本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『「小さな私」の癒し方』(心理カウンセラーmasa)

お薦めの本の紹介です。
心理カウンセラーmasaさんの『「小さな私」の癒し方 幼少期の記憶で人生は9割決まる』です。

心理カウンセラーmasa(まさ)さんは、心理カウンセラーです。

「リトル・ミー」を癒すと、人生が変わる!

masaさんは、幼少期の記憶で人生の9割決まると指摘します。

その理由は、人間の脳はこれまでの人生に起こったこと、すべてを覚えていて、幼少期の記憶は大人になってからも、考え方や行動に影響を及ぼしているからです。

 つまり、と私の様子を見ながら、大和さんはゆっくり言葉を続けていく。
「幸子さんはきっと、人生のどこかの時点で心に傷を負って、その傷が原因で、NOと言ったり、自分の意見を相手に伝えたりすることができなくなったのではないでしょうか。
過去に傷ついた記憶が幸子さんの“リトル・ミー”となって、癒されずに残り、幸子さんの行動にブレーキをかけているのかもしれません」
「リトル・ミー」。神社で出会ったとき、大和さんが最後に言っていた言葉だ。
「リトル・ミーっていったい、なんのことなんでしょう?」
小さな私、を意味するリトル・ミーとは、その言葉通り、幸子さんの心に住む、小さな分身のようなものです。
リトル・ミーは、過去に傷つたい体験から生まれます。リトル・ミーは傷の痛みを覚えていますから、傷ついたときと近い状況になると、臆病になって、こうとをにブレーキをかけることがあるのです。幸子さんの場合も、リトル・ミーが”NO”と言わないようにしているのかもしれませんね」
私が“NO”と言えない理由は、傷ついたリトル・ミーがいるから・・・・・・?

「では、これから行うセッションを通じて、幸子さんが”NOと言ってはいけない”と感じた最初の地点まで戻ってみましょう。
リトル・ミーに会いに行き、幸子さんの傷ついたリトル・ミーが癒されれば、人生の流れがスムーズに変わりますよ」
「あの、まだ私よく理解できていないかもしれないのですが、ずっと悩んでいたお局さんのことは解決したいです。どうかよろしくお願いします!」
まだわからないことは多いけれど、自分の中の何かが大きく変わりそうな予感がした。

***

「では、ここから幸子さんのリトル・ミーに近づくヒントを探っていきましょう。先ほど幸子さんは、小学校低学年ごろまではハッキリものを言える性格だったと言っていましたね。では、具体的にいつごろから“NO”と言えなくなったかわかりますか?」
「ううーん・・・・・さっきも考えてみたのですかやっぱり気がついたら、なんですよね。ごめんなさい、すぐには思い出せません・・・・・・」
どうしてだろう。いくら考えてみても、いつからか思い出せない。

そんな私の焦りを感じ取ってか、大和さんは私にお茶を勧めた。
「無理しないでくださいね。大丈夫ですよ、ゆっくり進めていきましょう。
これから、幼少期のことを思い出すために、幸子さんにいくつか質問をしますね。まず、幸子さんのご両親はどんな方でしょうか?」
「そうですね、父は中堅メーカーの会社員でした。仕事一筋で、家庭にはあまり関心がないというか・・・・・。口うるさくはなかったですが、あまり会話はありませんでした。そのぶん母が私たちの面倒を見てくれた気がします」
「“私たち”というと、ごきょうだいがいらっしゃったんですね?」
「はい、私は長女で、2つ下に妹がいます」
「幸子さんは、長女だからしっかりされているんですね」
「しっかりしているというより、いつも母に、“お姉ちゃんなんだから”と言われて、妹がゲームしているときも、家の手伝いをしていましたね」
「なるほど、ほかにお母さんからよく言われていたことはありますか?」
「母は、“友だちと出かける”と言うと、”誰と?””どこに行くの?”“何時に帰ってくるの?”と聞いてきたり、いつも”宿題やったの?””テストもうすぐじゃないの?”など、とにかく心配性でした」

大和さんは、少し考えるように間を置き、続けて問いかけた。

「差し支えなければ、お母さんとのエピソードで、何か思い出深いものがあったら教えてください」

母と暮らしていたのは20年も前のこと。
私は当時のことを思い出そうと頭をひねった。
そうだ、高校に進学するとき、私が仲良しだったひとみちゃんと“同じ私立に行きたい”と言ったら、ものすごく困った顔をされたのを覚えている。

