本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『 世界が変わる現実創造のメソッド』(ヴァジム・ゼランド)

お薦めの本の紹介です。
ヴァジム・ゼランドさんの『タフティ・ザ・プリーステス 世界が変わる現実創造のメソッド』です。

ヴァジム・ゼランド(Vadim Zeland)さんは、ロシア在住の作家で、元量子物理学者です。

今こそ「イモムシ」から「蝶」に生まれ変わるとき!

この本の語り手は、3千年前、私はイシス神殿の巫女だったというタフティです。

タフティは、私たちに対してあなたの考えは植えつけられたものであり、実際には、自分の行動だけでなく、思考さえもコントロールすることができていないと指摘します。

 私はこれから世界の仕組みと、実際には何が起こっているのかをあなたに話しましょう。そして、なぜあなたがここにいるのか、人生をどう生きればいいのかを伝えましょう。そして、なぜあなたがここにいるのか、人生をどう生きればいいのかを伝えましょう。そういったことを、あなたは何もわかっていないからです。落ち着いて、話を聞いてください。

まず初めに、現実はあなたが想像しているようなものではないという事実からお話ししましょうか。現実は玉ねぎのようにいくつもの層になっているのです。あなたは2つの層にしかなじみがありません。それは、あなたが住んでいる物理的な現実世界と、夜、眠っているときに見る夢の世界です。

夢の空間は想像の世界ではありません。その空間は映画の保管庫のような形で実在しています。そこには起こったこと、これから起きること、そして起きたかもしれないことのすべてが保管されているのです。

夢を見ているときは、その保管庫にある映画の一つを鑑賞しているようなものです。そういう意味では、あなたの夢は幻想でもあり、現実でもあるのです。あなたの見ている映像はバーチャルなものであったとしても、映画のリールは実在するのです。

現実というのは、起こったことでもなく、これから起こることでもありません。「一度きりの今のこの時点」でのことです。現実は一瞬だけ存在します。それは、まるで過去から未来へと流れている映画の1コマのようなものです。

あなたと命、より正確にはあなたの本質、魂も、一つの形から別の形に流れていきます。あなたはかつて、魚、恐竜、または地面を這う生き物のときがあったのです。それから思えば、ずいぶんと進歩したものたと自分を慰めてはいけません。たとえば私のように完璧になるには、まだまだ長い道のりが必要です。

自分自身の過去の姿をあなたは覚えてはいないでしょう。というのは、一つひとつの姿はあなたの魂の別の形であり、ある意味では、別の夢だからです。

肉体がなくても魂は存在します。肉体は魂が存在する形の一つにすぎないのです。肉体は一種のバイオスーツのようなものです。

あなたは疑問に思うかもしれません。「こうやって姿を変えることに何の意味があるのか?」と。
それが現実と人生の基本的な性質なのです。つまりは、動きと変化です。映画のリールが回り、コマは進み、イモムシは蝶になるのです。その蝶は卵を産み、それがまたイモムシとなり、また蝶になっていきます。

現在の進化の段階では、まだあなたは小さくて気味の悪いイモムシです。それが今のあなたなんですよ。あなたにはこれからつきっきりになりそうです。

だから、どうか私の声に耳を傾けてください。寝ているか起きているかは、関係ありません。あなたは子どものころ、現実と夢を区別していませんでした。もう覚えていないと思いますが、そのころは現実と夢の世界に境界などなく、2つの世界に違いはないと思っていました。しかし大人たちは、夢の世界は想像の産物にすぎず、現実とは違うと説明したのです。

実は、あなたは誤ったことを信じ込まされました。あっちの世界は、この世界と同じように別の空間に実在しているのです。眠りに落ちたときに別空間に移動し、目を覚ましたときに、また別空間へ移動しているのです。びっくりしますよね。ちょっと怖いですか?

夢と現実はまったく別物だという考え方にあなたは慣れきってしまっていますが、夢と、夢から目覚めることはまるで、生と死のような関係です。生きることが夢であり、死はそこから目覚める体験です。いいですか、その反対ではありませんよ。

さあ、愛しい人、順を追って進みましょう。一歩ずつ進めばいいのです。
夢と現実の世界には3つの類似点と1つの違いがあります。違いについては、後ほど述べます。類似点は以下の3つです。

1つ目は、「夢を見ているときも、起きているときも、あなたは眠っている」という点です。そのため、あなたはどちらにおいても無力です。どちらの世界もあなたの意思とは無関係に存在しています。夢の中においても、起きている世界においても、目を覚ます方法を私が教えます。

2つ目は、どちらの空間でも、現実は映画の中のコマのように動くという点です。しかし、あなたは今ここで起こっていることしか見られないので、それに気づきません。夢は現実ではないという大人の言葉を信じるようになったときから、あなたはこれからのことを見る能力を失いました。

3つ目は、夢の世界でも、この世界でもコマの動きをコントロールできるという点です。今、あなたがその動きをコントロールできていないのは意識を向ける先を現在のコマに留めているからです。これが何を意味するかは、すぐにわかるようになります。しかしそれがなんとなくわかるだけだとダメなのです。しっかり理解して初めて、現実を動かすことができるようになるのです。

『世界が変わる 現実創造のメソッド』 はじめに より ヴァジム・ゼランド:著 監訳:成瀬まゆみ 訳:モリモト七海 SBクリエイティブ:刊

本書は、全治全能の存在であるタフティが、この世界の仕組みと現実を変えるためのノウハウをわかりやすく解説した一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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2つの意識のスクリーンと「気づきの中心点」

私たちは、内部と外部、2つのスクリーンを持っていて、「意識」というものを持っています。

タフティは、あなたの意識は内部または外部のスクリーンに常にあって、その中間にあることはほとんどなく、それが常に「眠っている」ということなのだと指摘します。

 考え事にふけっているときには、あなたの意識は完全にスクリーンに注がれています。そんなときは、周りで起きていることに気づかずに、自動的に行動してしまうかもしれません。その反対に、意識が外部ばかりに集中していると、自分のことを忘れてしまい、反射的に行動してしまうことでしょう。

これが「眠りに落ちている」ということです。自動的に、あるいは反射的に行動する状態のことで、意識は外部か内部のスクリーンに向けられています。この状態だと、あなたは無力であり、起こっていることはもちろん、自分自身さえもコントロールできていません。

この意味で、「眠り」と「夢」は同じものではありません。「眠り」とは、「戻ることが可能な意識のない状態」のことです。「夢」とは、「夢の世界でも、現実の世界でも、目で見えているもの」のことを指します。

それでいて、「現実」と「夢」は本質的には同じものです。あなたは現実という夢を見ているのです。現実は夢であり、夢もまた現実なのです。それはなぜでしょう? その理由は、もうすぐわかるようになりますよ。

次に、目覚める方法を教えましょう。夢や現実の世界で目を覚ますためには、内と外のスクリーンから意識をそらし、「気づきの中心点」に意識を向けなければなりません。

簡単にできるはずです。鼻の周りを指で叩いてみてください。あなたは今さっきまでどこにいましたか? 自分の空想を漂っていましたか? それとも目を見開いて、素晴らしい私を褒めたたえていましたか? あなたの意識は、どのスクリーンに注がれていましたか? 今はどこにありますか?

2つのスクリーンの中間地点を見つけてください。その中間地点からだと、自分の考えていることと周りで起こっていることを同時に観察することができます。あなたを取り巻く現実と、その現実の中のあなた自身をも見ることができます。2つのスクリーンを同時に見ればよいのです。大丈夫。できますよ。

ただ、そんなことができると言ってくれた人は誰一人いなかったし、そういうふうにすればいいのだと思ったことが今までなかっただけなのです。大人はいつも、「こっちを見なさい」、「私の言うことを聞くんだよ」、「私の言うとおりにしなさい」と言います。そうやって外のスクリーンに意識を向けることに慣らされてしまったのです。

そして物事がうまくいかないと、がっかりして、自分がどれほどちっぽけで不幸であるかと嘆きながら、一人ぼっちでしゃがみ込みます。そして、自分の唯一の避難場所である内部のスクリーンに引きこもってきたのです。

あなたは意識をしだいにスクリーンの中間地点ではなく、どちらかのスクリーンに向けるようになります。最終的には、あなたは意識をコントロールすることをやめ、意識は自分勝手に漂います。そして、あなたは常に無意識の状態に陥るのです。

この状態では、効果的に行動はできません。だまされ、なじられ、脅され、奪われ、殴られることさえあります。適切な対応ができないのです。あなたは常に劣等感に悩まされながら、外的な状況に左右され、幸運を追い求めます。

