【書評】『ガイアの法則 2』(千賀一生)

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お薦めの本の紹介です。
千賀一生さんの『ガイアの法則 2』です。

千賀一生(ちが・かずき)さんは、文筆家・舞踏教育家です。
教育、舞踏、建築、歴史など、多様な分野で活動を展開されています。

日本から発信される「新文明の波」

千賀さんは、人類文明始まりの地といわれるイラクのシュメールで、古代の最高神官と出会います。

そして、地球を支配する【聖なるリズム】と日本という場所の重要性などについて知らされます(『ガイアの法則』を参照)。

 かつてこの地球には、現代の私たちの知る宇宙への認識とはまったく別次元の宇宙への認識があり、地球への認識があった。
世代から世代へと、気の遠くなるような歳月をかけて天体を観察していた彼らは、天体と人類との関係を、現代人とは比較できないほど深く理解していた。
彼らの天体概念に基くと、現代の日本列島の中心位置こそ、人類にとって最も重要な天文学的リズムに当たるのである。
人類最古の文明と言われるシュメール文明発祥の地は、当時、人類にとって最も重要な天文学的ポイントにあったのであり、彼らの文明は、偶然にそこからスタートしたのではなく、彼らの天文学に基き、誕生すべくしてその位置に誕生したのである。そして現在の日本列島の中心こそ、ある意味でかつてのそのシュメールと同じスピンリズムにあるのである(下の図1を参照)。
シュメール文明発祥の地と、日本列島の中心地とは、特殊な位置関係にある。
両者は、東経45度と135度であり、寸分の狂いもなく地球の中心点で90度を形成する(下の図2を参照)。
彼らの認識によれば、この90度の形成には、現代人には未知の力と法則が潜んでいる。
(中略)
前書には書かなかったが、地球と人類の関係について、彼は後に次のように言っている。

「生命の最初の形が球形の受精卵であるように、生命は円のシンボリズムを根底にもち、それを原点に、より機能的な形態性を実現する。
地球という存在も、自身の一部であるあなた方を通し、無数の機能性を獲得する。
小さな子供は、手や足をうまく使いこなせずに多くの失敗をするし、自身を傷付けることもある。これと同様、あなた方も、まだ熟練していない地球の手足だ。
あなた方の意識の進化は、そうしたこの星自身の意識の進化と結び付いている。
今、地球は、新たな手足の運動、すなわち、今までにない意識の表現構造を掌握しようとしているのだ」


彼は続けて語った。

「あなた方が住む日本列島は、地球の中の起点の一つだ。
あなた方が真に地球の手足となるためには、あなた方自身が地球の核意識に見えない系でつながる必要がある」


幼児が歩き始める時には足に集中し、ものをつかみ始める時には手に集中するように、もしも135度が右手のポイントであったとしたら、その右手で私たちは今までにない表現構造を体得することになるのかもしれない。

『ガイアの法則』を出したことによって、私のもとには様々なメールが届いた。
その中でも特に多かったのは、これから始まる新文明の脈動が東経135.0度であることに対するものであった。その関心の高さに私は驚かされた。何となくそう感じてはいたが、『ガイアの法則』によって、それをはっきりと認識できたというたくさんの感謝のメールをいただいた。
しかしながら、前書では、その肝心な日本のことについては私はほとんどふれていなかった。
私が前書で日本について情報を書くことをためらった理由の一つは、日本列島の中心に脈動点が生ずることの意義を、選民思想と理解されかねない点にあった。もちろん、彼の叡智は、そんな次元のものではない。この点に関しては、彼は次のように語っている。

「日本列島の中心が新周期の脈動点となることに関して、理解しなくてはいけないことは、あなた方が考えるような次元で日本という国が世界の中心になるという意味ではないということだ。また、そのように焦点のエネルギーを用いてはならないということだ。
ともすれば、人間は焦点期にある時には自分が優位に立つことに甘んじてしまうものだ。そうして、過去のほとんどの脈動点に位置した文明は、その栄光を自らのものとしてしまった。
しかし、そうした自身のための繁栄は、周期が過ぎれば無に帰し、繁栄の分だけ衰退も大きく訪れることになる。
地球の命のリズムは、地球全体のためにあるものだ。
自然界は、存在の中に、必ず優位性を与え、その優位性を最も適切な時に変転させる。それが創造の原理でもある。
135度への転換は、その聖なるリズムの中でも最大の節目の一つである。
この転換に合わせて、人類は、今までにない調和を実現しなくてはならない。そのためには、あなた方日本人が、過去の文明と同じ過ちを犯さないことだ。そのメッセージを伝えるために、私はあなたをここへと招いたのだ。
脈動点には、大きな創造のエネルギーが生ずる。それは、その時々の時代の創出にとって必要なエネルギーであり、本来、地球上のすべての人々、すべての存在にとって必要なエネルギーだ。あなた方日本人は、135度の焦点から流れ出る創造エネルギーを現実の世界に現す役割を純粋に果たさなければならない」


