本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『メタ思考』(澤円)

お薦めの本の紹介です。
澤円さんの『メタ思考 「頭のいい人」の思考法を身につける』です。

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メタ思考 「頭のいい人」の思考法を身につける [ 澤 円 ]
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澤円(さわ・まどか)さんは、株式会社圓窓の代表取締役で、元マイクロソフト業務執行役員です。

「自分が勝てるルール」を自分が作る!

澤さんは、私たちに自分の人生のゲームチェンジャーになってほしいと考えています。

ゲームチェンジャーは、ひとつのルールの中で勝ち負けを競うのではなく、ゲームそのものを変えてしまう人や企業のことです。

そこで役に立つ考え方が「自分のエイリアスを複数持つということ」です。

エイリアスとは、別名や仮名、偽名のことであり、あくまでも「印」という意味です。

 つまり、エイリアスは、自分の人格の一部ではありますが、アイデンティティとは切り離した機能だけの自分ということ。自分とリンクしているけれど、自分と一体化はしていない。エイリアスからたどっていけば自分のところにたどり着く、単なる「道しるべ」のようなイメージです。
それは自分の意思いつでも切り離すことができると考えればいいし、だからこそ、いろいろな場所で自分の機能として役目をはたせるのです。
さらに、あくまでもエイリアスなのだから、ある領域で6でもない評価を受けたとしても、別に自分自身が毀損するわけではない。エイリアスとして振る舞えば、自分をいたずらに傷つけずに、もっと自由に生きていけるというわけです。

「エイリアス」なんて、ちょっと突飛な話に感じたかもしれません。
僕が、自分のエイリアスを意識しはじめたのは、30代前半から半ばにかけての頃でした。
それ以前の若いときも、毎日あくせく働く中で、「これって本当の自分じゃない」「僕の人生はどこか別のところにあるのだろう」といった思いを、心のどこかでずっと感じていました。でも、「会社で働く今の自分はエイリアスに過ぎない」と、はっきり認識していたわけではありません。それゆえに「仕事ができない自分」と本当の自分とをうまく切り離すことができず、とても苦しんでいたのです。
28歳でマイクロソフト株式会社(現、日本マイクロソフト株式会社)に転職した頃も、能力やスキルが不足していて、けっして仕事ができるビジネスパーソンではありませんでした。マネージャーにも恵まれない時期が続き、毎日きつい言葉を吐かれて傷ついているのに、実力不足を自覚しているから言い返すこともできず、自分でも自分を追い詰めていました。
「僕は仕事ができない・・・・・・」「自分はダメな人間なんだ・・・・・・」と思っていたわけです。

ただ、そんな鬱々とした日々をなんとかやり過ごした後、30代前半になった頃から、すばらしいマネージャーたちと出会い、僕を応援してくれる顧客にも恵まれて、仕事をしているときに「自分は自分のままでいいんだ!」と思える瞬間が現れはじめました。
そして、このうまくいきはじめた頃から、「仕事に人生を賭している」という感覚が少しずつ薄れはじめたのです。
マイクロソフトで働く自分は、あくまでマイクロソフトという器を使った自分の分身の振る舞いに過ぎないという感覚が芽生えはじめその分身と本当の自分とがうまくリンクするようになってきたことで、無意味に自分を追い込むことがなくなっていったのです。これは仕事がうまくまわってきたことで、自分をメタ思考する余裕ができたからこそ持てた感覚だったと思います。
でも、仕事がうまくいってないときは、たいていの場合、そのうまくいっていない自分と自分のアイデンティティを同一視しているものです。それゆえに、「わたしはできない人間だ」などと自分を追い込んでしまうわけです。
また逆に成功体験でも、同じように自分を不自由にしてしまうことがあります。

たとえば、ある仕事で成功体験ができたら、「自分の生き方はこれだ!」「このやり方なら失敗しない!」と、しがみついてしまうことはないでしょうか?
失敗するのは誰しも嫌なものです。うまくいっているものがダメになるって、すごく嫌なことですからね。でも、これもスポーツに例えるとわかりやすいのですが、連勝記録はいずれ途絶えます。僕はずっと格闘技が好きで見ているのですが、相撲でもボクシングでも、その時代、時代に最強のヒーローが現れて、連勝記録を伸ばしていました。でも、残念ながら、どの人も一生勝ち続けることはできないのです。むしろ、連勝すればするほど、それが途絶えることに対する恐れが強くなっていくのが見て取れることもありました。
僕自身、いったんうまくいきはじめると、それにこだわって同じことばかり繰り返そうとする自分に、心のどこかで気づいていました。でも、格闘技を通して連勝記録は必ずストップすることを学んでいたので、失敗を恐れて新しい挑戦ができなくなるのは嫌だなと、本能的に感じていたのです。
そのため、たとえ仕事で成功しても、それは複数あるエイリアスのひとりの機能に過ぎないのだから、さっさと違う場所(仕事)へシフトしようという考え方になりました。
自分のキャリアにおいて、「これはうまくいった」と思ったら、それはある意味では一度勝ったわけだから、ゲームを替えて別の場所にいく。自分が得たタイトルは返上して、防衛戦は行わない。どんどん切り離して別の仕事へと進んでいく。そうしたら、タイトルを奪われることもないのです。
このように成功体験に縛られずに新しい場所へと進んでいくマインドは、どんな人も意識すれば持てるようになると思います。そして実は、成功体験を手放せば手放すほど、自分の気持ちはラクになっていきます。
こだわらなければ、僕たちはもっと自由に選択できるのです。

『メタ思考』 序章 より 澤円:著 大和書房:刊

これからは、どこにいても「好きなことを、好きなときに、好きなようにやる」ほうが、個人のパフォーマンスが最大限に発揮でき、結局は他者からの期待にも応えやすくなる時代です。

澤さんは、そんな時代に求められるのが「メタ思考」だと強調します。

メタ思考とは、自分の認知活動(行動や考え方)や性格を俯瞰して見て認識する活動です。

本書は、「メタ思考」を獲得することで、自分の人生をより自由に、もっと柔軟にデザインしていくためのノウハウをわかりやすくまとめた一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「ものさし」が複数ある時代

価値観が多様化した今の世の中。
その流れは、今後ますます加速していくのは間違いないでしょう。

澤さんは、価値観の多様化により、どんな分野であれ、既存のルールに従ってなにかをしていくことに明らかな限界が生じていると指摘します。

 今や、成幸したとみなされる人生に見本などなく、どのような道を進めばいいか、自分で考えなくてはならないのです。
となると、僕たちは自分が持つ「ものさし」の種類をもっともっと増やす必要がある。自分で自分を理解して、自分で自分の仕事を定義し、自分で自分のモチベーションを上げていけるように、多様なものさしで人生を考えていかなくてはなりません。
それには、「メタ思考」の力を持つことで、問題や課題を見つけて「言語化」できる力を養う必要があるというわけです。

