【書評】『ザ・町工場』(諏訪貴子)

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 お薦めの本の紹介です。
 諏訪貴子さんの『ザ・町工場』です。

 諏訪貴子(すわ・たかこ)さんは、ダイヤ精機製作所の社長です。
 ダイヤ精機は、東京・大田区に本社を置く中小企業で、ゲージ(測定具)や治工具、金型などの設計・製造を請け負う町工場です。

斜陽の町工場は、いかにして甦ったのか?


 2004年4月、諏訪さんが、病に倒れた父親に代わり、ダイヤ精機の社長に就きます。

 不況による深刻な経営難に加え、6割以上が50代以上という社員の超高齢化。
 当時、主婦をしていた諏訪さんは、存続が危ぶまれた父親の会社を救うため、火中の栗を拾う決断をしました。

 そして、メーカーの社長という慣れない仕事に、全力で奮闘すること10年。
 ダイヤ精機は、見事に息を吹き返しました。

 10年近く奮闘してきた結果、ダイヤ精機は若い組織に生まれ変わった。
 22人だった社員数は現在は34人にまで増えている。その内訳は20代が11人、30代が10人、40代が6人で、50代以上は7人にとどまり、社員全体に占める割合は2割にまで下がった。以前とは逆に30代以下の社員が6割以上になった。
 理想的なピラミッド形とは言わないまでも、満遍なく各年代に社員が散らばり、かなり望ましい形になった。社員34人のうち、26人が工場でものづくりに関わる。ダイヤ精機が誇る超精密加工技術を継承した若手職人集団が出来上がりつつある。
 視察、見学などでダイヤ精機を訪れる方たちは、50代以上のベテラン社員に交じって、20〜30代の社員が精密加工の最前線で活躍しているのを見て一様に驚く。
 若い力が台頭し、確実に技術を継承している――。こういう姿を見聞きした多くの企業が、ダイヤ精機の将来性を高く評価し、ものづくりを託そうと考えてくれるようになった。それが取引先の増加という形になって表れている。
 リーマンショック後には売り上げが急減し、単月赤字が続いたダイヤ精機だが、海外向けゲージの需要拡大や新規取引先の増加によって、業績はリーマンショック前の水準に戻った。

 『ザ・町工場』 はじめに より 諏訪貴子:著 日経BP社:刊

 若い人材を一流の職人に育て、ものづくりを復権させ、大田区を、そして日本をもう一度輝かせたいと述べる諏訪さん。

 本書は、諏訪さんがダイヤ精機で取り組んできた人材採用と育成のストーリーをまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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面接で「一発芸」をリクエスト


 新入社員の採用の過程で、最も重要なのは「面接」です。
 諏訪さんは、応募者と最初に会って面談します。
 面接の場では、人柄や、ものづくりへの関心の強さなどを見極めるとのこと。

 面接の途中で、応募者にとって想定外の質問をはさむことも意図的に行っている。
「今までの人生を振り返ってどう思う?」
 予想していない質問を投げかけられ、大抵の子は返答に詰まる。だが、そこで、「うまくいかないことが多かったですね」「パッとしない感じです」などと、ネガティブに答える子はバツだ。後ろ向きの発想では何事も良い方向に進まないと思うからだ。私自身が常に前向きに生きていきたいと思う性分だから、相性も良くないだろう。
「何か一発芸をやってみて」
 こう”ムチャぶり”することもある。
「どうしよう」とモジモジしたり、パニックになって固まってしまうような子はたぶんダイヤ精機の仕事に向かない。芸ができなくても全く構わないが、「すみません、今はちょっと思いつきません。次までにネタを仕込んでおきます」とその場をうまく取り繕う答えができることが望ましい。
 こうした唐突な質問で、私はその子の「対応力」を見ようとしている。機械を使うものづくりの現場は危険と隣り合わせ。頭の回転が早く、機転がきかないと、ケガをしてしまうリスクが増える。その場でとっさに判断し、柔軟に対応する力があるか否かを知りたいという思いで、あえて投げかけている。
 面接の後は工場長らの案内で工場を見学してもらう。ものづくりに興味がある子だと自然にいろいろな質問が出てくる。
「この製品は何に使うのですか?」
「これはどれぐらいの精度で仕上げているのですか?」
「材料は鉄ですか?」
 ものづくりに関わる人間は、機械を動かし、作業を進めているところを見るのがとても好きだ。出来上がった製品をずっと見ていても全く飽きない。
 専門的な質問は出なくても、見学の際に機械や製品への”食い付き”がいいかどうかで、ものづくりに対する興味はおのずとわかる。興味がないままに入社すると3ヶ月と続かない。お互いに不幸だから、そこは慎重に見極める。