「行きたい高校を伝えたら、“友だちだからって、同じ高校にいく必要はないでしょう”って言われたんです。で、結局私、母の勧める公立に進学して、大学も母がいいと言う学部に進みました」
「お母さんは、ずいぶんたくさんのことを決めてこられたんですね」
大和さんの一言で、私は別の記憶がよみがえった。
就職したあと、職場の男性と付き合っていたときのこと。母に会わせようとしたら、「いや、私はその人に会わなくていい」と、拒否された。
その代わりに「幸子の中学の先輩の大輔くん、まじめでいい人だから、今度、夏休みに帰ってきたときに会ってみれば?」と勧められたんだった。
私が「付き合っている人がいるから」と断っても、母はあるごとにその話を持ち出した。そして職場のその男性と疎遠になったとき、食事をセッティングされて、今の夫となる大輔との付き合いが始まったのだった。

私はこのとき、大変なことに気がついた。
これまでの44年間、自分で自分の人生を決めてきたと思っていたけれど、実は、母の意見に大きく影響を受けていたのだ。

「大和さん、私、自分の人生、自分で決めてきたと思っていましたが、母が望んだ人生を歩んでいたんですね」
ショックを受けながら、私はつぶやいた。
今までの私の人生はなんだったのだろう・・・・・・。
「幸子さん、ショックを受けたかもしれませんね。
でも、子どもは親から見放されたら生きていけません。子が親の意見を取り入れるのは、“生存戦略”として、誰もが無意識に行って当然のことなんですよ」

「子供のころから、すべて自分で決めてきたという人はいないでしょう。
でも、祥根さんはもう子どもではありません。ですから、自分のほんとうの気持ちに向き合う時期がきているのかもしれませんね」
なるほど、ても、幼いころの記憶と、お局さんとの問題は、どう関係しているのだろう?

私の疑問を感じ取ったかのように、大和さんはこう言った。
「今、お話を聞いていると、幸子さんの苦手なお局さんは、お母さんに似ている気がしますけど、どうでしょう?
そう言われて私は絶句した。
え、お局さんとお母さん・・・・・?
今日は、ショックを受けてばかりだ。
まったく関係のない2人だが、よく考えると大和さんの言う通りかもしれない。客観的に見たら、私を思い通りにコントロールしようとするという点で、お局さんと母は、確かに似ているのだ。

「大和さん、確かにお局さんと母は似ているかもしれません。でも、そのこととお局さんが私につらくあたるのと、どう関連しているのですか?」
「先ほど、リトル・ミーのお話をしましたね。私は、幸子さんとお母さんとの間になんらかの出来事があり、幸子さんの中に傷ついたリトル・ミーが生まれてしまったのではないかと考えています。
リトル・ミーは傷の痛みを強く覚えているので、傷が生まれた原因を解消してほしいと、同じような人物や状況を引き寄せてしまっているのではないかと仮定しています」

「幸子さんは、最初に神社で出会ったとき、パート先であれこれ押し付けられたりするのは今回だけのことではないとおっしゃっていましたよね。
それは、幸子さんの傷ついた“リトル・ミー”が癒されずにいて、気づいてほしいとサインを送っているのが原因だと私は考えています。だから、どこで働いても、まわりの人が変わっても、同じようなことが何度も起こってしまう・・・・・。
ですから、リトル・ミーの存在に気づいて癒してあげれば、お局さんの問題だけでなく、関連する問題も解消するかもしれませんよ」

私の中に、傷ついているリトル・ミーがいる。
お局さんとのトラブルは、彼女が悪いのではなく私と母の関係が原因?
驚くことばかりで、理解しようとすると頭がオーバーヒートしそうだ。
私は今日、大和さんから聞いたことを忘れないようにあわててメモした。

『「小さな私」の癒し方』 Ⅰ 物語編 より 心理カウンセラーmasa:著 KADOKAWA:刊

masaさんは、本書を1人でも多くの人にカウンセリングを体験してほしいと願い、カウンセリングを再現できるように書いたと述べています。

本書は、幼少期の記憶である「リトル・ミー(小さな自分)」を癒すことで、人生の悩みを解消するノウハウをわかりやすくまとめた一冊です。

masaさんは、物語編と解説編という二部構成し、物語編で主人公と一緒にカウンセリングを体験し、解説編では、心の仕組みを知って、さらに多くの方の体験談に触れられるようにしたと述べています。

その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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リトル・ミーは「傷ついた過去の記憶」

「リトル・ミー」とは、心の中に住む、過去に傷ついた自分、過去に傷ついた記憶のことです。

masaさんは、リトル・ミーは過去、主に幼少期の体験から生まれますが、特には恐怖、不安、悲しみなどを感じて深く傷ついたときに生まれるものを指すと指摘します。

 リトル・ミーが生まれる要因は、多くの場合「親」にあります。
もちろんここでいう両親、血縁関係によるもののみを指すわけではありません。両親以外にも祖父母、育ての親、学校の先生、近所の親しかった方々、兄弟姉妹・・・・・など、主として幼少期に影響を受けた人なら誰でも対象となる可能性があります。
この本では、便宜的に「両親」「親」という言葉を使いますが、自分に強い影響力を持つ存在のことと想定して、お読みいただきたいと思います。

