【書評】『超入門 資本論』(木暮太一)

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 お薦めの本の紹介です。
 木暮太一さんの『超入門 資本論』です。

 木暮太一(こぐれ・たいち)さん(@koguretaichi)は、経済入門作家・経済ジャーナリストです。

資本主義社会の「ルール」を知ろう!


 スポーツやゲームで、ルールを知らずにプレーをする人はいませんね。
 最初にルールを知り、自分が勝ちやすい方法を学ぶ。
 当たり前のことです。
 ただ、私たちは自分の労働について、その「当たり前」のことを当てはめることはないです。

 どうすれば、勝ちやすくなるのか。どうすれば、負けになるのか。
 それを知らずに戦っている人がほとんどです。

 資本主義社会のルールは、「経済学」から読み取ることができます。

 木暮さんは、その経済学の中でも、今の日本経済の“ルール”を最も鋭く、かつ明快に示しているのが『資本論』だということに気づきました。
『資本論』は、ドイツの思想家・経済学者、カール・マルクスによって書かれた、資本主義の生産様式や生産過程を明らかにした歴史的大著です。

 本書は、資本主義のルールの中でどう戦い、生き残っていけばいいのかを、『資本論』の活用方法とともに解説した一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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商品は、「使用価値」と「価値」を持っている


 世の中に流通している商品は、すべて「使用価値」「価値」を持っています。

 使用価値とは、「使って感じる価値」という意味で、それを「使うメリット」のことです。
 つまり、「使用価値がある」とは、「それを使ったらメリットがある、満足する、有意義である」という意味になります。

 価値とは、「労力の大きさ」という意味です。
 つまり、「その商品の価値が大きい=その商品をつくるのにどれだけ手間がかかったか」を計る尺度となります。

 マルクスは『資本論』のなかで、商品の値段を決めているのは「価値」だと指摘しています。

 例えば、「3日間煮込んだカレー」は、「30分でつくったカレー」と比べて、より多くの時間と労力で作られています。
 そのため、私たちは、「3日間煮込んだカレー」を、より高い値段が妥当と判断し、実際に、そのような値段で売られているわけです。

 使用価値が高いものは、より多くのお客さんがほしがります。需要が大きいわけです。「もっと高くてもほしい!」と考えているため、結果的に値段が相場よりも高くなるのです。
 反対に、使用価値の低いものは、「もっと安くないと買わない」と言われてしまい、安くなっているのです。

 しかし、いくら使用価値が高くても、紙コップが10万円を超えることはまずありません。反対に、いくら使用価値が低くても、ジェット機が100万円より安くなることも考えられません。
 それは、価格が値段の基準をつくっており、この種のものは、だいたいこれくらいの値段だよな、という相場をつくっているからなのです。
 個別の商品の値段は、その相場を基準にして、値段が決まっています。

 相場をつくるのはあくまでも「価値」、
 そして、その基準から値段を上下させるのが「使用価値」です。



 ここは強調しても強調しすぎることはありません。
 もちろん、「使用価値」がなければ、商品にはなりません。買ってもらえません。だから使用価値(商品のメリット)を追求するのは当然ですし、必要不可欠です。
 しかし、それは商品の一側面でしかありません。使用価値があれば(お客様にメリットがあれば)、問題なく会社が黒字になるかというと、そうではないのです。
 使用価値があれば、お客さんは買ってくれるでしょう。
 しかし、「高値で」とは限りません。
 お伝えしたように、商品の値段は「価値」が基準になって決まっているというのが経済の原則です。ですから、それをつくるのに労力がかかっていない(大した労力がかからない)と思われるような商品は、高い値が付かないのです。

