【書評】『0(ゼロ)フォース』(千賀一生)

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お薦めの本の紹介です。
千賀一生さんの『0(ゼロ)フォース』です。

千賀一生(ちが・かずき)さんは、文筆家・舞踏教育家です。
教育、舞踏、建築、歴史など、多様な分野で活動を展開されています。

「0(フォース)」が現実を思い通りにする!

千賀さんは、2012年12月19日の夜明け前、ある縄文の遺跡の前にいました。

それは、自身の思念でによるのではなく、それがあまりにも強いので、ここに来たと述べています。

 私は何かを知るためにここに来た気がしてならない・・・・・
私は思春期の頃、自身が大きく変わる体験に出会った。詳しくは後述しようと思うが、それにより、時空を超えたとしか思えない現象を体験するようになった。見えないはずの場所や未来のビジョンが浮かび、後にそれが真実であることを知るという体験が重なるようになった。またそれ以降、偶然とは思えない出会いが重なるようになった。
思春期のその頃は、ビジョンを見た後、夢のような意識が続くこともあり、私にとってそれは不安感を伴うことがあった。好奇心から意識を用いる傾向かあったためでもあると思うが、大人になってからはそうしたこともなくなり、必要な時のみ時折それが生ずるだけのあり方となり、また、人類規模の情報を拾うことが主となり、今日に至っている。
それが生ずる時は、独特の意識に入っているものであり、今、その状態に入っていることがわかるが、それでもこの中央空間の正体が何かはとらえられない。おそらく、私たちの常識からあまりにもかけ離れた何かがここにはあったはずだ。
私の今までの体験の中でも特に特殊だったのは『ガイアの法則』で書いたシュメール体験(詳細は『ガイアの法則』ヒカルランド)であった。通常は、自身がビジョンを見るという感覚であるが、あの時は、完全に別時空に移動したとしか思われなかった。
こんな身近な日本の中でまたあの時のような何かが始まろうとしているのだろうか・・・・・
そう自覚した瞬間、見ている世界は一転していた。

現代とは違う・・・・・
何が違うという具体物よりも前に、まず、時の流れが違い、空気が違う。
何だろう、この懐かしさは・・・・・
なぜか魂がこの空間を知っている気がする。
あまりの心地よさに、ただ佇(たたず)んだまま、意外にも私は周囲の空間を肌で味わう以外をしたくなくなった。
まるで大きな何かに抱かれたかのような感覚だ。
それを味わうだけで私はかなりの時間を費やしたように思う。
どれだけ時間が経過したのだろう。
私は何かが満たされたような感覚になり、ようやく周囲に意識を向ける気持ちになった。

『0フォース』 第1章 より 千賀一生:著 ヒカルランド:刊

「大いなる存在」に導かれ、目にすることになった古代の縄文文化。
そこには、自己充足と調和の同時成立という奇跡がありました。

その奇跡の秘密は、「0(フォース)」にあります。

千賀さんは、人間も、そのフィールドに入る時、現象(外宇宙)との完全連動体となると述べています。

本書は、失われた縄文文化の大いなる秘密「0(フォース)」とは何かを解説した一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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縄文の集落