『ガイアの法則Ⅱ』 第1章 より 千賀一生:著 ヒカルランド:刊

図1 文明焦点移動 の法則 ガイアの法則Ⅱ 第1章
図1.『文明焦点移動』の法則
図2 シュメールと日本を結ぶ特殊な90度の法則 ガイアの法則Ⅱ 第1章
図2.シュメールと日本を結ぶ特殊な90度の法則
(『ガイアの法則Ⅱ』 第1章 より抜粋)

千賀さんは、日本列島に脈動点が生じようとしているその事実は、日本人の潜在力から自ずと表れることになるその役割が、今後、人類全体にとって最も重要な働きを為すことを意味していると述べています。

これから800年間、焦点期の脈動ポイントを迎え、世界文明の担い手となる日本。

本書は、そんな日本に住む私たち日本人が、いかに【聖なるリズム】を利用し、世界を新たな繁栄に導くべきかをわかりやすくまとめた一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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今は「1万2888年に1回」の大きな転換期

1995年に起こった、0度から135.0度への東西スピンの交代。
それは通常の1611年に1回の切り替わり以上の、それまでにない大きな意味をもっています。

その理由の一つは、東回りスピンが135.0度に焦点を結ぶそのタイミングは、1万2888年ごとに巡ってくる統合性優位と分離性優位の二つの波の交代期であるからです。

 統合性優位と分離性優位の交代?
その変化によって何が起こるのだろうか。
私は高まる緊張をおさえつつ、彼に心の中で質問していた。
彼は言った。

「人類の進化のリズムには、陰陽のリズムがある。万物の生成は、統一と拡大の両方の性質を必要とする。時間的にもこれは同様だ。一元帰一への指向と二元相対への指向という二面性の作用があってこそ、創造は完成へと向かうのた。
この最大規模のリズムは、あなた方の時間概念で当てはめると、1万2888年である。
正確に言えば、地球上に生ずる聖なる陰陽リズムの内、東回りスピンリズムが西経45.0度ポイントを通過してからの1万2888年間は、人類の集合意識の全体は、二元性優位、すなわち、拡大、明確化、物質的繁栄の方向に向かう。これは二元論的指向を高めることになり、この期間では、合理性や細分化、独立性が高まるのだ。我々シュメールでは、これを『父なる周期』と呼んでいた。
それに対し、東経135.0度から始まる1万2888年間は、人類の集合意識は、一元性優位、すなわち、統合、単一化へと向かい、一元的な感覚性、直観性が優位となる。我々はこれを『母なる周期』と言い表した」


ということは、私たちはこれから1万2888年もの長さの一元性(統合性)の時代を迎えるということなのだろうか。

「その通りだ」

私の脳裏には、広大なスケールの『後ろの正面』への転換の映像が浮かんできた。
この広大なスケールの波に、日本という身近なポイントが関係していることを不思議な感覚でとらえていた。
しばらくして、一つの疑問を抱いた。
私たちの現代の文明はたしかに急速な進歩を遂げた。これは二元性の創造エネルギーによるものであるに違いない。しかし、私たちの文明が急速に進歩したのはシュメールの時代からだ。
それ以前の時代は、シュメール以後と比べ緩慢に見えるのはなぜなだろうか。
もしも1万2888年が男性文明期であるとしたら、直線的な発展は1万2888年前から始まっているべきではないのだろうか。

「それは、この陰陽周期の下にさらなる陰陽周期があるからだ」

さらなる陰陽周期?

「そうだ。
これも陰陽の中に陰陽が輻輳(ふくそう)する宇宙の基本法則に基く時の原理だ」


いったいどんな陰陽周期がその下にあるというのだろうか?

「その発生原理は極めて単純な法則に基づいている。
それは陰陽スピンの相関関係にある」


陰陽スピンの相関関係?

「そうだ。
聖なるリズムの脈動である東西スピンは等速度で互いに逆方向に回転しているため、互いが重なり合うタイミングと、開くタイミングが生ずる。
この内、偉大な自然界の力と根源である地球規模のエネルギー転換が生ずるタイミングは、この星の陰陽の最大波がひとつに重なり合うタイミングと、180度に開くタイミングで発生する」


180度のタイミングと重なり合うタイミングは、1スピンにそれぞれ2回ずつで4回生ずることになる。
しかし、それと、陰陽周期がどう関係しているというのだろうか?

