本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『ドクター苫米地の新・福音書』(苫米地英人)

 お薦めの本の紹介です。  苫米地英人さんの『苫米地英人コレクション5 ドクター苫米地の新・福音書』です。

 苫米地英人(とまべち・ひでと)さんは、認知科学者(機能脳科学、計算言語学、認知心理学、分析哲学)、計算機科学者(計算機科学、離散数理、人工知能)です。

「奴隷の人生」から脱出するには?

 夢の中で、思いきり後悔する。  何となく寝覚めの悪い朝を迎える。

 苫米地さんは、そんな経験をするのは、自分の本意ではない「奴隷の人生」を生きているからだと指摘します。

「奴隷の人生」とは、他人または社会の価値観に基づいて理想を追求し、それに沿ってつくりあげた人生です。

「奴隷の人生」から脱出する。  そのためには、どうすればいいのでしょうか。

 苫米地さんは、自分自身をより高い視点から見る「抽象思考」ができるようになると、生き方や夢実現のためのノウハウなんか何ひとつ学ばなくとも、無意識のうちに「なりたい自分」「夢」「幸せを手に入れるべく行動する自分になれると述べています。

 他人の目を通して理想の自分像をつくりあげ、そこに「なりたい自分」を重ねることは、もうやめにしませんか?

 社会が当たり前の価値観としている「競争に勝つこと=幸せをつかむこと」という洗脳から、そろそろ脱出しませんか?

 自分が本当に望む自分とはどんな自分なのかを、自分の心で感じ、自分の頭で考え、自分で発見しようではありませんか。そうして他者に洗脳された「自我」を書き換え、「幸せ」というゴールが見出だせれば、自ずとそこに向かうプロセスそのものを「幸せ」に感じるはず。嬉々(きき)として、日々を生きることができます。もちろん、自分をダメ人間と自己卑下することもなくなるでしょう。  自分を変えるために必要なのは、何者にも束縛されない本来の自分を取り戻し、自分本来の幸せを求めていく強い意志です。  そういう強い意志が持てたならば、その先にはさらに、自分の関わる宇宙を超越した視点に立つための「自由意思の獲得」というゴールが見えてきます。それは、人間ならば誰にでも獲得できるもの。人類はすでに、自らの自由意思で進化できるまでに脳を発達させているのですから、すべての人がこの自由意思を持つことは可能なのです。

『ドクター苫米地の新・福音書』 プロローグ より 苫米地英人:著 開拓社:刊

 本書は、機能脳科学を専門とする苫米地さんが研究と実践を通して学んだ、「自我を書き換えて本当になりたい自分を実現し、最終的には自由意思を獲得する」方法をわかりやすくまとめた一冊です。  その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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わざわざ自分を不幸にしていませんか?

「私ってこういう人」 そんな“自分像”は、本当に「いまの自分」なのでしょうか。

 苫米地さんは、みなさんが現在分析している自分自身は、本当の自分の姿とは異なるものだと指摘します。

 よーく考えてみてください。「私」を考えるとき、あなたは当然のように、他人または社会から見た自分の姿を思い浮かべていませんか?  たとえば、「ダメなサラリーマン」である自分は、上司・異性の目が決める自分です。つまり、「他人がつくった自分」を自分自身だと思いこんでいるのです。  また、「家柄、資産、学歴、地位などに恵まれない」自分は、社会が評価しない自分に過ぎません。「安月給と貧乏に甘んじている」自分もそう。社会的地位が低いから、ダメな自分だと考えてしまうのです。それは、社会の価値観の奴隷と化している自分です。  といったことを考えると、あなたがまず認識しなければならないのは、自分が分析している自分はようするに、

「他人の目というフィルターを通した自分」 「社会の価値観というフィルターを通した自分」

 であるということです。それが、みなさんが頑(かたく)なに「ある」と信じている「自我」の真実の姿なのです。  大半の人は自分以外の「他人」とか「社会」といったものを勝手に想定して空虚な自我をつくりあげ、わざわざ自分を不幸にしています。自己卑下があまりにも強すぎるのです。だからこそ、私は言いたい。 「そんなふうに、他人や社会が勝手につくりあげた自分が自分だと思いこみ、それに縛られていることほど、屈辱的なことはないのではありませんか? そんな自分でいる限り、決して『なりたい自分』にはなれませんよ」と。  もちろん、「なりたい自分」の人物像をどう描こうが、あなたの自由です。それが自分の本当に望む姿で、たまたま他人の思惑に合致しているだけなら、私は何も言いません。そうではなく、ろくすっぽ自分の思いも吟味せずに、他人の目や社会の価値観に洗脳されている人があまりにも多すぎるから、自分自身を根本から問い直す必要があると提言したいのです。

