【書評】『新・戦争論』(池上彰、佐藤優)
お薦めの本の紹介です。
池上彰さんと佐藤優さんの『新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方』です。
池上彰(いけがみ・あきら)さんは、元NHKで記者やキャスターを歴任され、現在はフリージャーナリストとして多方面でご活躍されています。
佐藤優(さとう・まさる)さんは、元外交官であり、作家です。
大学卒業後、外務省に入省し、国際情報局で主任分析官として対ロシア外交の最前線でご活躍された経験をお持ちです。
「戦争」から見えてくる“世界の今”
人間の歴史は、「戦いの歴史」でもあります。
戦いに勝った国が領土を拡大し、周囲の国を従える。
その繰り返しによって、今の世界が形づくられました。
時の権力者の思惑次第で、戦争はいつでも起こり得ます。
昨日まで平和だった地域が、今日には戦場と化す可能性があります。
昨日まで仲のよい隣人だった者同士が、今日には殺し合うことさえあります。
時代は変わると、戦争も少しずつ形を変えていきます。
現代の戦争は、わかりやすい「国 vs 国」という構図をとらないものが多いのが特徴です。
同じ国の人同士が争う内戦、テロリスト集団との抗争、宗教と民族が複雑にからんだ対立。
局所的ではあるけれど、その分、苛烈で根の深い対立が世界各地で火を吹いています。
隣国との領土問題を多く抱える日本も、決して他人事ではありませんね。
複雑な対立関係を読み解くためには、今世界でどんな争いが起きているか、そこに隠れている歴史的背景は何かを知る必要があります。
本書は、「戦争」という切り口から、日本を代表するインテリジェンスの二人が、現代の国際情勢について語り合った一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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「戦争」の持つ意味とは?
現代において、「戦争」とはどのような意味を持つのでしょうか。
「核兵器が登場して、通常戦争がなくなる」
そう言われたこともありましたが、相変わらず、世界各地で武力衝突が起こっています。
それどころか「9.11」の同時多発テロ事件以降、その頻度と激しさはエスカレートするばかりです。
佐藤 まず、ここで「戦争」という概念をもう一度考え直してみる必要があります。
第一次世界大戦の開戦から2014年でちょうど100年経ったというのに、なんであんな戦争が起きたのか、いまだにわからない。ヨーロッパは、19世紀初頭のナボレオン戦争以後、普仏戦争などがあったにはせよ、基本的には平和な時代が続いていた。それなのに、なぜ大戦になったのか。
池上 不思議ですよね。みんな本当はやる気がなかった、何となく戦争はしたくなかったというのに、ああいう結果になってしまった。
佐藤 芥子粒(けしつぶ)みたいな小国・セルビアの人間が、超大国であるオーストラリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻を暗殺したのが発端でしたから、二週間くらいで、小国がひねられて終わりだ、とみんなが思っていた。ところが結局は、足かけ5年もの長きにわたる世界大戦になった。
また、第一次世界大戦と第二次世界大戦を連続して考える、いわば20世紀の「31年戦争」という説もあります。さらに、最近の世界を見ていると、20世紀の「100年戦争」が続いているのではないか、とまで思えてしまう。われわれは、その「戦間期」にいるだけなのかもしれない。14世紀から15世紀にかけての100年戦争にしても、イギリスとフランスの間で実際に戦闘が生じた期間は、すべて集めても、二、三ヶ月にしかならない。
池上 そう考えると、今は実は「大戦前夜」なのに、それに気づいていない時期と言えるのかもしれません。
佐藤 日本はどうでしょう。2・26事件の青年将校たちにとっての本格的な戦争は、1905年に終結した日露戦争が最後だった。その後の第一次世界大戦は、基本的には関係ない戦争で、満州事変も大きな戦争ではない。すると、1905年から1939年のノモンハン事件までの34年もの間、日本は近代戦をやっていなかったことになりますが、近代戦をやらない軍隊は単なる官僚組織ですから、評価基準になるのは、東条英機が長けていた記憶力や文章作成能力。
今は、あの34年間の平和な時代とのアナロジーで考えられるのではないでしょうか。『新・戦争論』 第1章 より 池上彰、佐藤優:著 文藝春秋:刊
日本にずっといると、「平和であること」が当たり前のように考えてしまいがちです。
世界を見渡すと、どこかで必ず戦争が行われているのが現実です。
永遠に続くかのようにみえる今の日本の平和も、隣接する国との微妙な軍事的、政治的なバランスによって成り立っています。
第一次世界大戦のように、あるきっかけで大きな戦争になりえる現実を忘れてはいけませんね。
「イスラム国」は何を目的につくられたか?
