本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『超」東大脳』(茂木健一郎)

 お薦めの本の紹介です。
 茂木健一郎先生の『超」東大脳 偏差値にとらわれない生き方』です。

 茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)先生(@kenichiromogi)は、脳科学者です。
 ご自身のご専門に留まらず、幅広い分野で活躍されています。

「東大」も「日本人」もまだまだできる!

 茂木先生は、日本人はもっとできるはずなのに、国内の環境に満足してしまっていると危惧し、「ガラパゴス化」しつつある日本社会に警鐘を鳴らします。

 その象徴ともいうべき存在が「東大」です。
 あるテレビ番組で、東大生たちと激論を交わした茂木先生が気になったこと。
 それは、彼らは基本的に「東大生である」ということに満足してしまっているのではないかということです。

 今、IT(情報技術)の進歩によるグローバル化の波はあらゆる分野で急激に進行しています。
 ところが、東大をはじめ日本の大学は、相変わらず偏差値で測れるペーパー試験という一つの基準にこだわり続けています。
 
 内向きの序列を気にするあまり、外に目が向かず、世界にインパクトを与えられません。
 その結果、世界の優秀な学生が東京大学を目ざす、という流れをつくれていないのが現状です。

 茂木先生は、この状況は、日本という国全体も同じなのだ、と強調しています。

 本書は、世界で日本の置かれている現状と進むべき方向を「教育」を切り口に説明した一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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世界がグローバル化する間に大学は何をした?

 国際教養大学設立者の中嶋嶺雄さんは、グローバル化したこの20年で、世の中に先駆け最も先進的な知を追求すべき大学が一番遅れて取り残されてしまった状況を『知の鎖国』と呼び、警鐘を鳴らしました。

 どんな成功システムも、時代が変われば通用しにくくなるものだが、中でも日本の教育システムは悲惨である。まるで通用しないものになってしまった。グローバル化とIT化の流れに完全に乗り遅れてしまったのである。
 明治時代、日本が必死に教育制度を整え、東京帝国大学のような大学をつくり上げたのは、西欧に追いつくための人材を急いで育て上げようとしたからだ。
 そのかいあって、日本はごく短期間で成長を遂げることができた。そうした素地があったから、敗戦後の驚異的な経済復興も可能になったと言える。
 やがて時代が変わり、その成功システムは逆に成長の足を引っ張るようになった。
 本来、大学は、こうした変化に先んじて対応するべき存在だ。それでこそ、時代を変えていくことのできる人材を育成することができる。
 しかし、残念ながら日本の大学は、中嶋さんが指摘するように、変化に先んじて対応しなかった。それどころか、時代から顔をそむけ、自分たちにとって居心地のよい環境を守ろうとしたところがある。
 知の最先端であるべき大学が、時代の変化を無視した「知の鎖国」を行った結果が大学や教育のガラパゴス化なのだ。
 最も心配なのは、学生たちまでもがガラパゴス化してしまうことである。
 研究者がガラパゴス化するのは自己責任であろう。しかし、研究者や大学の怠慢によって、学生が「ガラパゴス島」に取り残され、持っている可能性を潰されてしまってはならない。
 グローバル化とIT化という大きな変化を前に、日本の教育、特に大学教育は「知の鎖国」「引きこもり」で対応した。そのことを謙虚に反省し、従来とは違う新たな発想で改革に取り組まない限り、世界における日本の評価は低下する一方になる。

 『「超」東大脳』 第1章 より 茂木健一郎:著 PHP研究所:刊

 日本人による、日本人の、日本人のための教育。
 それが、現在の日本の大学の姿です。
「グローバル化」の掛け声は立派ですが、中身は旧来とあまり変わらない内向きの閉じた世界のまま。
 このような状態で「世界に通用する人材」がどれだけ育つのか、心配になりますね。

「改善プラス破壊」が時代の要請

 今をときめく世界的なIT企業、グーグルは、ラリー・ペイジがスタンフォードの大学院時代にサーゲイ・ブリンと共同で創業した企業です。

 フェイスブックは、同じくマーク・ザッカーバーグがハーバード大学の学生時代につくりました。

 茂木先生は、インターネット時代を代表する企業のいくつかがアメリカの大学生によってつくられていることと、日本の大企業の多くがインターネット時代に入って不振をきわめていることは、決して偶然ではないと指摘します。

