【書評】『世界史で学べ! 地政学』(茂木誠)

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 お薦めの本の紹介です。
 茂木誠さんの『世界史で学べ! 地政学』です。

 茂木誠(もぎ・まこと)さんは、予備校の世界史科の講師です。
 現代ニュースを歴史的な切り口から考察する「もぎせかブログ館」の運営者でもあります。

いま、なぜ「地政学」なのか?


「歴史には正義も悪もない。各国はただ生存競争を続けているだけだ」

 そのような世界史の見方を、「現実主義(リアリズム)」といいます。
 地政学(ジオポリスティクス)は、リアリズムの一つで、国家間の対立を、地理的条件から説明するものです。

 敗戦後の日本では地政学の研究自体が禁じられ、タブー視されました。代わりに山川教科書のような、理想主義史観が幅をきかせることになったのです。日本の敗北は戦略・戦術の誤りではなく「倫理的に間違った戦争をしたから」であり、「日本が深く反省し、謝罪を行なえば」戦争はなくなる、たから「憲法9条を守らなければならない」という脳内お花畑歴史観です。
 しかし日本が反省と謝罪をすればするほど、周辺諸国は居丈高(いたけだか)になり、平和が遠のいていくという現状を、私たちはいま、目の当たりにしています。

 こうしたお花畑歴史観、世界観を正すために、地政学は有効なのです。
 アメリカ、ロシア、中国、EU(欧州連合)・・・・・。各国のすぐれた指導者はリアリズムでモノを考え、行動しています。それが道徳的に正しいかどうかはどうでもよく、プーチン大統領や習近平(しゅうきんぺい)国家主席がそういう動機で行動しているという事実(リアリティ)が重要なのです。
 相手の思考方法、世界のルールを熟知すれば近未来予想も可能になり、日本のとるべき選択肢もはっきり見えてくるでしょう。

 『世界史で学べ! 地政学』 プロローグ より 茂木誠:著 祥伝社:刊

「正義が勝つ」のではなく、「勝てば正義」。
 そんな冷徹な現実(リアリティ)が、歴史を動かしてきました。

 本書は、今日の国際紛争を地政学的見方から読み解き、わかりやすくまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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アメリカは「島」である


 アメリカ合衆国の地政学的特質は、その孤立性にあります。
 欧州大陸から2000キロ離れているため、直接攻撃を受けることは稀です。
 そのため、地政学では、アメリカ大陸を「巨大な島」と考えます。

 この特殊な環境にイギリスから渡ってきたのは、2種類の人々です。
 第一のグループはピューリタン(清教徒)たち。
 ピューリタンは、宗教改革の中から生まれたキリスト教の原理主義者です。

 イギリスから追われたピューリタンが目指したのがアメリカでした。ピューリタン革命が起こる約20年前、メイフラワー号で東海岸のプリマスに渡った約100名がその始まりで、ピルグリム・ファーザーズ(巡礼の父祖)と呼ばれます。彼らが目指したのはプロテスタント的にピュアな国家、「真のキリスト教国」でした。最初の年は飢饉(ききん)で多くの餓死者を出し、先住民(インディアン)からトウモロコシを分けてもらって食いつなぎます。翌年の収穫を祝って始まったのが感謝祭(サンクス・ギビング・デイ)――アメリカの代表的な祝日の始まりですが、彼らは先住民に対してではなく、自分たちの神(キリスト)に対して感謝したのです。移民の増加により勢力を拡大したピューリタンは、やがて「異教徒インディアン」に対する攻撃を開始します。

