本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『「好き」を言語化する技術』(三宅香帆)

お薦めの本の紹介です。
三宅香帆さんの『「好き」を言語化する技術 推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない』です。

三宅香帆(みやけ・かほ)さんは、文芸評論家です。
高知県のご出身で、京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程を修了(専門は萬葉集)されています。

「自分の言葉をつくる」には、コツがある!

自分が大好きな漫画やアニメ、映画や小説。
または、応援しているアイドルや俳優、バンド。

そんな「推し」について、誰かに語りたい、SNSで発信したい。
しかし、いざ語ろうとすると、「やばい!」という言葉しか出てこない。

そんな悩みを抱えている人は、多いでしょう。

「語彙力がない」
「観察力も分析力もない」
「言語化するのが苦手」

三宅さんは、そんなことで落ち込むことはないと強調し、自分の感想を言葉にするうえで大切なのは、「ちょっとしたコツ」だと指摘します。

 その「コツ」さえ知っていれば、
自分の言葉は、誰でもつくることができます。

自分だけの言葉で推しを語ることができれば、
もっともっと推し活が楽しくなります。
自分の大好きなものについて、
自分の言葉で伝える。
その面白さを、ぜひあなたにも知ってほしいです!

ここで、少し自己紹介をさせてください。
最初に言っておくと、私の推しは、アイドルや宝塚です。普段はX(旧Twitter)でオタク友達と交流し、インスタで推しの写真を眺め、インターネットで見知らぬ人の感想ブログを読み漁り、そして観劇やライブや配信を楽しみに生きています。推しに元気をもらっているオタクのひとりです。

一方で、本や漫画も昔から大好きで、フィクションに感動したときは「うわ、この感動を言葉にしたい!」と思っていました。そのような欲求が昔から強かったからか、いつのまにかブログに本の感想を書くようになりました。そして今では、本について発信する書評家という仕事をするようになったのです。
プライベートでは日々「推し」を語る文章を読み漁り、仕事では日々「本」について語る文章を書き続けている。
そんな生活を送るうちに、私は頻繁にこんな質問を受けるようになりました。

「推しについて発信したいのですが、どうすれば言語化がうまくなりますか?」

たしかに私が普段書評家として発信している文章は、本という名の「推し」の魅力について解説している文章がほとんどです。
考えてみれば、好きなものについて語るという点では、書評家もオタク発信も同じことをやっている・・・・・・!
もしかしたら、私の書評家として培った文章技術が、世の中の「推しについて語りたい」人々のお役に立てるのでは・・・・・・!? 質問を受けるうちに、そんなふうに思い始めました。それが本書を執筆したきっかけです。
推しについての発信。
そういうと、「でも私、語彙力ないしな」とか「感動を言語化できるほど、本を読んでこなかったから文章力ないしな」と尻込みしてしまう人もいるかもしれません。
でも、大丈夫。
必要なのは、語彙力でもなければ、大量の読書でもありません。
推しについての発信で一番重要なこと。
それは、

自分の言葉をつくること。

ただそれだけです。

「自分の言葉? そんなの普通にみんなできてることじゃないの?」と思われた方もいるかもしれません。でも今の時代、自分の言葉をつくるのはなにより難しいことなんです。というのも今は、SNSを通して「他人の言葉が自分に流れ込みやすい時代」だから。
息抜きのつもりで、SNSをぼんやりみている私たちは、無意識に他人の情報発信に普段から触れています。
すると、友人の言葉や見知らぬ人の言葉が、日々大量に頭のなかに流れ込んでくる。現代の人間が目にする情報量やその速度は、今までにないほど膨大なものになっています。

たとえばアイドルが好きな人は、SNSでそのアイドルについて賛否両論の言葉を日々目にしているのではないでしょうか。ちなみに私もそうです。
SNSでは、すごく素敵なエピソードや、見ただけで元気になる嬉しい言葉もたくさん発信されています。一方で、ちょっと違和感を抱いてしまう言葉を読む日もたくさん、ある。

面白い映画を観たあとに、他人の感想を読む。すると、自分の感想を忘れてしまって、他人の感想がまるで最初から自分の言葉だったかのような錯覚を覚える・・・・・・なんて経験をしたことはありませんか? 私はしょっちゅうあります。SNSを見ている人にとって「あるある」ではないでしょうか。
他人の言葉に、私たちはどうしても影響を受けてしまうのです。

でもこれって、危険なことですよね。
他人の言葉を、自分の意見だと思い込んでしょう。
自分の意見が本当はなんだったのか、よくわからなくなってしまう。

もちろん他人の影響を受けること自体は、悪いことではありません。でも、自分の意見や感想が完全になくなってしまうのは、ちょっと寂しい。他人の言葉に影響されやすいと、なんだか思考まで洗脳されているような気がして、少し怖い。

そんなとき重要なのが、「自分の言葉をつくる」技術です。

他人の言葉と、距離を取るために。
自分の言葉をつくる技術が、今の時代には不可欠です。

本書では,現代において必須スキルである「自分の言葉をつくる」技術について、お伝えします。
といっても、構えなくて大丈夫です! 難しい文章のレッスンをするわけではありません。
語彙力がない。言語化が下手。すぐに他人の言葉に影響を受けてしまう。
そんなあなたにこそ、「自分の言葉をつくる」ための、ちょっとしたコツを知ってほしいのです。

推しについて、自分の言葉で発信する。
もしそれができれば、きっと推しについての愛情も、葛藤も、もっともっと深くなるのではないでしょうか。「推しについて自分の言葉で発信する」ことのメリットは、たくさんあります。

・推しへの解像度が上がる
・たくさんの人に推しを知ってもらえる
・推しについてのもやもやを言語化できる
・推しを好きになった自分への理解が深まる

自分の言葉をつくり、そしてそれを発信することで、きっとあなた自身の人生にもプラスの影響があるはずです。

私が書評家として長年培ってきた、推しについて自分の言葉で発信するための技術。それを一冊にぎゅぎゅっとまとめて、あなたにお伝えします。

「推し」はなんのジャンルでも大丈夫です。
俳優でも、声優でも、VTuberでも、YouTuberでも、アイドルでも、バンドでも、歌手でも、スポーツ選手でも、アニメのキャラクターでも、アニメでも、本でも、漫画でも、映画でも、釣りでも、山登りでも、ランニングでも、旅行でも、囲碁でも、将棋でも、あなたの好きなものや人ならなんでも!