近年はさまざまな職場で、「ジョブ型雇用」の必要性がいわれています。ただ、このジョブ型雇用についての勘違いで多いのが、「わたしの仕事は〇〇で、その仕事さえうまくやれば評価される」という認識です。
これはジョブ型雇用の必要条件に過ぎません。その仕事をしてもらうために採用したのですから、会社にしてみればできてあたりまえ。いわば最低限の義務という意味合いなのです。
わかりやすくプロ野球選手を例にしていうと、彼らは、それぞれ「ピッチャー」や「バッター」や「キャッチャー」として雇われます。当然ながら、「どこのポジションになるかわからないけど、とりあえずプロ野球選手として採用される」、なんてわけはありません。
これこそがジョブ型雇用です。プロの世界では、漠然と採用し、チームに入ってからやることを決めるわけにはいきません。そうではなく、やってほしいことが最初から明確に決まっていて、それを達成してもらうために契約されるのです。
もちろん、ピッチャーで10勝したら、おそらく一定の評価は得られます。でも、他にも10勝できる人がいたらどうでしょう? その人でなければいけない理由はなくなってしまいます。
たとえば、人気があるかどうか、ファンサービスがきちんとできる人物なのか、インタビューの受け答えが優れているか、華やかさがあるか・・・・・・。10勝できるピッチャーであり、さらにプラスするものがあってはじめて高い評価を得られるのがジョブ型雇用の現実。高く評価されるためには、「余人をもって代えがたい」存在であることが重要になるのです。
しかも、そこには教科書がありません。つまり、プロとして最低限のラインは定義されていても、その上に積み上げていくプラスオンの部分は「自分で考えてくださいね」というのが、ジョブ型雇用の本質なのです。
これが、先の「わたしの仕事は〇〇で、その仕事さえうまくやれば評価される」という認識が勘違いとなる理由です。

「ジョブ型雇用ってそんなに厳しいの?」と不安になる人もいるかもしれません。
でも、逆にいうと、「わたしはこういう人間だから、これで貢献しよう」と決めれば、活躍の場ができるということです。
その部分については、自分で自由に定義していいわけです。
先の例でいうと、ピッチャーとしてある程度の成績をあげられそうで、かつ話すことが得意なら、スポークスパーソンのようなイメージで、できる限りファンの前に出て話をすることをプラスオンできるかもしれません。あるいは、人前で話すのは苦手でも、トレーニングメソッドについて詳しければ、チームに対して自分のトレーニングメソッドをシェアすることで貢献度が高まり、評価される可能性があるでしょう。場合によって、将来コーチの声がかかりやすくなるかもしれませんよね。
つまり、「自分はなにが得意で、どう貢献できるの」をメタ思考して理解し、それを組織に還元してていくことがなにより重要になるわけですから、まず己を知らなければ定義できません。
そこで、僕はよく次のように問いかけています。

他者から「ありがとう」といわれることを自分であげられますか?

以前は自分の長所とも表現できたと思いますが、ここではより具体的にイメージするために、他者から「ありがとう」と感謝された行動だったり、性質だったりを考えてみましょう。
そのためには、自分を客観的に認識することが必要です。普段から、「自分はどんな行動をしているかな?」と、自分自身に問いかけるのも大事だと思います。
注意したいのは、会社や組織で定義された業務以外の部分で、「ありがとう」といわれることだということです。繰り返しになりますが、仕事で求められることに応えるのは、ビジネスパーソンとしてあたりまえですから、これは必ずしも「ありがとう」といわれることと同じではありません。月に3件の契約をとってくるのがあなたの仕事なら、それを達成しても「ありがとう」とはいわれません。
そうではなく、自分の業務にプラスオンしていく部分を、自分でいかに見つけて定義し、行動につなげていくのかが大切なのです。
業者に負担にならないスケジューリングや、膠着した会議の話を整理する司会術、新人のモチベーションアップになるようなメンタリングなど、誰しも自分の業務以外のことで、誰かの業務を助けていると思います。そういった自分の得意なことを探してみてください。
もしも見つからないのであれば、それは危険信号。決められた業務をこなしているだけで仕事ができていると思っているのなら、変化し続ける時代からあっという間に取り残されてしまいます。

他者の定義に従って生きるのか、自分の定義で生きるのか。そのことを、普段のちょっとした行動から自分に問い直してみることはとても大切です。他者が決めたなにかに、気づかないうちに自分が「とらわれている」ことも、たくさんあるからです。

僕たちは法治国家で生きる以上、当然、法律に従わなければなりません。でも、それ以外の決まりごとには、本来なんの強制力もないのです。
もちろん僕たちはひとりで生きているわけではありませんから、社会には多くの人が快適に過ごせるように決められたルールがたくさんあります。でも、そのルールはいつどんなときでも、最適解とは限りません。
一般的に「妊娠中の女性や高齢者には席を譲りましょう」とされていますが、ときには高齢者より、若くても具合の悪そうな人に席を譲ったほうがいい場合もあるでしょう。でも、目の前の具合の悪そうな若者と高齢者がいたら、「この人に譲った方がよさそうだけど、優先席は高齢者に譲るものだしなぁ・・・・・・」と迷う人もいるかもしれませんね。
なぜ僕たちは、こんなふうにルールはいつでも守るべきもの、という思い込みに縛られてしまうのか?
僕は、おそらくルールにのっとった行動によって、ほめられた成功体験があるからではないかと考えています。学校に通っていた子ども時代から、僕たちのまわりは決まりごとだらけです。そして、それを守っていれば、先生や大人がほめてくれる。その結果、「このルールは本当に正しいことなのかどうか」を自分では考えなくなってしまう。
誰かが決めたルールに従うことはラクだからです。そう、思考停止はラクなのです。

でも、声を大にしてお伝えしたいのは、なにが正解かなんて本当は誰にもわかならいということ。新しい局面に遭遇したら、その都度自分で考えなくてはならないのです。
ビジネスの世界では、関連する法律以外の決まりごとはまったくありません。業界内に暗黙の了解があることもあるでしょうが、それを守っても、結果が出なければ誰もほめてくれません。逆に、ルールなんて破っても、利益を上げたらそれが正解だとされる場合もたくさんあります。
むしろ、「自分たちがルールをつくるんだ」くらいに考えることが、成功するビジネスのスタート地点となるでしょう。

今の時代は、自分たちでルールをつくるゲームチェンジャーとされる企業が大きく成功しています。
僕の友人であり、サンフランシスコと東京に拠点を置くデザイン会社、ビートラックスのCEOであるブランドン・ヒルさんは、「顧客第一主義はユーザー中心デザインではない」といいます。いったいどういう意味でしょうか? 僕なりに説明します。
馬車から自動車へ、人の移動手段を大きく変えた自動車を大量生産したのはフォード・モーターですが、当時の顧客のニーズは、「速く走る馬車が欲しい」でした。なぜなら、多くの人はまだ自動車を知らなかったからです。
このとき、馬車の性能にこだわるのではなく、顧客のニーズを深く考えることで、「速く移動したい」という本質を見抜いたことが、フォードが大成功した瞬間でした。顧客の問題を「抽象化」して、その「本質」を取り出すと、移動手段は馬車に限らないことがわかったのです。
また、その販売の点でも、フォードの説明は優れていました。実は、ベンツがはじめて内燃機関を備えた自動車を発明したとき、多くの人が「悪魔の乗り物」だといって怖がったという問題点があったのです。
馬と違って生き物でもないものが動く。しかもその動く鉄の車の中で火が燃えているのは、恐ろしいと感じた人が多かったのでしょう。そんな人たちに、「自動車は馬車よりも優れている」と単純にアピールしたところで、そう簡単には受け入れてはもらえません。
だからフォードは、「みなさんは普段馬車に乗っていますが、もっと速く目的地へ着きたいと思いませんか?」と、顧客のニーズの本質をつきました。そのうえで、「馬車は歩くより少し速い程度のスピードしか出ませんね」「馬の面倒をみる必要もあります」「餌代もかかりますよね」などと、具体的な馬車の問題点をあげて、自動車の便利さの説得力を高めていったのです。
これは、現代のビジネスの課題解決にもそのまま使える方法です。
まずは、顧客のニーズを抽象化して本質をつかむ。そのうえで、汎用的な解決方法を提案する。すると顧客はその提案をかなり受け入れやすくなるのです。
新しい製品やサービスを顧客に受け入れてもらうためには、顧客がまだ気づいていない課題を、納得いくかたちで「言語化」することが必要なのです。

