【書評】『未来の年表』(河合雅司)

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 お薦めの本の紹介です。
 河合雅司さんの『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』です。

 河合雅司(かわい・まさし)さんは、産経新聞社論説委員、大学教授です。
 ご専門は人口政策、社会保障政策です。

「静かなる有事」が日本を滅ぼす?


 今、日本では、世界でも前例のない「少子高齢化社会化」が進行中です。
 ただ、その実態を正確に把握している人は、ほとんどいません。

「人手が足りなくなる分は、労働生産性向上や、機械化や外国人労働者を増やすことで対応できる」

 専門家の中でも、そんな楽観的な主張も少なくありません。

 しかし、河合さんは、気休めのような都合のよいデータをかき集めて、人口減少そのものに全く問題がないかのような幻想を抱かせようとするのであれば、あまりに無責任だと指摘します。

 言うまでもなく、人口が激減していく過程においては社会も大きな変化を余儀なくされる。それは、時に混乱を招くことであろう。
 日本の喫緊の課題を改めて整理するなら4点に分けられる。1つは、言うまでもなく出生数の減少だ。2つ目は高齢者の激増。3つ目は勤労世代(20〜64歳)の激減に伴う社会の支え手の不足。そして4つ目は、これらが互いに絡み合って起こる人口減少である。まず認識すべきは、社会のあらゆる場面に影響をもたらす、これら4つの真の姿だ。
 ところで私は、政府や政府関係機関の公表した各種データを長年、膨大に集め、丹念に分析を試みてきた。本文で詳しく述べるが、そこから見える日本の未来図は衝撃的だ。
 最近メディアを賑わせている「2025年問題」という言葉がある。人口ボリュームの大きい団塊世代が75歳以上となる2025年頃には、大きな病気を患う人が増え、社会保障給付費が膨張するだけでなく、医療機関や介護施設が足りなくなるのではないかと指摘されている。
 だが、問題はそれにとどまらない。2021年頃には介護離職が増大、企業の人材不足も懸念され、2025年を前にしてダブルケア(育児と介護を同時に行う)が大問題となる。
 2040年頃に向けて死亡数が激増し、火葬場不足に陥ると予測され、高齢者数がピークを迎える2042年頃には、無年金・低年金の貧しく身寄りのない高齢者が街に溢れかえり、生活保護受給者が激増して国家財政がパンクするのではと心配される。
 少子化は警察官や自衛隊員、消防士といった「若い力」を必要とする仕事の人員確保にも容赦なく襲いかかる。若い力が乏しくなり、国防や治安、防災機能が低下することは、即座に社会破綻に直結する。2050年頃には国土の約2割が無居住化すると予測される。さらに時代が進んで、スカスカになった日本列島の一角に、外国から大量の人々が移り住むことになれば、武力なしで実質的に領土が奪われるようなものだ。
 人口減少にまつわる日々の変化というのは、極めてわずかである。「昨日と今日の変化を指摘しろ」と言われても答えに窮する。影響を感じにくいがゆえに人びとを無関心にもする。だが、これこそがこの問題の真の難しさなのだ。ゆっくりとではあるが、真綿で首を絞められるように、確実に日本国民1人ひとりの暮らしが蝕まれてゆくーー。
 この事態を私は、「静かなる有事」と名付けた。

『未来の年表』 はじめに より 河合雅司:著 講談社:刊

 私たちは、迫り来る「静かなる有事」にどう立ち向かえばいいのか。

 河合さんは、求められている現実的な選択肢とは、拡大路線でやってきた従来の成功体験と訣別し、戦略的に縮むことだと述べています。

 本書は、今後100年で起こるであろう、さまざまな課題を「人口減少カレンダー」にまとめ、それらに対する対策を「日本を救う10の処方箋」として提示した一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「高齢者」の高齢化が進んでいく


「最近、街角で、めっきり高齢者が増えた」
 そう感じる人も多いでしょう。

 それもそのはず、2015年の国勢調査によると、65歳以上人口は3346万5441人で、総人口に占める割合は26.6%に上り、すでに4人に1人が高齢者という「超高齢社会」(高齢化率21%超)なのです。

