【書評】『百歳の力』(篠田桃紅)

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 お薦めの本の紹介です。
 篠田桃紅さんの『百歳の力』です。

 篠田桃紅(しのだ・とうこう)さんは、日本を代表する美術家です。
「墨を用いた抽象表現」という新たな芸術を切り開かれ、百歳を過ぎた今も、その分野の第一人者として世界的にご活躍されています。

人生とは、「道なき道」を進むこと


 女学校を卒業し、結婚をして家庭に入るのが当たり前だった終戦直後の日本。
 そんな時代に、篠田さんは単身、アメリカに渡り、筆一本で勝負する世界に飛び込みます。

 若いときには、いまのような仕事をしているとは一切予想はついていなかったし、予定もしなかった。予想も予定もない、行きあたりばったり。出たとこ勝負でずっとやってきました。高村光太郎の詩「道程」と同じです。

  僕の前には道はない
  僕の後ろに道は出来る

 ほんとうにそう、いつも高村光太郎の詩を心に思い浮かべて生きてきた。私の前に道はない。誰かが歩いた道を歩いているんじゃない。先人のやったことをなぞっていない。でも生きるってそういうことです。
 前半は私にあてはまりますよ。でも、後半は私にあてはまるとは思わない。私の後ろに道などないですよ。なくてもかまわないと思っているんです。道というほどのものができてなくても、作品というものが残っている。それはある程度残っている。どこかに、ある。
 人が敷いてくれた道をゆっくり歩いていけばいいというような一生は、私の性格に合わないんだからしようがない。私の前に道がない自分の性格ゆえの報い。そう思って受け入れてきました。

 『百歳の力』 はじめに より 篠田桃紅:著 集英社:刊

 自分の道は自分で切り拓く。
 その強い意志は、百歳を超えた今も、変わることはありません。

 本書は、年齢に関係なく第一線で活躍し続けるための秘訣を、篠田さん自身の経験を踏まえ、まとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「一流の仕事」とは?


 百歳を過ぎてなお、第一線で活躍し続ける篠田さん。
 これまで数多くの作品を送り出してきましたが、いまだにだんだん発想が衰えて、描きたい形とか線とかが思い浮かべにくくなるとかいうようなことはないとのこと。

 つねに私というものが軸としてある、ごくふつうに。不思議なものです。考えてみたけれど、スランプというものがないわね、いままで一度も。その代わり、やれ調子が乗ったなんてこともない。毎日ご飯を食べて生きているのと同じようなもの。実に坦々としたもの。波が高くなったり、低くなったりしない。
 よそからの影響を受けるとか、なにかのはずみでこうなったとか、私はそういうことに動かされません。世の中がどうであろうと、親戚縁者がどうとか、若いときからいろいろ周辺にはありましたけど、そういうことは作品をつくる上でまったく関係ない。社会的なこと、世間的なこと、家族的なこと、自分の身の回りのこと一切関係がない。
 非常に困ったことが起きたとか、心配があるとか、そのときどきの自分の感情には影響されない。仕事で立って生きると決めた二十代から、それがあたりまえだと思って生きてきました。
 なにがどうだからうまくいかなかったとか、許されないですよ。そんな甘ったれたこと言うのは。プロというのは、どんなときでもそれをやり抜いてびくともしないでやっているものです。私はそういう甘えは許せないほうです。
 たとえばプロのサッカー選手でも野球の選手でも、家庭にどんなことがあろうと、奥さんがどうであろうと、フィールドなりグラウンドなりに立ったら、試合に徹する。それが一流のプロですよ。いろんなことを引きずっているようではだめです。
 学生時代はまあいいですよ。でも、社会に出て、一度これを持って世に立って生きている人間だと言ったら、やわなことじゃだめですよ。
 なにかあったからうまくいかなかったとか、今日はこういうことがあったからだめだったとか、それじゃあ一流の仕事人じゃない。アマチュアですよ、そんなのは。またそういうのに同情したりなんかする世間も、ほんとうの一流の仕事を尊敬していないってことですよ。一流ってうものは、そういうものを超えていかなければなりません。
 生身の人間ですから、おのずといい日もあればそうでない日もありますよ。だけどいちいちそれをあげつらって、今日はどうの、明日になれば、とか言うのは仕事じゃない。甘えている。
 甘えている人が多いですね。気分屋で、そういうようなことに、周りの人も充分に察してあげようとか、甘やかしていますよ。仕事というのはそんな甘いことではない。それを持って社会に立っている以上は、気分がすぐれるとかすぐれないとか、気分で生きちゃいけないんですよ。一切を超えているんですよ。
 私はものをつくっていますから、筆を持ったら一切を超えなくてはいけない。趣味ではないし、遊びでもない。
 どんな世界でもそうです。今日はこういうふうだったからうまくいかなかったとか、そんなことを口にするのは甘ったれ。プロはそういうことを一切言いませんね。
 どんな辛(つら)いことや悲しいことがあったって、それを仕事に出したらプロじゃない。そこがアマとプロのはっきりしたちがいですね。それでもって社会に出ているんですから。