SNSなどの短文発信、ブログなどの長文発信、そして友達に向けてしゃべるとき、音声配信で不特定多数に向けてしゃべるとき、といった発信方法ごとにわけて解説しています。

あなたが自分の好きなものや人について、発信したい・・・・・・そう思ったとき、本書が役に立てたらとてもとても嬉しいです。

きっと推しを語ることで、あなた自身の「好き」がどこからきたのか、わかるはずです。推しを語ることは、あなた自身の人生を語ることでもある。

さあ、たくさん推しを語りませんか?
あなたの言葉が、推しを輝かせる日が来るかもしれませんよ!

『「好き」を言語化する技術』 はじめに より 三宅香帆:著 ディスカヴァー・トゥエンティワン:刊

本書は、三宅さんが書評家として長年培ってきた、推しについて自分の言葉で発信するための技術をわかりやすくまとめた一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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感想は「自分だけの感情」が一番大切!

推しを語るときに一番大切なこと。

三宅さんは、それは「自分だけの感情」だと指摘します。

 ーー自分だけの感情? 感じたままの、ありのままの感想を語るってこと?
こんなふうに思われた人がいるかもしれませんが、それはちょっと違います。
というのも、「自分だけの感想」とは、「他人や周囲が言っていることではなく、自分オリジナルの感想を言葉にすること」なんです。

たとえば、創作にはオリジナリティが重要だと言う人がいます。これは本当にその通りで、自分の作品と同じ作品がもうあるなら、重複して世にだす意味はほとんどないんです。だって、既にありますからね。

推しを語ることも同じです。誰かがつくった言葉や誰かが広めた感情ではなく、自分だけが感じていることを伝えるのが、なによりも大切。それを伝えることこそが、あなたが推しを語る意味になる。この世にまだない感想を生みだす意味になる。

「なんだ、自分オリジナルの感想をそのまま言葉にしたらいいの? 簡単じゃん」と思われるかもしれません。でもこれって、意外と難しいんですよ。
なぜなら人間は、なにも考えずにいたら、世の中に既にある「ありきたりな言葉」を使ってしまう生き物だからです。

「クリシェ」という言葉を聞いたことはありますか?
ある言葉がいろいろな場面で乱用されたことで、その言葉の本当の意味や新しさが失われてしまったことを指す用語です。ありきたりなシチュエーション。ありきたりな台詞。ありきたりな言葉。それらをフランス語で「クリシェ」と呼びます。

日本語には、残念ながらクリシェにあたる用語はありません。あえて挙げるなら「常套句」でしょうか? もしくは、「ありきたり」という言葉が一番近いかもしれません。このクリシェは、感想を話したり文章を書いたりするにあたって、最も警戒すべき敵です。
クリシェこそが、あなたの感想を奪うんです!

どういうことか具体的に説明しましょう。
たとえばあなたの推したい作品が、とある漫画だと仮定します。あなたは、その漫画の素晴らしさをみんなにどうにかして伝えたい。だからSNSにその漫画の魅力を書くことにしました。

「この漫画、泣けてやばい。すごく考えさせられた。」

・・・・・・・これじゃ、この漫画の魅力が伝わらない! でも、語彙力がないから漫画の感想なんて書けないよ〜。ああ〜〜〜・・・・・・。こんなふうに、しゃがみこんでしまう人もいるのてはないでしょうか。私も昔はそうでした。
この感想の書き方、なにが悪いのかわかりますか?
悪いのは、あなたではありません。悪いのは、

①「泣ける」
②「やばい」
③「考えさせられた」

この3つの言葉です。
じつはこの3つの言葉って、「感想界のクリシェ=ありきたりな表現」なんです。
とくに「泣ける」と「考えさせられる」は、かなり要注意の言葉です。この2つの言葉を使うと、そこで思考停止になってしまいます。
たとえば映画の宣伝で「全米が号泣」という言葉が使われすぎて、「全米が号泣してないぞ」とツッコミを入れる人をたまに見かけます。あれは、全米の人が実際に号泣したかどうかという事実が問題ではなく、あらゆる映画の宣伝文句に「号泣」とか「泣けた」という言葉を多用していることを揶揄しているんですよね。つまり、クリシェに対する揶揄なのです。

クリシェは、あなたの言葉を奪う敵だと思ってください。
よく見る、それらしい言葉。その言葉を使うだけで、なんだか文章自体が、それっぽくなる。感想っぽくなる。だから、つい使ってしまう。
「考えさせられる」なんて、使うだけでなんだか「かっこいい感想っぽくなる」言葉だと思いませんか?
でも、そういう言葉こそ、いったん忘れてほしい。「クリシェ=ありきたりな表現」は、あなた自身の表現を奪ってしまうから。

クリシェを禁止した先に、「自分だけの感想」が存在する。
ありきたりな、それっぽい表現を使わすに、ちゃんと自分だけの感情、考え、印象、思考を言葉にする。それだけで、オリジナルな表現ができあがります。

クリシェを使わない訓練をしていくと、不思議と感想が書ける量ーーつまり文章のネタの数も増えてくるんです。本当ですよ。どういうメカニズムなのかは、またあとの章で詳しく説明しますね。
まずは、ありきたりな言葉ではなく、自分の言葉を大切にしてください。自分の言葉とは、つまり自分の感情であり、自分の思考のことです。

私たちは放っておくと、想像以上にすぐ他人や世間の言葉に支配されてしまう。「支配」と書くとちょっと大げさですけど、気を抜くとすぐに思考停止して、世間で使っている言葉をそのまま真似する傾向にあります。
たぶん人間は、そもそもそういう生き物なんでしょう。じゃないと、赤ちゃんは言葉なんて覚えられないですよね。

けれども、そんな人間の習性に抗って、自分だけの言葉を使ってみましょう。
世間や他人がインストールしてこようとする言葉に対して、「自分は本当にその言葉でいいんだっけ」と立ち止まる。そして、自分だけの感情や思考を取り戻して言葉にする。これって、じつはすごく重要なプロセスなんです。

推しについて語りたいだけなのに大げさな〜! と思われるかもしれません。でも、推しを語るなんて、ただでさえ他人の影響を受けやすいジャンルです。
あなたにはありませんか? 同じものを好きな他人の趣味嗜好に、つい影響を受けてしまったこと。
「私は⚫️⚫️がすごくよかったと思っていたのに、同じ趣味を持つ友人が『⚫️⚫️は平凡だ』と言っているのを聞いて、なんとなく⚫️⚫️が微妙だと感じてしまった・・・・・」
⚫️⚫️に当てはまるのは、好きな映画でも場面でも、なんでもいいです。こういった経験をしたことのある方は意外と多いんじゃないでしょうか。
好みくらいなら、他人の影響を受けてもいいんじゃないかと思うかもしれません。でも、これが感想だった場合、あなたが本当は伝えられたはずのあなただけの感想が、いつのまにか消え去ってしまうんです。
そんなの、もったいないです!

