【書評】『「フェイスブック革命」の真実』(石川幸憲)

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 お薦めの本の紹介です。
 石川幸憲さんの『「フェイスブック革命」の真実』です。


 石川幸憲(いしかわ・ゆきのり )さんは、米国在住のジャーナリストです。

ネットワークによる「スモール・ワールド現象」


「21世紀は情報の時代」と呼ばれます。
 人と人は、情報のやり取りを通じて、物理的な距離をも飛び越えてつながり続けます。

「ソーシャルネットワーク」という言葉も、いたるところで聞かれるようになりました。
 個人が大勢に自由に情報を発信し、双方向の新しいタイプのメディアが次々と誕生しています。

 その中でも、とくに注目を集めているソーシャルネットワークサービス(SNS)のひとつが「フェイスブック」です。

 ハーバード大学の学生だったマーク・ザッカーバーグが立ち上げた、顔と実名付きのプロフィール閲覧サービス。
 それが、またたく間に学内の話題を呼び、全米中どころか全世界中に爆発的に広まりました。

 立ち上げて10年足らずの間に、全世界に10億人近くのユーザーを集める、巨大メディアに成長しました。

 ここ数年の間に、人々の暮らしや生活を一変させてしまう破壊力。
 まさに「フェイスブック革命」と呼ぶにふさわしいものです。

 長年米国で暮らしてきた石川さんも、それを肌で体験し、衝撃を受けた一人です。

 本書ではフェイスブックの発展をネットワーク、モダニティー、アメリカ社会、インターネット、メディアなどの視点から考察してみる。おぼろげながら浮かんできたイメージは、ポストモダンのメディアである。フェイスブックは、many-many(多数対多数)型メディアを具体化したものとまではいえないが、その可能性を十分に示すものだ。ネットワークによるスモール・ワールド現象は、アラブの春などで不可能を可能にした。マスメディアとは異質の情報拡散である。と同時に、コンピューターは人間の意思とは無関係に我々の行為そのものを情報にする。例えば、スマートフォンを恩にしてポケットに入れて移動する——つまり歩くこと——だけで情報が生成される。我々は情報になり、ことごとく消費される運命にあるのだろうか。

 『「フェイスブック革命」の真実』 はじめに より  石川幸憲:著  アスキー・メディアワークス:刊

 スモール・ワールド現象とは、地球上のすべての人は、案外、小さな個と個のネットワークでつながれているという事実を指します。

 本書は、ソーシャルメディアの成り立ちからフェイスブック誕生までの経緯、ソーシャルメディアの将来などについて、メディアの専門家の目で論じた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「フェイスブック」が米国で爆発的な支持を得た理由


 石川さんは、フェイスブックがアメリカで生まれて、爆発的な支持を受けたのは、多民族で多言語の混合社会であるアメリカを色濃く反映した結果だと指摘します。

 混血型社会のアメリカでは、当然のことながらコンフォートゾーンを試される機会が多い。対照的に純血型の日本社会では、異質なものとの出会いが比較的限られる。その結果コンフォートゾーンは固定化される傾向が強く、大半の日本人は「仲良しクラブ」的な世界を生活舞台にしているように思われる。異質なものにめったに出会わない日本人の一部は、髪を茶髪や金髪にしたりして差別化を図るのだが、それも表面的なファッションでしかなく、先天的に異質な世界の出現とは違う。
 つまるところ日本では、差異はファッションのように人工的に演出されるものであって、人種などの生まれつきの特性ではない。日本には自分と本質的に違う世界が身近になく、日本人は自身のコンフォートゾーンを後生大事に守ることに精力を注ぐ。それにひきかえ、アメリカ人はコンフォートゾーンを毎日のように試される。この日米の違いは、インターネットの発展という意味でも極めて重要になる。
 フェイスブックはアメリカを土壌にしてこそ可能であって、決して日本で生まれることはなかったのではないか。それはネットワーキング(交流)文化の違いである。前述したように異質なものが混在するアメリカ社会では、日常的にコンフォートゾーンを広げることが求められている。それはアメリカ人ならば誰もが陽気で外向的でフレンドリーだから出会いが自然に発生するということではない。現実にはシャイで内気な人は掃いて捨てるほどいる。だが、外向的か内向的かというような性格に関係なく、アメリカ社会ではネットワーキングが社会の生活の歯車になっているといえよう。それは社会の流動性と無関係ではない。

