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本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『100万人に1人の存在になる方法』(藤原和博)

 お薦めの本の紹介です。
 藤原和博さんの『100万人に1人の存在になる方法』です。

 藤原和博(ふじわら・かずひろ)さんは、教育改革実践家です。
 東京都初の民間校長として、杉並区の中学校長を務められたことでも有名です。

「100万人に1人」のレアな人材になるには?

 小さい頃から、とくに「やりたいこと」も「好きなこと」もなく、公務員や会社員になって、今に至った。

 日本人のほとんどは、そんな人生を送っているのではないでしょうか。

 藤原さんは、そんな“中途半端な人たち”でも、3つのキャリアのかけ算をして「キャリアの大三角形」を形成することで、あなたは100万人に1人の「希少性」ある人材に変態(メタモルフォーズ)することが可能だと述べています。

 年間に100回を超える私の講演での反応を見ると、「20代で就く1つ目のキャリアで1万時間(5年から10年)夢中になって仕事をすれば、それが営業であっても経理であっても宣伝であっても、100人に1人の営業マン、経理マン、宣伝マンになれる」という話には説得力があるようだ。
 また、「2つ目のキャリアは、30代における会社や役所での異動かもしれないが、営業から営業企画でもいいし、経理から財務でも、宣伝から広報でもいいから、左の軸足が1万時間で定まったら、右の軸足を定めるつもりでやっぱり1万時間頑張れば、そこでも100人に1人の企画マン、財務マン、広報マンになれる。そうすれば、結果的にこの2つのキャリアのかけ算で、100分の1×100分の1×=1万人に1人の希少性を確保することが可能だ」という話も同様に共感を呼んだ。
 ここまでで、ホップ、ステップまで進んだことになる。

 ところが難しいのは、この次のジャンプのやり方だ。
「キャリアの大三角形」と名づけているように、底辺が決まったら(左と右の軸足が定まったら)、もしくは2つのキャリアのかけ算が完了したら、次にどこへジャンプするかがあなたの将来の付加価値を決める。
 三角形では、頂点が底辺から離れていて、「高さ」が高いほど面積が大きくなることは自明だ。
 この三角形の面積こそが、「希少性」の大きさを意味するのである。
 だから、面積を大きくして、あなたの「希少性」を高めるためには、できるだけ遠くへ飛ばなけれはならない。

「高さ」を出すとはどういうことなのか?
 3つ目キャリアのかけ算で圧倒的な価値を生むためには、どんなふうにキャリアをつくっていけばいいのか?
 三歩目の飛び方がすべてを決めると言われても、具体的なイメージが湧かない・・・・・。
 そうした疑問が湧き起こってくるのは当然だ。
 そこで、この本では、読者に具体的な見本を示すために、100万人に1人の希少性を実際に達成した人たち(MILIONTH(ミリオンズ))10人を取り上げ、その一歩目、二歩目、三歩目のキャリアを示すことにした。
 まさに大三角形を形成する3つ目のキャリアのかけ算の妙が、10人の運命を拓(ひら)いたのだ。
 すると次には、このような疑問が湧いてくるに違いない。

 彼にはどうしてそんな勇気があったんだろう?
 彼女はなぜそんな無謀な決断ができたのか?
 そもそも怖くはなかったんだろか?

 結論を述べてしまおう。
 もちろん怖かったはずだ。それでも無謀にも見える彼らの三歩目のジャンプの背中を押したのには、3つの要因が重なっている。

 1つ目は、サラリーマンのままでいいんだろうかという強い疑問。これが20代、30代と高まって、やがて臨界点を超える。もちろん決断が早い人もいる。

 2つ目には、ようやく自分がどんなことなら夢中になれるのかが見えてくるのだ。
 平均寿命が40代だった明治期までなら20歳の成人までに取り組む仕事を決めるのは当然だった。でも100年の人生を生きる現代の若者なら、40歳くらいを成人とみなし、それまでに自分がライフワークとして取り組むテーマを決めればいいんじゃないかとも思えてくる。
生きがい、生きがいと20代のうちから騒ぐのではなく、人生の半分までに2つ以上の稼げる技術を磨き(刃を研いでおいて)、40代以上から、それらを組みあわせて自分が本当に集中できる分野を見つければいい。それからでも、たっぷり50年はあるのだから。

