【書評】『西郷どん式 リーダーの流儀』(吉田幸弘)

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 お薦めの本の紹介です。
 吉田幸弘さんの『西郷どん式 リーダーの流儀』です。

 吉田幸弘(よしだ・ゆきひろ)さんは、コミュニケーションデザイナー・人材育成コンサルタント・上司向けコーチです。

今、なぜ、「西郷隆盛」なのか?


 環境の変化のスピードが激しい、現代社会。
 会社の組織も、以前と比べて、大きく様変わりしています。

 仕事に必要な知識が深く、かつ多くなりました。
 また、構成するメンバーも多様化・流動化しています。

 一人あたりの仕事量も、以前とは比較にならないほど、増えている会社も多いです。

 組織のリーダーの仕事は、かつてよりも難しくなっているのは、間違いありません。

 そんな中、注目されているのが、幕末から明治維新にかけて活躍した英雄、「西郷隆盛」です。

 私は西郷さんこそ、リーダーのあり方を学べる人物だと思います。リーダー育成の講演を多くこなし、数冊の上梓もいたしましたが、私自身、西郷さんにたくさんのことを学ばせていただきました。いよいよ、時期が来たと思ったのです。
 本書を執筆するにあたり、30冊以上の参考文献を読み漁りました。

 西郷さんはさまざまな経験をしています。
 犬猿の仲であった長州藩との同盟関係の締結、約260年続いた江戸幕府の倒幕、血を流さずに実現させた江戸開城、新政府樹立後に留守政府の代表として行った廃藩置県の施行、徴兵令の採用など数知れません。

 西郷さんの没後からちょうど140年になります。当時からは考えられない程、環境は変わっています。かつてはスマホもパソコンもないどころか電話もない時代です。今でこそ新幹線や飛行機で日本中どこでも移動できますが、当時は何十日もかけて移動していました。
 しかも西郷さんがいたのは薩摩、鹿児島県です。江戸や京都という中心地からは離れていました。ですから、そんな僻地(へきち)にいた大昔のリーダーの考え方など、役に立たないのではないかと思われる方もいるでしょう。

 しかし、そんなことはありません。
 140年前とまったく変わっていないものがあるからです。
 それは「人間の心」です。
 西郷さんの“人心を動かしたリーダーシップ”は、現代の悩めるリーダーこそが役に立てるべきものだと思うのです。なぜなら時代が変わっても、リーダーが動かさなければいけない相手は人間であることに変わりがないからです。

『西郷どん式 リーダーの流儀』 はじめに より 吉田幸弘:著 扶桑社:刊

 本書は、西郷さんが成し遂げてきた歴史を振り返り、現代のリーダーが学ぶべきことをまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「リーダー西郷」は決して驕らなかった


 上野駅前にある銅像で有名な西郷さん。
 実際には、どのような人物だったのでしょうか。

 吉田さんは、実際のエピソードとともに、以下のようにまとめています。

①普段から不要な威圧感は出さない
 西郷は、対応が丁寧でやさしく、慈父のようだったそうです。特に部下とつるむこともなく、独りでぶらりと散歩に出ることも多かったのです。
 ある時、近所にいたお婆さんが、「みんなが名高く申す西郷さんという方を、一度拝んでみたい」と言いました。
 それを聞いた人が、たまたま通りかかった西郷を見つけ、「あの人が西郷さんだよ」と教えると、「ああ、あの方ですか。あの方なら時々お見かけしますよ。いつもうつむき加減で静かに歩かれています」と言ったそうです。
 普段は偉ぶることもなく、非常におとなしい人だったのです。

②人によって態度を変えない
 西郷は、陸軍大将でありながら、訪問してきたお客様が若い人でも目下の人でも、帰る時は縁側まで降りてきて、客が立ち去るまで、ちゃんと着座して丁寧に頭を下げました。さらに、西郷が大声を出して人を叱りつけるのを聞いた人はいなかったそうです。普通にしていても迫力がある自分が怒ったら、相手は萎縮するだけだと知っていたのでしょう。
 ここからわかるのは、西郷がいかに冷静であったかということです。そうはいっても、西郷も怒りたくなるときはあったはずです。そこを抑える、いわゆる感情をコントロールするスキルがあったということです。

③上に立っても決して贅沢をしない
 西郷は明治維新後に政府のお偉い役人がこれ見よがしに着飾ったり、女性をはべらせたりしているのをしているのを批判していました。「何のための維新だったのかよ」と、かつての同士の変わってしまった姿にイライラしていたのです。
 西郷の同期である大久保利通とのエピソードかあります。大久保が、イギリスに軍刀を注文して取り寄せた時のことです。
 西郷は、大久保に「すまんがその立派な軍刀をわしに貸してもらえるか」と言い、しばらく借りたままにしました。大久保がしびれを切らし、「その軍刀は礼服のときに着用せねばならぬから返してほしい」と伝えました。
 それに対して西郷は「あ、あれな。うちに置いたら、あんまりみんなが欲しがるから、先日若者にあげてしまった。もういらないだろう」と言い放ったのです。
 大久保のぜいたくへの戒めでした。