 『百歳の力』 第一話 より 篠田桃紅:著 集英社:刊

 プロの世界は、結果がすべて。
 周りに引きずられて、パフォーマンスが落ちるようでは、まだまだです。

 その時々の周囲の環境や感情に左右されず、坦々と自分のやるべき仕事に集中すること。
 それが、一流の人の仕事に対する姿勢であり、長く第一線で活躍するための秘訣です。

「性格」が運命をつくる


 篠田さんは、私の性格が自分の運命をつくったと述べています。

 芥川龍之介は、運命は性格の中にあると言った。運命が性格をつくるんじゃない。性格の中に運命はある。近ごろほんとうだ、と思うようになった。さまざまな境遇に遭ったけど、私の性格が自分の運命をつくったということはたしかですね。
 ああいう運命だからあの人はああいう性格になった、と言うんじゃないのね。性格というのはずいぶん先天的なもの、持って生まれちゃったもの。運命は後天的でしょうね。
 私はきょうだいがおおぜいいましたが、同じ父母で同じ境遇で育って、同じものを食べているのに、きょうだいみんなそれぞれちがった運命を歩んでいる。同じ境遇にあっても運命は別だから、境遇が運命をつくっていない。たとえば、小さいときに両親がうまくいかなくて、境遇が性格をつくるということもあるけれど、その性格の中で運命がつくられる、そう思った。芥川さんの言うとおりだと思う。
 性格が運命を拓(ひら)き、もって生まれた性格というものが、いい作用をするときにいい運命になって、悪いほうに働いてしまうと悪い結果をもたらす。勘みたいなものですね。勘がいい働きかたをするときと、そうでもないときがあるように。
 自分の勘は、絶対まちがいないなんて、誰もそういうことは言えないけど、ある種の勘というもので、人の運命が開いたり閉じたりすることはありますね。運命はだから性格の中にあるというのは、ほんとうにそう。私にはそういうことが幾度か思いあたります。
 努力することも性格。性格というのは一切です。だからあたりまえと言えばあたりまえ。そういう性格の中で運命が決まっていくというのは、なにも取り立てて言うほどのことではない。
 私は、理性的なものを大事にして生きていかなければいけないと思っていて、理性を尊ぶ性格ではあるけれど、どうしてもおさまらない自分というものがいた。それが私の性格で、その性格で私は生きてきた。

 『百歳の力』 第二話 より 篠田桃紅:著 集英社:刊

 戦後の混乱期に、女性一人で自立して生きていく。
 その大変さは、私たちには想像を絶するものです。
 それでも、単身、アメリカへと乗り込んでいったのは、篠田さんの人並み外れた進取の精神と自由を尊ぶ気性のおかげです。

「三つ子の魂百まで」。
 持って生まれた性質を変えようと思っても無駄です。

 運命に性格を合わせるのではなく、性格に運命を合わせること。
 自分の生きたいように生きることが、結局は、自分の望む運命を引き寄せるということですね。

「無限の世界」へ出る


 最初、書道家の道を志していた篠田さん。
 しかし、次第に、ただ字を書いているというのが、つまらなくなり、抽象画の世界へと足を踏み入れることになります。

 自分が感じるものを、目に見えるものにしたい。たとえば、丸いものを描きたいと思ったら、ただ丸いものを描く。目的などなくても、ただ、丸いものを描きたかったから描いたんだと。その作品は、おもしろいと思う人もいるかもしれないし、ぜんぜんなんの感動も興味も湧かない人もいるかもしれない。私は、「丸い」という、一つの世界を描いてみたかったというだけのことです。
 自分がつくりたいと思うものをつくっていることで、私は、長生きができていると思ってますね。自分のしたいと思うことをやっているから。いやなことばっかりやってたら、なかなか長生きもできないかもしれない。
 人は、自分っていうものの生きる場をある程度占めているだけで、野放図に広い場で生きているんじゃないみたいね。杭(くい)に縛られている紐(ひも)の範囲しか動けないでしょう。人にはなにか目に見えない紐があると思うの。その一つが、生まれ育った環境でしょうね。生まれ育った環境の紐の長い人は、行動範囲が自由に近くなっていく。紐が短い人は、範囲が決まってしまう。
 うちなんかは、相当短かったんじゃないかと思うの。うちの父というのはうるさい人だったから。男の人と交際しちゃいけないとか、てんで短かったですよ。私の許される行動範囲なんて狭かったですから。そんな中で暮らしていたから窮屈だった。
 その反動で、私は紐つきでない、どこまででも好き勝手なところに、行けるところに行きたい、とそう思っていた。私は好きなように書きたかった。自分のやりたいことをやりたかったから、字を書く決まりの紐をほどいて、無限の世界へ出ることにした。
 字を書いている、ということは紐つきなんですよ。範囲が決まっている。自由がない。自由がないのがいやだったのね。だから墨で抽象画を描くようになった。
 まったくの自由ですよ。線を千本引いたってかまわないんですよ、引きたければ。千本だろうが一万本だろうが、何本だろうとかまわないんですよ。そういう場に出たんです。だから、私は解き放たれたわけね。
 紐つきの世界にいれば安心ではあるでしょうね。杭に繋(つな)がれているんですから。まあまあ安住できるのかもしれない。でも、じっとして、紐の範囲で動くというのは、私の性格ではなかった。原野で自由に生きたかった、生き物として。
 その代わり、不安ではあるわね。動物園にいればゴハンは食べられても、原野のことはわからない。そういうもんですよ、どの世界も。組織の中に入れば、審査員にしてあげましょうとか、展覧会を開きましょうとか、一種の安心はあります。私はそういう中に入れない性格だった。
 戦前からそういう性格だったけど、戦前は実行できなかった。組織の外に出てなにかをやるということが、許されなかった。村八分に遭ってしまう、どうしようもないんですよ。統制されていたから、自由というものがなかったんですね。