 『ザ・町工場』 第1章 より 諏訪貴子:著 日経BP社:刊

 諏訪さんは、応募者の履歴、言動に「1点でも“ひっかかり”がある場合は採用しない」決めているとのこと。

 組織において、最も大事な財産は、「人」です。
 諏訪さんの、豊かな経験と勘による「人を見る目」が、ダイヤ精機の少数精鋭の職人集団を作り上げたのですね。

練習なしで、いきなり本番


 大企業でも、「新入社員の3割が3年以内に退社する」という今の時代。
 確保した新入社員を、一人前になるまでしっかり育成するのも大事なことです。

 ダイヤ精機の新人教育は、ほぼすべてがOJTです。
 担当する機械と教育係が決まり、機械の使い方の段取りが頭に入ったら、すぐにその機械を使って製品をつくることになります。

 新人にすぐに製品をつくらせるという話をすると、多くの人が不思議そうに問いかけてくる。
「機械を操作する練習はしないの?」
「製品をつくる前に試作してみるでしょう?」
 どちらも答えは「NO」だ。
 ダイヤ精機では、たいていの場合は新人でも練習などしない。試作品をつくることもない。未経験の新人にも、いきなり本物の製品の加工をさせる。
 熟達した技術が必要な1000分の1ミリ単位の作業や複雑な加工などは任せられないが、100分の1ミリ単位ならばすぐにやらせる。
 座学研修が終わり、担当する機械や作業が決まったその日から、ダイヤ精機の看板である超精密加工に携わるようになるわけだ。
「なぜ、練習をさせないのか」
「ロスがたくさん出て材料がムダになる。もったいないじゃないか」
 そう言われることもあるが、私はもったいないとは全く思わない。むしろ、練習させる時間の方がもったいない。
 私は大学卒業後、大手自動車部品メーカーに入社し、エンジニアとしてものづくりに関わった。だが、練習ばかりで本物の製品をつくるところまではなかなかたどり着けなかった。練習となると、緊張感がないし集中しないから一向に上達しない。正直、「つまらない」と感じていた。
 新人にも練習などさせずに最初から製品をつくらせた方が早く成長するというのが私の信念だ。もちろん、うまくいかずにロスが発生するのは覚悟の上である。
 機械で加工するという作業は、クルマを運転するのと似たところがある。
 どんなに長い間、助手席で運転者の行動を見ていても、頭の中で運転方法を想像しても、真の運転技術は身につかない。実際にハンドルを握って道路を走り、左折したり右折したり駐車場に停めたりしなくては上手にならないだろう。
 機械の扱いも同様。実際に手を使って動かし、製品を仕上げていくことで、徐々に上達していくものだ。
 機械加工はミシンや電動ノコギリを使った作業に近い。ごくまれに初めて触れた時から上手に使える人もいるが、ほとんどの場合、初めはうまく扱えない。新人が初めて手がけた製品のうち、実際に出荷できるのは50%程度。先輩社員が手直しした後でも、だ。それぐらい、機械を使って製品を仕上げるというのは難しい。
 そんなに難しい作業に練習なしで挑ませるのだから、新人がつくった製品は、不良だらけになる。私はそれでも全く構わないと思っている。不良を出すことこと自体が大きな経験だからだ。
 ただし、「同じ過ちを二度しないように」ということは厳しく言っている。一度うまくいかなかったから、「どこがいけなかったのか」を自分なりに分析し、「次に成功するためにはどうすればいいのか」を考えるよう指示ししている。

