【書評】『心の不安」が消える本』(加藤諦三)
お薦めの本の紹介です。
加藤諦三先生の『心の不安」が消える本~幸せになれる人、わざわざ不幸になる人~』です。
加藤諦三(かとう・ていぞう)先生は、社会学がご専門の元大学教授です。
心理学や精神医学にも造詣が深く、それらに関連した著書も多数書かれています。
ラジオ番組「テレフォン人生相談」のパーソナリティを長年務められていることでも著名な方です。
人は「不幸」よりも「不安」を恐れる
ほとんどの人はお金や権力、名声などでは幸せになれないことはわかっています。
にもかかわらず、人は体をこわしたり傷つきながらも必死で富と名声を求めます。
人はなぜ、そこまでして頑張って不幸になる道を選ぶのでしょうか。
その理由は、人が最も恐れるのは不幸ではなく、不安だから
で、人が最も求めるのは幸せではなく、安心だから
です。
周りからは不幸になるためにしているようにしか見えない努力は、実は不安から逃れるためのもの。
不安には、それだけ大きな力があるということですね。
不安という“魔の手”から逃れて、幸せに生きるにはどうすればいいのか。
本書は、「不安を乗り越える生き方」を手に入れるための方法、それに「心に葛藤のある不安な人」と関わったときの対処法を解説した一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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不安を手放せない人たちの心理
不安な人は、変化を恐れて現状にしがみつきます。
加藤先生は、日常生活そのものが依存症になっている人もいる
と指摘しています。
変化を受け入れることで心の葛藤が解決する場合もあるのに、変化を拒否する。
いまのような変化の時代には、変化を拒否することが、心の底では時代におくれをとるという感覚をもたらす。それが妬みとなって現れてくることもある。
こうして心に深刻な葛藤(かっとう)を抱えこんでしまう。
失敗を恐れないで、したいことはしてみる。たとえ失敗してもそのほうが自己実現の充実感はある。
自分の人生を人に見せるためのものではないと思ったときに、不安は消える。
不安が消えるのは、たとえば失敗を恐れなくなるから、不安回避の消極的方法はとらなくなるからである。
会社にしがみつくのも不安回避の消極的方法である。そうなれば世間体を気にしてリストラを恐れることになる。
アメリカの臨床心理学者ロロ・メイは言う。
「不安回避の否定的方法に見られる共通分母といったものは、認識と活動領域を縮小するということであることがわかろう」
会社に心理的に依存していれば、「認識と活動領域」は縮小するということになろう。それは、人間として自立していないということでもある。
また、人に見せるための栄光を求めて生活の範囲を広げようとすれば不安になる。人に見せるための栄光を求めなければ不安はなくなる。
人は一瞬の栄光を求めてすべてを失うことがある。
お金で幸せを買っている生活も、認識が歪み活動領域が縮小するから不安がともなうだろう。形の上で活動領域は広がっているようでも、どこにいても心は同じ。
今日10万円使う。明日も10万円使う。すると「あさって9万円になったらどうしよう」とお金持ちは不安になる。
お金で幸せを買う生活をしてきた人は、どんなにお金を持っていても、老後の不安は解消されない。
たとえば不安回避の消極的方法として、つっぱって生きてきた。誘ってふられるのが怖いから、「あんなやつ」と言ってきた。
若いころから、傷を正面から受けとっていない。傷つくことから逃げて生きてきた。
逃げた生き方では、意識の上では「心の傷を乗り越えた」と思っているけれども、無意識の中で傷は残っている。
ある人は、不安回避の方法として哀れみを売って生きている。
ある人は、人を巻きこんで不安を解消しようとする。
たとえば、つねに人に「これこれをやってあげている」とか、「これをしてあげたから」と暗黙に感謝を要求する。
そうであれば、いつも人の気持ちを失う不安がある。『「心の不安」が消える本』 第1章 より 加藤諦三:著 大和書房:刊
人は何かを失うことを恐れるから、不安になります。
人やお金、名誉、世間体。
