【書評】『死ぬまでに決断しておきたいこと20』(大津秀一)

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 お薦めの本の紹介です。
 大津秀一先生の『死ぬまでに決断しておきたいこと20』です。

 大津秀一(おおつ・しゅういち)先生は、緩和医療がご専門の医師です。

死ぬまでに「決断」は必要である


 大津先生は、これまで1000人以上の最後の時間に触れ、その最期を看取ってきました。
 そして、人生の締めくくりの時期に出会った数々の「決断」に、間近で接してきました。

 死ぬときに決断などいるのかとお思いになるかもしれません。
 結論から言いますと、必要です。
 ただ正確に言うと、私たちはほぼ100%、死ぬ瞬間は声を出して意思を伝えることはできません。意識も低下しますから、何かを決断することはできません。
 しかしそれより数か月前から数日前までは忙しい日々となります。
 それは死ぬ前に決断しなければいけないことが実際に多々あるからです。
 どんな決断があり、どのように悩むのか、それを人生の先輩たちの姿を通して学ぼうというのがこの本の趣旨です。
 そして無論のこと、何かを為すのに、死ぬ直前よりも、死ぬ半年前のほうが楽に決まっています。
 さらに言えば、病気になった後よりも病気になる前のほうが決断は楽です。
 健康なうちから、いずれ遭遇することになる「決断」を知っていれば、いざという時も落ち着いて対処できるかもしれませんし、そもそも「もうその問題は解決しておいた」という場合だってあるでしょう。
 あるいは年老いてからよりも若いうち、ひょっとすると今日から、何か習慣を変えることで、いざ本番となった時にもよりふさわしい対応が取れるかもしれません。
 本番はあくまで本番、これは事実です。
 しかし何も考えてこないでいざ死が眼前に現れた人と、頭のほんの片隅には置いて生きてきた人では、そのショックも準備の度合いも異なるのではないかと思います。

 『死ぬまでに決断しておきたいこと20』 ごあいさつ より 大津秀一:著 KADOKAWA:刊

 本書は、私たちが避けて通れない「死ぬときの決断」について、テーマごとに実例を挙げてまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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自分の病気について知るべきか、否か


 人生の最期における最初の決断は、『自分の病気について知るべきか否か』です。

 インターネットが発達し、多くの本が世の中に出回っている今の時代。
 患者自身が病気についての情報を集め、それを治療の方針について決めることは可能です。
 実際に、そのような人たちは増えてきています。

 しかし、大津先生は、そこに「情報過多」であるがゆえの“落とし穴”があると指摘します。

 選択をするために、情報を収集します。
 ですがそれにより、相反するものが普通にあること(例えば、ある情報源では「抗がん剤は毒」、一方で別のそれでは「抗がん剤は良い」とか)や、世の中に絶対が存在しないことを認識するのです。
 少なからぬ人は、ここで不安を深めます。
 それは取りも直さず、「どれを選んだらいいかわかりにくい」からです。
 調べたのに、あるいは調べるほど不安になり得るというメカニズムが働きます。
 実は、とりわけ命に関わるような重大な選択肢を集めて、それらを眺めて冷静に比較検討して判断するには、相当な心理的な強さが必要です。
 よりよく生きたいと選択肢を増やして、自ら調べることが、自らの性格や状況によっては逆に自らを苦しめることだってあります。
 また昨今、良心的な医療者は、「患者が、絶対的な正解がないことを過不足なく見つめて、その上で判断しなければいけなくなっている」という問題に気がついていますから、「白黒ではない」ということを盛んに発信するようになっています。
 例えば、まったく同じもの(例えば同じ抗がん剤)がある場合には命の長さを増し苦痛を減らす一方で、別の場合には命の長さを減らし苦痛を増すこともあるのです。ゆえに「抗がん剤は毒」、あるいはその真逆の「抗がん剤は良い」を盲信すると、不利益を受ける可能性があります。
 しかし「抗がん剤は毒」などと言い切る医師や、「これがガンに効く」と怪しい治療を勧める医師などの本の勢いにその声がかき消されてしまっていることからもわかるように、人は「絶対が大好き」です。考えないでもわかるような白黒はっきりしたものが大好きとも言えます。
(中略)
 ただ数十年前までは、医師に任せておけば良いようにやってもらえるという信頼(あるいはそれも信仰?)があったので、つらさを今ほど感じない場合もあったのは事実でしょう。
 ただそれは、これまで述べてきたように、情報の過多と情報へのアクセスのしやすさで揺らいでしまいました。情報と選択の海に人は放り出されてしまったのです。
 しかもそこでは医者は「比較検討しもっとも良いものを選んでください」と言い、(良心的な医者ほど)「抗がん剤はいつも毒! だからやめなさい」とも「これをやればがんは治る! 決まり!」とも言ってくれません。
 実は私たちは楽園を失ったのです。
 知ることにより、「正解がない」という痛みと向き合わねばならないことになったのです。