「アメリカに理想国家を実現する」「イギリス国王からの干渉(かんしょう)は受けない」というピューリタンの精神は、イギリスの支配を脱し、自由と平等を求めるアメリカ独立戦争の原動力となりましたが、同時に先住民排斥(はいせき)やメキシコ侵略を合理化する思想ともなったのです。カトリック教徒のスペイン人がアステカ王国を征服し、先住民と混血して生まれたメキシコは、ピューリタン的視点から見れば、「存在すべきではない汚れた国」となるからです。
 1840年代、オレゴンをめぐるイギリスとの緊張が高まったとき、アメリカの作家オサリヴァンは「神の摂理により割り当られたこの大陸全体にアメリカが広がるのは、明白な天命(マニフェスト・デスティニー)である」と論じました。このマニフェスト・デスティニーという言葉は、西部開拓という名の膨張政策を正当化するスローガンとなったのです。
 アメリカにおけるキリスト教原理主義はやがてさまざまな宗派に分裂しますが、「宗教右派」と総称され、いまでも共和党の強固な支持基盤です。歴代大統領は就任の際に聖書に手を置いて宣誓をしますし、宗教右派が「不道徳」とみなす妊娠中絶や同性婚の是非(ぜひ)についても、選挙公約で必ず問われるのです。
 このような宗教的情熱を「自由と民主主義」というイデオロギーにうまく転換したのが、1913年就任したウィルソン大統領でした。「軍国主義ドイツ」からヨーロッパを守るという大義名分を掲げて第一次世界大戦に参戦し、国際連盟の設立を実現します。ウィルソンの忠実な後継者が対日戦争を指導したフランクリン・ローズヴェルトであり、イラク戦争を指導したジョージ・ブッシュJr.です。

 『世界史で学べ! 地政学』 第1章 より 茂木誠:著 祥伝社:刊

 西側社会の「正義」とは、アメリカ的な「自由と民主主義」のことを指しますね。
 そして、それらと相反する考え方は、すべて「悪」となります。

 自由と独立を愛するがゆえに、国民の関心が内側にしか向かないアメリカ。
 国民の不満が高まると、ともすれば、排他的な思想が台頭しがちです。

 共和党のドナルド・トランプ氏が大統領選で大躍進を遂げたのも、それなりの歴史的な裏付けがあるということです。

北方遊牧民に対抗する中国の歴代王朝がとった三つの政策


 中国は、北をモンゴル高原とゴビ砂漠、西をチベット高原、東と南を東シナ海、南シナ海に面しています。
 中世まで、中国最大の脅威は、北方から侵攻を繰り返す遊牧民でした。
 歴代王朝は、北方遊牧民から身を守るために騎馬戦法を採用し、大量の軍馬を保有して騎兵を育成しました。

 北方民族に対する中国歴代王朝の政策は、「攻める」、「守る」、「買収する」の三つです。

1.攻める
 王朝の初期には「攻撃は最大の防御」とばかりにモンゴル高原へ遠征を行ないます。しかし羊の群れとともに移動し、首都という概念を持たない遊牧民との戦いには、終わりがありません。こちらから攻めれば引き、こちらが引けば攻め込んでくる。軍事負担は中国王朝の財政をどんどん悪化させます。

2.守る
 人口は常に過剰ですので、人海戦術で巨大な防護壁――万里の長城を建設します。戦国時代に各国が建設した長城を、秦の始皇帝が一本につなげたものです。最初は土を突き固めたものでしたが、明代の大修築でレンガを積み上げた巨大建造物に改築されます。東は渤海(ぼっかい)の海中、西はタクラマカン砂漠の中まで続く長城は、中国人の遊牧民に対する恐怖心の表われです。
 それでも長城はたびたび突破されました。征服王朝である元や清の時代、長城は国境ではなくなり、無用の長物と化していました。

3.買収する
 周辺民族の王を、中華皇帝の臣下として任命することを冊封(さくほう)といいます。挑戦や東南アジア諸国の王は、中華皇帝に貢(みつ)ぎ物を贈って恭順の意を示します。その代わり中華皇帝は彼らを「◯◯王」として冊封し、返礼の品(下賜(かし)品)を与えるのです。下賜品には中国特産の絹織物や陶磁器で、朝貢品の数倍の価値かあります。
 朝貢させることによって中華皇帝は威信を保ち、逆に周辺諸国の王は、下賜品という経済的メリットを与えられる、というしくみです。
 遊牧民の部族長が、彼らの特産品である馬を朝貢して頭を下げれば、その数倍の価値を持つ絹織物を下賜される。軍事力で中国から略奪するより、朝貢したほうが得だぞ、ということです。朝貢貿易は中国側の大赤字になります。要するにカネで平和を買うのです。
 貿易赤字の拡大によって下賜品を準備できなくなると朝貢貿易は滞(とどこお)り、遊牧民は下賜品を求めて再び牙をむくようになります。中国側は、ひたすら長城を防壁にして立てこもるしかなくなり、長城修築と軍事負担で人民は疲弊し、ついに長城を突破した遊牧民が中国を征服し、新たな王朝を建てる・・・・・この繰り返しです。