それらに依存する人は、失うことの不安から逃れることはできません。
不安を解消してくれる“特効薬”はありません。
時間はかかりますが、何ものにも依存しない自立した人間になる以外に方法はありません。
幸せは「人間環境」で決まる
不安の主な原因のひとつに「孤独」があります。
孤独な人ほど心に葛藤を持ちやすく、心の葛藤が不安な緊張となって表れます。
加藤先生は、不安な人はつきあう人が悪い
と指摘してます。
いつも心配事を言う人。
「イヤだなー」といつも言う人。
皮肉を言う人。
利己主義な人。
悪口を言う人。
言いわけばかりする人。
不満な人。
すみません、すみませんと言いながら譲らないずうずうしい人。
こういう類(たぐい)の人と一年間つきあっていたら心身ともに消耗しきる。
会っても、毎回、毎回、その話。心底、疲れる。
生きるのがイヤになる。
お金で買えないもの、それは人間関係。
人を生かすも殺すも人間関係。
不安な人はその人間関係が悪い。
オーストリアの精神科医ベラン・ウルフは、幸せは運命で決まるのではなく生き方で決まると言う。
私は逆に、生き方で時には運命も変わることがあると思っている。
目が不自由で嘆くことはない、幸せは運命で決まらないとベラン・ウルフは言う。しかし目が不自由で幸せになれるかなれないかは、その人の人間環境で決まると私は思っている。
いい人に囲まれているかどうかで幸せは決まる。
幸せは人間環境で決まる。
黙って受け入れてくれる人、つらいことがわかってくれる人、そういう温かい人に囲まれていれば幸せである。
頼れる強い人と接していれば幸せである。
自分がつらいときに言葉をかけてくれる人、つらいときに救ってくれる人、そういう思いやりの人と生きていければ幸せである。
ある公園で、足の不自由な人を見かけた。犬が道をふさいでいた。その人は犬の飼い主に怒らなかった。笑顔でいた。歩けることの幸せを知っている人である。
もう一度言う。不安な人は、ろくな人に囲まれていない。『「心の不安」が消える本』 第2章 より 加藤諦三:著 大和書房:刊
不安な人は、自分の周りの人に心理的に依存しています。
そのため、その人がどんなに嫌いでも離れることができません。
不安の根本原因が今の人間関係にあることに気づくこと。
その人間関係を断ち切る勇気を持たない限り、幸せにはなれないということです。
「ジャッキー・ロビンソン」のように生きよう!
加藤先生は、質(たち)の悪い人に会ってひどい目にあったとき、この不運を、自らの人生の使命を達成するための出来事と受けとる
ようにしているそうです。
この世の中で生きていれば、とんでもない人と接する。おかしな人と接しないで世の中を生きていくことはできない。
接してしまったということは、不運として受けとるしかない。それは世俗の世の中で生きている以上、しようがないことなのである。どうしようもない。
そしてとにかく悔しさや怒りは、仕事や勉強で晴らす。
悔しくて眠れぬ夜に、これが自分の使命を達成するためには必要なのだと受け取る。
この姿勢が大切である。
アメリカのメジャーリーグ、モントリオール・エクスポズ(ワシントン・ナショナルズ)元監督のカール・キュールが書いた“Mental Toughness A Champion’s State of Mind”(「精神的たくましさ チャンピオンの精神状態」)という本がある。メジャーリーガーにとっていちばん重要な資質は何かということを書いた本である。
その第1章「精神的たくましさー生き方」の中に、次のようなことが紹介されている。
人種差別の激しかった1940年代、ブルックリン・ドジャースのブランチ・リッキー会長は、黒人選手ジャッキー・ロビンソンを入団させた。そしてロビンソンは人種差別の壁を見事に打ち破る。
相手チームからの執拗な野次にも感情を露わにせず、「野球選手」であり続けることを選んで試合に勝った。
「これこそ精神のたくましさ、つまり挑戦し、成功への途上にある障害を乗り越えようとする意思なのだ」と著者は言う。
相手チームからの執拗(しつよう)な野次にロビンソンはどれだけ悔しかったろう。野次る人間を絞め殺したいと思ったろう。
彼はどれだけの屈辱を味わったであろう。冷静ではいられないのが普通である。