現代でも同じことが、ライドシェアの「Uber(ウーバー・テクノロジーズ)」や「Lyft(リフト)」にいえます。
当時の顧客のニーズは、「より早くより安く目的地に行きたい」というものでした。これを鵜呑みにすれば、新たに台数の多いタクシー会社を興すだけになります。
でも、「早く安く」というニーズを深く掘り下げて、「ライドシェア(相乗り)」というサービスを展開したのがUberであり、Lyftでした。運転しているのは普通の市民ですから、新たにタクシーを増やさなくても膨大な数の運転手付きの車が市場に増えたことになります。現在地や目的地がアプリ上にアップされますから、タクシーと同じように利用でき、捕まえやすさも格段に上がります。おまけにライドシェアで安価なので、車社会のアメリカで一気に広まったのです。
ほかにも、時代を画するイノベーションを起こした企業は、顧客のニーズの「本質」をうまく掴んでいることがわかります。たとえば、X(旧Twitter)は、「より公平迅速な情報が得られる手段が欲しい」というのが顧客のニーズでした。

そのニーズに対して、X(旧Twitter)は「ユーザー自身が発信でき、小グループ間でコミュニケーションするためのプラットフォーム」を用意しました(今後また変わっていくかもしれませんが)。
また、Airbnb(エアビーアンドビー)」も、繁忙期でも宿泊施設を確保したい」「少しでも安い金額で宿泊施設を見つけたい」というニーズを掘り下げて、「民泊」というアプローチを取りました。

つまり、先の「顧客第一主義はユーザー中心デザインではない」というのは、顧客が実現してほしいと望んでいることが、そのまま答えではないということです。
よく「顧客の声を聞け」などといわれますが、顧客がいっていることが正しいとは限らないことは、これらの例からよくわかります。ここに、いくら顧客からアンケートなどで声を集めたり、マーケティング施策を重ねたりしても、本当のニーズをつかめない理由があります。いや、むしろ顧客が求めているものを愚直に追い求めると、ビジネスとして破綻するケースさえ、世の中にはたくさん見られます。
正しく言い換えるなら、顧客がいっていることは正しいとは限らないが、確かなニーズは顧客の中にあるということなのです。

『メタ思考』 第1章 より 澤円:著 大和書房:刊

私たちは、これまでのルールややり方を「正しい」と思い込んで、それらを無意識のうちに繰り返してしまいがちです。
それは「思考停止」つまり、よりよい方法や改善案を考えることを怠っていることになるわけです。

思考停止を打破するのは「メタ思考」。
隠されている問題を「抽象化」して、その「本質」を取り出すことです。

世の中の仕組みは、複雑になる一方です。
ただ、人間の欲求や世の中のニーズの「本質」は、それほど変わるものではありません。

ビジネスに限らず、「本質」を見極める力は、これからますます求められますね。

「思い込み」から自由になる思考法

人は、本来自分が思うように生きられるはずです。
なのに、どうしてもまわりの視線や意見などを気にしてしまいがちです。

澤さんは、その原因の多くは、人それぞれの「思い込み」によって、自分の思考という狭い世界に閉じこもってしまうことにあるのではないかと指摘します。

 思い込みについて考えるときにいつも思い出すのは、かつて僕のチームメンバーでもあった、現・マイクロソフト社エグゼクティブアドバイザーの小柳津篤(おやいづあつし)さんです。彼はかつてマイクロソフトで本部長をしていましたが、その肩書を捨てて、僕のチームにいちメンバーとして参加してくれるなど、とても自由な人でした。肩書は彼にはまったく重要ではなく、僕のチームが面白そうだと思えば、いちメンバーに戻っても参加してくれる人です。
ある日、1on1ミーティングをしているときに、彼はこんなことをいいました。

「僕、これまで失敗したことないんだよね」

これだけ聞くと、なんて自信過剰な人だと思いますよね? でも話を聞いていると、「だって、思っていた結果と違っただけだから」というのです。
面白いと思いませんか? 思った通りの結果になっていないことを、多くの人は失敗と呼ぶはずです。そのように考えたら、彼だって失敗している。でも、彼はそれを失敗ではなく、「予想と現実が違っていただけに過ぎないこと」だと考えています。
つまり、これは「解釈」が違うだけなのです。

人は一度失敗すると、「また失敗するかもしれない」と、どうしても恐れる心が生まれます。
でも、彼はたいていの人が失敗と思うことを、失敗としてとらえていない。失敗していない(失敗だと思っていない)のだから、次になにか行動するときも、恐れる理由がまったくないわけです。
「うまくいくと思っていたのに、なぜか違う結果出てしまった。じゃあ、次は違うやり方を試してみよう」
そんなふうに、何度も行動と修正を繰り返しながら、目標へ向かって最適化して進んでいけるわけです。
僕は当時、自分の失敗に対してかなり厳しい人間で、今でもその傾向があると自認しているのですが、彼を見ていると、「こんな生き方もあるのか。失敗なんて、とらえ方次第なんだ」と、目から鱗が落ちるようでした。

ポイントは、失敗を失敗とみなさないのは「意思」によるということです。
これは失敗だけではなく、自分が抱えている悩みや思い込みに対して、とらえ方を変えたいときにも使えます。何度も自分に言い聞かせればいいのです。
とくに公言する必要はありませんが、たとえばノートやメモに「予想と現実が違っても失敗とみなさない」と書いておくなど、一度その「意思」を自分の頭から外に出し、いつでも見られる状態にしておくといいと思います。

失敗を失敗だと思い込むのは、出来事の「解釈」の問題であり、それは「意思」によって変えられると述べました。
その原則を確認したうえで、一般的に、人が重要な選択や判断を間違えたとみなされるとき、どんな状態にあるのかを考えてみます。間違えるときのコンディションを事前に知っていれば、前もって準備することもできるはずだからです。