 西郷は、リーダーになっても驕らない気持ちを大事にしていたのです。

『西郷どん式 リーダーの流儀』 第1章 より 吉田幸弘:著 扶桑社:刊

 人の上に立つと、急に威張ったり、横柄な態度をとる人は多いです。
 それでは、当然、部下の心は離れていってしまいます。

 どんなに立場が上になっても、いや、上になるほど、驕らずに謙虚でいること。
 それが、部下に慕われ敬われるリーダーになる秘訣だということです。

敵を許せば、倍のリターンが得られる


 1968年、旧幕府軍と新政府軍の戦いである、戊辰戦争が起こります。
 この戦いは1年近く続き、最終的には、新政府軍の勝利で終わりました。

 旧幕府軍のなかで、最後まで抵抗したのが、庄内藩です。
 庄内藩は、もともと薩摩藩と因縁もあったことからも、厳しい処分が下るものと覚悟していました。

 実はこの戦いの1年前、江戸の薩摩藩邸を中心に集まっていた浪人たちは、江戸の治安を乱していました。江戸の治安の維持を任されていた庄内藩の武士たちは、薩摩藩邸を焼き討ちにしたのです。たしかに西郷が怒りそうな出来事です。

 このような過去もあり、戊辰戦争敗北における降伏式の場は悲壮な雰囲気でした。庄内藩の藩主も切腹覚悟で臨んだといいます。

 一方の西郷は、なぜか穏やかな態度で式に現れました。それだけではありません。庄内藩の藩士にとって、耳を疑うようなことを言ったのです。
「切腹して詫びるなどとんでもない!」

 さらに、庄内藩側の降伏の証として武器一切の目録を手渡します。すると、西郷は「貴藩は北国の雄藩。ロシアなどに備えて北方の守りをしてもらわねばいけません。武器はそのままお持ちいただければよか」と返したそうです。
 あまりの寛大さに、藩主、家老、出席者一同、みんなが感涙にむせびました。

 さらに、西郷は「敵となり味方となるのは運命である。一旦帰順した以上、兄弟も同じと心得よ」と新政府軍の面々に伝えたそうです。
 普通では考えられません。戦争において相手が降伏したばかりの頃は、非常に注意が必要です。なぜなら、まだまだ反乱を起こしてくる確率が高いからです。
 しかし、危険を省みずに丸腰で臨むどころか、相手に武器を持たせてしまっているのです。

 それだけ西郷は相手を信じていたのです。
 この寛大な態度が相手に感動を与えました。庄内藩の藩主・酒井忠篤は西郷のファンになり、ここから庄内藩の人々と西郷の交流が始まったのです。
 1870年には、庄内藩の藩主自ら藩士70余名を連れて薩摩に西郷を訪ねます。そして100日以上の長きにわたって滞在し、学びを受けたのです。その後も交流は続き、1877年の西南戦争にも2名の留学生が参加したほどです。
 これは敵を味方につけたことへの大きなリターンでしょう。

『西郷どん式 リーダーの流儀』 第2章 より 吉田幸弘:著 扶桑社:刊

 決まったことに、文句を言わない。
 過ぎたことを、いつまでも根に持ったりしない。

 それも、優れたリーダーになるための資質のひとつです。

 来る者は、拒まず。
 相手を丸ごと呑み込んでしまう度量の大きさは、見習いたいですね。

下級藩士・西郷の意見が、斉彬に届いた理由


 西郷さんの才能に最初に目をつけ、世に送り出した人物が、薩摩藩主となる島津斉彬です。
 斉彬は、下級藩士だった西郷さんを、庭方役に抜擢しました。

 庭方役の地位は高くないものの、秘書役として情報収集などに当たる重要な役割です。さらには、参勤交代で江戸・鹿児島間を絶えず往復する斉彬の代理人あるいは工作者として江戸に常駐する必要があります。斉彬から評価されていなければ、この地位を任命されることはなかったでしょう。

 実際、斉彬は「この若者は見込みがある!」と確信して、西郷を引き上げたようです。そして、西郷を育てるために諸藩に遣いに送りました。藩政改革の基礎となる人脈を築かせていったのです。西郷がその後活躍できるようになるのは、斉彬のおかげといってもいいのです。

 でも、いわば末端の存在であった西郷がトップに引き上げてもらったのには、どんな背景があったのでしょうか? 当然黙っていたのでは成し遂げられません。斉彬はどのようにして西郷の存在を知ったのでしょうか?