 日本の教育システムが生み出した人材は、「改善」に象徴されるように、積み重ねを得意としてきた。今あるものやシステムが抱える問題に気づき、それを解決する。そういう知恵と努力を積み重ねることによって、多くの日本企業が、世界で高いシェアを握ってきた。セブン-イレブンなどのコンビニエンスストアにしても、アメリカから持ってきたシステムを日本式に改善することで、本家をはるかにしのぐことに成功している。
 これは素晴らしい能力であり、今後も必要とされる力である。
 問題は、グローバル化とIT化が進んだ現代では、積み重ね一辺倒では通じなくなっていることだ。他の能力が求められている。
 それが「ディスラプティブ・イノベーション(破壊的革新)」だ。
 アメリカの多様な教育は、このディスラプティブ・イノベーションのできる人材を生み出せたのである。ジョブズやベゾスのような人物だ。
 彼らは、今ある製品を一瞬にして過去の遺物にするような革新をやってのける。現状を改善するのではなく、何が本質なのかを見きわめて、根本を変えるのだ。
 結果的に現状は破壊されることになる。時には過去の成功を捨て去ったり、自分が築いてきたものを断ち切ったりすることも求められる激しい革新だ。
 現状をコツコツと改善することによって成功を収めてきた過去を捨てられるかが、これからは求められるのである。

 『「超」東大脳』 第2章 より 茂木健一郎:著 PHP研究所:刊

 ペーパーテストを過大に評価する日本の教育の弊害が、ここでも露呈しています。

 グローバル化が進み、世界という一つの大きな土俵で戦わなければならなくなった現在。
 数多くのライバルを圧倒するようなインパクトが製品に必要です。
 それを可能にするのが「ディスラプティブ・イノベーション(破壊的革新)」です。
 
 物事の本質を見抜き、既存の技術とはまったく違う視点からアプローチできる能力。
「正解を探し出す」能力ではなく、「正解を創り出す」能力。

 今の日本の教育に最も欠けている部分であることは間違いありません。

今の時代に必要なのは「独学の精神」

 危機的状況にありながら、日本の教育制度の改革は遅々として進んでいないのが現状です。

 そのような状況のなかで、自分にとって本当に役立つ知識を身につけるのに必要なもの。
 それは、道を自分で切り開く意志、つまり、「独学の精神」です。

 私が学生の頃は、大学に行かないと得られない学術情報が存在した。物理で言えば、『Physical Review』などの雑誌は、大学の図書館に行かなければ読むことができなかった。
 しかし今では、ネット上で、論文や古典的文献など、多くの学術情報が簡単に手に入る。しかも多くの場合は無料だ。いわば、独学者の時代となったのだ。もはや大学の唯一の役割は、「もったいぶること」だと冗談を言いたくもなる。
 世界にはたくさんの独学者がいる。
 トーマス・エジソンは、小学校を3ヶ月で退学した。その後は、鉄道の新聞売り子や電信手をしながら実験に没頭した。
 エジソンに大きな影響を与えた化学者、物理学者のマイケル・ファラデーは、製本業の店奉公したあと製本職人として働いた。やがてイギリス王立研究所の実験助手に採用され、のちに教授にもなったが、37年間を王立研究所の屋根裏部屋ですごしている。
 昆虫学者のアンリ・ファーブルは、師範学校を卒業後、小学校、中学校、高校と教師の職を転々としながら昆虫の研究に没頭した。正規の教育を受けていないので、権威を重んじる人たちに攻撃されたりしたが、国際的に支援されている。
 科学哲学者のトーマス・クーンは、哲学を独学で学んだ。論壇デビューした時、彼は高校の教師だった。
 インドの数学者ラマヌジャンは、大学中退後、商社の会計係として勤務しながら数学を独学で学び、ケンブリッジ大学の数学者たちを驚かせる独自の成果を上げた。
 例をあげるときりがないが、大学などの高等教育機関に行くことが目的達成の必要条件ではないことは明らかである。

 『「超」東大脳』 第3章 より 茂木健一郎:著 PHP研究所:刊

 専門的な知識を得るのに最も重要なのは、「学びたい」という強い興味と飽くなき向上心です。
 大学に入ることは、そのための一つの手段にすぎないということですね。

 インターネットが普及し、あらゆる知識がその場にいながら手に入れられる今。
 独学をする環境がこれまでと比較にならないほど整っています。

 自分のやる気次第で、学びたいことをいくらでも学べる。
 そのような時代に生きられることを感謝しなければいけませんね。

「発信」を意識した英語教育を!

