【書評】『イスラム国の正体』(黒井文太郎)
お薦めの本の紹介です。
黒井文太郎さんの『イスラム国の正体』です。
黒井文太郎(くろい・ぶんたろう)さんは、軍事ジャーナリストです。
ニューヨーク、モスクワ、カイロを拠点に海外取材を多数こなされるなど、世界を舞台にご活躍中です。
「イスラム国」とは、何者なのか?
ことの発端は、2011年3月に起こったシリアでの民主化運動でした。
アサド独裁政権は、民主化を要求するデモ隊を武力で弾圧して多くの国民を虐殺します。
この事件をきっかけに、シリアは政府軍と反政府軍の熾烈(しれつ)な戦いが全土に広がり、完全に内戦化します。
シリア国内の混乱に乗じて、急成長をとげた勢力が「イスラム国」です。
イスラム国は、隣国イラクのアルカイダ系イスラム過激派組織「イラク・イスラム国」(ISI)という組織でしたが、シリアの内戦に戦闘員を派遣して拠点を築くと同時に、現地のさまざまなイスラム過激派勢力を配下に加え、強力なネットワークを築いていきます。
やがてシリア北部・東部に広い支配地域を確保、「イラクとシャームのイスラム国」(ISIS)と名称を変更します(「シャーム」とは、シリア地方の昔からの呼称のこと)。
彼らが「国」を自称するのは、真のイスラム法に則った世界唯一のイスラム国家だと、自分たちをみなしている
から。
ISISは、シリアで獲得した戦闘員と、イラクで獲得した大量の武器を背景に、両国に大きな支配地域を確保し、「イスラム国」(IS)と再び改名します。
「イスラム国」の特徴は、その徹底した残虐性にあります。
黒井さんは、自分たちは神の意志に基づいて行動しているとの意識から、異教徒あるいは自分たちが異端とみなした人々に対して、自分たちは生殺与奪(せいさつよだつ)の権を握っていると考えている
と述べています。
本書は、混乱する中東に突如現れ、急成長した「イスラム国」とは何者なのか、その実像に迫った一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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「イスラム国」がイラク北部で躍進した理由
「イスラム国」が世界の注目を浴びるようになったのは、2014年6月10日、イラク北部にある同国第二の都市・モスルを電撃的に制圧したときです。
当時、モスルには3万人規模の治安部隊がいました。
一方、「イスラム国」の兵力は千人にも満たない程度。
保持していた兵器の性能にも、両者には、大きな差があったといいます。
黒井さんは、イスラム国がこれほどまでの軍事的成功を収めた理由を、以下のように解説しています。
兵力に劣るイスラム国が、なぜこのとき、これほどまでの軍事的成功を収めることができたのでしょうか?
ひとつには、シリアで実戦経験を積んだ兵士たちが、イラク戦線に投入されたことがあります。当時、シリアではイスラム国は主に北部のアレッポ県などで他の政府軍と抗争していましたが、そのためアサド政権軍との戦いが一時的に鎮まっていました。アサド政権は、反政府軍同士を戦わせて疲弊させるために、故意にイスラム国との戦闘を避けていたからです。
また、その頃、イスラム国はシリア国内で、すでに北東部のハサカ県、ラッカ県、東部のデリゾール県などで優勢にあり、広い支配地を確立していました。こうしたことから、戦力をイラクに振り分ける余裕がありました。
