【書評】『「イヤな気持ち」を消す技術』(苫米地英人)

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 お薦めの本の紹介です。
 苫米地英人先生の『「イヤな気持ち」を消す技術』です。

 苫米地英人(とまべち・ひでと)先生は、脳科学者です。
 ご専門は、機能脳科学や認知心理学、人工知能など多岐に渡ります。

人間の脳はマイナスの出来事を記憶する


 人間は誰でも、イヤな出来事、悲しい出来事の記憶をたくさん持っています。

 本来、マイナスの出来事の記憶は、生きていくことに役立ちこそすれ、人間から生きる力を奪うものではありません。
 実際、私たちはたくさんのイヤな記憶を持ちながらも、ふだんはそれをすっかり忘れ、元気に生きています。

 しかし、苫米地先生は、近年はイヤな出来事やその記憶に囚われて仕事がはかどらない、夜ぐっすり眠れないなど、心身に支障をきたす人が増えていると警鐘を鳴らしています。

 苫米地先生は、私たちの自我は、過去の記憶によって成り立っていると述べています。

 過去の記憶によって自分の中に間違った“信念”が出来上がれば、自我は小さく歪(いびつ)なものになり、それが自分を苦しめることになります。

 本書は、脳科学の見地から「イヤな記憶」をプラスに評価することで、マイナスの情動を呼び覚まさせなくなる方法をまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「海馬」と「扁桃体」が、イヤな記憶を増幅させる


 私たちは、なぜ「イヤな記憶」ほど鮮明に覚えているのでしょうか。

 記憶を出し入れする仕組みは、「海馬」「扁桃体」と呼ばれる部分の働きによります。

一般に海馬は、しばらくの間だけ覚えておけばいい情報を一時的にためておく場所として知られています。
 それは重要に違いありませんが、海馬にはもうひとつより重要な機能があります。
 側頭葉に出来事を投げ込んで長期記憶させたり、側頭葉から長期記憶を引っぱり出したりするゲートの役割をしている点です。

 一方、扁桃体は海馬に働きかけ、それが出し入れする記憶を増幅させたり弱めたりする機能を持っています。扁桃体が海馬に「強く思い出せ!」と命じると、人間は過去の出来事を強烈に思い出すわけです。
 海馬と扁桃体の関係は、いわばダムの放水ゲートの現場操作担当と、コントロールセンターの放水量管理者のようなものです。管理者が「思いっきり放水しろ!」と命じれば、現場担当者は「わかりました!」とバルブを全開にするし、「ふだんより少なくしろ」と命じれば、現場担当者はほとんどバルブを開きません。
(中略)
 私たちがイヤな記憶に囚われるのは、海馬と扁桃体が増幅の連携プレーをくり返す結果、そのイヤな記憶が前頭前野に認識のパターンをつくるからです。また、イヤな記憶というのは我々が「エピソード記憶」と呼ぶ一連の出来事の記憶であり、前帯状皮質、尾状核といった部位も連係プレーに参加します。
 前頭前野は、人間の脳の中で最も新しく進化した脳で、知性を司っています。
 辛い記憶、悲しい記憶の認識のパターンが前頭前野につくられることで、「どうしても許せない」とか「思い出すだけで身ぶるいする」など、嫌な出来事に囚われる心の状態が生み出されるわけです。
 くり返し自らを襲うイヤな記憶、それがもたらす自縄自縛、捨て鉢で邪悪な考え。
 それは、側頭葉に収められたイヤな記憶ではなく、海馬と扁桃体、そして前頭前野につくられた認識のパターンによって生み出されているということです。

 『「イヤな気持ち」を消す技術』 第1章 より  苫米地英人:著  フォレスト出版:刊

「海馬」と「扁桃体」という、脳の器官の働き。
 それと、前頭前野の脳の記憶認識パターン。

 それらを弱めてあげる、もしくは変えてあげることができれば、「イヤな記憶」に苦しめられなくなります。

記憶力は「統合する能力」で決まる


 一般的に私たちが「記憶」と呼ぶもの。
 それは機能脳科学的にいえば、脳の側頭葉と呼ばれる部位に格納されている情報をいいます。

 記憶というものは、脳の中に、どのような状態でしまわれているのでしょうか。

 一般に、記憶を問題にするとき、私たちは、それをインプット、つまり入れる側の問題と認識しがちです。よりよく覚える、より速く覚えるために、入れる側の力を強化しなくてはいけない、というように。
 そこで「記憶力を強化するためにはどうするか」というノウハウに人気が集まります。
 ところが、記憶は、実は入れる側の能力の問題ではないのです。
 入れる側の能力は誰もがみな持っており、おそらくその能力は、個々人でほとんど差がありません。
 では、個人によって記憶力に大きな差が生まれる理由は、どこにあるのでしょうか。
 それは、記憶を出す能力の差なのです。
 いささか専門的な言葉になりますが、出す側の能力のことを統合能力といいます。
 脳が記憶を引っぱり出すときに、それを統合する必要があるため、私のような専門家はそう呼んでいます。