 『百歳の力』 第四話 より 篠田桃紅:著 集英社:刊

 どこまでも、自由な表現を追い求める篠田さん。
 墨を用いた抽象画という、それまで誰も試みたことがない手法にたどり着いたのは、必然だったのでしょう。

 自分のやりたいことに妥協を許さず、とことんまで突き詰める芯の強さ。
 篠田さんを一流たらしめた最大の要素でしょう。

「思いどおりにいかない」からおもしろい


 人生を賭けるほど、水墨画に魅了され続ける篠田さん。
 筆を持ち、墨で線を引くことの、「思い通りにいかない面白さ」がその理由です。

 フリーハンドでさーっと、思い切った線を引くのは、まあ、言わば一騎打ちに臨むときと同じです。だけど私の絵は、なにも命を懸けるようなことじゃないし、平和なことで、なんてことはないのだけど、ただ、そういう一つの決断を持って引いている。うじうじと筆を撫でて塗っているわけじゃない。一気に引く線はつねに未知数だから、どうなるか自分でもわからない。
 でも、修練を積んでいるから、この程度の墨を筆に含ませて、こうしてこの程度の速度で引けばこうなる、と八分ぐらいの予測はできる。あとの二分、それはわからない。その日のお天気、乾燥具合、水の温度、あらゆる条件が日々刻々と変わるし、私自身の調子も変わる。すべて同じということはありえない。つねにどうなるかはわからない未知数、人生と同じですよ。
 人生は、いくらこちらが予定したところで、そうはいかないじゃない。相手のあることだし。今日、なにが起こるかわかりゃしませんよ。それこそ大地震が来るかもわからないし、急に病気で倒れるかもわからない。そういうときに、人間はどういうふうに処するかってことでしょうね。あとは、もう天に任せるよりしようがない。いくらじたばたしたって、どうにもできないんですから。
 定規をあてて、きちっと引く線なら、必ず自分の考えたとおりになるでしょう。長くも短くもならない。だけど私は、ここからここまで、と思ったって、フリーハンドで自分に依っているから、ちょっと延びちゃうこともあるし、早く止まることだってある。
 最初は、自分の中で線を描いている。ところができるものは、毎回、ちがう。自分の意思に沿った線ではあるけれど、つねに、どこか裏切られている。そして、そこに自分自身の初めての発見がある。一本一本の線が一期一会です。
 思いどおりにいかない、それがおもしろいんです。いつでも賭けなんです。だからやめられないんですね、やっぱり。

 『百歳の力』 第五話 より 篠田桃紅:著 集英社:刊

 これまで何十年と、ひたすら筆を手にして、墨で線を引いてきた篠田さん。
 それでも、自分の思い通りの線が引けるとは限らないのですね。

 今日引く線と同じ線は、もう二度と引けない。
 その覚悟があるから、一本の線に魂を込めることができるのでしょう。

「一本一本の線が一期一会」

 人生にも通じる味わい深い言葉です。

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 篠田さんの雅号である「桃紅」は、中国の古典『詩格』のなかの春の情景を歌った詩が由来です。

「桃紅李白薔薇紫 問来春風總不知」
 (桃は紅、李(すもも)は白、薔薇(ばら)は紫、これを春風に問えども総(そう)に知らず)

 凛として、そして、颯爽と鮮やかに「道なき道」を歩まれている姿。
 まさに、野原に咲く、一輪の紅い桃の花そのものですね。

 “理想の線”を描くため、日々精進を続けられている篠田さん。
 幾つになられても、変わらず坦々と、自分のすべきことを追い求められる姿勢。
 私たちも、ぜひ、見習いたいものです。


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