『ドクター苫米地の新・福音書』 第一章 より 苫米地英人:著 開拓社:刊

 私たちは、自分自身を「ありのまま」イメージしているように感じています。  しかし、それは間違いです。

 いつの間にか「他人の目」や「社会の価値観」に頭の中が占拠されている。  それらのフィルターを通した自分を「本当の自分」と勘違いしているのですね。

「過去」ではなく「未来」の因果に働きかける

 多くの人は、「時間は過去から現在、未来へと流れる」と考えます。

 今、起こっていることの原因は「過去」にある。  そう考えるから、過去を後悔し、自己嫌悪に陥ってしまいます。

 一方、苫米地さんの考える時間の流れは、「時間は未来から現在、過去へと流れる」です。

 つまり、過去と現在の時間因果においては、原因は現在で、結果が過去であり、現在の結果を決める原因は未来にあるということです。

 この時間観は、哲学的には仏教哲学の時間観でもあります。前述したように、仏教では「宇宙は瞬間瞬間で新たに生み出される離散的な存在」だと考えられています。  いまの一瞬が一瞬で消滅すると同時に、一瞬にして次の瞬間が生み出される、という考え方です。  つまり、一瞬でなくなるこの刹那瞬の宇宙(「一念三千」といいます)は、そのまま過去に消えていくことになります。明らかに、時間は現在から過去に流れている、という解釈です。  少々説明がくどくなりましたが、仏教時間も併せて時間の流れを理解すると、「過去の因果で未来は決まらない」ことがすんなりと受け入れられるはず。過去にこだわることが、どれほど無意味かも再認識できるでしょう。  過去の出来事など、その後の解釈でどうにでも変えられるのですから、わざわざ記憶の引き出しから引っ張り出してくることもないのです。 (中略)  ところで、ここからが本題です。過去は放っておいても現在や未来が決めてくれるので、その過去に対しては意識して働きかける必要はありません。大事なのは、未来に働きかけることです。未来には、 「過去から現在に至る自分を、一瞬にして幸せの絶頂に導くような出来事」
 が待っています。未来の自分がどうなるかは誰にもわかりませんが、無限の可能性が広がっていることだけは確かです。  その未来に目を向けて、「なりたい自分」「叶えたい夢」を考える、そういう抽象度の高い思考をするのです。「いまの自分」から時間軸をずーっと先に延ばして「未来の自分」という抽象度をつくって。  すると、「未来の自分」は「なりたい自分」になって夢を叶え、幸せをつかんでいるのですから、その未来から見た「いまの自分」も最高に幸せだということになります。原因の未来を幸せにするためには、現在の自分が幸せでないと困るでしょう? それが、未来に対する働きかけになるのです。  たとえ、いま現在「なりたい自分」や「叶えたい夢」がよくわからない、未来の抽象度でうまく思考できないという人も、少なくとも「いまの自分」が最高と思って生きればいいのです。どんな状況にあろうと、そう確信しているだけでも、未来にいい働きかけができます。