運に頼るのは、誰だかわかりますよね? そうです、それは敗者です。つまり、あなたは敗者なのです。無自覚な状態で何かをしても、その有効性は5〜10%しかないのです。

大丈夫、泣かないのよ、かわいそうなあなた。すべてうまくいきますよ。どうすればいいかを教えますから。

(中略)

「気づきの中心点」とは、観察ポイントのことで、意識がどこに向き、何に注がれているかが見えるところです。そこでは周りで何が起きているか、自分が何をしているかを見ることができます。

さあ、目を覚まし、自分自身に問うのです。「自分はどこにいるの?」「何をしているの?」「意識はどこに向いているの?」。その瞬間、あなたは目覚め、「気づきの中心点」に入っていることに気づきます。「私はここにいて、これが私を取り巻く現実の世界なのだ。私はわかっている。私には自分が見えている。現実が見えている」。

私の大切なあなた、それはあなたにとって、慣れていない状態でしょう。こういう状態にはなかなかなりません。たいていの時間は、あなたは外部、もしくは内部のスクリーンに没入しています。
それでは今から、少なくとも1時間は、この「目覚めている状態」を続けてみましょう。そして、何が起こるのか待つのです。おもしろいことになりますよ。

この「目覚めている状態」に入るのは、充分に睡眠が取れた明るい気分の朝に行うのがベストです。不機嫌で調子が悪いときは、試してみても無駄でしょう。

自分にこう言い聞かせながら、気づきの中心点に入りましょう。「自分を見て、現実を見る」と。
「今日、私は目を覚ましながら、夢の中を歩き回る」という意図を明確にしましょう。そういった明瞭な意識状態で、職場や学校など、好きな場所に出かけていってください。

その効果を最大限に得るには、誰もあなたのことを知らない場所に行くのがいいでしょう。ショッピングセンターや娯楽施設をブラブラと歩いてみるのです。これこそかまさに夢の中を自由に歩いているということです。

というのも、どちらかのスクリーンに没入しているときは、あなたは本当の自分ではありません。自分も状況もコントロールできていないのです。それどころか、どんな状況も夢となり、あなたをコントロールしているのです。

一方で、「目覚めている状態」とはどんな状態なのでしょうか? それはあなたが解き放たれ、あなたの夢が意識的なものになった状態のことです。それが夜の夢なのか、起きている間の夢なのかは関係ありません。あなたは自分自身をコントロールするだけでなく、周りの状況をコントロールする力も身につけます。それは最も大事なことです。しかし、それについては後に詳しく述べます。まずは、散歩に出かけ、自分が目にするものを観察してみてください。

気づきの中心点を意識して、たとえば、お店に入ってみてください。お店の人に挨拶をし、店内を歩き回り、何かを尋ね、店員の反応を観察してみてください。絶対に眠ってはいけません。誰かと話し始める前に必ず自分の意識が中心点にあるようにしましょう。「自分を見て、現実を見る」

周りの人がなぜかあなたに興味を持ち、特別に親切に接してくれることに気がつくでしょう。今までとはまったく違う態度です。一体、何が起こったのでしょうか?

周りの人は、あなたと違ってまだ眠り続けています。彼らの意識は別のことでいっぱいで、日常の台本に入り込んでいます。彼らの思考は不明瞭であり、行動は無意識です。彼らはまるで映画に出てくる登場人物であるかのようだとも言えます。

あなたは、周りの他の人たちとは異なり、夢の中で目覚めていて、映画のスクリーンから映画館のホールに出てきているようなものです。あなたはいつでも映画の世界に出入りすることができ、他の登場人物の間を自由に歩き回ることができます。ストーリーに関係なく、です。

この状態になると、あなたは周りの人と少し違う世界にいるような印象を与えます。はっきりとはわからないけれど、あなたには何か変わったところがあると周りの人は漠然と感じてしまうのです。しかし心配する必要はありません。彼らはあなたに興味と親しみを持って接していることに気づいていません。そしてあなたも、「あなたたちが知らないことを私は知っている」といったそぶりはしないでください。

なぜ彼らはあなたに親しみを感じてくれるのでしょうか? 特にあなたを知らない人が、です。彼らにとってあなたは、闇の中のホタルのようなものなのです。意識的な気づきの状態にいると、エネルギーの流れが変わります。物質的にはっきりと見ることはできませんが、無意識に感じ取れるものなのです。

目覚めた状態で夢の中を歩いているだけで、周りの人の注目や善意を集めることになります。新しい友人ができ、楽しい会話の中で時間を過ごすことができます。しかし、それはほんの始まりにすぎません。お利口さんになるのですよ。現実の動かし方を学ぶのです。頭が混乱していますか? 大丈夫ですよ。心配しないで、私のかわいいあなた。

『世界が変わる 現実創造のメソッド』 LESSON 1〜2 より ヴァジム・ゼランド:著 監訳:成瀬まゆみ 訳:モリモト七海 SBクリエイティブ:刊

「気づきの中心点」、つまり、内側のスクリーンと外側のスクリーンを同時に見ることができる位置にある状態。
それが「目が覚めている状態」です。

最初は、なかなかその状態をキープすることは難しいです。

「気づきの中心点」からずれてしまったら、その都度、元の位置に戻す。
それを繰り返すことで、「目覚めている状態」が普通になっていきます。

現実を構築する「意図の三つ編み」とは?

現実は、起こったことでもなく、これから起こることでもなく、『一度きりの今のこの時点』でのことです。

タフティは、現実は一瞬だけ存在しそれは、まるで過去から未来へと流れている映画の1コマのようだと述べています。

それは、瞬間的に映し出されたもの、つまり「光で照らされたこのコマ」だけが実在していて、そのほかのものはすべてバーチャルだということです。

 私たちの世界は、命ある形とそうでない形で成り立っています。命というのは、物質的現実の中に埋め込まれている含有物のようです。現実自体は生きていません。命が生きているのです。命が現実の流れを決め、命が現実を構築するのです。

私のかわいいぼんくらちゃん、今言ったことは、大変重要です。現実を構築するということは、コマがどのような方向性で進むか、どの映画を流すかを決めるということです。あなたにはそれをする機会があるのに、その機会を無駄にしています。それと同様に「意識をコントロールする」という能力もうまく使っていないのです。

今の現実に対してあらがうのではなく、先の現実を作っていく必要があるのに、あなたが今やっていることは何でしょうか? あなたは現在のコマの中で、今の現実を変えようとやっきになっているのです。自分がやっていることをわかっていますか?

繰り返しましょう。現実とは、一体、何なのでしょうか? 現実は、過去にもなく、未来にもありません。一度きりの今ここにあるものです。現実は、すでに起こったからこそ、「現実」なのです。すでに起こったことは変えられません。なのに、あなたはそれをしようとしているのですよ。周りのすべてのことは、もうすでに起こったことだというのに。
現在は、過去とほとんど一緒です。過去というのは、遠い昔に起こったことで、現在というものは、この一瞬に起こったものなのです。現在も変えることはできません。あなたは現在というこの瞬間にいながら、実際にはずっと過去に居続けているようなものです。なぜならばあなたの意識が現在の映画のコマに囚われているからです。そして、幻想に惑わされ、未来に進むことができません。だから未来があなたの思いどおりにならないというわけなのです。

あなたは自分がしていることをちゃんとわかっていて、物事を決めたり、問題を解決したり、目標を達成したりしていると思っています。しかし、これらの行動はすべて現在のコマの中で無意識に行っているにすぎません。自分が選んでいない映画に沿って、台本があなたを選んでいるのです。あなたがしていることと言えば、まるで動物のように、無力に手足をばたつかせているだけなのです。

これがあなたなんですよ、私の愛しい子うさぎちゃん。あなたといると、本当に疲れてしまいます・・・・・・。

(中略)

なぜ、映画の保管庫が存在するのか、また誰が映画を撮って、永遠に保管しているのかといったことは、よだれたらしの太っちょ赤ちゃんであるあなたには理解できません。映画のコマを動かすのを許されているということ自体、大いなる創造主に感謝すべきことなのです。しかし、あなたはその自分の力を伸ばすことを悲しいくらいにサボッています。すでに持っている能力すら使っていないということです。

「映画のコマを進める」とはどういうことなのか、思い出させてあげましょう。もうわかりましたね。過去は変えられません。現在のことも忘れてください。それらはすでに起こってしまったことであり、どうにもできないことです。一方で、あなたには未来を構築するチャンス、映画を選ぶチャンスがあり、次のコマはその選んだ映画に合わせてやってくるのです。でも、どうやって?