 3つ目には、社会的な意義に裏打ちされた使命感である。なぜ、社会的な意義が高いほうがいいかというと、周囲の人々の関心が強ければ、エネルギーが注ぎ込まれるからだ。
 しかも、それが不利な勝負であればあるほど、実は社会の側が助けてくれるものなのである。
 あなたのチャレンジする姿が、味方を引き寄せる。 『100万人に1人の存在になる方法』 はじめに より 藤原和博:著 ダイヤモンド社:刊
 本書は、40代までに“中途半端さ”を脱却し、100万人に1人のレアな人材になるための方法を、実例を示して具体的に解説した一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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最初のキャリアは「事故」でいい

 藤原さんは、最初のキャリアとの出会いは「事故」でいいと述べています。
 ただし、入社して3年から5年、思いっきりバッターボックスに立たせてくれる会社かどうか、という視点が大切だとしています。

 さて、最初に左足の足場を固めるのが、ホップ、ステップ、ジャンプとキャリアの大三角形を描く第一歩だ。
 営業でも、特定の技術領域でも「事故」で出会った仕事を自分のものにするのにどれくらいの時間がかかるだろうか。左足の足場を固めるのにかかる時間のことだ。
 これには、「1万時間の練習量」が効いてくる。
 1万時間あれば、たいていの人はその仕事をマスターし得るし、その技術によって会社で食っていくことは可能だ(外の世界でも食えるかどうか、マーケットバリューがあるかどうかは、この時点ではまだビミョーだが)。

 1万時間というのは、どのような長さだろうか。
 1日3時間集中して取り組めるなら、1年365日で約100時間だから10年かかることになる。1日5時間で年200日でも同じ10年。もし1日この倍の量を働けば、5年で1万時間に達する。
 この数字は科学的に検証された結果ではないが、10年以上まともに働いてきた読者なら実体験からわかるはずだ。1つの仕事をマスターするのに、5年から10年の時間がかかるというのは、納得がいく事実だろう。
 また、どこの国でもおおむね義務教育にかける時間は1万時間だ。
 日本でも、アメリカでも、フランスでも。その国の言語を不自由なく喋り、その国の文化、風土、制度、法律の条件の中で支障なく生活していける「国民」をつくり出すのに1万時間をかけていることになる。
 学力が低くても、手先が不器用でも、奥手でも、そうしたこととは関係なく、日本の義務教育は約1万時間で15歳までに「国民」をつくっているのである。
 これも、1万時間で人間の脳は与えられた仕事をマスターできるようになっているとする根拠である。
 ただし、才能、資質、運も味方につけて、スポーツや芸術、あるいは囲碁、将棋などの特定技能についての達人になれるかどうかは別の問題だ。
 現に世界的なソリストとなるようなピアノ、バイオリン、チェロなどの演奏家の世界では数万時間の練習量が必要だそうだ。1日10時間、年間3000時間練習を続けたとしても20年近くかかることになる。ただし、始めるのは5歳くらいだろうから、20代で早くもこの練習量に到達することが可能だ。
 多くの読者は20代からファーストキャリアをスタートしたはずだから、こうした芸術家やアスリートとは異なる世界に住んでいる。
 だからまず、与えられた仕事を通して、その仕事をマスターすることに集中するのが得策だ。
 そして、1万時間で営業や経理や、ある技術分野の仕事(たとえば、プログラミング)をマスターしたあなたは、すでに100人に1人の希少性を獲得しているはずだ。 『100万人に1人の存在になる方法』 第一部 より 藤原和博:著 ダイヤモンド社:刊
 最初のキャリアは、仕事の内容より「経験」が大切だということですね。
 社会に出てすぐの時点では、自分がどんな仕事に向いているのか、わかっていない人がほとんどです。
 最初の仕事を一生の仕事にする必要はないですが、キャリアを積み上げるための土台とすべく、ある程度の経験が必要です。

 その目安が「1万時間」だということです。

一歩目を軸足にして、二歩目の足場を固めよう!