子どもが幼いころに接するのは、両親などの身内がほとんどです。
そのため、今の自分が「自分なりの考え」や「常識」だと考えることの根源は、さかのぼると、実は両親にあることが多く見られます。

幼少期の子どもは親の言葉をそのまま素直に受け止めます。子どもの少ない経験では「今の言葉は冗談だよね」「からかわれているだけ」などという解釈は普通できないため、親が思っている以上に傷ついてしまうことが少なくありません。
実際に、親に「あなたは、橋の下で拾ってきたのよ」と言われたことを、大人になっても心の傷として持っていた人もいます。
人の脳は、生まれてから今までのことすべてを記憶していると言われています。ですから、たとえすでに終わった過去の出来事であっても、そのときに受けた傷は癒さない限り大人になってもあなたの中に残るのです。

リトル・ミーは、受けた傷を癒したいために、同じような関係性や状況を再現する人を引き寄せて、自分がそこにいること、そして、傷ついていることに気づいてもらおうとします。
幸子の場合も、お局さんにキツくあたられたり、都合のいいように使われたりするのは、今に始まったことではありません。
職場が変わっても繰り返し同じような扱いを受けるのは、相手や環境に問題があるのではなく、傷ついたリトル・ミーが幸子の心にいることに起因しているのではないかと、大和は推測したのです。

ではなぜ、自分でも覚えていないような過去の記憶が、大人になった今でも影響を及ぼすのでしょうか。
「三つ子の魂百まで」という有名な諺があります。
「三つ子の魂百まで」とは、「幼いころの性格は、大人になっても変わらない」という意味で使われています。
つまり、柔らかくまっさらな心に刻み込まれた価値観や思考のパターンは、それほど深く根付いてしまいやすいということです。
また、この諺では「三つ子(3歳)」とありますが、たとえ3歳を過ぎたとしても、自分にとって影響の強い出来事があればそれも心の傷としてリトル・ミーを生み出します。
そうして生まれたリトル・ミーは、成長したあとも、「自分はここにいる、気づいてほしい」とサインを送ってくるのです。

ここで、リトル・ミーがいる、私たちの心の仕組みについて、少し説明をしましょう。
私たちの心は、「顕在意識(理性)」と「潜在意識(無意識)」という2つの意識から成り立っていると聞いたことがある方も多いでしょう。
潜在意識の存在は、19世紀にオーストラリアの心理学者、ジークムント・フロイトによって発見されました。
フロイトは、催眠術をかけられた患者さんが、それまでに語ったことのない記憶について話す様子を見て、日ごろは意識されることのない「無意識」に気づいたと言われています。
顕在意識は、表面意識とも呼ばれ、私たちが「今日のランチはこれにしよう」「あの人は、こんな性格だな」などと、意識的に考えたり、選択したり、判断したりするときの意識です。
一方で潜在意識は、普段は意識することのない、無意識の領域です(下の図を参照)。
たとえば、考えなくても靴をいつも右足から履くとか、電車に乗るといつも同じ隅の席に座るとかも無意識の行動ですし、たとえば、落としたものをいつも同じ動作で拾うのも無意識に刻み込まれた行動です。
生まれたばかりの赤ちゃんの心は潜在意識のみだと言われています。
赤ちゃんは、泣きたいときに泣き、楽しければ笑うなど本能のままで、自分を理性で抑えることなどありませんよね。
ところが潜在意識のみの赤ちゃんにも、小学生になるころまでに、少しずつ顕在意識が芽生えてきます。
この顕在意識と潜在意識の境目があいまいな幼いころに体験したことは、潜在意識に深く入り込みます。そのため、子どものころに、なんらかの理由で傷ついたリトル・ミーがいると、つらい思いをしたのは過去のことでも、心の傷は潜在意識にしっかりと残ります。
そして幼少期の記憶である心の傷は、考え方のクセや行動のパターンとなって、大人になっても人生に大きな影響を与えるのです。

たとえば、「あれがやりたい」「これがしたい」と自分の欲求を伝えると、両親がいつも、困った顔をしたりため息をついたりしていたとします。
子どもは、そんな些細(ささい)なしぐさや表情の変化でも、敏感に親の気持ちを感じとります。そして、「あ、自分の欲求や気持ちを素直に伝えると、親は困るんだな」と、ショックを受けます。そうして、傷ついたリトル・ミーが生まれるのです。
この、傷ついたリトル・ミーは、「自然な感情や欲求を表に出すと嫌われる」と考え、大人になっても、人の顔色をうかがい、自分の気持ちにフタをするように仕向けます。

顕在意識と潜在意識の力関係は、およそ1:9ほどだと言われています
1%:99%だという説もあるほど、潜在意識のパワーは強力です。
私たちが生きる現実の世界は、潜在意識で考えていることがこれほど大きく投影されているのです。
リトル・ミーは、潜在意識に眠る過去の記憶ですから、知らず知らずのうちに、強大な力であなたの人生をコントロールします。
ですから人生の9割は、こうした幼少期の記憶で決まると言っても過言ではないのです。