あなたには2つのコントロール機能があります。それは意識と意図です。意識の向け方については、もうわかっていますね。意識はあなたの気づきの状態に関わっているのに対して、意図はあなたの行動に関わっています。何かを始めるときには、最初に頭の中でそれをすると思わなくてはなりません。つまり、あなたが何かをしているとき、あなたの意図は行動によって実現されるということになります。

しかし、あなたの行動はすべて現在のコマに付属していて、そのコマの中で行われています。それはあなたの意図が、現在のコマに囚われているからです。あなたの意識が一つのスクリーンに釘付けになるのと同じようなものです。そして、意識が向く先に内部と外部の2つのスクリーンがあるように、意図にも2つのセンターがあります。それは内部センターと外部センターです。

内部センターは、頭蓋骨の前頭部に位置していて、あなたの基本的な機能のすべてを担当しています。内部センターが司るのは、あなたのちっぽけな意図です。あなたが集中するとき、額にしわが寄ります。あなたが何かをしようとするとき、筋肉が緊張します。現在の映画のコマの中で、筋肉にできることといえば、その原始的な動きだけです。

外部センターは未来のコマの流れにとても大事なものなのですが、これをあなたはまったく使っていません。あなたは自分の外部センターがどこにあるのかを瞬時に特定することができます。今ここでやってみましょう。

あなたたちの一人ひとりに「意図の三つ編み」と呼ばれるものがあります。それはエネルギーが三つ編みなったもので、髪の毛のおさげに似ています。それを見ることはできませんが、感じることはできます。それはまるで以前はあった手足が今はなくても、あるように感じる幻肢感覚のようです。真っ直ぐ垂れ下がるのではなく、背骨から突き出るように斜めになっています。本当に奇妙な三つ編みですね。

意図の外部センターが、その三つ編みの先端にあります。肩甲骨の間にあり、背中から少し離れています。どこにあるかは直感的にわかります。背中から正確にどれくらい離れているかは重要ではありません。あなたの意識をそこに集中させるだけで十分です。それだけで、どこにあるかを感じるでしょう。もしまだそれを感じることができないのであれば、レッスン37の「三つ編みとエネルギーの流れ」を参照してください。

外部センターの使い方は非常にシンプルです。意識を三つ編みの先に持っていき、人生に引き寄せたい出来事をイメージします。そのことによって未来のコマが照らされ、現実において実現するのです。

私の愛しい人、「そんなことが本当にできるの?」とあなたは疑問に思うかもしれません。でも、実はそれはとても簡単なことなのです。あなたは三つ編みの存在やその使い方を知らないだけなのです。

あなたは今のコマで行きづまっているだけなのです。あなたは目で見えるものを見るのに慣れていますが、目はここにあるものしか、とらえていません。そして、目で見えるものに対してだけ、何かできることがあると感じているのです。では、あなたの目はどこに注がれていますか? 外部スクリーンですよね。
そして、うまくいっていないときには、自分の感情や思考という内部スクリーンに没入しています。何について考えて、感じていますか? これもすべて、目に見えること、もしくは起こっている出来事についてですよね。つまり、あなたは意識を向ける先をコントロールできていないし、あなたの意図は自分の台本ではない別の台本に従属しているということです。

自分自身の台本について考えることはできます。ただそれだけでは、台本に書かれていることを現実にすることはできません。自分の未来についても、こうなってほしいという夢を見ることがあるでしょう。しかし、未来の映画のコマは、意図の外部センターからしか映写することができないのです。それなのに、あなたは自分のちっぽけな内部センターだけを使い続けているのです。現在映っているコマは、幻影であり、罠です。それがこの世界の仕組みなのです。

わかった、わかった、私の愛しい人、どうか泣かないで。三つ編みをブンブンと振り回さないで。私がその罠を抜け出す方法を教えます。三つ編みの使い方もね。大丈夫、できるようになりますよ。きっと楽しいですよ!

(中略)

それでは、あなたには叶えたい夢があるとしましょう。あなたの世界のことわざに「夢見るだけなら、害にはならない」というものがあります。それは夢を見ても無駄だということも意味しています。このバカげたことわざは本当なのでしょうか? そして、よだれたらしの赤ちゃんたちには、何も希望がないということを言っているのでしょうか?

夢が叶わない理由については、次のレッスンで説明します。とりあえず今はテクニックについて話をしますね。まずは実際にやってみて、その後で理解してもらう。それが一番の学習方法です。しっかり理解してくださいね。

1  眠りから覚め、「気づきの中心点」に入る。そしていつものように、こう言ってください。「自分を見て、現実を見る」。

2 三つ編みを起動させる。感じてください。そこにありますよね。三つ編みに意識を向けたら、それをすぐさま背中から斜めに上げ、起動させます。

3 三つ編みから意識をそらさずに、未来の姿をイメージする。思考で、言葉で、視覚化で、できるだけ、あなたの現実を作っていってください。

三つ編みが起動すると、目がいつもとは違う状態に変化したことに自分でも気づくかもしれません。三つ編みが持ち上がると、目はどうなりましたか? 少し大きくなって、輝きが増していませんか? こんなこと、今までになかったですよね。以前はただ外側に映写された映画を見て、それに身を委ねていたことでしょう。今は、あなたは自力で映画を流すことができるのです。

もう一度方法を伝えますよ。目を覚まして、三つ編みに意識を集中させ、三つ編みを感じたまま、望みが叶っている様子をスクリーンに描くように想像するのです。それが未来のコマを照らして物理的に現実化する方法です。後ほど、一つの動きだけで瞬時にこれを行う方法を学びます。

三つ編みは映画の映写機のような働きをします。「こうしたい」という望みや「もしこうであれば」という憧れを、あなたは内部スクリーンに好きなだけ思い描くことができますが、それはあまり効果的ではありません。はっきり言って無駄です。

しかし意図の外部センターからあなたの思考、言葉、およびイメージが出されるとその瞬間に、映写機はフルパワーで回り始めます。だから、もしあなたが自分の思考の中であがくだけではなく、現実に影響を与えたいのであれば、三つ編みを使ってください。

三つ編みの先端にずっと意識をおかなくても大丈夫です。幻肢のように、それを感じるだけで十分です。いつでも好きなときに起動させることができます。具体的な感覚は人それぞれです。肉体的な目は関係ありません。目を閉じていてもいいですし、たとえ目がまったく見えなくてもかまいません。重要なのは、思考、言葉、イメージが三つ編みと連動していることです。
だから、私の子うさぎちゃん、私のかわいいお魚さん、あなたはこの世界の支配者になるまでもう一歩のところにいます。私は、あなたへの畏敬の念で気絶してしまいそうです。それともその前に身をかがめておじぎをしたほうがいいのかしら。さあ、その能力で私を驚かせてください! それにはなんといっても、まずは自分自身で驚くことです。そのために映画のコマの流れを操るのに必要な実用的スキルを身につけていきましょう。

まずは基本的なこと、つまり身近な願望を満たすことから始めてみましょう。たとえば、今日という映画で、ある出来事が起こることになっていて、それが成功するか失敗するのかどちらかの結果になっているとします。手始めに、一つのコマに入りきる簡単なことを選んでください。たとえば、買い物をすること、駐車場を見つけることなど、職場や学校の日々の用事が考えられます。屋外でも、自宅でも大丈夫です。

あなたには、スムーズに流れている映画にコマを差し込む力があります。何をすべきか、あなたはすでにわかっていますよね。目を覚まして、三つ編みを持ち上げ、その感覚を保ちながら、あなたの願望が叶うことをイメージします。それから三つ編みの感覚を手放して、ふだんどおりの行動を続けるのです。確実なものにするために、何度か、そのコマに光を当ててもかまいません。

次に起こることを自分自身の目で確かめてください。びっくりしすぎて、おもらしなんかしないでくださいよ。そんなこと不可能だと思っていたことが起こったとき、あなたは複雑な気分になることでしょう。外部の現実が、実は自分の意思に委ねられていたということが信じられないでしょう。今まではその反対に、あなたが外の現実に従っていましたものね。

あなたの実験が成功するかどうかの確率は、えーっと・・・・・。ここ大事ですよ。それは起こっていることへの現実感覚にかかっているということです。それが現実となるかどうかは、日々の行動と習慣にかかっています。何度も起これば、それは現実ですし、一度も起きたことのないことは、現実だとは思えませんよね。

つまり、あなたの世界観にあったことしか起こりえないのです。たとえば、車輪が2つだけの自転車に乗れることを知らなければ、自転車に乗ろうとはしないでしょう。映画のコマの動きもまったく同じです。そのやり方が非現実的だと思っているうちは、コントールできません。では、それを現実的なものにするためにはどうすればいいのか? それはもうすぐわかりますよ、私の愛しい人。

『世界が変わる 現実創造のメソッド』 LESSON 5〜7 より ヴァジム・ゼランド:著 監訳:成瀬まゆみ 訳:モリモト七海 SBクリエイティブ:刊

私たちが経験する現実は、現在という「コマ」の連続であり、まさに映画のようなものです。
現実を変えるとは、コマの流れ、つまり見ている映画そのものを変えるということ。

映画を変えるには、望む結末、つまり、未来のコマに焦点を合わせることです。
未来のコマが変われば、それに連なるコマは、自然と変わります。
それが「映画を変える」ということですね。

未来のコマを変えるのに効果的なのは、意図の外部センターである「意図の三つ編み」を使うことです。
感覚をつかんで、いつでも起動できるようにしたいですね。

「メタパワー」を働かせ、現実を構築する!