 『世界史で学べ! 地政学』 第2章 より 茂木誠:著 祥伝社:刊

 秦の始皇帝による最初の統一から清朝最後の宣統帝までの2100年続いた中国王朝(秦・漢・随・宋・元・明・清)。
 そのうちの半分は、北方遊牧民が中国を支配しています。

 中国王朝にとって、北からの脅威への対処は、どんなに財政が悪化してでも、おろそかにできない死活問題でした。
 長大な万里の長城は、漢民族の北方遊牧民への恐怖の大きさを表しているのですね。

ロシアは「3つの顔」を持つ


 ロシアという国は、三たび建国されました。

 一回目の建国は、9世紀。
 北欧のノルマン人の首領の一人、リューリクが、バルト海を渡って、ノヴゴロド国という国を建てました。

 二回目の建国は、10世紀。
 東方の遊牧民の侵攻に対抗するため、ビザンツ帝国と同盟を結び、キリスト教に改宗します。

 三回目の建国は、15世紀。ロシア帝国の誕生です。

 13世紀、日本は鎌倉時代で元寇があった時代です。モンゴル騎馬軍団はロシアも襲いました。フビライの従兄バトゥ将軍が率いるモンゴル軍は、キエフ公国を破壊し、南ロシアにキプチャク・ハン国を建てます。これ以後200年にわたるモンゴル支配のことをロシア史では「タタールのくびき」と呼ばれる暗黒時代として描きます。「タタール」とはモンゴル人のこと、「くびき(軛)につなぐ」とは「牛馬のようにこき使う」という意味。日本にたとえれば、神風が吹かず、元軍が本土まで攻め込んで京都も鎌倉も焼き払い、朝廷も幕府も滅亡して、元朝に併合されてしまったようなもの。悪夢です。
 ロシア三度目の建国は15世紀、日本では応仁の乱で戦国時代が始まった頃です。ロシアの母であるビザンツ帝国がイスラム教徒のオスマン帝国に滅ぼされるのですが、最後のビザンツ皇帝の姪(めい)を妃に迎えたモスクワ大公イヴァン三世が「皇帝(ツァーリ)」の称号を受け継ぎ、ビザンツ帝国の後継国家としてのロシア帝国が誕生したのです。
 このイヴァン三世が立ちあがり、モンゴル支配からロシアを解放したことになっていますが、これは事実の半面でしかありません。
「タタールのくびき」の時代、モンゴルの王(ハン)は、服従したロシア人貴族を通じて間接統治を行ないました。そういうロシア貴族の代表だったモスクワ大公は、モンゴル風のファッションに身をつつみ、ハンの娘を妃に迎えました。モスクワ大公の居城であるクレムリン宮殿の名は、モンゴル語で「砦(とりで)」をあらわす「クリム」が語源です。
 モンゴルからの独立後も、各地に残存するモンゴル系諸部族を従えるために、モスクワ大公イヴァン四世は「ハンの後継者」と称します。正当なハンの直径子孫だったサイン・ブラトをクレムリンの玉座に座らせ、彼から再び譲位されるという演出まで行なうのです。
 ヨーロッパ向けの顔は「ビザンツ皇帝の後継者」、アジア向けの顔は「モンゴルのハンの後継者」、という巧みな使い分けです。モンゴル系遊牧民の残党と、ロシアの逃亡農民を主体とする騎兵集団(コサック)は、モスクワ大公に忠誠を誓い、東西に向けて大遠征を続けた結果、ロシアは19世紀までは世界最大の帝国に成長したのです。強力な騎馬軍団によって、黒海から日本海にいたるユーラシア大陸を支配するロシアは、「よみがえるモンゴル帝国」だったのです。