 『死ぬまでに決断しておきたいこと20』 第1章 より 大津秀一:著 KADOKAWA:刊

 知識は、あくまでも「道具」に過ぎません。
 使い方を間違えれば、自らを傷つけることになります。

 自分で判断せず、信頼の置ける医者にすべてを任せるという決断もできますね。
 どちらにしても、相当の覚悟がいることを心に留めておきたいです。

「身の回りのもの」をいかに処分するか


 自分が死んだときに、トラブルになりやすいのが、「遺品の処分」です。

 大津先生によると、じつは、『「いつ逝くのか」がわからない病気のほうが数は多い』とのこと。
 病気にかかったときに、「絶対に生きよう」と考え、死ぬことを絶対に考えずに、一切の準備をしていないと、残された人が困ることになります。

 大津先生は、進行性肺がんを患っていた志田さんという60代女性から、荷物の処分の相談を受けたときのことを振り返ります。

 志田さんは、まだ余命が1年以上はあると思われる患者さんでした。
「身辺整理ってことですか?」
「そうです。早めにやっておこうと思って」
「どうでしょうか。まだちょっと早すぎとかではありませんか?」
 彼女は穏やかに微笑みました。
「早すぎ・・・・・は人生にはないんじゃないですか?」
 進んだがんの患者さんの言葉です。そして60余年の人生を歩んでこられた方の言葉です。字面では表現し得ない深みがそこにはありました。
「そうですね。焦らずゆっくりと進めていってはいかがでしょうか?」

 次の外来の時です。型通りの診察を終えると、彼女はまた穏やかに微笑みながら言いました。
「先生、部屋ががらんとしましたよ」
「がらん?」
「そう、今の私に要らないものを捨てようと決めて。・・・・・そしたらほとんど物がなくなってしまいました!」
 嬉しそうに彼女はハハハと笑いました。
「え? そんなに? 生活するのに大丈夫なんですか?」
「それがね、先生。もう私には必要なものってほとんどなかったんですよ。あーこんなに要らないものが部屋にあったんだって、そう思ったんです」
「・・・・そんなものですか?」
「そうです。でも心は清々(すがすが)しいんです。窓を開けると、風が今までよりもスーッと入ってくるみたいで」
 確かに物が多ければ、風の通りは邪魔をされます。時には空気が停滞することもあるかもしれません。それでも私たちは容易にはものを捨てません。それが役立つと知っているから。しかしそれは本当なのでしょうか。
「懐かしかったですよ。箱にしまってあった写真や手紙も全部目を通して。・・・・・全部捨てました。でも思いました。私も一生懸命生きたなって」
 述懐は温かな響きでした。
 きっと彼女の大切な人とのやり取りが、写真や手紙には刻まれていたのだと私は感じました。
「良かったんですか、捨てて」
「もちろん、胸の中にしまいましたから」
 風通しの良い部屋。中央に微笑みながら座る志田さんの胸の奥底には過去の思い出――それはきっとつらいことや悲しいこともあったでしょう――が静かに息づき、志田さんは今日も穏やかな一日を送るのです。
「志田さんはフォルダ一つに収めたんですね」
 私たちが本当に必要なものは、実はそれほど多くありません。けれども私たちの祖先は、物がない日々に苦しんだため、私たちの習性はものをためこむようになったのかもしれません。
 けれどもためこみをなくし、風の通り道を作れば。

