【書評】『天国に行ける人、行けない人』(はづき虹映)

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 お薦めの本の紹介です。
 はづき虹映さんの『神社の神様に聴いた 天国に行ける人、行けない人』です。

 はづき虹映(はづき・こうえい)さんは、経営コンサルタントです。
 古代ユダヤの智慧と呼ばれる「カバラ数秘術」をもとに、独自の編集を加えた「はづき数秘術(誕生日占い)」は、2万人以上の個人診断カルテを作成するほどの人気となっています。

あなたは、天国に行ける人? 行けない人?


 苦しいとき、助けてほしいとき。
 私たちが、つい頼ってしまう「神様」。

 その神様とは、どのような存在で、人間に何を求めているのか。

 はづきさんは、そんな素朴な疑問を、自身の神様に投げかけます。

 それに対して、神様は、ときには厳しく、ときには厳かに、ときにはユーモアやジョークを交えて、やさしく丁寧に答えてくれました。

 気がつけば、私にとって、神様との対話はフツーの、日常の一部になっていました。
「これって、こういうこと?」「これでいいの?」と、気の置けない友だちと会話するような感じで、今でも日々、神様との対話を楽しんでいます。

 そして、これは・・・・・、神様と対話するということは、何も特別なことではなく、直感やヒラメキなどの形で、誰もが無意識にやっていることなのだと気づいたのです。

 神様は、あなたに問いかけられることを待っています。
 神様は、あなたのことが好きで好きで大好きで、どんなあなたも愛しています。
 あなたともっと仲良くしたい、もっと近づきたい、もっと役に立ちたいし、もっと喜ばせたい、もっと豊かに幸せになってほしいと、思ってくれているようです。
 だからこそ、神様はあなたに本当に大切なことを伝えたくて、24時間365日ずっーと、あなたのほうから問いかけてくれるのを待ちづづけているのです。
 本書に書かれていることは、現時点での私にとっての真実です。しかし、あなたには私とはまた別の、あなたの神様が存在し、あなたがあなたの神様と対話すれば、またきっと別の真実が存在していることでしょう。ですから、本書をキッカケに、ぜひ、あなたはあなたの神様との対話を楽しんでいただきたいと私は強く願っています。
 それが本書を書かせていただいた、私の本当の目的であり、私が対話している神様の唯一の願いでもあるのです。

 今のあなたは、天国に行ける人でしょうか? 行けない人でしょうか?

 ぜひ、あなたもこの問いを自分の神様に問いかけてから、本書を読み始めてみてください。本書を読み終えるころには、きっとあなたの神様から、答えが返ってきているハズですから・・・・・。
 さぁ、今ここから、あなたとあなたの神様との対話の始まりです!

『天国に行ける人、行けない人』 はじめに より はづき虹映:著 かんき出版:刊

 本書は、誰もが知りたい疑問や質問に対する神様の答えを、テーマごとにわかりやすくまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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この世に生まれてくる意味や目的は?


 私たち人間が、この世に生まれてくる意味や目的は、何なのか。

 この問いに対する、神様の答えは、

『・・・・・。人生に意味なんてありません。ただ、遊びにきているだけですから』

 でした。

「こういうふうに生きたほうがいいですよ」と、神様が生きる意味や目的を示してくれたほうが、確かにわかりやすいし、納得もしやすい。
 でも、それでは人間の自由意志が尊重されない。神様からはっきり、「こうしなさい」と言われなかったことは、私にとって、ガッカリ半分。ホッとした気持ち、半分。
 私たちはこの世に生まれてきた意味や目的を知りたがりますが、それは自分以外の他の誰か・・・・・、たとえその相手が神様であっても、与えられるものではないと、私は思います。生まれてきた意味や目的があったほうが、生きやすいと判断した人は、自分で見つければいいことで、他の誰かに勝手に決めつけられたり、無理やり背負わされるようなものではないと思うのです。
 私が話している神様によると、そもそも、生まれてきた意味や目的など、別にあってもなくても、どっちでもいいようです。