 高齢社会に突入した日本だが、高齢化が本番を迎えるのはこれからだ。
 高齢者数は今後600万人ほども増え、2042年に3935万人でピークを迎えるまで、増大を続ける。その一方で少子化も進むため、高齢化率が上昇を続ける。2036年には33.3%で「3人に1人」、2065年には38.4%となり「2.5人に1人」が高齢者という極めていびつな社会が到来すると予測されているのだ。「4人に1人が高齢者」の現状でさえ「めっきり高齢者が増えた」と感じるのだから、2065年頃には、それこそ街中に高齢者が溢れかえることだろう。
(中略)
 さて、高齢社会というとその人数の増え方ばかりに関心が集まるが、ひと口に「高齢者」といっても、その年齢幅は実に広い。65歳になりたての人と、100歳近い人とでは親子ほどの年齢差がある。年代の偏りも大きいし、一括りにするのは無理があるだろう。
 そこでまずは、「高齢者」の年齢構成を確認しておこう。総務省が敬老の日を前に公表した統計トピックス(2016年9月15日現在のデータ)を見ると、65〜74歳(1764万人)と75歳以上(1697万人)の人口は拮抗している。
 75歳以上をさらに細かく区分してみよう。75〜79歳が652万人、80〜84歳が518万人、85歳以上は527万人だ。つまり、高齢者全体の3分の1近くを80歳以上が占めているのである。
 2017年には、2016年にピークを迎えた65〜74歳人口が減り始める。そして2018年には75歳以上の人口が、65〜74歳人口を上回る(社人研の推計)75歳以上はその後もひたすら増え続け、2055年頃には「4人に1人」が該当するようになる。今後の日本の高齢社会とは、「高齢者」の高齢化が進んでいく社会でもあるのだ。
 一方で、65〜74歳人口は2034年まで概ね減少傾向をたどる。その後、一旦は増加に転じるものの、2041年に1715万人となった後は再び減り始めると予測されている。一億総活躍社会の実現を進める安倍政権は、労働力不足対策として高齢者の活用に期待をかけているが、企業などが“即戦力”として期待するような比較的若い高齢者(65〜74歳)はむしろ減っていくのである。

『未来の年表』 第1部 より 河合雅司:著 講談社:刊

図1 今後しばらく 高齢者 の高齢化が進む 未来の年表 第1部
図1.今後しばらく「高齢者」の高齢化が進む
(『未来の年表』 第1部 より抜粋)

 20年後には、3人に1人が65歳以上の高齢者。
 40年後には、4人に1人が75歳以上の高齢者。

 衝撃的なデータですが、もはや書き換えようのない数字です。
 近い将来必ず起こるであろう、この“事実”から目を背けない覚悟が必要ですね。

「騎馬戦型社会」から「肩車型社会」へ


 少子高齢化によって、顕在化する問題のひとつが「労働力不足」です。

 労働力人口は、政府のさまざまな施策が効果を挙げたとした場合のベストケースでも、2013年の6577万人から2030年には6285万人へと、実に300万人近く減る計算です(2014年内閣府、労働力人口の将来推計)。

 若者3人が高齢者1人を支える「騎馬戦型社会」から、いずれマンツーマンで支えなければならない「肩車型社会」へ転換するという譬え話がかつて盛んに語られた。だが、すでに「騎馬戦」は成り立たず、もはや2.3人で1人を支えている状況にある。
 2065年の生産年齢人口は4529万人と現在の約60%ほどに減る一方、高齢化率は40%近くにまで増える(社人研の推計)。いよいよ「肩車型社会」が現実味を帯びてきた。
 この問題の本質は、支え手の数が減ることだけにあるのではない「肩車」の上に乗る高齢者の“体重”がずしりとのしかかるのである。高齢者の総数が増えるぶん、年金や医療・介護にかかる総費用も上昇する。今後も高齢者は増加傾向にあるが、中でも同じ調子で増え続けるのは75歳以上だ。75歳を超えると大病を患う人が増え、1人あたりの医療費が、74歳以下の5倍近くもかかるというデータもある。これは、若者が高齢者を支える仕組みの社会保障制度にとって悪夢だ。政府の試算によれば、社会保障給付費は2015年度は120兆円ほどだが、2025年度には約149兆円に膨らむ。高齢者数がピークを迎える2040年初頭にはさらに大きくなることだろう。
 一方、「肩車」を下支えする若者はといえば、人数が激減するだけでも大変なのに、その足腰は弱い。非正規労働者が増大し、就職できずに親の支援を受けている人は珍しくなく、親が亡くなった途端、生活保護という人もいる。「肩車型社会」というのは、やせ細った若者が顔を真っ赤にして丸々と太った高齢者をかつぎあげている姿なのである。
 国の予算のうち社会保障はすでに30%を占める。世界で最も速いペースで少子高齢化が進む日本にとって、国民の隅々にまで目配りして社会保障の充実を図っていくことなど無理な注文だということが分かるだろう。「行財政の無駄を徹底的に削ればよい」とか、「経済成長すれば税収も増え、財源は確保できる」といった意見もあるが、行財政改革だけでは毎年1兆円近くも伸びる社会保障費を賄うだけの財源はとても捻出できない。
 政府が追い求めるような、社会保障サービスを充実させながら、負担はある程度までで抑える「中福祉中負担」は幻想にすぎない。それなりの社会保障の水準を求めるのならば、「超高負担」を受け入れなければならないし、あまり負担したくないのであれば「低福祉」で我慢しなければならないということだ。社会保障サービスの縮小も、増税などの負担増も、経済成長も行政改革も、すべて同時にやらなければならないというところまで日本は追い詰められているのである。

