【書評】『自分のための人生』(ウエイン・W・ダイアー)

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 お薦めの本の紹介です。
 ウエイン・W・ダイアーさんの『自分のための人生』です。

 ウエイン・W・ダイアーさんは、世界的に有名な米国の精神分析学者です。

「自分のための人生」を生きるためには?


 自分がやりたいことを思いっきりやって、後悔のない人生を送る。
 そのためには、どうすればいいのでしょうか。

 本書の訳者の渡辺さんによると、ダイアーさんには、大きく二つの主張があるとのこと。

 一つは、『人生のあらゆる問題はすべて自分で選択、解決することができる』です。

 ダイアーさんは、自分の感情を人のせいにするというのはまさに間違った選択であって、すべての感情は自分の考え方、見方を深めることによって全部選択できるものだと述べています。

 もう一つは、『今日一日を徹底的に大切に生きる』です。

 多くの人は忘れがちですが、私たちに存在しているのは、「今」この瞬間だけ。
 過去や未来は、どこを探しても見つかりません。
 あるのは、私たちの頭の中にだけです。

 本書は、私たちが真の意味で「自分のために」生きるための心得をまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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自分の人生を存分に楽しめ!


 私たちには、いつも決まってついてきて、影のように離れない“お供”がいます。
 それは、「自分自身の死」です。

 ダイアーさんは、この客人を恐れることも、あるいは自分の利益のために利用することもできる。どちらを選ぶかはあなたしだいだと述べています。

 死は永遠であり、生は息つく間もないほど短い。そこで自問してみよう。
「本当にやりたいと思うことをしないでよいのだろうか」
「自分の人生を他人の望むとおりに送ってよいものだろうか」
「ものは貯めるに値するほど大切だろうか」
「やりたいことを先延ばすのが賢明な生き方だといえるのだろうか」
 おそらく、その答えはほんの数語にまとめることができよう。
 生きよ・・・・おのれ自身たれ・・・・楽しめ・・・・愛せ。
 自分の死を恐れてもかまわないが、それは無益なことだ。
 一方、死を効果的に生きるための助けとすることもできる。
 ロシアの文豪トルストイによって描かれたイワン・イリイチの言葉(『イワン・イリイチの死』)に耳を傾けてみよう。
 彼は、ことごとく他人中心に過ごし、体制に適合するために自分の人生を自由に生きることを放棄してきた一生に思いをはせながら、万人を平等にする死神を待っている。

「もし私の一生がすべて誤りだったとしたら・・・・」
 以前には到底考えられなかったことが、つまり人生を過ごすべくして過ごしてこなかったということが結局のところ真実なのかもしれないと、ふと思った。これまで、ほとんど感じとれない程度の衝動は即座に抑えつけてきたが、そういう衝動のほうが本物で、それ以外は偽物だったのではないか。職責も、生活や家庭の切り盛りも、社会的あるいは職務上の関心も、みんな偽物だったのかもしれない。
 こういうものを一切合財(いっさいがっさい)しっかりと守ろうとした私は、突然自分が守っているもののもろさを感じた。守るべきものなど何もなかったのだ。


 自分の人生に積極的に働きかけるべきか、自分自身で選択すべきかなどと思案し、考えあぐねたときは、こう自問してみることだ。
「私はいつまで死んだような人生を送るつもりなのだろうか」