この宇宙には、普通の力とは真逆に働く「裏側の力」が働いています。

この力は「メタパワー」と呼ばれ、弱さや無気力という意味の真逆ではなく、現実の反対側から作用する力という意味での真逆ということです。

 わかりやすいように、鏡を見てみましょう。自分が立っている側では、すべては物質であり、触ることができます。一方、鏡面に映っているものは、すべてが実体のないものですが、同じように現実です。物体があれば、鏡面にはそれが映されます。その物体というのは現実のものですか? 物体が現実というなら、鏡に映されたものも現実です。私がこうやって説明しているのは、あなたに「触れることができるものだけが実在するのではない」ということを理解してもらうためです。

現実という鏡は普通の鏡のようですが、その仕組みは逆で、像と映っている姿が入れ替わっています。映されたものには手を触れることができますが、もともとの本体には触れられません。映っているものは鏡のこちら側にあり、本体は向こう側にあります。こちら側は物理的な現実であり、反対側は夢の空間、つまり映画の保管庫なのです。

もうわかっていると思いますが、物理的な現実というのは、映画のコマのようなものです。映画のリールがまず存在し、映し出されるものは二次的なものです。物理的な現実というのは、主体である映像が物質化したものであり、鏡に映ったものでもあります。映像本体は向こう側にあります。そして、映画の保管庫の中には、さまざまな未来のバリエーションが存在しています。

考えてみてください。もし未来が現実という鏡の向こう側にあるとしたら、鏡のこちら側でしか働きかけられない通常の力で、それに影響を与えることができるでしょうか? できませんよね。そんな力は、ここでしか、つまり、鏡のこちら側でしか、発揮されないのですよ。思い切りやってみてもいいでしょうが、絶対にうまくはいきません。できますか? あなたなら、きっとできるんでしょうね! やってみたらいかがですか?

無理! もうダメだ! となる前に、そして自分が望む未来を手に入れるために、通常のやり方ではなく、「鏡の法則」に従って、鏡の向こう側から働きかける必要があるのです。では、どうすれば、鏡の向こう側にたどり着くことができるのでしょうか?

まだ言ってはいませんでしたが、実際にはあなたはもうすでに何度もそこにいたことがあるのです。目を覚まして、台本から離れると、実質的には向こう側の世界に落ちているのです。それにはっきりと気づくことはできません。なぜかというと、現実の鏡の表面は、ツルッとした鏡面や目に見える仕切りではなく、主体とそれが映し出されたものを区切る、感知することができない境界線だからです。

どちら側もすべてのものが同じで、区別がつきません。ただ一方の世界では像は物質的で、もう一方の世界では非物質的です。鏡の正面には物質的なマネキンが存在し、その反対側には仮想のマネキンが存在しています。目を覚ますとあなたの意識は鏡という境界線をすり抜けて、仮想マネキンに移ります。

あなたの意識が動くのであって、体が動くのではありません。でもこれで十分なのです。というのも、あなたは、意識そのものなのですから。両方の体、つまり仮想の体と物質的な体は、鏡の両側で同時に働きます。あなたの意識がどこにあるかが問題なのです。もしその意識が、鏡のこちら側、つまり現実の世界に向けられているのであれば、あなたは完全に台本に飲み込まれているということです。そして、あなたの意識が鏡の反対側、つまり映像の世界に注がれているのであれば、自分自身も、これから来る現実も自由に構築することができるのです。

「主たる自分を構築する」とは、あなたが自己認識をし、動機や行動を自分でコントロールしているということです。現在のコマの中では、ふだんのように物理的な力で手や足を使って動きます。しかし、現実そのものを構築するには、意識、意図、そしてメタパワーを使ったまったく違う方法が必要なのです。

メタパワーというものを感じ始めると、メタパワーとは一体何なのかを徐々に理解していくことでしょう。もしあなたが物理的な力を使ったことがないのであれば、私がいくら説明しても物理的な力を説明できるわけはありません。それと同じように、メタパワーもあなた自身がそれを感じ、開発していく必要があるのです。三つ編みは、メタパワーを使うためのツールなのです。コマ照射メソッドは、メタパワーを発達させる練習であると同時に、望む現実を構築する方法でもあるのです。

次のレッスンでは、鏡の向こう側の世界のルールや規則を細かく教えましょう。今のところは、コマ照射メソッドを忘れずによく使っておいてくださいね。
自分の現実を構築する方法を学びたいですよね? えっ、学びたくない? なぜ? 奴隷の反乱ですか?
もしそうだとしたら、ちょっとした犠牲が伴い、ふさわしいお供え物が必要となります。私を見なさい! 私はタフティ、あなたのシャーマン。私からの絶対的な支配に甘んじなさい。カタツムリや、カエルなどのような両生類のあなたの面倒をみないといけないことに、私も耐えているのですから! いいですね!

(中略)

自分が気づかないうちに、鏡面を越えた世界に落ちているということに少しとまどっていますよね。もしかしたら少しどころではなく、とても困惑しているかもしれません。でもビクビクすることなどないのです。実は毎晩眠りに落ちるたびに、あなたは鏡の世界に落ちているのですから。

起きている世界でも、目覚めているとき、つまり意識が「気づきの中心点」にあるときは、あなた(あなたの本質)は、現実の反対側にいる仮想マネキンの体の中にいるのです。夢の世界に入り込んでいる間も、同じことが起こります。ただ少し違うのは、日中起きているときには、鏡の両側に同じ現実があるということです。現実には物質的なものと仮想的なものがありますが、どちらも同じ現実なのです。その一方、夢の中では、現実と鏡の世界というの、一致していません。つまり、物質的な世界は、そのまま残り、あなたの意識ははるか向こうの世界を飛び回っているのです。
他の違いとしては、夜の夢の中では、あなたは台本の中にどっぷりと浸かった状態になります。昼間の起きている状態では、目覚めれば(「自分を見て、現実を見る」という状態になれば)、台本から自由になれます。

自己認識がないと、台本はあなたの三つ編みの先を引っかけて操作すると話したのを思い出してください。その三つ編みをあなたが自由に使えて、あなたが鏡の世界の仮想マネキンの中にいる場合、こちらの世界の物理的なマネキンを動かすのは誰でしょうか?

そうですね、それはあなた自身です。あなたは、自分も、そして今から起こる現実も自由に動かす力を手にします。なぜならば、鏡面を通り越して、映像の世界と同じ側にいるからです。その映像の世界からしか鏡に映ったものを動かせないのです。その逆ではありません。わかりますか?

厳密に言うと、物理的なマネキンと物質的な現実は、映し出されたものというよりものむしろ映像の物質化なのです。実現化した現実(すでに起こってしまった現実)を、鏡のこちら側でなんとかしようとすることは可能です。しかし、これから起こる現実というのは、まだ映像のままなのです。その映像はあちらの世界からだけしか動かすことができません。つまり、その映像が存在する側、鏡の向こう側ということです。そのためには、鏡の向こう側の世界に移動する必要があります。

全体像を理解してくださいね。現在のコマの中で、私たちはなんとかやっていき、あちら側で私たちは指示をするのです。これでメタパワーという概念の本質がわかってきたことでしょう(目の前のおバカさんに、ちょっとでも私の言うことが理解できるといいんですが・・・・・)。

そんなに文句を言わないで。わかりましたよ。泣くのもおよしなさい。あなたはお利口さんですよ。それでは、聞きますよ。現実と鏡の世界の一番大きな違いというのは、何ですか? それは、こちらはすべてが物質的なもので、あちらの世界はすべてがバーチャルだということです。通常の力で非物質的な物事や空間に関わることはできません。こちら側で働くのが物質的な力であり、向こう側で効力を発揮するのがメタパワーなのです。鏡のこちら側の世界では「行動」があり、鏡の向こう側の世界は、「フリをする」ということが有効なのです。これはどういう意味でしょうか?