さらに、イスラム国の蜂起に対する地元の支援もありました。イスラム国が蜂起したイラクの北部・西部、とくにバグダッドとアンバル県の県都・ラマディ、それにティクリートを結ぶエリアはスンニ派三角地帯と呼ばれ、イラクの少数派であるイスラム教スンニ派の人々が多く住んでいます。このスンニ派の住民たちは、現在、シーア派が掌握するイラク政府軍から過酷な弾圧を受けています。とくに米軍が2011年末に完全撤退した後、それは虐殺と呼べるほど酷いものになっていました。
このためスンニ派の住民の多くは政府軍を完全に敵視しており、イスラム国の蜂起の際、スンニ派の一部の部族がその手引きをしました。また、かつて米軍に放逐(ほうちく)されて地下に潜伏した旧サダム・フセイン政権時代の軍人や官僚、有力者も「ナクシュバンディ軍」(JRTN)など反シーア派政府の各武装組織を作っていましたが、彼らの多くもイスラム国に合流しました。シーア派政権打倒を目指すこうした人々の力を得て、イスラム国はスンニ派三角地帯、あるいはモスルなど北部でも、いっきに攻勢に出ることができたわけです。『イスラム国の正体』 第1章 より 黒井文太郎:著 KKベストセラーズ:刊
イスラム教のなかの宗派間の対立、複雑な勢力争いが背景にあったのですね。
イラク政府軍は、イラク戦争後に速成で編成されたため、軍事的な能力が高くありませんでした。
そのことも、「イスラム国」にとって有利に働きました。
イスラム国の躍進を生んた「シリア内戦」の背景
イスラム国は最初、イラク国内を拠点とするアルカイダ系イスラム過激派の一勢力に過ぎませんでした。
それが隣国シリアの内戦に乗じて一気に勢力を拡大していきました。
黒井さんは、「イスラム国」の躍進のきっかけとなったシリア内戦の背景について以下のように解説しています。
シリア内戦には、複雑な宗派の分布という背景があります。
シリアはアラブ人が約9割、クルド人やアルメニア人など、その他の民族が約1割という民族構成になっています。宗教別にみると、イスラム教徒が約9割で、キリスト教徒が約1割です。イスラム教徒の内訳は、全人口比でスンニ派が75%、アラウィ派が約10%、ドルーズ派やシーア派など他の宗派が約5%といったところです。
このように、シリアではもともと「イスラム教スンニ派のアラブ人」が圧倒的多数派なのですが、アサド独裁政権はアラウィ派が中心となっており、少数派が多数派を支配する構図になっていました。こうした状況から、反政府軍はスンニ派系勢力が主体となっています。
シリアはもともとは比較的世俗化が進んだ社会でしたが、9割がイスラム教徒ですから、中にはアルカイダに共鳴するような過激思想の人もいます。2003年のイラク戦争では、米軍と戦う義勇兵としてイラクに渡り、そのまま現地の反米イスラム・テロ組織に身を投じたシリア人も多く存在していました。こうした人脈は、いずれかの過激派勢力に加わっていました。
また、内戦が長期化するにつれ、宗派対立の色が強まってきたのも事実です。さらに、希望が見えない地獄のような日常を前に、宗教にすがる気持ちを強くする人々も増えてきたようです。とくに反政府軍の兵士たちの多くは、そうした宗教色を強く持っています。
しかし、イスラム色の強い兵士たちが、必ずしも過激派ということではありません。彼らの多くは、神の加護を求めつつ、あくまで非道な独裁者を打倒するために戦っています。それに比べてイスラム過激派は、単にアサド政権を打倒するだけでなく、この地にイスラム法に則ったイスラム社会を築こうという考えです。
こうしたイスラム過激派には諸派があるのですが、その最大組織が「ヌスラ戦線」という組織でした。ヌスラ戦線をはじめとするイスラム過激派勢力の中心は、もともとイラクでテロ活動をしてきたシリア人でしたが、他にもイラク人過激派、他のアラブ諸国から駆けつけた義勇兵、チェチェンあるいは欧米諸国のイスラム系移民社会からの義勇兵などもおり、さらにシリアの反政府軍からイスラム過激思想の強い勢力なども加わっていきました。『イスラム国の正体』 第2章 より 黒井文太郎:著 KKベストセラーズ:刊