 藤原さんは、一歩目の足場が決まったら、そこを軸足にしてバスケットボールのように、もう1つの足場を探してピボットしながら、二歩目の足場を固めるといいと述べています。

(前略)あっちこっちと試してみていいし、転職してもう1つの足場を別につくることもできる。
 ただ、大方のサラリーマンや公務員にとっては、2つ目の足場も異動によって決まることになるかもしれない。その意味では、必ずしも自分の意思ではなく不可抗力かもしれないが、再び1万時間の練習量を重ねて、その仕事をマスターするようにしよう。
 ここで大事なのは、その2つのキャリアをかけ算することだ。かけ算すると付加価値が生まれるようなかけあわせならGOOD!
 だから、二歩目の足場は一歩目と近い関係の仕事を選んでもいい。

 たとえば、社内の異動であれば、「営業×営業企画」「広報×宣伝」「経理×財務」でも結構だ。転職を伴うなら、デザイナーが自動車メーカーに入って、その後インテリア系の会社に転じる道もあるだろうし、プログラマーがB to Bの世界から入って、ゲームの世界に転じる場合もあるだろう。
 昇進するような場合でも、現場を持つ課長や所長、工場長ならOKだ。プレイングマネジャーとして1万時間とどまれば、一般的なマネジメントの技術だけでなく、現場でしか獲得できない特有の技術も身につけられる。
 それが、次長、部長となると、現場を離れることになるから、人事権や予算権のような権力はゲットできるものの、だんだん仕事のできないと人になる可能性が高くなる。
 サラリーマンの中間管理職として、接待や査定や会議の技術をいくら磨いても、それらは外の世界が買いたいマーケットバリューではない。

 サラリーマンには「偉くなればなるだけ仕事のできない人になる」リスクがつきまとう。
 接待(Settai)、査定(Satei)、会議(Kaigi)の頭文字をとって、私はこうした中間管理職のマネジリアルワークのことを「SSK」と呼んでいる。
 会社において、自分の仕事時間の「SSK」比率が5割を超えている人は、仕事ができない人になる可能性が高くなっていることに気づいてほしい。
(中略)
 こうして2つの仕事領域でそれぞれ1万時間の練習量を積めば、100分の1×100分の1=1万分の1の希少性をゲットしたことになる。
 次の項に示すように、100万分の1の希少性を目指すのは、さらにもう1つの仕事領域で1万時間の練習量をこなした後になるが、左足と右足の2つの足場を固められたらもうマーケットバリューが格段に増すから、外の世界でも売れる。
 だから、30代のうちに1万分1の希少性は確保したい。
 2つの足場が固まって1万分の1の希少性を確保したら、ライフラインができたことになる。あなたの「キャリアの大三角形」を形成するベースとなる三角形の底辺のことだ。
 ここまでくれば数百万円の年収を稼げる「信用」は積めたことになるのだが、仕事の値段(1時間あたりに生み出す価値=時給)は、実際には業界や職種ごとに需要と供給のバランスで決まるので、一概に400万円とか800万円ですとか、額は言えない。
 アロマセラピストやネイルアーティストの例を第一部の前半に挙げたが、第一歩の足場に対して第二歩の足場のかけ算のセンスがいいと、この段階までで圧倒的な付加価値が生まれるケースもある。
 2つのキャリアのかけ算によって、十分に高い「希少性」が生み出されるケースだ。アロマにセラピーをかけ算するセンス、ネイルにアートをかけ算するセンス、このイマジネーションが三歩目のジャンプのヒントにもなる。

「美容師」に「お笑い」をかければ、「お笑い美容師」になる。
 もし、淡路島にたった1人、東京都北区にたった1人の「お笑い美容師」がいたら、その希少性から、引きあいは途切れないだろう。
 10代で美容師を目指し1万時間修行した人は、そのまま100万人に1人の美容師を目指す手もあるが、それでは勝ち目がないか、多くの脱落者を生む。だから、思い切って別の仕事に身を投じてみよう。お笑いをイチから1万時間修行すれば、10年から20年後に圧倒的な希少性をゲットすることになるはずだ。
 遠回りに思えても、実はこのかけ算戦略のほうが、はるかに勝ち目があるのである。
 同様に、「美容師」に「犬の訓練士(トリマーでもブリーダーでもいい)」をかければ、「犬連れOKの美容院」を開業できるだろう。これだって、佐渡島にたった1人、東京都杉並区にたった1人しかいない場合は、人気店になること請けあいだ。 『100万人に1人の存在になる方法』 第一部 より 藤原和博:著 ダイヤモンド社:刊
 一歩目と二歩目の足場がしっかりしたもので、希少性が確保できているか。
 近すぎず、遠すぎず、無理せずできる範囲で。

