本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『LIFE SHIFT2(ライフ・シフト2) 』(アンドリュー・スコット、リンダ・グラットン)

お薦めの本の紹介です。
アンドリュー・スコットさんとリンダ・グラットンさんの『LIFE SHIFT2(ライフ・シフト2) 100年時代の行動戦略』です。

アンドリュー・スコット(Andrew J.Scott)さんは、ロンドン・ビジネス・スクール経済学教授、スタンフォード大学ロンジェビティ(長寿)センター・コンサルティング・スカラーです。

リンダ・グラットン(Lynda Gratton)さんは、ロンドン・ビジネス・スクール経営学教授です。

「100年に1度の変革期」をどう生きるか?

著者は、人類の歴史は,目覚ましい成功の歴史だったとし、こうした進歩を牽引してきたの、人類の発明の才だったと指摘します。

しかし,このような進歩の歩みはつねに円滑だったわけではなく、迅速だったわけでもなく、ときには、個人と社会に痛みがもたらされたり、長い時間がかかったり、激しい混乱を伴ったりしたこともありました。

 1万年前、人類が採集から農耕に移行したときもそうだった。この変化は、長い目で見れば人類を豊かに、そして健康にしたが、新しいテクノロジーが導入された結果として、何世紀にもわたり人々の生活水準が落ち込んだ。イギリスの産業革命のときも、同様の「時差」が生じた。テクノロジーの大激変が起きて最初の数十年間、多くの人の生活水準は向上しなかったのである。しかも、人々が味わったのは、経済的な痛みだけではなかった。心理的な痛みもあった。
工業化が進むに伴い、人々は家族や昔ながらのコミュニティを離れて、急拡大する都市に移り住むようになった。その際、支援を受けられず、安全も約束されない場合が多かった。そのうえ、新しいスキルを身につけ、それまでに経験したことのない役割とアイデンティティを、そして往々にして孤独な働き方を受け入れなくてはならなかった。このような変化を経験した人は、進歩の恩恵を実感できないケースが多かった。
農耕への移行と産業革命の進展の両方に共通する点がある。いずれの場合も、人間の創意工夫がテクノロジーの進歩を実現させ、それが既存の経済・社会構造を揺るがした結果、それまでとは異なるタイプの創意工夫が必要となったのである。それは、「社会的発明」とでも呼ぶべきものだ。技術的発明が新たな知識に基づく新たな可能性を生み出すとすれば、社会的発明は、新しい生き方を切り開くことを通じて、技術的発明の成果が個人と人類全体の運命の改善につながる環境をつくるためのものと言える。
問題は、技術的発明が自動的に社会的発明を生むわけではないという点だ。そして、社会的発明が実現するまで、新しいテクノロジーは、真の意味での恩恵をもたらせない。同時代の人たちの目を通して見るより、のちの時代から振り返って見たほうが進歩の恩恵をはっきり認識できるのは、それが理由だ。技術的発明と社会的発明のはざまの時代が不安と変化と社会的実験の日々になる理由もここにある。

今日の世界でも、技術的発明と社会的発明のギャップが広がり続けている。技術的発明が猛スピードで進む一方で、社会的発明が遅れを取っていて、社会のあり方(人々が生きる環境を形づくる構造やシステム)がテクノロジーの進歩に追いついていないのだ。いまの時代を生きている私たちは、テクノロジーが生み出しつつある素晴らしい可能性に目を丸くしつつも、それがもたらす社会的影響に不安も募らせているのが現状だ。
メアリー・シェリーの1818年の小説『フランケンシュタイン』では、ヴィクター・フランケンシュタイン博士がつくり出した生き物が人類に反乱を起こし、人間の命を奪う。今日の世界では、「フランケンシュタイン症候群」とでも呼ぶべき現象がしばしば見られる。人類が成し遂げた技術的勝利が人類に害を及ぼし、人類を進歩させるのではなく悲劇をもたらすのではないかという不安が広がっているのだ。強力なテクノロジーが次々と猛烈なペースで登場し、それまでの生き方が通用しなくなりつつある。その結果、私たちは働き口と生計の手段を失い、「人間とは何か」という認識まで揺るぎかねない。
メディアには、警告の言葉が溢れている。「2030年までに、自動化により全世界で8億人の雇用が失われる」とか、「アメリカの雇用の半分以上が危機にさらされている」といった具合だ。人々は、経済的な不安だけでなく、哲学的な不安もいだいている。
理論物理学者の故スティーブン・ホーキングはこう述べていた。「完全な[汎用]人工知能が開発されれば、人類の終わりが訪れかねない」。同様の懸念は、マイクロソフトの共同創業者であるビル・ゲイツや有力起業家のイーロン・マスクも述べている。シェリーの『フランケンシュタイン』は、人間の知識と発明に対する警告の物語と言えるかもしれない。
人間の発明の能力が不安を生み出しているのは、テクノロジーの分野だけではない。長寿化に対する強力な不安も広がっている。20世紀を通して、公衆衛生の目覚ましい改善と医学の驚異的な進歩により、人間の寿命は大きく延びた。20世紀はじめにイギリスで生まれた女の子の平均寿命は約52歳だったが、20世紀末にはそれが81歳に、2010年には83歳に上昇した。中国では、2050年までに65歳以上の人口が4億3800万人を突破する見通しだ。これは、現在のアメリカ総人口を上回る数字である。

日本でも、2050年までに国民の5人に1人が80歳を超すと見られている。
問題は、こうした進展が手放しでは祝福されていないことだ。社会の高齢化は、国家を破産させ、年金制度を崩壊させ、医療費を増大させ、その結果として経済を弱体化させると恐れられている。いま私たちは、人類の発明がもたらす結果に脅え、知識の拡大が自分たちの生活と幸福に悪影響を及ぼすのではないかと心配しているのだ。
こうした懸念は理解できるが、そのような発想は人類の可能性に枠をはめかねない。これまでの歴史から判断すると、人類は進歩の恩恵に浴するための手立てを見いだせるはずだ。テクノロジーが飛躍的に進歩することと、人々がより健康で長生きできるようになることは、悪材料ではなく、好ましいことと位置づけるべきではないのか。マサチューセッツ工科大学(MIT)の「エイジラボ」で所長を務めるジョセフ・カフリンの言葉を借りれば、「人類史上最大の成果を前にして、私たちは、医療保険制度が破綻する心配ばかりしている。それよりも、この成果を土台に、年齢を重ねる人たちのための新しいストーリー、新しい慣習、新しい神話を生み出すべきではないか」。
ただし、私たちがそのような恩恵を実感するためには、新しいテクノロジーと同じくらい、新しい社会のあり方も広く普及し、深く浸透し、大きな変革をもたらす必要がある。具体的には、ひとりひとりが創意工夫の能力を発揮することが不可欠だ。既存の規範を問い直し、新しい生き方を生み出し、ものごとへの理解を深め、実験をおこない、新しい可能性を探索すべきなのだ。政府、教育機関、企業などの組織も、創意工夫を通じて新しい社会のあり方を確立するという課題に取り組まなくてはならない。
そのような社会的発明の必要性を強く感じたからこそ、私たち2人はこの本を執筆することにした。テクノロジーの進化と長寿化の進展を受けて、人類は何を成し遂げたいのか、そして、向こう数十年にわたりどのように繁栄したいのか。この本がそうした対話のきっかけになれば幸いだ。本書では、読者が未来について考えるのを助け、新しい社会のあり方に興味をいだくように促し、すべての人に訪れる噴火と波乱を主体的に乗り切る手立てを提供したい。

