【書評】『神様、福運を招くコツはありますか?』(桜井識子)

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 お薦めの本の紹介です。
 桜井識子さんの『神様、福運を招くコツはありますか? 直接きいてわかった神仏の本音』です。

 桜井識子(さくらい・しきこ)さんは、霊能者・介護士です。
 神仏関係の波動の高いものを見たり、神様や仏様の声を聞くことができる特殊能力をお持ちです。
 人気ブログ『ひっそりとスピリチュアルしています』の執筆者でもあります。

「福運」をゲットするための方法


 この世には、「福運」というもがあります。
 福運とは、ひとりひとりの個人が持つ運とは別物で、ゲットすれば、ただそれだけでツキがもらえるという、言葉を変えて言えば「棚からぼた餅ラッキー」です。

 その福運は大小さまざまな大きさがあって、小さなゴマ粒程度のものから大きなものまであります。だいたい1個につきラッキー1回限りのようですが、小さなものをかき集めると一気に効力を発揮して大きなラッキーになることもあります。
 ですから、できれば大きなものを、小さいものだったら量を多くゲットしたいところです。本書では私が見つけた福運を手に入れる方法を書いています。
 これまで数多くの質問をもらってきた祝詞(のりと)も載せています。私と同じものを唱えたいと書かれているメッセージやお手紙が非常に多かったので、この本では私の読み方を添えました。
 ご紹介する祝詞は簡単で短いものですから、神前で奏上(そうじょう)して丁寧な挨拶をしてみてはいかがでしょうか。ネットで調べると、細かい部分が違うものが書かれていますが、神経質に細部にまでこだわらなくても大丈夫です。神様は大らかに聞いて下さっています。
 神様仏様を感じる能力アップに繋がる記録ノートについても書きました。
 私はあちこちで、参拝メモを取っている書いてきましたが、それをどのように活用するのか、そこをまだご紹介していませんでした。興味ある方には役に立つお話なのではないかと思います。
「神様に私から何かして差し上げたいのです」とおっしゃる方も結構いて、そのようなメッセージももらいます。お供え物以外でも、もっと神さまに喜んでもらいたい! と思う人は少なくないようです。
 私たち人間がして差し上げると、それがご奉仕になるものをいくつか載せています。いつも恩恵をもらうばかりでなく、こちらからできるご奉仕をしたいと思われる方は、自分ができるものをできる範囲でされるといいです。神様は大変お喜びになります。
(中略)
 さらに、死後迷わないようにするためのコツ、自分が入るお墓の選び方、お墓に対する心構え、幽霊を祓う方法など、死後の世界のことも詳しく説明しています。必ず戻って行く世界の話ですので、知っておいたほうが良い情報は頭の片隅にでもちょっと置いておけば、のちの自分を救うヒントになるかもしれません。

『神様、福運を招くコツはありますか?』 はじめに より 桜井識子:著 幻冬舎:刊

 興味はあるけれど、どうしたらいいかわからない。

 スピリチュアルの世界では、よくある話です。
 そんな私たちの悩みに応えるべく書かれたのが本書です。

 本書は、“見えない世界”の専門家、桜井さんならではのためになると思われるお話や情報を偏ることなくいっぱいに詰め込んだ一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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祝詞もお経も、音に乗せることに意味がある


 神社の祈祷の際に使われる「祝詞(のりと)」
 祝詞には、どのような効果があるのでしょうか。

 桜井さんは、祝詞は声に出して奏上するものであると述べています。

 祝詞が持つ効力はその音に乗っています。これはどういうことかと言いますと、“神前で”それっぽい音調で唱えると、祝詞の持つ音の力でその周囲が遠い古代の日本の「気」という太古の日本の「色」になります(神様がそうしてくれるのかもしれません)。
 神様と人間が今よりも、もっともっと近かった時代の雰囲気です(濃いものではなくて、とても淡いものです)。その当時の色になるため、神様と私たちの間もその時代の距離感になって、神様の波動になじみやすくなる効果があります。自分と神様の間の通路と言いますか、神様とのパイプ、神様と自分の2者感の世界を古代っぽくする、近くする、その道具として祝詞があると私は思っています。