イスラム社会は、決して一枚岩ではありません。
数多くの宗派、民族に分かれており、それぞれが独自のコミュニティを形成しています。
それらが同じ国のなかで対立しながらも共存している状態が、現在のイスラム社会です。
水面下で続いていた権力争いや勢力争い。
それが「アラブの春」をきっかけに、一気に火を噴いたのがシリア内戦でした。
「武力」と「恐怖」で支配地域を急拡大
シリア東部とイラク北部を中心に広い範囲を支配下に収めた「イラク・イスラム国(ISI)」は、2013年4月に「イラクとシャームのイスラム国」(ISIS)と名を改め、さらに武装闘争を活発化させます。
「イラクとシャームのイスラム国」は当初、やはりアサド政権軍の支配の及ばない反政府軍支配エリアで勢力を伸ばしました。
彼らも初めは他の反政府軍と協力し、もっぱらアサド政権軍と交戦しました。しかし、もともと外国人主流で、しかも残虐行為をしばしば行っていた彼らは、次第に他の反政府軍と衝突するようになっていきます。とくに、世俗派中心の自由シリア軍や、クルド人の人民防衛隊とは各地で対立するようになりました。
やがて「イラクとシャームのイスラム国」は、公然とこれらの反政府軍を攻撃するようになります。彼らはアサド政権よりも、自らの戦力を強化し、支配地を拡大することを優先するので、他の反政府軍の武器庫を奪ったり、拠点を制圧したりということを始めたのです。その標的は自由シリア軍や人民防衛隊に留まらず、イスラム主義勢力のイスラム戦線やムジャヒディン軍などにまで及んでいきました。
ヌスラ戦線は、当初そうした反政府軍同士の抗争の仲介に動きますが、「イラクとシャームのイスラム国」は、やがてヌスラ戦線にも戦いを挑むようになりました。
アサド政権軍は、こうした抗争をみて、反政府軍の弱体化のためには抗争を煽(あお)ったほうが有利と考え、「イラクとシャームのイスラム戦線」への攻撃をあえて手控え、彼らと抗争中の反政府軍への爆撃を集中的に行いました。「イラクとシャームのイスラム国」の部隊はしばしば、アサド政権軍の爆撃で反政府軍が後退したエリアを、易々と制圧することができました。
「イラクとシャームのイスラム国」はこうして、2014年初頭には、ラッカ県のほとんど、ハサカ県およびデリゾール県に広く支配地を確保しましたラッカ県、とデリゾール県ではヌスラ戦線と、ハサカ県では人民防衛隊との激戦を優勢に進めての結果でした。なお、デリゾール県ではシリア有数の油田エリアを掌握し、莫大な石油密輸収入を確保しています。
また、彼らはアレッポ市にも侵攻を企てていますが、他の反政府各派との激戦の末に撃退され、一時的に退却しました。それでもアレッポ県の各地に勢力を展開しました。「イラクとシャームのイスラム国」はラッカ市をシリアでの本拠地とし、独自の行政を開始しました。彼ら独自の厳格なイスラム法を適用し、抵抗する人々容赦なく処刑する恐怖支配が始まりました。
こうして「イラクとシャームのイスラム国」は、他のあらゆる勢力と敵対しつつ、内戦で混乱したシリアで、広い支配地を確保することに成功したのでした。『イスラム国の正体』 第2章 より 黒井文太郎:著 KKベストセラーズ:刊
「イスラム国」の活動は、時が経つほどに過激で暴力的になっていきます。
シリア政府軍だけでなく、反政府軍にまで攻撃を加え、支配地域を広げていったのですね。
自らの主義・主張が通らない相手は、誰であっても力ずくで押さえつける。
そんな彼らの好戦的な態度には戦慄を覚えます。
「イスラム国」の戦力はどれくらい?