未来予測では、かならずと言っていいくらい「ロボットの台頭」や「社会の高齢化」が強調される。これらの言葉には、ひとりひとりの個人とは無縁の現象という響きがある。機械の話にすぎないと感じられたり、まったくの他人事に思たりするのだ。しかし、見落としてはならない。変化が万人に好ましい結果をもたらすためには、ひとりひとりの創意工夫が不可欠だ。
テクノロジーの進化と長寿化の進展という潮流は、その全体を見れば個人とは関係がなさそうに思えるかもしれない。しかし、この潮流は、「人間とは何か」という点にきわめて大きな影響を及ぼす。本書で詳しく述べるように、その影響はさまざまな面に及ぶ。いつ結婚するか(そもそも結婚するのか)。家庭生活と職業生活をどのように組み合わせ、男女間でどのように家庭内の課題を分担するのか。何を、どのように、誰から学ぶのか。キャリアと職についてどのように考え、職業人としてのアイデンティティをどのように形づくるのか。人生のそれぞれのステージでどのように行動し、どのような人生を紡ぐのか。
こうした人生の土台を成す要素が変化することは避けられない。問題は、どのような変化を望むのかということだ。
いま膨大な数の人たちが同じジレンマに直面し、同じ問いを発しているなかで、社会的発明の肥沃な土壌が生まれつつある。はっきりしているのは、過去が未来への有効な道標にならないということだ。過去の世代が選んでいた古い選択肢は、おそらくもう有効ではない。これまで人生の枠組みとして有効だった社会の仕組みも、役に立たなくなっているのかもしれない。あなたは、変化の潮流を知り、その知識に基づいて行動する勇気と意欲をもつ必要がある。あなたがいま何歳だとしても、テクノロジーの進化と長寿化の進展の影響により、未知の環境に身を置くことになる。そこで、ひとりひとりの個人が、家族が、そして企業や教育機関や政府が実験に取り組む意思をもたなくてはならない。
要するに、誰もが社会的開拓者として、新しい社会のあり方を切り開く覚悟をもつ必要がある。これが本書の核を成すメッセージである。

『LIFE SHIFT2』 はじめに より アンドリュー・スコット、リンダ・グラットン:著 池村千秋:訳 東洋経済新報社:刊

産業革命以来の大変革期。
私たちは、そう言われているくらい、急激な変化の時代を生きています。

本書は、長寿化の進展とテクノロジーの進化の凹形に最大限浴するために、個人と社会がどのように行動すればいいのかをわかりやすくまとめた一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「人間が機械に勝てる分野」とは?

現代の、AIとロボット工学の空前の進歩。
それは、次の4つの法則の効果の組み合わさった結果として説明できます。

・ムーアの法則・・・半導体大手インテルの共同創業者であるゴードン・ムーアが提唱した、コンピュータの処理能力が18カ月に2倍のペースで上昇していくという予測


・ギルダーの法則・・・アメリカの経済学者・未来学者ジョージ・ギルダーが提唱した、データのやり取りをするための周波数帯域幅は、コンピュータの処理能力の少なくとも3倍のペースで拡大していくという予測。


・メトカーフの法則・・・有線LAN規格イーサネットの共同発明者であるロバート・メトカーフが提唱した、ネットワークの価値は、接続しているユーザーの数の2乗に比例するという理論。


・ヴァリアンの法則・・・グーグルのチーフエコノミストであるハル・ヴァリアンが指摘した、活用できる既存のテクノロジーが多彩であればあるほど、それらを組み合わせて有益なものを生み出せる可能性が高まるという理論

著者は、それによって生まれるのは、新しい製品だけではなく、新しい仕事のやり方が生まれ、新しい産業が台頭し、新しい価値観が出現し人々が就く職の性格も劇的に変わりはじめていると指摘します。