せっかく感想を言葉にするなら、自分のオリジナルな感情を大切にしましょう! 世間や他人の言葉に流されずに、自分だけの言葉を使う訓練をすれば、きっとそれが習慣になります。

『「好き」を言語化する技術』 第1章 より 三宅香帆:著 ディスカヴァー・トゥエンティワン:刊

「クリシェ=ありきたりの表現」を禁止すると、自然と自分だけの感情や言葉が浮かび上がってきます。

真っ先に浮かび上がってきた感情や言葉。
それらがどんなものであろうと、すぐに否定しないこと。
それこそが「自分だけの表現」だからです。

私たちは、自分が思っている以上に、世間や他人の考えに毒されています。
それを自覚することが、なにより大切だということです。

クリシェを禁止した先に、「自分だけの感想」が存在する。
忘れないようにしたいですね。

「言語化」とは「細分化」のこと

三宅さんは、具体的な「感想の言語化の前に必要なプロセス」として、以下の3つの手順を踏むことを勧めています。

①よかった箇所の具体例を挙げる
②感情を言語化する
③忘れないようにメモをする

 ここで、もっとも重要なことを言います。
「言語化するには、語彙力が必要だ」と世間ではよく言われますよね。本を読んで語彙力をつけろとか、聞いたことがある人は多いでしょう。でも、推しの魅力を言語化するとき、本当に必要なのは語彙力ではありません。
必要なのは、「細分化」です。
言語化とは、いかに細分化できるかどうかなのです。
たとえば、あなたが好きなアイドルのライブについて語りたいとしましょう。ライブ、すごくよかった。あのよさを言語化したい。そう思ったときにまずやるべきは、「自分は」「どこが」よかったのかを具体的に思い出すことです。これは箇条書きで構いません。左記に例を挙げますね。

【具体例】
・一曲目に⚫️⚫️の曲がきたこと
・⚫️⚫️のタイミングのMCで「⚫️⚫️」という発言がでたこと
・⚫️⚫️のダンスがうまくなっていたこと
・⚫️⚫️の衣装がかわいかったこと

などなど。ここで「感想」を書いてもいいですが、無理して書かなくても大丈夫。大切なのは心を動かされたところを細かく具体的に挙げること。

「好きだった」「よかった」「感動した」ところを挙げてもいいですし、反対に、「嫌だった」「違和感を覚えた」「好きじゃなかった」ところを挙げてもいいです。全体的には好きだったとしても、ここはちょっと微妙だったな・・・・・・と思う要素って、絶対にありますよね。無理して挙げる必要はないですが、あれば書いておいたほうが、あとで感想を書くときに役立ちます。

ライブ鑑賞の場合の具体例は、前ページで書いた要素になりますが、他のジャンルであれば先のような項目を参考にしてみましょう。

◎フィクション(小説・映画・漫画・舞台など)
・好きな/好きじゃないキャラクター
・印象に残ったセリフ
・なんかすごく心に残っている場面
・びっくりした展開
・結局最後までよくわからなかった心情

◎イベント(音楽ライブ・ショーなど)
・自分に響いた歌詞
・よかった場面/曲
・舞台装置で気に入った点
・ぐっときた衣装
・ぴんときた人

◎人(アイドル・俳優・ミュージシャン・芸人など)
・自分がなるほどと思った言動
・好きになったきっかけ
・今まででいいと思った現場
・好きな髪型や服装
・やってくれて嬉しかった仕事

あくまで一例ですが、私はこんな感じで具体的にメモをしています。そして具体例をどのぐらいメモするか、どこまで網羅するかは、ぶっちゃけ、あなたがどれくらい「メモ魔」になれるかどうかによります。
ちなみに私はけっこうメモ魔なので、大量に具体例を記録しておくのが好きなんですが。メモが苦手な人も「感動ポイントを全部メモしなきゃ!」とプレッシャーを感じる必要はありません。それより、ひとつのことでもいいので、とにかく具体的に書いて置きましょう。これがなにより大切です。
そして、自分に嘘をつかずに挙げること。無理して「よかった点だけ」挙げるのではなく、「違和感を覚えた点」も含めて挙げることで、より自分の感覚を深く言語化することができます。嘘をつかず、楽しくできる範囲で、具体的に感動した点を挙げるのがポイントです。

心を動かされたところを具体的に挙げるうえで注意してほしいのが、「細かく」挙げること。
これは細かくたくさん挙げろ、と言っているのではありません。挙げるのが全体的な点ではなく、細かければ細かい点であるほどいい! という意味です。

細かく具体例を挙げることのなにがいいのか。
それは、感想のオリジナリティは細かさに宿るからです。
たとえば、ライブの感想に「最高!」という言葉しかでてこないという悩みは、ライブの「どこが」最高だったのかを言えたら解消されます。ライブで「この曲が」演奏されたのが嬉しくて、「この歌詞が」あらためて響いて、「この演出が」自分の心を揺さぶった。そんなふうに、最高だった点を細分化さえできれば、じつは語彙力なんてなくても、あなたのオリジナルな感想になり得るのです。
あなたの心に、どこが響いたのか。それを細かく挙げることによって、あなたの感想はあなただけの言葉になります。

この具体例が細かければ細かいほど、ほかの人と違う感想になりやすいんですよね。もちろん無理に他人と違う感想を言う必要はないのですが、それでも、あなた個人のオリジナリティある感想をかけたほうが、あなたが書く理由があるじゃないですか。だから私は、できるだけ細かい点が挙げられた感想が読みたいな、といつも思っています。