千賀さんは、あるとき完全に別次元に移動したとしか思われない体験をし、縄文時代に意識がワープします。

 人がいる!
広大な大自然は、人間をも自由にさせるのだろうか。
現代人とは存在感がまるで違う。
しかし、自由奔放としか言いようのないこの人々の目を、なぜか私は知っている気がしてならない。
私たちと変わらない白い肌と、現代人以上の目鼻立ちのくっきりしたこの女性たちの顔立ちは、とても太古の人々とは思えないものがある。
女性たちの衣服は、輝くような朱色の色彩であり、大胆なデザインが織り込まれ、見たこともない自由な感覚に目が覚める思いになる。なんと艶(あで)やかな色彩だろう。
似ている・・・・・
神社に用いられる朱色や、巫女(みこ)さんの緋袴(ひばかま)など、日本的な朱の色に、神秘的な解放感を感じるが、この色彩は、まさにその日本的な朱の色だ。しかも、よく見ると集落に置いてある土器も同じ種の色に輝いていて実に美しいことに驚かされる。この色に深い懐かしさを感じる私自身の色彩感覚自体がこの太古の記憶によるのではないかと一瞬思われた。
それぞれがそれぞれの表現をもつ衣服は、一人一人の本来の個性が見事に引き出されている。念入りに準備された映画のセットの世界に迷い込んだかのような錯覚に私は陥っていた。しかし、不思議にこの光景にもすでに知っているような懐かしさが感じられてならない。
肉体の私とは異なり、意識する場所に瞬時に移行するらしく、最初に集落中央にいた私は、気がつくと集落全体を外側上方から見おろしていた。
肉体はないとはいえ、肉体のあるとき以上に鮮明に見たり感じたりできるのは、意識の原点にそれらの原形のような働きがあるからだろうか。
男性たちは髭(ひげ)を伸ばし、現代の男性よりも眼光の鋭さを感じる。その鋭さは感受性の鋭敏さの表れのように思われる。見えない世界を感覚的に察知するような感覚力感じさせるのだ。肌の色の男女間の差異が現代人よりも大きい。
男性にも女性にも共通なのは、まるで強い磁力か何かを発しているような存在感が感じられることだ。彼らを見ていると、現代人がむしろ磁力が失われた肉体のみの物理的存在に感じられてくる。

住居の形はきれいな円錐形であり、全体も円を描いて建ち並ぶ光景は何ともいえないやさしさを感じる。
住居と住居との間の広場では、子供たちが石蹴りをして遊んでいる。その光景自体は、ちょっと昔の田舎の子供たちの遊びの光景に似ていて親近感を感じるが、子供たちが集落全体に包まれているかのような気配は、やはり独特のものがある。
ストーンサークルはほぼ同じ位置にあるが、現代の遺跡とはまったく違い、非常に整然と美しく並んでいる。
集落を外から見ると、集落全体の空間が、まるで一つの命のように感じられる。その印象は、私にとって強いインパクトがあった。

平和だ!
私は、この独特な集落の空間自体に、私の魂が求めていた通りの平和を感じていることにふと気付いた。
人々はもちろん平和であろうが、その前にこの集落空間がなんともいえない一体感に満ちている。ここにいたら争いの心など生じようはずのない壮大な落ち着きを感じるのだ。
私は、思い出した!
縄文社会には、他の古代社会にはない、顕著な特質がある。
それは、縄文の遺跡からは、争って殺された人骨がほとんど見つからないことである。
そうだ。縄文は私たちにとって謎ばかりの世界であるが、その中でも私にとって最も知りたい最大の謎は、あの奇跡的調和社会を彼らはどうやって築いたのかという謎である。

『0フォース』 第1章 より 千賀一生:著 ヒカルランド:刊

縄文社会の集落は、中央にストーンサークル(サークル状に石で囲まれた垂直に立つ石)が存在します。
ストーンサークルの中央は「何もない空間」であり、この小さな中に無限の宇宙空間が広かっているような、そんな感覚が感じられるとのこと。
そして、そのストーンサークルを中心に、円形状に住居が取り巻いています。

何千年も前に、私たちの想像を遥かに超える文明が、この日本にあったというのは驚くべきことですね。

中心なる神「HIKI」とは?