『未来の年表』 第1部 より 河合雅司:著 講談社:刊

図2 社会保障給付費のうち 介護 医療はどんどん増大 未来の年表 第1部
図2.社会保障給付費のうち、介護・医療はどんどん増大
(『未来の年表』 第1部 より抜粋)

 現役世代にとって、今でも負担の大きい社会保障費。
 それが、今後さらに増えていくのですね。

 現行の社会保障制度は、近い将来に破綻することが必至です。
 抜本的な改革まで、まったなしの状態といえます。

住宅の「3戸に1戸」が空き家になる


 野村総合研究所の試算(2016年)によれば、2033年の総住宅数は約7126万戸へと増大し、空き家数は2167万個弱、空き家率は30.4%にまで上昇とのこと。

 つまり、全国の約3戸に1戸が空き家となってしまうということです。

 空き家数が増大すれば、景観が悪化するだけでなく、倒壊の危険が増し、犯罪も誘発する。廃墟ばかりの殺伐とした区域が広がれば、街全体のイメージが悪くなり、住民の流出も加速するだろう。やがて地域社会全体が崩壊することにもつながる。
 これは人口が大きく減った地方特有の問題というわけではない。大都市部においても確実に空き家は増える。駅からバスに乗り継がねばならないような住宅地では、空き家が目立ち始めた。築年数の古い中古物件など大幅値下げてしも買い手がつかないのだ。東京23区内の閑静な住宅街でも、しばしば空き家を見かけるようになった。これからは、都心の雑居ビルでも、立地によっては空き部屋が目立つようになるだろう。いずれ地価も下がり、融資をする銀行などの破綻も招きかねない。
 ひと口に空き家と言っても、2つのタイプに大別される。1つは「問題ない物件」だ。賃貸・売却用に建てたが需要を見誤り、入居者が見つかるまでの一時的な空き家となっているものである。また、普段は住まない別荘などもこのグループに属する。
 もう1つは「深刻な物件」だ。たとえば、単身高齢者が施設に入ったり、死亡したりして管理が行き届かなくなったケースである。総務省の「住宅・土地統計調査(2013年)によれば、分類困難なものも含め、こうした「放置された空き家」は318万戸を数える。
 空き家と聞くと、「朽ち果てた一軒家」のイメージが強いが、実はマンションも少なくない。総務省の分析では、2013年の空き家総数820万戸のうち、約60%にあたる471万戸がマンションなどの共同住宅だった。
 マンションの場合、空き家が増えると管理組合が維持できなくなる。管理体制が悪化すれば借り手も減る。この点、賃貸であっても「深刻な物件」に転じやすい。
 所有者が遠方にいる「投資型」などは管理がおろそかにされがちで、未入居の増加に拍車をかけているとも言われる。賃貸も含め、1棟のうちの半数しか入居していないマンションも珍しくなくなった。こうなると物件価値も低下し、スラム化の道を歩み始める。
 マンションの解体は戸建て以上に大変だ。建物が頑丈なために費用がかさむだけでなく、所有者の利害が複雑に絡むからだ。今後、大都市圏を中心に「スラム化した老朽マンション」が増大すれば、新たな社会問題として国民に重くのしかかることになるだろう。

『未来の年表』 第1部 より 河合雅司:著 講談社:刊

図3 総住宅数も空き家数も増え続ける 未来の年表 第1部
図3.総住宅数も空き家数も増え続ける
(『未来の年表』 第1部 より抜粋)