まず僕は、人が重要な選択や判断を間違えるのは、必ず「余裕」を失ったときだと考えています。
以前、友人がX(旧Twitter)で、「どんなに頭がいい人でも、余裕がなくなると、とんでもない間違いをおかす」という趣旨の発言をしていて、そのとおりだなと思ったことがあります。余裕があることは、仕事においても生活においても、とても大事なことです。
余裕とはなにかというと、人それぞれ違います。時間の余裕かもしれないし、お金の余裕かもしれないし、体力やエネルギーの余裕かもしれません。また、どんな人にもイライラしたり、モヤモヤしたりする日があるように、感情の余裕かもしれません。
ただ共通しているのは、とんでもない判断ミスをするときは、たいていの場合、そうした余裕がない状態のときだということです。
ちなみに僕の場合は、空腹のときがダメ。エネルギーの余裕がなくなるとどうしてもイライラしてしまって、普段なら考えられないようなミスをしたり、判断が鈍ったりしてしまうのです。
そこで大切なのは、自分はどんな要因によって余裕がなくなるのかを、あらかじめ知っておくことです。
「どうして同じ失敗ばかり繰り返しているのだろう?」
そう思ったときがチャンス。自分自身をメタ思考し、自分はどんなときに余裕がなくなるのかを、きちんと言語化しておくことが大事です。
そして、できればそのことを周囲と共有しておくことで、大きな失敗をするリスクを避けることができます。失敗によって人間関係がおかしくなることもありますから、人間関係を良好に保つためにもおすすめです。
僕の場合は、2020年に会社をやめて独立してから妻と一緒にいる時間が長くなったので、お腹がすいたら余裕がなくなることを、あらかじめ妻に伝えています。また、スケジュールが詰まっているときほど、食事の時間の優先度を高くして調整しています。
人によって余裕を失う要因や、余裕を失うときの「閾値(しきいち)」には差があるため、全員に同じ正解があるわけではありません。睡眠不足で余裕がなくなる人は多いと思いますが、8時間寝ないとダメな人もいれば、5時間あれば十分という人もいるはずです。
プライバシーにも関わることですが、だからこそ信頼できる人たちと共有しておくことで、大切な人間関係を維持できると考えることもできるでしょう。

もうひとつ加えたいのは、人が余裕を失うのは、ネガティブな状態のときだけとは限らないことです。たとえば、自信満々で「怖いものなしだ」「無敵だ」と思っている人が、突然大ポカをやることがけっこうあります。自信過剰なときも、実際には余裕がなくなっている状態である場合がとても多いのです。
このようなときは、自分で顧みる余裕を失ってしまうのでしょう。
人はネガティブな感情になっているときは、「原因を探す」という思考になりやすく、それがメタ思考につながることがあります。でも、傲慢になっているときは、それを思いつかなくなるから怖いのです。
本来、自信を持つことはポジティブな感情であるはずですが、それが結局自分の余裕を奪っているパターンもあるということです。

「思い込み」に話を戻します。たとえば、みなさんも、エスカレーターに乗るときは必ず片側に立ったり、電車に乗ると車内が空いていても優先席には座らなかったりすることがあると思います。もちろん、混雑時に関しては、エスカレーターは片側に寄ったほうが安全だし、優先席も空けておく意味はあるでしょう。
一方で、なにも考えずに、いつでもそれらの暗黙の了解に従っている面はないでしょうか?
僕は座りたいときには優先席かどうかは考慮せず、空いている席ならどこでも座っていいと考えています。でも、必要だと思われる人には、優先席でなくても譲ります。優先席だから譲る、なんていうルールは僕にとっては意味がなく、困っている人がいたら、すべての席を譲ろうと考えているからです。僕にとっては「座席すべてが優先席」なのです。

ビジネスにおいても、さまざまな思い込みや固定観念、暗黙の了解などがたくさんあります。
たとえば、みなさんの会社や組織では、ITに関するルールが山ほどありませんか?
「USBメモリを使ってはならない」「会社PCを持ち出してはならない」など、多くの企業にはITに関する「べからず集」があるようです。
企業は情報漏洩のリスクを想定し、膨大な「べからず集」をつくります。でも考えてみれば、本来ルールがあろうとなかろうと、情報漏洩は絶対に防がなければならないことのはずです。
つまり、必要なのは「べからず集」ではなく、情報漏洩しない「仕組み」と「意識」なのです。
かつて僕が勤めたマイクロソフトでは、かなり以前から、私用パソコン使用可能で、どこからアクセスしてもかまわないという状態がつくられていました。「べからず集」が極端に少ない会社だったのです。
車内のリソースを使うときは、ドメイン認証のプロセスが必要ということのみ。つまり、ユーザーさえ特定できればOKという線引きでした。
この「これさえ守ればOK」という考え方は、アクションのたびにルールブックを参照するのが面倒な僕のような人間にとっては、とてもやりやすく快適なものでた。
膨大な「べからず集」があるにもかかわらず企業からの情報漏洩が絶えないのは、ただルールに縛られて、「情報漏洩をしないためにどうするか?」という本質を、社員一人ひとりが考えていないからではないでしょうか。
僕が話を聞いてきたビジネスパーソンたちは、みなとても真面目に仕事に向かっており、自宅でも、土日でも、データにアクセスしたいという思いを持っていました。お子さんの都合やパートナーとの関係で、平日にどうしても終わらなかった仕事があった場合、私用パソコンで仕事ができないと夜間や土日に遅れを取り戻すことができません。でも、会議は月曜の朝にはじまってしまう。たとえばそういう場合、会社にばれないように、より危ないネットワークに頼って仕事することにもなりかねません。
「べからず集」という禁止事項を増やすほど、人は抜け道を探すことに熱心になり、結局は情報漏洩をしてはいけないという、一番大切な本質を見失ってしまうのです。

この考え方は、そのまま個人の「思い込み」にも適用することができます。
つまり、自分に課すルールを「べからず集」にしないほうがいいということです。
そうではなく、「これさえ守ればOK」というシンプルで最低限のルールにしたほうが、自分の行動を自由にするし、結局はミスも少なくなるようにデザインできるのです。

なぜ、人は「べからず集」をつくってしまうのかというと、おもな理由として、そこに「他人の目」があるからではないかと僕は見ています。「ほかの人はどう思うだろうか?」ということを判断基準にしてしまうからですね。
外からどう見られるかを気にしたり、評価されることを気にしたりするために、自分の行動を自分で縛ってしまうことはよくあります。
いつも他人の目を意識して、その評価に一喜一憂していると、自分のやることなすことが本当に正しいかどうか自信を持てなくなるのです。
たとえば、自分は料理が得意だと思っていても、「Aさんのほうがもっと料理が上手」「Bさんはコンテストで優勝したことがあるらしい」などという他人との比較が意識されると、「自分の実力なんて井の中の蛙にすぎないのではないか」「こんな自分が料理を得意という資格はない」と考えてしまうのです。
本来「わたしは料理が得意だし、それでOK」と思っていれば、誰からもなにもいわれる筋合いはありません。仮になにかをいわれても、「あ、そう」で終わりなのです。
これを逆から考えてみると本質が見えてきます。「これでOK」と自分で決めさえすれば、結果的に他人と比べることがなくなり、必然的にオリジナルな存在となる。いや、そもそも、一人ひとりがオリジナルな存在なのだから、「これでOK」と自分で決めることは当然のことなのです。