 西郷はとにかく斉彬に自分の考えをまとめた意見書を出し続けたのです。出すのは簡単。しかし、最初のうちは斉彬からの反応はありません。読まれていないと思いつつも、西郷は意見書を出し続けました。
 一方、斉彬は、藩士から出た意見書は、どんな身分の低い者の出したものでも、決して部下には封を開けさせず、自分で見ていたようです。
 いつしか、斉彬はその熱意に打たれ、「なかなか見どころのある奴だ」と感じたというのです。

 西郷の意見書の内容は、軍奉行所の上役や同僚の不正など、藩政の腐敗を指摘するものでした。農民のためを思った精一杯の抗議です。
 西郷は、「敬天愛人(けいてんあいじん)」という、人を愛せば非道はないという言葉をモットーに生きていました。尊敬する斉彬に届くことを信じて意見を出し続けたのです。

 意見書を読んだ斉彬からは次のようにな叱咤激励を受けます。
「おまえの意見書はすべて読んだ。正義感には胸を打たれる。しかし、仲間の告発だけではこの藩は変わらぬ。日本も変わらぬ。おまえは言ってみれば軍奉行所の一匹のカエルにすぎない。もっと大きな器量を持て。薩摩のカエルになるな。日本のカエルになれ。そして薩摩藩を変えろ。薩摩藩を変えることによって日本も変えろ」

 西郷は、「わしのような者の意見にも耳を貸してくださった」と、斉彬から受けた使命に感動し、命をかけることを誓いました。

『西郷どん式 リーダーの流儀』 第5章 より 吉田幸弘:著 扶桑社:刊

 返答がなくても、意見書を書き続けた西郷さんの、志の高さと熱意。
 それを真正面から受け止め、信頼という形で応えた斉彬の、人を見る目の確かさと器量の大きさ。

 どちらも素晴らしいです。

 優秀なリーダーは、優秀な部下を育てる。
 斉彬と西郷さんの関係は、まさに理想的なリーダーと部下の関係ですね。

誠実な姿勢は自分を救ってくれる


 西郷さんは、人生において二度、島流しに遭っています。

 とくに二度目の左遷先である、沖永良部島での獄中生活は悲惨でした。
 西郷さん自身も、死を覚悟したほどだったそうです。

「食事はどうしますか」と役人の土持政照が聞いても、西郷は「三食分の飯を一度に炊いて欲しい。味噌汁と塩があれば他に何もいりません」と答えるだけです。味噌汁が出るのは朝だけで、昼と夜は水をかけて食べていました。そしてわずかな塩をなめていました。

「あんな粗食では死んでしまう」と心配した土持は、自分の家から魚や野菜をぶら下げてきて、「調理しましょうか」と聞きます。しかし、西郷は「どうぞお構いなく」と首を横に振るだけです。西郷は丁寧に対応します。
 土持は始めこそ、「頑固で生意気な流罪人」と思っていたものの、西郷の丁寧な対応に、尊敬の念をもつようになります。当時26歳だった土持にとって、西郷は兄のような存在になったのです。

 どうにかならないかと思った土持は、藩の命令書に再度目を通しました。
 すると、お上の命令書には、“囲”に入れろとあるだけで、それが露天の牢屋であるとまでは書いてありませんでした。

 ならば、“囲”を、“座敷牢”と解釈してもいいのではないかと思った土持は、「自費でその座敷牢をつくりますので、どうかそこに西郷さんを移すことをおゆるしください」と代官に直訴に行きます。無事、許可をもらった土持は、ちゃんと乾燥している土地に、12畳ほどの家をつくり、その中に座敷牢を設けて、西郷を移します。
 さらに入浴の回数を増やしたり、相撲をすすめたり、子供を集めて、西郷のもとで勉強させたり・・・・・と、さまざまな配慮をし、私財を投じて西郷の待遇を改善しました。

 西郷の体調はよくなり、やせ細った体も元に戻ったそうです。

 実際、維新後の西郷は、「自分が今も生きているのは、土持さんのおかげです」と語っています。西郷の歴史になくてはならない重要な存在です。

 もちろん土持は、目の前の牢内で、ボロボロになっている囚人が、のちに日本史上を代表する英雄になるなどとは思ってもいなかったでしょう。
 それだけ、西郷の人間性が魅力的だったということです。

『西郷どん式 リーダーの流儀』 第8章 より 吉田幸弘:著 扶桑社:刊

 人間の真価は、試練にぶち当たったときに表れます。

 どんなに厳しい状況に置かれても、自暴自棄にならないこと。
 周囲の人に対して、誠実に対応すること。

 それが、逆境を乗り越え、幸運を自ら引き寄せるための秘訣です。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

 西郷さんは、1877年9月24日、西南戦争で新政府軍に破れ、51年の波乱に富んだ生涯を閉じました。

 敵味方関係なく、人を慈しみ、天に対して恥じることなく生きる。

「敬天愛人」

 座右の銘とした、この言葉通りの人生を全うした人生でした。

 没してから140年が経った今でも、変わらず慕われ、敬われ続ける西郷さん。
 その人間性からは、現代社会が見失いがちな「情」があふれ出ています。

 合理的でドライな雰囲気のある、今の世の中。
 だからこそ、厳しさの中にも優しさがある、西郷さんのようなリーダーが望まれているのでしょう。


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