 それがポイントになりますね。

 自分ならではのキャリアをかけ合わせ、1万分の1の「レアな人材」を目指しましょう。

「三歩目をどこへ踏み出すか?」・・・・それが問題だ!

 一歩目と二歩目の足場を築いたら、次は「三歩目」をどこに踏み出せばいいでしょうか。

 藤原さんは、その踏み出しの大きさは「キャリアの大三角形」の高さになるから、踏み出しが大きければ大きいほど三角形の面積が大きくなり、あなたの希少性も大きくなると述べています。

図 キャリアの大三角形 概略図 100万人に1人の存在になる方法 第一部
図.「キャリアの大三角形」概略図
(『100万人に1人の存在になる方法』 第一部 より抜粋)
 自分に40代から大きな付加価値をつけようと思ったら、この三歩目の踏み出しの大きさが重要なのだ。何より、40代からでも50年ある人生を生きる現世代は、ここで自分自身の希少性をアピールできなからったら、人生がどんどん寂しくなってしまう。
 ネットワーク社会では、希少性のない仕事をしている人物にはアクセスが集まらないからだ。このことは、単に、稼ぎが少なくなるというだけでなく、人生の豊かさを毀損してしまう。だから、できたら40代に三歩目を踏み出す際には、周囲の友人や同僚が「エッ!」というようなサプライズのある動き方をしたほうがいい。
(中略)
 YouTube動画「100万分の1の人材になるためのキャリア戦略論」では、私の例を示した。リクルート入社と同時に配属された営業部隊で「営業とプレゼン」を1万時間練習した20代前半の第一歩目。結局、リクルートには18年社員でいたが、その半分のキャリアは営業マン、課長、次長、部長、営業統括部長として過ごした営業畑だった。およそ9年間だ。
 27歳からはマネジャーとして仕事をしたから、「リクルート流のマネジメント」も27歳から欧州に留学する37歳までの10年間、1万時間の練習量には達している。これが私の第二歩になる。
 ここまで100分の1×100分の1=1万人に1人の希少性は確保できていると判断して、40歳で会社を辞めた。その後、リクルートのフェローとして、年収がゼロから4500万円の間でブレる危ない働き方をした。
 40代からはテーマを追いかけて自分のイニシアティブで働きたかったから、「教育」「介護を中心とした医療」「住宅」の3分野のうち、どの分野で勝負するのかを探っていたのだ。
 したがって、4歳の長男を連れて欧州に留学した37歳から47歳までの10年間は、三歩目をどこに踏み出すか、試行錯誤の期間だったと言える。