 人類は長い歴史のなかで、自分たちの物理的な力を強化したり代替したりする道具をしばしば発明してきた。石斧、車輪、ジェニー紡績機などはすべて、そうした発明だ。しかし、人間の知的な力を強化したり代替したりする機械は、これよりはるかに革命的な発明であり、その機能を理解することは簡単ではない。近年は、AIの進歩により、それまで人間の守備範囲だった認知プロセスの領域にもテクノロジーが足を踏み入れはじめている。
知ってのとおり、高機能の機械はしばらく前から存在した。パーソナルコンピュータで動く史上初の表計算ソフト「ビジカルク」が発売されたのは1979年のことだ。このソフトウェアは、大きな紙を広げて計算する作業を過去のものにした。それまでは、279ミリ×432ミリのレジャー・サイズの大判の紙に、事務員が数字を書き込んで計算していた。これでは途方もない時間がかかるし、人為的ミスも避けられなかった。これ以降の機械の進歩には、目を見張るものがある。今日の機械は、あらかじめ与えられたルールに従って特定の課題を処理するだけではなく、目標を達成するために独自の判断をくだすようになっている。
こうした飛躍的な進歩を可能にしたのは、機械学習(ML)だ。機械学習では、アルゴリズムによる逐次的計算(「もしも〜〜なら、〜〜」)ではなく、たいていニューラルネットワークを活用する。そのため、機械が問題を理解し、状況の変化にも適応できる。この面でAIは人間の脳の働きを一部模倣しているが、人間よりも作業のスピードが速い。機械学習には、前述した4つの法則により膨大な量の情報を瞬時に伝達・処理できるようになったことの恩恵が全面的に生かされている。
2016年に、「アルファ・ゴ(AlphaGo)」というプログラムが、囲碁の世界タイトルを18回獲得した囲碁棋士イ・セドルに勝利を収めた。このプログラムは、2014年からグーグル傘下に入っていたイギリスのAI企業「ディープマインド」が開発したものだ。「アルファ・ゴ」には、数世代のバージョンがある。「アルファ・ゴ・リー」と「アルファ・ゴ・マスター」は、囲碁のルールと過去の対極に関する知識を与えて、人間の専門家が指導することによって訓練された。
それに対し、「アルファ・ゴ・ゼロ」は、囲碁のルールだけを教えられて、あとは自己対局で腕を磨くよう指示された。要するに、「ゼロ」はみずからの先生役も務めたのである。「ゼロ」は40日間で2900万回の自己対局をおこない、人間の棋士の追随を許さない大規模なデータベースをつくり上げた。その過程では、わずか4日で「リー」を凌駕し、34日で「マスター」を破るまでになった。
興味深いのは、「ゼロ」の繰り出す戦略が人間の棋士とは質的にまるで異なるものだったことだ。「まったくの白紙状態から出発した『アルファ・ゴ・ゼロ』は、わずか数日の間に、囲碁に関する既存の知識の多くを自力で見いだしたばかりか、新しい戦略も編み出した。それにより、世界最古のボードゲームに新しい発見がもたらされた」と、開発チームは記している。
「ビジカルク」が複雑な計算を素早く正確におこなうようプログラムされていたのに対し、「アルファ・ゴ」は、対極に勝つという目的を追求するよう指示されている。その目標に向けて、ある意味でみずから判断をくだし、意図をもって行動することにより、人間の能力を超越する結果を生み出しているのだ。
このようにテクノロジーの能力が高まり、テクノロジーを活用する人たちの目的が変わって、人間の労働の代替と増強が進む結果として、仕事の性格は大きく変わる。その影響は、レジ係やトラック運転手にも、弁護士やファイナンシャル・アドバイザーにも及ぶ。当然、雇用が失われるリスクは避けられない。表計算ソフトの登場により焼失した帳簿係の職は、約40万人に上るという。
シドニーで働く会計士のインは、身をもってそれを体験した。勤務先の会計事務所がAIに投資したことで、彼女がマネジメントしていた経理処理部門で必要とされる社員の数が大幅に減ったのだ。65歳まで働いて引退するつもりでいたが、まだ55歳なのに、6カ月後の解雇を言い渡されてしまった。インは大学で会計学を学び、大学院でも勉強を続けて公認会計士の資格も取得していた。申し分ない資格をもっているという自負があった。
ところが、次の色を見つけるためにいくつかの求人に応募しても、一度も面接まで進めなかった。以前は、テクノロジーの影響を最も受けるのは教育レベルの低い層だったが、インは専門職の資格をもっているにもかかわらず苦しい状況に置かれている。
ロンドンのスーパーマーケットでレジ係をしているエステルも、同様の問題に直面している。勤務先の店では、セルフサービス型のレジを利用する客が増えている。アマゾンが経営する無人コンビニエンスストア「アマゾン・ゴー」のように、自分が働く店も遠からずレジ係を置かなくなると、エステルは感じている。不安は募るばかりだ。離婚した夫から受けとっている金はごくわずかにすぎない(しかも、その元夫も、機械の導入により倉庫作業の職を失った)。スーパーマーケットの給料を補うために、夜は地元の老人ホームで働いている。老人ホームでフルタイムの仕事に就いたほうがいいと、友人たちは言う。しかし、そのためには、2年かけて資格を取得しなくてはならない。実はこれまでに2度、夜間のコースを受講したが、長続きしなかった。現在は、再び学校に通う時間も予算もないと感じている。
インとエステルの経験は、テクノロジーの進化と長寿化の進展が一体化したとき、社会がどれほど大きな教育上の課題に直面するかを浮き彫りにしている。教育機関が進化を遂げ、新しいタイプのコースを開講し、支援を提供して、人々がそうした課題に対処するのを助けなくてはならない。政府も教育への関与を強めて、生涯を通じた学習を支援すべきだ。

