【書評】『採用基準』(伊賀泰代)

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 お薦めの本の紹介です。
 伊賀泰代さんの『採用基準』です。

 伊賀泰代(いが・やすよ)さん(@IgaYasuyo)は、キャリア形成コンサルタントです。
 大学卒業後、国内の大手証券会社に入社し、米国でMBA(経営学修士)を取得されています。

 その後1993年から2010年末までの17年間、世界的なコンサルタントファーム、マッキンゼー・アンド・カンパニーの日本法人で、コンサルタント、人材育成、採用マネージャーを務められていました。 
 現在は独立されて、キャリア形成コンサルタントとしてご活躍されています。

グローバルビジネスで求められる人材とは?


 マッキンゼーは、多くの著名な「卒業生」(同社を辞めた人のことを指します)を輩出している企業として有名です。
 マッキンゼーでは、コンサルタント向けのスキルトレーニングは全世界共通で、入社時トレーニングでも世界中で同じテキストが使われ、研修の内容も詳細に設計されています。

 その素晴らしさに気づいた伊賀さんは、「この組織がもっている人材育成の仕組みをすべて学びたい」と感じて、人材採用・育成担当の業務へとキャリア転換をします。

 本書は、「これからの時代にグローバルビジネスの前線で求められる人材の資質」、それに「若い世代の日本人がどのようなスキルを身につけるべきなのか」などが具体的に示された一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「優等生」を求めているという誤解


 日本では、マッキンゼーなどの外資系コンサルティングファームの採用基準や面接方法についてさまざまな誤解があります。

 伊賀さんは、例えば、求められる「能力のレベルとタイプ」について、以下のように述べています。

 実はマッキンゼーでは、バランスが崩れていてもよいので、何かの点において突出して高い能力をもっている人が高く評価されます。ある一点において卓越したレベルにある人を「スパイク型人材」と称し、採用時も入社後も「彼・彼女のスパイクは何か」という視点で人材を評価しているのです。(図表2参照)。
 スパイク型人材は、難局においてリーダーシップを発揮する際に、とても有利です。困難な条件下で組織を率いるリーダーはしばしば、「この難局を、何で勝負して乗り切るのか」と問われるからです。危機の時、ここぞという時に使える自分の勝負球や自分独自の勝ちパターンをもっていれば、それで難局を乗り切れます。
 一方「なんでもそつなくこなせる」平均点の高い優等生型人材は、一定の難局を乗り切るための術をもっていません(図表3参照)。
 ふたつの図を比べてみてください。この図を見れば、「どんなに大変な状況におちいっても、ここにもち込めば必ず勝てる」というスパイクがあってこそ、難局を乗り切ることが可能なのだと、よくわかると思います。
(中略)
 しかし、日本社会では、スパイク型の人材はあまり高く評価されません。バランスが悪く、組織の中で問題児になったり、足手まといになると思われがちです。
 ただこの点に関しても、アカデミックな世界だけは日本でもスパイク型の人材が評価されています。研究者はごく狭い部分を誰よりも深く極める必要があり、すべての分野について平均的に知識やスキルが求められるわけではありません。専門の研究分野で高い成果を上げている人には、バランス型の優等生ではなく、得意分野に偏りのあるスパイク型の人材が多いはずです。

 『採用基準』 第1章  より  伊賀泰代:著  ダイヤモンド社:刊

採用基準図表2 採用基準図表3

  (『採用基準』 P53 より抜粋)  (『採用基準』 P54 より抜粋)