以前、ある学生に「他人と比較するのは意味がないというけれど、個性は他人と比べなければ個性として確認できないのでは?」と聞かれたことがあります。たしかにそういう考え方もあるかもしれない。
でも、僕が思うのは、まずあなたという人間はこの世にひとりしかおらず、もうその時点で、ひとつの「個性」が存在するということです。相対的な比較をしなければ、個性を認識できないわけではないのです。
だって、周囲とあなたはそもそも違う、別の人間なのだから。
僕は「わたしがやりたいようにやる」というあり方を、もっと優先したほうがいいと考えます。
周囲と違うことをしなければと思って、自分を探しに世界一周をしたり、ほかの人と同じフィールドで優劣を競ったりする必要なんてないし、どこかに正解があって、そのとおりにやれば自分の価値が上がるわけでもありません。それをやるのがダメだと断罪しているのではなく、ただ「あなたの価値」と世間の評判との相関関係はないということに気づいてほしいのです。
せっかく料理をつくるのだから、やっぱりうまくなりたいし、うまくなければ「料理が得意」なんていってはいけない気がしてしまう・・・・・・。そんなことに、多くの人がとらわれすぎている気がします。
もしどうしても「〇〇が得意だ」と宣言するのがはばかられるなら、「〇〇が好きだ」っていえばいい。
そんな「自分の定義」で行動する人が活躍する時代に、徐々に移り変わってきていると僕は見ています。

『メタ思考』 第2章 より 澤円:著 大和書房:刊

「してはいけない」ことが増えるほど、身動きが取れなくなります。
それらに気を取られて、本来すべきことがおろそかになる恐れもあります。

逆に「これさえ守ればOK」であれば、行動の自由度が広がります。
気を取られることが少ない分、本来やるべきことに集中することができます。

「他人の目」ではなく「自分の定義」で行動する。
これからの時代、それがますます重要になってきますね。

「余人を持って代えがたい」存在を目指す

社会のシステムも価値観も、急激に変化する今の時代。
澤さんは、いわれたことをこなして平均程度を目指したり、特定の会社や場所でしか通用しないスキルを磨いたりしていても、先はあまり明るくないと指摘します。

では、どんなキャリア戦略が有効なのでしょうか。

澤さんは、「余人をもって代えがたい」存在を目指すことに尽きると述べています。

 いわれたことをこなして平均程度の成果をあげたり、特定の会社や場所の枠組みの中でうまく立ち振る舞ったりしていても、不安定な時代においてはキャリアとして積み上がっていかない可能性があります。会社が危険な状態にあっても転職すら難しくなるのです。また、とくに転職などを考えていないとしても、平均程度の能力の人がたくさんいる労働市場において、プラスアルファがなくては差別化要因になりません。ほかの人と同じようなことをしているだけなら、年齢とともにあっさり入れ替えられてしまいます。
そうならないためには、「この人にはこんな特性がある」とまわりが認めるような、自分だけにしかない別の要素が必要なのです。
そんな特性があれば、たとえ優秀な人が現れても、オンリーワンな存在として差別化することができます。これは、本書の序章でお伝えした、「競技人口ひとりの種目をつくり、毎日優勝する」という戦略にもつながりますね。

ひとつ注意したいのは「余人をもって代えがたい」というのは、「その人がいないと仕事が回らない」状態ではないということです。
もしかしたら、みなさんの身近に、自分の仕事や人脈をけっして人に教えないようなタイプの人がいるかもしれませんが、それは会社を危険にさらす行為といえます。もし誰かが抜けたことで業務が滞る状態になっているなら、組織デザインが完全に間違っています。仕事のプロセスが属人的になってしまうと、その人がいなくても、業務が問題なくまわる状態にデザインされていなければなりません。
余人をもって代えがたい存在というのは、このように自分がいないと全体がまわらないようなスタンスで存在感を発揮するのではなく、ほかの人でもまわせる組織デザインの中で、「それでもあなたがやるのが一番いいよね」と、周囲の人から認められるような状態をつくれるかどうか。このふたつは似ているようで、まったく違う状態です。
プロセスをまわすだけならほかの人にもできる、それでも、「ぜひこれはあなたにやってほしい」といわれるのが、ビジネスパーソンとしてもっとも価値が高い状態なのです。

「余人をもって代えがたい」存在が強いという事実は、企業にもあてはまります。主語を自分から自社に変えると、もっとも大切なのは、「顧客のハッピーに貢献できるオンリーワンの課題解決法であるかどうか」ということになるでしょう。
つまり、顧客から「ありがとう!」「うれしい!」「これは助かる!」といわれるような、オンリーワンの製品やサービスであるかどうかが、ビジネスがうまくいくかどうかの鍵を握っているわけです。

みなさんは、XaaS(ザース)という概念を知っていますか? これは、「X as a Service」の略で、簡単にいうと、ネットワーク経由で提供されるサービスの総称です。
「as a Service」はリース形式でサービスを提供する、いわゆるサブスクリプション型のビジネスモデルで、今の時代を生きる僕たちに、とても馴染みがある概念です。
Xにはさまざまな言葉が入ります。Infrastructureなら、IaaS(イアース)、Platformなら、PaaS(パース)、SoftwareならSaaS(サーズ)という具合です。
SaaS(Software as a Service ソフトウェア・アズ・ア・サービス)のわかりやすい例をあげると、多くのビジネスパーソンが日常的に使っている「Microsoft356」「Gmail」「Saleforce」などのサービスがそれに当たります。ブラウザさえあればインストール不要で、社内システムを構築しなくても、サインアップだけですぐ使えるようにオンライン上にソフトウェアが提供されている状態です。

お伝えしたいのは、今の社会にはXaaSがかなり浸透していて、ありとあらゆるものがサービス化されつつあるということです。

そんなXaaSの世界において、今さかんに雇用されているポジションが、「カスタマーサクセス」という仕事です。
カスタマーサクセスとは「顧客の成功」を意味し、すでに製品やサービスを使用している顧客に能動的に働きかけ、顧客が望む結果を理解し、それを達成するような使い方を提供することです。この点で、顧客の不満や問題を解決するカスタマーサポートとは異なることがおわかりになると思います。
これまでは製品やサービスを売りさえすれば、顧客がそれを使おうと使うまいと、それがそのまま売り上げとなり、成果となりました。顧客がパッケージを購入した時点で取引が終了するわけですから、顧客の満足度よりも、製品やサービスをたくさん売り上げる営業職が重要な位置を占めました。
しかし、XaaSは、サブスクリプションモデルなので、顧客にずっと契約し続けてもらうために、アップデートし続けてサービスの向上を目指すとともに、顧客には使用のモチベーションとなる「成功へのストーリー」を提供することが必要になったのです。

みなさんには、最近解約したサブスクリプションサービスはありますか? もしあるなら、なぜ解約したのでしょう? おそらくあまり使わなかったり、使う理由がなくなってしまったりしたからだと思います。
すると、その製品やサービスの提供者は、なにをしなければならなかったかというと、あなたにカスタマーサクセスとして、「わたしたちの製品やサービスを使い続けると、あなたは望む結果を達成できる」ということを語らなければならなかったのです。
今の時代のビジネスの多くは、カスタマーサクセスを提供しなければ、契約を維持できないかたちになってきています。あらゆるものがサービス化されつつあり、売り方が根本的に変わっているわけですね。
この流れが世の中に広く波及しているのは、世界株式時価総額ランキングでトップ層に位置するGAFAM(Google,Amazon,Facebook,Apple,Microsoft)が、デジタルデバイスの開発・販売がメインのアップルを除いて、すべてXaaSをメインにした企業であることからもわかると思います。

アップルだけは除きと述べましたが、ご存じのようにアップルにも、Apple MusicやApple TVといったサブスクリプションサービスはあります。iCloudを使ったさまざまなデータの一括管理も提供していますね。
しかし,アップルといえば、やはりiPhone、iPad、Macなどのデバイスの開発・製造・販売がメインでしょう。アップルはれっきとしたメーカー。ならば、ほかのメーカーとなにが差別化されているのでしょうか?