 『ザ・町工場』 第2章 より 諏訪貴子:著 日経BP社:刊

 高度な技術が要求される機械加工職人の世界。
 短時間である程度のレベルまで習得するには、「真剣勝負」でないといけないということ。

 転びながら、痛い思いをして身につけたスキルは、一生忘れません。
 まさに、「習うより慣れろ」ですね。

若手をあえて「追い込む」


 諏訪さんは、入社から2年、3年が過ぎ、経験と実績を蓄積しつつある若手に対しては、あえて「ハシゴを外す」ことも意識していると述べています。

 ハシゴを外すとは、その社員だけに特定の製品の製造や特定の機械の使用を全面的に任せてしまうことを指す。フォローする社員はほかに誰もいない。1人でやるしかないという状態をつくってしまうのだ。
 やや荒療治かもしれないが、任され、頼られれば、人間はもっと頑張らなくてはと思う。追い込まれれば何とかしようと必死になる。そこで困難を乗り越える経験を積むことが、技術レベルを1段階も2段階も引き上げ、一人前に育っていく助けになると考えている。
 Mくんも、そうやってハシゴを外して育てた一人だ。
 入社から1年半ほど経った2009年、Mくんには半NC旋盤の使い方を2週間で覚えてもらうことにした。前任者を自動車メーカーの工場に出向させ、Mくんにその業務を代行してもらうことにしたのだ。
 それまでMくんには汎用旋盤を扱った経験はあったが、半NC旋盤は全くの未経験。そもそも2008年に新しく購入したばかりの機械で、前任者以外に使った経験のある社員もいなかった。私は「工場内には誰も頼ったり相談できる人がいない」という状況でMくんに担当を任せることにしたのである。
 その時、彼はどうしたか。
 腐ることなく、文句を言うことなく、一人、必死に資料を読み込み、プログラムの作成方法を覚えた。そして、短期間で半NC旋盤を使って加工できるところまでたどり着いた。この経験が大きな自信となり、Mくんはその後も困難な課題に立ち向かい、新しいことに果敢にチャレンジできる社員に育っていった。

 『ザ・町工場』 第3章 より 諏訪貴子:著 日経BP社:刊

 諏訪さんが目指す理想は、「スペシャリストの多能工集団」です。
 その実現には、一人の職人が、さまざまなスキルを高いレベルで身につけることが要求されます。

 若いうちに、「自分の力で困難を乗り切った」という自信をつけることが大事。
 その自信が、より難しいことにチャレンジする、やる気を育てます。

小さな要望にもすぐに応える


 組織のなかで、何か新しいことをしようとすると、必ず摩擦が生じます。
 諏訪さんが、経営危機を乗り切るために繰り出す、リストラや改善活動。
 それらに対して、ダイヤ精機を支えるベテラン社員たちが反発します。

 諏訪さんは、不平を言い、反抗心むき出しのベテラン社員に対し、毅然とした態度で臨みます。
 方針を曲げることなく、結果を出すことで、彼らの不満を封じることに成功します。

 ベテラン社員とはぶつかることが多かったが、ケンカばかりしていたわけではない。経営方針に関しては対立したが、ベテラン社員の日々の仕事には、常に感謝の言葉を口にしていた。
「頑張ってくれてありがとうね」
「面倒かけて悪いね」
「残業してくれて助かります」
 地位が高くなるほど謙虚であるべきだと本で読んだことがある。それを実践していたつもりだ。
 私が社長としていられるのは社員たちのおかげにほかならない。組織を統制するリーダーとしての役割や責任があるから、言うべきこと、やるべきことは全うさせてもらう。けれど、彼らに対する感謝の気持ちは常に持ち続けていたし、その気持ちはいつも素直に表現していた。
 そして、どんなささいなことでも、ベテラン社員の要望や意見を取り入れると決めていた。
「社長、あの機械、ちょっと調子悪くてさ・・・・・」
「新しい工具が欲しいんだけど・・・・・」
 こういう声が届いたら、「じゃあ業者に見てもらおう」「新しいの買っていいよ」とすぐに対応することを心がけた。
 そういう情報を得るためには、日頃から密にコミュニケーションを取っておく必要がある。
 社長就任から2〜3年、私は作業着を着て工場に入り浸り、できるだけ社員と一緒の時間を過ごすようにした。一人ひとりに「元気?」「調子はどう?」「何か問題ある?」と声をかけ、社員が私に言いたいことがある時には、いつでも言える環境をつくるように気を配った。

 『ザ・町工場』 第5章 より 諏訪貴子:著 日経BP社:刊

 経営者と従業員、社長と旋盤職人。
 立場が違えば、主義や主張は異なるのは当然です。

 大切なのは、腹を割って、本音で話し合うこと。
 そして、それぞれの相手の立場や考えを理解しようと努めること。

 こちらが本気で向かっていけば、相手も本気で向かってきてくれます。
 日頃からのコミュニケーションが、相手との信頼関係を築くということですね。

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 戦後、日本経済を引っ張ってきたのは、製造業です。
 高品質で安価な製品を次々とつくり出し、「メイド・イン・ジャパン」は世界に冠たるブランドになりました。
 日本の「ものづくり」を陰で支えているのが、ダイヤ精機のような町工場です。
 彼らの作る、精度の高い部品や金型なしに、技術立国・日本は成り立ちません。

 長引く不況や後継者不足により、危機的状況を迎えている町工場は数えきれないほどあります。
 日本の製造業の屋台骨ともいえる、全国の町工場の復活なくして、日本経済の復活はありえない。
 そう言っても過言ではないでしょう。

「日本をもう一度輝かせたい」
 諏訪さんのその想いが、一日も早く叶うことを願っています。


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