『ドクター苫米地の新・福音書』 第二章 より 苫米地英人:著 開拓社:刊

 時間は、「未来」から「現在」そして「過去」へと流れる。

 つまり、過去の出来事は、現在に何の影響も及ぼさないということ。  過去に思い悩むのは、ムダ以外の何ものでもないということですね。

 さらには、思い描く未来を変えれば、現在も変わります。

「現在」は、バラ色の「未来」に至る過程。  そう考えれば、「いまの自分」が最高だと思って生きることができますね。

自らを解き放つ「逆腹式呼吸」

 より高い抽象度で、自由に「自分」を操作する。  それには、知識・経験を豊富に積む一方で、想像力を駆使して臨場感世界を広げる努力が必要です。

 人間には、「ゲシュタルト能力」という、知らない事象でも類似の知識・経験を駆使して想像する能力が備わっています。

 ゲシュタルト能力を高めるために、最初に習得すべきこと。  それが「逆腹式呼吸法」という呼吸法です。

 なぜ呼吸かというと、呼吸は人間の生命維持に必要なホメオスタシスのなかで最も重要であるにもかかわらず、意識でコントロールできるからです。  とくに訓練をしなくても誰もが簡単に、呼吸を少しの間止めたり、速度を変えたりすることができますよね? だからこそ、意識をホメオスタシスに介入させる窓口として、呼吸は非常に利用しやすいのです。  すでに述べた通り、内部表現の書き換えとは、負の現状を維持するよう働くホメオスタシスに介入して、自分が思い通り行動できるように新たな情報を記述することです。呼吸を使うことで、心身を思い切りリラックスさせて抽象度を上げつつ、そこで意識を働かせることが容易になるのです。  たとえば、何か緊張する出来事を前にしたとき、ちょっと深呼吸するだけで気持ちが落ち着いた、というような経験をしたことがありませんか? そうして気持ちが落ち着けば、緊張によりパニックに陥っていた脳が活動し始めます。「頭の中が真っ白」という状態から抜け出して、自然と自分がどう行動すべきかを冷静に考えられるようになるのです。  ようするに、物理空間でさまざまな縛りを受けている心身を緊張から解き放ち、さらに頭を思考力がフル稼働する状態に持っていく。そのために呼吸が有効だということです。  このことをちょっと専門的に言うと、呼吸は「Rをゆらがせる」うえで重要なカギを握るものだということです。Rは現実世界。そのRに意識を向けると、その瞬間にRではなくなります。現実世界をありのままに感じているところに意識を向けると、自分の意識という認識が介入するから、Rではなく、Rゆらぎになるのです。  たとえば、目の前にとてもきれいな女性がいたとします。彼女について何も考えず、何も感じなければ、それはRです。でも、「きれいだな」とか、「誰だろう?」とか、少しでも何かを考えたら、Rゆらぎになります。  通常、私たちは何かを見たり、聞いたりして、何も考えないことはありえません。禅の高僧なら、無我の境地を持続できるかもしれませんが、ふつうの人はすぐに雑念が入ります。だから、たいていはRゆらぎの意識状態にあると言っていいでしょう。  そのRゆらぎの状態が、呼吸を意識にあげることによってより明確につくりだせるわけです。  抽象度を上げる際に同時に臨場感を上げていくためには、Rをゆるがせなければなりません。そのために、呼吸を使って、リラックスとゆらぎの二つを得る必要があるのです。

 呼吸法はとても簡単です。まず、ふだんは無意識のうちに行っている呼吸を、意識のうえに引っ張り出してください。そして、意識して深呼吸する要領で、 「逆腹式呼吸」  を行います。つまり、 「お腹をへこませながら息を吸い、息を吐き出すときにお腹を膨らませる」  のです。これは言うまでもなく、息を吸うときにお腹を膨らませて、息を吐くときにお腹をへこませる「腹式呼吸」の逆パターンです。  息を吐くときにとくに、意識をお腹に向けて筋肉を緩めていくのがコツです。と言うのも、筋肉は息を吸うときには自然と緩みますが、吐くときは意識してやらないとどうしても緊張してしまうからです。  息を吸うときは、ほとんど気にしなくても大丈夫。息を吐き続けて、吸うのを忘れてしまう人はいないので、ゆっくり吐き出すことだけに集中してください。  そうして筋肉を弛緩(しかん)させれば、息を吸っても吐いても、うまく全身の筋肉がリラックスしています。やがて、物理空間からふわっと遊離していく感覚が得られるはずです。  その際、呼吸は鼻からでも、口からでも、やりやすいほうでOKです。ただ、空気といっしょにばい菌まで吸い込まないようにするためには、鼻で吸って、口から吐き出すのがベストでしょう。