それは、アップルはiPhoneを使い続けるための、オンリーワンのストーリーを売っている会社だということです。

それゆえ、かつてスティーブ・ジョブズは、そのストーリーを説得力あるかたちで広く伝えるために、プレゼンに非常に力を入れていました。
ただスマートフォンを売るのではなく、新モデルが出るたびに使い続けてもらうために、協力で魅力的なストーリーが必要であることを、彼はかなり早い段階から気づいていたのだと思います。
もちろん,iPhone、iPad、Macなどは機能面でも優れたデバイスですが、それでも僕は、アップルは概して、機能として優れている製品であることを最重要事項としてこなかったのではないかと感じます。
それよりも、ジョブズは「クールなデバイス」であることを追求していました。
余計なものを削ぎ落としたシンプルなデザインにこだわったのは、iPhone自体がクールな印象を与えることもさることながら、「iPhoneを使っているあなたはクールだ」というストーリーをつくろうとしたということです。
そのストーリーに共感が生まれると、ずっとアップルのファンで居続けてくれるのです。

これは日本のメーカーが衰えた理由のひとつですが、日本のメーカーには、そうしたカスタマーサクセスの視点が欠けていたのでしょう。日本のメーカーも美しいデザインのデバイスをつくりましたが、それはあくまで筐体(きょうたい)の流線や、カラーリングが美しいと言ったモノの美しさに終始していて、「それを使うスタイルがかっこいい」というストーリーの発想が欠けているものが多かったといわざるを得ません。
製品やサービスを使っている顧客の気持ちまで想像していなければ、当然ながら、顧客をハッピーにするストーリーは紡ぎようがないのです。
独立研究家の山口周さんは、これからの時代は、個人や企業、製品・サービスは、「『役に立つ』よりも『意味がある』ほうが生き残る」と述べています。
「意味がある/ない」「役に立つ/立たない」の二軸で考えると、日本のメーカーの多くはたしかに性能に優れたものがたくさんあります。つまり、「役に立つけど、意味がない」分野で戦ってきた面があるのではないでしょうか。
でもこれからは、「意味があって、役に立つ」、もしくは「役に立たないが、意味がある」ほうに、より居場所が与えられるということです。
そして、この「意味」の部分こそが、まさに顧客を成功へと導く「ストーリー」なのです。

「役に立たないが、意味がある製品やサービスなんて必要?」と思う人もいるかもしれませんね。こうした製品の象徴的な例がスーパーカーです。
スーパーカーは、日本の公道で走ろうとしても、速度制限があり、道幅も狭いため快適に運転できません。騒音も大きいし、化石燃料も大量に消費する。ならば、どうしてスーパーカーが存在し続けるのでしょうか?
面白いエピソードがあります。スーパーカーの代表格でもあるフェラーリは、製品自体も優れていてカッコいいのですが、思わず、「フェラーリは壮大なクラウドファンディングではないか?」と思わせられるようなことをしているのです。
どういう意味かというと、フェラーリは世界最高峰のモータースポーツであるF1(フォーミュラ1)で優勝するために、その資金を集めるべく車を売るシステムを作り上げているというのです。これを知ったとき、僕は思わず笑ってしまいました。

もちろん、最高峰のF1で通用する技術は、ほかの車種の開発にも役立つわけですが、フェラーリにとってもっとも重要なのは、「F1に出場し続けて優勝すること」であり、その姿勢が終始一貫しているのです。つまり、「世界最速の車に乗る」というストーリーを最重要視しているわけです。
だからこそ、脱炭素化の時世になっても、フェラーリにとってF1撤退はあり得ない選択であり、そんなストーリーに魅了された顧客たちが、いつまでも変わることなく応援し続けているのです。
企業のビジネスモデルを例にして、今の時代のビジネスでは、顧客のカスタマーサクセスの実現をいかに応援するかが重要なポイントになることを紹介しました。顧客にその製品のサービスを使い続ける意味を与えてくれる魅力的なストーリーを語れるかどうかが、勝負の分かれ目になるというわけです。
そして、個人の仕事を考えるときも、僕は基本的に同じ観点でとらえることができると見ています。

『メタ思考』 第3章 より 澤円:著 大和書房:刊

アップルも、フェラーリも、モノづくりの会社です。
しかし、売っているのは製品そのものより「ストーリー」だということです。

ストーリーとは、製品の背景にある生い立ちや個性などから、長い時間をかけて紡ぎ出されるもの。
際立った魅力的なストーリーは、それだけ多くの人を引きつけます。

私たち個人も、それと同じことがいえます。
能力はもちろん、それに加えて独自のストーリーがある人が評価されます。

これからのコミュニティに必要な人材とは?

澤さんは、複数のコミュニティに接点を持ち、いろいろな人たちと触れ合うことの大切さを強調します。

これからの時代、コミュニティに必要な人材は、「ギバー(人に惜しみなく与える人)」です。

 Web3.0の時代をひとことで表すと、「個の時代」の到来です。誰かが専制君主のように命令し、多くの人がそれに従うというかたちではなく、コミュニティ型では、個人それぞれが、できることをその都度判断し、能動的に動いていくことによってうまくまわっていきます。
コミュニティ化していくということは、自分自身で考え、自分自身で行動していくことなのです。
ただし、人それぞれ得意なことが違えば、その達成度合いも違います。そんな個人がそれぞれ好き勝手に行動しているだけでは、コミュニティはうまくまわりません。
これは、経営コンサルタントのエリヤフ・ゴールドラットが『ザ・ゴールーー企業の究極の目的とは何か』(ダイヤモンド社)で指摘した「全体最適化理論」にも通じます。ものごとの全体(工場の生産工程など)を最適化しようとするときは、その中でボトルネックになっている部分を見つけて、それを必要に応じて最適化することが、全体の最適化につながるという考え方です。
これをコミュニティに援用すると、ものごとはボトルネックに引っ張られるわけですから、ボトルネックになっている人に対して、共感などの気持ちを持たない状態になると、そのコミュニティの人間関係は非常にギスギスした状態になります。
たとえば、中央集権型の修学旅行としてみましょう。学校が決めた旅程に従って旅が進みます。引率する教員たちの言うことをきかないと怒られ、旅が中断されることもありますが、従っていれば予定通りの旅になるでしょう。
これに対して、コミュニティ型とは、仲間がキャンプやバーベキューのような状態です。偉い人はいませんから、みながフラットな立場で集まってできることを分担します。火の扱いに慣れている人が火をおこし、重い荷物を持てる人が荷物を運び・・・・・・では、キャンプ初心者で苦手な人はどうすればいいか? ボトルネックの立場は本人も辛いでしょう。こういう場合、きっとみなさんなら、「こっち手伝ってよ!」などと声を欠けて、一緒に作業ができるように巻き込んであげるのではないでしょうか。
このように、コミュニティでは、一人ひとりが「ギバー」の精神を発揮しなければなりません。
お互いに助け合って、補い合いながら、それぞれの役割分担が必然的にできあがっていくと、そのコミュニティはうまくいく。当初ボトルネックだった人も、きっと役割を与えてくれた人に感謝し、別のかたちでコミュニティに貢献しようと奮起してくれるでしょう。
他者ができなくて困っていることを見つけて、自分ができることをGIVEし、他者に貢献することで、人間関係はうまくまわっていくというわけです。