 この間、たんに机上で調べたり、調査したり、思考実験していたわけではない。
「介護を中心とした医療」については、ハンディネットワーク インターナショナルの春山満社長(故人/20代で筋ジストロフィーを発症し首から下が動かない状態で介護機器を独自に開発するベンチャーを経営)と懇意になり、リクルートにも出資させてジェイケアという会社を立ち上げ、介護分野での情報ビジネスの可能性を探った(のちに解散)。
 また、「住宅」分野では、コーポラティブ方式でのマンションづくりでユニークな事業を行っていた都市デザインシステムに出資。社外役員としても入ったが、リーマンショックのあおりを受けて黒字倒産。
 そんなふうに、実際にやってみるなかで、あらゆる可能性を探っていた。
 47歳の時、東京都では義務教育初の民間校長になるチャンスが生まれ、結局、これに賭けることに。
 この決断の背景には、すでに100分の1×100分の1=1万人に1人の希少性はあったものの、そのままとどまってはいられない焦りのようなものがあった。
 考えてみれば、あとからあとからリクルート出身の若手人材が輩出されてくる。その中には、私同様「営業とプレゼン」×「リクルート流マネジメント」を修めながら、なおかつ、IT系に強くてプログラミングもできるようなやつや、帰国子女で英語だけではなく中国語もペラペラなんてやつも出てくるはずだ。
 そうすると、自分の価値はどんどん相対的に下がっていく。これはマズイと思った。
 結局、47歳から5年間、約1万時間、杉並区立和田中学校の校長として、民間校長にしかできない改革を成功させたから、今日がある。
「営業とプレゼン」で100人に1人×「リクルート流のマネジメント」で100人に1人さらに「東京都で義務教育初の民間校長」で100人に1人=あわせて100万人に1人の希少性が、ここにいたって成立したことになる。
 学校のようなノンプロフィット組織でも「営業とプレゼン」や「マネジメント」の手法が有効であることを証明しただけでなく、その後私は、ビジネスと教育と人生を戦略的に語れる語り部として、講演会や私企業の研修会の講師に引っ張りだこになった。 『100万人に1人の存在になる方法』 第一部 より 藤原和博:著 ダイヤモンド社:刊
 藤原さんは、三歩目を踏み出すコツとして、肝心なことは、あまり計算せずにやってみることだと述べています。

 一歩目と二歩目で、1万人に1人の希少性を確保できています。
 それを土台として、自分の興味のおもむくままに、気軽にいろいろ試してみる。
 そんなスタンスが、意外とうまくいくのかもしれませんね。

東京で最もオシャレな「コミュニティ・スペース」をつくれる男

 藤原さんは、実際に「100万人に1人」の希少性のある人材へ変態した人物の一人として、「場作り専門家」水代優さんを紹介しています。

 水代は1978年、愛媛県松山市に生まれた。地元の進学校を卒業後、東京の大学に入るがすぐに辞め、高田馬場にあったバーで働き始める。お客さんの多い店だったが、従業員の数はギリギリ、ともかく目の回る忙しさだった。
「すべての下働きを徹底的に叩き込まれた」と水代は当時を振り返る。バーテンダーの仕草1つ、お客さんの表情1つで、自分がやるべきことを瞬時に嗅ぎ取る。
 そのバーで飲食店運営のイロハを学んだ。もちろん、開店前の掃除やグラス磨きは完璧にこなして当たり前、である。
 その後、様々な専門家の下でアシスタントとして働いた後、愛知県の家具会社の東京進出を手伝う。そこで、進展開発などの腕を磨くことになった。
 そんな時、人気の高級家具ショップだった「IDEE(イデー)」の経営者と出会う。2002年、23歳の時だ。IDEEは当時、家具や雑誌を売るショップの一角をカフェにして、顧客に豊かなライフスタイルを実感してもらう、そんな店舗を広げようとしていた。新店を立ち上げ、それを軌道に乗せる。1日3交代のシフトを2つこなすなど、猛烈に働いた。
(中略)
その頃、三菱地所が丸の内の交流拠点をつくりたいという話がIDEEに持ち込まれた。2003年11月に丸の内仲通りに面した新東京ビルに「丸の内カフェ」をオープン。同時に、同じビルのもともとは銀行の金庫だった場所に、会員制の交流スペース「倶楽部21号館」を開いた。
(中略)
 ところが、「社外活動」も忙しくなり、そろそろ独立しようかと考えていた2010年頃、IDEEがカフェの事業から撤退する方針を固める。困ったのは三菱地所。
 単なるカフェならば運営を引き受けてくれる会社はあるが、会員となっているコミュニティの人たちを満足させられるイベントも同時に企画・運営できるところは、そう簡単には見つからない。
 どうせ独立するのなら引き続き「倶楽部21号館」の仕事を水代がやらないか、という話になった。

