本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『脱・中国論』(加藤嘉一)

 お勧めの本の紹介です。
 加藤嘉一さんの『脱・中国論 日本人が中国とうまく付き合うための56のテーゼ』です。

 加藤嘉一(かとう・よしかず)さんは、高校卒業後、日本を飛び出して中国へ渡り、北京大学の国費留学生として中国語や中国の内情や風習などを学ばれています。
 現在は、英フィナンシャルタイムス中国版コラムニストや北京大学の研究員などを務め、“中国の今”を世界に向けて発信すべく大活躍中です。

『脱・中国論』の意味

 中国という「得体のしれない巨人」を、どう理解し、その国の人たちと、どう付き合っていくか。

 加藤さんは、それが21世紀前半において、日本人のみでなく世界中の人たちが直面している課題ではないかと考えています。 

 本書のタイトルを『脱・中国論』としたのには理由がある。中国は広く、いろんな人がいる。日本で私たちは普段、なんとなく「中国人」という言葉を口にし、メディアも盛んに「中国」を論じている。それは、多くの場合、ステレオタイプな中国や中国人を前提にしている。実際には、沿岸部と内陸部、都市部と農村部は、同じ国とは思えないほど違う。地域によって、人々の性格や価値観、テーブルマナー、人間関係の作り方、共産党との距離の取り方など、あらゆるものが異なる。だから、中国を理解するには、まずこの「中国」と「中国人」という凝り固まった先入観をなくさなければならない。それが、脱・中国論である。
 私たちは、複雑なパズルのピースを一つひとつ埋めていくように、丁寧に、粘り強く中国を理解し、中国人と付き合っていく必要がある。そして、その先には、きっと未来がある。

  「脱・中国論」  はじめに より  加藤嘉一:著  日経BP社:刊 

 一口に、「中国」「中国人」といっても、千差万別です。

 日本の数十倍の国土のなかに、13億人を超える人々を抱える超大国。

 急激な経済成長を遂げて、10年前とはまったく様変わりした一面。
 共産主義時代とまったく変わらない一面。

 その両方を併せ持つ、矛盾を抱えた国家です。

 本書は、加藤さんが、自分の目で見て、耳で聞き、自分の肌で感じた「今の中国」をありのままに描いた一冊です。

 今、中国人の関心事は何なのか。解決しなければならない課題は何なのか。
 そして、私たち日本人は彼らとどのように付き合っていくべきなのか、鋭い切り口から論じています。

 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「時代の騎士」となった「微博」(ウェイボー)

 グローバルスタンダードな「法治主義」と「民主化」を主張する、中国国内のリベラル派の知識人たち。
 彼らはこの3年間で中国は正真正銘の警察国家になってしまったと嘆いています。

 集会やストライキやデモの、徹底した取り締まり。
 思想とイデオロギー教育の強化。
 ユーチューブ、フェイスブック、ツイッターなどの米国発のウェブサービスのブロック。

 中国共産党による言論や情報の統制が、厳しさを増しています。
 それは中国政府が、経済力の獲得を背景として強まり続ける国民の圧力を押さえることが難しくなってきた証でもあります。

 中国人民の中国政府への圧力が増し続ける大きな要因の一つに、「インターネット」の存在が挙げられます。

 中国のインターネット利用者の数は、5億人を超えます。
 24時間体制で当局が監視して、体制への批判などの書き込みは削除されたり、罰せられます。
 ただ、それ以外の情報については、自由にアクセスできます。

 とくに「微博」(ウェイボー)と呼ばれる中国版ツイッターの影響力が、中国政府を悩ませています。
 1億人を超えるユーザーを持つウェイボーは、中国の世論形成に大きな力を持っています。

 不満のはけ口に使われている部分が多いですが、いつそれが現体制に刃を向けるかわかりません。
 中国当局が、そんな危険な道具を放置しておく理由は何でしょうか。

 僕に言わせれば、ウェイボーという存在そのものが、隙間を狙った存在である。北京五輪の前後にアメリカ発のツイッターやフェイスブックを強制的にブロック・アウト(中国語で「封鎖」)した当局にとって、中国国産であるとはいえ、同等の社会的機能と潜在能力を備えるウェイボーが世に広まることは、間違いなく「Not Welcome at all」(全く歓迎しない)だろう。
 当局がウェイボーを封鎖すること自体は100%可能だ。では、なぜやらないのか。
 理由は至って簡単だ。ウェイボーによって、中国人民のライフスタイルやコミュニケーション、ネットワーキングが根本から変わった。ボトムアップのアプローチであり、全人民が潜在的に待ち望んでいた新時代のプラットフォームである。そんな中国社会の救世主であるウェイボーが、当局の一方的な意向で封鎖されたら何が起こるか。人民たちは黙ってはいないだろう。おそらく街へと繰り出す。集会をやる。デモが起きる。どこから、どういう形で、誰が発起するかはわからない。だからこそ、共産党当局はウェイボーを安易には封鎖できない。封鎖したいのは山々であるが、もう後戻りはできない。来るところまで来てしまったのだ。

  「脱・中国論」  第2章 より  加藤嘉一:著  日経BP社

 中国人民の力は、知らない間にここまで大きくなっていたんですね。
 中国共産党首脳部も、彼らの意向を無視できなくなってきています。

 今後も、ウェイボーを通じた人民の力は、増大し続けるでしょう。

中国の民主化は、いつ起こるのか?