縄文の時代から、さらに6400年遡った時代。

ストーンサークルの代わりにひざの高さくらいの多数の木の柱が円形状に取り巻き、その真ん中の中央空間には、今の日本にはとても存在しないであろう巨大な木が存在していました。

その木は、時を超え、我々を一つに結ぶ中心なる神、HIKIと呼ばれます。

 複雑に曲がりくねりながら集落を覆うHIKIの枝は、母なる神の腕や手のように感じられる。見ているのは私なのに、この木から私は見られていると感じられてならない。この神秘の腕や手によって、すべてを認知している気配が私を包んでいる。
この視線にすべてをゆだねたい・・・・・
私はそう思った。
見られている緊張感に抵抗せず、HIKIにすべてをゆだねた瞬間、私の全身は言葉では表現し難い解放感のようなものに包まれた。
私たち人間の目は一方向からしか見ることができないが、この視線は、そうした方向性を超えた視線だ。すべてを見られているその感覚が、私の中に絶対的な何かを生じさせた。
ああ、ここに住む人々は、日々この視線の中にあるに違いない。なんという世界だろう・・・・・

「あなた方は、木には目がないと思っている。
それは大きな誤りだ。
HIKIは全身が目でもある存在だ。
その目は、我々を自由世界に導くのだ。
木は、時を経るほど、大きな目の存在となるのだ。
HIKIと共にあることで、我々にもその目が宿るのだ」

どういう意味だろう。

「HIKIの目は、時空を超える目であることを我々は知っている」

時空を超える目・・・・・
悠久の存在であるHIKIが、祖先と現世の人々とを結んでいるのだろうか。
私は無意識にHIKIの周囲を取り巻く柱たち(ウッドサークル)を見ていた。祖先の霊性が強く感じられる。内側の柱ほど年を経た霊性を感じ、柱たちの内側の何もない空間(HIKIとの間の空間)には、さらにはるかな時を知るスピリットが感じられる。
この柱が後にストーンサークルとなったのかもしれない・・・・・
長老の言葉には無数のメッセージが込められているように思われる。思考で理解しようとすると受け止め切れないものを感じるため、私は無思考のまま、HIKIの視線を受け止め続けた。
集落周囲の森には、このHIKIに劣らぬはるかなる長老の木たちが賢者のように佇み、森の全体が神々の世界のような圧倒的な気配に満ちている。神々が互いに会話を交わす広大な空間の中で、私は人間としての思考をしばらく失っていた。
人間としての思考を失った私は今、自然界本来の空間に共鳴しているのであろうと思われた。
言葉では表しきれない幸福次元に私はあった。これに近い感覚をどこかで体験したことがある気がするが、思い出せない・・・・・
私は、無意識に大地のようなHIKIの肌を見ていた。
完璧な宇宙だ!
HIKIには、小さな生物や植物が無数に生存し、微生物まで含めると、膨大な数の生物が暮らしている。この木の中だけで生存のための循環が生じ、連鎖が成立している。
ただ暮らしているというだけではない。それらすべてが、何かとてつもない愛のようなものに包まれている。すべての命が、その力の中で生活を営んでいるのが感覚でわかるのだ。まるですべてを抱く一つの惑星だ。宇宙から見ているような錯覚に陥る。この集落の人々も、きっとこのとてつもない力に抱かれているのを感じているのだろう。
現代の私たちも、ペットを飼ったりして他の動物との交流を楽しむ。しかし、ペットの動物たちは、人間の寿命の範囲内で一生を終わり、人間の把握下にある。
このHIKIは、人間が生まれる前からこの世界を知っている。そして、人間の死後もこの世界を把握し続ける。
出会っていない祖先たちを、この神秘の目は、ゆうに百代は見ているだろう。
考えてみれば、この種の共生関係を現代の私たちは失っているように思われる。
私は、それが何をもたらすかに直面しているのだ・・・・・
この集落のすべては、広大な時を把握する目によって見守られている。
そうだ、先ほど思い出せなかった幸福という言葉では表しきれない感覚は、昨年の夢の中で体験したあの宇宙空間での巨大な何かに愛されているかのような感覚だ。
ここはあの宇宙と同じだ。
あの時のような、すべてに包まれた一体性が、ここにはある。