 私たちはただシンプルに、この世に遊びにきているだけらしい。
 神様から教えてもらったこの考え方は実に斬新で、目からウロコ。少なくとも私は、気持ちがとっても軽くなり、生きるのが楽になりました。遊ぶことが目的だとすれば、人生は難しく考えるだけ、損ですから・・・・・。

 遊びに理由なんていりません。楽しいか、楽しくないか。やりたいか、やりたくないか、それだけです。「いい人になろう」とか、「周りの人に役に立とう」とか考えて、無理してがんばらなくてもいいようです。
 もし、すべての人が毎日、そんな気持ちで生きていたら、そのとき、この世は自然に、天国と呼ばれる場所になっているのかもしれないな〜と思っていたら、神様から、こんなメッセージが届きました。

『あなたが、そうしたければ、すればいいし、そうしたくなければ、しなくてもいい。人はもっと自由に生きれば、それでいい。生きることをそんなにむずかしく考えなくてもいいんだよ』

 神様からのこのメッセージを聴いて、私は生きるのが、本当に楽になりました。

『天国に行ける人、行けない人』 第一章 より はづき虹映:著 かんき出版:刊

 人生に、意味なんてない。

 衝撃的な答えですね。

 万人に当てはまる、人生の目的や意義は、ありません。
 ならば、自分自身で、それをつくり出す必要がある、ということです。

 もっと自由に生きること。
 一度きりの人生を、シンプルに遊び尽くしたいですね。

神様に好かれるには、どうしたらいい?


 神様に好かれて、応援される人の条件は、何か。

 この問いに対する、神様の答えは、

『(神様は)面白い人が好き!』

 でした。

「面白い人」とは、文字通り「面が白い人」のことです。
「面」、つまり「顔」ですね。それが「白い」。「輝いている」ということです。
「面白い人」とは、「顔が輝いている人」のこと。
 日々、顔を輝かせて、イキイキ・ワクワク、自分らしく、明るく楽しく生きている人が「面白い人」。どうやら、そんな人が神様から好かれるようなのです。


 神様は、私たちのことを喜ばせたい、私たちにこの世を楽しんでもらいたい、思い切り面白がらせたいと思っているようです。
 面白がるということは、その神様の意向に沿うこと。あなたが自分の人生を面白がれば、面白がるほど、神様はあなたのことをもっともっと、楽しませたい、喜ばせたい、面白がらせたいと思って、さらにチャンスを与えてくれるのです。

 人生を難しく考えても、神様から応援されることはありません。
 神様からの応援がなくては、自由に、豊かに、幸せに生きていくことはできません。
 宇宙の創造主である神様が、私たちに何か要求することなど、ありえません。
 そんな神様にとって、唯一の望み、それは私たちの笑顔。私たちが生きることを心から面白がり、楽しんでいる様子を見せてあげることではないでしょうか?
 ですから、私たちが神様を喜ばせたい・・・・・、神様から愛され、応援されたいと思うのなら、自分の人生を徹底的に面白がること。どうやったら、自分の「面」が常に「白く」輝くことになるのかを考えて、実行すること。

 それが自由に、豊かに、幸せに生きるコツであり、神様から応援される人になるコツだと思うのですが、神様、いかがでしょうか?

『全(わたし)を喜ばせようと思うのなら、あなたが自分自身を喜ばせること。あなたが心の底から喜んでいる姿を見せてくれるのが、神である全(わたし)にとってのいちばんの喜びです』

『天国に行ける人、行けない人』 第二章 より はづき虹映:著 かんき出版:刊

 私たちは、神様にとって、子どものような存在です。

 親が、子どもに対して「イキイキと楽しく生きてほしい」と願うのは、当然のことでしょう。

 何をしているのか、どこにいるのか。
 そんなことは、たいしたことではありません。

 自分を楽しませ、人を楽しませること。
 それが、神様から愛される秘訣だということですね。

仕事をする「真の目的」とは?