もし前述の4つの法則が続けば、今後もテクノロジーはさらに目覚ましい進歩を重ね、いま「ビジカルク」が古臭く思えるのと同じように、「アルファ・ゴ」が物足りなくて冴えないものに感じられる時代がやって来るだろう。現在のコンピュータは、チェスや囲碁やポーカーといった特定の課題を処理することには長けているが、人間のような知性はもっていない。人間の脳は、問いを発し、仮説を立て、さまざまな問題に同時並行で取り組み、未来の可能性をいくつも思い描く能力がきわめて高い。テクノロジーが目指す究極の目標は、人間が実行できる知的課題をすべておこなえる機会を生み出すこと、つまり「汎用人工知能(AGI)」の開発ということになる。
AGIが誕生すれば、そのとき、いわゆる「シンギュラリティ(技術的特異点)」が訪れる。機械がその機械自体よりも高性能の機械を発明する能力をもつようになることで、テクノロジーの進化が猛烈に加速し、ついにはあらゆる面において機械が人間よりはるかに高い能力をもつ日がやって来るのだ。
こうした未来について考えるうえで重要なのは、AIとAGIの違いを理解することだ。未来の経済と社会に関して、そして人間の存在意義に関して、とりわけ暗い未来予想図の多くは、AGIの登場を前提にしている。確かに、AGIが生まれれば、機械があらゆることで人間を凌駕するという、ぞっとする世界が出現する。しかし、少なくとも現時点では、人工知能の研究はそのレベルにまったく達していない。ほとんどのAIがごく簡単なテストにすらつまずくのが現状だ。たとえば、ウェブサイトへのログイン時にユーザーが(コンピュータではなく)人間であることを確認するために用いられる「CAPTCHA」と呼ばれるテストで、写真の中の道路標識を読み取ることにも苦労する。
AGIがいつ誕生するのか、そもそも誕生する日が来るのかは、激しい議論の対象になっている。マサチューセッツ工科大学(MIT)のマックス・テグマークが紹介している調査によれば、コンピュータ科学者の間でも、数年先には誕生するという人がいる一方で、誕生する日は来ないと予測する人もいる。専門家の予測を平均すると、2055年までにAGIが出現するという。現在60歳より若い人たちは、まだ生きている間にその日を迎える可能性があるのだ。しかし、そのときまでは人間が機械より優位に立ち続ける。
AIの進歩に伴い、どのようなスキルや仕事で人間が機械に勝てるかも必然的に変わっていく。カーネギー・メロン大学ロボティクス研究所のハンス・モラベックは、これを「人間の能力の風景」という比喩で説明している。海の中に島がいくつか浮かんでいる地図を思い浮かべてほしい。この地図では、土地の標高の高さは人間の能力の高さを表現し、海水面の高さは、その時点でのAIが到達したレベルを表現している。時間が経つにつれて海水面が上昇し、より多くの土地が水没する。AIの能力が高まり、人間が機械に勝てる領域が減っていくのだ。
すでに水没した領域には、表計算、パターン認識、チェスや囲碁などが含まれる。現在、翻訳、投資判断、音声認識、運転といった島の岸辺に海水が押し寄せはじめている。あなたがこの本を読む頃には、これらの島はもう水没しているかもしれない。
最初に機械に取って代わられたのは、定型的でプログラム化可能な課題を実行する能力だった。それに対し、機械に代替されにくいのは、より人間らしい活動をおこなう能力だ。具体的には、人と人とのやり取り、ケアと思いやりが必要な活動、マネジメントとリーダーシップ、創造とイノベーションなどである。この点を頭に入れて、ひとりひとりがより標高の高い場所を目指すべきだ。AIの守備範囲が広がり、人間が優位に立っていた領域がますます縮小していくなかで、水没から逃れるために、その必要があるのだ。やがてAGIが登場したとしても、このような標高が高い領域の能力をもっていれば、絶対的な能力では機械に勝てなくても、機械との役割分担が成り立って、職を失わずに済むだろう。
向こう数十年の間に、雇用とキャリアを取り巻く状況は大きく変わっていく。ヒロキの父親は、職業人生を通してひとつの会社で働き続けた。いま20代前半のヒロキは、自分がそのような人生を送ることを想像できない。テクノロジーが力強く進歩していることを考えると、1種類のスキルで職業人生を乗り切れるとは考えにくい。それに、テクノロジーは企業の世界も大きく変えている。いまどこかの会社に就職したとしても、その会社が自分の引退まで存続するとは思えない。
テクノロジーの驚異的な進歩は、雇用だけでなく、働き方も変えつつある。インドのムンバイに住むラディカは、世界規模のギグ・エコノミーの一員だ。フリーランスとして世界中の企業の仕事を受注し、出来高払いで報酬を受け取っている。昔ながらの会社員の経験はない。フリーランスである以上、いつも次の仕事を積極的に探さなくてはならない。この働き方は確かに自由だし、自分でものごとを決められるという利点がある。しかし、旧来型の雇用関係で働く友人たちと違って、能力開発や昇進や研修の機会はない。雇用主と長期的な関係を築く旧来型雇用が消失しつつある世界で、キャリアをどのように設計し、構築していけばいいのかと、ラディカとヒロキは考えている。

『LIFE SHIFT2』 第1部第1章 より アンドリュー・スコット、リンダ・グラットン:著 池村千秋:訳 東洋経済新報社:刊

AGIは誕生するのか、「シンギュラリティ」が訪れる日は来るのか。

その結論は、まだ出ていないのは事実です。
しかし、今後も、AIの能力は急激に進化し、人間に取って代わっていくことは間違いありません。

AIの能力の高さを示す海水面は上昇し続け、人間の領域である島の部分はどんどん狭くなっていく。

私たちは、その中でより標高の高い安全な場所を目指して、移動する必要があります。
これまでのように、一つの場所で、一つの仕事をしていればいいというわけにはいかなくなるということですね。

「長寿時代」の到来!

著者は、ここ100年以上、ベストプラクティス平均寿命は、10年間に2〜3年という驚異的なペースで上昇してきたと指摘します。

ベストプラクティス平均寿命とは、それぞれの年の平均寿命1位の国の平均寿命のことです。

 このペースだと、いま先進国で生まれた子どもは、100歳以上生きる確率が50%を超す。もし平均寿命の上昇ペースが半分に落ちたとしても、いま生まれた子どもが100歳まで生きる確率は30%を上回る。年齢層別に見た場合、いま世界で最も急速に人口が増えているのは、100歳以上の層なのである。
マドカは20代の日本人女性だ。日本人女性は、現在世界で最も平均寿命が長い。イギリスやアメリカでは平均寿命が近年下落しているが、日本の平均寿命は上昇し続けている。2010年から2016年までの間に、65歳の日本人女性の平均余命は、1年に8週間のペースで延びてきた。このペースでいけば、10年間で約1.5年寿命が長くなることになる。
マドカは世界有数の先進国の住民だ。では、インドで暮らすラディカには、どのような未来が待っているのか。ラディカが100歳まで生きる確率は、マドカより小さい。それでも、インドのような途上国では、豊かな国々を上回るペースで平均寿命が上昇している。ラディカは、自分の両親より大幅に長生きする可能性が高い。インドではこの半世紀の間に、平均寿命が26歳延びた(中国では24歳上昇)。10年ごとに5歳ずつ平均寿命が延びている計算になる。予想される人生の長さが大きく変わったことで、両親の世代がくだした人生の選択は、ラディカにとってほとんど参考にならなくなった。マドカとラディカは、両親や祖父母がする必要のなかったことに取り組む必要がある。100歳以上生きる前提で人生を設計して、老後の生活資金を確保しなくてはならないのだ。