そう、言語化って、細分化のことなんです。
感想だけでなく、この世のあらゆる言語化は、まず細分化が必要です。言語化というと、なにかをそっくりそのまま言い換える表現のように思われますが、違います。言語化とは、「どこが」どうだったのかを、細分化してそれそれを言葉にしていく作業なのです。(下の図1を参照)

それでは、74ページで説明した「①よかった箇所の具体例を挙げる」で〈どこに〉心を揺さぶられたのか具体的に挙げたとします。
次にやるべきは「②感情を言語化する」で、〈どういう〉感情を抱いたのかをメモすること。そして、〈どうして〉その感情を抱いたのかを書けたら最もいいですね。

つまり①で具体例=〈どこに〉を挙げ、②で〈どういう〉感情を〈どうして〉抱いたのかを説明する。感情を揺さぶられた点について、①でWHERE、②でHOWとWHYを言葉にするのです。
まず、「どういう」感情を抱いたのか、①で挙げた点それぞれについて書きましょう。
たとえば「⚫️⚫️という台詞」を①で挙げていたら、それに対してどういう印象を持っていたのかを書く。①で挙げた点すべてに感想を書き連ねるんです。
その場面や台詞について、自分がどう思ったかに焦点を当ててメモを取ります。

次に、先ほど書いた感情について「どうしてその感情を抱いたのか」を書きます。
感情の理由について、あまり思いつかない人は、次で説明する3点を考えてみてください。
まず「ポジティブな感情を抱いた理由」の考え方について書きます。「ネガティブな感情を抱いた場合」についてはあとで説明しますので、ちょっと待ってくださいね。

◎ポジティブな感情を抱いた理由を考えるヒント
①自分の体験との共通点を探す

自分が体験したエピソードとの共通点を探します。自分も同じような体験をした、そのときにこの感情を抱いた、それがここでも表現されている・・・・・・と。これはフィクションの感想を書くときに使いやすい手法です。

②好きなものとの共通点を探す
既に自分が好きなものと似ているなと感じる点がある場合、その共通点を考えてみます。
まったく違うジャンルだとしても、自分が過去に好きになったものと近しいものが好きである場合は多くあります。むしろ違うジャンル同士で、あなただけが共通点を知っている場合、その共通項を言語化することがオリジナリティにつながるのです。

③どこが新しいのか考える
よく見慣れたジャンルで特別に好きだ! と思えるものって、なにか「新しいさ」を持っている場合が多くあります。これまでありそうでなかった特徴、意外と足りていなかった要素、そういうものが加わったときに初めて好きだと思える。
あなたが見つけた、そこにしかない新規性を発見したとき、それを言葉にしてみましょう。ここが今までと違う、と感じる点を言語化してみるんです。
私は、以上の3点をもって「どうしてそれをいいと思ったのが」を考えています。

歌人の穂村弘さんが『短歌の友人』(河出書房新社)という短歌の解説書で、こんなことを書いていました。
この短歌がいいと感じるのは、「共感」か「驚き」のどちらかである、と。
「共感」とは、自分も同じような体験や感情を知っていて、それをぴったりくる言葉にしてもらったことへの快感です。短歌だったら「あるある」と言いたくなるような瞬間をぴったりと切り取ってもらったことへの嬉しさである、と。

ここでいう「共感」とは、決して「自分も同じ体験をした」という意味だけではありません。「自分も同じようなものが好きである」という、同じ好みを辿ってきたその遍歴への共感です。

一方で「驚き」とは、それまで見たことのないような未知の手法に出会ったときの快感です。そういう表現方法があったのか、そこでそうくるのか、という裏切り、意外性への感動ですね。マジックを見ているような感覚です。

詳しくは『短歌の友人』を読んでみてほしいのですが、この分類は、決して短歌だけの世界に留まるものではありません。この世にある創作物に対する面白さは、結局この2つに分類できるのです。
だとすれば、推しに感動したときも、この分類を使用することができます。自分が今抱いた感動も、「共感」か「驚き」のどちらであるかを考えることができるのです。

「自分と同じ好みの元ネタ」を持っている人ほど、好みは近いものです。
「元ネタ」を具体的にいうと、自分が学生時代に好きだったバンド、テレビ番組、漫画雑誌、観た映画、読んだ本、先生から言われたこと、親から怒られた言葉、嫌いだったクラスメイトなどです。
これらはあくまで一例ですが、自分が辿ってきた「これいいな」「これ嫌いだな」という価値基準になる元ネタが重なっているとき、同じものを好きになりやすい。

おそらく、ヒット作と呼ばれるコンテンツは、その元ネタが広くたくさんの人に共有されているものである場合が多いのです。みんなが好きだったものを、無意識に元ネタにしている。
そういう意味で、あなたが今好きなものは、昔あなたが好きだったものが元祖となって存在している可能性があります。そしてその元祖を共有することで「あ、私もこういうの好き!」という共感となって感動している。
つまり、今目の前で見ているのもを「私もこれ好き」と共有する、その根っこには、同じようなものが好きだったという元ネタが存在している。その元ネタを見つけることもまた、感想の言語化につながります。

「感想の言語化」とは、なぜその感想を抱いたのか、その原因を考える作業です。
原因を考えるとは、つまり、その元となる存在を言い当てること。今自分が覚えている感情の元ネタは、自分の場合どこにあるのかな? と探す感覚で考えてみてください。

◎ポジティブな感情の言語化プロセス
(1)「共感」(既に自分が知っている体験/好みと似ている)。もしくは、
「驚き」(今まで見たことのない意外性を感じる)のどちらなのかを考える
(2)「共感」の場合
①自分の体験との共通点を探す
②自分の好きなものとの共通点を探す

