【書評】『本を読む人だけが手にするもの』(藤原和博)

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 お薦めの本の紹介です。
 藤原和博さんの『本を読む人だけが手にするもの』です。

 藤原和博(ふじわら・かずひろ)さんは、教育改革実践家です。
 東京都初の民間校長として、杉並区の中学校長を務められたことでも有名です。

「成熟社会」では、本を読まない人は生き残れない


 日本の社会は、右肩上がりの「成長期」を終え、「成熟期」に入っています。
 20世紀型の成長社会では、人生は、国家と企業が自動的につくってくれるものでした。
 みんなと同じ生き方をすれば、ある程度の幸福を得られる、そんな社会です。
 
 しかし、今の成熟社会では、その生き方が通用しなくなってしまいました。
 誰かの言うとおりに生きても、それが幸福をまったく保証してくれない社会です。
 それぞれ一人一人が自分自身の幸福論を編集し、自分オリジナルの幸福論を持たなければならない時代に突入したということ。

 多くの人にとって、未知の成熟社会。
 その中を生き抜くには、自分なりの幸福論を構築しなければなりません。

 そこで必要となるのが、「読書」です。
 藤原さんは、人生の糧を得る手段として読書をする必要があり、教養を磨く必要があると強調します。

自分の幸福論を構築するには、世の中をどのように把握し、それに対して自分の人生をどのようにとらえるかが重要になる。
「人生のとらえ方」とは、いわば人生の幸福の実現のためにどういうテーマを持ち、どういうベクトルに向かって進んでいくかということだ。
 幸福という定義を自分で決め、現在の自分がどの地点にいて、どちらの方角を目指し、どこまで達成すればいいのかということまで、すべて自分で決めていかねばならない。
 誰も助けてはくれない。これは、じつに恐ろしいことだ。

 成熟社会は、個人がバラバラになっていくことと同義である。それにともなって、地域コミュニティの影響力も後退していく。
 日本にはもともと地域社会というコミュニティがあったが、産業化によって破壊されていった。その代わりの役目を果たしたのが、企業というコミュニティだ。しかし、成熟社会では、それさえもアメリカ流のグローバリズムによって分断されていく。

 じつはヨーロッパを中心に成熟社会を迎えた先輩諸国がやったのは、国家として宗教を発動し、バラバラになっていく個人を再び紡ぐことだった。日本のように企業がその役割を担うのではなく、宗教界が教会というネットワークで紡いでいったのだ。
 ややこしいのは、日本は太平洋戦争の影響で、このように、国家が宗教を発動できなくなったことだ。
 宗教の未整備によって、とくに若い人たちが浮遊している。では、宗教の代わりに彼らをつなぎとめているのは何か。
 それが日本の若者が異常にのめり込んでいる携帯メールである。突出してメール文化盛んになったのは、宗教の代替機能として、つながったような気になるという側面が大きかったと私はみている。
 宗教が機能している社会では、宗教が物語をつくり、幸福とは何かを教える。でも、日本のように宗教が機能不全の国家では、自分で自分の宗教、あるいは、その代替物としての幸福論を持たなければならない。だが、携帯メールはその場限りのつながりを与えてくれるだけで、幸福論の代わりにはならない。
 だれかに託したり、自らを捨てて帰依(きえ)することができる人はそれでいいと思う。しかし、そうではない普通の人は自分で本を読み、自分で世界観を構築しなければ幸福論は築けない。

 『本を読む人だけが手にするもの』 序章 より 藤原和博:著 日本実業出版社:刊

 今、必要なのは、人生という“荒野”を進むのに必要な「サバイバルナイフ」としての読書です。

 本書は、「なぜ、本を読むといいのか」を教育家・藤原さん独自の視点から解説した一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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本を読むか読まないかで、報酬の優劣は決まってくる