みなさんは「ランドルト環」というものを知っていますか? 視力検査でよく用いられる、あの欠けた輪のことです(下の図を参照)。
これを見ていただくと、あたりまえですが、欠けている部分はすぐわかります。「右が欠けている」などと、簡単に説明できるでしょう。
では、「輪の部分を説明してください」といわれたらどうでしょうか? すごく難しくないですか? 線の太さや直径、黒の色味・・・・・など、いろいろなことを理解していなければ説明できません。
なにがいいたいのかというと、「人の欠点はバカでもわかる」ということです。
欠けている部分を指摘するのは、おおよそ誰にでもできます。つまり、他人の欠けている部分だけを指摘してドヤ顔をしている人は、見ればわかるものを大きな声でいっているだけだということです。でも、そういう人に限って、得意満面の顔をしているんですよね。僕の苦手なタイプ。彼らは「目がいい」だけで「頭がいい」わけではないと、いつか気づいてほしいと願ってしまいます。
仮に、チームメンバーの誰かが想定外のミスをして、そのミスを指摘しているマネージャーがいたとしましょう。ですが、誰かが思わぬミスをするという想定外の出来事を、どのように処理するかこそ、マネージャーの腕の見せどころなのです。もっといえば、想定外のことか起きることを想定内にしておくことがプロだと僕は思います。

そこで、他者のミスや困っていることに共感することが必要になるわけですが、ミスなどを指摘するときに注意したいのは、「それはダメだから直してみたら?」と、相手へのダメ出しから入ってはいけないということです。否定から入っても、相手はそれを受け取りづらくなるだけだからです。
そうではなく、「イエスバット法」のように、「その方法はいいね。こうやったらもっといいかもね」「この部分はこうすればもっとよくなるよ」というふうに、まず相手の意見を肯定する「GIVE」をしてみましょう。それだけで、相手は続く指摘もスムーズに受け取りやすくなるはずです。
いずれにせよ、人の欠けている部分をただ指摘するだけならバカでもできる。これからのビジネスパーソンは、一歩先の伝え方で新しい人間関係を築き、そこから自分も相手も進化させるのです。

さらに、みなさんが職場やコミュニティで豊かな人間関係を築くために、具体的にできるシンプルなことがあります。
それは「他者をほめること」

以前、こんなことがありました。
武蔵野大学アントレプレナーシップ学部長の伊藤洋一さんが、著書の『1分で話せ 世界のトップが絶賛した大事なことだけシンプルに伝える技術』(SBクリエイティブ)に関連した、〈1分で話せ!ピッチイベントTalk Your Will〉というイベントが全国で行われていました。これは、さまざまなバックグラウンドを持つ参加者が、自分の「譲れない思い」を1分で話し、それに対してコメンテーターが即座に1分でコメントを返すというイベントです。
僕は友人として10ヵ所ほど、森本千賀子さん(株式会社morich代表取締役)、志水静香さん(株式会社Funleash CEO)とともに、コメンテーターとして参加しました。
このときの僕たちのルールが、「絶対にほめる」です。審査員ではないので、参加者が1分で話したら、ほぼ時間を置かず「はい、澤さん」と指されて、1分でほめなければなりません。これはとても頭を使いました。
なぜなら、人によってすぐ「いいね」といえる人もいたのですが、そもそもプレゼンがはじめての参加者も多く、多くの人が1分でうまく話せない状態だったからです。もちろん思いは伝わってきますが、ピッチとして、指摘する箇所はいくらでもあったわけです。
でも、欠けているところを指摘してはならないのだから、人によっては、まるで砂場で針を探すようにほめる部分を探すこともありました。瞬時に人をほめることは、トレーニングが必要なとても難しいことだと再認識したのです。

ここですぐにできる、具体的に人をほめるトレーニングを紹介しておきましょう。
それは、ひとこと目で「いいですね!」と返すこと。
相手がなにをいおうと、ひとこと目から「あ、それはいいですね!」「それは素敵ですね!」と、まずポジティブワードですぐ返すというわけです。すると不思議なことに、それに続く「ほめポイント」を、頭が高速で探すように働きはじめます。普通は自分でいったポジティブワードを、ふたこと目で否定できません。そのため、瞬間的に相手のいいところを探しはじめるのです。
もし相手の話の内容にいいところが見つけられなかったら、「いい声ですね!」「いい笑顔ですね!」「素敵な服ですね!」など、なんとしてでも「ほめポイント」を探すようになります。これはとてもいいトレーニングになります。

「他者をほめること」が自然にできるようになったとき、あなたのまわりに多くの人が集まってくることに気づくはずです。なぜなら、みんなにとって、あなたは「自分のいいとことを瞬時にほめてくれる人」として認識されるからです。人はそんなポジティブな人と、いい人間関係を持ちたいと思うものだからです。
繰り返しになりますが、他者の欠けている武分を指摘するのはバカでもできます。そんな人のもとに人は集まりません。あるいはネガティブな人ばかりが集まるようになります。
でも、他者をほめたり、優しくしたり、共感できたりする人は、それが簡単なことではないが故に、大きく差別化され、結果的に豊かな人間関係を築くことができます。
他者をほめることは、実は難易度が高いゆえに、強力な生存戦略になり得るのです。

ここまで、他者の欠けている部分を指摘するのではなく、他者をほめることこそが人間関係を豊かにし、また強力な生存戦略にもなるとお伝えしてきました。
しかしながら、世の中にはどうしても自分の価値観と合わなかったり、気に入らないと感じたりする人がいるものです。また、そんな人と毎日会社で会うような、しんどい環境にいる人もいるかもしれません。
そんなとき、他者に対する「怒り」のほうに気持ちを乗せてしまうと、感情のコントロールができなくなり、むしろ自分のほうが、傍から見て「あの人大丈夫?」と思われるような態度をしがちになります。
「今、自分は他者からどのように見えているのか」
「もうひとり自分がいたなら、今の自分を見て誇りを感じるか」

激しい感情にとらわれそうになったとき、そんなことを考えるのはとても重要です。
このプロセスを体系化したものが、一般的に「アンガーマネジメント」と呼ばれるメソッドです。ここまでなら、聞いたことがある人も多いと思います。ただ、アンガーマネジメントは「怒らないようにするテクニック」ではありません。
アンガーマネジメントとは、怒りで後悔しないための心理トレーニングです。
すなわち、「感情にまかせたことによって、後で後悔するような怒り方をしない技術」であるとともに、「あのとき怒っておけばよかった!」と後悔をしないことも、アンガーマネジメントでは大事になります。
アンガーマネジメントは、文字どおり、怒りをマネジメントすることであり、怒りをなくすことではなく、いわば「うまく怒る」技術なのです。