一説によると、人は数万通りのリトル・ミーを抱えていると言われています。
私がこれまで心理カウンセラーとして、6500万人以上の方にカウンセリングしてきた経験からも、人は数えきれないほどのリトル・ミーを抱えているという実感があります。でも、だからと言って、すべてのリトル・ミーを癒さなければ、人生が変わらないわけではありません。
私の経験から、ほとんどの場合、最も傷ついたリトル・ミーを癒すだけでも、見違えるほど人生は大きく変わっていきます。
幸子の場合も、38点のテストが母親に見つかって「お母さん、がっかりだわ。もう幸子のこと信用できない!」と言われたときに深く傷つき、リトル・ミーが生まれました。
それでもセッションを通して、リトル・ミーの存在に気づき、大人になった自分の立場から、当時の自分の気持ちと母の気持ちを振り返ることで、少しずつリトル・ミーは癒されていきます。
幸子のように、最も傷ついたリトル・ミーを見つけること。そして、深く傷ついたリトル・ミーを癒し、幼少期の記憶を再構築することで、人生は大きく変わっていくのです。

『「小さな私」の癒し方』 Ⅱ 解説篇 より 心理カウンセラーmasa:著 KADOKAWA:刊

図 顕在意識と潜在意識 小さな私 の癒し方 Ⅱ解説編
図.顕在意識と潜在意識
(『「小さな私」の癒し方』 Ⅱ 解説篇 より抜粋)
 自分にとって、思い出すのもつらい出来事や記憶。
私たちは、そんなものほど、潜在意識の奥深くに閉じ込めてしまいます。

潜在意識に隠れている「小さな自分(リトル・ミー)」を見つけ出してあげること。
それが自分を癒すためのプロセスの最初の一歩です。

リトル・ミーが与える影響は、人間関係だけではない

リトル・ミーの影響は、人生のあらゆる側面に及びます。

そのため、masaさんは、親への感情に目を向けるときは、人間関係、恋愛、仕事、お金などさまざまな角度からの影響を考えてみるといいと指摘します。

 たとえば、ゲームで最初にゴールに到達し、「(ゲーム上で)100万円手に入った!」と自慢したら、親に「お金の自慢をするのは卑しいのよ」「お金持ちはずるいんだから・・・・・」などと言われた女性がいました。この女性は、リトル・ミーが「お金に汚くなりたくない」と考えていたため、50歳になるまで、ずっと貯金するのが苦手で、毎月、収入を使い果たしていたのです。
小学校で将来の夢を聞かれ、「サッカー選手になる!」と言ったら、「あんたには、そんな才能ないでしょう」と、母親に呆れたように言われた男性がいました。この男性のリトル・ミーは、それ以来、何かやろうとしても「どうせ、自分は才能がない」「何をやってもダメ」とブレーキをかけるようになり、男性は、就職もせずに40歳近くまでアルバイト生活を続けていたのです。
家にいるときはいつもむすっとして話などせず、ちょっとしたことですぐに怒り出す父親のもとで育った女性がいました。この女性には、「自分は愛されていない」「人を怒らせてしまう」というリトル・ミーがいたため、人と接するのが怖くなり、ずっと恋愛に踏み出せずにいたのです。

こうした例のように、深く傷ついたリトル・ミーは、人によってさまざまな形で現在の人生にブレーキをかけます
でも、たとえ今の悩みがどんなものであれ、リトル・ミーが原因なのであれば、解消法はこの本でお伝えしている「リトル・ミーを癒すこと」です。
リトル・ミーを癒して、幼少期の記憶を塗り替えることで、現在の状況も大きく変わっていくのです。