「基本的には、この重なり合う側に向かうタイミングは融合性優位となり、それは短期母性周期と言ってもよい周期を形成する。逆に開きへと向かう周期は対立性優位となり、短期父性周期を形成する」(下の図3を参照)

ということは、西経45.0度ポイントから始まる1万2888年は二元性優位の周期であるが、下位の周期においては母性周期であるために顕著な二元性(=物質文明の著しい発展を伴う)が現れなかったということなのだろうか。

「その通りだ。
なぜシュメールの時代からあなた方が現在理解している上での人類文明の急速な進歩が生じたのか。その理由はここにある」


私はさらに考えた。
135度の脈動以後、私たちは長期の母なる周期の中の、さらに短期の母性周期に入ることになる。とすると、これは、二元性の創造エネルギーに基く人類のあり方から最も強い一元性の創造エネルギーへと向かう急速な転換を意味するのだろうか。

「その通りだ。
あなた方が今、最大の節目を迎えているという理由はそこにある。
今までとはまったく逆の方向に向かうターニングポイントに今あなた方はいるのだ。そして、135度とは、我々にとって、父なる導きから母なる導きへのその転換を示す聖なる地なのだ」


私は、それが日本であることに改めて驚いた。

「あなた方は、生命エネルギーというものが宇宙の力、大地の力によって生じるものであることを忘れている。あなた方は現在、重力を単なる物理現象としてのみ認識しているが、いずれ、生命エネルギー自体があなた方が重力と呼ぶ力の本質に関わっていることを発見するだろう」

私は聞きながら、先住民たちの多くが、彼ら独自の風水を応用していたことを思い出した。時の変化とともに聖なる場の力が変化するという考え方を彼らはもっていた。そしてそれに合わせて、彼らは聖なる存在の偉大なる力を受け取った。
それは、重力や聖なるリズムと関係があるのではないかという気がしたのである。

「その通りだ。
あなた方の祖先は時間と空間の法則を応用することができた。
この力は、今のあなた方にも同じく作用し、あなた方の運命を大きく左右している。ただ、あなた方はその法則も力も理解していない」


『ガイアの法則Ⅱ』 第3章 より 千賀一生:著 ヒカルランド:刊

図3 統合性優位と分離性優位の交代期 ガイアの法則Ⅱ 第3章
図3.統合性優位と分離性優位の交代期
(『ガイアの法則Ⅱ』 第3章 より抜粋)


西回りスピンは、進化の性質を示し、同時にそれは死、すなわち破壊をも示します。
一方、東回りスピンは、融合と不変性を象徴し、同時にそれは、現在の私たちから見れば非進化をも示します。

西回りスピン(西経45度)と東回りスピン(東経135度)が180度に開いている今は、分離性優位が極まったときだといえます。

科学万能主義が行き詰まり、その副作用ともいえる様々な問題を抱えている現在の世界。
まさに、これまでとは180度違う考え方を取り入れる時期が来ているといえますね。

意識の優位性は「空間」によって決まる

千賀さんは、一元性優位か、二元性優位かという、人間にとって最も根本的な意識の優位性は、本質においては、空間によって決まると述べています。

一元性優位だと、円型的な空間を志向します。
一方、二元性優位だと、直線的な空間を志向します。

「(前略)
この、直線空間か円形空間かの決定的な違いは、意識的であるにせよ無意識的であるにせよ、共有の中心核意識が存在するかしないかにある。すべてがスピンからスタートし、すべてに中心が存在するこの宇宙の根本構造と同一の構造を構築できるかどうかにあるのである。
その実現に伴い、近い将来、あなた方日本人の中から、こうした宇宙的認識に基づく建築家が多数現れることになるだろう」


私は、円と直線という二つの対照性から、あることを思い出した。それは、心理学者のフロイトの理論である。彼は夢に現れる棒状の存在を男性器に結び付け、円や凹状の存在を女性器に結び付け、人間心理のすべての根本に性欲があるととらえようとした。
彼は、シンボリックな真理の一端を直観したが、それを性器そのものに結び付けることで曲解してしまったのではないだろうか。

「直線シンボリズムは、理知的認知、分析的認知などを形成する。だが、それは、常に円形に包括される時に創造性に結び付くのだ。
あなた方が知る心理学者のフロイトは、このシンボリズムの一端に直感的に気付いたが、残念ながら狭い認識領域にそれを没入させてしまったのだ」


私は聞きながら、あることを考えた。
円の集まりでは、人が向かう方向性(角度)がすべて異なっている。それに対して、直線的配置集団では、人々はすべて同一方向を向く。こうした画一性環境ゆえに生じた価値観が、現代の個人主義的平等観であるように思われる。真の共感感覚から自ずと人と人とが互いに尊び合うのではなく、形骸的レベルから人を同一ライン上に並べようとする平等観には、私は不自然なものを感じていた。それは、その一方で、その画一性への反動から、自我的競争意識を生み出しやすい気がする。現代の平等観と競争観は、表裏の関係で形成されているような気がしてならないのである。