 『世界史で学べ! 地政学』 第6章 より 茂木誠:著 祥伝社:刊

拡大してゆくロシア帝国 第6章 P161
図1.拡大してゆくロシア帝国 (『世界史で学べ! 地政学』 第6章 より抜粋)


 ロシアが、ルーツをたどると、モンゴル帝国やビザンツ帝国につながるというのは、驚きですね。
 ヨーロッパとアジアで二つの顔を持つ超大国、それがロシアです。

世界を舞台に繰り広げられた「グレート・ゲーム」


 20世紀後半は、アメリカとソ連という二つの超大国が覇権を争っていました。
 いわゆる「東西冷戦」ですね。

 同じようなことが、19世紀の世界でも繰り広げられています。
 イギリスと帝政ロシアという二つの大国の覇権争いです。
 これを、「グレート・ゲーム」と呼びます。

 オックスフォード大学地理学院の初代院長から政界入りしたマッキンダーは、アフリカ沿岸からインド、マレー半島、香港まで海上ルートで結ばれたイギリス植民地帝国を、いかにしてロシアの脅威から守るか、という問題意識から地政学を理論化したのです。

 マッキンダーはイギリス陣営を「シーパワー」、ロシア陣営を「ランドパワー」と名付け、こう結論づけました。
①ロシアは「世界島」の中心部――ハートランド(心臓部)を押さえている。ここを発する大河はすべて北極海か、内陸湖のカスピ海へ注いでいる。
②イギリスは大西洋・インド洋において世界最強の海軍力を持つが、イギリス艦隊はハートランドへは侵入できない。
鉄道の普及がユーラシア大陸内陸部の移動を容易にしたため、ロシアの膨張は加速する。
④東欧を制するものはヨーロッパを制す。だからロシアの東欧支配を阻止せよ。

 つまりロシアを倒すことはできないが、少なくとも地中海方面に出てこないように封じ込めることはできると考えたわけです。

 19世紀以降、イギリスが関わった戦争の多くは「ロシア封じ込め」を目的としたものです。代表的なのが次の三つで、いずれもイギリス側が勝利しています(←は支援を意味する。矢印の先にあるのが支援される側)。

  • クリミア戦争(1853-56)・・・・・ロシアvsオスマン帝国←英・仏
  • 第二次アフガニスタン戦争(1878-81)・・・・・ロシア→アフガニスタンvsイギリス
  • 日露戦争(1904-05)・・・・・ロシアvs日本←イギリス
 日露戦争で「日本軍が頑張った」のは事実としても、日英同盟(1902)を背景とするイギリスからの兵器供与、財政支援、情報提供がなければ、日本の勝利はなかったでしょう。日本にとって日英同盟は、現在の日米安保条約に匹敵する最強の軍事同盟であり、日露戦争もまた世界規模で展開されたグレート・ゲームの一環だったのです。

 『世界史で学べ! 地政学』 第7章 より 茂木誠:著 祥伝社:刊

ハートランドの大低地帯と高原地帯 第7章 P189
図2.ハートランドの大低地帯と高原地帯 (『世界史で学べ! 地政学』 第7章 より抜粋)


 日本史で習った歴史的な出来事。
 それも世界史的なマクロな視点で眺めると、また、違った意味合いを持つのですね。

 出来事には、必ず、それが起こった背景があります。
 火のないところに煙は立たない。
 歴史の教科書に載っているような大事件も、きっかけにすぎません。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

 日本は、建国以来、他の国に侵略されることなく、主権を守り通してきた、世界でも珍しい国です。
 それは、四方を海に囲まれているという、地理的条件が大きいのは、間違いのない事実です。

 周囲から地理的に孤立しているため、外敵から守られ、日本独自の文化が築くことができました。
 一方、それは、日本の外のこと、世界情勢にまったく無関心な人が多いという弊害をもたらします。

 日本を含めた東アジアの平和は、いかにして守られているのか。
 新聞やテレビなどで取り上げられているトピックスだけを読んでも、本質的なことは見えません。
 それを理解するには、各国のパワーバランス、利害関係、そして歴史的な背景を知る必要があります。

 グローバル化が進む現代、日本がいかに進むべきかを考える上でも、押さえておきたい地政学。
 本書は、その入門書として、最適な一冊といえます。


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