ミナ(30代)のリトル・ミー
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私は人前に出たり目立つことをしたりするのが好きなタイプです。でもなぜだかいつも、SNSで発進したり、人前に立ったりすることに罪悪感を抱いていました。
親に対する感情を書き出すと同時に、過去の記憶を振り返ってみると、罪悪感を抱くようになったきっかけは、小さいころにステージに立った、お祭りでのヒーローショーでした。ヒーローショーのイベントでは、選ばれた子どもが壇上に上がります。私は選ばれて、自分の得意技を披露するということになり、壇上ででんぐり返しをしたんです。
終わったあと、意気揚々と壇上から降りて駆け寄った私は、母に「大勢の前で恥ずかしいことしないの!」と怒られてしまいました。
自分では母親にほめてもらえるとばかり思っていたのに、怒られた。
当時の私は傷つき「大勢の前で目立つことは恥ずかしいこと、悪いこと」と考える傷ついたリトル・ミーが生まれました。
それからは、目立つことに罪悪感を抱きながら大人になったのです。
ほんらい、目立つのが好きなのに、目立つことを選んだら罪悪感に苛(さいな)まれるという状況に追い込まれました。両親への感情を書き出すワークなどを行い、母に素直に向き合いたいと感じたので、私はこの話を思い切って母親にしてみたのです。すると、母はまったく覚えていませんでした(笑)。
ただ、母は、「娘がでんぐり返しをすることで、変質者が見ていて狙(ねら)われたりでもしたらと心配していたんだと思う」と話してくれました。
「母は私を心配してくれていたんだ」ということがわかり、私のリトル・ミーはずいぶん笑顔に変わった気がします。そして、そのころから人前に立つことやSNSで発信することにも後ろめたさを感じなくなりました。
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あや(40代)のリトル・ミー
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私は40代で離婚をし、経済的な理由から子どもたちと離れて暮らさなければならなくなっていました。私が小さかったころ、父はテレビでお金持ちの話題が出ると、いつも「成金が・・・・・」と非難したり、「ボランティアは、暇人がすることだ」とよく言ったりしていました。ですから私も、ずっと「お金持ちは悪い人」「ボランティアは偽善」だと思っていました。同じように母は、いつも「お金がない」と言っていました。確かに大変な時期もあったと思いますが、今思えば明らかにそうでないときにも、お金がないと言っていて、気づけば私も口ぐせになっていました。
だからこそ、お金を稼ぐのを拒否するリトル・ミーが私の中にいたのだと思います。そのことに気づいてから、お金に対する気持ちが少しずつ変わっていきました。
すると、別れた夫の両親が全面的にバックアップしてくれることになり、私は再び、子どもたちと一緒に暮らすことができるようになったのです。
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けいこ(40代)のリトル・ミー
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「お腹の中で元気だったから、男の子のはず」という期待を裏切り、生まれたら女だったのが私です。「ブスだし」「デブだし」と親戚中からも言われ、唯一「けーちゃんは優しいよく気の利く子だよ」って言ってくれるおばちゃんが大好きでした。
「ブス」や「デブ」という言葉は、あまり気にせず笑い飛ばしてきたと思っていました。でも、初めて彼氏ができたとき、自分はブスだしデブだしと、自信が持てず優しく尽くすだけのお付き合いになってしまったのです。
私の中には、「ブスだ」「デブだ」と言われて傷ついていたリトル・ミーがいたのです。彼氏に依存してしまい、嫌われないように、自分を押し殺す毎日。気がつけば「ダメンズ」にばかり出会い、人を信じることができなくなっていました。でも、いつか私を大切にしてくれる人に出会えるはず。また人を信じ大好きになりたい。変わりたい! 強くなりたい! 優しくありたい!
そう強く思い、今、リトル・ミーの癒しに取り組んでいます。
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『「小さな私」の癒し方』 Ⅱ 解説篇 より 心理カウンセラーmasa:著 KADOKAWA:刊

私たちが、人生において抱えている大きな問題やトラブル。
その根っこをたどると、そのほとんとは「リトル・ミー」に行き着きます。

潜在意識に隠されてしまったリトル・ミー。
問題やトラブルは、彼ら彼女らが「自分を見つけてほしい」と発しているシグナルとも言えますね。

見てみないふりをしたり、自分以外の他の要因になすりつけたりするのは、問題から逃げていることになります。
私たちも、自分の心の奥を、もう一度深く見つめ直してみましょう。

リトル・ミーを癒す「エンプティチェアのワーク」

リトル・ミーを癒す方法の一つが「エンプティチェアのワーク」です。

「“エンプティチェア”は、2つの椅子を使って行います。
幸子さんは、いつものソファに座っていてください。そして、もう1つ、この椅子は、お母さんの椅子です。
まず、幸子さんはそのソファに座って、お母さんに、“お母さん、がっかりだわ。もう幸子のこと信用できない!”と言われたときの気持ちを、ありのままお母さんに訴えてください」

「ここには、幸子さんと私しかいません。“バカやろう”でも、“あんたなんか親じゃない”でもなんでも構いません。遠慮せずに、思いついたことはそのまま言って大丈夫ですよ。最初は恥ずかしいかもしれませんが、つらかった気持ちを思いっきり吐き出していきましょう」

「次に、幸子さんは、お母さんの椅子に座ります。そして、お母さんになったつもりで、“お母さん、がっかりだわ。もう幸子のこと信用できない!”と言ったときの気持ちを、幸子さんに説明してあげてください。あくまで幸子さんの想像で構いません
「私は、こちらで見守っています。幸子さんの気がすむまで、30分でも、1時間でも、幸子さんとお母さんの役を繰り返しましょう」