池上さんは、今後の世界を占う上で重要なのは、何と言っても、民族と宗教の問題
だと指摘しています。
今、世界で起こっている紛争のすべてに、この二つの問題が絡んでいるといってもいいでしょう。
佐藤さんは、そのなかでも最近、テレビや新聞で話題の「イスラム国」については、国家の新しいあり方として不気味
だと述べています。
佐藤 国家の新しいあり方として不気味なのは、「イスラム国」です。
「イスラム国」が特異なのは、シリアやイラクといった国家を支配することを目標としていない点です。では、彼らの目的は何かを考える上で、恰好のサンプルになるのがロシア革命です。
マルクス主義では、「本来、国家は死滅すべきものだ」ということになっているのに、ロシア革命において、どうしてソビエト連邦ができたのか。レーニンは、これは「国家」ではなく「半国家」であると言いました。国家は、階級抑圧の道具だから、本来、悪である。ソビエトも、最終的には全世界に革命を起こして国家を廃棄する。けれども、今は帝国主義国家に囲まれている。囲まれているかぎりにおいては、それに対抗するための「半分国家であるようなもの」が必要だ。ただし、国家は悪で階級抑圧の道具だけれども、そういう悪がまったくないのがソビエト国家である、というのです。
池上 いわゆる「過渡期国家論」ですね。
佐藤 そうです。原罪をもたない国家です。その国家の目的は、世界のプロレタリア革命を行うことにある。
「イスラム国」の場合は、この「世界のプロレタリア革命」を「世界イスラム革命」に置き換えればいいのです。
アフガニスタンのタリバン政権も、一国イスラム主義のように見えましたが、目的は世界イスラム革命でした。一時期、チェチェンとダゲスタンの間にできた「イスラムの土地」みたいなグループも、目的は世界イスラム革命でした。「イスラム国」は、そういう過渡期国家を目指して、実際にそれを半ばつくってしまったわけです。
池上 彼らは、イラク中部からシリア北部にかけて「イスラム国家」を樹立すると宣言して、「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)から「イスラム国(IS)」に改名しました。
この国家は、カリフ(イスラム指導者)をトップに据え、シャリーア(イスラム法)を適用する政教一致国家です。イスラム教の創始者ムハンマドの時代、ムハンマドを指導者にして、ムハンマドが伝える「神の言葉」に従って人びとは敬虔(けいけん)な暮らしをしていた、と考える人たちが、その理想の社会を現代に取り戻そうとしているのです。
この考え方を「イスラム原理主義」と呼びます。イスラムの理念を復興させようというものですから、必ずしも過激な武装闘争と結びつくものではありません。平和裡(り)に行動しているイスラム原理主義者も多いのです。
しかし、武力を用いてでも理想社会を実現させようとする組織があって、テロなどに走るため、「イスラム原理主義者=テロリスト」というイメージが定着してしまいました。「イスラム国」は、武力をもって理想のイスラム国家を樹立しようとしているので、過激派です。「イスラム原理主義過激派」とか「イスラム過激派」とか呼ばれます。
佐藤 彼らとしては、来るべきイスラム帝国(カリフ帝国)を先取りした、ということでしょうね。
池上「イスラム国」の中期的な目標は、「西はスペインから東はインドまで」です。かつてのイスラム王朝が支配していた土地を取り戻したい、というものです。『新・戦争論』 第2章 より 池上彰、佐藤優:著 文藝春秋:刊
「イスラム国」は、他の国々からは“テロリスト集団”として、厳しい批判の対象になっています。
もちろん、彼らの行なっている非人道的な活動は許されるべきものではありません。
ただ、彼らには彼らなりの「正義」があり、それに従って行動を起こしているのも事実です。
戦争が起きるのには、ちゃんとした理由があるということ。
それを理解するためには、そこに至るまでの民族と宗教の歴史的背景を知る必要があります。
「スンニ派」と「シーア派」の違いは?
2011年に北アフリカのチュニジアから始まった民主化運動、いわゆる「アラブの春」。
エジプトやリビアに飛び火して、各国で長期独裁政権が倒れました。
シリアでは、アサド政権と反政府勢力の内戦により、死者数十万人、周辺国へ逃れた難民は280万人にのぼります。
佐藤さんは、アラブ世界は、イスラム教内の宗教対立を抜きにして考えられ
ないと指摘しています。
池上 ここでまず基本的な知識を整理します。イスラム教徒は大きく「スンニ派」と「シーア派」に分かれます。それは、預言者ムハンマドが亡くなった後の後継者選びに端を発する対立です。
ムハンマドの後継者は「カリフ」と呼ばれ、預言者の代理人です。
このカリフには、ムハンマドの血筋を引く者がなるべきだという信者と、ムハンマドの信頼が厚く、信者からも信頼されている人を据えるべきという信者とで意見が分かれたのですが、当初の三代は、血筋重視よりも、ムハンマドの信頼があったほうの後継者が続きました。
四代目でようやくアリーという、ムハンマドのいとこであり、かつムハンマドの娘と結婚した男がカリフになった。その子どもは、ムハンマドの血を引いていることになります。アリーとアリーの血を引くものこそがカリフにふさわしいと考える信者たちは、「アリーの党派」と呼ばれ、やがてただ「党派」と呼ばれるようになりました。党派のことを「シーア」と呼ぶため、シーア派と称されます。
一方、血統にこだわらないでイスラムの習慣を守ればいいと考える信者たちは、「慣習(スンナ)派」と呼ばれました。日本や欧米のメディアではスンニ派という呼び方が定着しています。全世界のイスラム教信者の85パーセントをスンニ派が占め、シーア派は15パーセント。スンニ派の大国がサウジアラビア、シーア派の代表的な国がイランです。『新・戦争論』 第4章 より 池上彰、佐藤優:著 文藝春秋:刊
同じイスラム教のなかでも、いくつかの宗派に分かれていて、独自の文化を形成しています。
それらがお互いに対立していることも、中東の国同士の関係が複雑化している大きな原因のひとつですね。
挑発をくり返す北朝鮮の真意とは?