 スパイク型の人材は、あれこれと足りない能力があります。
 そのため、一人で仕事をすると必ずしもうまくいかないこともあります。

 チームで成果を出せばよいのなら、弱点については他のメンバーが補えばよい。
 その割り切り方が、マッキンゼーには浸透しています。

リーダーシップは全員に必要


 マッキンゼーをはじめとする外資系企業の多くでは、すべての社員に高いレベルのリーダーシップを求めます。

 伊賀さんは、日本ではまだ、リーダーシップについて問われる機会はごく限定的で、その概念自体がよく理解されていないと懸念します。

 日本では、「リーダーは、ひとつの組織に一人か二人いればいいもの」と考えられています。
「船頭多くして船山に登る」ということわざもありますね。

 しかし伊賀さんは、その常識的な見解に対し、強く異論を唱えています。

 このことわざの船頭は、リーダーでもなんでもなく、単なる頑固でわがままな人です。このことわざは、「自分の意見を通すことだけにこだわる人が多ければ、組織としての成果は出せない」という、当たり前のことを示しているにすぎません。
 本来のリーダーとは、それとは180度異なり、「チームの使命を達成するために、必要なことをやる人」です。プロジェクトリーダーである自分の意見より、ずっと若いメンバーの意見が正しいと考えれば、すぐに自分の意見を捨て、その若者の意見をチームの結論として採用するのがリーダーです。
 さらに、「そんな若造の意見を採用するなんて!」と不満を持つメンバーを納得させ、チームをまとめていくのがリーダーシップです。こう考えれば、チーム内にリーダーが複数いることは決してマイナスではありません。むしろ全メンバーがリーダーとしての自覚をもって活動するチームは、「一人がリーダー、その他はみんなフォロアー」というチームより、明らかに高い成果を出すことができます。
(中略)
 リーダーに忠実なフォロアーは、問題が起こるたびにリーダーの判断を仰ぎにやってきます。いわゆる“指示待ち”の人になるのです。複数のフォロアーがそれぞれひとつの判断について聞きにくるだけで、一人しかいないリーダーは、彼らへの指示やアドバイスに多大な時間を費やす必要が出てきます。しかし全員がリーダーとしての自覚を持っていれば、それぞれが直面した問題の多くは、各メンバーによって個別に判断され、処理させます。

 『採用基準』 第2章  より  伊賀泰代:著  ダイヤモンド社:刊

 マッキンゼーではみんな、「全員がリーダーシップを発揮して問題解決を進める」という前提で、身分の上下関係なく、他者に対して遠慮なく自分の意見を伝える風土があります。

 日本には、「若造の意見」を取り入れるどころか、「そんなもの真っ先に潰してやる!」というリーダー(いや、船頭)がまだまだ多そうですね。

リーダーとは「救命ボートの漕手」のこと


 伊賀さんは、リーダーとは和を尊ぶ人ではなく、成果を出してくれる人だ」ということは、実はみんな理解していることだと指摘します。

 例えば、乗っている船が座礁して沈没しかけて避難しようとしたときに、自分や家族の命を託そうと考えた救命ボートの漕ぎ手が、最も信頼しているリーダーです。

 私が、こういった状況で選ばれる漕ぎ手こそ、リーダーとして評価されている人であると考える理由は、この選択には「命がかかっているから」です。誰にとってもこれ以上に明確な成果目標はありません。自分と最愛の家族の命がかかっている、絶対に達成したい成果目標があるのです。
 もしも穏やかな湖でのボート遊びの場合であれば、異なる基準で漕ぎ手を選ぶでしょう。「一時間、楽しく時間が過ごせる漕手を選ぼう」と考えますよね。そうであれば、性格のよい、明るい友人が漕ぎ手を務めるボートに乗るでしょう。口うるさい人、冗談の通じない人、笑わない人などと同じボートには乗りたくありません。
 しかし、大海で自分が乗る救命ボートを選ぶ際は、命さえ助けてくれるなら、漕ぎ手の性格が強引で人当たりが悪くても、無口で自分とは合わない性格であっても、私たちはそんなことを気にはしないはずです。
 そうではなく、「救助が得られるまで、乗客を無事に生かしていくれる、導いてくれる」という成果が達成できるかどうか、という点のみを基準に漕ぎ手を選ぶでしょう。海の上を漂流して助けを待つ間には、数多くの状況判断や、乗員の統率が必要になります。時には厳しい判断やリスクをとった決断もできる、真のリーダーを選ばないと命が助かりません。
 このように私たちは、命を守るという成果達成のためなら、ほかのことは犠牲にしてもいいと考えます。成果の大枠が達成されるであれば、細部まですべてが完璧である必要はありません。救助を求めてさまよう間、つらい目にあっても、ひどい口のきき方をされても、命さえ助かればありがたいと思うのです。