「HIKIの目は、すべてを一つに結ぶのた。
HIKIに比べれば、人間の知恵は、つかの間の知恵だ。
あなたが今感じているその奥には、人間とは何かの、あなた方が完全に忘れ去ってしまった秘密がある」

私は今、HIKIを大地のように感じている。
いや、大地自体がこのHIKIによって通常とは違って感じられる。
そうだ、私たちの命は、この地球の成分、大地なるものから生まれた。私たちは大地の一部が一時的に姿を変えた大地の分身なのだ。私たちは大地というまったく別の存在に乗っかっているのではない。様々に変化する大地の変化形の一つなのだ・・・・・ 大地こそは、私たちの究極の祖先であり、この神秘の木は、その究極の祖先と一体なのだ。この集落には、それをあたり前の実感として感じさせる何かがある。
この感覚に近いものを私はどこかで体験している気がする。
そうだ・・・・・
私は、子供の頃の、家の中心にあった大きな大黒柱を思い出した。
私は小さな頃、その大黒柱に祖先の意識を感じたことかあった。
私の知らない遠い祖先もこの同じ大黒柱を敬していたことを意識すると、祖先と共にいるかのように感じられてくるあの空間がこれに近い気がする・・・・・

『0フォース』 第1章 より 千賀一生:著 ヒカルランド:刊

何千年、何万年の昔から、私たちの祖先はHIKIの包容力のある巨大な力に見守られて暮らしてきました。
そして「木」としての実体がなくなった後も、そのエネルギーは変わらず残り、“大黒柱”として存在し続けました。

円形の何もない空間の真ん中に、中心となる軸がある。

それは、この宇宙に存在する、ありとあらゆる現象に通じる真理です。

冬至とHARI

縄文社会の重要な行事の一つに「HARIづくり」があります。

 集落の中央広場には人々が集まっていた。
見ると、人々は、細長い植物の葉を編んでいる。
その縄状のものに衝撃を受けた。
まるで神秘の命が宿っているように見えたからである。彼らの世界の重要物という強い印象を受けた。
大地にむしろのようなものを敷き、縄をなうようなこの行為を見ていると、自分もかつてここでこうしていた気がしてならなくなる。
厳粛な雰囲気ではあるものの、それを手伝う子供たちは楽しげであり、大家族であることを感じさせる。編んでいる草のなじみ深い香りがする。
先ほどの、ヒムカが小さな子供に編み方を教えている。彼らの子であると実感させられるその目線や雰囲気には、包み込むような愛情が感じられる。さらにそのヒムカと小さな子供たちを、おばあちゃんや曾おばあちゃんであろう人々が同じく包み込むような視線で見守りながら縄状のものがなわれてゆく。なんと温かな時間だろう・・・・・
一つ一つの行為は、霊力を宿しているように見え、特に年配者の指先に驚くほどに強い気が感じられる。

「これは、冬至を迎える準備の一つだ」

やはり、そうだったのか。
集落内がきれいに手入れされているのも、冬至を迎える準備のためであるのかもしれない。
現代の生活では、新年は意識しても冬至はいつ来たのかわからないほど意識されずに過ぎ去ってしまう。しかし彼らは何日も前からこの日を大切な節目として待ち望むのだろう。
しばらくすると、植物の葉で編んだ縄状のものは相当な長さになり、長いロープのようになっていた。この目的が少しわかってきた。集落を包むように植えられたまっすぐな木々に結わえ始めたのである。
木々は葉を落としているため、柱のように見え、柱に結ばれているような印象である。しかし、その結わえる手順が独特だった。縄状のものの中央を、集落の最も西側に位置する木から結わえ始めたのである。
その前に、これを集落の人々全員でその位置まで運んだことに私は驚いていた。一人でも運べないことはない重さである。この神聖物に全員が関わることに意味があるのだろう。
中央をその木に結ぶと、その両サイドから、賢者のような風格のある年配の二人の男性が、まるで弓道家が弓を射る時のような緊張が立ち込める中で引っ張った。その時、周囲の人々は独特な声を発し、周囲は驚くほどの緊張感に包まれた。明らかに、結わえる行為自体が儀式であった。

