多くの場合、天文学上の画像にあるブラックホールや他の天文の異常を発見するのが(読むのが苦手ではない人の脳よりもの)得意だからだ。
あなたの個人的な資質を今日の状況で強みとして発揮できても、明日になったらそれは強みではなくなるかもしれない。なぜなら、強みは動的なもので、鍛錬によって向上し、放置されれば劣化するからだ。自分に合った戦略を選ぶうえで最も重要なポイントは、現在あなたがもっているスキルを向上させ、知識を深めること、つまり、あなたの強みを変化させることにある。
強みとモチベーションは基本的に異なるので、戦略を選ぶときには、機会を選ぶときとは基本的に異なるアプローチをとるべきだ。

前章で述べたように、自分の小さなモチベーションを知っていれば、あなたは確信をもって機会を選ぶことができる。なぜなら、自分のモチベーションと機会とのフィットについて自信をもてるからだ。
しかし、あなたの強みはファジーなものなので、戦略を選ぶことははるかに不確かな課題になる。自分の小さなモチベーションに基づいて選択するときは、あなたは「これが私だ!」と宣言するだろう。しかし、新しい戦略を選ぶときは、常に暫定的な物言いをすることになる。
「これが、次に私がやってみることだ!」と。

これと大きく異なるのが、標準化されたシステムにおいての戦略選びの方法だ。あなたは「唯一最善の方法」を必ず選ばなければならない。もしうまくいかなくても、とにかくやる気を見せて、辛抱強く頑張り続けるしかない。そのままコツコツ努力しろ! 諦めるな! そして最終的に「唯一最善の方法」がうまくいかなければ、”事実を事実として受け止めるときがきた”ということだ。自分には、その方法に必要な能力が備わっていない、と。
標準化の考え方では、戦略を選ぶことは、どのようにコースから逸れないでいるかという問題である。
ダークホース的な考え方では、戦略を選ぶことは、どのように試行錯誤するかという問題である。

『Dark Horse』 Chapter 4 より トッド・ローズ、オギ・オーガス:著 大浦千鶴子:訳 三笠書房:刊

目的に通じる道は、一つではないということ。
自分なりのルートを自分なりの方法で進むことが「唯一最善の方法」だということです。

戦略を立てるうえで鍵になるのが「自分自身の強み」です。
強みは、自分では「当たり前」と認識しがちなので、自覚するのが難しいものです。

では、強みを知るためにはどうすればいいか。
行動を通して見定める、つまり、試しに経験してみるのが一番だということです。

試してみて、ダメなら他の方法をまた、試してみる。
トライ・アンド・エラーを繰り返して、最適なルートを見つけること。
それが「自分に合った戦略」だということですね。

山頂に、地図を持たずに辿り着くには?

ダークホースたちが目標に到達する過程は「地図を持たずに、到達可能な山頂に登りつめること」に例えられます。
それは、「勾配上昇法(Gradient ascent)」と呼ばれています。

 長年にわたって、応用数学者は多様な勾配上昇アルゴリズムを考案し、この計算法を総合最適化問題に適用してきた。その目的、最短時間で到達できる最高の頂点の位置を特定することにあった。多くの産業が、通常の製品設計において勾配上昇アルゴリズムを取り入れている。こうした製品のなかには、レンズ、自動車のサスペンション、無線センサー・ネットワーク、情報検索システムなどが含まれている。
ダークホース的な発想にある四つの要素は、すべて合わせて適用されると、勾配上昇アルゴリズムと同じ機能を果たすようになる。
勾配上昇法が山登りにどう適用されるか、順を追って見てみよう。
まず、スタート地点の近くにある斜面をすべて見渡し、最も急な斜面をひとつ見つける。しばらくの間、その方向に登り続け、それから足を止めて見晴らしの利くようになった地点から周囲を見渡す。この段階で、もっとも望ましいルート(正確には、もっと急な斜面)がないか見極めるためだ。このプロセスを何度も繰り返しながら、着実に高度を上げていき、ついに山頂に到達する。このプロセスでは、頂上までのルートは見つからないかもしれないが、確実にそこへ辿り着けるのである。