大和さんの前で、お母さんに文句を言うだなんて。緊張して手が震えてきた。でも、今私は、とても大切な段階にいると感じた。
私はソファに座ったままスタートした。

小学校5年生のときの幸子①

「お母さん、私が小学校5年生のとき、すごく怒ったこと、覚えている? 私が、点数の悪いテストを引き出しの奥に隠していたときだよ」
「お母さん、テストの点数が90点以上じゃないと、いつも、“何、この点数?”って厳しかったよね。80点取ってもため息つかれてたから、私、だんだん悪い点のテストを見せるのが怖くなってきてたんだ」
「私が、算数、苦手だったのは、お母さんも知っているよね。でも、さすがに38点だったときは、私もショックだった。テストの範囲を間違えちゃったんだ。でも、それ以上に怖かったのが、お母さんになんて言われるかだったんだ。お母さんに見せたら、どれだけ怒られるだろうと思ったら、心臓がバクバクして止まらなかった」
「家に帰る途中もずっと、“どうしよう、なんて言おう”とパニックになりそうだった。それで、家に着いて、ランドセルからテストが出てきて焦ってしまって、思わず引き出しの奥に突っ込んじゃったんだよね」
「テスト隠しちゃったのは悪かったけど、でも、”お母さん、がっかりだわ。もう幸子のこと信用できない!”っていうのはひどすぎない!? それ、自分のかわいい子どもに向かっていう言葉かな!? 小学校5年生の子どもが、お母さんからそんなこと言われたらどれだけ傷つくか、わからなかったの?」

私はとにかく、自分がひどく傷ついたことを母に伝えたかった。
そして、次に母の椅子に座る。

幸子が小学校5年生のときの母①

「そう言えば、そんなこともあったね。言われてみれば、私は幸子に厳しかったかもしれないね。お母さんは中学までしか出ていなくて、親の決めた人と結婚した。幸子と妹の陽子という2人の子どもに恵まれて幸せだったけど、ときどき、自分がもっと勉強ができたら、違う人生を歩めたのかなと思うことがあったのよ」
「幸子はなんでも一生懸命にやるし、しっかりしているから、がんばっていい成績を取ってほしかった。だから、わざと久美子ちゃんと比べたり、90点以下だと、これで満足しないでほしいと思って厳しくしていたんだよ」
「幸子に比べて、妹の陽子は、親の見ているときだけ、勉強しているフリをするようなちゃっかりした子だった。だから、私は、幸子に期待していたし、がんばってほしかったんだ」
「“お母さん、がっかりだわ。もう幸子のこと信用できない!”って言ったのは悪かったね。でもね、お母さんが怒ったのは、テストの点数が悪かったことじゃない、期待していた子が、“テストを隠す”なんて卑怯(ひきょう)なことをしたのが、お母さんはショックだったんだよ」
「まだ小学生なのに、テストを隠すなんてことを覚えたら、この先、どうなってしまうのだろう。親に内緒で、悪いことをしたり非行に走ったりするようになったらどうしようと、私も怖かった。だから、つい言ってしまったんだ、幸子にとってはショックだったんだよね、ゴメンね」

小学校5年生のときの幸子②

「そっか、お母さんは、点数が悪かったことじゃなくて、隠したことを怒っていたんだ・・・・・。私は悪い点だったことを怒っていたのかと思っていた」
「でもね、テストを見つけたとき、ほかにいくらでも言い方はあったでしょう? 私のこと、応援してくれていたなら、“今回は、残念だったね”“次、がんばろうね”とか、励ましてくれてもよかったじゃない」
「いつも久美子ちゃんと比べられたり、100点じゃないと喜んでもらえなかったりしたから、私はお母さんに喜んでもらおうと必死だったんだよ」
「テストを隠したのは、申し訳なかった。でも、お母さんが怖かったし、何よりも、テストを隠せば、お母さんの求める”成績のいい子ども”でいられて、嫌われずにすむと思っていたんだよ」
「小学校5年生だったから、それぐらいしか思いつかなかった。私は、お母さんに認めてほしかった、愛されたかった。だから、点数が悪いことじゃなくて、テストを隠したことがショックだったなら、そう言ってほしかった!!」

私の心は、小学校5年生の「あのとき」に戻っていた。
そのころの私が感じていた気持ちを、あらためて言葉にして吐き出すと、涙があふれて止まらなくなった、私は、小学校5年生の「あのとき」にしたかったように、しばらく泣き続けた。
大和さんは、黙って見守っていた。

しばらくしてやっと気持ちが落ち着いて、母の椅子に座ることができた。

幸子が小学校5年生のときの母②

「そうだね、ごめんね。幸子はまだ小学校5年生だったから、説明してもわからないだろうと思ってた」
「私もまだ、そのときは30歳そこそこ。幸子が最初の子どもで、どうしたらいいかわからないところもたくさんあった。まして、私の両親、つまり幸子のおじいちゃん、おばあちゃんは、昭和の初期生まれ。“子供はとにかく厳しく育てる”という方針で、よく定規で叩かれたもんだよ」
「あまりほめられたことも、励まされたこともなかったから、子どもは甘やかしたらいけないと思っていたんだ」