 『採用基準』 第3章  より  伊賀泰代:著  ダイヤモンド社:刊

 いざという時に選ばれるリーダーとは、「いつ、いかなる時においても成果を出せる人」です。

「あいつはいい奴」とか「いつも一生懸命で好感がもてる人」などとは、まったく違う概念です。
 それは、私たち日本人が、東日本大震災と福島第一原発事故で身をもって痛感しましたね。

 同じ過ちを二度と繰り返さないために、日本においても、求められるリーダー像の理解が進んでほしいものです。

あらゆる場面で求められるリーダーシップ


 伊賀さんは、国も大企業も変革するために必要なのは、一人の卓越したカリスマリーダーではなく、リーダーシップをとる人の総量(リーダーシップ・キャパシティ)が一定レベルを超えることだと強調します。

 日本は、慢性的なリーダーシップ・キャパシティ不足に悩んでいるのは、周知の事実です。

 日本全体のリーダーシップ・キャパシティを増やすためには、リーダーシップというものが、

  1. すべての人が日常的に使えるスキルであること
  2. 訓練を積めば、誰でも学べるスキルであること
 を理解することが必要です。

 日本では、大きなプロジェクトが行われることになると、すぐに「誰がリーダーになるのか(なるべきか)」と話題になります。大事故が起こって深刻な問題の解決が必要となった際にも、難局を乗り切るために強いリーダーシップの必要性が叫ばれます。このように日本人に「日常的に誰もが発揮するもの」とは考えられていません。
(中略)
 しかし本来のリーダーシップとは、そういった特殊なイベントを前提としない概念です。それは普通の人によって日常的に発揮される、ごく身近なスキルなのです。
 たとえば、マンションの管理組合の会合にお菓子の持ち寄りがあったとしましょう。会合が終わり、帰り際になってもテーブルの上にはお菓子や果物が残っています。貸し会議室なので残していくわけにもいきません。お菓子の数は全員分には足りないので、ひとつずつ分けるのも不可能です。みんながそれらをすごく欲しがっているわけでもありません。
 この時、「このお菓子、持って帰りたい人はいますか。お子さんがいらっしゃる方、どうぞお持ち帰りくださいな」と声を上げる人が、リーダーシップのある人です。
(中略)
 こういった場面を目にした時の言動によって、人はふたつのタイプに分かれます。最初のタイプは、何らかの問題に気がついた時、「それを解決するのは、誰の役割(責任)か」と考えます。もう一方の人たちは、それを解くのが誰の役割であれ、「こうやったら解決できるのでは?」と、自分の案を口にしてみます。この後者の人を、リーダーシップがあると言うのです。

 『採用基準』 第7章  より  伊賀泰代:著  ダイヤモンド社:刊

 いざという時にリーダーシップを発揮する。
 そのためには、平時の日常からリーダーシップを取る意識を持つことが大事です。

 ふだん、上司の指示にだけ従っている人が、急にその上司の代わりに業務をこなせと言われても、無理な話でしょう。

 結局、日本のリーダーシップ・キャパシティ不足の問題は、日本人の資質というよりも、日本社会の組織のあり方、つまり、縦割りでピラミッド型の旧来の組織構造と、それを支える教育方針の産物であるといえます。

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 タイトルこそ、「採用基準」となっていますが、その内容のほとんどは「リーダーシップ」についてのものです。

 マッキンゼーに限らず、海外の有力企業が欲しがっている人材は、「リーダーシップを発揮できる人」の一言に集約されることの裏返しでしょう。

 リーダーシップを発揮するためには、人間としての総合力が問われます。

 精神的な強さ、知識の豊富さ、問題解決能力、相手を引き付ける魅力、公平さ、信頼感。
 などなどあらゆる能力に及びます。

 だからといって、それらの能力を平均して持っていても意味がありません。

 自分の強みは何なのか。
 自分のどの能力を武器にして、リーダーシップを発揮していくべきかを真剣に考える必要がありますね。



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