 『「フェイスブック革命」の真実』 第4章 より  石川幸憲:著  アスキー・メディアワークス:刊

 コンフォートゾーンとは、「落ち着けて快適な環境」というような意味です。
 これはアメリカ人にとって、とても大事なことです。

 不慣れなものを避け、馴染みの世界に浸ることは、異質なものが所狭しと混在するアメリカ社会でオアシスを発見するような体験に似ているからです。

 フェイスブックは、そんなアメリカ人のニーズに、ぴったりフィットした道具だったのでしょう。

「フェイスブック」はなぜ、大学から生まれたのか?


 フェイスブックが、大学という舞台が発祥である理由も、自然な成り行きでした。

 大学は、新陳代謝の激しいコミュニティーである。ハーバードでは毎年2千人以上の学部生が入れ替わる。見ず知らずのティーンエイジャーは、ハーバードに選ばれたという事実を共有するだけで、寝食を共にする学生生活を始める。クラブ活動、趣味などを通じて既存のネットワークを築くことでハーバードというコミュニティーのメンバーになるわけだ。
 ネットワークの視点からコミュニティーを見ると、一人ひとりのメンバーが主役となっている。ネットワークとは相手の顔が見えない抽象的な集団ではなく、自身を中心にした人間の輪である。ネットワークでは自分が中心になっているともいえるだろう。自身の存在を他者との関係を通じて確認できるのがネットワークであり、その意味で生きがいにもなり得るわけだ。ハーバードという大きな器の中で培養されるネットワークは、学生にとってかけがえのない舞台であり、そこでは各個人が主役を演じることができる。言い換えれば、ネットワークは自己表現の手段という側面をもっているのだ。

 『「フェイスブック革命」の真実』 第4章 より  石川幸憲:著  アスキー・メディアワークス:刊

 学生たちにとって、それまでとまったく違う世界である大学というコミュニティーで、いかに人間関係を築くかは大きな関心事です。

 そのための手段として、フェイスブックが便利な道具として重宝されました。

フェイスブックは日本社会を変えられるか?


 日本への影響についてです。

 フェイスブックの日本での普及率は、8%程度に留まっています。
 50%の普及率を超える国も珍しくないなかでは、異常な低さです。

 石川さんは、その理由を日本社会の特殊性に求め、国内最大手の既存SNS「ミクシィ」と対比しています。

 ミクシィとフェイスブックの一騎打ちは、マーケティングなどの経済的闘いではなく、一般的に「実名主義」vs.「匿名主義」の文化的対立といわれた。フェイスブック上では本名を名乗ることがルールであるのに対し、ミクシィはニックネームなどの仮名の使用を許可しているからだ。争点になったのは、日本社会のユニーク性である。
 日本では、パブリックな場での発言は建前が中心になり、本人のアイデンティティーを隠蔽することが許される場でのみ本音が語られるという日本人論には、昔から根強い支持がある。その引き合いによく出されるのが、巨大電子掲示板サイト「2ちゃんねる」だ。99年のサービス開始以来、犯罪予告や名誉毀損訴訟など数々の話題を生み出し、現在でも利用者数が1千万人以上にもなるといわれている。2ちゃんねるの成功は本音と建前を使い分ける日本社会の反映であり、本音の発言をすればモグラたたきのように社会的に潰されるという日本人論の実証例として見られている。

 『「フェイスブック革命」の真実』 第7章 より  石川幸憲:著  アスキー・メディアワークス:刊

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 石川さんは、フェイスブックが日本社会にどの程度受け入れられるかが日本社会の将来が閉鎖型になるのか開放型になるのかを占うカギになりそうだと結びます。

 日本での、フェイスブックの認知度や普及率は、今後も増え続けることが予想されます。
 特に若い人たちには、必須のコミュニケーションの道具になるでしょう。

 フェイスブックが、日本でも、社会を変える力を持つ。
 そのためには、もっと上の世代、特に人口比率の多い団塊世代にどれだけ浸透するかがポイントです。

 下手をすると、ただでさえ大きな世代間のギャップを、さらに広げる存在になりかねません。

 いずれにしても、日本社会に大きな影響を与えることは間違いない、フェイスブック。
 今後の成り行きに、注目したいですね。

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