 声に出すものとわかってから、山の中のお社(やしろ)など周囲に誰もいないところでは、普通に声に出して唱えるようになりました。
 しかし、参拝客が多くいる神社ではやはりちょっと恥ずかしいです。変なオバサンやなぁ〜、と注目されるのも嫌なので、そういう時は小さな声でボソボソつぶやくように言います。声はかすかに聞こえるか聞こえないかという程度です。口を閉じて一切の音を出さず心の中で唱える、ということはしていません。そうすると効果がないからです。
 お経もそうですが、音に乗せるから力を発揮するわけで、心の中で思うのみでは効力はないものと思ったほうがいいです。
(中略)
 祝詞を唱えると、神様との距離が近くなる以外に何がどうなるのか、そこを知りたい方も多いのではないかと思います。
 まず、挨拶の度合いがまったく違ってきます。神前の作法として一般に言われているは、2礼2拍手1礼です。神様にお話する場合は、2礼2拍手祈念1礼となります。しかし私の参拝方法は、2拍手祈念2拍手1礼です(詳しい話は拙著『神社仏閣パワースポットで神さまとコンタクトしてきました』に書いてあります)。
 私のように最後の1礼の前に2拍手をするだけでも少し丁寧になります。というのは、祈念のあとに2拍手で締めると「神様、私の話はここで終わりです、聞いていただきありがとうございました、どうぞお社へお戻りくださいませ」という意味になるからです。
 さらに私の参拝方法よりもう少し丁寧なのは、“最初の”2拍手のあと「祓(はら)い給え、清め給え」と唱えることです。これは1回だけでなく、何回唱えてもいいです。そこからお話ししたりお願いします。
 この2フレーズを足すだけでも、略式というか簡易というか、軽〜〜〜い祝詞の代わりになります。神社によっては、このあとに別の2つの言葉を言うように書いてあるかもしれませんが、私的にはこの2フレーズだけのほうが良いと思います。
 この略式フレーズはとても便利で、時間がない時や祝詞を丸々唱えなくていいかな? という時は、「祓い給え、清め給え」を繰り返し言っています。
 ここで改めて考えてみたら、私はいつも無意識に3回言っていることが判明しました。その後、事細かに自己紹介をすることもあれば、しないこともあります。2フレーズ唱えただけで、2拍手して締めて礼をして帰ることもあります。
 できればこの2フレーズを唱えてほしいと、京都の竹劔(たけつるぎ)お稲荷さんが言っていましたので、神様のほうも唱えられると嬉しく思われるようです。
 祝詞を唱えるのはこちら側としては、より丁寧にご挨拶をしたい、という気持ちの表現です。それはつまり、神様を敬い、神様を心から信仰しているからなのですが、その気持を神様はちゃんと知っておられます。
 神様は私たちがどれほどの信仰心を持っているのか、神様をどれだけ好きかを知っているので祝詞は省略してもまったく構わないのです。祝詞を唱えなかったから失礼というわけではありませんし、気持ちが伝わらないということもありません。
 ただ、こちら側としては信仰心が伝わっているとしても、自分でもわかるように形にして表現したい、というそれが祝詞なのです。ですから、祝詞をあげたからといって特別視してもらえるとか、そういう特典はありません。
 そのような特典はないのですが、声に出して祝詞を唱えるということはより丁寧な挨拶ですから、言わば礼儀正しい行為であり、「そこまでちゃんとするのかこいつは、よしよし」と厳しい眷属が認めてくれる・・・・・といった部分がないこともないです。

『神様、福運を招くコツはありますか?』 第1章 より 桜井識子:著 幻冬舎:刊

 桜井さんは、祝詞は応用がきくひとつを覚えていれば、どこの神社で唱えても大丈夫だと述べています。

 以下に、桜井さんが普段使っている、オールマイティな祝詞を載せておきます。
 

禊の大祓① 第1章P34禊の大祓② 第1章P35
図.禊の大祓 (『神様、福運を招くコツはありますか?』 第1章 より抜粋)

「願掛け」をしても叶わないのはなぜか?


 私たちは、どうしても実現させたいことを、神社に参拝して神様にお願いすることがあります。
 いわゆる「願掛け」ですね。

 当然、神様の力を持ってすれば、私たちの願いを成就させることは簡単です。
 ですが、すべての願いをそのまま受け入れるわけではありません。

 その理由は、本人にとって最善の方向へ導くことが神として正しいことだからです。
 つまり、願いを叶えないことが最終的に本人のためになるから、あえて叶えなかった、ということです。