このプロセスは、「自分に合った戦略を見つける」ための試行錯誤方式の根底にある数学的な論理を捉えたものだ。つまり、あなたのファジーな強みにフィットする戦略を探すのは、”上達”を目指して登ろうとする山の、最も険しい急斜面を探すということである。
自分の個性に適した戦略を選べば、あなたはあっという間に急斜面を登ることができる。自分に合わない戦略を選んだら、ゆっくりと時間をかけて登るか、あるいは、少しも上に進めなくなってしまうだろう。
ひとつの戦略を決めて、しばらくの間、あなたはそれを実行してみる。それから立ち止まり、もっと望ましい戦略(もっと望ましい斜面)がないか見極めるべく周囲を見渡す。「自分の小さなモチベーション」と「自分に合った選択肢」を把握することは、ダークホース的な発想の勾配上昇プロセスにおいても重要な役割を果たす。
あなたが大胆な行動に出て、新しい機会を選ぶのは、まったく知らない山に入り、その独特な険しい岩肌や絶壁にしがみついて登るのと同じことだ。そしてさらに、その山からもっと高い山頂が見つかるかもしれない。

この成功のランドスケープには、ある決定的な特質がある。その特質によって、われわれは、なぜダークホース的な発想のほうが「目的地を知り、懸命に努力し、コースから逸れるな」と提起する標準公式よりも、個人を成功へと導けるのか理解することができる。あらゆる個人の成功のランドスケープは、それぞれに特色のある固有な地形を呈している。なぜなら、個々人がそれぞれに独自のパターンの小さなモチベーションとファジーな強みを持っているからだ。
あなたにとってアクセス可能な頂上や他には、隣人にとってアクセス可能な頂上や谷とは違うのだ。そして、二人として同じランドスケープを共有することがないのなら、当然、成功への普遍的な道などあり得ないということになる。
専門知識を身につけるための、万人に適する、唯一最善の方法が存在するという考え方は、数学的に言って、まったくのデタラメなのである。

勾配上昇法は、また、目標と目的地の違いを明らかにするものだ。
新しい方向に進もうと選択した場合、あなたは自ら目標を設定したことになる――山腹のいくらか高い地点、今あなたがいるところから見えている地点まで到達しよう、と。真っすぐに、山頂を目指すということではない。既にそこに近づいていない限り、頂上がどこにあるかも、またそこまでの最適なルートもわからないからだ。しかし、もし状況にあった意思決定を繰り返し、(より良い戦略や機会が現れる都度)コースを臨機応変に変えながら短期目標を目指して進み続けるなら、あなたはさらなる高みへと上昇するだろう。
対照的に、あなたが目的地を選ぶのは、自分のランドスケープを完全に無視し、こう宣言することだ。「何が何でも、X地点へ向かいます!」――X地点は、空中のどこかに垂れ下がっているだけの、アクセス不可能な、現実を無視した場所かもしれないのに。
成功の多様性と、小さなモチベーションとファジーな強みにある個性を信じるなら、勾配上昇法という数学によって、あなたは自分の目的地をまったく知らずにそこへ到達できるということが明らかになるだろう。そして目標達成への情熱と目的意識とを自ら生み出すことに焦点を置き続けるならば、あなたはいずれ自分の才能を極められることに確信が持てるようになるだろう。

『Dark Horse』 Chapter 5 より トッド・ローズ、オギ・オーガス:著 大浦千鶴子:訳 三笠書房:刊

図 勾配上昇法 Dark Horse Chap5
図.勾配上昇法
(『Dark Horse』 Chapter 5 より抜粋)

ここでいう目標(山の頂上)とは、あくまで個人的なもので、誰一人として同じではありません。
当然、山の形も違えば、そこに至るまでの最適ルートも違います。

誰も登ったことがない、未知の山を踏破する。
そんなときに役立つツールが「勾配上昇法」です。

最初から山頂(目的地)を目指すのではなく、到達可能な高み(目標)を設定して駆け上がる。
高みに到達したり、行き詰まったら、そこから新たな高みを見つけ直して、そこに向かって全力を傾ける。

その繰り返しが、いつの間にか、誰も到達できなかった山頂に導いてくれます。

社会を支配する「才能の定員制」

古い時代の「標準的な考え方」。
新しい時代の「ダークホース的な考え方」。

著者は、両者の対立的な関係を、17世紀に大きな議論を呼んだ「天動説」と「地動説」の関係に例えて説明しています。

 古い考え方は「たったひとつの特別な天体が、引力をもっている」と主張し、新しい考え方は「すべての天体が、引力をもっている」と主張する。
双方の主張が共に真実であるはずがなかった。

