本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『仕事をしたつもり』(海老原嗣生)

 お薦めの本の紹介です。
 海老原嗣生さんの『仕事をしたつもり』です。

 海老原嗣生(えびはら・つぐお)さんは、コンサルタントです。
 20年以上に渡り、大手出版社の雇用の現場に携わった「人事・雇用のカリスマ」として有名な方です。
 現在は、自らが立ち上げた人材コンサルティング会社の代表取締役を務められています。

いつも忙しいのに、成果が出ないのはなぜ?

「仕事をしたつもり」とは、けっこう一生懸命、仕事をしているけれど、しかし、成果はほとんど出ない状態のことです。

 やっかいなのは、本人もその行為にまったく疑問を持っていない」だけでなく、まわりもそれを認めていて、非難する人がいないということです。
 
 日本の社会では、まだまだ、成果や実績は二の次です。
「どれだけ時間と労力を掛けて頑張ったか」で評価されるようなところがありますね。

 パソコンやインターネット、携帯電話などの技術の進歩が急速に進んでいます。
 なので、仕事の効率は上がり、労働時間も短縮されてもいいはずです。

 しかし、現実の話、そのようにはなっていません。
 逆に、平均の総労働時間は増えているというデータもあります。

 そのようなことが起こる理由は、「やらなくてもいい仕事が増えた」からです。

 家事労働のように、誰にも見られず指図も受けない仕事については、無駄なことをやめたり、時間を短くするための技術進歩が起きたりするのですが、会社のように人が集まり上下関係ができる場では、それと対照的に、「仕事をしたつもり」が高度化して蔓延するという宿命があるからです。
(中略)
 近代的な会社になり、組織が大きくなるにつれ、無駄がどんどん増えていく。顔の見えない大きな組織には何かとルールや体裁が必要となり、それに縛られて窮屈な思いをしていると、いつのまにか、ルールや体裁を整えることこそ自分の仕事だと勘違いして、疑問がわかない状況になる。

  「仕事をしたつもり」 はじめに より  海老原嗣生:著  星海社:刊

「とりあえず、言われた通りにやっておけ」

 時間と資源の無駄な、いわゆる「アリバイ工作」。
 そのような仕事が増えて、中身がどんどん薄まってきているということです。

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中身より形にこだわる「ハコモノ志向」

「やることに意味がある」的な発想は、街の中でも至る所に見られます。

 震災以降、商店街などでよく見かけるようになった、あの横断幕もその一つです。 

「がんばろう!日本」は、何をどうがんばるのか?
 このような、意味をあまり考えず、とりあえず形だけはやっておこう、といったタイプの「仕事をしたつもり」のことを、私は「ハコモノ志向」と呼んでいます。
 行政が無計画に作りまくっている「ハコモノ」(利用方法を考えることなしにとりあえず建てられた劇場や公共施設)と、考え方がそっくりだからです。

  「仕事をしたつもり」 第2章 より  海老原嗣生:著  星海社:刊

 作ることが目的となり、それがどれくらい実際の利益を生み出すのかという部分の発想が抜け落ちている。
 そんなところが、まさに「ハコモノ志向」です。

「考える」って、どういうこと?

「仕事をしたつもり」から逃れる。
 そのためには、普段からまずそれらに盲従する前に、『なぜその行動が必要なのか、それは何を生み出すのか』を自分で考えることが大事です。

 具体的な方法は、まず「疑うこと」、そして「調べること」です。

 ただ、疑うという行為をなんでもかんでもすべてに対して行っていたら、それこそ時間がいくらあっても足りません。
 そこで、疑うという行為の精度を高めていくことが重要となります。
 どうすれば「疑う精度」を高められるか?
 実は「怪しいデータ」や「怪しい話」というのは、いかにも怪しい臭いを発しているとはかぎらず、もっともらしい顔をして、メディアや生活に溶け込んでいます。したがって、「本当に見えるウソ」は、それだけを見ていてもなかなか指摘はできないのです。
 そのデータや話だけで判断するのではなく、自分が人生において培ってきた知識や経験など、少し離れたところにあるけれど参考になるような事柄と照らし合わせてみてください。すると、案外カンタンに真実が見えてくるものです。

  「仕事をしたつもり」 コラム より  海老原嗣生:著  星海社:刊

 何か、自分の中で、違和感を感じた。
 そんなときには、自分の中の感覚を信じて疑ってみる姿勢が大事ですね。

「安全策」と「奇策」に逃げるな!