 これは道真公神様のお言葉です。
「人間のことを悪く思う神はいない」
 憎くて不合格にしているのではないぞ、という意味です。
「神はみな人間が好きである」とも言われました。そういえば、伊勢神宮の内宮に勤める、多くの神々も口を揃えて同じことを言っていたなー、と思い出しました。
 道真公神様によると、たしかに力及ばずの眷属がいることも・・・・・否定はできないそうです。まだ眷属になって日が浅い存在のことを言っているのかな、と私は思いました。一生懸命に頑張っても力が足りない、ということがないこともない、のだそうです(その口ぶりからして、まれな出来事だと思われます)。
 ほぼすべての不合格は、神様に考えがあって・・・・・。ちゃんとした理由があって落としているとのことです。
 そこで道真公神様は大変ありがたいことを教えてくれました。
「神が存在する、と信じる。これが“信仰心”だが、神がすることを信じる、これも“信仰心”である」と。
 試験に落ちた、もしくは願掛けが叶わなかった、となると、つい、神様はどうして願いを聞き届けてくれなかったの!? どうして私を悲しませる結果にしたの? と愚痴を言いたくなると思います。
 私は嫌われているの? 失礼があったの? と、ああだこうだと考えるのではなく、不合格になったのは、もしくは願掛けが叶わなかったのは、「神様が良いようにしてくれたのだ」と“信じる”、それも信仰心だと言うのです。
 神様がして下さったことを(自分の希望とは違っていても)丸ごと素直に信じる、それが信仰である、と・・・・・。

『神様、福運を招くコツはありますか?』 第3章 より 桜井識子:著 幻冬舎:刊

 神様は、私たちより広い視野で、より遠くを見通せます。
 願を掛けた人の将来に鑑みて、よりよい方向へ進ませるよう、差配してくれるのですね。

 叶っても叶わなくても「神様が良いようにしてくれる」と信じる。
 それが、本当の「信仰心」です。

 神様に100パーセント委ね、心を込めて祈る。
 どんな結果でも、それを素直にありがたく頂くようにする。

 それが神様と上手に付き合う秘訣です。

同じことをしても自分だけ矯正されたのはなぜ?


 人間の本質は「魂」です。
 死んでも、肉体が滅ぶだけで、魂は永遠に存在し続けます。
 魂は、この世で輪廻転生を繰り返し、さまざまな経験を積み重ねて「霊格」を磨きます。

 桜井さんは、苦労して上げてきた霊格を落とす行為をすると、“天”に矯正されると指摘します。
 それを人は、「バチが当たる」と言います。

 天とは、神社にいる神様やお寺にいる仏様とはまったく違う存在で、絶対神と言うべき神様です。

 絶対神は人間一人一人のことをすべて把握しており、見逃しや見落としはありません。愛そのものと言ってもいい存在ですので、人間が自分で霊格を落とす行為をすると、愛するがゆえに矯正をしてくれます。しかし時として、その矯正方法が非常に厳しいものだったりします。
(中略)
 みんながするのなら、じゃあ私もちょっと・・・・・とみんなと同じようにやってみたら、自分だけ矯正されることがあります。他の人は平気でしているのになんで私だけ? と思われるかもしれませんが、霊格が高ければいろいろと厳しくされるのも仕方がないです。
 例えば、ショッピングモールの駐車場に入るために車がズラ〜ッと並んでいるとします。みんな30分も40分も我慢して待っています。駐車場に入るには仕方ありません。全車おとなしく順番を待ちます。でも実は、関係者専用入口を通れば、裏からこっそり駐車場に入ることができたとしましょう。
 え? 満車だったら裏から入ってても停められないのでは? という現実的な疑問はちょっと横に置いといて下さいね。たとえ話として、そのような駐車場があったとします。
 裏から入れることを知っている人は、「情報として知っているんだもの」と関係者専用入口を通って一般駐車場に停めます。待ち時間ゼロです。
 これも矯正されるかどうかは人によると思います。がしかし、空海さんがこれをやると思いっきり厳しく、徹底的に天に矯正されます。霊格が高いとはそういうことです。
 世の中には法律に触れないし、人道的にもそこまで悪くない、しかしそれはちょっと・・・・・とかすかに引っかかるようなことがたくさんあります。
 大勢の人が平気でしているし、では私もちょっと、とやってみると自分だけ天に矯正されたりします。自分の霊格は甘く見ないほうがいいと思います。
「でも識子さん、私はたまにズルいことを考えたりもするし、悪口を言ってしまうこともあるんです。霊格は低いと思います」と、真面目な人はそう考えるかもしれません。
 そんなことはありませんよ、そのように感じているのは自分だけで、霊格は意外と高かったりするのですよ、というのが私からのアドバイスです。
 謙虚な人や真面目な人は、1回悪口を言ったから私は霊格が低い人間、ちょっと良くないことを考えたから霊格が低い人間なのだ、と思いこんでしまう部分があるように思います。真面目なので、それらのことをしたら今後もずっと霊格は低いままである、と考えてしまうのかもしれません。
 道からわずかでも外れると霊格は少し落ちますが、でもそこで落ちた分以上に、他で磨かれているのです。本人がそこに気づいていないだけなので、重ねて言いますが甘く見ないほうがいいです。