小学校5年生のときの幸子③

「そうか、お母さんはそのとき30歳そこそこか。今の私よりも15歳近く若かったんだね。私だっていまだに、子どもたちをどう扱っていいのか悩んでる。パートでお局さんに文句言われた日は、イライラして子どもにあたることもあるし・・・・・。お母さんも、大変だったんだね」
「そういえば、お母さんのお父さんは、特に厳しかっのを覚えてる。みんな、おじいちゃんが部屋に入ってくるとシーンとなってたもんね」

ここまで話したら、あのときの母の気持ちが少しわかった気がした。
母もいろいろ悩み、考えた末にあの発言になったのだ。
今の私よりもうんと若かった母が、母なりに一生懸命、子どもに幸せになってほしいと考えて試行錯誤していたのかもしれない
また、母が育った時代や環境を考えると、私が期待するように振る舞ってくれないのも無理はないと思えてきた。厳しかった父親に「甘やかさないように」育てられて、母にも傷ついたリトル・ミーがいたのかもしれない。
それに、何より、私は嫌われていたわけじゃなかったんだ。
そう思えたことで、安心できたのか、涙がまた、ほほを伝って落ちた。

『「小さな私」の癒し方』 Ⅰ 物語編 より 心理カウンセラーmasa:著 KADOKAWA:刊

リトル・ミーが生まれるきっかけとなった出来事。
その当事者を、起こったときの状況で、想像の中で呼び出す。

それがエンプティチェアのワークです。

当時は、小さ過ぎて理解できなかった相手の気持ちも、今ならわかるかもしれません。
また、時間が経ったことで、その出来事を当時よりも離れた視点から俯瞰して眺めることもできますね。

「エンプティチェアのワーク」の目的は?

幸子さんが行ったエンプティチェアのワークの目的は、小学校5年生のときの幸子のリトル・ミーに会いに行くの同時に、そのとき母の気持ちを理解しようとすることでした。

 エンプティチェアのワークで出てくる答えは、リトル・ミーはもちろん、当時の母の気持ちも、あくまでも幸子の想像でしかありません。
でも、それでいいのです。あえて母にたずねて「答え合わせ」する必要はありません。自分が「こうだったんだ」と思ったのが、唯一の正解であり、最終的に心が落ち着けばいいのです。
今の大人になった幸子が、幼い自分がどうして傷ついたか、そしてそのとき母は何を思っていたか、想像の中で対話して、自分が前向きに納得いくように理解できれば、ワークは成功したと言えます。
古い感情を解き放つのに、そのときのリアルな相手は必要ではないのです。
「自分の中に住み続けている相手」に対して、そのときの気持ちを吐き出せればいいのです。

エンプティチェアというワークを行うと、これまでの、自分サイドからの一方的な見方ではなく、両方の立場からリトル・ミーが生まれた瞬間を見ることができます。そして、幸子の場合、今の自分よりも15歳近く若かった当時の母が、手探りで子育てをしながら、自分なりに娘に幸せになってもらいたいと考えていたからこそ、口を突いて出たのが「お母さん、がっかりだわ。もう幸子のこと信用できない!」だったと思えました。
母も完璧な存在ではなく、自分と同じ、未熟な1人の人間だったと気づいて、どちらの気持ちも理解できたことで、リトル・ミーは納得し、癒されていったのです。

幸子は、大和とのセッションで、当時の母の気持ちを、自分なりに理解することができました。でも、多くの場合、なかなか1回で落ち着くことはありません。言い足りないことがあったり、なかなか自分の納得できるような親の答えが出てこないこともあるでしょう。
一度ですっきりしないからといって、あきらめないでください。
一般的には、3回ほど行うと、自分なりの答えを導き出すことができます。
もちろん、それよりも多く行っても構いません。
ここはリトル・ミーを癒すための大切なポイントですので、納得いくまで繰り返してください。

リトル・ミーを深く傷つけた原因である親の言動を許すことができれば、リトル・ミーは癒されていきます。
ただ、ここで言う「許す」とは、相手にされたことをなかったことにしたり、がまんして責めないようにしたりするという意味ではありません。
ムリに「あれでよかった」と思い込もうとしたり、相手のしたことを大目に見たりするのも「許す」ことにはなりません。
また、誤解する方が多いのですが「許す=親のことを好きになる」ことではないのです。ここで言う「許す」とは、あくまでも「親も完璧な存在ではない、1人の人間である」という見方ができるようになることです。
私も、長年嫌いだった父親と心理的な和解はしましたが、決して父親が大好きになったわけでも、父親の言動、すべてを許しているわけでもありません。
ただ、1人の人間として見たときに、「仕方なかったんだな」と受け入れることができたから、私のリトル・ミーは癒されたのです。
幸子の場合も、母は「子どもに幸せになってほしい」気持ちがあったから、自分が信じる幸せになる方法を伝えていたのです。
たとえ幸子が望むやり方でなくても、母は母なりに一生懸命だった
幸子がそう折り合いをつけられたのが、「許した」ことになると私は考えています。