「その通りだ。
自然界には、あなた方が考えるような平等ラインのようなものは存在しない。水平の代表である水平線さえも、実際には巨大な円の一部であるように、自然界の本質には直線は存在しない。万物は、円的流動によって、はじめて真の調和と創造へと向かうことができるのだ。だがら、あなた方は自然界のこの原理を無視し、画一的な平等ラインにとらわれることで、本質では人と人との関係を崩壊させている。
この問題を超えない限りは、あなた方は現在の不調和から決して抜け出すことはできない。どこからどうそれを超えられるのか。それこそが我々が最も伝えなければならないことでもある」


そういえば、日本には、古来、師を尊び、目上の人を尊ぶ習慣があった。そして世界的にも希(まれ)な道徳心が養われていたが、それは過去のものとなってしまった。家に鍵をかけることなど必要としない長い歴史は、そうして養われた精神性の何よりも確かな証拠でもあったはずだ。
そういえば、平等思想が流布されるに並行して日本社会はカギの必要な社会となり、道徳的にも社会は様々に荒廃したように思われる。日本本来の上下意識は、現代人が考えるような封建権力的なものではなく、宇宙的人間観に支えられたものであったのではないだろうかと、私は今まで考えたこともなかった思いを彼の言葉を聞きながら抱いていた。

「その通りだ。
あなた方の祖先は、遠い昔、封建主義とは次元を異にする、宇宙本来の原理に基づく人間観を維持していた。
たとえば、あなた方の現在のスポーツにバドミントンがある。このスポーツにおいては、お互いにコートの広さなどの条件がすべて平等であることが前提で行われている。だが、あなた方の古来の文化である羽つきでは、平等条件は設定されない。そしてこの違いから生まれる方向性は、前者は競争であり、後者はいかに二人で長く続けるかという調和、共動である。
彼らの子孫でもある我々シュメール人は、そうしたあり方の本質を踏襲しようとしたのだ」


意外な指摘に私は驚いた。
すべての人々の方向性が同一ラインに位置する直線的関係に比べ、すべての人々の方向性が異なる円なる次元は、言いかえれば、それぞれの因子が独自の個性を有しているようにも思われ、それが有効に結び付いた次元の象徴のようにも思われる。固有の役割がそのままに守護されるがゆえに、画一性や、その画一性が生み出す摩擦も発生しない。そう思いながらも、私は、学校で対面して教わるという今日の形式を思いながら、そうではない縄文の人々は、教えるということをどのような形で行っていたのだろうと不思議にも思った。
人間が誰かに何かを教えるとなると、対面の形しかないと私は思っていたからである。

『ガイアの法則Ⅱ』 第5章 より 千賀一生:著 ヒカルランド:刊

現在、世の中で主流となっている競争主義や階級主義。
それらは、二元性優位からくる直線的な空間思考の賜物だということです。

日本では、大昔、それとは正反対の円形空間を志向する価値観で成り立っていました。
古代の日本の国名「倭(わ)」や日本の国旗「日の丸」は、その名残だということです。

日本人に与えられた「プログラム」とは?

シュメールの神官は、あなた方日本人の文化の重要な点は、我々シュメールのそれと同じく、その文化の伝達形態がシンボリズムにある点であり、それを象徴伝達と呼んでいます。

「象徴伝達による文化では、その当然の条件として、研ぎ澄まされた感覚が必要となる。一つの中から無限の情報を読み取るためには、対象に体ごと耳を傾け、体ごとそれを感じる実感力が必要となる。
そうして発達する共感性こそ、新たな世界の基礎として、今後、すべての人類に必要とされる能力であり、あなた方の体は、本来そのためにこそ必要な高精度なアンテナだ」


体がアンテナ?
私は今まで、心は大切で肉体はそれほど重視すべきではないと思いがちであったことを省みた。

「あなた方の現代のスピリチュアリズムの信奉者の中には、その点、大変な誤りを犯している者が多い。インド思想が後の時代に変容させたその概念には、肉体の存在をカルマ解消のための足枷(あしかせ)であるかのようにとらえる傾向があるが、我々はそのような認識を決して神が与えた崇高な肉体というものに与えることはしなかった」