「フリをする」ということに関して一番大事なポイントは、あなたは決まっていることには逆らえないということです。つまり、台本に従って行動しなければならないのです。どんな登場人物でも、その映画の中から飛び出したり、今の映画の中で好きなことをしたりはできません。その台本は個人の主観的意思から生み出されているのではありません。それがあることは客観的な事実で、そこにあなたは閉じ込められているのです。

つまり、まるで登場人物のように、そこに存在するように運命づけられているということです。同意できなくてもいいし、不満に思ってもいいですが、これはどうしようもありません。逆らおうとしても無駄です。映画で撮影されたものは、起こるのです。映画で決まっている行動を避けることはできませんが、ただフリをすることは可能です。現実を欺くことはできるのです。

「気づきの中心点」に入って、鏡の向こう側にいるのを想像してみてください。あなたの周りのものはすべて、今までと変わりません。鏡の向こう側から、出来事を観察しているようには感じないはずです。しかし、あなたはまさに鏡面の反対側にいるのです。あなたには、今、現実を構築する能力、つまり映画を選択する能力が備わったのです。あなたがいる映画を変えようとするのではなく、映画に参加することを拒むのでもなく、違う映画、望む映画を選択するのです。わかりますか?

以前のように、あなたはあらかじめ台本で決められた役をこなし、日々の役割を果たしていくでしょう。しかし、その他の登場人物とあなたは違います。目覚めている状態でいれば、あなたは優れた能力を手にします。それは、現在の映画を取り替える能力です。それと同時に、そう言ったことは自分には関係ないという態度を取ってください。秩序は保たれたままです。あなたは見つけられることもなく、捕まることもなく、すべてがあなたの思いどおりになっていきます。

これが「眠ったフリをするゲーム」です。あなたはまるで生きている登場人物であるかのように映画の中を歩き回りながら、目覚めていないフリをして、自分好みの映画にリールを変えていくのです。誰も何も疑いません。台本も、他の登場人物も、です。

台本自体を避けることはできないのですが、現実を構築することで、新しい台本を設定することができるのです。新しい台本はまだあなたの望んだそのものではなく、あなたはまだ今の台本の影響下にあるでしょう。しかし、だんだん望む結果へと導かれていくのです。

あなたは他の登場人物から隠れるべきでしょうか? そうです。いくら目立つのが好きだからといって、自分の能力をひけらかすのは控えるようにしてください。中世ではそのようなことをすると火あぶりにされましたが、現代ではどこかの病棟に閉じ込められてしまうかもしれません。なんだか頭がぼーっとしてきましたか? そのまま眠りに落ちていかないように。自分のプレゼンス(目覚めている状態)をアピールしないようにするのです。あなたの巫女である私に従ってください。私はあなたを愛しています。殺したいくらいにね。

(中略)

映画の中における「プレゼンス」。これは何を意味しているのでしょう? おおよその意味は、「気づいた状態でいること、つまりあなたの本質でいること」です。つまり変わることのない映画の中で、「本質の自分」として、目覚めた、能力のある、理性的な個人として存在していることです。ふだん映画のリールは勢いよく回り、すべては運命づけられていて、登場人物の行動は決められています。

目覚めていない人の中に目覚めているあなたがいることで、みんなの注目が集まります。自己認識を持っているあなたは、周りで何が起きているかがわかっています。映画の中でのあなたの行動も、台本によって決められていますが、「プレゼンス」のおかげで、映画を次々と別のものに切り替えるチャンスが生まれるのです。
そんなプレゼンスを得るためには、あなたは目覚めて意識をしっかり持って、自分の立ち位置を決めなければなりません。映像側にいるのか、もしくは物質側にいるのか、ということです。言い換えれば、自分の意識がどこにあるのか、つまり「気づきの中心点」にあるのか、それとも内部か外部のスクリーン上にあるのかということです。要するに、あなたは鏡のこちら側と向こう側の両方にいることができる二重の存在なのです。

あなたがそこにいるとき、あなたはここにプレゼンスを持って存在します。これがパラドックスなのです。そうでないときは、あなたは存在しておらず、無自覚で無能な状態であり、完全に台本のなすがままになっているということです。

思い出してください。起きているときに目覚めていれば、あなたの意識は鏡面を超えて、仮想マネキンの中に入っていくと言いましたよね。ベッドで眠って夢を見るときも同じことが起こりますが、質が違います。睡眠中、あなたは夢という仮想現実を動かせるかもしれませんが、物理的な現実に影響を与えることはできません。厳密に言えば、可能なのですが、非常に難しいです。ここはカタツムリは気にしなくてもいいところです。

目覚めて存在している状態では、これから起こる現実を構築する能力を得ます。物質化できるというとことです(ずっとこの話をしていますが、それはあなたが自分自身の現実を構築することができるし、そうすべきだということをよく理解できるように、です)。知っておかなければならないことがあります。それは「現実を構築するというのは、最終ゴールを決めるということ」です。つまりこれからやってくる映画のコマを決定しているのです。物事の流れを決めているわけではありません。

現実を構築するということは、映画を選択することであり、台本をコントロールすることではないのです。台本はあなたの能力を超えています。あなたをゴールに導くために、台本が具体的にどのようなものであるべきか、あなたにはわかりませんし、知る必要もありません。あなたは映画の映写機として動いているのです。映写機でゴールのコマが照らされると、自動的にそのとおりの展開になっていきます。

映画を選ぶことで、新たな台本が動き出します。その台本は、あなたのものではなく、あなたの知らないところで記されたものです。ゴールのコマだけがあなたのものです。映画は指定されたコマに合うように自らを選択するのです。この仕組みを正確に理解する必要はありません。何度も何度も自分のコマを照らすことで、次々と映画を移動して、あなたは最終的に目的地にたどり着くのです。

永遠の保管庫では、映画のリールは横に並べて置いてあります。一番近くに置かれた映画の台本同士には細かいニュアンスの違いしかありません。現実を構築しながら、ひとつの映画から別の映画へと徐々に移動していきます。あなたはまず、目指したゴールに近い結果が得られる映画の中に入ります。そして、どんどんゴールに近づいていくのです。

これらのことはすべて目に見えない形で行われ、目的とするゴールの複雑さに応じて、その実現速度は異なります。簡単なゴールはすぐに達成できますが、「遠くまで行く」ことが必要な難易度の高いゴールには、時間と辛抱強さが必要です。

これからやってくるコマに意識を向けるのがあなたの役目です。台本はあなたがなんとかできるものではありません。台本を設定しようとしたり、それに抵抗しようとしたりすると、その罠にはまってしまいます。一連の出来事に影響を与えようとすると、現在起こっていることに必死に固執しますが、これは意味のないことです。がんばればがんばるほど、三つ編みをどんどん強くつかまれてしまうことになります。

同様に、他人に影響を与えようとすることも無意味です。他人を操ろうとすることは、報われない、さもしい行為です。それは結局、自分がひどい目にあったり、望んでいたものとは逆の効果を生み出したりしてしまうこともあります。登場人物は、それぞれ自分の台本に従って行動しています。彼らに影響を与えようとすると、罠にはまることになります。だから、それだけはやめてください。そんなことをしなくても、いつか彼らは自らあなたに駆け寄ってきて、あなたの思いどおりに動いてくれます。詳しくは後ほど話します。

繰り返しますが、あなたが影響を与えなければならないのは、最終結果であり、これから来るコマであって、出来事の流れや他人ではありません。とはいっても、あなたはこれまでの習慣で、出来事や他人に影響を与えようとするでしょう。あなたはまだすべてを自分の計画どおりに進めることに固執しています。でも、その習慣も私がやめさせてあげますからね。

本当にあなたはなんて退屈な頑固者なのでしょう! 解剖しちゃってもいいんですよ。害虫のように画用紙にホチキスで留めたり、ホルマリン入りの瓶に入れて他の生物への見せしめにしたりしてもいいのです。礼儀正しく行動することを忘れないで。私はタフティ、あなたの巫女。忘れないで。私を称え、崇拝し、絶対に怒らせることのないように!