 人は、どうして、仕事をしないといけないのか。

 この問いに対する、神様の答えは、

『さまざまな体験を味わうこと。それが仕事をする真の目的』

 でした。

 神様からの答えを受けて「もし、仕事をしなくてもよいとしたら・・・・・」と、私も真剣に考えてみました。
 仕事をしなくても生きていけたら、そりゃ楽です。もちろん、生まれつき、お金持ちの家に生まれて、働かなくても一生、お金に不自由しない人生を送る人も実際にいるでしょう。そういう人のことは単純に、「いいな、うらやましいな」とは思いますが、では地球上のすべての人が、そうなったとしたら・・・・・。

 仕事をしなくても、働かなくても誰もが食べていけるようになれば、きっとこの地球は、今より平和になるに違いありません。「金持ち、ケンカせず」のことわざどおり、誰もが生きるために仕事をする必要がなくなれば、お金のために争うことも、「お金がたくさん欲しい」などと思う人も少なくなるでしょう。
 そもそも生きていくために働く必要がなくなれば、お金そのものが必要なくなるかもしれません。あくせく働く必要もないので、きっとみんなのんびり穏やかに暮らし、自分の好きなことだけして、楽な人生を謳歌できることでしょう。

 ただ・・・・・。
 それはそれで幸せなことかもしれませんが、その反面、仕事がなくなれば一生懸命、努力したり、頑張ったり、工夫したり、我慢したり、イヤなことに挑戦したりすることもなくなるでしょう。
 がんばっても、がんばらなくても同じ・・・・・ですから、仕事がらみの努力、仕事だからこその苦労や忍耐、やりがいや生きがい、喜怒哀楽の感情を味わうことはできなくなるかもしれません。そんなふうに想像してみると、なんだか、ちょっとつまらない。私は人生が味気ないものになってしまうような気がしました。

 どんな仕事でも大変さはありますが、その困難や大変さの先に、やりがいや生きがい、喜びや感動が生まれます。仕事がなければ、イヤなことや苦手なことをしなくても済むようになるかもしれませんが、それでは生きる手応えが感じられない。
 仕事を通じて、人はさまざまな体験を味わうことによって、人間力が向上し、人間味も深くなり、魅力あふれた人間へと成長していく。

 仕事のない人生は、敵キャラのいないロールプレイングゲームのようなもの。
 攻略するのはカンタンで、楽勝かもしれませんが、それでは人生というゲーム自体が味気ない、つまらないものになってしまうのではないでしょうか?

「仕事」とは、「事に仕える」と書きます。「目の前にある「事」に「仕」えるようなつもりで、在り難くさせていただく」というのが、「仕事」という文字の意味。
「働く」とは、「はた(端、傍、自分の周り)をらく(楽、楽しい)にすること」。「働」という文字を分解すると、「人の動き」。つまり、「自分の周りの人々を楽に楽しくさせる、人の動き」が「働く」ということの本当の意味でしょう。
「仕事」も、「働く」も、どちらも「お金を稼ぐ、儲ける」などという意味は含まれていません。「目の前のことに一生懸命仕え、周りが楽に楽しくなるよう、身体を動かすこと」こそ、神様が私たちに仕事というお役目を与えてくれた、本当の意味、真の目的なのかもしれません。
 たって神様も、仕事をする私たちに、こんなエールを贈ってくれていますから。

『仕事は、あなた方がより効率的に、さまざまな体験を味わうための道具(ツール)です。仕事という道具を使って、あなた方がどんな新しい体験を味わってくれるのか、全(わたし)も楽しみにしています』

『天国に行ける人、行けない人』 第三章 より はづき虹映:著 かんき出版:刊

 私たちは、この世に、「体験」を求めて生まれてきている。
 もし、そうだとしたら、神様の言うとおり、会社という場所は、最高の道具ですね。

 仕事は、濃密な人間関係の中、さまざまな感情を味わえる、絶好のフィールド。

 つらい仕事も、真の目的を理解することで、前向きに捉えることができますね。

本当の「やさしさ」とは?