「これは、HARIづくりの準備だ」

HARI?
その独特な響きの言葉に、私は強烈な印象を受けた。
悠久の時というものに一瞬ふれたような感覚を覚えたのである。
彼の言葉は私にわかるように現代の日本語で伝わってくるが、この言葉は、あえて彼らの発音通りに私に伝えたようだ。やはり彼らにとって重要な何かであるに違いない。
おそらくHARIは、具体的にはこの縄で成立させようとしている何かであり、物質次元のものではなさそうだが、わかりやすいよう、この縄を仮にHARIと呼ぶことにしよう。
最初の木にHARIが結ばれると、その両脇の木にも同様に結ばれていった。やはり同じように独特の声が発せられ、そのたびごとに、何か空間に神聖な緊張が生まれているように感じられる。
HARIは、次第に両腕で集落空間を抱くかのように集落を包んでいった。
最後は東に位置する2本の2メートルとどの高さの柱の、それぞれに結ばれて終了した。この2本の柱は最上部が両者を繋ぐ棒で繋がれ、門のようにも思われた。
HARIと共に集落を包んでいる木々はそれぞれが神で、互いに手を繋ぎ合って、内にある集落空間を包んでいるかのようだ。
集落がこれまでとは何か違う気がする。不思議でならないが、今までにない荘厳な気配がその内側に感じられるのだ。
これは何なのだろう。
HARIが取り巻くこの光景は、どこかで見たことのあるような光景にも思われた。
素朴な人々は、申し合わせたように無言で集落の中央に向かっている。その視線のエネルギーがまた、この内側の空間を一層活性化させているようにも思われた。
この縄のようなものには、霊力でもあるのだろうか。この空間の変化には、やはりそう思いたくなるものがある。
そうだ、縄だ!
『縄文』という言葉が、突如私の中でこのHARIに結び付いた。
縄文という言葉は、縄文土器に縄の文様が多用されていることからきている。
なぜ縄なのか、このHARIを見ていると、そこに秘密の鍵がある気がしてならなくなった。縄文の世界を解く鍵は、その命名通り、縄にあるのかもしれない・・・・・

「こうして、我々は子宮なる空間をつくるのである。
この空間には、あなた方には信じ難いであろう力が成立する。それには理由があるのだ。
我々の子孫であるあなた方は、残念ながら、この力を失ってしまった。
あなた方は個人も社会も、様々な問題を抱えている。
それぞれの問題にはそれぞれの原因があると思い込んでいる。
だが、いかなる問題も、その本質をつきつめれば、その原因はこの力の喪失以外にないのだ」

『0フォース』 第3章 より 千賀一生:著 ヒカルランド:刊

冬至は、一年で最も夜が長い「陰」が極まる日です。
その日を境に、エネルギーが徐々に高まっていきます。

冬至のタイミングで、「HARIづくり」をすることは、自然の摂理に適ったこと習慣だということですね。

「注連縄」の秘密

この世界のすべては、中心軸(HIKI)と空間(HARI)によって形成されています。

 そういえば、ストーンサークルの立石も柱のような形状だ。
ストーンサークルは、細長い立石を地中に深く埋めてあり、その地表面に遠心状に組み石が施されている。
そうだ、ストーンサークルの全体構図は、この集落の構図と瓜二つだ。
住居もそうだ。中心にはやはり立石がある。彼らの世界にはすべてに『中心なる力(センターフォース)』があるのか。
これはコマに働く見えざる力の構図とも似ている気がする。コマは、水平面に強い遠心力が働くことで軸が成立する。ストーンサークルの形こそ、彼らが見ているエネルギーの形かもしれない・・・・・