 2012年、水代がグッドモーニングスを立ち上げると、三菱地所と直接、「倶楽部21号館」の運営契約を結ぶことになった。三菱地所の担当者からは、「うちの会社と口座を開いた会社の中で、最も小さい会社だ」と苦笑された。
 逆に言えば、10年近くにわたる水代の姿勢を見てきた三菱地所の幹部たちの信頼を勝ち得ていた、ということだろう。 『100万人に1人の存在になる方法』 第二部 より 藤原和博:著 ダイヤモンド社:刊
 藤原さんは、水代さんが「100万人に1人」の人材に変態できた理由を以下のように解説しています。
 水代さんの一歩目のキャリアは飲み屋での下働きだ。徹底した観察と行動で飲食店運営の勘どころをつかんだ。
 じゃあ、誰でも飲食店でバイトすればノウハウがつかめるかというとそうではない。自分でやってみて常に結果にフィードバックをかける「現場感覚」がないとダメだろう。
 現場をやっていないのに自分がやったと語る人がいる。人気の外国人タレントが来日すると「俺が呼んだ」という輩が銀座の飲み屋に100人くらい出没するように。
 現代社会ではよく、手間を惜しんで「ハックする」ことを喧伝することがある。
 でも、20代の最初の段階でしつこく試行錯誤することを省いてしまうと軸足が定まらなくなる。コミュニティをつくり込む仕事には、関係者との膨大な交渉や役所への申請業務、ちょっとした行き違いや利害が相反する局面もあっただろう。
 そうした面倒なことを厭わない「手数の多さ」が水代さんの基礎をつくった。
 二歩目の大事なきっかけは、IDEEの経営が大きく揺らいだタイミングで三菱地所の丸の内再開発と出合ったこと。
 その「場」の持つ磁力を生かして多様なヒト、モノ、コト、情報そして感動をつなげていく水代さんの技術が、エスタブリッシュメントに認められたことを意味するからだ。「磁場」をつくり、それを運営維持する力である。

 遠慮なく言えば、会社の危機は、個人にとっては成長のまたとないチャンスだ。
 私の古巣のリクルートでも、リクルート事件前後でマネジャーだった者たちは会社のブランドが剥げ落ちたことで個人で戦わざるを得なくなったから圧倒的に成長し、その後IT系など様々な市場を拓いていく先駆者が多数輩出された。
 三歩目のジャンプは、グッドモーニングスの起業である。のちに「町おこし」のプロとなる構えは、ここで形づくられていく。
 地域を活性化するには、まず自分から挨拶すること。「おはようございます!」を繰り返すことだ、と彼は説く。
 だから、社名はグッドモーニングではなく、何度も何度もという意味で「ス」がついている。この現場感覚が彼の真骨頂だ。
 名刺にプロデューサーとかディレクターとか肩書がついていても、「現場」を回せる力を持っている人物は意外に少ない。
 だから、「町おこし」や「地方創生」や「コミュニティの活性化」プロジェクトには、企画書に書かれたコンセプトや見た目のデザインはいいが、うまく回らなくなるものが増産されることになる。
 まず、その地域の氏神様が祀られている神社の清掃から始める者が本物だという感覚は、昔から住んでいる地元の人にはすぐ伝わることだろう。 『100万人に1人の存在になる方法』 第二部 より 藤原和博:著 ダイヤモンド社:刊
 自分の長所や強み、好みをしっかり把握し、キャリア選択に活かす。
 今、与えられている仕事に対してつねに100パーセントで臨み、そのスキルを完璧に習得する。

 それを繰り返していくうちに、誰も真似できないレアな人材に変態できるということですね。

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 これからの時代、働き方はますます多様化し、流動化していきます。
 当然、100人いれば100通りのキャリアが生まれる、そんな状況になっていくことでしょう。

 私たちは、様々な選択肢がある中で、どのような決断をすればいいのか。
 藤原さんが最も勧める方法は、「物語」を生み出すきっかけを探り、「物語」を紡ぐための人間関係を豊かにするために「旅立つ」ことだとおっしゃっています。

 本書で紹介されている10人のMILIONTH(ミリオンズ)の皆さんも、最初から最終目的地が決まっていた人はいません。
 自分の信念や興味に忠実に従いながら、試行錯誤して歩んできた道のり。
 それが「物語」となり、他人が真似のできない、唯一無二の存在となり得ました。

 次は、私たちの番ですね。
 本書を片手に自分だけのルートを自らの力で切り拓き、新しい「物語」を紡いでいきましょう。

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2 thoughts on “【書評】『100万人に1人の存在になる方法』(藤原和博)

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