 茂木先生は、グローバル化する社会で活躍するためには、「英語による教育」が不可欠であると指摘します。

 英語は、科学や技術、インターネットの言葉として、事実上の世界共通言語だからです。

 英語という言語自体に価値があるわけではない。英語で流通している情報に意味があり、英語を使って世界に発信することに価値があるのだ。
 その時に大切なのは、「英語を何歳から教育に取り入れるか」というような「英語を操る」「英語をペラペラしゃべれるようになる」視点ではない。日本人としてのアイデンティティをしっかり持ちながら、中身のある英語で発信する力を基本にすえなければならない。
 にもかかわらず、多くの日本人にとって、英語は、海外旅行などで使う「趣味」か、TOEICに代表される「実用英語」になっている。
 それでは、一方的な受信者からなかなか脱出しにくい。やるべきことは、英語を使ってオリジナルのアイデアを世界に発信していくことだ。
 発信は、英語のネイティブに向けてだけではない。私たちと同じように英語を使っている非英国圏の人たちを意識する。それでこそ、世界規模のネットワークにアクセスし、自分のネットワークを構築することができる。
 東日本大震災のあとに、中嶋嶺雄さんが、こんな指摘をしていた。
 もし、この時に日本政府の官房長官が英語で、あるいは英語の通訳を介して、震災の被害や原発の状況について正確な情報を即座に発信していたならどうだったろう。風評被害を防ぐことができたかもしれないし、もっと各国から的確なアドバイスや支援を得られたのではないだろうか、と。
 東日本大震災では、日本人の規律正しさや高い道徳心は際立ってたが、政府として世界への発信はあまりにも弱かった。これでは日本人がどれほどいい国でも、世界からは認められないというのが中嶋さんの指摘である。
 特に原発の問題は、東京電力だけで解決できないのはもちろん、政府だけでも簡単には解決できない。世界各国の知恵や資源、人材を集める必要がある。そのためには、日本政府が世界の公用語である英語を使って情報を発信し、幅広いネットワークをつくることが欠かせない。
 大学も同様だ。受信して、時間をかけて翻訳して広めるのは、時代遅れもはなはだしい。受信者であると同時に知の発信者であって初めて大学は存在意義をもつ。
 そのためにも英語で教育をすることが大切である。

 『「超」東大脳』 第4章 より 茂木健一郎:著 PHP研究所:刊

 英語を話せるだけではなく、英語で発信できることが求められる時代。
 日本語の翻訳を介せずに直接英語でやりとりをしてこそ、グローバル化した世界の最先端の知識に触れることができるということです。

 東日本大震災の苦い教訓を生かして、より実用性を重視する英語教育に変える必要性がありますね。

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 茂木先生は、今の日本の教育で身につけられるのがせいぜい「東大脳」だとすれば、これからは世界レベルの「超東大脳」でなければならないとおっしゃっています。

 世界にビジネスを展開する企業が欲しいのは「才能」であり、国籍は関係ありません。
 サッカーのビッグクラブ同様に、優秀な人材を世界中からかき集めればいい、という考え方です。

 世界で活躍するには、いやおうなしに世界レベルの能力を身につけることが必須となります。

 しかしながら、日本の教育はいまだに偏差値という日本独自の尺度が唯一の基準です。
 このままでは日本が世界の動きから取り残されて、ますます「ガラパゴス化」してします。

 内側(国内)向けている目を外側(世界)に向ければ、日本人に眠っている力が呼び覚まされる。
 日本の、日本人の底力を世界に見せつけよう。

 そんな茂木先生の日本人を勇気づける力強いエールが端々から感じられる一冊です。

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