イスラム社会だけでなく、世界中を震撼させている「イスラム国」。
しかしその実態は、いまだに厚いベールに隠されたままです。
黒井さんは、手に入れたさまざまな筋からの情報をもとに、「イスラム国」の戦力について以下のように解説しています。
もともとイラクだけで活動していた頃は、1000人規模の小さな組織でした。その後、シリアでも活動の場を広げ、シリア内戦に参加するためにシリア入りした外国人義勇兵や、イスラム過激思想に共鳴したシリア人戦闘員らを吸収し、2013年末頃には数千人程度になっていたと見られています。
その後、2014年1月のイラク西部での蜂起、さらに同年6月のイラク北部・西部での大躍進で、さらに新規の参入者が増えています。たとえば、ロンドンを本拠とするシリア反体制派の団体「シリア人権監視団」は、6月下旬の「イスラム国」樹立宣言以降の1ヶ月だけで新たに約6300人が組織に加わり、総兵力も数千人から1万数千人に急速に拡大したとの分析結果を公表しています。
他方、アメリカのCIAは9月上旬、イスラム国の兵力を2万〜3万1500人、うち外国人戦闘員は1万5000人との推定値を米メディアで公表しています。
また、国連の調査では、外国人戦闘員だけで3月時点で約7000人、7月時点で1万2000人、さらに8月のイラク空爆以降、毎月約1000人という規模で増加していると推定されています。いずれにせよ、6月にイラクで大躍進した後に、新規の加入が殺到したことが窺(うかが)えます。
もっとも、それよりはるかに少ない見積を、米軍当局が11月に出しています。CNNが11月9日に報じたところによれば、米中央軍のロイド・オースティン司令官が、イスラム国の兵力を9000〜1万7000人とみていると語っています。イスラム国の情報をもっとも収集している米軍当局の情報ですから、あながち的外れとはいえないでしょう。
以上のように推定値がさまざまなのは、外部からは実態が見えにくいのと、さらには「戦闘員」にどこまで含めるかといった問題もあるのではないかと思います。イスラム国はすでに国家規模の広大なエリアを占領していて、少年を含めて住民から強制徴兵を行っています。フルタイムの正規の戦闘員の他に、徴兵されて監視下にある人や、作戦時に一時的に動員された人なども相当数いる可能性があります。
実際、現地からの情報には、脱走を図ったり、忠誠を疑われたりした戦闘員が処刑されるケースが後を絶たないようです。これだけ短期間での急激な拡張ですから、戦闘員本人の意識や立場もさまざまなのではないかと推測されます。『イスラム国の正体』 第5章 より 黒井文太郎:著 KKベストセラーズ:刊
「イスラム国」は、たかだか1年ちょっとの間に戦力を数十倍に増やしていたことがわかります。
それだけ、「イスラム国」の活動が電撃的で、衝撃的だったということ。
また、今の政治や経済状況に不満を持っている人が多かったということもいえます。
さまざまな反乱分子の受け皿として、新たな戦力を吸収しつつ、勢力を拡大していくイスラム国。
今後の動向からも目が離せませんね。
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2014年8月、日本人男性がシリアで「イスラム国」に拉致されたという衝撃的なニュースが飛び込んできました。
それ以来、「イスラム国」という耳慣れない言葉が、日本のメディアを騒がせ続けています。
人質を平気で殺害し、その映像を動画サイトに投稿する彼らの行動が日本中を震撼させました。
「イスラム国」とはどんな組織なのか? なぜ、彼らは短期間で勢力を急拡大できたのか?
イスラム社会の複雑な構造を知らない、私たち日本人には理解ができない部分が多いです。
ひとつ言えることは、彼らには彼らなりの論理があるということ。
「イスラム法に基づいた世界を実現すること」が、彼らの大義名分です。
とはいえ、彼らの非人道的で残虐なやり方は、とても許せるものではありません。
米国中心の有志連合が空爆による介入により、「イスラム国」をめぐる争いはイラクとシリア国内での「内戦」から周辺諸国や欧米各国を巻き込んだ「戦争」に変わりつつあります。
遠い中東でのできごとですが、日本にも少なからず影響を与えるであろう、「イスラム国」。
今後もしっかり見守っていく必要がありますね。
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