「許す」というのは、自分に力を取り戻す行為でもあります。親の言動に対し、自分なりに納得できれば、「憎い」「つらい」気持ちから自由になれます。
相手への憎しみや執着から自分を解放することで、過去の影響から自分を解き放つことができるからです
つまり、ワークを行い、相手を許すのは、自分のためになっていると言えます。親のために許すのではない。自分のために許すのです
そのように考えると、少し、やりやすくなるのではないでしょうか。
もちろん、自分に対して、ひどい言動や仕打ちをした相手を「許す」というのは、誰にとってもとても難しいことです。
最近は「毒親」などという言葉もありますが、想像を絶するようなひどい仕打ちを受けてきて、とてもではないけれど許すなんて不可能だと言う人もいるでしょう。
無理して許そうとする必要はありませんし、なかなかうまくいかないからといって、自分を責める必要も、落ち込む必要もありません。
許すまでに何年かかってもいいですし、許すことができなくてもいいのです。そんなときは、自分の心を守るために、「親を許せない自分を許します」と何度も繰り返し唱えることで、少しずつ親の影響から心を切り離しやすくなっていくでしょう。

みき(50代)のリトル・ミー
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私は、物心ついたころから、母と兄から「お前みたいなもん、いらん」「出て行け」「お前はかわいくない」「アホ、バカ、ボケ」など、考えつく限りのひどい言葉の暴力を受けてきました。7歳のころには家出や自殺をいつも考えるようなりました。大人になってやっと幸せになろうと結婚した夫も、母や兄と同じでした。
夫から受ける暴言や暴力の話を友人に相談したとき、全員から「ありえない!」「私だったら速攻、出ていく」「は? なんでがまんしているの?」などと言われ、私はそのとき初めて、幼いころから日常的に暴言を浴びせられ、反抗したらもっとひどい目にあうから理不尽なこともがまんしてきた、自分の心の状態に気づいたのです。

家族は今でも、全員、私の敵です。誰一人、私を大切にしてくれなかった、生きてていいと認めてくれなかった。ひどいことばかりされて、恨んで憎み続けてきました。
でももう、憎しみを持ち続けるのにも疲れました。
もういい加減、この感情を手放さないと心の底からおだやかに幸せに暮らすことはできないんだなと、やっと思うようになりました。
今は亡き両親それぞれに手紙を書くことは、思い出したくもない子ども時代のつらかったエピソードの数々を掘り起こす作業でした。
40〜50年前、当時のつらかった、悲しかった思いが、今起きていることのように感じられ、ボロボロに泣きながら便箋に何枚も書き殴りました。
今もまだ、思い出すたびに、追加で書き足しています。
でも私の恨みはよほど根深いのか、いまだ「気分スッキリ」とはなりません。書いても書いてもまだ「親もまだ未熟で仕方なかったんだな」という境地には至りません。ただ、「書いても書いても親を許せない自分」は、よっぽど心の狭い人間だと自分を責めていたのが、最近やっと「親を許せない自分をもう許そう」という感じで受け入れられるようになってきました。
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『「小さな私」の癒し方』 Ⅱ 解説篇 より 心理カウンセラーmasa:著 KADOKAWA:刊

エンプティチェアのワークの目的は、真実を知ることではありません。
相手の行動を理解し、それを許すことができるようになることです。

許すことは、相手のためではなく、自分のためです。
許すことは、相手に力を与えることではなく、自分に力を与えることです。

私たちの心を文字通り、縛り付けている古いネガティブな感情。
私たちも、このワークでそれらを少しずつ取り除き、本来の自由な心を取り戻しましょう。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

masaさんは、自分の両親を「父」や「母」としてではなく、1人の人間としてみることで、過去の親に対する解釈が変わったとし、親から受け継いだ常識や考え方を解放し、自由に自分なりの人生を生きられるようになったとおっしゃっています。

多くの人にとって、両親は、幼少期に最も長い時間を過ごし、最も影響を与えられた人物です。
過去の親に対する解釈を変えることは、過去の自分に対する解釈を変えることに直結します。

親を嫌っていることは、自分を嫌っているのと同じ。
同様に、親を許すことは、自分を許すことと同じです。

過去は、単に「記憶」でしかありません。
自分で作り出した記憶なら、自分で書き換えることも可能でしょう。

過去の両親を許し、過去の自分を許す。
それは過去を再構築し、過去の自分を変え、今の自分を変えることになります。

潜在意識の中の傷ついた小さな自分(リトル・ミー)を癒し、自分の人生を変える。
ちょっと変わった自己実現法を、ぜひ、皆さんも試してみてください。

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