『世界が変わる 現実創造のメソッド』 LESSON 12〜14 より ヴァジム・ゼランド:著 監訳:成瀬まゆみ 訳:モリモト七海 SBクリエイティブ:刊

私たちが変えることができるのは、あくまで「未来のコマ」です。
「未来のコマ」が変われば、そこに至るまでのコマもすべて変わります。
つまり、映画そのものが変わるということですね。

「現在のコマ」は変えることができませんから、それを経験しないわけにはいきません。
しかし、そのコマの中でどのように存在するかは、私たち自身が決めることができます。

映画の中の登場人物として生きるか、それとも、演じている俳優として生きるか。
それが、まさに眠って生きるか、目覚めて生きるかの差です。

今流れている映画の中を与えられた台本で生きるのではなく、望む結末の映画の中を望む台本で自分で選んで生きる。
私たちも、ぜひ、そのような人生を生きたいですね。

現実は「パラドックスな鏡」である!

ゼランドさんは、現実では、鏡のように、常にあなたのすべての精神的な態度や行動が映し出され自分が出しているメッセージどおりに、反応が返ってきて、出したものがあなたに返ってくると指摘します。

 あなたは覚えていないと思いますが(忘れてしまっていますよね?)、すでに述べたように、ぼーっと眠っている状態でも、ある程度は自分の現実を構築しています。意識して意図を持って三つ編みを起動させているときほど効果的ではありませんが、それでもなにがしか構築しているのです。特に何かに対して思いきり抵抗しているときは、そうです。現実は、原則として、鏡のような反応を示します。自分のしたことがそのまま返ってくるのです。

しかし、普通の鏡と違い、現実はパラドックスな鏡なのです。パラドックスと言ったのは、鏡をのぞき込んだときに、自分の姿が客観的には見えないからです。なぜなら、鏡に映っているのは、現在のコマ、つまり自分を取り巻く物理的な状況です。あなたの意識は、その鏡が映し出したものに完全に注がれています。つまり、あなたの本質が、登場人物のように映画に取り込まれ、本の中の挿絵のようにページに貼り付けられているということなのです。
映画の中の登場人物であるあなたには、鏡に映ったものを変えたり、動かしたりすることは一切できません。自分自身を動かすこともできず、あなたの本質は、現在のコマに溶け込んでいて存在していないのです。今の映画から、つまり鏡から意識をそらすことで、あなたは自分や物事を動かすことができるのです。

あなたの体は映画の中(映し出されたもの)と同じ側にありますが、あなたの意識は映画の外、本体と同じ側(つまり映画の保管庫側)に置くべきなのです。そうすると、鏡の前に立っている自分を見て、自分の考えや行動のすべてが反映されたものとして現実を見るのです。鏡の前に立ちながら、そうやって自分を見て初めて、映画の中で「すべてが自分の思いどおりになる」ように、自分を動かすことができるのです。

わからないだろうと思いますが(わからないですよね?)、今、話していることは、あなたの「プレゼンス(存在)」のことです。あなたは、あなたの意識そのものなのです。あなたは生きて存在しているか、ただのペーパー人間に成り下がっているかのどちらかです。映画の中であなたがプレゼンスを得るには、あなたの意識が、あなた自身と現実の両方を見ることができる観客席にあるときだけです。スクリーンが鏡でもあるのです。

通常のスクリーンや通常の鏡と、現実というスクリーンや鏡の違いは、現実では映像と鏡の反射が重なり合っていることです。あなたは自分の周りで一つの映像を見ているのであって、挟んではっきりと2つに分離された映像を見ているのではありません。しかし、だからといって物事の本質は変わりません。あなたを取り囲む現実は、あなたの思考と行動によって創り出されています。スクリーンや鏡の前に立って、意識的に自分を動かすなら、スクリーンや鏡にはそのように映ります。そうすれば、実質的に自分の映画、つまり、自分の現実を創っていることとなります。

自分の映画を流すために、第1にすべきことは、目を覚まして、プレゼンスを得ることです。映画の中で自分に命が宿ったと想像してみてください。いつものように映画を観ているのではなく、映画の中で生きるのです。それを感じてください。目を開けて、自分を取り巻くすべてのものを新鮮に見てください。見方を変えてみてください。色彩がより豊かになっていることに気づくでしょう。そして今、自分が映画の登場人物ではなく、客観的な部外者であると感じてみてください。あなたは映画関係者として、この映画に参加しています。誰もそれには気づきません。気づいているのはあなただけです。体は映画の中にいますが、意識の上では映画の外にいます。その存在、そのプレゼンスを感じてください。

第2にすべきことは、他人や現実に何かを望み、期待し、求める前に、自分が鏡の前に立っていることを想像し、次の質問を自分に投げかけてみることです。「この世界でうまくやっていくためには、鏡に映っているものに対して、私は何をすべきなのか?」と。あなたは自分で一歩を踏み出さなければなりません。いつものように布団をかぶって引きこもったり、「ちょうだい! ちょうだい! ちょうだい!」と叫んだりするのではなく、目を覚まして、現実という鏡があなたの動きをただ繰り返しているだけだと気づくのです。そして、何かを受け取りたければ、まず同じようなものを与えなければなりません。それが何であるのかは、実は重要ではありません。単純にあなたの「ちょうだい」を「あげる」という反対の言葉に置き換えるのです。そうすれば、まるで魔法のように、あなたが欲しかったものが鏡面に映し出され、それを受け取ることができるでしょう。あなたが与えたものが、あなたに返ってくるのです。
(中略)
これまで述べてきたように、行動するときはいつも現実の鏡のような性質と折り合いをつけなければならないということです。何かを求めたり、周りに何かを要求したりする前に、プレゼンスを得て、自分自身に問いかけてみてみてください。「鏡に映っているものの方から歩み寄ってくれるようにするためには、どうしたらいいのか?」。もちろん、その答えはあなたから「最初の一歩を踏み出す」ことです。あなたの最初の一歩とは何でしょうか?

愚かなカタツムリは、普通の鏡の前に立って自分の姿を見ているときにしか自分の行動について考えません。しかし、黄金に輝くあなたは、とても頭がいいので(少なくともずる賢いので)、わかっていますよね。あなたは常に「現実は鏡である」ことを考慮し、行動しなければならないのです。たとえ鏡が見えていなくても、です。

たとえば、あなたは愛と優しさを必要としているとします。鏡の前に立っている自分を想像してみてください。愛と優しさが鏡に映るように、行動するのです。あなたはどのように動けばいいのでしょうか? 愛を求めるのではなく、愛を放ち、自分のほうから愛するのです。優しさを求めるのではなく、魅力を放ち、周りの人に優しくするのです。

この原則を自分で試してみてください。あなたを愛している人と、愛を求めている人。あなたに無償で与える人と、何かを求めている人。あなたに純粋に興味を持ってくれる人と、関心を引こうとする人。どちらを魅力的に感じますか?

以下の表を参考にして、あなたが望む映像を構築してください(下の表1、表2を参照)。

あなたの思考と行動の横に「不足している」というマイナス記号ではなくて、逆にプラス記号(十分あってあふれている)をつけて並べるだけです。あなたのすべての「ちょうだい」にはマイナス記号がついているので、効果がないか、むしろ逆効果になってしまっているのです。同様に、ネガティブな思考や行動は、ブーメランのように自分に返ってきます。

どこからともなく自分の頭にブーメランの嵐が降ってくるのは嫌ですよね? だから、鏡に向かってブーメランを投げてはいけないのです。鏡はすべてを正確に映してくれるとはかぎりません。あらゆる不幸の因果関係は、必ずしも明確にわかるものではありません。ただ一つ避けられないことは、ブーメランは遅かれ早かれ何らかの形で戻ってくるということです。誰かを傷つけけたことがありますか? それは墓穴を掘っているようなものですよ。誰かにいいことをしましたか? それなら、きっといいことがありますよ。

それでは、具体的に映像構築メソッドの説明をしましょう。誰かに何かを求めている自分に気づいたら、すぐに目を覚まして鏡の前に立ってみましょう。望みを叶えたいと思うなら、あなたは何をする必要があるでしょうか。そうです、あなたが欲しいと思っているまさにそのものを他の人に与えるのです。

1 「他の人に何かを与えてもらいたい」と思ったときに使う。
2  プレゼンスを得る。「欲しがるのは無駄なこと、与えなければならない」。
3 「同じようなものとして、何を与えられるか?」と自問する。
4  同じようなものを見つけたら、すぐそれを先に与える。
5  同じようなものが見つからなければ、とにかく与える。

自分が受け取りたいと思っているものを、相手に与えることが必ずできるとはかぎらないし、適切ではない場合もあります。しかし、褒め言葉から贈り物まで、相手が必要としているもの、相手を喜ばすものは提供できます。相手が必要としているものを見極めるのは難しいことではありません。心からの関心を示すことです。相手の欲しいものが見つかれば、後は簡単です。相手の必要を満たすようにするだけですから。