 「驚き」の場合
 ③どこが新しいと感じるのか考える

ポジティブな感想を抱いた場合は、この(1)、(2)のプロセスを踏んでみてください。きっと、その感想を言語化できるようになってくるはずです。

もちろん、このプロセスがうまくできるようになるには、自分の知っている元ネタを増やすことが必要です。
本を読んでいれば読んでいるほど「あ、この小説はあの小説と似ているな」と思うことができるし、音楽を聴いていればいるほど「この曲はこういう点で新規性があるな」と理解することができます。あるいはライブだって、そのジャンルに詳しい人ほど「うわあ、こういうアイドルは見たことがなかった!」と意外性に気がつくことができるでしょう。自分の知っている元ネタが多ければ多いほど、感想が言語化しやすくなるのはこのためです。
一方で、初めてそのジャンルに触れることで、「なんだ! この言語化できない感動は!?」とドキドキすることもまた、確実に人生の楽しさのひとつです。
十代のときの感動が鮮やかなのは、おそらく言語化されていない感情がいっぱいあって、未知のものが多いがゆえに「驚き」の感動をたくさん抱くことができるからでしょう。
年齢を重ねるにつれ、感想が変わってくるのは、自分が持っている元ネタの量が変わってくるからです。だとすれば、年齢を重ねていない人も重ねている人も、今だからこそ味わえる方法で推しを楽しみたいものですよね。

これまでは「ポジティブな感想を抱いた場合」の言語化のコツについて書いてきました。
この応用編として、「ネガティブな感想を抱いた場合」の言語化のコツも説明しておきましょう。ネガティブな感想の言語化、それはたとえば「もやもやした違和感があった」とか「嫌だった」とか「なんか知らんが無理だった」とか、そういう類のものです。

これは「ポジティブな感想の言語化」よりも意外と難しい。
嫌いな人の悪口でもそうじゃないですか?
誰かが悪口で盛り上がっている場で、他人の言っていることに同調するだけならすごく簡単ですが、「自分だけがマジで嫌だった原因」を孤独に言語化するのって難しい。他人の言葉にかぶせない、自分だけの違和感を言葉にするのは、けっこう困難なことなんですよ。
なぜなら、自分のネガティブな感情は、自分のコンプレックスや自分のマイナスの体験につながっていることが多いから。

ポジティブな感想の言語化のときに「すべての好みには元ネタがある」と言いましたが、逆を言えば、「すべての悪口にも元ネタがある」のです。
つまり、ネガティブな感想を言語化することは、ネガティブな気持ちを抱いた元ネタを、自分の内側から引っ張りだす必要があるんですね。
ポジティブな感情を言語化する3つのポイント、覚えていますか?

①(共感の場合)自分の体験との共通点を探す
②(共感の場合)好きなものとの共通点を探す
③(驚きの場合)どこが新しいのかを考える

さて、これをネガティブな感情のバージョンに変えてみましょう。

①自分の(嫌な)体験との共通点を探す
②(自分が既に)嫌いなものとの共通点を探す
③どこがありきたりだったのかを考える
ネガティブな感想を抱いたときの言語化は、この3点を考えることです。

まず、あなたが感じたネガティブな感情が、はっきりした「不快」なのか、あるいは「退屈」だったのかを考えます。

「不快」とは、心がザワザワする、嫌な気持ちになる、気分が悪い、すごく胸が痛くなる・・・・・・など際立った感情です。マイナスに振り切れた違和感のことですね。
一方で「退屈」とは、面白くなかった、よくある感じだった、なんだか刺激されなかったなど、際立ったものがないことへの失望です。

ポジティブな感想は「共感」か「驚き」に分類できますが、ネガティブな感想は「不快」か「退屈」に分類できます。なにか嫌なものかあったのか、なにもなくて退屈だったか。まずは、その感情がどちらだったのかを考えてみてください。

あなたの感想が「不快」=なにか際立って嫌なものかあったとき。その感情を抱いた原因を考えてみましょう。やるべきは、次の2点に心当たりがないか考えることです。

①自分の(嫌な)体験との共通点を探す
②(自分が既に)嫌いなものとの共通点を探す

好みにも元ネタがあるように、嫌いなものにも元ネタがある。だって、なにもないところに「不快!」なんて感情は、突然湧き立ちませんから。「なんかこれ、すごい心がざわつく、嫌だ〜」ってわざわざ思うとき、そこにはなにかしらの原体験があるはずです。
不快の理由がフィクションのキャラクターだったり、人のエピソードだったりしたら、現実の体験かもしれない。あるいは衣装の色だったり物語の結末だったりする場合は、既に知っているもので同じく嫌いなものかあるかもしれない。「うーん、自分ってこういうパターンが嫌いなのか」とぜひ嫌いなものの共通項を言語化してみてください。

ちなみに私の場合は、「世界と君のどちらを救うか決めろ!!」みたいな物語パターンがすごく苦手なんですよ。そういう選択肢がでてきた時点で「うげっ」ってなってしまう。これにネガティブな感情を抱いてしまうのは、「主人公がわりといろんなことに無自覚であることが許されている」状況が苦手だからなんですね。
だって世界か君かのどちらかを選べだなんて、「世界」に含まれるいろいろな影響をしっかり理解しようとしていないように見える。そういう無自覚性みたいなものが許されている世界が・・・・・・ああ苦手・・・・・・と感じてしまうんです。
で、無自覚さが苦手、という共通項を考えると「あーあのキャラも私は無自覚さが苦手なんだ」と思い至ることがあり、そこからずるずると自分の現実での体験も思い出す・・・・・みたいなことをやります。
はい、面倒な作業でしょう。「嫌い」を言語化すること。
「好き」よりも「嫌い」を言語化するほうが、よっぽど困難な道のりなんですよ。

さて、ネガティブな感情が「退屈」だった場合。
つまり、どこの場面が嫌だとか、どのキャラクターが好きじゃないとか、あの衣装が嫌だとか、そういう際立った不快さが存在するわけじゃない場合。ただただ、意外性がなく、面白さを見出せずに退屈だった場合。
あなたは退屈の原因として「どこがありきたりだったのか」を考える必要があります。

そう、ここでも重要なのは具体的であること。決して全体的に退屈だったという結論で終わらせるものではなく、どの要素がありきたりに思えたのかを考えましょう。
物語であれば、キャラクターが凡庸なのか、ラストがいかにも予想の範疇だったのか、セリフが普通すぎたのか。あるいは、人であれば、どの要素が自分にとってありきたりだと思えるのか。
全体的になんとなく退屈、なんて誰にでも言えます。そうではなくて、一体どこが退屈なのか、その要素を洗いだしてみるんです。それによってあなたの感想はあなたにしか書けないものになります。
ポジティブな感情もネガティブな感情も、とにかく具体的に細分化すること。それがいい言語化の鍵になります。