彼の言葉には説得力があった。
たしかにそうだと思った。

「これは、あなた方が現在達成しようとして達成できないでいるあらゆる分野の実現につながるキーだ。たとえば、今のあなた方は平和というものを理性で達成しようとしているそれは不可能だ。あなた方は人間の本質を忘れ、人間の本質能力を忘れている。
その実現のためには、今は眠ったままになっている人類のもう一つの、肉体という存在の開花が必要なのだ。その開花は、人間をまるごと変え、存在ごと存在と共鳴できる次元へと至らせるのだ。
今後、あなた方は、象徴伝達文化を、より高度なものへと昇華させてゆく必要がある。それは、人間の肉体というものの本来の性質を取り戻させることになるだろう。
あなた方の多くは、肉体が外側にあり、内なるものは心だと思っている。しかし、あなた方も、生命は、神経系の発展から結果的に脳を生み出したことを知っているはずだ。あなた方が心としてとらえる思考の力は生命進化の最後に生じたものだ。生命の基礎は、むしろ体にある。その奥にこそ、宇宙という実在につながる扉があるのだ。
あなた方の文明は現在、山ほどの問題を抱え、その解決に、どこからどう手をつけていいのかわからないでいる。だが、何事もそうだが、本質を変えればすべては変わるのだ。
あなた方日本人は、その本質を変えることのできる最も良好なキーを最初から握っていることに気付かなければならない」


「あなた方の国には盆栽というものがある。盆栽家が、それをつくりあげる時、自然界というものを真に体ごと感得していなければ、その盆栽に自然界の息を吹き込むことはできない。自然界は四季折々に刻々と変化を見せ、その変化には宇宙そのもののリズムが姿を現し、宇宙そのものの脈動が映しだされる。そうしたすべてを体ごと把握して、はじめて盆栽家はそこに小宇宙を宿すことができる。
人の目にはどんなに凡人に見えても、そうした体感力を会得(えとく)した者は、一つの境地に達しているものだ。それは、単なる観念上で形成される境地ではなく、高次な体感力の実際的発達によるものであり、我々の目から見れば、あなた方が見落としているこうした能力の発達こそ、人と人とが存在ごと和する文明への第一歩であることがわかるのだ。
たとえば、宇宙的体感力のある盆栽家の創り上げた盆栽を、それを受け取ることのできる者が見たならば、それを見た一瞬で、彼がとらえる世界の全体が伝わることになる。その域に達した人々同士は、無言の内に一つのキーを通してすべてを伝え合うことが可能である。しかし、そうでない人々は、まったくそうした次元の存在に気付くことすらできない。これから先人類は、こうした現実的体験過程を経て、言葉を超えた伝達次元へと至ることになる。
その到達次元の個人差は、あなた方が考えるよりもはるかに大きく、この数十年で、非常な感覚を会得した人々が、多くの人を導くことになるだろう」


私は、それまでただのお年寄りの趣味だと思っていた盆栽について彼が言及したことに驚いた。
きっと今までの私は、そうした盆栽家が目の前にいてもそうした次元に気が付かなかっただろう。私だけでなく、今の日本人はまだ知名度や言葉巧みさに踊らされて、そうした人物を素通りして人目を引くセミナーなどに高いお金を支払っている、そんな段階であるような気がする。

「あなた方日本人は、日本文化を、そうした人間の根本的能力を目覚めさせるものへと、今後100年をかけて高めてゆくことになるだろう。また、そうして高められたあなた方の感性から、今はない新たな文化がさらに生み出されるだろう。そしてそれらは、世界の人々の中の真に進歩的な人々を目覚めさせることになるだろう。
人類は創造と変化を自ら成し遂げるために存在しているのだ。言葉を超えた伝達次元を成し遂げるのは、あなた方自身の自らの意志と体験によらねばならない。
論理伝達は、多くの言葉や情報の獲得に基くが、象徴伝達は、一つを深めることに基く。その体得には、同じ一つの型に無限にふれ、無限に体感する必要があることを覚えておくのだ」

(中略)
「あなたは私のこの力を、あなたの心の中の想念を逐一読み取るテレパシーだと思っているだろう。肉体を持つ人間にはもちろんそうした次元はある。しかし、現段階の私のそれは、そうした読心を超えたものだ。あなたが心に疑問を浮かべた瞬間、私の中には、語るべき言葉が響いてくる。そこには私とあなたという相対関係はない。あなたと私とが混然一体となって交わり、円的次元の中で必要な答が生成されてくるのだ」

私は彼の言葉にはっとした。
私の能力という概念自体が二元性の概念だと気付いたのである。
象徴伝達が二元性を超える経路であり、そうした要素が日本文化に色濃く見られることは、何となくではあるが、私にもわかりかけてきた。
そういえば、五七五で成り立つ日本の俳句は、世界一短い定形詩であると聞いたことがある。その短さに象徴されるように、日本人は究極まで象徴性を極めようとする性質がたしかにある気がする。同じ東洋の中でも何かが違うような気がする。