「その通りだ。
我々の儀式は、この空間力を形成するためのものだ」

やはりそうだったのか。
この奥に、彼らは何らかの秘密を握っているに違いない。
集落では、立石の位置に大地と深く繋がるHIKIが立っているが、彼女たちはこのHIKIと見えざる力で引き合っているかのような印象を受けた。あの見えざる力に何か秘密がありそうな気がする・・・・・
そういえば、このストーンサークルや集落の構図は、現代の御神木と注連縄(しめなわ)の構図的関係とも似ている。
そうだ、私が思い出せずにいたのは、注連縄だ!
HARIに似た何かとは、注連縄だ。御神木に張られた注連縄は、御神木に直接であるが、HIKIを取り巻くHARIと構図的にはそっくりだ。

「あなた方は、この空間原理を形の上では引き継いでいるのだ。
我々は、これを、あなたが見た通り、春の初めに形成する。
あなた方が注連縄を新年に新たにするのは、この継承だ。
あなた方は注連縄の起源について様々な神話的解釈をしている。
だが、互いに矛盾し合うそれらの意味は、そのいずれもが、HARIの意味が失われたずっと後世に後付けで生まれたものだ。その多くは我々子孫と同化した渡来の人々の神話的意味付けによるものだ。畳はあなたの国固有のものであるが、畳の起源は我々の時代にまで遡(さかのぼ)る。我々にとって植物の葉を編むことには、特別な意味があるのだ。我々は神話的解釈を非難するつもりはないが、原点を知らなければあなた方は一つにはなれない。これに限らず、現在のあなた方の神社神道と我々との間には深い断絶がある。これがあなた方が一つになれない理由の一つだ。これについては時が来たら伝えよう」

たしかに客観的に見れば、現在の神社で祀られている神々の多くは縄文以来由来の神々ではない。

「なぜ我々がこれを用いるのかの真実を伝えよう。
我々は決してこれを神話的意味合いで用いるのではない。
我々は自然界の力と直接に交流する。
『HARI』とは、宇宙の本質力がもたらす『絶対的な力の場(フォース)』なのだ」

フォース・・・・・
彼は、フォースという言葉を、HARIという言葉に重ねるようにして私に伝えてきた。現代の私たちの言葉に重ね合わせることで、理解をサポートしようとしているのだろう。そういえば、あの夢の中の存在もこの言葉を伝えていた。
分子の内部に働く見えざる力などにも用いるこの言葉のイメージによって、HARIとは何かが私の中でより鮮明になった。

「万物には、HARI(フォース)の形成力が、潜在的に備わっている。
植物には、とくに強くその力が秘る。
あらゆる植物は微細な固有のHARI(フォース)空間を形成している。それは、他民族においても精霊の働きとして認知されたりしたその力でもある。あなた方も、植物や物体を適切な位置に適切に配置させると空間に変化が生ずるのがわかるはずだ」

たしかにその通りだ。
詳しくは後述するが、私にはそのようなことがわかるようになった過去がある。

「我々は、その力を最大限に引き出す方法を知っている。
我々にとって、そのための行為の一つが編むという行為だ。一定方式のスパイラルによるHARI(フォース)空間の再結集と人体HARI(フォース)との共鳴が、空間を変容させる新たな力を強く引き出すことを我々は知っている」