戦争の火種は、日本の周辺国にも撒き散らされています。
その象徴のひとつが、「北朝鮮問題」です。
両国間の最大の懸案事項は、「拉致問題」と「核兵器開発問題」の2つです。
佐藤さんと池上さんは、日本政府の対北朝鮮政策について、以下のように述べています。
佐藤 一方に拉致問題があり、他方に大量破壊兵器問題がある。国際社会、なかんずくアメリカと、日本では、この二つの比重が逆なのです。ここが北朝鮮問題の一番のネックになっています。興味深いのは、安倍さんにとって、民主的な指導者よりもプーチンと金正恩のほうが、波長が合うように見えることです。
池上 ケミストリーが合うというのですかね。アメリカのオバマ大統領とは全く合いません。インテリとは合わないのかな。
佐藤 プーチンも金正恩もインテリですが、ロシア的インテリとか、朝鮮的インテリというように形容詞がつく。安倍さんの平和主義も「積極的」平和主義と形容詞がつきますから。
池上 日朝関係をいざ進めようというときに、北朝鮮はわざわざこれ見よがしにミサイル発射実験をやっているでしょう。挑発的というか、日本がどうせ反対しないだろうと瀬踏みしてやっている感じがします。
佐藤 まさに瀬踏みです。本当に愛しているのかどうかチェックしている。普通、ミサイルを撃っている最中に制裁解除なんてしないですよ。
池上 しないですよね。ちょっと拗ねてみせるくらいのほうが普通です。
佐藤 それが、消しゴムを投げるどころか、座布団の上に画鋲(がびょう)を置いても、それでも付き合ってくれる、というような対応です。求愛を恫喝(どうかつ)で示すというのが、あの国の文化ですから。これは相当愛してくれているみたいだ、朝鮮総連本部ビルの競売問題でも、日本の司法権の独立は強いはずなのに、結果として当面ビルは使っていられそうだし、安倍内閣は本当にいい政権だという感じになっているのではないですか。
池上 もともと北朝鮮がアメリカに対してミサイル実験で恫喝してみせたりするのは、自分のほうを向いてほしいからです。小学生の男の子が、気になる女の子にわざときつく当たったりするのと同じです。
佐藤 私はもっと下品な喩(たと)えをしています。付き合ってほしい女の子の家に行って、「ぼくと付き合わないと逆噴射してやる」と言って、バキュームカーのホースをもって立っている。そのバキュームカーが相当なオンボロなので、ちゃんと動くのかどうかはわからない。しかし、もし本当に逆噴射したら大変だから、「とりあえず話だけは聞いたほうがいいんじゃない?」と親は娘に言うわけです。『新・戦争論』 第5章 より 池上彰、佐藤優:著 文藝春秋:刊
「バキュームカーの逆噴射」とは、強烈な例えですね。
世界から孤立し、経済的に困窮している北朝鮮の置かれた状況の深刻さを示しています。
「窮鼠(きゅうそ)猫をかむ」という言葉もあります。
追い詰められたからこそ、何をしてくるのかわからない怖さがありますね。
細心の注意を払って、交渉に臨んでほしいです。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
第二次世界大戦が終わってから70年近く。
幸いにも、日本はその後、今に至るまで大きな戦争に巻き込まれたことはありません。
多くの日本人は平和に慣れすぎ、ものすごい早さで変わり続ける世界の情勢に無関心なままです。
「日本は軍隊を持たないから、戦争をしない」
「いざとなったら、アメリカがどうにかしてくれる」
そんな国民の無邪気な“平和ボケ”思考が、日本が抱える最大の戦争リスクといえるかもしれませんね。
どんな理由があれ、戦争はしてはいけません。関わるすべての人を不幸にするからです。
戦争で幸せになれる人も国もありません。それは、歴史が証明していますね。
隣国とのさまざまな問題を抱えつつも、「最後の一線」を越えないためにできることは何か?
私たちも真剣に考える必要があります。
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