映像構築の大原則はこれだけです。「世の中に文句を言うよりも、愛せ」。現実に必要なものは、「愛」だけです。ただ、その言葉は正しい文脈で受け止められていなだけなのです。あなたは周りの人に愛されたいと思っています。「愛されて初めて、この世界を愛せるのに」と。でも、それは逆なのです。何の見返りも求めることなく、まず自分から愛を放ちます。そうすることで、初めて愛があなたのもとにやってくるのです。

自分からは何も与えずに、あなたの愛を喜んで利用する人もいるでしょう。そのような人からは離れて! そんな人たちは、あなたの人生には必要ありません。さあ、私の愛しい人、もっと近くに来なさい! 私はタフティ、あなたの巫女です。

(中略)

これから起こる現実を自分で構築する以外に、現在のコマでできることは「自分を構築する」ことです。自己成長に力を注ぐことができ、映像構築メソッドを使いこなせるなら、カタツムリの中では最強です。

現状のコマを変えようとする努力、つまり現状の流れに直接影響を与えようとするちっぽけな努力は、何の役に立たないばかりか、逆効果になるだけです。他人に影響を与えようとすることも無意味です。彼らはあなたと同じように、台本に書き込まれている登場人物です。考えてみてください。誰かがあなたになんとか影響を与えようとしたとして、それは可能ですか? あなたが望まないかぎりは、無理ですよね、私のかわいい頑固者さん。
映画の出来事の流れを変えるには、映画自体を取り替えればいいのです。映画の中からで無理です。間接的に人に影響を与える唯一の方法は(ここでは強制的な方法はもちろん考えていません)、鏡の原理に基づいて人との関係を築くことです。自分がしてほしいと思っていることを、他の人が自然にやりたくなるには、この方法しかありません。

あなたがしてほしいと思うことを、なぜ他の人はしたくなったり、欲しいものを与えてくれようとしたりするのでしょうか。現実にはそういう特徴があるからです。現実は映画のようでもありますが、それだけではありません。現実は鏡のようでもあるのです。映像を構築することは、現実を構築するのと同じように効果があります。メカニズムは違いますが。あなたがこれから来るコマを構築するようには、他人の行動は決めることができません。

ゴールのコマを構築する際に、ある人を無理やり自分の曲に合わせて踊らせようとしても、うまくいかないか、逆効果になります。それはあなたが二重にルールを破っているからです。つまり、あなたは自分の台本だけではなく、他の人の台本のジャマもしているからです。

「あなたの現実」だけが、「あなたのもの」です。なので、こうなっていたいという自分の姿を、自分のゴールのコマの中心人物として描くのです。あなたはステージで輝くスターなのです。映画監督なのです。自分自身で自分の船を前に進めるのです。コマの中の他の人物は全員、背景であり、舞台装置の一部にすぎません。

覚えておいてください。自分の現実は自分自身で作ることができますが、他人の現実は作れないということを。あなたができるのは、彼らと鏡のような関係を築くことだけです。特定の人に何かを求めるのであれば、その人に会いに行き、現在の映画の中でその人とコミュニケーションを取ればいいのです。映画は鏡のようなものだと覚えておいてください。

たとえば、ある人を操って結婚させようとするのではなく、ゴールのコマの中で、抽象的に誰かを思い描き、その想像上の人物(理想のパートナー)と一緒にバージンロードを歩いたり、未来の家で、未来の家族と幸せに暮らしたりすることを想像するのです。そうすると、あなたの映画は別の映画に置き換わり、その映画の中で、誰かと出会い、そのセットが物理的に現実となっていきます。もし、あなたが特定の人を思い浮かべているなら、「その人と一緒の映画を撮ろう」とがんばる必要はありません。そんなことをやってもうまくいきません。それよりは、その人のところに行って、自分の映像を構築しながら、鏡に向かって話しかけるように話すのです。

最も重要なことは(何度も言いますよ! 忘れっぽいあなた、よく聞いてください!)、自分がどこにいるのかを忘れないことです。台本の指示のもとで行動している虚構の人物たちに囲まれて、あなたは映画の中にいるわけです。その映画は、取り替えが可能です。そして、同時に、その映画は鏡のような性質を持っています。その鏡は、映像と鏡に映った反射をわける、目に見える表面を持たないという点で、あなたを欺くものです。

あなたは、映画の中で目を覚まし、周りを見回し、自分で決めて現実に影響を与えながら、目覚めた人物として生き生きと歩き回れるチャンスを持っています。そうでなければ、まるで夢の中にいるように、ぼんやりとした霧の中にいて、台本どおりに動くかわいそうな他の登場人物たちと同じです。何にも影響を与えることができないのです。

もう一つ、あなたに覚えておいてほしいことがあります。それは、完全に台本通りに動いている夢の中の登場人物や、本能と台本に支配されている動物とは異なり、あなたには自己を認識する力が備わっているということです。その能力が目覚めることは滅多にないかもしれないし、たまに垣間見えるだけかもしれないですが、それでもあなたがその能力を持っていることに変わりはありません。そして、あなたは台本という外部の動力だけでなく、内面からの駆り立てる力にも導かれているのです。

その内面からの原動力とは何でしょう? それはとてもシンプルなのものです。それは、自分の価値を感じたい、自己実現したいという欲求です。この世界に誕生したばかりのあなたを想像してみてください。あなたは何をしますか? 何よりもまず、自分が無駄な存在ではないこと、無意味に生まれてきたわけではなくことを、自分自身や他の人たちに証明しようとしますよね。これが基本的に、あなたが人生でやっていることです。その形や手段は人によって違いますが、行動の基盤は同じです。
ここから、もう一つの効果的な鏡の原理が生まれます。ある人に好かれたい、何かをもらいたいと思ったら、その人の重要性を強調して、その人の自己実現のプロセスを助けるという目標を立てるのです。しばらくの間は自分の重要性を忘れて、他の人の重要性に集中しなければなりません。

逆説的ですが、ここではすべてが鏡です。自分が得をすることよりも、相手が得することを考えることで、自分が得をするのです。敵を作りたくないのであれば、誰かの自尊心を傷つけないようにしてください。

先に述べたように、他の人が利益をなすのを助けることを、自分の人生哲学の一部にすべきです。そうすれば、自分自身の自己実現に苦労することはありません。また、自己実現が成功するのは、それが他の人のためになるときだけです。逆に言えば、人のためにならないことは、自分のためにもならないということです。

『世界が変わる 現実創造のメソッド』 LESSON 22〜25 より ヴァジム・ゼランド:著 監訳:成瀬まゆみ 訳:モリモト七海 SBクリエイティブ:刊

表1 望むことを構築するためのリスト 現実創造のメソッド LESSON23
表1.望むことを構築するためのリスト
(『現実創造のメソッド』LESSON23) より抜粋)

表2 望まないことを構築しないためのリスト 現実創造のメソッド LESSON23
表2.望まないことを構築しないためのリスト
(『現実創造のメソッド』LESSON23) より抜粋)
 自分が手に入れたいものは、まず相手に与えろ。
自分が相手にしてもらいたいことは、自分が相手にすること。
現実は、自分自身を映し出す「鏡」。

昔から、よく言われてきた言葉ですが、宇宙の法則からも真理だということですね。

目に見えないが確実に存在する「鏡の世界」の性質をよく理解する。
そして、自分が思い描いた登場人物を演じ、望む現実を創り出しましょう。

「鏡への反射」を構築する

現実は本来、二面性を持っています。
それは一方では映画であり、もう一方では立体的な鏡だということです。

最もややこしいのは、現実の本当の姿が隠されているということです。
映像のある空間は見えませんし、鏡の枠も見えません。

しかし、ゼランドさんは、それを知り、現実は2つの面を持っていることを覚えておけば、幻影はあなたに対する力を失うと指摘します。

 普通の平面鏡の前に立つと、主体(自分)とそれが映し出された姿を同時に見ることができるので、両者の相関関係は明らかです。しかし、最初に鏡を見たときはどうだったのでしょうか? そのときの印象をもはや覚えていないでしょうが、自分と鏡に映った姿との関係性はわからなかったことでしょう。鏡の仕組みを理解していなかったあなたは、鏡に映った姿が自分だとは思わなかったはずです。
普通の鏡の幻影でさえ、あらためて考えると、今でも理解しがたいものです。しかし、現実という鏡の幻影は、もっと複雑です。空間は半分に分かれておらず、現実と永遠の保管庫の世界との間に目に見える境界線はありません。あなたは鏡の外も中にも同時にいるのです。