『「好き」を言語化する技術』 第2章 より 三宅香帆:著 ディスカヴァー・トゥエンティワン:刊

図1 言語化とは細分化のこと 好き を言語化する技術第2章
図1.言語化とは細分化のこと!
(『「好き」を言語化する技術』 第2章 より抜粋)

一言で「好き」といっても、その理由は人それぞれです。
その好きな理由を深掘りしていく作業が「自分だけの感想」を言語化する秘訣です。

好きを深掘りするためのキーワードが「共感」と「驚き」です。
「好き」に生えている、この2つ“根っこ”を引っ張ると、隠れていた真の理由が見えてきます。

「発信」とは、相手との距離をつかむこと

「発信」とは、自分と相手の距離をつかむことから始まります。

三宅さんは、相手が自分と違って「その情報についてどのくらい知っているか」「その情報についてどのような印象を抱いているのか」という2点を把握しておくこと。それがすべての発信におけるポイントだと指摘します。

この2点の相手の状況を把握したら、次にすべきは「自分との情報格差を埋めること」です。

 あなたがなにか「伝えたいこと」を持っているとき。それをちゃんと相手に伝えたい、と思うならば、左の2段階のプロセスを踏みます。

①自分と相手の情報格差を埋める
②自分の伝えたいことを伝える

本来あなたの「伝えたいこと」がありますよね。
たとえば、「推しのアイドルが最高だった!」ことを伝えたいとしましょう。それを伝えたい相手が、自分の推しのアイドルについてはそんなに知らない人だった場合に、どうすればライブの素晴らしさが伝わるのか?
ここで重要なのは、

フェーズ①:相手に「そもそも推しはどういう経歴で、どういう人なのか、いつもどんなライブをやっているのか」を伝える
フェーズ②:相手に「今日のライブのどこが(いつもと違って)最高だったのか」を伝える

という2フェーズにわけてしゃべることです。
①のフェーズをすっ飛ばすと、相手は「なんのこっちゃ」とぽかんとする・・・・・・という失敗につながってしまいます。

もちろん①を説明せずに、いきなり②をぶつけるドライブ感ーーつまり、あなたの語りの勢いのよさも、言葉の魅力にはなり得るでしょう。俗に言う「オタクの早口口調が面白い」って、結局は①のフェーズを無視するからこそ、「おいおい、前提なにもしゃべらずにいきなり②にいくのかよ!」という常識外れのよさがあるわけです。
・・・・・・が、それが面白くなるには、②の語りの切れ味がかなり鋭くないといけません。あるいは、①を飛ばして②だけで通用するほど、自分と相手との情報格差がない状態であればいい。

しかし大勢の場合には、自分と相手には情報格差があります。そういう場合は、「①をまずは伝えるのだ!」という意識を持つべきです。
イメージとしては、次ページの図のように、「相手の情報量を自分の情報量の場所まで引っ張り上げて、そのうえで伝えたいところまで連れて行く」という感じです(下の図2を参照)。

まず自分と相手との間に、溝があることに気づきましょう。 大抵の場合、見てきたコンテンツも重ねてきた経験も異なります。その相手に、どこまで自分の伝えたいことをわかってもらうか。それこそが、あなたがやろうとしていることなのです。

さて、「フェーズ①の情報格差を埋める」ときにやるべきことは、いろいろあります。ここでは、3パターン挙げてみましょう。

①「相手の知らない情報を補足」パターン
自分と相手の間で、推しに関する情報が異なっているとき。推しに関する基礎情報や、自分がしゃべりたいことについての補足情報が必要になるパターンです。

【具体例】
・「そもそも宝塚歌劇団っていうのは、トップ娘役がいてね」
・「私はヤクルトスワローズを応援しているんだけど、どこを拠点にした球団かというと・・・・・・」
・「こないだ見た映画のあらすじをかいつまんで説明すると」

ここで注意すべきは、どこまで細かく情報を伝えるか、という点。
情報格差を埋めるフェーズ①の情報量が多すぎると、相手はそれだけで疲弊してしまい、本当に伝えたいフェーズ②まで辿りつきません。だって、興味のない映画のあらすじをずっと紹介されても「そ、そんな映画があったんだね?」と苦笑いされるだけで終わってしまいます。
しかし、基礎情報が少なすぎても、フェーズ②でなにを言っているのか、よくわからなくなる。どのくらいの情報を伝えるか、その塩梅はとても難しいのです。

では、どうするか。
フェーズ②で伝えたいことをわかってもらうために必要な情報だけをフェーズ①で伝えることに注力しましょう。
つまり、フェーズ②の説明をわかってもらうためには、フェーズ①でなにを知っておいてもらうべきなんだろうか? と逆算するのです。
たとえば、アニメ映画のラストシーンの展開のすごさについて語りたいのなら、映画のあらすじは説明すべきだけど、声優については言及しなくていいかな、とか。推しのミュージシャンの最新曲についてしゃべりたいから、とりあえず一番有名な曲の名前だけ挙げることで「あー、あのグループ化」と思い当たってもらおうかな、とか。
逆算して情報の取捨選択をする。これが補足情報や基礎知識を説明するときのコツです。

②「相手の興味ある枠に合わせた譲歩」パターン
相手の「知りたい」「わかりたい」「興味ある」枠に、自分の伝えたいものを入れてみる方法もあります。

【具体例】
・ダンスのうまいK-POPアイドルが好きな友人に「日本にもすごい踊れて歌えるアイドルがいるんだよ、ほら見て」と紹介してみる
・野球が好きな友人に「ずっと阪神タイガースファンだった芸人さんが、最近この試合を見て、はじめてサッカーにはまったってYouTubeで言ってたの!」と導入する
・中学校の教師をしている友人に「今10代にすごい人気の声優がいるんだけど、知ってる?」と聞いてみる

相手の興味に合わせた導入になると、自分の伝えたいことにも興味を持ってもらいやすい。
これは「譲歩」ーー相手に合わせてこちらが一歩歩み寄る方法です。うまくいけば、相手がまったく興味のなかったジャンルにも関心を寄せてもらえるので、私はよく使います。
譲歩のパターンを使う際も、結局は「相手がどんなことに興味を持っているのか」「どこに興味を持っていないのか」という自分とのスタンスの違い、つまりは自分と相手の間にある情報格差の程度をわかっておくべきです。

