【書評】『群れから、離れよ!』(川北義則)
お薦めの本の紹介です。
川北義則さんの『群れから、離れよ!―――正しい嫌われものになれ』です。
川北義則(かわきた・よしのり)さんは、出版プロデューサー・生活経済評論家です。
「その他大勢」から抜け出す方法
私たちは、物心ついたときから「群れ」の中に放り込まれます。
保育園や幼稚園、小学校から大学、そして会社と、大半の人は組織の中に属して生活します。
群れのの中にいると、群れの掟を守り、自分を殺して生きることを迫られます。
飼いならされた羊のように、従順にならざるをえません。
川北さんは、個性を発揮して自分らしく生きるためには、群れからできるだけ離れる努力をしろ!
と強調します。
群れないライフスタイルを築きたいと思いつつ、なかなかできない人におすすめしたいのが仲間外れ作戦だ。意図的に仲間から外されるように仕向けるのである。といって、仲間との関係は気まずくならない。そんな方法である。
これは別に難しくない。いくつかのことを心に決めて実行すれば可能だ。
第一は、飲み食いのつきあいを悪くすること。職場でも学校でもそうだが、群れ行動の最たるものは、勉強と仕事以外は飲み食いである。ランチというと、少人数の決まったグループで食べに行くことが多い。
まず、これをやめる。一人飯にする。誘われたら、「これ、片づけてしまわないと・・・・」などと、やんわり断る。あらかじめ弁当を用意しておいてもいい。仕事がらみでなければ、向こうもそれ以上は誘わないだろう。
飲み会も極力行かない。ゼロは難しいだろうが、それに近い形にする。飲みたければ一人で飲みに行けばいい。とにかくつるんで飲むのはやめる。上司が、ああだこうだ言ったら「肝臓に気をつけろと言われているもので」とでも言っておけばいい。
当然、「つき合いの悪いヤツだ」と評判が立つだろうが、愛想よく無視すればいい。この「愛想よく」というのが大切。こちらは相手と距離を置こうとしており、それは向こうにとって決して快いことではない。角が立たないように気をつけることだ。
第二に、仕事以外の会話には極力加わらないようにする。会社の人事の話、同業者の話。その他、いろいろな噂話が職場で交わされる。それが親睦を深めるコミュニケーションになっているのだが、その輪から外れるようにする。
第三に、会社にいる時間を最小限にする。遅刻せず、勤務時間はテキパキ働く。残業も必要とあらばかまわないが、必要最小限を目指す。プライベート時間が余るようなら、その時間を一人行動に当てる。
これだけのことを三月(みつき)か半年も実行したら、群れから一定の距離を置いた存在になっているだろう。後はそのライフスタイルを続けるだけ。その結果生じた人間関係の変化は、よい悪いにかかわらず受け入れるしかない。『群れから、離れよ!』 はじめに より 川北義則:著 ダイヤモンド社:刊
「仲間外れ」にされるように、あえて自分から仕組む。
そうまでしても、群れから離れることのメリットは大きいということですね。
本書は、群れることの弊害を解説し、群れから離れて自由を手に入れる方法をまとめた一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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「群れない」は、もはや美学ではない
群れることから受ける恩恵はたくさんあります。
しかし群れることの弊害も、無視ができないほど大きなものです。
川北さんは、いちばんの弊害は、人間を意気地なしにすること
だと指摘しています。
群れることは、人としていちばん大切な自立心を奪ってしまう
からです。
そんな誘惑に負けないのが群れない男たちだ。誰もがしたくてできないことをやっている。カッコよくて当たり前だ。みんなが憧れるような存在は、ほとんど例外なく群れの弊害は克服している。
克己心(こっきしん)を持ってやり遂げようとするのが男の美学である。美学に惹(ひ)かれる者たちが、群れから離れようとするのは当然だ。そして、その効果は絶大である。錦織圭も石川遼もイチローも、みんな群れない自分を貫くことで現在の地位や名声を手に入れた。
しかし、時代は変わった。群れないことは、もう男の美学ではない。誰もがしたほうがいい行為である。いままでのように群れ続けていたら、時代から置いていかれる。そんな厳しい世の中になってしまった。
高度成長時代のサラリーマンは、群れていても何とか通用した。「ああしろ、こうしろ」と上から指示があったからだ。いまは指示を待っていたら仕事がなくなる。誰もが自立して、人からいわれなくても、自分の役目を積極的に果たさなければならない。
美学がどうのと悠長なことをいっているヒマはない。この変化が本物かどうかは、かつては当たり前のように存在したものが姿を消したことからも明らかだ。