ならば、他者に対して「うまく怒る」にはどうすればいいかという疑問が生まれます。
これは、150ページの「マネージャーの職務はメンバーとの対話だけ」にも通じますが、「うまく怒る」ために、まず重要なのは「ファクト」です。なぜなら、事実確認でお互いに合意できていなければ、怒る根拠がない状態となるからです。相手にとっては、「それってあなたの感想だよね?」で終わってしまうでしょう。
なぜ怒っているのか、まずそのファクトを伝えなければ、相手にあなたの気持ちは伝わりません。ファクトをわかりやすく共有する説明の技術は、実は重要なアンガーマネジメントにつながっているのです。
また、腹の立つ指摘をされたときなど気持ちが動揺していると、怒りを表明したほうがいいのか、もしかして自分がわがままなだけなのか、正確に判断できない場合もあります。
そんなときは、少なくとも、「自分はなにを感じたか」を表明しておくのがひとつの手になります。
「誤解されているようで、ショックです」
「ご指摘に少し動揺しています」

そんなひとことを、とりあえず相手に伝えておく。このとき、自分の思いや違和感を続けざまに吐き出すと感情的になってしまう可能性があるため、ファクトや「感じたこと」をとりあえず共有しておき、冷静に考える時間を確保するテクニックです。続きは、翌日以降でも、もっと先でも、「今はちょっと動揺しているので、後日説明させてください」といって、その場を離れましょう。もう少し強い印象を残したいなら、
「すみません、わたし的には引っかかるところがあります」
くらいの言い方なら、相手に対して感情をそのままぶつけていることにはならないでしょう。

いずれにせよ、我慢してなにもいわずにその場を去ると、気持ちが怒りで乱れたままになり、後日その話を持ち出すきっかけが見つけづらくなりますし、相手は相手で、正しい指摘を指摘しただけだと考えているので、忘れてしまう可能性も高くなります。でも、一言その場で不快である、という感想を伝えておくことで、相手にも「まずかったかな?」と考えるきっかけを残すのです。
もし1日考えて、自分に非があったと思ったら、「昨日はちょっと動揺してしまいましたが納得しました。すみませんでした」と謝ればいいだけです。

このように「うまく怒る」ことは、「今の自分に余裕があるかないかを、客観的に認識する」ということです。
僕の友人に、一般社団法人日本アンガーマネジメント協会理事の戸田久実さんがいますが、彼女と話したとき、「アンガーマネジメントは、怒りという自然に発生する感情をうまく扱うこと」という趣旨の発言をされていました。
また、同協会代表理事の安藤俊介さんは、『アンガーマネジメントを始めよう』(大和書房)の中で、「怒る必要のあることに対しては上手に怒れて、怒る必要のないことに対しては怒らなくて済むようになることです」と書かれています。

アンガーマネジメントでは、「わたしとあなたは違う」「自分と他者は違う」ということを認識しておくことも重要です。
ここでひとつ、私が先にもご紹介した小柳津篤さんから教えてもらったワークをアレンジしたもので考えてみましょう。

旅行で日本に来ていたモハメドさんは、ラーメン屋で食事をし、会計をするときになって財布を忘れたことに気がつきました。
日本語が話せないモハメドさんは、「後で払いに来る」と説明しようとしましたが、ラーメン屋の店主は警察に通報してしまいます。
駆けつけた警察官はモハメドさんを連行しますが、その様子をスマホで撮っていた隣の客はSNSで動画を拡散し、この動画が原因でモハメドさんは国外退去になりました。

Q .この4人を「許せない順番」に並べてみてください。

1 モハメドさん
2 ラーメン屋の店主
3 警察官
4 隣の客

おそらく、人によって順位がまったく変わってくるかと思います。
もちろん、お財布を忘れたモハメドさんが悪いという人もいるでしょうし、事情も考えずに警察に通報した店主が悪いという人もいるでしょうし、職務とはいえすぐに連行する警察が悪いという人もいるでしょうし、SNSで目の前のトラブルを拡散して承認欲求をかなえようとする人が悪いという人もいるでしょう。
同じ文章を読んでいるにもかかわらず意見が割れる原因は、お互いの「べき」が一致していない、ということです。
「こうあるべき/こうあるべきではない」とあたりまえのように思っている、その「べき」というものは、すべてパーソナライズされたもので、人によってまったく違うものなのです。
そのことを理解しておかなければ、「べき」がみんな一緒であるとつい思ってしまいます。そうして、正義対正義の戦いに陥ってしまう。「べき」にズレが起きたとき、「わたしとあなたは違う」というあたりまえの事実が、簡単に正誤の問題にすり替えられてしまうわけです。
そうして、「あなたがおかしい」「あなたこそ間違っている」と、お互いを責めることにつながっていく。
こうした争いは、ビジネスや日常生活に限らず国際社会でも生じており、今の世界に大きな影響を与えているのは周知のとおりです。
繰り返しますが、「わたしとあなたは違う」「自分と他者は違う」ということを認識することが、アンガーマネジメントでは重要とされます。
わたしたち人間には「認知バイアス」があり、「男なんだからこれくらい耐えられるだろう」「わたしの子どもなんだからこれくらいできるだろう」というような思い込みを持つ傾向があります。
ほかにも、「女性なんだから」「社会人なんだから」「長男なんだから」「課長なんだから」と、他者が押しつける評価や基準は身のまわりにいくらでもあります。
そして、そんな期待に相手が応えられないことを知ったときに、怒りの感情を持ったり、相手を無理やりコントロールしようとしたりする行動につながるのではないでしょうか。

『メタ思考』 第5章 より 澤円:著 大和書房:刊

図 ランドルト環 メタ思考 第5章
図.ランドルト環
(『メタ思考』 第5章 より抜粋)

個性や価値観の違いは「あるもの」。
これからの時代、最初からそれを前提に人間関係を構築していく必要があります。

「できること」「得意なこと」に注目する。
「ほめる」と「うまく怒る」を上手に使う。

ぜひ、マスターしておきたいスキルですね。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

メタ思考を実践していく上で、重要なこと。
それは、自分の中にある種の「余裕」を持たせておく必要性です。

澤さんは、最後に、気分を切り替えて、メンタルをリフレッシュさせるためにいつもおこなっている、とてもシンプルな習慣を紹介されています。

それは、今座っているとしたら、まずは「立ち上がる」こと。
屋内にいるとしたら、「外へ出る」こと。
外へ出たら、できるかぎり「空を見上げる」こと
です。

澤さんは、そのように意識して見える景色を変えて、新しい空気を吸い込むと、不思議と心に余裕が生まれて清々しい気持ちになれるはずだとおっしゃっています。

心に余裕が出ると、自分を客観的に俯瞰できるようになります。
「外」の視点から自分を眺めることで、今まで気づかなかった「新たな自分」に出会えるかもしれません。

「エイリアス」を増やし、自分の可能性や活躍の場を広げて、より自由に生きる。
これからの時代の新しい働き方であり、生き方を提供してくれるのが「メタ思考」です。

ぜひ、みなさんも、その衝撃の体験を試してみてください。

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