『ドクター苫米地の新・福音書』 第三章 より 苫米地英人:著 開拓社:刊

 生きるために、最も重要でありながら、ほとんどの人が意識していないこと。  それが「呼吸」です。

 普段、意識しないことをあえて意識してやる。  そうすることでリラックスとゆらぎの両方を得ることができます。

 そのためのベストな方法が「逆腹式呼吸」だということです。

「なりたい自分」の未来をリアルに感じる工夫をする

 内部表現を書き換え、未来に働きかける。  そのためには、現実にその未来にいるかのような臨場感を書き込む必要があります。

 ポイントは、臨場感が維持できる範囲内で一番遠い未来を、書き込みための未来として想定することです。

 未来の自分のイメージをリアルに感じるためには、それに関する知識と経験を増やす努力・工夫が必要です。  ただ「成功したい」と言うだけで、社長の椅子に座ったこともなければ、社長と言われる人に会ったこともない、成功者がどんな仕事をしているのかもまったく知らない、というのでは、臨場感を持ちようがないでしょう?  だから、できるだけ未来の夢に関連性のある人や場所、出来事などに触れて、それらをリアルに感じるようにする努力が必要なのです。それが、未来に対して縁起をつくってあげることにもつながります。  たとえば、大臣になって日本を平和で幸せな国にしたい人は、総理大臣や外務大臣、財務大臣たちの動向にいつも関心を持ち、国会の傍聴に行くくらいでないといけません。  貧富の差のない真に平等な社会を築くために、ノーベル賞モノのスキームを発明する経済学者になりたい人は、ノーベル賞の授賞式を見学したり、すでにノーベル賞を受賞した人に会いに行ったりする必要があります。  私自身が経験した学者の世界では、何か新しい学問分野を研究しようと思ったら、論文を読むよりもまず、その分野の最高峰の学会に顔を出すのが通例です。重要な研究成果をあげた研究者たちの顔を見て、実際に会話することで、その分野のリアリティが生まれるのです。それが、自分自身の研究成果をあげることにもつながります。  学問の世界だけではなく、どんな仕事でも、その現場をリアルに体験することは大切です。その臨場感をしっかり感じたうえで、抽象化の作業をしていくのです。  いまの自分と未来の自分の間の距離が遠ければ遠いほど、体験的に臨場感を得るのは難しくなりますが、もっと近いところで「こういうことを経験し、こういう知識を身につければ、臨場感を維持できる」というポイントはどこかにあるはずです。  それに、未来の自分そのものズバリのシミュレーションができなくとも、「夢を実現した気分になれる」体験なら、工夫しだいでどうにもなるでしょう。  その意味で使えるのは、「メソッド演技」方式です。これは一言で言うと、リアルな複数の記憶を組み合わせて、体験を合成する演技術です。 (中略)  話を元に戻しましょう。記憶を合成することにより、役者が実にリアルな、迫真の演技をするように、私たちも記憶を利用すれば、未来体験の臨場感を維持することが可能です。  もし、あなたが「起業して上場を果たし、マザーズの壇上に上がりたい」のなら、実際に壇上に行かなくとも大丈夫。何かの祝賀パーティに出席したときの記憶――会場の雰囲気や拍手の音、乾杯のシーンなどを思い出したり、何かを申請するときに書類をつくった記憶を上場審査になぞらえたりすれば、あたかも上場体験をしたようなリアルな臨場感が出せるでしょう。  そうして、未来に対して縁起をつくることができるわけです。もちろん、合成に使う記憶の素材は、どれもリアルであることが最低条件ですが。  とにかく、未来の自分をリアルに感じるためには、「なりたい自分」が将来どこで何をしているかを想像して、その場所に行ってみる、関連する何かをやってみる、試してみる、関係者に会ってみることが重要です。

『ドクター苫米地の新・福音書』 第四章 より 苫米地英人:著 開拓社:刊

 自分の過去の体験を組み合わせ、つなぎ合わせる。  それによって「未来の現実」を創り出すことができるということですね。

 現実世界は、“劇場”であり、私たちは、そこで演じる“役者”です。

 抽象化の作業が進めば進むほど、演じられる役が増えていく。  つまり、どんな人生でも生きることができるようになるということです。

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 苫米地さんは、低い抽象度でランダムに見えることも、高い抽象度では整合的なパターンとして見えてくるとおっしゃっています。

「現実は、理不尽なことばかり」 「世の中は、思い通りにならない」

 私たちが、そう思い込んでいるのは、抽象度の低い次元で生きているからです。

 抽象度を上げる、つまり、より高い視点から物ごとを眺めるようになる。

 すると、これまで無秩序にしか思えなかった事象にも、法則性があることがわかってきます。

 法則性がわかれば、それを利用して、現実を変えていくことができますね。

 苫米地さんは、人類には、このひとつ下の系からひとつ上の系に上がる能力が備わっているとおっしゃっています。

 抽象度の低い、奴隷のような世界を抜け出し、抽象度の高い、幸せで自由に満ちた世界を生きる。

 本書は、そのために必要な気づきを与えてくれる、まさに“福音書”のような一冊です。

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