『神様、福運を招くコツはありますか?』 第4章 より 桜井識子:著 幻冬舎:刊

 天が与える「矯正」は、早ければ早いほど軽くて済む傾向があります。
 桜井さんは、悪いことをしてすぐにバチが当たらない人は、あとで取り返しがつかないような大きな矯正がくるの述べています。

「みんなやっているから、自分も大丈夫だろう」
 そう思ってズルをすると、痛い目をみるかもしれません。

 自分の霊格を甘く見ず、正々堂々、天に恥じない生き方を心掛けたいですね。

「年忌供養」だけは欠かしてはならない理由


 死んでからお世話になる「お墓」。
 まだ先の話でも、誰もが通らなければならない道です。

 自分が死んだあと、どうやって供養してもらうか。
 どんなお墓に入るか、誰にお墓を管理してもらうか。
 などなど、生きているうちに、いろいろ決めておきたいですね。

 桜井さんは、「年忌供養」の重要性を以下のように述べています。

 ここでひとつ知っておいたほうがいいと思うのは、たとえ成仏したあとでも故人にとって年忌供養は大切、ということです。命日とかお彼岸とかお盆とか、そのような行事はパスしても差し支えありませんが、年忌供養だけは、欠かすと亡くなった人が悲しい思いをします。年忌はその人のあちらの世界での位というか、格が上がっていくのを助ける、次のステップにいくパワーを与える、そのような役割をしています。
 年忌をしてもらえなくても、それはそれで本人がその分頑張ればいいだけの話なのですが、この供養でもらえる力は通常の供養とはまったく違います。相当なパワーを持った助けになりますので、できれば・・・・・どころか亡くなった人からすると、絶対に忘れてほしくない大切なものとなっています。
 年忌にこだわらず、普通の人に供養をしても同じことなのでは? と思われるかもしれませんが、それが全然違うのです。年忌という節目に何か秘密があるようです。
「そんなことはあまり関係ないと思う」「私は年忌供養がなくてもいいわ」と、死後の世界を軽く考えないほうがいいですよ、というのは私からの個人的なアドバイスです。
こればかりは、死んだあとで「しまった!」と後悔しても取り返しがつきません。
 大事な子孫に障りを与えて気づいてもらう、ということをしなければいけなくなるかもしれないのです。そのような事態にならないために、万全の準備はしておいたほうが良いと思います。
(中略)
 さて、その年忌供養は何かと申しますと、亡くなったあと、決まった年数が経った時に“お経をあげて”供養をすることです。
 四十九日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、二十五回忌、三十三回忌、五十回忌となっています(これは宗派や地域によって違います)。
 盛大な法要する必要はなく、僧侶の読経さえあればそれで十分です。逆に言えば、年忌の時はお経が欠かせない、ということになります。
 ずいぶん前にいただいた質問に、親戚付き合いがなく兄弟もいないので供養をするのは自分1人しかいない、父の位牌を持ってお寺に行きお経をあげてもらっただけでも年忌になりますか? というものがありました。
 十分です。お父様は大変お喜びになったと思います。
 年忌供養は亡くなった人への“霊的な作用”が大事なのであって、そこに親戚が何人いるとか、盛大な法要を営んでお金をいくらかけたかとか、そのようなことは関係ありません。息子さんが年忌を忘れていなかった、ちゃんと供養をしてくれたということでお父様は感謝をしておられるのではないかと思います。

『神様、福運を招くコツはありますか?』 第6章 より 桜井識子:著 幻冬舎:刊

 お墓は、次のステージに進むための“仮の住まい”です。
 とはいえ、何十年もずっといなければならないのですから、できるだけ環境のいい場所を選びたいですね。

 最近では、さまざまな形式のお墓がプロデュースされています。
 自分の目的に合ったお墓を、事前に確保しておく。
 残された人に迷惑かけないためにも、大事なことですね。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

 私たちは、自分で認識できないものや理解できないものに対し、恐怖感を抱きます。

 神様、仏様、幽霊、天、そして死。
 それらは、まさに「知らないから、怖い」ものの代表といえます。

 知ってしまえば、「な〜んだ、そんなことか」と安心し、逆に親しみも覚えてくるものです。

 私たちがこれまで知りたかった「見えない世界」についての数々の疑問。
 桜井さんは、それらを幅広く取り上げて、わかりやすく答えくださいます。

 神仏の世界を知り、神仏を味方につける。
 死後の世界を知り、生きていることの意味をより深く理解する。

 本書は、まさに「見えない世界」の水先案内人というべき、必見の一冊です。


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