 『超入門 資本論』 第1章 より 木暮太一:著 ダイヤモンド社:刊

 多くの場合、その商品に見合った値段、つまり「相場」が存在します。
 この相場をつくっているのが、「価値」です。

 私たちは商品の高い・安いを、この「価値」から形成された相場をもとに判断しています。
 これは、つまり「使用価値」での高い・安いを判断しているということです。

もらえるのは「社会的平均的に」必要な経費


 商品の価値を決めているのは、あくまで、「社会平均的にみて必要な手間の量」です。
 私たちの給料、つまり、「労働力」についても、それは一緒です。

 給料が必要経費といっても、当然ながら「自分が必要だったらいくらでも出してくれる」というわけではありません。
 商品の価値は「社会平均的にみて必要な手間の量」で決まると説明しました。
「世間一般で考えて、その商品をつくるのには、これくらいの原材料や手間が必要だな」という量が、商品の価値になります。
 労働力の価値も同様です。
 労働力の価値として認められるのは、「世間一般で考えて平均的に必要な費用」だけです。個人的に「もっと食費や飲み代が必要!」「私はブランドのバッグがないと生きていかれないの!」と言っても通用しないということです。
(中略)
 この『資本論』の理論を理解していただいたうえで、ご自身の給与明細の項目を一度見てみてください。
「手当」が何を意味しているのか、ご理解いただけるのではないでしょうか?
 通勤手当は、「あなたが明日も働くためには、電車に乗って会社まで来なければいけませんね。その費用を会社が負担します」という意味です。
 住宅手当は、「明日も働くためには住む場所が必要ですね。だから住宅を用意しましょう」といって、会社がみなさんにお金を支給しているのです。
 家族手当は、「あなたが明日も働くためには、家族をちゃんと養えていなければいけません。だから、扶養家族が増えたらその分を上乗せして支給しましょう」という意味です。
 子女教育手当は、要するに子どもの教育費です。「子供に学費がかかりますね。その分を支給しましょう」ということです。
 資格手当は、「その資格(知力)を得るのにお金や労力がかかったでしょう。だからあなたの労働力の生産コストが上がりました。その分を支給しましょう」です。
 役職手当、残業手当も同じです。役職に就けば「それだけ必要な精神的エネルギーが増えますね。では、その分を」「残業したら、より体力を消耗しますね。じゃあ、その分を」といって、会社が支給しているのです。
 これこそが、いまの日本企業で、『資本論』の理論通りに給料が決まっていることの証なのです。

 『超入門 資本論』 第2章 より 木暮太一:著 ダイヤモンド社:刊

生産コストが労働力の 価値 である 第2章P91
図1.生産コストが労働力の「価値」である (『超入門 資本論』 第2章 より抜粋)


 普段はあまり意識はしていないかもしれませんが、私たち労働力も「商品」です。

 労働力を維持するために必要な経費が、給料として支払われます。
 決して、能力に応じて支払われるのではないということですね。

 一般的に、年齢が上がるほど、生活を維持するための“必要経費”が多くなります。
 年功序列の賃金制度は、『資本論』に照らし合わせると、理にかなったものです。

企業が利益を生み出す「仕組み」


 ビジネスから利益が生まれるのは、商品を生産する工程で「剰余価値」が生まれるからです。
 剰余価値は、商品をつくる工程で付け加えられた価値(付加価値)のことです。

 商品の元になる原材料や商品をつくる機械では、この剰余価値はつくり出すことはできません。
 仕入れ以上に価値を増やし、剰余価値を生むことができるのは、「労働力」だけです。

 ここで、注意してみると、企業の利益になる「剰余価値」は、

「労働者が商品を生産する過程で生み出した付加価値」

 だということに気がつきます。労働者は自分の労働力の価値よりも多くの価値を生産し、そしてこの差額分が剰余価値とされるのです。
 これが、企業が利益を生み出せる理由です。
 労働者が自分の給料以上に働き、価値を生み出し、それが企業の利益になっているのです。
 企業は、原材料を仕入れ、機械設備を使い、労働者を雇って生産活動を行っています。それだけを考えると、企業はそれらすべてを使って利益を出しているように思えます。つまり原材料や機械設備も利益を生み出しているように感じます。
 しかし、それは違うのです。

 今、説明したように、綿花の価値と機械の価値(機械の減価償却分)は、そのまま金額を変えず綿糸の価値に移転するだけでした。
 たとえば、機械設備に1万円を使ったら、できた商品のうち1万円分は機械設備のおかげ、機械設備という形をとっていた「価値」が、形を変えて、商品に変化しただけなのです。
 つまり、綿花や機械の形をしていた「価値」が綿糸の形に置き換わっただけで、新しい価値が生まれたわけではないのです。ということは、いくらいい原材料を仕入れようが、いくらいい機械設備を使おうが、企業の利益は増えないということです。
 もちろん、いい原材料を使ったら、商品の値段を高く設定することができます。普通のお茶よりも、宇治産の玉露を使った方が高く売れます。でも、その分「原材料の仕入れ」も増えているので、企業の利益は増えていないのです。

 仕入れ以上に価値を増やせるのは、労働だけなのです。

 原材料が加工されて、形が変わっても、価値が増えるわけではありません。そこに労働者が手を加えるから、価値が上がるのです。高い材料だから、利益をたくさん稼げるわけではないのです。
 原材料(綿花)や機械設備などは、いくらいいものを仕入れたり導入したりしても、形が変わって商品の中に移るだけで、その価値の大きさは加工後もまったく変化しません。これを『資本論』の用語で、「不変資本」といいます。
 一方、労働力という「原料」は少し違います。先ほどの例で言えば4000円で買っても、結果的に8000円の価値を生み出しています。
 このように価値が増えるのは、「労働」だけです。
 労働を、不変資本に対して「可変資本」といいます。
 つまり、企業は、労働者を働かせることによって、支払った価値以上を生み出せる、利益を上げることができるのです。
 じつは、この事実こそが現代の企業が苦しんでいる理由であり、これらかの資本主義経済を表す本質なのです。