ラディカとマドカは、寿命が延びることを歓迎しているが、長い人生を健康に生きたいという思いが強い。71歳のクライブは、同じくらいの年齢だったときの両親よりはるかに健康で、長いきすることを楽しみにしている。健康であり続ける可能性を最大限高めるために、引退後の日々をどのように過ごせばよいのだろうと、クライブは考えている。
幸い、ほとんどの国の人々は、平均寿命が延びたことにより増えた日々の半分以上を健康に生きている。平均寿命が上昇しても、健康に生きられる期間が人生全体に占める割合は少なくとも減っていない。むしろ、多くの国ではその割合が大きくなっている。たとえばイギリスでは、2000年から2014年までの間に平均寿命が3.5年延びた。イギリスの人々は、このうち2.8年を(自己申告によれば)健康に生きている。ある研究によると、2035年には、イギリスの65〜74歳の80%以上が慢性疾患なしで生きるようになるという。この割合は現在69%だ。同じ年までに、75〜84歳の人も半分以上(58%)が慢性疾患なしで生きるようになると予測されている。こちらの割合は現在50%だ。
このように老いのあり方が改善された結果、長寿化により増えた人生の日々は、長い人生の最後に挿入されるだけの日々にはなっていない。虚弱な状態で生きる年数が増えているわけではないのだ。中年期の後半と老年期の前半が長くなったと言ったほうが実態に近い。
問題は、長生きすれば、アルツハイマー病、癌、呼吸器疾患、糖尿病などの非感染性疾患を患いやすくなることだ。複数の病気を同時に患う可能性も高まる。いくつかの「併存病」を持つ人が増えていくのだ。しかし、誤解してはならない点がある。確かに、現在の50歳と80歳を比べれば、80歳のほうが非感染性疾患や併存病を患っている人の割合が大きい。それでも、時代とともに高齢者の健康が改善してきた結果、今日の80歳は20年前の80歳に比べて病気を患っている人の割合が小さい。
マドカとラディカは、両親やクライブの世代よりさらに長く生きる前提で人生の計画を立てるべきなのだろうか。テクノロジーのイノベーションとムーアの法則に関しては、過去のトレンドが将来も続くとは思えないと主張する人たちがいる。長寿化について研究している人たちの間にも、同様のことを述べる論者もいる。一部の専門家によれば、人間の平均寿命はすでに天井に達していて、糖尿病や肥満、薬剤耐性菌・薬剤耐性ウイルスの増加などにより、むしろ今後は平均寿命が短くなるという。また、進化のブロセスを通じて多くの遺伝子異常が取り除かれてきたことは事実だが、高齢者がその恩恵を受けるわけではないと指摘する論者もいる。この指摘がもつ意味は大きい。高齢者か次の年まで生き続ける確率の上昇ペースが加速しない限り、いままでのような空前のペースでベストプラクティス平均寿命が上昇し続けることはないからだ。
しかし、こうした悲観的な想定での下でも、今日生まれた子どもの多くは90代まで生きても不思議ではない。所得レベルと教育レベルが高く、健康的なライフスタイルを実践している人ほど、長生きする可能性は高まる。
それに、平均寿命の上昇が頭打ちになりつつあると考える専門家がいる一方で、長寿化の進展はまだ続くと予測する専門家もいる。興味深いのは、未来学者たちがテクノロジーの進歩のペースを過大評価する傾向があるのとは対照的に、政府の統計専門家たちがこれまで平均寿命の上昇ペースを過小評価してきたという点だ。図1−1(下図)を見てほしい。ここに示したのは、これまでイギリス国家統計局(ONS)が発表してきた男性平均寿命の予測(発表年別)」と、実際の男性平均寿命の推移だ。この図から明らかなように、政府は一貫して平均寿命の上昇ペースを過小評価し続けてきたのだ。
科学者の間では、未来の平均寿命の上昇に関してこれまでになく楽観的な見方が強まっている。その背景には、多くの病気を老化の産物と位置づける考え方への転換がある。この新しい発想の下、老化の原因を探る研究が活発になってきた。そうした研究が進めば、やがて老化のプロセスを減速させたり、逆転させたりする道が開けるのではないかという期待が高まっているのだ。研究が実を結べば、平均寿命の上昇ペースが加速することもありうる。ことのほか楽観的な研究者のなかには、いわゆる「寿命回避速度」への到達を予測する人たちもいる。これは、毎年、平均寿命が1年以上延びるようになることを意味する。もしこれが実現すれば、人類は不死の世界に突入する。
いつか人が500年や1000年生きる時代が来るとすれば驚愕せずにいられないが、差し当たり老化研究がなんらかの恩恵をもたらすとすれば、その恩恵はおそらく、慢性疾患や非感染性疾患を発症する高齢者の割合を減らすことによる健康寿命の延伸だろう。それにより、人生の終わりまで健康に生き続けられるという素晴らしい可能性が出てくる。
このような研究の根底にあるのは、人の老い方を変えることは可能だという考え方だ。昔、骨粗鬆症やアルツハイマー病の症状は、老いの当然の結果と考えられていた。しかし、いまでは、これらの症状は世界保健機構(WHO)により正式に病気と位置づけられている。いずれは、老化のプロセスそのものも病気として治療される日がやって来るのだろうか。
もし老化を「治療」できるようになれば、それは、人間の発明の能力が生み出した輝かしい偉業のひとつと言える。実は、魅力的な研究成果がすでに生まれている。研究では、線虫の寿命を10倍に延ばすことに成功しているほか、マウスや犬の寿命も延ばせている。問題は、こうした成果を人間でも再現できるのかどうかだ。
研究は進展しているが、「寿命回避速度」へ到達する兆候はまだまったく見えてこない。そもそも、人間を対象に実験をおこなうことは容易ではない。実験が成功したかどうかがわかるのは、その人の人生が終わるときだ。そのため、実験にはどうしても長い年数がかかる。それでも、このテーマへの関心が高まり、研究が活発化していることを考えると、やがて老化の治療法が開発されて、人の健康寿命、ことによると寿命そのものが延び続ける可能性もありそうだ。ベストプラクティス平均寿命が過去半世紀と同様のペースで上昇し続けるためには、このような科学的進歩が欠かせない。

『LIFE SHIFT2』 第1部第1章 より アンドリュー・スコット、リンダ・グラットン:著 池村千秋:訳 東洋経済新報社:刊

図1−1 平均寿命の予測と実際 LIFE SHIFT2 第1部第1章
図1−1.平均寿命の予測と実際
(『LIFE SHIFT2』 第1部第1章 より抜粋)

ここ100年の人類全体の平均寿命の上昇ペースが、10年に2〜3年で続いているというのは驚きです。
「人生100年時代」と言われて久しいですが、それが統計学上からも裏付けされています。

平均寿命の上昇ペースは、これからも早まりはすれども、止まることはないでしょう。
これからは、人生100年どころか、150年とか200年という時代が来るかもしれません。

寿命が延びるのは、歓迎すべきことではあります。
ただ、一昔前までのように「60歳で定年退職して、その後は悠々リタイア生活を送る」というようなライフプランは成り立たなくなります。

生き方や働き方を根本から変える必要があることが、平均寿命のデータからもわかりますね。

「時間に対する考え方」を変える

健康寿命が長くなれば、私たちに与えられた人生の時間も長くなります。

私たちがそれを生かせるかどうかは、時間という概念をどのように考えるか、そして、その考え方をどのように変えていくかによって決まります。

図3−3 時間に関する 丘のてっぺん型 の視点 LIFE SHIFT2 第2部第3章
図3−3.時間に関する「丘のてっぺん型」の視点
(『LIFE SHIFT2』 第2部第3章 より抜粋)
図3−4 時間に関する 鳥の目型 の視点 LIFE SHIFT2 第2部第3章
図3−4.時間に関する「鳥の目型」の視点
(『LIFE SHIFT2』 第2部第3章 より抜粋)