 総世帯数が減り続けるのに、住宅を作り続ければ、空き家が増えるのは当然ですね。

 最大の原因は、「住宅の供給過剰」です。
 昔から日本に根強くある、「新築至上主義」が住宅の乱造を招いています。

 政府の施策も含めて、国民全体の意識を変えていく必要があります。

高齢者の数を「減らす」


 急激に進む日本の少子高齢化が引き起こす深刻な課題の数々。

 河合さんは、それらに対処するための方法として「戦略的に縮む」ことを提唱しています。
 つまり、人口が少なくなっても社会が混乱に陥らず、国力が衰退しないよう国家の土台を作り直すことが重要だということです。

 河合さんが挙げている「戦略的に縮む」ための処方箋のひとつが、「高齢者」を減らしてしまうことです。

「減らす」といっても、姥(うば)捨て山のような、物騒なことをしようというわけではない。65歳以上を「高齢者」と位置づける現在の定義を変更するのである。
 そもそも「高齢者」の厳密な定義はない。65歳以上と定義したのは19世紀のドイツの宰相ビスマルクだともされている。日本は、国連の高齢人口の線引きに準拠したという。
 医師や学者たちでつくる日本老年学会などのワーキンググループが、2017年1月に高齢者を「75歳以上」に引き上げ、65〜74歳については「准高齢者」との区分を新設し、社会の支え手として捉え直すよう提言を行った。その根拠として挙げたのが肉体面での若返り。10年前に比べて身体の動きや知的能力が5〜10歳は若くなっていたというのだ。
 健康で長生きする人は確実に増えた。過去50年間を振り返っても「老け込むのはまだ早い」と考える人は多い。60歳そこそこで定年退職を迎え、引退するのはいくらなんでも早すぎる。
 そこで仮に、高齢者の線引きを「75歳以上」へと引き上げてみよう。すると、2065年の高齢者の割合は25.5%まで下がる。同時に現行14歳以下となっている「子供」の定義も「19歳以下」とする。いまや15歳で就職する人はごく少ないからだ。
 この新たな年齢区分で、高齢者1人を何人で支えればよいのかを計算し直すと、日本の未来は違った姿となる。団塊世代が75歳以上となる2025年は「3.7人で1人」と騎馬戦型社会を維持できる。65歳以上がピークを迎える2042年でも「3.2人に1人」だ。2065年は現在と同水準の「2.4人に1人」で、肩車型社会は避けられる。
 高齢者から外れる65〜74歳の多くのが働くのが当たり前の社会となれば、労働力不足も社会保障の財源問題も大きく改善することだろう。74歳までを勤労世代というのは現実的ではないと言うのであれば、「70歳以上」で線引きをしてもよい。
 もちろん、単に年齢区分を見直しただけではうまく機能しないだろう。いくら60代、70代に元気な人が多くなり、データ上では肉体的に若返ったといっても若者世代とすべてが同じとはいかない。健康状態に関する個人差は、年齢を重ねるとともに大きくなりがちだ。「死ぬまで働かせるつもりか」と反発する人もいる。定年延長には、若い人の昇進が遅れて組織全体としての活力がそがれたり、若者の雇用そのものを奪ったりすることになるとの懸念もある。
 しかし、わずか50年で勤労世代が40%も少なくなるという「国家の非常事態」である。あらゆる分野において、これまでの慣習や仕組み、ルールなどの一から見直さなければ、少子高齢社会は乗り越えられない。

『未来の年表』 第2部 より 河合雅司:著 講談社:刊

 たしかに、数十年前とは「高齢者」のイメージは大きく変わってきています。
 それなのに、昔と同様に65歳以上を「高齢者」と定義するのは、違和感がありますね。

「高齢者」の定義を変えることで、「高齢者」を減らす。
 まさに「戦略的に縮む」ための妙案といえます。

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 団塊ジュニア世代(1971〜1974年生まれ)が70代となる、2042年。
 この年に高齢者数は4000万人に迫り、ピークを迎えます。

 高齢者を支えるコストは最大になるが、それを減り続ける現役世代で支えなければならない。
 河合さんは、これを「2042年問題」と名付けています。

 あと25年、残された時間は少ないです。
 日本が、今の豊かな社会を続けていくためには、少子高齢化問題は避けて通れません。

 問題を解決するためには、まず、問題の中身をしっかり把握することです。
 目を背けて、問題を先送りするだけでは、ますます事態を悪化させるだけですね。

 今すぐではないけれど、近い将来必ず訪れる、この「静かなる有事」。
 現在、日本に生きている人で関係のない人はいません。

 世代を問わず、多くの日本人に読んで頂きたい一冊です。


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