 『超入門 資本論』 第3章 より 木暮太一:著 ダイヤモンド社:刊

剰余価値が生まれる仕組み 第3章P91
図2.剰余価値が生まれる仕組み (『超入門 資本論』 第3章 より抜粋)

 できるだけ少ない労働者で、同じだけの「価値」を生み出せば、それだけ企業の利益は上がります。
 ただ、それは商品の価値を下げることであり、長期的に見て、商品の値段を下げることになります。
 商品の値段が下がれば、当然、利益は少なくなりますね。

 自らの利益のためにやっていることが、結局は自らの首を締めていことになる。
 多くの企業が陥っている、資本主義経済のジレンマです。

「昇給に依存しない働き方」をしよう


「給料=労働者が生きていくための必要なコスト」
 このルールが変わらない限り、給料が大幅に上がることはありません。

 木暮さんは、労働者としてのぼくらは、「昇給に依存しない生き方」を目指すべきだと強調します。
 昇給に依存しない生き方とは、「自分の必要経費を下げる生き方」のことです。

 仕事をするときに、かかるコストが社会平均よりも低い仕事を選ぶのです。
「ふつう、この仕事に就いたら、これくらい大変だから、このくらいのお金をあげる」と思われているレベル(相場)があります。それで給料の金額が決まっているわけです。
 ですが、もし「自分はその仕事をしても、そんなに疲れないから疲労回復費はそんなに必要ない」「そんなにストレスを感じないから、気晴らし代はそんなに必要ない」と思っていたらどうでしょうか?
 給料は世の中平均で決まりますので、仮に「自分はそんなにコストがかからない」と考えていても、社会平均分もらえるのです。
 そしてその差額は、自分の利益になるのです。

 これはちょうど、企業が特別剰余価値を生み出すプロセスと同じです。商品の価値は、社会平均で決まります。「この商品を生産するには、一般的に考えると、50時間がかかる。だから“50時間分の価値”になる」というようなイメージです。
 しかしながら、実際にはこの商品をつくるのに60時間かかる人もいれば、逆に40時間で済む人もいます。Aさんが60時間かかってつくった場合も、“50時間分の価値”としてみなされます。
 なぜなら、それが社会平均だからです。同じように、Bさんが40時間しかかからなくても、“50時間分の価値”と思ってもらえるのです。
 このとき、Bさんは「特別剰余価値」を得ます。
 ポイントになるのは、

「社会平均より効率がいいとき」
「社会平均よりコストが少ないとき」


 です。その分は、まるまる儲けになります。
 そして、給料(労働力の価値)も同じ考え方で決まっていますので、同じ論理が当てはまります。つまり、労働者個人が「特別剰余価値」を得る可能性があるわけです。企業が常に特別剰余価値を狙っているのなら、個人も狙うべきでしょう。
 具体的には、こういうことです。
 もともと身体を鍛えている人だったら、一日働いてもすぐに体力を回復させられます。他の人は1時間6000円のマッサージに行かないと疲れが取れないのに、自分は行く必要がない。
 でも、“社会平均的”にはマッサージが必要だから、その費用が給料に織り込まれている。自分はマッサージに行かないので、この6000円分は浮きます。この分を“個人版特別剰余価値”として受け取ることができる。
 もともと人に商品を提案するのが好きな人だったら、一日中営業してまわっても、精神的疲労を感じないかもしれません。でも、“社会平均的”には、「営業=精神的ストレスをためる仕事」なので、ストレス発散代として毎日3000円の営業手当がつく。だけど自分はストレス発散の必要がない。だから、この3000円は浮きます。それを“個人版特別剰余価値”として受け取ることができる。
 要は、社会一般と比べて自分が“低コスト”でできる仕事を選べば、そこに“個人版特別剰余価値”が生まれるということなのです。
 ぼくは、このような“個人版特別剰余価値”を生み出せる考え方を、「自己内利益」という言葉で表現しています。

 『超入門 資本論』 第6章 より 木暮太一:著 ダイヤモンド社:刊

 好きなことは、長時間やっていても疲れを感じません。
 得意なことは、同じ時間で、他の人より多くの成果を残すことができます。
 どちらも、「自己内利益」を高めることにつながります。

「好き」や「得意」を仕事にすると、目に見える「年収」以上のメリットがあることがわかりますね。

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 マルクスが『資本論』を著してから100年以上が経過しています。
 それでも現代社会で十分通用するのは、マルクスの理論が資本主義の核心を突いているからです。
 それと同時に、資本主義のルール”が、マルクスが生きていた時代と本質的な部分では変わらないことも示しています。

 今の社会が続く限り、逃れることができない“資本主義のルール”。
 それを知っているか、知らないかは、大きな差となって現れます。

 資本主義社会を生き抜くための武器としての『資本論』。
 すべての働く人にとって、知っていて損はない、中身の詰まったお得な一冊です。


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