「たとえば、『古池や蛙飛びこむ水の音』というわずかな句に、あなた方日本人は、広大な宇宙を認識することができる。
しかし、論理伝達で育った人々が、この句に接する時、その広大な世界が伝達されないため、蛙が池に飛び込めば音がするのは当たり前ではないかで終わってしまう。論理伝達で育つのか象徴伝達で育つのかの違いは、あなた方が考える以上の大きな潜在的な違いをもたらすのだ。
あなた方の文化の本来は、そのすべてが象徴伝達と言ってもよいものであった。
あなた方が神道と呼ぶ文化の本質は、型にある。体を通した所作によって、言葉では限界のある次元を伝えるのだ。
あなた方が、たくさんの宗教の中から神道といわれる宗教がすぐれていると主張したならば、逆にあなた方は、あなた方の文化の真の本質を埋没させることになる。あなた方が諸外国の人々に伝えるべきは、宗教にあるのではなく、その奥に流れる、現代社会が失った、この本質領域にある。
論理伝達は、直線次元の伝達であるが、象徴伝達は、一点から無限に広がる波紋のような、円的次元の伝達であり、それは、135度文明の開花に不可欠な要因となる」


『ガイアの法則Ⅱ』 第5章 より 千賀一生:著 ヒカルランド:刊

盆栽や俳句に代表される、日本の象徴伝達文化。
私たち日本人にとっては、あまりに当たり前なので、多くがその重要性に気付いていません。

シュメールの神官は、一を極めることによって全体性を学ぶ、これは、あなた方の閉ざされた超感覚を開く道なのだと述べています。

日本には、茶道や華道、能や狂言などの伝統芸能があります。
一つの道を突き詰めることは真理に通じる、という日本人が好む求道精神のルーツも、一元性優位の空間志向によるものだったのですね。

「あけわたしの原理」は、宇宙の本質に通じる

シュメールの神官は、宇宙に自身をあけわたし、個人的な存在としての自己を超える時にのみ、人生上の苦悩は消滅し、宇宙大の真の自己が誕生すると述べています。

この私たち現代人が忘れてしまっている真理を、最も端的に示しているのが「性」に関する部分です。

シュメールの神官は、性に象徴的に表れるあけわたしの原理は、人間のみならず、万象の本質原理であり、人間の生き方のすべては、この原理に忠実である時のみ、人間は真の幸せに至るようにできていると指摘します。

「古代の中心なる存在者が、身分の低い隷女をわざわざ娶(めと)ることが多かったのも、この宇宙的原理によるのであり、彼らが女性を選ぶ価値基準の第一は、あなた方が服従性と思うかもしれない献身性が、いかに宇宙的なそれであるか、いかに全存在的であるかにあったのである。
高次な服従性の至福を知る女性が叡智ある中心者に娶られる時、叡智ある中心者は女性側に湧き起こるゆだねの至福を掌握した上で相手を自身のように導いたのであり、両者は真に深い愛と一体感で結ばれた。女性側に全存在的ゆだねがあるのと同様に、彼らには全存在的包容性があったのであり、内なる服従が存在したのである。
そこでは、あなた方が奴隷と呼ぶかもしれない献身者たちは、決して束縛を感じることなく自ら自身を敬愛する存在に提供したのであり、身を捧げることのできる自身に最大の喜悦を感じていたのである。
男女間に限らず、人間の幸福感と創造性は、すべて本質では宇宙的献身性によって生ずる。宇宙的次元のゆだねを知る女性は、それによって生ずる高次な流動(スピン)によって、男女間のみならず、万事においてよりよい物事を引き寄せることを彼らは知っていたのである。その力こそ、我々が巫女力として認識しているその力でもある」


私は聞きながら、すべてが平行ラインで関係が結ばれる現代の男女の関係に比べ、古代のあり方には、私たちが忘れている深い何かがあったのではないかという気がしてきた。それは、私たちを心からの悦びに至らせる何かである気がする。

「宇宙は常に流動する存在だ。流動こそが生きている証であり、生きている悦びなのだ。流動の象徴である『水』を思い起こすがよい。天と地とを結ぶ雨、常に淀むことなく流れ続ける川・・・・・、新鮮な水の命は、何によって生ずるかを思い起こすがよい。
あなた方は、流動は、高低なくしては生じないという、宇宙の初歩的法則を忘れている。高低がある時、陰陽が生まれ、流動が生じるのだ。流動が失われる時、生命は、あなた方が認識している死ではなく、真の意味での死に至る。スピンを失う時、存在は、悦びを失い、創造性を失うのだ。高低、すなわち、陰陽こそが、悦びの発露であり、我々は、あなた方とは反対に、いかにこの陰陽をダイナミックに躍動させるかを、人間関係の基軸にしていたのだ。
この陰陽こそ、性なるものの宇宙的原点なのだ」