 統合するというのは、どういうことでしょうか。
 すでにふれたように、記憶は、脳内のチューニングされた一定の信号状態のことです。とはいえ、その一定の電気・化学信号の状態の中に、過去に起こった出来事の記憶が全部ワンセットで詰め込まれているわけではありません。
 記憶を構成する情報は、実はバラバラの状態で側頭葉に記憶されているのです。
 脳は、それを引っぱり出すとき、バラバラになっている情報を1つに統合するという作業をします。
 これが統合能力です。

 『「イヤな気持ち」を消す技術』 第2章 より  苫米地英人:著  フォレスト出版:刊

 記憶力とは、バラバラに脳内に格納されている記憶の断片を引っぱり出して1つに統合する能力です。
 つまり、インプット(入力)より、アウトプット(出力)が重要だということですね。

 同じ辛く悲しい体験をしても、それがトラウマになる人と、そうでない人がいる。

 それは、記憶そのものの問題ではありません。
 その記憶を引っぱり出す認識パターンが、頭の中に出来上がっているか、記憶の倉庫に眠ったままかの違いです。

記憶を引っぱり出せなければ忘れたと同じ


 人間の脳は、新しく発達した前頭前野のほうが、比較的古くから発達した扁桃体や海馬よりも優位です。
 そのため、前頭前野が、扁桃体と海馬の情報処理に介入が可能です。

 この脳の仕組みを利用して、扁桃体を鈍感にすることで記憶を引っぱり出すレベルを意図的に鈍感にさせることもできます。

 つまり、ポイントは、優位にある前頭前野は大脳辺縁系の情報処理にあっという間に介入することができる点です。前頭前野が大脳辺縁系の情報処理に介入することによって、即座に恐怖が消え、冷静さを取り戻すわけです。
 前頭前野側から介入させることによって恐怖がなくなると、そのことによって、逆向きの前頭前野のパターンが薄れていくことになります。
(中略)
 恐怖がなくなり、パターンが変われば、そうした恐怖体験は徐々に記憶に上らなくなります。人間が一度記憶した情報を本当に忘れているかどうかという点は、科学的にはわかっていません。
 もちろん、人間はそう簡単に忘れません。すでにふれたように、退行睡眠によって忘れているかなり細かいことを思い出す例にもあるように、通常は思い出し方が難しいだけです。
 したがって、私たちはふだん忘れた気になっているだけで、きっかけがないために記憶を引っぱり出せないことが多いということでしょう。
 とすれば、引っぱり出せなくすれば、それは忘れたというのと同じです。前頭前野のパターンが薄れ、記憶に上らなくなることを、私たちは忘却と呼んでいるのです。

 『「イヤな気持ち」を消す技術』 第2章 より  苫米地英人:著  フォレスト出版:刊

「イヤな記憶」をなくす。
 そのためには、それとは逆の情報を前頭前野、つまり、私たち自身の知性を通じて与えることです。


 前頭前野をうまく働かせて、「イヤな記憶」を引き出す、海馬や扁桃体の働きを弱めましょう。

他人の刷り込みでつくられる自我


 現代人のイライラの原因とされる「情報過多」。
 その正体は、前頭前野のパターンになるたくさんの、「外から刷り込まれた情報」です。

 苫米地先生は、この情報こそが、「自我」であるとしています。

 父親は誰で、母親は誰で、好きな食べ物は何で・・・・どんな情報でもいいわけですが、それは全部、自分にとって重要な情報だと思っていることです。
 そうやって、自分で自分のことを定義したものが自我です。
 私は、自我とは重要性の評価関数であると定義しています。
 つまり、自我とは、宇宙のすべてのものを重要性の順番で並び替える関数のことなのです。
 だから、他人と自分とでは重要だと思っていることの順番が異なり、自我も違うわけです。
 さて、自分が重要だと思っている情報が外から刷り込まれていることは、自我も他人によってつくられていることにほかなりません。
 自我と言うと、たいていの人は自分固有のものであると考えていますが、実際は他人の刷り込みが勝り、自分固有のものはほとんど表に出ていない可能性が高いのです。
 これは、恐ろしいことです。

 『「イヤな気持ち」を消す技術』 第3章 より  苫米地英人:著  フォレスト出版:刊

「イヤな記憶」を呼び起こす思考パターンを作り出すのは、この「自我」です。

 人間は、「自我」というフィルターを通して、この世界を見ています。
 ありのままの世界を見ているわけではなく、人それぞれ別々の世界を見ているということです。

「自我」を構成している思考パターンは、自分の中からではなく、外部から押し付けられたもの。
 その認識は、つねに持っておきたいですね。

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 人間を苦しめるのは、「不幸な出来事」それ自体ではなく、その出来事の「捉え方」です。

 過去は、「記憶」の中にしかなく、頭の片隅に断片的に積み重ねられています。

 記憶の断片を、どのように組み合わせて、引き出してくるか。
 もしくは、引き出さずに眠らせておくか。

 それは、本人の思考パターン次第ということです。

「思考パターンを変えること」

 それがすべてのカギになります。


 他人が押し付ける「自我」と、自分の中から涌き上がる「自我」。
 二つの「自我」を区別して、他人の価値観に操られない思考パターンを身につけたいですね。


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