 本当の「やさしさ」とは、なにか。

 この問いに対する、神様の答えは、

『本当のやさしさとは、いつも変わらず同じであること』

 でした。

「やさしさ」を辞書で調べると、「穏やかで好ましい。おとなしくて好感がもてる。思いやりがあって親切だ。上品で美しい。優美」などの意味が記されています。
 確かにどれも「やさしい」感じ伝わりますが、「穏やかで、おとなしい」ことや「思いやりがあって親切」であれば、本当に「やさしい」といえるのか・・・・・。

「穏やかで、おとなしい」のは、見方を変えれば「内向的で、溜め込むタイプ」だといえるかもしれません。「思いやりがあって、親切」は、「周りの空気を読み、自分の評価を気にして、他人を優先する」ことかもしれません。
 神様はいつも私に、「絶対的な良い、悪いはない」と伝えてくれます。
 その観点からみてみれば、一般的に考えられている「やさしさ」とは、「やさしさ」の良い側面、ポジティブ面だけを切り取っているのかもしれません。ひょっとすると、私たちが大好きな「やさしさ」にも、ネガティブな側面が隠されており、それをちゃんと認めて受け入れないと、「本当のやさしさ」とはいえないのかもしれません。

 スポーツなど、何かの競技、大会で一番になることを「優勝」といいますが、この「優勝」という言葉は、本来「優勝劣敗」という四字熟語の前半分が残ったもの。
 一般的には、「弱肉強食」「適者生存」と同じ意味で、「より力の強い者が勝ち残り、劣っている者が負けること」と理解されていますが、実はそうではないらしい。
「優」という文字が、ここに使われていることにポイントがあるようです。
「優=やさしい」ということ。つまり、「やさしい者が勝ち、やさしさに劣るものが負けていく」。「優勝」とは、「最も強い者」に与えられる称号ではなく、「やさしさに最も優れた者」に与えられる称号なのかもしれません。
 ずっと勝ち続けて、いちばんになることが、本当のやさしさではありません。勝ち続けることは、差をつけること。それは勝者と敗者の間に「差」をつけて、その「差」を強調するために、そこにグサリと「矢」を「刺し」込むような残酷な行為になってしまうかもしれません。そのときの「やさしさ」は、まさに「矢刺(やさ)し差(さ)」。
 自分と他人、勝者と敗者の間に「差」をつけて、その「差」を強調するようなやり方は、本当のやさしさとは遠く離れたものに違いありません。

 そう考えると、神様が伝えてくれた、『本当のやさしさとは、いつも変わらず同じであること』という言葉の意味も、なんとなく理解できるような気がします。
 本当の『やさしさ』とは、どんなときでも自分と相手の間に「差」をつけず、いつでも、どこでも誰に対しても常に同じ目線、同じ姿勢で接すること。そのとき、「差」をつけるための「矢刺し差」は、自分と相手との「差」がなくなる・・・・・、「差」がわからないほど、カンタンになる。「易(やさ)し差(さ)」に転換するかもしれません。

『天国に行ける人、行けない人』 第四章 より はづき虹映:著 かんき出版:刊

 いつも変わらず同じであることが、相手に大きな安心感を与えます。
 自分を抑えて、相手につくすことが、やさしさではありません。

 いつでも、誰に対しても、同じように、自分らしく振る舞える人。
 そんな人が、本当の意味でやさしい人です。

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 はづきさんは、神様からのメッセージを受け取るためには、明確な「問い」を投げかけることが最も重要だとおっしゃっています。

 問いかける意志がないと、神様はメッセージを送ることができないということです。

 神様からの答えは、思いがけない瞬間に訪れるもの。
 それは、対話の形とは、限りません。

 ふと目にした看板の文字。
 友人との何気ない会話の中の言葉。
 たまたま開いた本のページの一文。

 そんなところに、見つかるものです。

 神様からのメッセージを受け取ることが、できるかどうか。
 それは、意識の持ちよう次第です。

 神様から送られる、どんな小さな信号もキャッチできる優秀なセンサーを、心の中につねに持っていたいですね。

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