「人の才能を伸ばすこと」に関する論争でも、妥協の可能性はない。標準化の考え方とダークホース的な考え方にある厳然たる違いは、突き詰めれば、人がもつ能力・才能に対する双方の異なる見方に根差している。古い考え方は「特別な人間だけが、才能をもっている」と主張し、新しい考え方は「すべての人間が、才能をもっている」と主張する。双方の主張が共に真実であるはずがない。
あなたは、どちらか一方の立場を選ばなければならない。
引力に対する二つの対立する理論が、宇宙の物理現象に対する根本的な解釈を二分させたように、人間の潜在能力に対する二つの対立する理論も、われわれの社会における個人と組織の相対的な役割に対する解釈を二分させるものだ。
標準化の考え方によると、ごく少数の人間だけが特別な才能をもっているから(そのために、ごく少数の人間のみに充足感を得る能力があり)、組織がそのような才能をもった個人を特定し、その個人に褒美を授ける権力を独占してもよいということになる。
ダークホース的な考え方によると、誰もが特別な才能をもち、充足感を得ることができ、組織は個人がそれぞれの潜在能力を余すことなく伸ばすことができるよう手助けすべきということになる。

古い考え方から新しい考え方への飛躍を妨げる唯一最大の障害は、400年前も今もまったく変わらず、「一見して明らかに見える事柄から脱皮できない」ことである。確かに、一見すること地球だけが引力をもっているように見えていた。――ちょうど、一見すると特別な人だけが才能をもっているように見えるのと同様に。
しかし、ガリレオが自分の望遠鏡で示したように、これは単なる目の錯覚である。

「才能は稀なものだ」という考えに、われわれはめったに疑問を感じない。才能は珍しく特別なものだというのは、誰から見てもいたって明らかなことに思える。なぜかといえば、ごく少数の人しか階段の一番上まで上っていけないからだ。陸上競技の国際大会だろうと数学オリンピックの大会だろうと、国の代表チームの一員として参加するのは、ほんの一握りの人々だ。学術的な奨学金だろうとスポーツ奨学金だろうと、ほんの一人握りの人しか給付金を勝ち取れない。同じく、ほんの一握りの人しか、ボストン交響楽団で演奏できないし、ニューヨークタイムズのベストセラー本は書けないし、NASAの宇宙飛行士になれない。
しかし他のどこよりも、才能が稀であることがもっともらしく見えるのは、高等教育の場においてである。つまり、ごく少数の学生しか入学できないエリート大学だ。プリンストンは、毎年、約1300人の学生を受け入れる。イェールも同数。MITとコロンビアは、約1400人ハーバードとブラウンは、約1600人。スタンフォードは、2000人を少し超える程度。人口3億3千万人の国にしては、極めて小さい数字である。
われわれは無意識に、おそらく有名な教育機関に入学する学生数の少なさは、国民全体のなかの才能ある人々の数になんらかの形で対応しているのだろう、と推測する。しかし、実際のところは、こういうことだ。
このような有名大学のどれひとつを取っても、入学志願者を査定することなく、先に定員数を決めている。たった一通の願書すら見ずに、どの有名な学術機関も特定の数字を念頭に置いて入学選考のプロセスを開始する。
この数字は、志願者たちのクオリティに基づいて増えることも減ることもない。さらに突き詰めて言えば、こうした大学は入学する資格をもった志願者をすべて受け入れることはなく、ただ、あらかじめ決めた数の学生だけを受け入れるのだ。
別の言い方をすれば、大学(われわれに機会を提供する最高機関)は「才能の定員制」を強要しているということだ。

『Dark Horse』 Chapter 6 より トッド・ローズ、オギ・オーガス:著 大浦千鶴子:訳 三笠書房:刊

少数の特別な人間だけが才能をもっている。
それは、ただその才能を活かせる枠が少なかったことによる錯覚にすぎないということ。

これまでの常識を大きく覆す考えですね。
まさに「コペルニクス的転回」というにふさわしい考え方です。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

ある一つの基準で、決められた人数だけを受け入れる。
私たちは長らく、そんな「標準的な考え方」に基づいた社会に生きてきました。
しかし、時代は大きく変わりつつあります。

「組織」重視の社会から「個人」重視の社会へ。
これまで、ある特定のもの以外は無用とされてきた才能、いわゆる「個性」が大きな価値をもつ社会に向かいつつあります。

価値観が多様化し、成功や幸せの形も一つではなくなりました。
それこそ、人の数だけゴールがあるということですね。
そして、そこに至るルートも、当然、その人だけのものということになります。

これまではメインのルート以外は「裏道」とされてきました。
これからは、その裏道こそが、成功への「王道」になる時代です。

好奇心や情熱を武器に、誰も通ったことのない道を切り開いて、自分だけのゴールを目指す。
そんな「ダークホース(穴馬)」的な生き方が、これからの「本命」となっていくのでしょう。

これまでの常識が大きく変わり、先の見えない不安な世の中。
本書は、その中を生き抜くためのノウハウを教えてくれる一冊です。

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