 あなたは、時間に関して図3−3(上図)のような見方をしているかもしれない。自分が丘のてっぺんに立っていて、前方には未来があり、こうした「丘のてっぺん型」の視点の持ち主には、目の前の現在が、過去や未来など、ほかのすべての時点よりも重要に感じられる。
その一方で、遠くにあるものほど小さく見えるのと同じように、遠くの時点はあまり切実に感じられない。この場合、あなたの関心はもっぱら、現在の状況と近未来の行動にある。人生全体でどのように時間を割り振るかを決める際に、目先の損得や間近に迫った出来事にばかり目が行きがちになるのだ。こうした現象は、行動経済学では「現在バイアス」という言葉で説明されている。
これとは別の視点もある。言ってみれば、「鳥の目型」の視点だ。この場合、図3−4(上図)のように、あなたは上空から下を見下ろしている。真上から見た地上の地形は平坦に見える。地上のすべての場所がーー時間に関して言えば、過去と現在と未来のすべての時点がーー等しく重要に感じられるのだ。それは、別の表現を用いれば、カレンダーを真上から見るようになものだ。カレンダー上のすべての四角形が同じ重要性をもっているように感じられる。
長寿化の時代にこのような視点をもつことの利点は、未来の自分を大切にし、未来の選択肢を広げるための投資を積極的におこなうようになることだ。
高校卒業後にギャップイヤー(大学を1年間遅らせて長期の旅行やボランティア活動などをおこなう期間)を経験したり、子どもとたっぷり時間を過ごしたり、新しいスキルを学んだりするようになる。
人生が長くなれば、それだけ未来の日々が長くなるので、自分の人生の選択肢を考える際は、未来に得られる恩恵を重んじることが理にかなっている。忍耐心を発揮し、未来の恩恵を過小評価しないように留意すべきなのだ。
このような視点をもてば、1週間、1年間、さらには人生全体の時間配分が変わってくる。人生のある時点で取る行動が将来の時点と結びついているという認識を強くもてるようになり、その結びつきをうまく利用できるようになるのだ。具体的には、未来に好ましい結果が生じる確率を高められる行動を、いま取れるようになる。

人生が長くなれば、福利の恩恵も受けやすくなる。退屈な話題だと感じるかもしれまないが、物理学者のアルバート・アインシュタインは、複利を世界七不思議と並ぶ8つ目の驚異と呼んでいた。複利の効果について考えてみるのも無駄ではないかもしれない。
まず、金融における複利について見てみよう。あなたが20歳のときに、4%の複利で100ドルを投資したとする。すると、50歳のときには100ドルが324ドルになり、70歳のときには711ドルに増えている。では、20歳のときではなく、40歳まで投資を先延ばししたとしよう。この場合、50歳で324ドルの資金を得るためには、100ドルではなく219ドルを投資しなくてはならない。投資を50歳まで先延ばしした場合は、70歳のときに711ドルを手にしようと思えば、324ドル投資しなくてはならない。長期間投資すればするほど、複利がたくさん仕事をしてくれるのだ。
複利の魔法がものを言うのは、資産運用だけではない。複利は、スキルや健康や人間関係への投資など、時間を味方につけられるタイプのほかの投資でも有効だ。新しいスキルを学ぶための投資を例に考えてみよう。あなたが現在55歳で、65歳で引退するつもりだとすれば、いま新しいスキルの習得に投資しても、それほど大きな恩恵は得られないかもしれない。しかし、75歳まで働くとすれば話は別だ。この投資が意味をもってくる。投資の恩恵を受けられる期間が長くなるからだ。
同じことは、健康への投資についても言える。あなたが60歳で、100歳まで生きるとすれば、70歳まで生きる場合に比べて、いま健康に投資することの意義は大きい。複利効果が作用する結果、期待できる投資収益が大きくなるからだ。