一つは、企業研修である。昔は新入社員を集めて、徹底した企業研修が行われた。会社が望む人材を育成するためだ。それが、いまはない。不景気だからか。それもあるだろうが、最大の理由は多様な人材が必要になったからだ。研修で同じような人材をつくっても意味がない。かえってマイナスだとわかったのだ。
もう一つは、ヤクザ映画である。高倉健に代表される群れないキャラクターが演じる男の美学は、そんな人間が滅多にいないから価値があった。
だが、いまは自分たちにもそれが求められている。そんな身につまされる映画をわざわざ見に行く人はいない。ヤクザ映画をつくってもヒットしなくなったのだ。現実を生きる私たちも「群れない」ことを真剣に考える必要があるのだ。『群れから、離れよ!』 第1章 より 川北義則:著 ダイヤモンド社:刊
群れのなかにいることは、確かに居心地がいい部分もあります。
ただ、その群れの“論理”に無条件に従うことで、思考停止に陥る危険性は大きいです。
社会で生きていく上では、群れでの生活が必要です。
ただ、それに依存し過ぎることは、リスクの大きいといえます。
価値観が多様化し、不安定で変化の激しい今の社会。
だからこそ、「群れない」ことが身を守るための手段として重要になります。
サラリーマンでも「属さない」生き方
日本では、いまだに年功序列の人事がまかり通っている会社が多いです。
実務面に疎い、仕事のできない人間が上級職について威張っているのもよくあることです。
川北さんは、間違いなく能力主義の方向に進むから、確かな実力を持っていないと、サラリーマンをやっていられなくなる
と警鐘を鳴らします。
これからのサラリーマンは「どこに所属しているか」より、「あなたは何ができるか」が問われる。それも相手の要求するレベルで応えられなければ、お払い箱にされても文句はいえない。そういう厳しい時代を迎えている。だが、それが当たり前なのだ。
これは何を意味するのかといえば、フリーエージェント(FA)の時代といってもいい。フリーエージェントは米国でいわれ始めた言葉である。正規雇用されることなく、持っている高い能力で会社に貢献する契約社員たちである。
米国では、今フリーエージェントが急増している。一種の傭兵(ようへい)だが、正規社員をしのぐプロフェッショナルな能力を売りにしている。会社はもはや正社員のみに頼ることなく、フリーエージェントを重用する方向に傾いているという。
ということは、正社員、つまり日本でいうサラリーマンの存在価値は低下しているということだ。このフリーエージェントについて詳しい大阪経済大学の三島重顕(みしま・しげあき)准教授は、これを4つのタイプに分けている。
①独立独歩型――高い専門知識、技能によって意図的にFAになったタイプ
②環境不遇型――高い能力を持ちながら正社員の機会に恵まれずFAになったタイプ
③自由尊重型――それほど能力は高くないが、自由に働きたくて自らFAを選んだタイプ
④不可避型――能力不足のため正社員になれず、仕方なくFAでいるタイプ
米国でも、現実にはこの4つのタイプが混在している。
無視できないのは、サラリーマンも実力なしでは通用しないということ。いまのままではどこへも行き場がなくなる。また、これからは知的ロボットがますます発達し、サラリーマンの地位を脅かす存在になる。
あれこれ考えると、これからはサラリーマンも、どこにも属さないフリーエージェントの発想を持たないとやっていけない。もっとも理想的なサラリーマンは、いつでも①のタイプになれる能力を持ちながら、「いまはとりあえず、この会社の正社員でいる」という人だ。このタイプしか生き残れないだろう。
サラリーマンも、組織に属さない生き方を学ぶ必要が出てきたということだ。『群れから、離れよ!』 第2章 より 川北義則:著 ダイヤモンド社:刊
活躍の場を求めて、チームを渡り歩く一匹狼のプロ野球選手。
料亭から料亭を渡り、包丁一本で勝負する流しの板前。
独立独歩型のフリーエージェントとは、そのようなイメージでしょうか。
先の見えない時代です。
いつ自分がリストラされたり、会社が倒産するかわかりませんね。
頼れるのは、やはり自分のみです。
いつフリーになっても食べていける実力をつけることが最大の自衛手段です。
「絶対!」を口グセにしない
世の中に「絶対」はありません。
それでも、自分が自信を持っていることを「絶対だ」と考えるのが、人間の性(さが)です。
「絶対」という言葉をよく使う人は、周りの人間も扱いに困ります。
川北さんは、絶対を連発している人間は、次第に人が離れていき、孤立しやすい
と指摘します。
フランクリンが面白いことを言っている。若いころの彼は自信家で、人に対して絶対的な言い方をよくしていたらしい。