 海老原さんは、「仕事をしたつもり」は「安全策」と「奇策」から生まれると述べています。

「安全策」は、論理的に正しいけれど一般的過ぎる考え方です。
「奇策」は、論理的にはまったく正しいとは思えないし、一般的な感覚から離れた考え方です。

 海老原さんは、どちらも本気で考えることをおざなりにしている点で一緒だと指摘します。

 本来の実のある仕事は、そのどちらでもない「合理的な奇策」から生まれます。
「仕事の本質」を捉えた例として挙げられているのが、戦前の著名な写真家である名取洋之助さんのエピソードです。

 名取さんは、ミュンヘンで火災現場に遭遇し、その時の写真をウルシュタインという雑誌社に投稿しています。

 その写真は、彼の奥さんの撮ったもので、美術館の焼け跡で年老いた芸術家たちが「自分達の作品は大丈夫か?」と悲壮な顔で探し続けているものでした。

 他の多くのカメラマンが火事で黒焦げとなった死体などを投稿した中で、彼の写真は、ひときわ編集者の目を引き、最高の賞が与えられました。

 評価の理由は、彼の作品が一番火事の悲惨さを伝えていたからに他なりません。

 なぜ、名取洋之助は、燃え盛る火事現場を撮らなかったのか?
 なぜ、ウルシュタイン社は、洋之助の妻が撮った写真にもかかわらず、彼をクビにしなかったのか?
 なぜ、朝専用の缶コーヒーは、独身OLにも受け入れられたのか?
 なぜ、朝カレーは、2~3%と少数のカレー好き向けに開発され、大成功を収めたのか?
 いずれも、手垢のついた最大多数に対して薄っぺらな合理性で迫った結果ではなく、本気で深く考えて、競合が少ない領域に対して合理性を持たせたことが勝因となっていると言えるでしょう。

「安全策」を選んで、結果は残らないが怒られもしないという「仕事をしたつもり」をくり返すのか?
 それとも、苦労は多いが先駆者となって、実りある「仕事」をするのか?

 その違いは、「本気で考えるか否か」と「保身的か否か」の2つにかかっていると思うのですが、みなさんはどう考えますか。

  「仕事をしたつもり」 第6章 より  海老原嗣生:著  星海社:刊

 みんなが歩いている道だからと、何も考えずに、一緒に進んでいく。
 ところが、その先が行き止まりだったり、とんだ「落とし穴」があった。

 そんなケースは、往々にしてあります。
 気を付けたいですね。

「仕事をしたつもり」から抜け出そう!

「仕事をしたつもり」から抜け出す。

 そのために日々心掛けることは、何でしょうか。

「仕事をしたつもり」はまず、安易で簡単であり、見せかけのインセンティブもある。だからやはり、そこから完全に抜け出すことはできないというのが人情。
 しかし、そこに安住すれば、本当の意味でつまらない人生となっていく。
 とすると、どうすればいいでしょうか?
 
 私はこんな方法をおすすめします。
 まず、「仕事したつもり」を半分にする(ゼロにできっこないから)。
 残り半分は、「仕事をしたフリ」をする。
(中略)
 そもそもが無駄な行為なのだから、フリをしたところで、それほど成果は落ちません。
 これで浮いた時間を、半分は余暇に費やします。たとえば会社近くのスタバでコーヒーでも飲んで、疲れを癒すのです。
 そして、残りの半分の時間を、真剣に考えることに費やす。
 たとえば、新境地を目指して小さなトライ&エラーを積み重ねたり、もしくはその前提である「構想」や「企画」や「情報収集」に時間を充てる。
 こうしていれば、上司から新たな手法を問われたときにもすぐに答えられるし、知見があるので後輩指導にも役に立ちます。

  「仕事をしたつもり」 終章 より  海老原嗣生:著  星海社:刊

 自分の仕事を「そもそもが無駄な行為なのだから」と言われると、身も蓋もないですね。

 でも、事実は事実なのだから、仕方がありません。
 そのような認識を持つことが、まず大切です。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

 無意識に「仕事をしたつもり」でいるのと、意識的に「仕事をしたフリ」をする。

 両者では、天と地ほどの開きがあります。
 自分のため、会社のためでもあります。

 罪悪感は捨て、「時間の有効利用だ」と割り切って実行したいです。

 高齢化も進み、労働人口減少の危機が叫ばれる今の時代。
 労働生産性を上げることは、日本社会全体の課題です。

 この本で「仕事をしたつもり」の世の中の意識が、少しでも変わるとうれしいです。

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