あなたが将来どのように時間を使うかは、現在の選択によって決まる。いま日々を積み重ねている選択が未来への道筋を形づくるのだ。そうした日常の意思決定では、トレードオフの選択を迫られる場合が少なくない。
あなたも経験があるはずだ。朝、目が覚めたとき、やらなければならない大量の課題をどうやってすべて処理すればいいのかわからず、途方に暮れることがあるだろう。そこで、あなたはその日に処理する課題をいくつか選び、いくつかを明日やることにし、残りは先送りにしようと考える。こうした重要な課題は何かを無意識に判断している。
極度の重圧にさらされているとき、未来について賢明な判断をくだすことは難しい。3ステージの人生における第2のステージでは、それが際立っている。教育→仕事→引退という3ステージの人生を生きる人たちは、時間の使い方に関して独特のアプローチを取ることになる。第1のステージでは、あまりお金がなく、のちの職業人生を支えるためのスキルをはぐくむことに時間を費やす。第2のステージでは、引退生活を送るための資金を蓄えようと仕事に打ち込み、余暇時間はほとんど楽しまない。第3のステージでは、それまでに蓄えた資産を取り崩しながら、余暇を楽しんで過ごす。
このモデルでは、第2のステージにおける時間的負担がきわめて大きい。研究によると、このステージで心理的幸福感が大きく落ち込むケースがあるという。第2のステージには、あまりにも多くの活動が詰め込まれている。キャリアを確立するために猛烈に働かなくてはならず、老後資金も蓄えなくてはならない。子どもを育て、老親の世話もしなくてはならない。大切な人間関係を維持したり、人生の意味について考えたりする必要もある。
しかし、人生が長くなれば、さまざまな活動をおこなう時期を分散させることにより、このような過密状態を緩和できる。人生の核を成す活動ーー学習、勤労、余暇ーーを人生の特定の時期に集中させず、人生全体に割り振れば、人生のそれぞれのステージにおけるストレスや重圧が軽くなり、トレードオフの選択を強いられることによる緊張を軽減できる。たとえば、生涯にわたり学習し続けてもいいし、のんびり過ごす時間を(引退後に集中させるのではなく)人生全体に振りわけ、子どもと過ごす時間を増やしたり、たびたび旅行に出かけたり、ギャップイヤーを取ったりしてもいい。こうした時間の再配分は理にかなっている。研究によると、人は1日に多くの活動を詰め込みすぎると、ストレスを感じ、不幸せになるが、それらの活動を長期間にわけておこなえば、幸福感が大幅に高まるという。
(中略)
長期の視点をもつことは誰にとっても難しいが、ある種の局面では、目の前のことだけを考えようという衝動がとりわけ強くなる。たとえば、家賃の支払い期限が過ぎているのに、給料日はまだ1週間先という状況では、「ものごとを長い目で見なさい」という助言は的外れと言うほかない。子どもたちを食べさせるために必死で働いているエステルが置かれているのは、まさにそのような状況だ。
将来のことを考えれば、大学に通って勉強したほうが得策だというのは、エステルもよくわかっている。16歳で高校を中退し、資格らしい資格をもっていないことが不利に働いていることくらい、重々承知だ。できることなら美容師の資格を取得して、いつか自分の美容院を経営したい。けれども、それはあくまでも遠い未来の話だ。日々の生活では、現在のことに目を向けざるをえない。生活費を稼がなくてはならないし、子どもたちの世話もしなくてはならない。老人ホームのアルバイトで声がかかればいつでも対応できるように、つねに待機している必要もある。エステルにとって、時間はきわめて希少な資源だ。その点は、意思決定に影響を及ぼす可能性が高い。
ハーバード大学の経済学者センディル・ムッライナタンとプリンストン大学の心理学者エルダー・シャフィールが指摘しているように、重要な資源が不足していると、その不安に思考を支配されて、直近のことしか考えられなくなる場合がある。この「トンネリング」と呼ばれる現象により、人はしばしば劣悪な意思決定をくだし、将来そのツケを払わされる羽目になる。
エステルはお金の不安を抱えていて、その結果としてトンネリングの状態に陥っているため、どうしても頭の処理能力が限定されてしまう。いま直面している目先の問題しか考えられなくなり、将来に悪影響を及ぼすような意思決定をくだしがちなのだ。たとえば、エステルは最近、当座の出費をまかなうために、ローン金利と手数料が極端に高いペイデイローン(給料を担保とする小口短期ローン)に頼るようになった。
トンネリングに陥ることを防ぐための最良の対策は、[冗長性]を確保することだ。資源の欠乏が意思決定に及ぼす悪影響を抑えるために、資源にゆとりをもたせるのだ。具体的な方法はいろいろある。いざというときのためのお金を蓄えておいたり、定期的に休憩時間を確保したり。将来役に立つスキルを身につけたり、一定の水準の健康状態を維持するように努めたりすることも有効だろう。
これらは、いずれ好ましくない事態が起きた際、すぐに窮地に陥らずに済むように、前もってゆとりをつくっておくための行動だ。このような態勢が整っていれば、欠乏感が生む悪影響を遠ざけ、未来のことに関して好ましい意思決定をおこないやすくなる。
また、行動経済学で言う「ナッジ」の手法を活用するのも有効な方法だ。多くの時間と集中力をかけなくても正しい意思決定ができるように、好ましい判断を促す環境をあらかじめつくっておくのだ。たとえば、貯蓄を増やすために、家賃を支払うタイミングで貯金箱に5ドル入れるようにすると宣言したり、休憩時間を確保するために、毎週火曜の午後は会議の予定を入れないと誓ったりすればいい。長く生きることが当たり前になる時代には、早期にこのような習慣を身につけることにより、未来に備える土台を築くことができる。

『LIFE SHIFT2』 第2部第3章 より アンドリュー・スコット、リンダ・グラットン:著 池村千秋:訳 東洋経済新報社:刊

今の世の中、働く期間が増え、社会の変化のスピードも急激に増しています。

目標を一つに定めて、それに向けて長い年月を費やす。
そんな生き方は、リスクが大きすぎます。

それよりも、より短いスパンで定めた目標をクリアし、それを繰り返す。
そんな生き方が、これからの主流のなるでしょう。

キャリアもスキルも、数をこなすことで高めていく。
複利の力を生かしたライフプランが求められます。

これからの「キャリア形成のあり方」とは?

これからの自分の人生の進路を考える際、ヒントになるのが、以下に示す見取り図です(下の図3−1を参照)。

図3−1 あなたの ありうる自己像 LIFE SHIFT2 第2部第3章
図3−1.あなたの「ありうる自己像」
(『LIFE SHIFT2』 第2部第3章 より抜粋)
 具体的には、どのように人生の進路を選んでいけばいいのか。

著者は、ヒロキという人物を例に示して説明しています。
ヒロキは、妻(マドカ)と日本の金沢で暮らす20代の男性です。

図4−1 ヒロキの人生のストーリー LIFE SHIFT2 第2部第4章
4−1.ヒロキの人生のストーリー
(『LIFE SHIFT2』 第2部第3章 より抜粋)

(前略)図4−1(上図)では、ヒロキが歩むかもしれない数々の進路を示してみた。いまステージ1にいるヒロキは、そこから比較的新しい生き方(=P1)を選ぶこともできるし、父親と同じような生き方(=P2)を選ぶこともできる。

ヒロキの父親は、息子に自分と同じ道を歩んでほしいと思っている。自分が勤めている会社に就職して、マネジメント研修を受けて出世コースに乗ること、つまりP2の進路に進むことを期待しているのだ。ヒロキの思いは違う。P1の進路に心惹かれているのである。旅をしたいという思いが強い。生活費は、たとえばフリーランスの仕事をして稼ぐつもりだ。食と健康への関心を生かして、小さなビジネスを始めるアイデアも温めている。
そうした道を歩んだ場合、どこに行き着くのかという確信はない。それでも、特定の道を選ぶ前に、もっと自分自身について知りたいと感じている。いま勇気を奮って自分の望む道に踏み出さなければ、5年先や10年先にはもう道が閉ざされてしまうのではないか。ヒロキはそんな不安を感じている。
ヒロキが「鳥の目型」の視点(上の図3−4参照)で時間について考えたとしよう。目の前のことだけにとらわれず、人生全体を俯瞰して見るのだ。すると、未来の人生が視野に入るので、父親と同じ会社に就職することに不安を感じずにいられなくなる。将来の「ありうる自己像」の選択肢を狭めかねないと思えるのだ。長い人生を考えれば、いま時間を割いて実験し、どのような道が自分に適しているかを知っておきたい。
同世代の若者の多くがそうであるように、自分がどのような人生を送りたいかのかは、自分自身でもわかっていない。それでも、父親のような人生を歩むべきかをまず判断するべきだと強く思っている。ヒロキは、自分にどのような選択肢があるかを知り、さまざまな選択肢に投資したいと思っている。選択肢を閉ざすことはしたくないのだ。
ヒロキは、クラーク大学(マサチューセッツ州)の心理学者ジェフリー・アーネットが言うところの「成人形成期」にあると言えるかもしれない。もう子どもではないが、同じくらいの年齢だった頃の父親とは異なり、まだ特定のキャリアを追求することを決めていない。20代と言えば、昔は家庭とキャリアを築く時期と位置づけられていた。しかし、いまは違う。20代は、マルチステージの長い人生に向けて、その土台となるスキルと足場を充実させる時期になっているのだ。
注目すべきなのは、ヒロキの未来に、きわめて多様な進路と選択肢が広がっていることだ。職業人生が長くなることは避けられず、同じ職にとどまる期間はおのずと短くなる。その結果として、ヒロキが検討すべき「ありうる自己像」は父親よりもはるかに多くなる。これは胸躍る未来と言えるだろう。将来にきわめて多様な選択肢をもっているヒロキは、いま慌てて特定の進路を選ぶ必要を感じていない。父親が人生で経験する移行は、教育から仕事へ、そして仕事から引退への2度だけだ。同世代の人たちと一斉行進で人生を歩み、同時期に同様の移行経験してきたのである。ヒロキはそうした一斉行進の隊列を崩したい。新しいことをたくさん実験したいと思っている。父親との間で軋轢が生まれている原因はこの点にある。
ヒロキがP1の進路を選ぶなら、まとまった時間を取って外国語を学ぶのもいいだろう。たとえば、1年間パリに滞在し、友人が所有する日本食レストランで働きながらフランス語の習得に励む。フランス語のオンライン講座を受講したり、日本人の留学生たちと一緒に毎朝フランス語のクラスに通学したりもする。強いモチベーションをいだいて、新しいスキルの習得に努めるのだ。フランス語を学ぶことにより、次のステージ2の足場が強化される。こうして選択肢が広がって、さまざまな進路が開けてくる。