 『自分のための人生』 1章 より  ウエイン・W・ダイアー:著 渡部昇一:訳 三笠書房:刊

 人はいつか必ず死にます。例外はありませんね。
 ところが、ほとんどの人はその事実になかなか気づくことができません。

 死の直前になって、「あのときこうしていればよかった」と後悔をするはめになります。

 いつも「自分自身の死」がぴったりとくっついてきている。
 その意識を持つだけで、自分自身の人生により真剣に向き合うようになりますね。

自分を愛せない「不幸」


 ダイアーさんは、幸福を得たいと思うのなら自分を愛することを学ばなければならないと指摘しています。

 自分を愛すること、つまり「自己愛」とは、自分を価値ある人間として受け入れること。
 受け入れるということは、不満がないということです。

 不平は自分に自信のない人の慰めである。自分で自分の嫌いな部分について他人に話したところで、聞かされたほうにしてみれば、たいていはお手上げだ。せいぜい、「そんなことはないでしょう」と否定してあげるのが関の山である。
 ところが否定してもらってもこちらは信用しない。それで不満な状態がずっと続くことになる。
 このように、他人にグチを言っても何にもならない。それと同様に、グチを言いに来る人にグチを言わせておいても仕方がない。
 一つ単純な質問をしてやると、たいがい、この無益で不愉快な態度は消えるものだ。「なぜ私にそんな話をするのですか」とか「何か、私でお役に立てるようなことがありますか」と尋ねるのだ。
 同じ質問を自分自身に対してしてみると、不平を言うのは最低の愚行だということがわかってくるのだろう。それは時間のムダ遣いである。そんな暇があるならば、心の中で自分をほめてやるとか、誰かに手を貸して人の役に立つとかするほうが、よほど自分を大切にすることになる。
「疲れた」「気分がすぐれない」――この二つは不平の中ででも最低である。
 疲れているなら、それに応じた対処がいくつかあるはずなのに、気の毒にもグチを聞かされている相手に対して、ひどく失礼なもの言いである。
 そうやってグチをこぼしてみたところで疲れが軽くなるわけではない。「気分がすぐれない」場合でも同じだ。
 自分の気持ちを伝えれば、相手に少しでも力になってもらえそうな場合についてはそうすればよい。今、問題としているのは、グチられたところでただがまんして聞く以外は何もできない相手に向かって不平を言うことである。

 さらに言えば、本当に自分を愛する気持ちに立ったうえで何らかの苦痛や不快を感じているなら、誰かに寄りかかって自分の重荷をともに担ってもらうのではなく、むしろ自分の力で何とかしたいと思うはずである。
 自分自身のことで不平を言うのは無益な行為であり、そのおかげで効果的な生き方ができなくなってしまう。
 自分を憐れむだけで、気持ちが凝り固まり、愛を与えたり受け入れたりする努力ができなくなる。愛情で結ばれたよりよい関係が生まれる機会も、人間関係が広がる機会も減ってしまう。
 不平を言えば人の注意を引くことができるかもしれないが、そうやって注がれた人の視線という光は、自分自身の幸福の上にくっきりと黒い影を落とすものなのである。

 『自分のための人生』 2章 より  ウエイン・W・ダイアー:著 渡部昇一:訳 三笠書房:刊

 不平やグチを言うということは、自分の重荷を相手に押しつけるということ。
 聞かされている方にしてみれば、ムダな時間ですし、気分も滅入ってしまいます。

 他人に安易に頼らず、自分自身の手で解決策を探すこと。
 それが、自分を愛する力を育てることにつながるということですね。

他人の意見を気にせず生きる


 人から気に入られるために自分の意見をコロコロ変える。
 世の中には、そんな「日和見(ひよりみ)人間」が多く存在します。

 ダイアーさんは、他人に認められようとする態度も、広い意味での自滅的な行為のもとになっていると指摘しています。

 ここでちょっと、想像してもらいたい。
 あなたは心から、みんなに認めてもらいたいと願っていて、実際それが可能であると想定しよう。さらに、これは健全な目標であるとしよう。
 これらの点を心に留めたうえで考えてもらいたい。この目的をかなえるには、どのような方法がベストで、もっとも効果的だろうか。
 この問いに答える前に、今まで知っている人物の中で、もっとも他人に認められていると思われる人について考えてみよう。
 それはどんな人だろうか。どんなふるまいをする人だろうか。その人のどんなところがみんなを引きつけるか。
 私たちが心に描くのはおそらく、飾らない、率直で正直な人、他人の意見にむやみに左右されず、自分を発揮できる人、結果にとらわれずに、ものごとをありのままに語る人だろう。
 また、おそらく、如才なさとか駆け引きよりも、誠実さのほうが大切だと思う人である。他人を傷つけるような人ではない。腹の探り合いや、他人の感情を損ねないことにばかり気をつけるような会話とは縁がない人なのだ。
 何という皮肉!
 一番他人の賛同を得そうな人は、決して賛同を求めず、望まず、そんなことに心を奪われたりしない人なのである。
 だから、他人の賛同を得たいのなら、皮肉なことだが、賛同を得たがらないこと、そのあとを追いかけないこと、みんなに賛同を要求しないことがもっとも効果的な方法なのだ。
 言うまでもなく、やることなすこと全部に、みんなの賛同が得られることはありえない。
 しかし、自分は価値のある人間だと思っていれば、賛成が得られない場合でも決して落ち込むことはない。
 人はそれぞれ考え方が異なるのだから、他人の反対はこの地球で生きるかぎり、当然起こりうるのだととらえよう。