彼らが作ったHARIには、たしかにそうした力が感じられる・・・・・

「我々のHITOKATA自体が、これと同じく、体内の気にスピンを加えること、すなわち、エネルギー次元の編み型(スパイラル)を形成させる行為なのだ」

彼女たちの体づかいと自身のこれまでの体験から、実はスパイラルな気の流れを私は彼女たちの体に直感していた。やはりそうだったのだ・・・・・

『0フォース』 第4章 より 千賀一生:著 ヒカルランド:刊

HARIは、宇宙の本質力がもたらす『絶対的な力の場(フォース)』だということ。

千賀さんは、とくに人体によるHARI(フォース)は、究極の力をもつと指摘します。

母親の子宮から新たな生命を生みだすのは、HARIの力です。
それだけでなく、私たちは、自分たちが気付いていない未知の力を眠らせているのでしょう。

個人的集中次元を超えた集中次元

私たちに眠るHARI(フォース)をいかに活性化させ、現実に適用するか。
それは、人類全体の将来を大きく左右します。

「あなた方は今、今までにない節目にある。
節目は、創造にも破壊にも転ぶものだ。
それゆえに、時を超えた介入の門も節目には開かれるのだ。
この介入が生かされるかどうかは、あなた方にかかっている。
あなた方は、我々とは違い、様々な文化を作り上げ、人類としての発展のさ中にある。あなた方が我々と同じこの場(フィールド)を作り上げたならば、あなた方の社会は、一挙に楽園へと変わるだろう。
社会だけではない。
この場(フィールド)では人間の意識は、個人的にも統一状態に導かれるが、それは同時に、今のあなた方には想像できないほどの覚醒をあなた方にもたらすことになる。
HARI(フォース)空間は、あなた方を個人的集中次元を超えた集中次元へと導くからである」

個人的集中次元を超えた集中次元?
たしかに彼らは私たちにはない独特の集中力を持っているように思う。
私は、現代の音楽家などがフローと呼ぶ集中意識状態のことを思い出した。作曲家は、フローに入ると流れるように新しい曲が浮かぶようになることが知られている。
そうだ・・・・・スポーツ選手がゾーンと呼ぶ状態も、高い集中状態の時に発生する。様々な道を極めた人が体験するこの個人の通常能力や限界点を超えたと思われる現象は、呼び方は様々だが、本質は自身が通常の個人的集中レベルを超える時の現象なのではないだろうか。
そういえば、私の思春期の時の超感覚体験も、それまでにない集中意識に至った後、生じるようになった。

「その通りだ。
あなた方が集中と呼んでいる状態の多くは、単に思考的注意力の集中だ。
だが、あなた方も希(まれ)に、空間体次元の集中が同時成立することがある。前者と後者は別現象だが、前者に特定の条件が加わると後者を誘発する。前者と後者の違いは、前者は現象に影響を与えないが、後者は現象界に直接的に作用することにある。
統一空間内では、人は自ずとこの状態へと導かれるが、逆に言えば、統一空間の成立にも、この次元の集中力が必要なのだ。
生活空間をこの集中状態に集団で引き上げる行為を我々は定期的に行っている。それが我々の儀式だ。
糸電話は、糸がピンと張った張りのある状態でなければ声が届かない。
統一空間は、全空間にそれが張られているのに似ている。
それにより中心なる力はすべてに及ぶのだ。
この原理を、我々はHIKIから学んだのだ」

またも私がこの空間に直感していたことを、明確に確信させてくれた。
その、糸がピンと張られたような空間が真のハレなのだろう。
この集落に来てから、私の直感は、ことごとく的を射ている・・・・・この空間がそうさせるに違いない。それだけではない。私の中には不安なものが一切なく、すべてが感謝の対象に感じられている。その感謝の意識も、通常の個人的な感謝の次元を確実に超えている。すべてがありがたく感じられてならない・・・・・
そうか、彼らは自身の集中空間(フォース)の実現によって外的集中空間(フォース)を形成しているのだ。
自身が変われば世界が変わるという言葉を聞いたことがあるが、それは単なる自己変革では不可能なのだ・・・・・