たとえば、ステージ4にいたるまでに語学力を生かしてスキルと人的ネットワークの足場を築き、それを土台に東京でフランス産のチーズとワインを輸入する会社を立ち上げてもいい(ステージ4A)。あるいは、ステージ2で別の進路を選び、語学力を武器に、国際展開を目指すパリの多国籍スポーツウェアブランドで職を得て、そのあと連続起業家になってもいいだろう(ステージ4B)。
現時点では、将来どのような人生を生きたいかは、まだ決まっていない。いま見えているのは、将来こんな人生を送るかもしれないという可能性だけだ。だからこそ、ヒロキはいま探索に重きを置いているのだ。たとえ短い期間でもさまざまな活動をおこない、選択肢を狭めずに、それぞれの進路を選んだ場合にどれくらいの喜びを感じられるかを知っておくことには、きわめて大きな価値がある。
ヒロキが父親と同じ道を選び、P2の進路に進む場合、選択肢はP1とはまったく異なるものになる。ただし、父親が勤めている会社に就職したとしても、残りの職業人生すべてで父親と同じ道を歩むと決まったわけではない。途中で別の道に進むこともできる。
まず、会社の研修プログラムで有益なスキルを身につけ、経験を積む。その後、もっと小規模の新興企業に移ってもいい(P3)。その会社でさらに経験を重ね、さまざまな知識と財務ノウハウの足場を築く。そして、それを土台に自分の会社を立ち上げる(P4)。すると、そこからステージ4で連続起業家になる道が開けるかもしれない(ステージ4B)。
長い人生を生きる時代には、同じステージに行き着くまでの道筋が幾通りもあるのだ。ただし、どこから出発するかは慎重に考えたほうがいい。最初にP1の進路を選べば、さまざまな選択肢が生まれる。ステージ4で、4Aに行き着くこともできるし、4Bに行き着くこともできる。しかし、4C(父親が勤めている日本企業でゼネラルマネジャーに昇進する)という選択肢は閉ざされる。一方、P2の進路に進めば、4Bや4Cへの道は開けるが、4Aへの道は選択肢は閉ざされる。一方、P2の進路に進めば、4Bや4Cへの道は開けるが、4Aへの道は閉ざされる。
重要なのは、それぞれの進路を選んだ場合に何が失われるのか、どのようなリスクが伴うのか、あとで進路を変えることがどのくらい難しいのかを検討することだ。しかし、そのような検討をするのは簡単ではない。自分がいまどのような考え方をもっているかだけでなく、未来の自分がどのように行動するかも考慮しなくてはならないからだ。
選択肢の重要性を訴えるヒロキの主張に、父親は戸惑わずにいられない。起業したいという息子との思いは理解できるが、成功する確率が乏しく、リスクの大きな選択に思えるのだ。親戚に起業家はいないし、友人や知人のなかにもいない。そのため、息子が起業家になるために何をする必要があるのか、起業家になった場合にどのような未来が待っているのかが想像しづらいのだ。将来ほかのことをしたいと思うかもしれないので、親と同じ会社には勤めたくないとか、しばらくはその会社で働くかもしれないが、のちに別の道に進むかもしれないという息子の理屈は、とうてい理解できない。
それは、父親がキャリアで成功できた要因、すなわちひとつの会社で勤め上げようという姿勢や粘り強さとは対極にある発想だからだ。父親にとって、P2の進路の魅力は明確性と確実性にある。しかし、ヒロキにとっては、それこそが不安の種にほかならないのだ。

『LIFE SHIFT2』 第2部第4章 より アンドリュー・スコット、リンダ・グラットン:著 池村千秋:訳 東洋経済新報社:刊

「一つの企業を勤め上げる」というような、一本道のキャリア形成が難しくなりました。
その一方、職業や働き方の選択肢が増え、よりバラエティに富んだキャリア形成が可能になりました。

次のステージの選択肢が増えた分、自分が本当に生きたい生き方ができるようになります。
一方、進路を誤ることで、自分の望みとかけ離れた生き方となるリスクも増えます。

自分のキャリアの最終目的地は、どこにあるのか。
そこに向かうためには、どのようなルートを辿るのがベストか。
次のキャリアにステージアップするための「足場」を固めるために、何をすべきか。

自分のキャリアや人生をデザインする能力が、より必要となってきますね。

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著者は、本書の主要なメッセージは、人生が長くなる反面、人生で多くの移行を経験するようになる結果として、ひとつひとつの活動の期間やステージが短期化することだとおっしゃっています。

世の中が大きく変われば、私たちの生き方も働き方も大きく変わっていくのは、必然です。

時代の変化をいち早くとらえて、変化の流れにスムーズに乗って生きること。
それが、これから時代を自分らしく輝いて働き、生きるための秘訣です。

これから世界はどう動き、世の中の仕組みはどう変わっていくか。
その中で私たちの働き方や生き方には、どのような変化が起こり、どのようなスタイルが一般的になるのか。

本書には、私たちが「100年に一度の大変革」という時代の荒波を越えて、人生の大海を漕ぎ進むヒントが散りばめられています。
ぜひ、皆さんもお手にとってみてください。

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