③「相手の興味のなさに言及」パターン
これは、まったく相手が推しに興味なさそう、全然こっちを向いてなさそうだ! と思うときに使う手段。推しについて興味のない友人にしゃべるとき、あるいは講演会やセミナーなど見知らぬ人々の前で話すときにおすすめです。

【具体例】
・「あなたは全然興味ないと思うんだけど、とある声優に突然はまっちゃってさぁ」
・「皆さん、会社の研修とはいえ突然こんな話を聞かされて、眠いと思うんですが・・・・・・・ちょっとしゃべらせてくださいね」
・あなたがまったく触れたことがないであろうジャンルについて、これから話しますが」

とにかく「あなたが興味ないことはわかっていますよ〜」というサインを最初にだしましょう。人間、興味のない話だったとしても、案外目の前に人が「興味ないってわかっているけど、まあ聞いてよ」と語りかけてきたら聞いちゃうもんです。

なによりも「あなたのことに、私は興味がありますよ」という意志を伝えることが重要です。あなたに興味があるからこそ、このジャンルにあなたが興味を持っていないことがわかるんだよ。そんな気持ちを少しだすだけで、聞く耳を持つ気になるものです。
まあ、もちろんそんなクッションを挟んだところで、聞いてもらえないときは聞いてもらえないんですけどね。それでも、やるとやらないでは大違いです。

ちなみに、「相手との情報格差を把握する」クセを身につけると、発信全般、なんにでも応用がききます。
つまりは「聞いている相手」について想像するクセをつけるんです!

見ず知らずの人との面接でも、「面接官くらいの年齢・性別・職業の人が、知りたいことや、知らないことってなにかな〜」「この面接官に興味を持ってもらえそうな情報ってどれかな〜」と考えることができます。たとえば、エンタメ系の職種の就職面接で「今若者の間ではこれが流行っています。なぜかというと」と若者らしさを活かしたあなただけの分析を伝えられたら、ちょっとは面白いと思ってもらえそうじゃないですか?
もしくは、プレゼンの際も「今回のメンバーだったら、どの情報を端折ってもいいのかな」「導入はどんな話にしようかな」と考えることができますよね。だらだら長いプレゼンって嫌われることが多いですが、どこを短縮すればいいのかは、相手の顔と情報量を思い浮かべることでわかってくるかもしれません。

すべての発信に、聞き手がいます。
会話のキャッチボールを交わすことができない場、つまりどちらかが一方的に話す場においては、とくに聞き手の感想が分かりづらい。だからこそ自分と聞き手の間に、果たして、どんな深さの溝が存在するのか。常に想像することが大切です!

『「好き」を言語化する技術』 第3章 より 三宅香帆:著 ディスカヴァー・トゥエンティワン:刊

図2 伝えたいことを伝えるための手順 好き を言語化する技術第3章
図2.伝えたいことを伝えるための手順
(『「好き」を言語化する技術』 第3章 より抜粋)

相手に情報を発信する場合、必ず「こちらが知っているけど、あちらは知らない」という情報格差があります。

情報格差がどの程度なのかを知り、それを埋めること。
それが情報発信戦略の第一歩です。

推し活だけでなく、何かを「伝える」場面で、いろいろ役立つノウハウですね。

それでも「自分の意見」を書くべき理由

推しについて意見を書きたいけど、同じようなことを他の人がすでに書いていた。
推しについて、否定的な意見を抱いた。

そんなときは、自分の意見をSNSなどに載せるのは、躊躇してしまうかもしれません。

しかし、三宅さんは、それでも、自分の意見は自分の意見として、書いておくべきだと述べています。

 他人の言葉と被るから自分の言葉を引っ込める。
他人に規制されるから自分の言葉を引っ込める。
他人に影響されることで自分の言葉を引っ込める。
他人の存在によって、自分が語ろうとする「推しについて」の言葉を止める
SNS空間では(たぶん私たちの実感以上に)たくさんの人の言葉が目についてしまいます。だから、あらかじめ他人の反応を予測して、自分の言葉を手放してしまいたくなることもある。

でも、考えてみてください。
「他人の感情」って、「推し」と「自分」との間で、なんの関係もないですよね!?
ここで言う「他人の感情」とは、自分と同じものを好きなファンの言葉だったり、世間の声だったりしますが・・・・・自分と推しとの関係に他人の感情を入り込ませる必要、なくないですか?
むしろ他人の影響で、推しに対して培ってきた自分の言葉が崩れるのは、もったいないです。

他人に見せるために推しを好きなわけじゃないですよね?
SNSで推しのことを発信するのは、ほかならない推し、あるいは自分のためですよね。推しの魅力を伝えたい、推しのよさを記録したい、推しの面白さをわかってほしい。これらの欲望の間には、推しと自分しかいないはず。他人を介在させる必要なんてない。
だから、他人の言葉に自分が影響されないように。大量に流れてくる他人の言葉の渦から、自分の言葉を守ること。それがSNSのコツなんです。

SNSを見ていること「空気」としか言いようのないものが渦巻いていることはよくわかります。まるで学校の教室のように、なんとなくみんなの反応って定まってくるんですよね。これはいいけど、これは悪い。そんな他人の言葉がつくりあげる
空気や雰囲気がある。
でも、あえて空気を読まないことで、自分の言葉は自分で守りましょう。
空気を読まずに発言せよ、という意味ではありません。むしろ空気に対して自覚的であれ、ということです。
たとえば推しのアイドルグループのコンサートがあったとします。みんなはすごく演出がよかった、泣けた、と言っているけれど、私はなんだかありきたりな、いつも通りのセットリストだと感じた。もっと冒険してほしかったなぁ、と思った。SNS上のみんなは、コンサートがよかったと言う空気を漂わせている。でも、自分は違う感想を持っている。

そんなときに重要なのは、「みんなと自分は違う感想を持っているんだ」と理解することです。みんなの空気と、自分の意見は違う。そのことに自覚的になる。そして、感想をSNSにあげるときも「今回のコンサート、よかったって感想をたくさん見るけど、私はもう少し冒険してほしかった!」などと投稿してみましょう。