 藤原さんは、1時間あたりの報酬が1万円を超えた人を、「エキスパート」と呼んでいます。
 弁護士、コンサルタント、医師などが、それに相当します。

 藤原さんは、エキスパートでありながら本を読まない人に、これまで会ったことがないと指摘します。

 本を読むか読まないかで、報酬の優劣は決まってくる。本を読むことで限りなくエキスパートの報酬水準に近づいていくか、本を読まずに限りなくフリーターの報酬水準に近づいていくかという分かれ道だ。
 いっぽう、さまざまな仕事のなかで時間あたりに稼ぐ効率が最も高いのは講演である。ビル・クリントン氏のようなアメリカの大統領経験者になると、1回の講演で数千万円を稼ぎ出す。
 大統領や首相経験者でなくても、講演は稼ぐ効率が高い。日本の有名人クラスでは、1時間あたり100万円ぐらいになる人もいる。たとえば、宮本輝さんのような一流の作家やジャーナリストは、100万円前後かかると聞いたことがある。
 1時間あたりに生み出す価値でみれば、日本のなかでも最低ランクのフリーターの約1000倍、トップクラスのシニアコンサルタントでも10倍の開きがある。講演で稼ぐ人の時給にかなう職業はおそらくないだろう。

 さまざまな分野で「一流」と呼ばれる人は、話すだけで1時間あたり100万円を稼ぐ。その根底にあるのは、聴衆を満足させるだけの知識だ。彼らは、その知識を得るために必ず本を読んでいる。
 もちろん、聴衆が期待しているのは、講演者が本で得た知識ではない。むしろ、だれも聞いたことがない、その人が実際に体験したことの数々だろう。
 しかし、人間はすべてのことを体験することはできない。たとえば、櫻井よしこさんが講演で日本の領土問題を話すとき、尖閣諸島や竹島や北方領土など話題にする場所をすべて訪問し、すべてを体験して語ることなどできはしない。
 だとすると、資料を読み込んだり、信頼できる書き手の著書を読んだり、信頼できるネットワークからの情報を得て、それに自らの体験を乗せて語っているはずだ。
 ということは、1時間あたりに生み出す付加価値の総量を上げるためには、本を読むことが欠かせないといえるのではないだろうか。

 『本を読む人だけが手にするもの』 第1章 より 藤原和博:著 日本実業出版社:刊

 一人の人間が、実体験から得られる知識は、ごく限られたものです。
 足りない「経験」を補ってくれるもの。
 それが、「本」だということですね。

 本を読むことで、他人の知識や経験を得ることができます。
 経験から得た知恵に深みを与えるためにも、読書は欠かせませんね。


他人の脳のかけらをつなげることで、脳は拡張する


 21世紀型成熟社会で必要になるのは、「レゴ型思考」です。
 さまざまな形のレゴブロックを組み合わせることで、自由に思い通りのものをつくることができます。

 レゴ型思考を身につけるのに、有効な手段のひとつが「本」です。
 本は、その作家の「脳のかけら」です。
 藤原さんは、その脳のかけらを、読者は本を読むことで自分の脳につなげることができると指摘します。

 私の脳を、仮に「藤原脳」と呼ぶことにしよう。脳内でレゴブロックを自在に組み上げるためには、藤原脳を拡張させなければならない。
 そのためには、さまざまな学びが必要だ。
 しかし、一人の人生で、自分が見て経験できることには限界がある。だから、他人が獲得した脳のかけらを藤原脳にたくさんくっつけることができれば、もっと拡張することが可能となる。まったく異なる脳のかけらをくっつけることで、自分の持っている脳では受容できなかったものが受容できるようになるからだ。

 だとすると、普段から藤原脳を他人の脳のかけらがくっつきやすい状態にしておく必要がありそうだ。そのためには、どうすればいいのだろう。
 私は、藤原脳に無数のフックのようなものをつくることで、外部から入ってくる他人の脳のかけらが引っかかりやすくなると考えている。フックとは、引っかけるための突起状のものだ。
 そのフックのようなものは、読書をすることによってもつくり出される。つまり、本を読むことは、それを書いた人がその場にいなくても、その人の脳のかけらとつながるための道具になるということ。