 志田さんは2年後、静かにこの世を去られました。
 部屋は見事に片付き、一塵さえも残らず、暖かな春の日差しが遮るものなく差し込んでいたそうです。

 『死ぬまでに決断しておきたいこと20』 第2章 より 大津秀一:著 KADOKAWA:刊

 最近では、インターネット上のサービスで、パスワードがわからずに故人のデータにログインすることができないというトラブルが増えています。

 専門の業者に依頼して、データにアクセスできるようになったはいいけれど、その中身が新たなトラブルの火種となる・・・・。
 そんなことも、現実に起こっています。

「立つ鳥跡を濁さず」
 身辺整理は、残される家族のことを思えば、絶対に必要なこと。

「自分はまだ大丈夫」と油断せず、早めの準備を心掛けたいですね。

絶望して生きるか、否か


 大事なものほど、なくしてみてはじめて、その本当の価値に気づくものです。
 私たちが日々過ごしている「何気ない日常」は、その最たるものといえるでしょう。

 マハトマ・ガンジーはこのような言葉を残しています。

“Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.”

 ――明日死ぬかのように生きなさい。永遠に生きるかのように学びなさい

 明日がないかのように今日を懸命に生きること。
 一方で終わりなどないかのように腰を落ち着けて進むこと。

 この二つの心がけの併存こそ、人生において重要なものなのだと感じます。
 大切なものはいつか失うかもしれません。
 だからこそこの一瞬を、大切なものと、大切な人と過ごす時間は一期一会で、「明日死を迎えても良いかのように」接する
 一方で、それでも明日は続き、その中を人はより強くしなやかに生きていかねばなりません。
 だからこそ、終わりなどないように、どんな状況にあってもさらに得るものがあると思いながら進んでゆくこと。

 実は人生において失うことなど何もないのです。人は失ったものから必ず何かを得、不治の病の「なくならないとわからない」病を軽くし、「明日死を迎えても良いかのように」生きることに少しだけ近づけます。
 失ったことがない人は失ったことがある人よりも弱いかもしれません。一度この「なくならないとわからない」病にかかった人には免疫ができます。1回目よりは2回目のほうが、2回目よりは3回目のほうが強く、回復も早くなります。しぶとい病気ですから、忘れた頃にはまたかかります。けれども、免疫がつけばつくほど、必ず強くなるのです。そして、普通ならば死ぬことはない病です。
 失った人は、必ず得ています。「なくならないとわからない」病への強い免疫を得ているのてす。なくならなくても、わかるようになります。そのうえで、永遠に生きるように前向きに、日々学びを得て、進み続けるのです。
 このような気持ちを持ち続ける限り、実は人生に絶望はないのです。
 どんな悲観的な状態にあっても、永遠に生きるかのように人はまだ進んでゆきます。それはこれまでの先人たちが、それこそ世間的には名もないおじちゃんやおばちゃんが私たちに見せてきてくれた姿でもあるのです。

 『死ぬまでに決断しておきたいこと20』 第5章 より 大津秀一:著 KADOKAWA:刊

 死の恐怖を和らげ、受け入れる。
 そのためには、死から目をそらさず、真正面から見すえることが大切です。

 人の命は、はかないもの。
 いつ、その灯火(ともしび)が吹き消されるか、誰にもわかりません。

「明日死ぬかのようにいきなさい。永遠に生きるかのように学びなさい」

 いつか病院のベッドに横たわったとき、「自分は、自分の人生を精一杯生き切った」と言い切れる生き方をしたいですね。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

 多くの人にとって「死」は怖いものです。
 自分の死に際を想像することは、かなりの勇気が必要です。

 誰にとっても、死は平等に訪れるもの。
 いつかは、否応なしに向き合わざるを得なくなります。

 死が近づき、いよいよ・・・・。
 そうなったときに、あわてて人生の“後始末”をしようと思っても難しいです。

 事前の準備が何よりも大切だということは、人生全体についても言えます。

「死」を考えることは、「生」を考えることと同じ。
 本書を読むことは、死という避けられない現実を見つめ、人生を考え直すきっかけとなります。


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