ここで「今回のコンサート、よかったって感想見るけど」という一文を加えるだけで、「よかった」と思っている人にとっても読みやすい感想になります。なぜなら「あ、この人は自分と違う意見なんだな」と心の準備ができるから。
受け取る側も、自分の意見をわかってくれたうえで、それでもなお違う意見を述べているんだ、と理解できれば、案外聞いてもらえるものです。これは本当なんですよ。ぜひ試してみてください。

もちろん「みんなの意見とは違うけど」という一文を入れずに発信してもいいんですが、入れたほうが読んでもらいやすい。なにより、自分もみんなと違う意見を書くんだ、という覚悟ができますよね。

みんなと違う意見を表明するのは、怖い。
アイドルのコンサートの感想でさえも。怖いのは、よくわかります。
でも、ちょっとだけ勇気をだしてみんなと違う意見を書いておくことは、自分と推しにとって重要なことなんです。

怖い思いをしてまで、推しについて自分の意見をSNSで表明する理由って、なに? と首を傾げられるかもしれません。
勇気をだしてまで、推しについて書かなくてもよくない?
もちろん、SNSに必ず書く必要はありません。日記やメモに書いて、自分ひとりのなかに留めておくだけでもいいのです。

どんなものに書くとしても、本当に大好きな推しがいるなら、推しについての自分だけの言葉を持っておくことは、すごくすごく重要なことです。
なぜなら自分の揺るぎない言葉を持つことは、きっとあなたの「推し」ーーつまり好きな存在を好きでいることへの信頼につながるからです。

ちょっと個人的な話させてください。私の場合、宝塚のあるトップ娘役さんが大好きだったんですが、ある日その人が退団してしまうことが決まり、悲しみに暮れていました。でも、その人の好きなところーー私はとにかく彼女踊っている姿が大好きでしたーーをSNSやブログに書いているうちに、「あんなに美しく踊っている姿を私に見せくれたことに感謝すべきだよな・・・・・退団を悲しんでいる場合ではないよな」と思えて、なんだか立ち直ってきたんですよ。

これは私の一例にすぎませんが、推しっていろんなことがあるじゃないですか。私が経験したように、退団や卒業がいきなりやってくることがある。スキャンダルを起こしてしまうこともあるかもしれない。世間をざわつかせる騒ぎを起こすことがあるかもしれません(縁起でもないですが)。

そんなとき、世間や他人の声に惑わされず、自分の推しに対する想いを言葉にすることができたら、推しに対する大切なものを見逃さずにすむはずです。
その大切なものは、人によって異なりますが、むやみやたらに他人の言葉に影響されて、自分の思いを見失うことはなくなります。
何度でも言いますが、他人の感情なんて、基本的には「推し」と「自分」の間において、なんの関係もないじゃないですか?
SNSで推しの素晴らしさを伝える文章を書くコツは、大量に流れてくる自分以外の人が発した言葉たちから、いかに自分の言葉を守れるか、なのです。

私たちは自覚している以上に、普段触れている言葉から影響を受けます。
たとえば「日本の未来はダメだ!」と言われたら、日本という大きな次元の話をしているのに、なぜか自分の未来までダメになったような気がしてしまう。
誰かさんの不倫なんてどうでもいいと思っていたのに、浮気を派手に叩く言葉をずっと見ていると、不倫が許せなくなってしまう。
私たちは知らず知らずのうちに、普段摂取している言葉の影響をどうしても受けてしまう。
人間は言葉によってコミュニケーションする生き物だからこそ、何回も同じ言葉と接するだけで、自分に向けられた言葉だと勘違いしてしまう。そんなところがあります。
推しについての言葉も同様です。
SNSで友人がすごく好きなアイドルについて書いていたら、なんとなくそのアイドルが好ましく思えてきたりしませんか? 逆に、SNSで批判されている有名人を見ると、自分はなにもされていないのに、なんとなく悪いイメージを抱いたりしますよね。
言葉は伝染する。
だから私たちは、十分気をつけてSNSを利用しないと、どんどん他人の言葉に自分を感染させてしまう。それは、ポジティブなことでも、ネガティブなことでも同様です。

他人の言葉の影響から自分を守る方法は、「他人の言葉を見ない」か「他人の言葉を打ち消す自分の言葉を持つ」かの、どちらかだけ。

前述の「他人の言葉を見ない」こともかなり重要な手段です。
なんだか疲れているときは、SNSを見ないようにしたり、暗いニュースに触れないようにしたりすることが必要ですよね。やっぱり疲れているときは、さらに疲れてしまう言葉に触れるべきじゃない。それと同じように、ネガティブな影響を与えてくる他人の言葉は、見ないほうが得策です。

他人の言葉から自分を守もうひとつの方法、「他人の言葉を打ち消す、自分の言葉を持つ」。これはつまり、「私は、それは違うと思う」という言葉を持つことです。
もちろん無理に他人と違う意見を書く必要はない。でも、もし他人の言葉に違和感を抱いたときは、ぜひ「他人の言葉と、自分の言葉をわける」ことを意識してみてください。

『「好き」を言語化する技術』 第4章 より 三宅香帆:著 ディスカヴァー・トゥエンティワン:刊

感情や意見は、変わっていってしまうもの。
しかし、いったん言葉にしてしまえば、自分で取り消さない限り、ずっと残り続けます。

「言葉は伝染する」

だからこそ、周りに影響されていない、生まれたままの感情や意見をSMSなどで言葉にしておくことが大切なのですね。

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三宅さんが、本書で一番おっしゃりたかったこと。
それは「他人の言葉と距離をとろう、自分の言葉をつくろう」ということです。

言葉は「ナイフ」のようなもの。
便利なツールではありますが、使い方によっては人を傷つけることもあります。

他人の言葉と自分の言葉を、ちゃんと切り分ける。

三宅さんは、切り分けることで、他人の言葉が自分のとってのナイフにならないようにすることができる、つまり、他人の言葉をナイフにしないために、自分の言葉をつくる必要があると指摘されています。

他人の言葉というナイフから、自分自身を守る“鎧”。
自分の言葉には、そんな力もあるのですね。

毒をもって毒を制す。
言葉から身を守るには、言葉の力を借りるのが一番です。

「好き」を言葉にして発信する。
そして、言葉のナイフから自分の身も守る。

本書の内容は、SNS全盛の今の時代、欠かせない護身術と言えます。

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