 加藤さんは、中国の民主化は不可避だと考えています。

 問題は、どのような形で“その時”を迎えるかということ。
 もちろん、共産党首脳部も、自らの身に危険が及ばないよう、穏便にことを済ませたいと時期を狙っています。

 共産党首脳部はいったいいつ民主主義に着手するか?それは、統治者である共産党と被統治者である人民のパワーバランスが5:5になるときだと僕は見ている。そのときこそ、中国共産党がトップダウンで民主化を推進するチャンスだ。中国が平和的に民主化を遂げ、政治的にソフトランディングする可能性が生まれる。共産党と人民の関係が4:6になってしまえばもう遅い。民衆が暴力による政権転覆に走って、社会全体が混乱し、無力化するかもしれない。このような事態に陥れば、日本も含めた国際社会にとっても、他人事ではすまなくなる。我々に準備はできているだろうか?

  「脱・中国論」  第2章 より  加藤嘉一:著  日経BP社 

 北京五輪の頃、加藤さんは、民主化があるとしても、「2025~2030年」くらいだと思っていました。

 しかし、「高速鉄道事件」などの中国人民の反応などを考慮すると“そのとき”が少しずつ前倒しになっている気がしてならないと述べています。

「天安門事件」の影響

 中国では、経済の地域格差が、急激に広がっています。
 それに伴い、人民の不満も、日に日に高まっています。

 今、中国共産党首脳部が最も恐れていること。
 それは、その人民の不満に火を付けるような「きっかけ」が与えられることです。

 民主化への欲求が党への不満へと変化し、ちょっとしたきっかけで爆発する。
 それを思い知ったのが、「天安門事件」でした。

 彼らが最も恐れるのが、「天安門事件」が再び起こることです。
 ソーシャルメディアも発達した現在、もし同じような事件が起こったら、その時以上の騒動となることは間違いありません。 

 最大のジレンマである。仮にもう一度、天安門事件が起きた場合、その規模や勢いは確実に前回を上回る。デモを収めるためには、やはり軍の出動が不可欠になってしまう。全国規模で若者と軍が真っ向から対峙する局面を、国際社会はどう見るだろうか。そもそも、軍を出動しても鎮圧できるなんていう保証はどこにもない。
 共産党幹部の1人は、僕にこう語った。「共産党へのアンチテーゼを掲げる学生デモのような事件が起きれば、首脳部は必ず迷う。軍を出動させ、武力で鎮圧すべきかどうか。最高意思決定機関である政治局常務委員9人の間でも、意見が割れてしまう。中央から地方へ、党から軍部へ、政府からインテリへと無限大に伸びる権力闘争につながって、ガバナンスが一気に混乱する可能性が出てくる。そうなると、共産党は完全に統率力を失ってしまう」

  「脱・中国論」  第5章 より  加藤嘉一:著  日経BP社:刊 

 政府への不満という「充満したガス」に引火する。
 それだけは何としても避けたい当局が、必死に言論や情報の統制を強化する理由もよくわかります。

安定なしには、何も始まらない

 中国の政治は、微妙なバランスの上に成り立っています。

「政府内の主流派と反主流派の力関係」
「共産党首脳部の指導力と人民の圧力のバランス」
「沿岸都市部と内陸部の経済バランス」

 そのどれかでも崩れれば、現体制は崩壊します。
 共産党首脳部も、そのことは身に沁みています。

 加藤さんは、2011年7月の胡錦濤国家主席の建党90周年を祝う「重要談話」を聞き、以下のように感じています。

「民主化の推進」、「民生問題の改善」、「発展と安定のバランスの維持」。この三つのテーマは後ろのものほど、よりリアリティーに富んだ内容になっている。民主主義や法治主義の話は残念ながら机上の空論にすぎない。すでに、地方や農村、内陸部では村長を選ぶための選挙を実施している。中には選挙が公平に行われている地域もある。だが、民主主義や法治主義を中央政府がリーダーシップを取って、全国規模で推し進めるのはまだ時期尚早だ。
(中略)
 今回の談話において、最もインパクトがあると感じたのは、まさに「社会の安定なしには何も始まらない」という一言であった。発言に魂がこもっていた。心からの嘆きであろう。そう、中国政府にとっては、安全運転が第一なのだ。そのためなら、いかなる犠牲も惜しまない。成長も、公正も、人権も、「安定」という巨人の前では、幼い少女のような存在でしかない。

  「脱・中国論」  第10章 より  加藤嘉一:著  日経BP社:刊 

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 13億人の人民を束ねる難しさ、複雑さが垣間見える一幕です。
 これから中国は、どのような方向へ進んでいくのか。
 気になるところですね。

 いずれにしても、日本にとって中国との関係は、切っても切れないものです。
 本書を読んで中国人に対する先入観を捨てて、「今の中国」に触れてみるところから始めましょう。

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