鏡は遅れて反応し、映像と鏡に映ったものとの間にあるはっきりした相関関係はわかりません。あなたが世界に向けて発信するメッセージは、どれも即座には反応せず、因果関係が常に明確になるものではありません。これがいかに巧妙なイリュージョンであるか、想像してみてください。そして一番巧妙な点は、現実が鏡ということを隠しているという点です。

それでも、このイリュージョンを上手に利用することができます。立体鏡の原理はわかり、主体と鏡に映っている反射の間に関係性があることもわかりました。これを利用して何ができるでしょうか? それは、あなたが作った映像が、鏡への反射として現れ、その鏡に映し出されたその姿をまた映像主体に戻すことができるということです。つまり、自分が持っていないものを持っているというフリをしたり、まだなっていない今の自分とは違う人間であると思い込んだりすることで、鏡に映った反射を映像に変えることができるのです。

たとえば、あなたは自分の家を持ちたいと思っています。それなら、まるで家があるかのように、家具やインテリア用品を見て回ってください。あるいは、お金持ちになりたいと思うなら、高価なもの、たとえば車、ヨット、スパリゾートなどを見に行ってください。自分の人生に豊かさを取り入れてみましょう。スターになりたいと思うなら、すでにスターであるかのようにふるまって、少なくとも想像上の世界では、そんな生活を送ってみてください。

ゲームや自己欺瞞のように感じても心配しないで。そのゲームに真剣に取り組んでいれば、現実はあなたを真剣に受け止めざるを得なくなります。つまりは、現実は鏡なのですから。忘れていましたか? あなたがすべきことは、「もし自分がその欲しいものをすでに手に入れていたり、なりたい自分になっていたりしたら」という気持ちを今ここで感じることです。フリをして、そのフリの中で生きるのです。ゲームをするのです。ただし真剣にね。これは決してジョークではありませんよ。
さて、次はどうなるでしょうか?

ゆっくりとですが、現実の様子が、あなたが信じているものに同調していきます。現実は幻想を作るのが好きですが、幻想を押しつけられる状態に耐えられません。現実は、あなたが作り上げた幻想を現実にする方法を見つけていくのです。
(中略)
前回のレッスンで話したことの意味について、もう少し詳しく説明しましょう。自分がまだ持っていないものを持っているように見せかけたり、自分がまだなっていない誰かであるようなフリをしたりすることで、鏡に現れている姿を映像主体に変えることができるということです。

ということは、あなたは主体となる映像だけでなく、鏡に映った姿をも作り出せることになります。第1のケースでは映像が鏡に映った反射として現れ、第2のケースでは、逆に鏡に映った反射が映像に取り込まれていきます。
なぜ一方が他方に現れるのか、なぜこのプロセスは双方向なのか。それは、立体鏡の中では、映像と鏡への反射が同時進行だからです。映像とは、現実に影響を与える能力を指し、あなた自身であり、あなたの思考と行動のことです。鏡に映し出された反射とは、あなたとあなたの周りの環境、つまりあなたの物理的な現実のことです。

第1(直接的な)プロセス:あなたがすることはあなたに返ってくるものであり、あなたが与えるものはあなたが受け取るものです。そしてあなたが誰であるかは、あなたが持っているもので決まります。

直接的結果:鏡への反射として映像が現れます。あなたが現実にメッセージを発信することで、映像主体が構築されます。あなたが与えるものを、あなたは手にするのです。

第2(逆方向の)プロセス:現実もゲームのようなものなのです。あなたがそのフリをすれば、手に入り、誰かの真似をすれば、あなたがその人になるのです。

間接的結果:鏡に映ったものが映像主体に取り込まれます。見せかけたり、フリをしたりすることで、あなたは鏡に映った反射を作り出します。あなたがその人のフリをすれば、実際にあなたはその人のようになれるのです。

鏡を使ったこれらのやり方を、ここでは「主たる自分を構築する」という言葉で表現しています。

現実を作ることと、映像主体や鏡への反射を作ることとの違いは何でしょうか? それは、現実を構築するときには、これからやってくるコマに光を当てますが、映像や鏡への反射を構築するときは、あなたは鏡を使って作業しているということです。つまり、現実の異なる側面を利用しています。最初の場合は、現実が映画である側面を、2番目の場合は現実が鏡である側面を使っています。メカニズムはそれぞれ異なりますが、結果は同じです。あなたの望むものが物理的な現実に現れます。

フリをすることで、物理的な現実の中で本当にそれが奇跡のように実現するのかと疑わしく思うかもしれません。でも、心配しないで、私のかわいい臆病者さん。現実はとても柔軟で、それを実現する方法を自分で見つけるでしょう。なぜなら、現実というのはさまざまなバリエーションのある映画だからです。また、現実は幻想的な鏡でもあり、幻影そのものなので、コントロールできるものなのです。あなたがすべきことは、現実の性質を理解して、それを正しく活用することです。

第1の必須条件:真剣にゲームに取り組むこと。
優れた俳優が役を演じるとき、彼らはその役になりきり、文字どおりその登場人物を生きます。役を演じるということは真剣なゲームです。あなたは、その逆のプロセスをたどるのです。現状に満足していないという登場人物から、想像上の登場人物の役を演じる搬入になるのです。そして、その役になりきることで、純粋にその存在に変化していくのです。これは鏡に映った反射が、映像主体に変わるという逆方向のプロセスです。

第2の必須条件:ゲームに一貫性を持たすこと。
現実という鏡に反応するものではありません。時間的に遅れがあるので、変化を起こすためには、目的を持って、計画的に、そして定期的に行動しなければなりません。現実と遊び始めたら、忍耐強くなければなりません。最初のうちは、すぐに結果が出ることを期待せず、とにかく手探りで行動する必要があります。結果は確実に現れますが、それは、あなたのゲームを観察している現実が、あなたより先に耐えられなくなった場合のみです。

鏡に映った姿を構築するということは、現実に対して自分の幻を作ることです。欲しいものがあれば、それをすでに持っているかのように装い、なりたい人がいれば、すでにその人であるかのようにふるまうということです。その役になりきり、真剣に演じきり、プロの俳優のように生きるのです。思考の中で、仮想空間の中で、そして可能であれば行動や現実の中で、自分が作り出した幻影を自分自身が完全に信じるまで、それを実践してください。あなたが信じれば、現実もそれを信じるようになります。そうすれば、奇跡が起こるのです。

そしてこの反射構築メソッドを、何度も何度も繰り返し実践するのですよ、私のかわいい退屈な人。

1 自分の思いに気づく。「あれが欲しい」「こんなタイプの人になりたい」。
2 プレゼンスを得る。望むことは無駄なので、構築していく。
3 望みを叶えたかのように、ふるまう。

具体的にどのようなフリをするかは重要ではありません。それは自分で決めてください。創意工夫を凝らすことです。私のアドバイスはいらないでしょう。あなたがクリエイティブになればなるほど、効果があります。

映像を構築するテクニックは、主に人との関係で使われ、鏡に映った姿を構築するテクニックは、主に現実との関係で使われます。人間関係ではフリをせず、誠実に、ありのままでいることがいいのです。しかし、現実という鏡の前では、好きなだけフリをしてもいいのです。もちろん、現実感覚を失いすぎないという限度は必要ですが。

鏡、そしてこれからやってくるコマと遊ぶだけでは十分ではありません。現在の映画のコマで、ゴールを実現するために必要なことはすべて行ってください。つまり、具体的な行動を起こす必要があるということなのです。夢を見ながらソファで横になっているだけではダメなんですよ。

『世界が変わる 現実創造のメソッド』 LESSON 25〜26 より ヴァジム・ゼランド:著 監訳:成瀬まゆみ 訳:モリモト七海 SBクリエイティブ:刊

私たちが「現実」だと認識している世界は、実は「鏡」のような性質を持っています。
しかも,それは現実側と映像側の両方に反射される鏡です。

二重の鏡であるこの宇宙の性質を理解し、反射構築メソッドを上手に使えるようにしましょう。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

タフティが語る、この宇宙の真理・法則と、それを用いた「現実創造のメソッド」。
それらは私たちの常識からは、かけ離れた突拍子もないものです。

頭で理解できても、行動に落とし込んで実生活で応用するのは、なかなか大変です。
まさに「言うは易く行うは難し」ですね。

まずは「気づきの中心点」に意識を向け、内部のスクリーンと外部のスクリーンの両方を同時に見る。
そして、意図の外部センターである「意図の三つ編み」を起動させ、現実を構築する。

できることからコツコツと。
続けることが何より重要です。

現実は、自分で構築し、創り出すもの。

実践すればするほど、それを実感できるタフティ・メソッド。
ぜひ、皆さんも本書を片手に試してみてください。

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