 『自分のための人生』 3章 より  ウエイン・W・ダイアー:著 渡部昇一:訳 三笠書房:刊

 自分に嘘をついて相手の喜びそうなことを言っても、それが本心でないことは伝わるものです。
 相手に「何を考えているのかわからない人」と思われて、警戒されてしまいます。

 結局は、率直で正直な人が最も信頼されるということ。

「一番他人から賛同を得そうな人は、決して賛同を求めず、望まず、そんなことに心を奪われたりしない人」

 この言葉の意味をしっかり噛みしめたいですね。

不安に感じるより、まずはやってみる


 未知のことに対する恐怖心は、誰の心の中にもあるものです。
 多くの人は、失敗を恐れるあまり、新しいことに挑戦するのをやめてしまいます。

 ダイアーさんは、「失敗の経験こそ、成長の糧(かて)となる」とその重要性を強調しています。

 未知のものを避けているとき、自分のその行為に気づくことが大切だ。
 その瞬間に自分自身に言い聞かせてみよう。
「人生、必ずしもいつも、自分の行き先がわかっていなくてもかまわないんだ」と。
 型にはまっていると気づくことが、それを変えていく第一歩なのである。
 少し冒険をして、型にはまったやり方から抜け出してみよう。
 何の予約もせず、地図も持たないで、行き当たりばったりの休暇を過ごすのもいい。何が起こっても、自分を信頼して事の処理に当たるのだ。
 たとえば、新しい仕事の面接を受けてみる。
 あるいは、「よくわからない」「理解できない」と言って、これまで避けてきたような人と話してみる。
 自分の偏見を疑問視してみると、そのために自分が何の進歩もなく、おもしろ味のない人間であることが、すぐにわかる。
 自分とは違うタイプの人に多く会えば会うほど、今まで自分がどれほど損をしてきたか、自分の恐怖心がどれほど愚かなものだったか、よくわかるだろう。
 これを見抜くことができれば、未知の世界は避けるべきものではなく、むしろどんどん探索すべき場所になるだろう。
(中略)
 覚えておいていただきたい。人間にかかわることはすべて、自分とは無縁ではない。自分にその気があれば、何にでもなれる。このことをしっかり心に刻み込んでおき、安全で逃避的な行為に陥ったら、思い出そう。
 失敗を恐れる気持ちは、往々にして、他人の反対や嘲笑に対する恐怖心である。
 他人には他人の考えがあってけっこう、自分とは関係ない。このように、自分の行為を他人の言葉ではなく、自分自身の言葉で評価しよう。
 自分の能力は優劣で決まるのではなく、ただ他人とは違うというだけである。

 『自分のための人生』 6章 より  ウエイン・W・ダイアー:著 渡部昇一:訳 三笠書房:刊

 人は「習慣」で動く生き物です。
 何気なく日々を過ごしていると、毎日同じようなことの繰り返しで終わってしまいます。

 新しいことをやるには勇気が必要です。
 しかし、最初の一歩を踏み出してみると、その後は意外とスムーズにことが進むものです。

「案ずるより生むが易し」
 未知のものに飛び込む勇気、いつでも忘れないようにしたいですね。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

 ダイアーさんは、徹底した「自力本願」の考え方です。
 自分の偏見やものの見方を変えることで、思考が変わります。
 思考が変わることで、感情をコントロールすることができるようなります。

 感情がコントロールできると、ものごとのとらえ方が変わり、より幸福を感じることができます。
 そして、幸福を感じることで、また思考が変わる・・・・
 そのような上昇スパイラルを描いて、人は成長していきます。

 ダイアーさんの言葉は、耳に痛いものばかり。
「良薬は口に苦し」とはよく言ったものです。
「自分のための人生」を歩けるようになるために、しっかり味わいたいものです。

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