「統一空間原理のすべては人間の存在そのものに内在している。我々は、それを自身に形成できたがゆえに、この世界は実現したのだ。
今あなた方の世界は、人間の雑思念によって糸のたるんだ糸電話のような状態にある。それが、すべてを繋ぐ力を失わせ、調和を失わせている。
我々の儀式は、いわば、人間の集合体によるHITOKATA形成だ。このHARI(フォース)空間内では、あなたも今体験しているように、いわば万物が最高次元のゾーンに入るのだ。
我々にとって調和とは、その一つの結果にすぎない。
あなた方は、我々と同じこの場(フィールド)を予想よりもはるかにたやすく実現できたと過去を振り返る時が来るだろう。一定数の人々が空間体を形成すれば、全体が必然的にその成立へ向かうものであるからだ。あなたはそれを先導する必要がある。
あなた方が、我々以上に超感覚的な能力を通常とする時代は、必ず来るのだ」

私たちが彼らの力を超えるなど、今の私には想像もできない。
だが、私は夢の中の未来の人々を思い出した。彼らにはたしかに超感覚的な力が感じられた。私も今、自身の形成法を理解している・・・・・
統一空間力(フォース)は、個人を実現させるだけの相対的な力ではなく、万人万物をあるべきように実現させる、私たちの今までの常識では考えられない超時空間的な力だ。
私は、スター・ウォーズの中で語られるフォースの概念が彼らの空間力に近いことを思い出した。スター・ウォーズでは、現象界を超える力であるフォースは、万物に働く力であり、人間固有の力ではないと語られる。映画の中では実際には個人的な超能力であるかのように描かれるのは、娯楽を目的としているからであろうが、それに対し、この彼らのHARI(フォース)は、その語られた通りの個を超えた力そのものだ。
あの映画の登場人物たちは「フォースと共にあらんことを」というセリフを繰り返し、その把握を理想としている。だが、この縄文の人々は、それを理想ではなく実際に把握している。それゆえに、この調和を実現できたのだ。事実は小説よりも奇なりと言うが、まさにその通りだ。未来の地球には、「生きとし生けるものすべてを包み込み、流れている」(フォース感応力をもつ1000歳を超える女性、マズ・カナタの言葉)真の『フォース』と万人が共にある超越的な社会が本当に実現するに違いない・・・・・
私は、天上の存在が語った「種子は未来を先取りしている」という言葉を思い出した。
人間の空想力は、しばしば真実を象徴的にとらえる。映画や小説として描かれたことが未来や歴史上の真実を射止めていたという実例は、昔から多数ある。
彼はこの映画のことも、物理用語としての要素も、すべてを感知しているのだろう。いや、その前に、このような流れの全体が、歴史の力によるのかもしれない。

「この力の把握は、現代のあなた方にとっては手さぐりのようにしか感じられないだろう。
最初は明確さを提供する二元的認知は、どこまで行っても全体を明らかにすることはできない。だが、最初は漠然とした感覚でしかとらえられないであろう空間体の把握は、いずれすべてなるものを見る明確な目を開かせる。
宇宙は、その目と共にあなたと共動するのだ。
空間体の把握と無限なる目の把握は、同一なのだ。
あなたがすでにその過程を経験しているのは偶然ではない」

『0フォース』 第4章 より 千賀一生:著 ヒカルランド:刊

スター・ウォーズで描かれているような超人的な能力は、すべての人間に秘められている。
縄文社会の人々は、その原理を知っていて、実際にその力を応用していた。

それこそSFの世界の話のようですが、真実です。

失われた古代の叡智を甦らせ、私たち一人一人がHARI(フォース)を開花させること。
それが地球全体を救うことにつながるということですね。

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太古の昔に日本列島に存在した古代の文明のひとつ。
私たちにとって、その程度の認識しかなかった縄文文明。

しかし、その実体は、ある面では私たちの文明を遥かに超えた高度な技術や精神性を持っていた、というのは驚きですね。

縄文文明を支えていたのが「0(ゼロ)フォース」です。

私たちが望んでいる社会は、世界のどこでもなく、日本の、それも数千年前の大昔にあった。
まさに「灯台下暗し」ですね。

私たち日本人の遺伝子にも組み込まれているであろう“縄文DNA”を、今こそ解放するとき。
本書は、そのきっかけとなる驚愕の一冊です。
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