 たとえば、脳科学者の茂木健一郎さんが書いた本を読めば、茂木健一郎さんの脳のかけらが藤原脳にくっついてくる。作家の林真理子さんが書いた本を読めば、林真理子さんの脳のかけらもくっついてくる。
 脳にくっつくといっても、きれいな格好でつながるわけではない。あくまでもイメージだが、脳に整然と無数の穴が空いていて、そこに他人の脳のかけらというボール状のものがスッポリはまるというわけではないだろう。ある場所には、脳のかけらが突き刺さるようにくっついている。また、ある場所には、脳のかけらが何かに引っかかってブラブラ揺れているかもしれない。
 同じ体験をしても、そこから学ぶことができる人と学ぶことができない人が出てくるのは、このフックのようなものの数や、フックそのものの構造に違いがあるからだろう。それは、よい人との出会いがあったのにそれに気づかない人や、よい体験をしているのにそれを吸収できない人がいることからもわかる。

 『本を読む人だけが手にするもの』 第2章 より 藤原和博:著 日本実業出版社:刊

 同じ本を読んでも、そこから得るものがある人と、そうでない人がいます。
 その違いは、他人の「脳のかけら」を引っかける“フック”が多いか、少ないか。

 つねに好奇心旺盛で、他人の考えを謙虚に受け止める。
 そんな意識の高さを保つことが、“読書の達人”への道につながるのですね。

確実によい本に出合う方法はあるのか?


 本に対する鑑定眼を磨くには、どうしたらいいでしょうか。
 藤原さんは、どのようなジャンルでもいいから、数にあたることが大切だと述べています。

 こうしたよい本に出合う機会の絶対量は、当然のことながら、読書の量を重ねれば重ねるほど多くなる。「これだ!」という本を数えたことがないから確かなことはいえないが、私の場合、おそらく300冊ぐらいだろうか。
 300冊という数字だけを見れば多いかもしれないが、それでも3000冊読んで300冊だ。9割の本は、私の感性には引っかからなかったということ。
 でも、それで損をしたとは思わない。無駄な本に出合わずに効率的に本を選ぶことなど、どだい無理だと思っているからだ。

 また、他人の脳のかけらをつなげて新しい視点を獲得したいと思うならば、自分には相場観のないジャンルや著者の本を手に取ることも大切だ。相場観を持たない世界では、だれだって効率もクソもない。まったく外れになる可能性も、おおいに歓迎しよう。そのリスクを取ることで、リターンが得られるのだから。

 大事なので、結論を繰り返す。
 本当に自分に必要な本と出合いたいと思う人には、習慣化した「乱読」をおすすめする。予想もしなかった考え方に出合ったり、本を介して未知の人物との遭遇が将来起こる可能性もある。その化学反応は、読む前にはわからないことが多い。
 本に即効性を期待する人もいるが、私は違うと思う。
 本1冊の値段は文庫本で500円前後、新書で700円〜900円、単行本で1300円〜2000円程度である。買ったうちの9割がダメでも我慢できる金額だ。
 外れる確率は高くても、偶然の出合いがあるほうが、よほど面白い物語になると思う。それは人生における人間との出会いと変わらない。
 人生における偶然の素晴らしい出会いを、効率的に設定することなどできはしない。本との出合いも、同じなのである。数をこなそう。

 『本を読む人だけが手にするもの』 第5章 より 藤原和博:著 日本実業出版社:刊

 自分にとって「よい本」に巡りあう確率は、10%程度。
 それを、低いとみるか、高いとみるかは、人それぞれです。

 ただ、「よい本」には、人生を一変させてしまう“魔力”があります。

 手頃な金額で、しかも、「大当たり」が出る確率は、宝くじよりも格段に高い。
 自分への投資効果としては、本に勝るものは、他にないでしょう。

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 藤原さんは、読書習慣があるというのは、単なる生活習慣の排除と追加ではなく、生き方の選択だとおっしゃています。

 本を読むことは、豊かなイマジネーションを育てます。
 各分野で超一流と言われる人には、読書を愛する人が多いです。
 読書がいかに、自分のためになるかの証明ですね。

 巻末には、藤原さんが、「これだけは読んでほしい」と思う本、50冊が紹介されています。
 50冊すべてに、藤原さんの紹介文がつき、それだけでも、かなりの読み応えがあります。
 皆さんも、ぜひ、参考にしてみてはいかがでしょうか。


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