彼の言葉を聞くたびに、私の中で、性への認識は深まるのを感じていた。

「現代のあなた方は、高低の『低』となることは不利ととらえ、誰もが『高』を求め、その一方で、それを否定する平等を自ら主張している。この矛盾につぐ矛盾が、あなた方を至福の領域から引き落とし、あなた方を苦しめている。あなた方は、『低』こそが、流動の創造であり、至福の提供者であることを知るべきだ。
人間は、宇宙という存在の本質に献身する時、大いなる悦びに満たされる。その時、宇宙が『高』であり、人間は『低』となる。しかし、その高低があってこそ、『低』は『高』、すなわち全体なる宇宙と化するのである。そしてこの原理こそが陰が陽を昇華させ、陽が陰を昇華させる性なるものの原理の本質でもあるのだ」


私は、目が覚めるような思いで聞いていた。性の原理は人間のあり方のすべてを語っているという、その確信が、私の中でより深まるのを感じていた。

「性は、人間のあり方の本質を語っているがため、逆に、個人の人間のあり方は、そのまま性に反映される。ゆえに、あなた方は、人間のあり方そのものが宇宙の原理に立脚していない限り、性的にも満たされないようにできている。
我々にとって、性行為とは、人間存在のすべてが証明される神聖なる場であった」


『ガイアの法則Ⅱ』 第7章 より 千賀一生:著 ヒカルランド:刊

私たちは、上に立つこと、支配することが価値が高いと考えています。
しかし、実際には逆で、下に立つこと、支配されることが本質に通じる道だということです。

「上善は水の如し」

古代中国の思想家、老子の格言は、まさに宇宙の真理の本質を言い当てた言葉ですね。

「女性性」を解放することがカギ

真のあけわたしは、女性性のすべてを解放させると同時に、すべてが守護され、与えられる存在本来の状態へと至る唯一の道です。

では、現在の男性性優位の社会から女性性優位の社会へと、より高次な領域に至るためには、何を指針にしたらいいのでしょうか。

「存在と真に一つになる時、あなた方の不安、恐れ、疑いなどの観念は消滅し、悦びのみの心となる。この、宇宙との一体性を達成させるものは、宇宙の導き以外にない。
宇宙は、存在を悦びの中に導こうとする。ゆえに、人間にとって、その導きは、悦と感じ、快と感じる。こうした本来的快感覚の奥に心の導きがあることを忘れてはならない。人間本来の快感覚に耳を傾ける時、自ずと人間は必要な献身性が至福の内に表されるようにできている。あなた方は、ただただ内的快感覚に従うだけですべては流動するのだ。
あなた方の体は、すべてを知る神殿だ。
あなた方が母性を失ったのは、体が伝えるこの宇宙言語を聞けなくなったからだ。その導きに従い、宇宙につながる時、献身性を適切に表現するようにあなた方はできており、あなた方が『不利』と認識するポジションこそ、最も多大な創造的エネルギーが流動する受容ポジションであることを我々は理解していた。それゆえ、たとえば一人の女性が自身の快なる導きに身をゆだね、その導きにすべてを捧げて生きるとするならば、そうして生ずる宇宙的次元の流動は、生きること全体を至福とさせ、必ずその流動に見合う出会うべき現象を引き寄せるようにできている。宇宙に身をゆだね切る時、宇宙はあなたを悦びの内にゆり動かし、あなたがゆり動かされる時、宇宙もまたゆり動かされ、それが必要であれば身をゆだねることのできる異性が出現するのである。
完全なるゆだねにある時、あなた方はまだ現実化していない見えざる未来を確信できるようになり、偶然の出来事や出会いに振り回されることはなくなる。出会うべき相手との出会いも、あるべき関係も、あなた方自身が拒絶しているのだ。自身の個人的な意志の行使によって愛を獲得しようとする時、あなた方は、相手との関係だけでなく、万象との間に摩擦を生み出すことになる。現代のあなた方のほとんどがこの誤りを犯し、自ら作りあげた呪縛(じゅばく)によって自らを苦しめている。
対抗観念が習慣化している現代のあなた方にとって、宇宙的流動を取り戻す一番の近道は、自身の感情や感覚が、宇宙へのゆだねの状態にあるかどうかを客観視することだ。心地よいと感じる心でない時、人間は観念の世界に生きており、現実を生きてはおらず、それは、宇宙の流れから外れていることを意味している。だが、そうした状態に自身があることを客観的に認識し続ければ、あなた方の人生は大きく変容しはじめる。なせなら、人間には、体に自然治癒力があるように、心にも宇宙に自動的につながろうとする性質が本来的にあるからだ。たとえば誰かとの関係で傷付けられたと感じる時、その自身の思いや状況からいったん離れ、すべてを客観的次元から見ることができれば、あなた方は意識の変化を感じるはずだ。これは、無意識の世界で自立作用が生じ始めるからだ。不安定な依存と対抗の観念世界から意識が真の現実に戻ろうとするのである。そうして自立状態へと至って真のゆだねが成立するのである。
この時に生じる自立力は、自我が揺るがされる度合いが大きいほど大きくなる。自我にとって大きな苦痛に感じられ、自身が犠牲者、あるいは被害者と感じられるハードルに直面する時、あなた方は節目の時を迎えているのだ。その中に自ら献身することで、聖なる柱は立てられる」