しかし彼は野球をすることで、その屈辱を乗り越えた。
もう一つ大切なことがある。それは、ロビンソンははじめからこれだけ強かったわけではない。小さいころから自分を鍛えていたに違いない。人はある日突然強くなるわけではない。
何か不当なことをされて悔しいときに、「仕事で返す」、あるいは「勉強で返す」と誓うことである。
「この仕事」をすること、「この勉強」をすること、それがその人の使命なのである。
悔しさとか怒りのエネルギーを生産的なエネルギーに変える。これがなかなかできない。しかしこれができないと、世俗の世の中では元気に生きていかれない。『「心の不安」が消える本』 第4章 より 加藤諦三:著 大和書房:刊
相手からいくらひどい仕打ちを受けたとしても、同じことをやり返したのでは、その相手と同レベルであることを証明しているようなものです。
不当な仕打ちによって生じたネガティブな感情は、自分の中に蓄え、前に進むための燃料にする。
その覚悟さえ決めれば、人に会うことでの不安は消し去ることができますね。
いまできることをやっているか
「なんとなく毎日が不安だ」と感じながら生きている人は多いです。
漠然とした不安を抱えるのは、「いまできることをやっていないから」。
「いま」に集中できない理由のひとつは、依存しているものへの執着です。
執着を別の言葉で言うと、失うかもしれないという不安である。そしてそれを失いたくないという強い気持ちである。
まず執着の強い人は、いまの自分を守ろうとしている。いまのポストに執着する。そしていよいよ自我が弱くなる。
有名大学から有名企業と苦労をして努力を重ねて生きてきたのに、生きるのに疲れている。所詮(しょせん)なくなってしまうポストに、なぜ執着するのか。
(中略)
不安な人は、生きるほうにエネルギーが行かない。
不安でエネルギーを消耗する。
今日一日を精いっぱい生きる。
リストラになる可能性が少ないのに、その不安で消耗することはない。
著述業なら、本が売れなくなれば、売れないなりの生活をすればいい。
そして自分の年を考えて「いま、自分はそういう年代なんだ」と思うことである。
年をとるに従って、どんどん捨てていかなければいけないのに、捨てないで執着しているから年とともに悩みや不安が大きくなる。
どうせ最後はお金を持って死ねるわけではない。
だからいまを楽しむことを考えればいい。毎日楽しいことをする。
イヤなことはイヤと言う。
「それはできない」と言う。
それで切れる人間関係はどんどん切る。失う仕事は失う。
形あるものは、いつかは「なくなる」。
ある物は、いつかは消える。
消えないのは、自分の生き方と意志だけである。
不安な人は、底なし沼に生きている。
沼の底に引っぱられている。
それはいまの自分の立場を守ろうとするからである。
いまの自分への執着が底なし沼となる。
不安をなくしたければ、地位や物に執着しない。
前に行くことが人生。『「心の不安」が消える本』 第5章 より 加藤諦三:著 大和書房:刊
お金、地位、肩書、人間関係・・・・。
それらはすべて自分以外のもので、思い通りにコントールできません。
思い通りにならないものに執着するから、悩みや不安が消えません。
不安の原因はすべて「過去」と「未来」にあります。
不安から逃れる唯一の手段は「いま」を生きること。
いまできることを精一杯やって、人生を楽しみたいですね。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
加藤先生は、自信がないときに「私は自信がない」と言えることが本当の強さ
だとおっしゃっています。
不安な人は、自分の自信のなさを隠すために、自信を誇示(こじ)しようとします。
彼らがお金や権力、ブランドに頼るのは、そのような理由もあるのでしょう。
外側を豪華に飾れば飾るほど、内側の貧弱さが目立ち、不安も大きくなります。
結局、自分の内面を直視し、磨く以外に不安から逃れる術はありません。
逃げずに現実と立ち向かうこと。
その積み重ねだけが心の芯を強くします。
健康で充実した人生を送るためにも、日々心がけたいですね。
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