「いくら私の主張が正しくても、なかなか聞き入れてもらえなかった。そこで私は、自分の主張の最後に『・・・・と思う』と必ずつけ加えることにした。みんな、私の話をよく聞いてくれるようになった」
このように、自分では「絶対」と思っていても、あえて一歩引いてみると、周囲の人が受け入れやすくなる。表現が柔らかくなるだけでなく、思考も柔らかくなるのだ。
よく考えてみると、絶対という言葉がつく熟語には一種の近寄りがたさがある。絶対君主、絶対安静、絶対多数、絶対音感、絶対温度、絶対値――。どこか取りつく島のない感じがしないか。
こんな言葉は使わないほうがいい。使いそうになったら、別の表現に変えてみよう。どうしてもそう思わざるをえないときは、一歩下がって自分を見つめ直そう。そのほうが自分に対しても、人に対してもよい影響を及ぼす。
どんなことにも「絶対はない」のだ。ありえない言葉をやたら使うものではない。こういうと「一つだけあるじゃないか」という人がいるだろう。「死ぬことだけは絶対だ」と。だが、そうともいえないと、最近私は思っている。
死は絶対か。ほとんどの人は「そうだ」と言うだろう。だが、どうやって証明するのか。死だけは免れない、というのは推測でしかない。ガン細胞は栄養を与え続ければ、いくらでも永らえることができる。ガン細胞の遺伝子に、永遠の生命の秘密が隠されているかもしれない。
そんな七面倒くさいことを考えなくても、われわれは手塚治虫の漫画が描いた未来社会すら「そんなの絶対ありえない」と思っていたではないか。
それが、いまはそっくり実現して、さらに先に進もうとしている。よくも悪くも、この世に「絶対」と言い切れるものは何一つないと肝に銘じる必要がある。『群れから、離れよ!』 第3章 より 川北義則:著 ダイヤモンド社:刊
「絶対」という言葉には、「その他は認めない」という意味合いがあります。
他の意見を最初から聞き入れずに排除すると、柔軟性のない、偏った考えになります。
誰も相手をしてくれなくなり、孤立するのは当たり前といえますね。
成功する男には「孤独力」がある
成功するためには、目的意識、果敢な行動力、失敗にめげない持続力などが必要です。
これらの要素をすべて機能させるためには、群れから離れる必要があります。
群れから離れ、孤独の中で能力を磨く。思いがけなく成功するのでない限り、そういう一時期が成功者にはどうしても必要なのだ。イチローが人に抜きん出る打撃力を身につけたのは、孤独の中で一人厳しい練習を続けられたからだ。
もし彼が群れるのが大好きで、ふだんから群れの中にいたら、決して高い打撃力を身につけられなかっただろう。成功に不可欠な目的意識、行動力、持続力の背景には孤独力がある。孤独に耐え、孤独と上手につきあえない人間は成功するのは難しい。
人とつるむのが大好きで、いつも人と楽しく過ごしていたい。そう思う人は、そういう生き方をすればいい。その代わり、成功するのは諦めることだ。よく「成功者の孤独」ということがいわれるが、成功者というのは、成功するために孤独を味わい、成功した後でも孤独に生きなければならない。
世の中に成功したい人間は数えきれないほどいるが、実際に成功をつかめるのは一握りの人たちでしかない。大多数は成功を目指しても失敗する。その理由について、いろいろなことがいわれるが、「孤独が苦手だったから」という指摘はあまりされてない。
だが、考えようによっては、これがいちばん大きい要素かもしれない。青年時代に、何かの事情で絶対的な孤独感を味わったような人は幸いである。孤独のおかげで、成功への道が開かれるからだ。苦労人が成功しやすいのはこのためである。『群れから、離れよ!』 第4章 より 川北義則:著 ダイヤモンド社:刊
孤独力、つまり孤独に耐える力は、何かを成し遂げるためには必須の能力です。
自分を律し、他人に引きずられずに、やるべきことを為す。
それができなければ、一流の人間にはなれないということですね。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
川北さんは、群れになじめばなじむほど自分の志から遠ざかる
とおっしゃっています。
私たちは、群れの中で生活していくために、どれだけ多くの労力を割いているのか。
それは、一度群れから離れてみなければ、実感できないことでしょう。
群から離れ、自分だけの時間を確保するだけで、大きな時間・金銭・精神の余裕が生まれます。
その余裕を自分の夢の実現に使えば、実現の可能性は大きく広がります。
必要なのは、「一人でも生きていく」という強い意志。
そして、嫌われることを恐れない勇気。
これからの時代に必要な「孤独力」を身につけ、充実した人生を歩みたいものですね。
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