私は、今まで疑問に感じていたことの答が与えられたのを感じながら彼の言葉を聞いていた。

「自我を超え、完全なるゆだねの次元へと至れば、あなた方は必ず異性を本質から満たすようにできている。献身とは、積極的受動原理であり、献身した対象を通し、逆に献身者は自身に必要な力を授かり、新たな創造へと向かうのである。
ゆだねの原理は、あなた方が受精として知る生命の原点にもシンボリックに表される。
精子は、能動的に卵子に向かう。対して卵子は受動的にそれを待つ。為されるままに受け入れるだけだ。
だが、能動的精子は卵子に自らの身を捧げ、為されるままの卵子は、精子の恩恵のすべてを自らのものとする。その宇宙的受動性ゆえ、すべてが外宇宙によって導かれ、与えられ、広大なる自己へと向かう。これが、陰は陽となり、陽は陰となって循環する宇宙の本質法則だ。
性器の形状も、それ自体が宇宙の原理を表す。体がそうであるように、男女は本来、心身ともに対照的にできており、対照性によって奉仕し合うようにできている。ところがあなた方は、この宇宙的異質性を放棄し、平等の名の下に『電流』の流れない関係性をつくりあげ、奪い合いの現実をつくりあげた。
真の『あけわたし』が起こる時、男女間には、あなた方の想像を絶するほどのエネルギーの流動と変化がもたらされる。ことに、人類全体がこの次元へと至る時、人類そのものを変容させるものとなる。
宇宙的受動原理である女性性にふれる時、男性性は必ず宇宙的創造エネルギーを生み出すことになる。だが、逆に、宇宙的女性性が得られない時、男性性の『力』は低次に表現され、性暴力や倒錯心理等の病理を生み出す。男女が宇宙的陰陽性を失う時、どんなに理性では愛を表現しようとしても、すべては本質で破壊性へと向かうのだ。これが今のあなた方の実態だ。
陰陽を超えるためには、陰陽を真に成就させ、流動させなくてはならない。ゆえに、我々は、異性間に表れる宇宙的異質性を至上の神性として畏敬し続けた。そしてこの畏敬による関係こそ、我々の、真の自己に出会うための神官と巫女たちのあり方でもあった」


『ガイアの法則Ⅱ』 第7章 より 千賀一生:著 ヒカルランド:刊

人間が抱える個人的な問題も社会的な問題も、その根本をたどるとすべて「女性性の喪失」があります。
私たちは、「平等」の名のもとに、本当の意味での女性性を見失ってしまいました。

世の中は、すべて陰と陽の組み合わせでできています。
男性性のみでは、人類に叡智をもたらす「宇宙的流動」が起こりません。

女性性は、女性だけが持つものではありません。
男性にも、同じように女性性が備わっています。

男性、女性それぞれにある女性性を解放できたとき、私たちは真に新しい次元領域に足を踏み入れることができます。

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シュメールの神官は、この極度な男性原理の時代にも、あなた方日本人には、女性原理の資質が、他のどの民族よりも今も強く潜在的に維持されていると指摘しています。

それは、地球自体の女性性表出ポイントが日本列島にあるからです。

私たちは、地球存在としても女性性の役割を果たす必要があるとのこと。
それは、分離性優位から統合性優位へと切り替わり、日本(東経135度)が世界文明の中心地になる、まさに今この時代の日本人に課された使命です。

世の中は、新型コロナウイルスの流行など、混沌とした情勢が続いています。
それも大きな時代の転換点、1万2888年に一回の節目を迎えているのだとわかると、納得がいきます。

今は、真っ暗闇で先が見通せない不安な日本の状況ですが、今後800年かけて世界をリードする発展を遂げる。
にわかには信じられませんが、それが地球の歴史から導かれた真実です。

「ガイアの法則」を知っているか、知らないか。
それは私たち日本人の今後の人生を大きく左右するといっても過言ではありません。

皆さんも、ぜひ、人類の叡智が詰まった本書のパワーを体感してみてください。
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